2013年に中井ゼミで考えたこと その1
昨年2013年12月29日に中井ゼミの「反省会」がありました。
私と師弟契約をしている人とそれに準ずる人が集まり、1年の振り返りをしました。
そこでの意見交換を参考に、昨年1年に考えてきた主な内容を報告したいと思います。
昨年のゼミ全体としては大きくは3点が指摘できると思います。
(1)ゼミ全体の能力が高まってきたために、私と師弟契約をしている人やゼミの
メンバーの間での意見交換、相互批判が、やっと本格的なものになってきました。
私も、ゼミ運営上の重要なことを彼らに相談できるようになりました。
(2)内容的には、それは民主主義の問題だったと思います。
つまり、自由と平等と公正、公平。人格の平等と能力の不平等の矛盾。
人と人との「まっとうな関係」とは何か
「批判はなぜしなければならないのか」
(3)メンバー個人にも、ゼミ自体にも、たくさんの問題が浮き彫りになった1年でした
問題が自覚された時は、それを解決する能力を持てた時だ、とマルクスが言っています。
私はこの言葉にいつも励まされてきました。
このマルクスのコメントには、もちろんヘーゲルの発展の考え方が背景にあります。
前進することは、そのまま自分の本質へと後戻りすることです。ですから現状以上に
前進するには、現状を生みだしている自分の本質へと後戻りすることが必要があり、
そこで問題が問題としてはっきりとするのです。
たくさんの問題が見えたことは、ゼミの能力の高まりが背景にあり、望ましいことです。
問題がはっきりするのは、発展のための必然的な1プロセスです。それらの問題を
解決する力を持てたからこそ、そうした問題がはっきりと表れてきたのだと受け止めて、
取り組みたいと思っています。
そうした問題を1つ1つ定式化し答えを出すのが、私の仕事です。
そうした問題の中からいくつかを報告したいと思います。その定式化や答えとしては
まだ生煮えの段階のものもありますが、どの問題も現代社会に広く一般的な問題ですから、
読者の皆さんには問題提起として受け止めていただけると思います。
■ 目次 ■
1 逃げ場としての「哲学」
2 医者との付き合い方
3 なぜ批判しなければならないのか
(1)その人の人生のレベルを決めるもの テーマと人間関係
(2)批判について
(3)メンバーからの意見
4 感情的になることについて
「認識における感情・感性的の意味」
5 感覚的な表現の的確さと人格の尊厳
6 公開の原則
○中井ゼミとの関わりを「隠す」こと
「公開の原則」