「戦術論か本質論か」(その2)
4月の読書会(大鹿靖明著『メルトダウン』講談社)の記録
記録者 掛 泰輔
■ 目次 ■
4、各部の検討
(1)第1部「悪夢の一週間」
(2)第2部「覇者の救済」
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4、各部の検討
※ 以下、「→」は参加者の発言。それ以外は中井の発言である。
(1)第1部「悪夢の一週間」
<おためごかし>
・P6、「協力会社」という言葉が出てくる。東電の側が使う、下請けを指す言葉。
こういうおためごかしが多い。どうにも気になる。
<空気を読む>
・P99、東電フェローの武黒が場の空気を読んで、吉田所長に海水注入を
停止するように言った。当たり前のことだが、エリートとはいえ場の空気を
読んで動いている。
・しかし場の空気を読むこと自体が悪いのか。それは日本社会の全体的傾向性
だろう。
・吉田所長が一芝居うつところはおもしろい。吉田は東電の中でも異端者だった
のだろう。
しかし、使命感で行動しているのは、第1に彼だ。
<コミュニケーションのなさ>
・政府と東電、保安員と原子力安全委員会のコミュニケーションのなさが
書かれてあるが、そもそも東電本店が現場とコミュニケーションする
ことが日常的にないのではないか。
東電の内部だけでもコミュニケーションが取れていない。
菅が統合本部を作るまで、官邸と東電も互いに疑心暗鬼。
・官邸、東電、経産省の誰も想定していなかったことが起きたときに、
混乱やコミュニケーションギャップは当然発生する。
さらに電源喪失までおこったし電話も通じていなかった。
・したがって、このコミュニケーションのダメさは明らかだが、そのダメさが
どの程度のダメさなのかがよくわからない。菅ではない誰ならば、自民党が
政権をとっていたならば、どこがどれだけ変わったのかがわからない。
→党というよりも、そのときの総理大臣、官房長官、経済産業大臣、のような
個人が問題になってくるのではないか。
・でも例えば安倍、福田、麻生であってもそんなに変わっていたとも思えない。
<「日本のために死んでくれ」と誰も言えなかった>
・今回の事故では、死ぬ覚悟で原発事故を止める人が必要だった。
「お前死んでくれ」ということが今回の事故において、言えたんだろうか。
そういうことは誰一人言えなかったんじゃないか。
しかし事実上そういう状況だった。吉田さんは決死隊を作って死ぬ覚悟で
やっていた。
・菅直人が東電関係の人に求めていたのは「俺はここで死にます」という覚悟を
持った人だった。しかし、本社や官邸に詰めていた東電関係者には誰も
見つけれらなかった。
この段階で、本書に登場するエリートたちは「命」(死ぬこと)を
どう考えていたのか。東電トップたちは、吉田さんに「死ぬ」覚悟を
求めておきながら、その責任をとらなくていいんだろうか。
・勝俣会長は吉田さんに対してどういうスタンスをそのとき及びその後
とっているのか。
・吉田さんとともに現場に残った70人がいる。私はこの人たちの話こそ、
もっと聞きたい。この著者はそういう取材をしない。
→「死んでくれ」というのは菅さんが言うべきだったのか
・菅さんは立場上言えない。戦争でもない時に、国家が民間人にそれを
求められないだろう。今回は責任者は直接的には東電だから、
「死んでくれ」と言えるのは東電の人間だと思う。
東電の中だったら業務命令が出せる。
そこで、勝俣会長が吉田さんに「危険はあるが、やってくれ(申し訳ないけど
死んでくれ)」と言えると思う。菅さんには権限がない。
・本書は、こうした問題から逃げている。なんでこういう「命の問題」を
問題にしないのか。責任と著者が言うならば、それこそ追求すべき責任の問題。
・今の民主主義で「命は地球よりも重い」なんていうが、そんなのウソ。
皆さんに聞きたいのは、「命をかけてでも守らなければならないことがあるのか、
ないのか」という問い。この問いの答えが出てないのはダメなんじゃないのか。
こういうことを問いとして立てたこともない人は、いざというときに動けない。
・菅さんは、東電との関係では越権行為をやるけども、政策の核心的なところで
