3月 31

2013年に中井ゼミで考えたこと その5

4 感情的になることについて

   相互の批判が始まると、感情的な言動や対応、感情的な表現が出てきて混乱します。
  人間関係がぎくしゃくし、場合によっては壊れてしまいます。
  世間の人々はそれがわかっているから、批判を避けるのでしょう。
  では、本当はこの問題をどう考え、どういう対策を講じたらよいでしょうか。

  この問題にはすでに2010年の段階で以下のような原則を立てていました
                                          

   「感情的になることについて」

  (1)感情の根元性
   〈1〉感情や実感こそが、現実を直接に反映する、根源的なもの
   〈2〉それを否定したり、抑圧するのは間違い
   〈3〉しかし、感情は、生なままの、あいまいで混沌とした形で現れやすい。
      例外的に、純粋な感情が吹き上げることはあるが、それはあくまでも例外

  (2)感情の何が問題か
   〈1〉感情全体が問題なのではなく、怒りや憎しみ、恐怖などの、マイナスな感情が
     主に問題で、相手を攻撃しようとすることになりやすい。
   〈2〉しかし、プラスの感情(愛など)でも、相手への依怙贔屓などの問題も起こる。
   〈3〉それが問題なのは、
      内容上の公正、公平さが損なわれやすいから
      形式上の人格への配慮ができなくなりやすいから

  (3)解決は思考による
   〈1〉普通は、感情内で、解決するのはムズカシイ。
   〈2〉普通は、感情問題を解決できるのは思考でしかない
    しかし、その解決とは何か

  (4)思考による解決とは何か
 
   〈1〉事前に感情をコントロールしたり、感情を抑圧することではない。(できないから)

   〈2〉感情に「含まれる」意味を明らかにすることしかできない。
     「含み」を徹底的に明らかにすることによって、結果的に自然に感情を
     コントロールできるようになっていく

   〈3〉しかし、この作業は、無意識な部分を意識化することになり、深刻な問題を
     明らかにすることにもなる。深刻な内的な葛藤をも引き起こす。自分に向き合う辛さがある。
     したがって、それをどこまで進めるかは、最終的には本人次第である。
     本人の主体性を尊重するしかないし、踏み込む範囲や迫り方には慎重でありたい。

   〈4〉以上をわきまえながら、「含み」について話し合い、相互に理解し合い、
     尊重し合い、前に進みたい。

   〈5〉今後、感情的なことが起こった場合、それを指摘し、その理由(「含み」)
     を考えるようにする

   ※感情の「含み」を明らかにしていく中で、感情にも「浅い」ものと「深い」ものの
    違いがあること、問題があるものとないもの、「含み」の自覚を進めるものと
    そうでないもの、などの区別が見えてくるだろう。
    感情内にも矛盾があり、それが「含み」をつくり、その意味を明らかにしているのだ。
                                        

    昨年の冒頭にこの原則をみなで確認し、それを意識しながら話し合いを重ねてきました。
   その結果、みなが成長できたと思っています。

    昨年、新たに考えたのは以下の「認識における感情・感性的の意味」についてです。
                                        

   「認識における感情・感性的の意味」

    「感情的になることについて」で問題にしたのは、感情的になるゆえに、
   他者の尊厳性への配慮を欠くことへの問題だが、そもそもの認識においての
   感情面の位置づけをはっきりさせる必要がある。

   〈1〉感情や実感こそが、現実を直接に反映する。その意味で根源的なもの
      すべてはそこから始まるし、そこからしか始められない。
      それを否定したり、抑圧するのは間違い

   〈2〉しかし、感情に反映された現実は、感情の色彩に染め上げられた、
     時には強烈な、また多くの場合はあいまいで混沌とした形で現れる。
     そこには「歪み」も当然ある。
     だから、そこにとどまっていては、自分の感情、感性の奴隷で終わる。

   〈3〉感情、感性は、その人の育ち、社会環境などによって形成されたものでしかない。
     もしその相対化ができないならば、自分の感情、感性の奴隷で終わる。

   〈4〉感情、感性のとらえた事柄の意味を明らかにし、その歪みを批判していくのは
     思考の役割。人間を感情や感性の奴隷状態から解放することが思考の第1の役割なのだ。

   〈5〉もちろん、思考のとらえた認識も「歪み」を持ち、「一面性」や「間違い」を侵す。
     認識も、次には現実から批判されねばならない。それはまたも感覚や実感から始まる。
     感情や感性と知性や思考は、相互関係であって、互いに修正し、高め合う関係だ。

   〈6〉認識が進めば、感覚は鈍くなるのではなく、より鋭くなる。
     感覚は、思考に与えられた方向性へと導かれながら、さらに研ぎ澄まされていく。
     その方向性が正しいものならば、以前の神経質で薄刃の折れやすいカミソリのような
     鋭さではなく、鉈のようなぶっとく骨をも砕くような強さが生まれるはず。
                                       

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