2016年の秋には、初めて仏教を学習した。『摂大乗論』に関する卒論の指導をする必要があり、
仏教に向き合わざるを得なくなった。そこで考えたことをまとめておく。
■ 目次
「悟り」の根本矛盾 (仏教を考える)
※前日からのつづき
2.仏教とユダヤ教・キリスト教
(1)言葉への不信
(2)人格神の意味 内的二分と外的二分の関係
(3)「悟り」の矛盾 3段階の発展
3.比較宗教学、比較思想
(1)比較思想の難しさ
(2)『ゆかいな仏教』は自由にしてくれる
(3)宗教と哲学や科学とは何が違うのか
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「悟り」の根本矛盾 (仏教を考える)
2.仏教とユダヤ教・キリスト教
私は仏教について考えながら、常にユダヤ教とキリスト教、その旧約と新約と比較していた。
私が多少は知っており、強い関心を持っているのがイエスとその弟子たち、そこから生まれたキリスト教だからである。
また、2015年の秋から半年ほどかけて旧約と新約を読んで考えていたから、私にとってはそれは当然のことだった。
(1)言葉への不信
両者を比較して、すぐに気づくのは言葉への信頼の違いである。
仏教の言葉への不信はあまりにも激しく極端である。それに対して、ユダヤ教・キリスト教では言葉を基礎に置いて、
それが大きく揺らぐことはない。「始めに言葉があった」として旧約が始まっているほどだ。
これはどういうことなのだろうか。
ユダヤ教やキリスト教では、神は人格神であり、神と人間との関係は「契約」関係である。
それは言葉によって確定され確認される。旧約を読んでいるとそれがよくわかる。ユダヤ民族と神とは契約をし、
その契約を相互に守ることでその関係が成立する。それはすべて言葉によるもので、神から示される十戒の内容は、
文字として刻まれた石板が神からユダヤ民族の指導者であるモーゼに示される。また、モーゼは実によく、神と交渉する。
それはすべて言葉によるものだ。
それには相互の愚痴や怒りなどまで含まれるが、実にこまめに言葉でのやりとりがある。
神はユダヤ民族を愛するが、一方でよく怒り、ユダヤ民族を殲滅しようとさえする。
それをモーゼはなだめすかし、必死で思いとどめようとする。すべてが言葉によるものである。
言葉、言葉、言葉。神と人間とは相互理解をしなければならず、それには言葉で交渉する以外にはない。
そこでは言葉に掛けるしかない。言葉への不信などと言っている余裕はない。
仏教ではそれがまったく異なる。そこには人格神としての神は存在しない。
したがって、言葉による人間と神との契約や交渉は不可能であり、不必要であり、そのために言葉を軽視、否定することもできる。
この違いは重要だと思う。
(2)人格神の意味 内的二分と外的二分の関係
もちろん、仏教でもすべての人間には仏性があることになっており(つまり内的二分)、仏性を神と考えることもできる。
世界は縁起で成立しており、それは神が世界を作ったと説明しても良いだろう。しかし、それは人格神ではないし、
神と人との関係のあり方には決定的な違いがある。
旧約と新約では、神は人格神であり、人間はその神と、人格同士として契約や交渉が可能だし、それが不可欠である。
それは何を意味するのか。神は人間の外に実在し、人間とは外的に向き合う(外的二分)のだ。
もちろん、神との対話は人間一人ひとりの内面においてもなされる(これが内的二分)のだが、他方でその関係は、
徹底的に外化されてもいる。内的関係でも外的関係でも言葉が必要だが、外的関係では特に重要である。
この内化と外化の関係は相互関係であり、1つの関係の2つの側面であろう。自己内での神と自己との対話、
つまり内的二分は、外的にも神と自分たちユダヤ民族との契約や交渉の中で確認される。逆に外的な契約ゆえに、
神との内的関係は保障される。それは客観的で社会的な保障である。また、ユダヤ民族内でも指導者と民衆とは、
神との契約や交渉をめぐって言葉によって伝え合うしかなく、時に激しい議論も起こる。
