8月 24

昨年の秋から、読書会では東日本大震災関連の本を読んできました。

これは、今回の東日本大震災で明らかになった私たちの社会の
構造的な問題を考えたいと思っているからです。

今年4月には大鹿靖明著『メルトダウン』講談社を取り上げました。
その読書会の記録を掲載します。

■ 全体の目次 ■

「戦術論か本質論か」
  4月の読書会(大鹿靖明著『メルトダウン』講談社)の記録
   記録者 掛 泰輔

1、はじめに
2、参加者の読後感想
3、中井の問題提起
(1)ルポの限界と意義
(2)本書の目的
(3)本書の限界と意義
(4)本書の内容について
→ここまで本日(8月24日)掲載

4、各部の検討
(1)第1部「悪夢の一週間」
(2)第2部「覇者の救済」
→ここまで8月25日掲載

(3)第3部「電力闘争」
5、参加者の感想(読書会を終えて)
6、記録者の感想
→ここまで8月26日掲載

────────────────────────────────────────

■ 本号の目次 ■

「戦術論か本質論か」(その1)
  4月の読書会(大鹿靖明著『メルトダウン』講談社)の記録
   記録者 掛 泰輔

1、はじめに
2、参加者の読後感想
3、中井の問題提起
(1)ルポの意義と限界
(2)本書の目的
(3)本書の限界と意義
(4)本書の内容について

========================================

1、はじめに

・日時 2012年4月28日 16時から18時 鶏鳴学園
・参加者 中井、社会人3名、大学生1名、浪人生1名
・テキスト 『メルトダウン』 大鹿靖明 講談社
 
今回のテキストは、霞ヶ関、永田町に集まる日本のエリートの原発事故の
対応を検証したルポ、『メルトダウン』。

本書の目的は著者曰く、「エリートの精神の荒廃、保身、責任転嫁、
能力の低さを可能な限り記録する」こと。
その目的がどの程度達成できたのかということは、読書会を通して検証された。

また、本書に登場するエリートの大半が「戦術論」で動き、長期的な
エネルギー政策を示せないなど、理念のなさがよく伝わってくる。

また、著者の膨大な取材のおかげで、官邸、経産省、政治家、保安員、
原子力安全委などの動きを細かく追うことができた。

2、参加者の読後感想

・7章にある原子力損害賠償法について、今回の地震が
 「異常に巨大な天災地変」にあたるのかどうか、というところで、
 電力会社と政府の立場が別れてそれぞれ責任を押し付け合っているのか
 と思っていた。

 しかしどちらにしろ、事故の賠償する主体が誰もいなくなるということが
 法律の上からは正しくて、そんなものが国会を通ってしまうのが
 可能だったのはなぜか疑問に思った。

 もう一つ驚いたのは、保安院のトップの寺坂さんが原子力に関して
 素人だったこと。
 それに寺坂さんは原発の専門性が要求される場面で機能しなかった
 だけでなく、例えば官邸の情報を地下2階から5階にあげることが
 できなかったという点でトップとしても機能しなかったのではないか
 と思った。
 (大学生)

・著者の問題意識の強さを感じた。この一冊をまとめあげることで
 政府の危機感のなさを徹底的にあぶりだしたいという思いが伝わってきた。

 気になったのが福島県庁のことに触れられていたのが45ページの
 1行だけで、県庁や地元自治体の動きの記述が不十分だと思った。
 それと著者はどうやって情報を取っているのか疑問に思った。
 (社会人)

・吉田所長の行動が面白いと思った。組織のトップの動きがよくわかった。
 (社会人)

・第7章の銀行の緊急融資のところが新聞で報道されないので興味深かった。
 (浪人生)

・良い点は、ここまで取材をこなせている点。著者は組織がよくわかっている。
 また、内部の情報がここまで漏れることに愕然とした。ただ、情報源を見ると
 匿名条件が多く、ガセ情報対策が為されているのか疑問。

 悪い点は、長所と裏腹だが、本の目的がはっきりしていること。
 エリートがいかに馬鹿か明らかにするという目的に徹しているのは良いが、
 果たしてその目的が正しいのか。著者は朝日新聞の出世コースから外されており、
 そのルサンチマンが書く動機になっているのではないか。

 何よりこの著者の根本的にだめな点は、経済政策、エネルギー政策が
 何もわかっていない点。

 だからエリートの馬鹿さ加減をただ描くだけになっている。
 人脈しか追えていないから単純化されすぎて書かれている。
 立場が無自覚に新自由主義と脱原発にたっているのもその一因だろう。
 (社会人)

