2月 16

「おばさん」たちの勝負の時

岩崎千秋さんは50歳近くまで普通の「おばさん」だった。
中井ゼミとの縁は、次女が鶏鳴学園に通っていたことだ。娘が高3生の時に中井ゼミの読書会に数回参加し、
田中由美子が主宰する家庭論学習会(田中ゼミ)では運営委員を務めるようになった。
昨年はヘーゲルゼミでヘーゲル哲学をドイツ語で学習し始め、夏の合宿にも参加した。
岩崎さんのそうした活動の背景には、もちろん彼女の個人的な悩みがあってのことだが、一般に女性たちの「後半生」
の問題があると思う。男性には「定年後問題」があり、それはみなが自覚していることだ。しかし、女性にもそれに
対応する「後半生」の問題があるのだと思う。
子どもたちは大学に入学、就職し、子育ては一応終わり、連れ合いも定年を迎える。
明らかに、人生の「前半」は終わったのだ。では、その後は、どう生きるのか。何を目的として、どう生きたら良いのか。
この問題に、すべての女性たちがぶつかっている。
田中ゼミを主催する田中由美子がまさにそうだった。50歳を過ぎてから、一人の女性が本気で生き方を学び直す。
人生の前半戦を終え、後半戦に向けて前半戦を総括し、テーマを持って生きていこうとする。
それは決して特殊事例ではない。すべての50代の女性が、今、その問題に直面している。そんな一人岩崎さんが、
体のレッスンに参加した報告を読んでいただこう。

■ 目次 ■

おばさんの一大決意 岩崎 千秋

1.課題
2.体のレッスン
3.レッスンを終えて

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おばさんの一大決意 岩崎 千秋

1.課題

私は、人と話すのが苦手だ。現在50歳を過ぎて、年々、図々しさが増してきたおばさんでも人見知りをするのだ。
苦手といっても、内心では相手の人と友好関係を築きたいと思っているからややこしい。
まず最初に、自分が人畜無害な人間であることをアピールしたくなり、頭の中を余計な考えが巡り始める。
そのうちに、簡単な内容の会話であっても勝手に複雑にしてしまい、結局、話をすること自体が億劫になってしまう。
この面倒な性格(癖)が、子供の頃から続いている。
なぜ、人畜無害アピールをしたくなるのか。もちろん、50年以上生きているのだから現実的に無害なはずはなく、
また、初対面の人に「つまらないものですが」と菓子折りを手渡すような感覚であるが、その変わった癖の要因は
私の母との複雑な関係が影響しているのではないかと考えている。母は、厳しく躾けをする人で、口ごたえはもちろん、
意見すら言えなかった。いつも、母の機嫌を伺いながらその場を取り繕い演じる癖は、大人になってからも続いている。
しかし、自分でも何かがおかしいと思い、子供がお世話になっていたご縁で中井ゼミに2年程前に参加をした。
今では社会人として学習するようになって、ようやく相手に対する批判や本音を隠し、当たり障りのない付き合いしか
できていなかった自分を知ったのである。