この内化と外化の関係は、新約においても変わらない。内的な信仰は、外化された根拠を必要とする。
イエスの言動、人生の経緯が注目されるのは、神との関係は外化されるとの考えの結果でもあるのだ。
イエスの人生が悲劇的であり、ドラマ仕立てであり、復活を含む数々の超常現象や奇跡物語が、
キリスト教成立にはどうしても必要だったのは、そのためだ。
もちろんユダヤ教とイエス(キリスト教)との間には大きな違いがある。イエスは神との契約の条件を、
ユダヤ民族への限定から人間一般へと拡大した。それは特殊性を排除し、人類と神との関係の普遍性を保障し、
その内的二分と外的二分の関係を純粋なものとした。
しかし、こうした大きな違いはあるが、両者の神は人格神である点で同じである。
この点で仏教はまるで違う。仏教では、人格神は存在しない。神(仏性)と自分の関係は内的なものに止まり、
外化され確認されるものではない。外化することでの保障の必要を認めない。だから、言葉や表現は重視されない。
イエスと比較して、ブッダの人生にはおよそ、激しさや奇跡物語めいたものはない(少ない)。
ブッダの人生の個々の場面が重要ではない。外化が問題にはならないのだ。ブッダはあくまでも人間であり、神ではない。
これは仏教の方が内面性を深めているように思われるかもしれないが、実際は逆であろう。
内的二分と外的二分との両者が一つであるとするならば、神の意志が外化されているはずの現実社会から逃げることは
許されない。そこに不正があるなら戦うしかなく、それは現実との対立を深め、弾圧を呼ぶだろう。
そしてそれゆえにまた内的な葛藤や分裂はいっそう激しくもなるだろう。矛盾は外界にあるだけではなく、
ユダヤ民族内部でも、個人の内面でも激化するだろう。
仏教では、そうした外化を求めず、必要としない。しかし、それは建前であり、大衆において外化と客観的な保障
(功徳やご利益など)を求める力は大きく激しい。仏教もそれを押しとどめることはできず、
次第にその力に屈服していったように思われる。それが仏像であり、輪廻の教えであり、多数の仏、浄土、念仏であり、
密教であるように思う。
こうした方向は、決して大衆からの要請だけではない。本来、外と内とは一つであり、外を無視・軽視すること自体が
間違いなのである。したがって、外化や客観化はそれが発展する上で、必然的な方向なのだ。
しかし仏教は原理的にはそれを求めないのだから、かなり不自然な形とならざるを得ない。
たとえば、仏教のわかりにくさは、そこにブッダ以外に、多数の菩薩や如来が存在することだ。それは何か。
すべての真理への道と同じく、仏教にも師弟関係と弟子相互の関係がある。そこでの真理性には客観的な保障、
つまり悟りが本物が妄想かの基準が必要である。そしてその保障とは師弟関係の継続性、永遠性の中にしかないだろう。
歴史的な師弟関係の継続性こそが、その真理の客観性(それが主観的な妄想ではない)、永遠性、発展を保証する。
しかし内的な保障を外的な関係の中に求められないなら、それに代わる絶対的なシンボルが必要になる。
それが仏教における多数の仏や菩薩らの群れであり、壮大な曼陀羅の世界なのではないか。
これに関連して言うと、ブッダが「独覚」したとされるのはおかしい。ブッダの悟りは、彼に先生がいなかったことを
意味しない。ブッダにも当然師がいた。ただ彼は師を超えた、それも大きく超えたのだ。
ブッダをそれ以前と切り離そうとする無理が、その世界観に歪みを与えていると思う。
キリスト教が、教会に絶対的な意味を与えているのは、この師弟関係の絶対的価値を求めるからである。
しかし、それが疑似的に外化されることはない。それは三位一体の理論に付け加えられるものはないからだ。
(3)「悟り」の矛盾 3段階の発展
そうした大きな違いを確認した一方で、私は両者がやはり根本的な点で一致していることにも驚き、
その意味の大きさ、深さをかみしめることになった。
それはヘーゲルの矛盾の捉え方であり、3段階からなるその発展観である。
その考えは、仏教においても貫かれているように思った。
