2月 15

旧約聖書読書会の感想 その4

昨年の9月から12月まで、旧約聖書(中公クラシックス)の読書会を4回行いました。

参加者の感想を掲載します。

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◇◆ 4.旧約聖書を読んで 高橋 朋子(社会人) ◆◇

今回、初めて旧約を通して読んだ。私はカトリックのクリスチャンなので、教会では聖書を読む機会が多く、
少しは分かっているつもりでいたが、通して読むのは初めてだった。
読む姿勢も、今回はいつもと違った。教会で聖書を読む際は、神父様の指導の元、一部分をピックアップして読み、
「ここで言われている事は、つまりはこういう事です。」という解説が付いており、ストレートに読む事は
決してない。私の尊敬している神父様は、「聖書を一人で読むのは危険なので、必ず指導者の元で読むように。」
と言っていた。なので、ありがたいお言葉としてではなく、読み物として読むのは初めての事だった。
私は、いつも、真実だけしか見ようとしない所があり、過程にはあまり意味が無いと思っており、
日常生活を楽しめず、人に対しても、相手の真実にしか興味が無く、真実を見極めようとし、
相手をジャッジする事が習慣になっている。
なので、旧約を読んでも全く楽しくなく、吐き気がする程不愉快だった。正しい人間が救われず、
良い人がバカをみたり、ズルや裏切りが横行し、私の信じているような、神が正しい人を救う気配も全く無かった。
結論は、人は救いを求めて約束し、破り、の繰り返しで、人間は罪をおかし続けるものなのだろうか?
罪から逃れる事は出来ないのか?それなら、生きる意味などどこにも無い、今の苦しみは永遠に続くのだろうか・・
と、私の信じている神は、何なのだろう?と。
自分の生き方に置き換え、正直に、罪を犯さず、人を傷つけず、誠実に、一生懸命生きていいるのに、
なぜ、神さまはいつまでたっても救ってくれないのだろう、幸せになれないのだろう、
苦しい状態がいつまで続くのか、不満でいっぱいな気持ちになった。
しかし、偶然、読み進めている途中で、私生活で大きな絶望を味わい、深く傷つく出来事があった。
私は、なぜまた、正しく一生懸命生きているのに、どうしていつまでたっても幸せになれないのだろう・・
という思いで、苦しい日々が続いた。もう、生きるのは疲れた、という気持ちを抑え、自分を奮い立たせ、
今、中井さんについて行かなかったらおしまいだ。と、何とか課題に取り組んだ。心身共に疲弊していたので、
とても困難だったが、もうこれしかない・・という思いで、もう一度旧約を読みなおしてみた。
すると、初めに読んだ際と全く違う感情が湧いてきた。旧約に登場する民をいとおしく、あきらめのような感情を
持ち、許せると思った。(自分の事に当てはめて、疲れ果て、もういいや、許そう・・と思った。
という方が正しいかもしれない)この、許せる、という感情を持てた事は、私にとっては大きな収穫だった。
私は、長い間、人を許せずに苦しんできた。特に、私を傷つけた相手は、どれ程努力しても許す事が出来なかった。
教会では、許すという事は、人が出来る事では無い程とても難しい。と言われていて、
許せない感情に支配されない為に、(と私は解釈している。)
「裁きは神が下すものだから、あなたは相手を裁いてはいけない。」「許す事は簡単にはできないから、
『許せるようにお導きください。』と祈りなさい。」と言われていた。しかし、それを実行し続けても、
私は私を傷つけた相手を許す事が出来ずにいた。
しかし、再度旧約を読みなおしたとき、突然、視界が開けたように、人間なんてこんな物だ。
今まで、正義感を振りかざし、泣きわめき、人を裁いていた自分は間違っていた。と思った。
自分はどれ程の物なのか、何様なのか、偽善者とは私の事だ、と恥ずかしくなった。
更に、もうひとつの収穫(発見?)は、そのような自分を後悔したり、責めたりする気持ちにならず、
許して受け入れよう。と思えた事だ。自分は悪くない、という立場を必死になって守り続けていた私は、
そこに立っていたのでは、何も見えず、何も聞こえなかったのだろう。人の罪深さを認め、許し、
謙虚な気持ちを持つことができた今、(正確には、そういう事ができるかもしれない入口に立てたという方が
正しいだろう。本当に許せたのか自分でも分からない。)これからどう生きるか、勝負はこれからだ、
と身の引き締まる思いでいる。

【中井さんの旧約聖書の読み方への感想】
旧約に対する中井さんの感想の中で、「何というリアルさ」「これこそ人間という物の真実」という言葉に、
初め、私は絶望した。これが人間の真実なの?冗談でしょう?という思いだった。しかし、今は、中井さんの
言葉を少し理解できたような気がしている。私は、以前、中井さんが言った言葉の「原罪のただなかに救済がある。」
という事を完全に理解し、消化したいと思っているが、その事に、また、一歩、近付けた気がしている。

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