2.体のレッスン

前置きが長くなったが、いつしか声まで小さく、上ずった話し方になっていて、上っ面の行動が声や話し方にまで
影響をしていることに気づかされた。中井さんに勧めて頂いたのをきっかけに、自分を変えたいと一大決意をして、昨年、
12月23日に瀬戸嶋充さん主催の「人間と演劇研究所」の定例ワークショップに参加した。
竹内敏晴さんの「竹内レッスン」と野口三千三さんの「野口体操」を応用したものだそうで4時間のレッスンであった。
4時間も何をするのかドキドキしながら新宿の会場に着いた時、目の前の椅子にふわりと座ってパソコン作業をしていた人が
いたが、その人が講師の瀬戸嶋さんであった。座っている姿が自由自在にふわりと動くマリオネットか、
空気を入れてふわりと浮くビニー袋のような印象を受けた。講師の瀬戸嶋さんの他、女性が私を入れて5人、男性が4人で、
私と20代の女性が初めての参加であったが、その女性は「野口体操」は習っているとのことだった。
レッスンが始まった途端に、瀬戸嶋さんがからだをくねくねとさせながら、腰から半分に折り曲げて前屈姿勢になった。
力が抜けているわけではなく、力を入れているわけでもない、折りたたむという表現がちかい。早速、「さあ、やってみて」
と言われて全員でくねくねし始めるのだが、ロボットのようにギコギコという動きしかできない。それからは、聞いたこと
もない言葉での指導が続いた。「頭の上を外して。できれば頭を取っちゃってください」、「皮膚の下を感じてください」、
「足の指先で息をしてください」、意味がわからないまま見よう見まねでくねくねしてみたが、「頭の中で考えないで!
意識でからだを動かそうとしないように」と注意された。頭でからだの動きの指令を出さずに、
また、意識もせずにからだは動くものなのか。何回も同じ動きを繰り返した。ただ立ったまま、からだを左右にゆすりながら
半分に折りたたむだけなのであるが、恥ずかしさが抜けないのでくねくねが難しい。
頭が最後にクタッと下を向いてその動きは終了なのだそうだが、先に頭がガクッと下に垂れ落ちてしまい、
その度に注意を受けた。「自分の呼吸だけを聞いてください。あとはからだが自然に動きます」と言われて、
自分の呼吸に耳を傾けてくねくねを続けていた時、部屋の畳が視界から消えて自分のからだの周りが感じたことのない
空気に包まれた。ゆらゆらと手が下に降りて、自然に腰や膝が曲がっていき最後に頭がゆっくりと下を向いた。
できた気がした、と思った瞬間に周りの人たちが私が終わるのを待っていたことに気づいてとても焦った。
そのあとは、2人1組になって相手のからだを動かす側と動かされる側に分かれた。動かされる方は仰向けに横になった。
相手のからだを動かす方は、寝ている人の足の親指を軽くつまんで左右にゆっくりと小刻みに揺らしたり、
足の裏をマッサージしたり、両足を揃えて引っ張ったり、ふくらはぎや足の付け根をゆらゆらと揺らしたり、
いくつかの動作を休憩を挟んで交代で動かしたり動かされたりした。私は、隣にいた初めて会ったおじさんと組んだので
とても緊張したし、正直かなりきつかった。相手のおじさんも同じことを考えていたのだろうか、それとも、
単純にレッスンを受けているだけで、こんなに次元の低いことは考えずに超越しているのかわからなかった。
そのうちだんだん肝がすわってきて、緊張する気持ちも半ばどうでも良いような気持ちになりかけた頃に、
今度は大きな声を出すレッスンが始まった。
お腹の底から響くような声が部屋中に響いた。私は、鳴けないニワトリのようなかすれた小さな声しか出ない。
心配は的中して、個人的に大きな声が出るまで集中指導を受けた。その間、5分か10分程度のことであったと思うが、
1時間くらいに感じた。瀬戸嶋さんに、「大きな声でアーと言ってください」と言われて、「アー」と声を出したが、
「大きい声を出そうとしない!」と言われてわけがわからなくなった。もう一度、「アー」と挑戦するが、
「喉を使わない!」、「アー」、「まだまだ!」、「アー」と何回も繰り返した。「自分の声を自分で聞かない!」と
言われた時に納得した。私は話をする時に自分が何を話しているのか、間違えたことを言っていないかと、
自分の声を聞いて反芻しながら話している。瀬戸嶋さんに指摘されて気がついた。
そして、次にチューリップの歌を歌うように言われ、完全に開き直った心境で、「さいた、さいた」と歌い出すと、
「やけにならない!」、「チューリップの花が」、「からだをゆらして!」、こんなやりとりを何度もしながら歌った。
以前の私であれば、早々に気絶寸前であろうが、自分を変えたいと思って参加をしたおばさんは強かった。
レッスンが終わっだ後で、2、3人の女性が私の集中レッスンを気にかけて、大丈夫かと声をかけてくれた。嬉しかった。
思ったよりもダメージを受けていない。からだが軽い。フワッと立っている。頭の中も軽く感じた。

3.レッスンを終えて

自分の価値観=エゴでからだの動きを妨げることなく、からだの声を聞いて従う集中力が必要であると学んだ。
これまでからだの声など気にしたことがない。頭でこうあるべき、こうするべきと考えることなく、シンプルに深い息をしたい。
緊張や必要のない気遣いでガチガチになった自分のからだを意識できた。これからは頭で意識せずに、
からだが動くように自然体でいることが私の課題だ。自然に任せてからだが動くように動かす、中井さんの言葉通り、
「だんだんシンプルになる」ということなのだと思った。

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