ブッダの人生は、次のような展開を示している。
1)現実社会への絶望
↓
2)ヨーガの教団で修行
↓
3)悟り(現実世界を全体の相関関係でとらえる)中道の自覚
↓
4)49日間の悩み
悟りの内容については何も語ることなく一人生きるか、世間に布教するかで悩む
現実社会に戻ることを決意(発心) ブッダがブッダになった時
↓
5)布教活動(現実社会に戻る)
ブッダは人間や社会の現状に絶望し、悟りを求めて修業した。そして35歳の頃に悟ったとされる。
しかし彼はその段階で大きな問題にぶつかり、49日間そこに止まった。悟りを自分だけのものとして終わるか、
それとも人々にそれを教え広める活動をするか。言葉は不十分であり、布教活動には必ず誤解やズレ、
人々の対立が引き起こされる。それをどう理解するか。
ブッダはその矛盾を引き受ける決意をし、布教活動を始め、80歳で亡くなるまでの50年近くを、人々の救済に身をささげた。
そこには、言葉は不十分なものだが、その言葉でしか伝えられないという大きな矛盾を自覚しつつ、それを受け入れ、
それと対峙していく覚悟と勇気と忍耐があったはずだ。その悩みの深さと覚悟や勇気がどれほどのものだったかは、
彼がその後亡くなるまでの50年間、うまずたゆまず、布教し続けた姿にはっきりと表れていると思う。
しかし、ブッダがその矛盾とどう向き合い、どう解決したのかは、本人が語ることはなかったようだ。
原始仏教の経典にはほとんど書かれていないと思う。
ブッダの教えは中道の教えだと言われる。しかしそれを足して二で割るような方法や、
バランス(これは偶然性の立場の言葉)として理解するのは、まったく彼の真意から外れるだろう。
中道の教えの対象も、世俗の現実世界と悟りの世界との矛盾としてだけとらえると違うだろう。それは何よりも、
内的にも外的世界でも分裂・対立・矛盾の自覚であり、そこから逃げないで踏みとどまり、それを克服していくように
との教えではないだろうか。言葉の不十分さ、それゆえの仲間同士での誤解や対立、この現実社会との対立が
避けられないことを自覚しつつ、その中に踏みとどまり、その改革に当たっていくという覚悟と実践。
繰り返される失敗と挫折を引き受け、それをも踏み越えて進む覚悟と実践。それがブッダの中道という教えだと思う。
それは静的で受動的なものではなく、動的で能動的な激しい生き方である。
しかし、彼の弟子たちは、その生き方をブッダの深さで理解することはできなかったので、小乗仏教と揶揄されるようになり、
それを克服するために大乗仏教が生まれ、中観派の「空」の思想が生まれ、唯識が生まれたのではないか。
ブッダは、世界の根本的な矛盾を見ていた。その矛盾に耐えられない場合は、いずれか一方を取って他は切り捨てる
ことになる。ブッダは矛盾に耐えよ、そこで耐えて仕事をせよ、それが生きることだ、と伝えた。
小乗では、その理解が浅かった。
それに対して、大乗仏教が生まれた。
中観派の空は、ただの否定ではない。世界を存在するとも、無であるともしない。
その矛盾の中で、矛盾のままに生きることを求めているのが、空の立場である。
これはブッダの中道をより具体化したものだろう。
唯識の三性説も同じである。しかしそれにアーラヤ識の考えを導入することで、これをさらに空間的に全体性としてとらえ、
時間的に発展していく運動としてとらえようとしたのだと思う。
中観派も唯識派も、ブッダが見つめた矛盾を深めた。それが必然的に3段階の発展の形式として現れていくのが面白かった。
ブッダはその前半生で現実社会に絶望し、その後の厳しい修行によって悟りを得た。しかしそこに止まらず、
また現実世界への布教活動に戻った。
ブッダが若い日々に修業したヨーガ教団では、世俗世界に対して、厳しい修行による悟りの世界を対置し、
自分たちは教団内部に閉じこもり、現実社会への働きかけをしなかったのだろう。
しかしブッダはそれに同調できなかったのではないか。それでは聖なる世界と世俗世界とは対立し、
世界は両者に分裂するだけだからだ。この聖と俗との対立・矛盾もまた解決されなければならない。