やらなかった。菅さんが本当に原発を止めたいんだったら、閣僚人事に
手を出すべきだった。経産大臣(海江田)を首にする権限は持っていた。
なぜやらなかったか疑問。何をひよってんだって思う。
<第1部その他、質問など>
→P83のところで、菅さんが現場に来たせいでベントの指示が2時間遅れたと
吉田さんが言っているが、吉田さんは「今から来たらベントが遅れる」と
言えなかった。
それは総理には言えない、という権限の問題か、通信機器の混乱のせいか。
・菅直人は国のトップだから言えないこともあるし、そのときには情報が
錯綜してお互いに訳が分からない状態だったのでは。
・P147でアメリカのことを書いている点がおもしろい。4号機に自衛隊が
ヘリコプターで水を撒いたのはアメリカに見せるためだった。
→清水社長が倒れたのは、組織のトップの重圧が大きいためか。
・重圧が大きいのではなくて、この社長はただのお飾りだった。
だから、こんなときに壊れてしまう。
東電トップには、そもそも日常的に重圧がなかった、親方日の丸企業。
何もしなくても順調にいく。
しんどいのは国の官僚たちとの交渉。国策で動かされるから。
それをロビー活動でやっていればいいが、清水社長はそれもしたことがなかった。
→清水社長が奈良に旅行に行っていたとか、入院中に住宅ローンを
全額返済したとか、書く必要があるのか。
・著者はエリートの精神の荒廃を書いたつもり。しかしこれは「エリートの荒廃」
というほどのものではない。清水社長のローンの話も、小市民が自分を守るために
汲々としているっていう姿にすぎない。
これは東電トップの責任を考えるときの、本質だろうか。
清水さんのダメさは大事なときに病気になったということがすべて。
トップとしてやることをやっていれば旅行ぐらい行ってもいい。
<下村さんのレベル>
・P79、本の視点である下村さんの発言。原発に菅が乗り込んでいくことの
是非を聞かれて、「それは総理がご判断すべきことと思います。」では、
下村が菅の側近(内閣審議官)として存在する意味がない。
下村さんの視点を本の視点にしてしまった著者の馬鹿さ加減。
(2)第2部「覇者の救済」
<銀行の融資>(P170から)
・銀行が今回チャンスだと思って東電にばーんと融資したが、後で必死に
回収しようとしたことが書かれている。しかし、これが銀行トップの
「精神の荒廃」といえるだろうか。著者はこんなことを書いて、いったい何を
証明しようとしたのか。
・みんなが自分の利害を守ろうとするのは当然。こんなことはエリートの
無能力の批判にはならない。
<リークの問題>
・P182、役人たちが自分の政策を通すためにうまいことマスコミを使って
情報を流す。(日経の『原発賠償・保険機構』案)
マスコミはスクープをとりたいし、菅直人を叩き潰すために、読売とか
TBSが海水注入の話をだーっと出してくる。
この本では最終的には経産省の役人や東電が動いていたことになっているが、
そういうことは当然、霞ヶ関もやるし、永田町も、東電もやるし、マスコミも
うまいこと踊っている。捏造記事も出す。
・マスコミ側はそういうことに対してどういうスタンスをとっているのか疑問。
つまり、持ちつ持たれつの意識で情報を流したり流されたりしあっている、
お互いを利用しながらやっている。そこで問題も起こりうる。
→本当は、新聞報道では、翌日こういう記事を出します、ということを事前に
情報提供側に伝えないといけない。そこで記者とのギブアンドテイク、
交渉が発生する。
例えば、企業誘致とかを事前につかんで裏を取った上で、最後に市長の方に
行って、交渉になる。市長としては、いいタイミングで大きく出してほしい。
しかしあまり大きく出しすぎると、企業誘致側にも迷惑がかかる。
この件に関してはこういうふうに報じるから、そのかわりネタちょうだいね
とか、そういう恩を売ったりする世界がある。
・読売新聞の誤情報の記事が菅降ろしの引き金になったが、ああいうのはありなのか。
→ニュースを作っちゃってる。
・完全に政治的意図にもとづいて、ねつ造している。そしてそれが菅政権を
終わりにする上で大きな力になった。これは恐ろしいことではないか。
・あれが事実ではないということを読売は明らかにしていないし、謝罪もしない。