3、中井の問題提起

(1)ルポの意義と限界
・ルポの意義は「事実によって本質を明らかにする」こと。
 特に、事実によって世間で言われていることが間違っている、と言えれば
 大きな意義がある。

・他方でルポの限界としては、「事実の羅列だけでは本質に迫ることはできない」
 ということ。つまり現象論、戦術論レベルにとどまりがち。
 事実をどう意味付け、それをどう立体的に構成するのか、ということが大事。

(2)本書の目的
・本書は日本のトップ、つまり永田町、霞ヶ関に焦点を当てている。
 この震災で明らかになった日本のエリートのレベルを検証するという目的
 それ自体は問題ない。
 そして結論は「エリートの能力のなさ、保身、責任転嫁、精神の荒廃」
 と言っている。

・しかし本書を読み終わって、どういう能力がないと言っているのか、
 どういう保身なのか、責任転嫁とはどういう意味で何の責任を取っていないのか、
 精神の荒廃とは何のことか。
 本当にルポによってこのことが書けたのだろうか。相当疑わしいのではないか。

 私は普通の意味で言って登場人物の能力が低いとも思わないし、
 保身に走っているとも、責任転嫁しているとも思わない。
 ましてやこの程度で「精神の荒廃」なんてきつい言葉をいうなら
 日本すべてが荒廃している。
 こんな大きな言葉では本当に大切なことが見えない。

 責任にもとれるレベルと取れないレベルがある。
 そういったことの検証なしに言うこと自体が無責任だと思う。

・福島県庁や地元自治体の動きがすっぽり抜けている、との指摘はそのとおり。
 著者は、霞が関や永田町を日本のエリートととらえており、「田舎者」は
 エリートでないと思っているのだろう。
 さらに、著者は、中央に人脈はあっても、地方にはないのだろう。

(3)本書の意義と限界
○<意義>
・現象レベルでここまで書ける人はあまりいない。

・東電、政府、経産省の最高責任者が全部実名で出てきて、どういう言動を
 したかなどがかなり細かく書かれているから、考える材料としてはかなり
 与えられているとは思う。
 実名を出すには、責任が伴うから、著者の本気度と豊富な取材は疑えない。

・この著者は他と違って組織がわかっている。この人は絶えず霞ヶ関に出没し、
 人脈がある。事実のナカミはある。ここが震災後に出た「原発本」や他と
 比べて優れている点だ。
 また一応、著者の属する朝日新聞社の朝日新聞や読売新聞、メディア批判なども
 ちゃんと出ている。

○<限界>
・本書は事実の羅列であって、それらを立体的に意味付け、構成されていない。

・事実をまとめるには必ずどこかに視点を置く必要がある。しかしこの著者は
 自分の視点自分の立場を持っていない。

 だから著者は、本書全体をまとめるために誰かの視点、立場を必要とし、
 事実上、下村健一(内閣審議官)の視点を、本書の視点設定に使っている。
 下村さんは菅直人の広報官という立場で動いており、立場は明確。

 しかしその立場は、本書の目的の「エリートの堕落を暴く」という目的と、
 相当矛盾しているのではないか。実際に、下村への批判はなく、全体に
 菅直人を擁護するように書かれている。

 本書の目的とその立場が整合的ではないだけではなく、その下村さんの視点は
 全体や本質を見通すようなものではなく、かなり低いレベルのものである。

・また、改革派、守旧派という言葉の内実も示されていない。
 これで人を断罪していくのは無理だと思う。

(4)本書の内容について

○<日本社会にはリスクマネジメントの思想がない>
・リスクは普遍的で、なくすことはできないという当たり前の考えが
 日本社会にはなかった。今回の原発事故およびそれへの対応に、
 それがよく現れている。

○<政権交代の意味が問われていない>
・菅直人を批判するのは良いが、自民党政権だったら、どういう点が
 より良く、あるいは悪くなっていたのか、ということが問われていない。
 著者は、関係者にそういう質問をしていないのだろう。
 そういう視点がないからだ。

 民主党政権で今回の事故が起こったことの検証が弱すぎると思う。
 永田町、霞ヶ関のトップに取材していながら、政権交代の意味が
 問われていないのはおかしいのではないか。

○<著者の立場>
・大鹿さんは、朝日の『アエラ』の記者。しかし本書は朝日新聞社から
 ではなく、講談社から出している。
 また朝日新聞に連載されていた『プロメテウスの罠』は学研から出ている。

 どうして朝日から出さないのだろうか、朝日から出せない理由があるのでは
 ないか。

 つまり、大鹿も『プロメテウスの罠』の著者も、朝日の主流ではなく、
 傍流の立場なのだろう。

Leave a Reply