現実社会には多くの矛盾があり、ブッダはそれに悩み苦しんだが、それらは悟りの地平で解決され、統一される。
しかし、それだけでは真の解決にはならない。それも突き詰めれば、聖と俗とが対立し、世界はより大きな分裂と
矛盾を抱え込むことになる。ブッダはそこに止まることを自分に許さなかった。聖と俗との分裂もまた解決され
なければならない。分裂が解決されないなら、現実世界はそのままに放置され、教団内部の矛盾、
対立もまた解決できないからだ。
ブッダは、現実社会の矛盾、対立の中に必然性と真実を見抜き、それを自他に対して、教団内部にも、
外部の現実社会にも実現していくことを求めた。そしてその運動の中にだけ、悟りの成就があると考えていたと思われる。
現実世界の矛盾、その自覚→悟り→現実世界の矛盾の克服、といった発展過程がここにある。
悟りとは現実世界が真の姿への成就することのための媒介項であり、現実世界が成就される中で、
その1契機となるものなのだ。この現実世界と悟りとの関係は、自然と人間、現実世界と人間の認識、
人間における実践と理論の関係と、本質的に同じなのではないか。
こうした矛盾の自覚と、その克服のために戦い続ける覚悟と実践。それはイエスでも同じだと思う。
イエスの人生は次のように展開する。
1)現実社会への絶望=ユダヤ教とユダヤ人たちの社会への絶望
↓
2)ヨハネに洗礼を受け、ヨハネ教団で修行
↓
3)「荒野の試み」
荒野で40日間の悪魔との対峙(すでにヨハネ教団を離れていただろう)
自分の思想を完成する
自分が矛盾を生きる、矛盾を外化させる使命を持っていることを受け入れる
イエスがイエスになった時
↓
4)ヨハネの逮捕と殺害の後、布教活動(現実社会に戻る)
↓
5)十字架にかかり亡くなる
ここにはブッダとよく似た経緯があるように見える。
イエスにも、世俗を離れた厳格なヨハネ教団での修行の期間がある。イエスもまたそこを離れ、自立するのだが、
その「荒野の試み」はブッダの49日間の悩みの期間と重なる。
イエスにはヨハネとその教団の教えが、現実社会を切り捨てるだけの抽象的で冷酷なものに思えたのではないか。
新約聖書にはカナの婚礼、イエスが結婚式に招待される明るい場面があるが、それはイエスの道がヨハネの対極
にあることを表現していると思う。
ヨハネは殺害されたのだが、それには有名な逸話がある。ユダヤ王国のヘロデ王が異母兄の妻を奪って自分の妻にした。
その律法違反を指摘し、激しく批判したのがヨハネであった。怒ったヘロデ王はヨハネをとらえて牢に閉じ込める。
殺さなかったのは、ヨハネに対する民衆の信望を恐れたからだ。しかし、ヘロデは娘サロメにそそのかされ、
ヨハネの首をはねさせ、それをサロメに贈り物とした。
こうしてヨハネは殺害されたのだが、これをイエスはどう見ていただろうか。ヘロデ王の問題だけではなく、
ヨハネ自身の欠落部分の結果でもあると、考えていたのではないか。
イエスはユダヤ教の改革を目指したのではないと思う。彼はユダヤ教を徹底的に相対化していた。
当時のユダヤ王国はローマ帝国の支配下にあり、そこはユダヤ王家とユダヤ教の僧侶たち、ローマ帝国の支配者
たちの権力闘争の場であり、民衆はさまざまな矛盾の中に生きていた。
そうした状況を、イエスは理解していた。そして当時の社会の矛盾の中で、少しでも真っ当に生きる生き方を
考えていたのだと思う。政治的、経済的、宗教的な対立と矛盾の中で、その矛盾が、人間社会の、人間が生きる
ことそのものの矛盾であり、人間社会のあり方に含まれる根源的な矛盾であると深く覚悟した。イエスがイエスに
なったのは、イエスがこの矛盾を矛盾として生き、その矛盾を明示することを自分の使命として自覚し受け入れた時
だと私は思う。それが「荒野の試み」だったのではないか。そして、その後、彼は自分の使命を真っすぐに生きた。
矛盾を激化させ、その矛盾が誰の目にも明らかになるように示し、死んだ。
その後、人々がその矛盾から目をそらすことができないようにし、その矛盾と闘うことを使命とするようにしたのだ。
