10のテキストへの批評 5 「裂け目」や「ほころび」の社会学(「システムとしてのセルフサービス」長谷川一)
■ 全体の目次 ■
1 ペットが新たな共同体を作る(「家族化するペット」山田昌弘)
2 消えた手の魅力(「ミロのヴィーナス」清岡卓行)
3 琴線に触れる書き方とは(「こころは見える?」鷲田清一)
4 昆虫少年の感性(「自然に学ぶ」養老孟司)
5 「裂け目」や「ほころび」の社会学(「システムとしてのセルフサービス」長谷川一)
6 「退化」か「発展」かを見分ける力(「人口の自然─科学技術時代の今を生きるために」坂村健)
7「サルの解剖は人間の解剖のための鍵である」か?(「分かち合う社会」山極寿一)
8 わかりやすいはわかりにくい(「猫は後悔するか」野矢茂樹)
9「調和」と「狎れあい」(「和の思想、間の文化」長谷川櫂))
10 才子は才に倒れ、策士は策に溺れる(「『である』ことと『する』こと」丸山真男)
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5 「裂け目」や「ほころび」の社会学(「システムとしてのセルフサービス」長谷川一)
セルフサービス方式の本質分析は実に面白い。高校生にとってもっとも身近な場所がコンビニやスーパーマーケットだろうから、そのシステムの構造を教える本テキストは刺激的な学習に導くことだろう。
ただしその面白さは、著者・長谷川一によるものではない。経営コンサルタントの渥美俊一らの「ワンウェイ・コントロール理論」そのものの面白さなのだ。この理論を知ってから、我が身を振り返れば、確かにその理論がスーパーマーケット売り場と客たちの行動を支配していることがわかる。私たち消費者にとって、自分たちが無自覚に動かされていた理論と、その目的(売上げアップ)を自覚することは重要だ。
しかし、この理論への長谷川の分析と解決策(?)はいただけない。長谷川は前半で「自由」のつもりが「不自由」であることを示す。後半ではその「不自由」さがいかに徹底的に制御統合されたものであるかを示す。それは「『消費』を生産する工場なのだ」。しかしそれは矛盾であり、その矛盾が「裂け目」や「ほころび」を生む。長谷川はそこにわずかに「自由」の可能性を見ている。
しかし、これでは問題の解決にはならないだろう。7段落で示される「自由」概念、つまり「主体の意志にもとづく選択にあたって外部から制限の加えられないこと」という考え方自体がニセモノで低級であることこそが核心である。「ワンウェイ・コントロール理論」はそれを暴露しているだけなのだ。その意味では、私は「ワンウェイ・コントロール理論」を大いに祝福したい。
「ワンウェイ・コントロール理論」に対抗したいなら、その理論と実践の「裂け目」や「ほころぶ刹那」に解決や出口をさがしても有効ではないだろう。本来の解決は、ここで示された自由概念の低級さを超えた、本当の自由概念を示すことだと思う。「本当の自由とは何か?」
なお、直接はテーマとは関係しないが、長谷川の考察にある「身体主義」(「特定の身体」「身体の運動」「身体と実践」といった用語の多様)が気になる。フッションに流行があるように、思想や学問にもそれがある。今では「身体性」がそれだ。ブームだからそれは雰囲気的なものであり、実質は乏しい。そうしたブームを相対化できることが、研究者の要件の1つではないだろうか。