イエスは、最後はヨハネと同じく殺害される結果になった。しかし2人の死の意味合いは全く違うと思う。
イエスは当時の社会矛盾にどう対峙するかを課題としていた。ヨハネにはそうした自覚も問題意識もなかった。
イエスは、ヨハネの考えでは世俗と聖なる世界が分裂し、その克服ができないことを自覚していただろう。
その克服への道を示すのが自分の使命だと覚悟していた。イエスは、ヨハネと自分の違いを自覚し、
自らの使命を受け入れ、それを生き、そして死んだ。
もし誰かがイエスに言葉の矛盾を指摘したならば、彼は笑って答えただろう。「言葉は矛盾をもたらすのだが、
そもそもの人間と現実社会が矛盾しているのだから、その矛盾は矛盾によってしか解決できない」と。
イエスもブッダも、同じようなことを私たちに求めている。しかしそれは厳しい生き方である。イエスですら、
死を前にして動揺し、繰り返し、神との対話を重ねている。そうしなければ自分を支えられなかったのだろう。
そうした厳しさに弟子たちが耐えられない場合、その使命から逸脱し、転落してしまうのではないか。
それが「宗教」なのではないか。
2.比較宗教学、比較思想
(1)比較思想の難しさ
卒論指導は、最初は比較思想の立場からカントと唯識を比較してお茶を濁す予定だった。
『仏教の比較思想論的研究』(東大出版 1980年)の中の東大の玉城康四郎の「カントの認識論と唯識思想」を
下敷きに、実際にカントと唯識を比較して、意見をまとめるという計画だった。
『仏教の比較思想論的研究』は、中村元、西谷啓治、堀一郎、玉城康四郎らを中心に設立された比較思想学会の成果を
基にまとめられている。梶山雄一、末木剛博、鎌田茂雄、上田閑照らの論考も掲載されている。
この学会は、大学紛争後に設立され、仏教学という学問への反省の上に生まれたらしい。冒頭の玉城による序文を読むと、
その問題意識は伝わってくる。「仏教は長いあいだ独自の領域に閉じこもっていたために、その門戸を排方する
ことが至難である」。
また比較思想という方法の難しさも自覚している。本の原稿執筆は学会の「最長老の諸先輩」にお願いしたが、
その理由は「自らの学問領域に長年専念してきた果てに、おのずから関連の領域との比較が浮上してくる」という
「重厚な一面」があることを若い研究者に理解して欲しいからだと述べている。
比較宗教、比較思想という方法は、対象を他の思想や宗教によって相対化するというものだ。
しかしそこには根本的な矛盾がある。対象が巨大であり、それが体系的なものとなっている場合、
それぞれには明確な立場がある。それらを比較する際には、比較する側に観点が必要だが、それはどのように可能なのか。
2つの思想や宗教を比較する第3の立場は本当に可能なのだろうか。
しかし、そうした立場に立てない限り、観察者の比較はただ表面的で外的なレベルに止まる。
それならばおよそ意味がないだろう。そこにはただ偶然性、多様性があるだけだ。
そうした矛盾についてわかっているはずの玉城だが、その論考「カントの認識論と唯識思想」はあまりにも表面的で
機械的な比較に終始しており、つまらなかった。
西欧思想は西欧社会とその歴史の中で発展してきた。仏教もそうである。カントは18世紀であり、
唯識は4、5世紀である。その時代も社会もまるで違う2つの思想が、どのように比較できるのか。
その問題に、真剣に向き合っているように思えない。その問題で彼の従来の研究が壊されるほどのものがない。
それはおかしいのではないか。
彼は唯識とカントを比較するのだが、小乗から大乗、大乗内でも中観から唯識への発展を考えるなら、
西欧近代哲学史との比較をあえてすれば、中観に対応するのがカントであり、唯識と対応するのはヘーゲルであろう。
事実こうした比較は上山春平が『認識と超越<唯識>』で、『ゆかいな仏教』で大澤真幸が行っている。
2つの思想体系を比較する時、第3の立ち位置があるのだろうか。最初からそうしたものがあるわけがない。
私たちに可能なのは、いずれかの立場に明確に立って、その中に相手を位置づけようと努力することだけではないか。
唯識を西欧思想と比較して意味あることを言うためには、ヘーゲルの立場、カントの立場に明確に立ち、
相手を自分の体系の中に位置づける。または明確に仏教、唯識の立場に立ち、その体系の中に相手を位置づける
ことしかできないのではないか。
そして、そこで位置づけられないものにぶつかり、自分の思想と立場が壊されること、そして、より深まり拡大する
ことを迫られること。そこからだけ第3の、新たな観点が生まれる可能性があるだろう。
玉城は実に中途半端であると思った。カントと唯識とを比較することで彼の何が壊されたのかがわからない。
その破綻と絶望の姿が見えない。
(2)『ゆかいな仏教』は自由にしてくれる
私が仏教とユダヤ教・キリスト教を比較して考える際に役立ったのは、橋爪大三郎と大澤真幸による掛け合い
漫才の『ゆかいな仏教』 (サンガ新書) だった。
この本を読んだのは、ユダヤ教、キリスト教を考える際にも、2人の『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)を
読んで参考にした経験から、何かが得られると期待したからだ。それは正しかった。
日本人である私には、仏教についてはそれが過去の歴史や社会で果たしてきた役割が大きく、すべての現象に関わっており、
そうした前提が大きすぎ、巨大な重しでがんじがらめに縛られて、何も新たに考えられなくなっている。
ところが、この本はその前提を大きく突き崩し、思いっきり外し、自由にしてくれた。
玉城との違いはどこから来るのだろうか。
目的がまったく違うだろう。『ゆかいな仏教』は現在の日本の大衆への問題提起のために発言している。
そのためには、玉城らよりは深く今の日本の現実を踏まえなければならない。そのために、2人にはやはり明確な
立場がある。橋爪にとってそれは社会学でありウエーバーであり、自らのキリスト教徒としての立場
(はっきりとは言わないが、橋爪は信者であるらしい。それを明示しないでいることは問題だと思う)だろう。
大澤にとってのそれは同じく社会学であろう。また、2人にはマルクス主義や唯物史観も前提である。
そうした前提の上で、2人に可能な限りで、前提破壊の作業をやってくれている。
この本はありがたかった。彼らが自由にしてくれた地平で、私の考えを思いっきり広げてみることができたからだ。
もちろん2人にはそれほどに切実な問いや答えはないし、彼らの代案はたいしたことがない。
しかし、それにこだわることはない。他と比べれば、その有効度は一桁違う。
(3)宗教と哲学や科学とは何が違うのか
今回読んだ多数の概説書の中で、宗教とは何か、哲学や科学とは何が違うのか、こうした根源的な問いを
出すものはなかった。これは不思議だ。
これには牧野紀之の答えがある(「宗教と信仰」)。違いは内容にはなく、形式のみ(疑いを求めるか、
信ずることを求めるか)とするのが牧野だ。もちろん、疑い続け、その中で確認され続けたことだけを信ずるのだから、
内容と形式は悟性的に区別できるものではない。牧野は過程的に区別できるとするだけだ。
最終的にはどちらも信念に到達するからだ。
途中の過程では疑い続け、にもかかわらず正しさがその都度確認され、ますますその教えの深さが理解できていける。
今後も、そうした過程が続くだろうと思う。その時に、それを信念とする。それはどちらも変わらないだろう。
そうなのだ。科学と宗教の区別はその内容とは無関係なのだ。
それでも、区別があるならば、それは形式面にしかない。私は、それは矛盾への態度であると考える。
私たちが矛盾の立場に自覚的に立ち、それを深めていくことを目指して努力し、実際に矛盾を深めていく限り、
それは科学的態度と言えるのではないか。そうでない限り、それは一面的になり、悟性的で、偶然性の立場に陥る。
こうした観点では、ブッダもイエスも科学的であり、宗教的ではない。
それを宗教にしたのは、その厳しさにたえられない弟子たちではなかったか。
2017年7月24日