1月 26

ゼミ生の塚田毬子さんの文章を掲載します。

塚田さんは昨年春に、初の演出作品を上演しました。
題材は、古代ギリシャ悲劇『アンティゴネー』でした。

それは初めての演劇創作としては、素晴らしいものだったと思いますが、
「引きこもりの、引きこもりによる、引きこもりのための劇」という面をもっていました。

それが、いま、大きく変わろうとしているようです。

東日本大震災の被災者の語りを記録したドキュメンタリー映画。その映画では、語り手が、その人そのものが立ち上がってきます。

「そうなったとき、やっぱり自分にとってどうでもいい人と話はできない」。
「そして、それならやはり、自分が特に関わりたくない、縁がない、興味のない人の話は聞けないと私は思う。聞いても困る。興味がない人の人生の断片を披露されても困る」。

ここまでなら、以前の塚田さんです。今回は違います。「しかし」で続くからです。

「しかし、この映画を見ていて、私は登場する人々のごく個人的な話をとてもよく聞くことができた。いつまででも聞いていられると思った」。

ここから何かが変わっていくでしょう。それを見守りたいと思います。

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対話と第三者 東北記録映画三部作
塚田毬子

 先月、映画館で酒井耕・濱口竜介共同監督の東北記録映画三部作を見た。ソフト化されておらず、現状では特集上映でしか見ることが出来ない。ずっと見たいと思っていて、やっと見れた。
 これは、酒井耕と濱口竜介という映画監督が、東日本大震災以後、被災者の対話を現地で記録したドキュメンタリー映画のシリーズで、第1弾が『なみのおと』(2011)、第2弾が『なみのこえ 新地町』『なみのこえ 気仙沼』(2013)、第3弾が『うたうひと』(2013)である。

 第3弾の『うたうひと』は、東北に伝承される民話のドキュメンタリーで、これは震災に直接関係した内容ではないので毛色が違うが、第1弾と第2弾は、被災者同士、または被災者と監督の対話が収録されている。『なみのおと』は震災から半年後に三陸沿岸各地を回ったもの、『なみのこえ』は震災から一年後に宮城県気仙沼、福島県新地町に限定して収録したものである。『なみのおと』『なみのこえ』は、私が2018年に見たものの中で一番面白かった。

 対話は、対談もしくは鼎談で、被災者が向かい合って語る。監督と一対一で、監督がインタビューをする形もある。どちらにせよ、被災者が自分の体験を語るということが目的とされた対話で、生々しい当時の体験が語られる。対談、鼎談の組み合わせは、夫婦、兄弟姉妹、仕事仲間、友達同士がほとんどで、登場する被災者の職業は、市議会議員、地元消防団、漁師、呉服屋、コンビニのパートとさまざまだ。

同じ震災を経験しても、個々の経験には個人差がある。津波に流された人、町が津波に流されていくのを見た人、津波が引いた後にその残骸を見た人。地域を同じ津波が襲っていても、個人の体験は千差万別で、その分感じたものも一つ一つ異なってくる。

 それらは決して均質化されるようなものではないし、同じ体験をしたからといって同じことを感じるわけでもない。同じように家を流されても、その感じ方は人によってちがう。それぞれにその人の体験があり、その人の震災がある。そしてそれは、本人の口から言葉になって出てこないと、他人には見ることが出来ない。

 この映画シリーズは、体験が対話の中で言語化され、外化していく様が鮮やかに記録されたドキュメンタリーだ。そして、言葉によってみるみる鮮明になっていくのは、結局のところ、その人自身である。津波の様子がどうだったか、被害の状況がどうかということよりも、その人がこれまでどうやって生きてきたか、どういうものを大事にして生きてきた人か、そして震災以後、今どうやって生きているかが浮かび上がるだけなのだ。震災という非現実的で大きな体験は、まるでその人自身を映し出す鏡のようで、震災を語っているのに、だんだんとその人そのものが見えてくる。

 人が発する言葉は、結局のところその人そのものでしかない。その人自身が言葉の断片として現れてくるだけだ。これが明らかになった時、私が思うことが二つある。一つは、対話を通してその人の輪郭が鮮明にこちらに見えてくることの素晴らしさ、そしてもう一つは、そうなったとき、やっぱり自分にとってどうでもいい人と話はできない。

 関口存男は、「過去」の表現は「話し手が仮に過去のある瞬間に身を置いて考えながらその瞬間に行われた動作又は状態を表現」したものだといい、それは「物語」であると言う。自身の過去の体験を物語ること、それが他者との対話の中で引き出されていくことがこのドキュメンタリーでは描かれる。震災についての映画であるから全員「あの日」の話をするわけだが、そういった特殊な状況に限らず、過去を物語る、どういった経緯で今の自分がいるのかを語ることは、自分の足元を確かめる作業なのだと思う。

 私は10代の頃寺山修司の詩が好きで、いくつかある好きな詩の一つに「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない」という言葉があった。当時の私には、この前だけを向く潔さが、自分が気を強く持っているための追い風のようにはたらいて心地よかった。しかし、後ろに夢はないかもしれないが今日に続く現実がある。そこに目を向け、記憶をたどって一つ一つ思い返すこと。それを現在から、「今から思うと、あれはああだった」と捉え直すこと。これを人と話をする中で行い、自己理解と他者理解が深まっていくこと。これこそが対話の重要な役割であって、人間が2人いることの意味、絶対的に相互理解が不可能な人間同士が関係することの意味なのではないかと思った。「人が2人いて、絶対的に分かり合えない、けど話をすることに何の意味があるんだろう」と私はよく思うが、この映画の中にその答えが含まれている気がした。

 そして、それならやはり、自分が特に関わりたくない、縁がない、興味のない人の話は聞けないと私は思う。聞いても困る。興味がない人の人生の断片を披露されても困る。

 しかし、この映画を見ていて、私は登場する人々のごく個人的な話をとてもよく聞くことができた。いつまででも聞いていられると思った。自分に直接関係のない、自分がただ「東日本大震災の被災者」としか見ていない人たちの対話をスクリーン越しに見聞きして、「被災者の一人」としか認識していなかった匿名の人の、顔が顔として見え、その生活が見え、人生が見えてくると、風景の一部のようにそこにおさまっていた人が、画面の中で立ち上がってくるような感覚を覚えた。それを助長する演出として、はじめは対話する二人を捉えていたカメラが、途中から一人ずつを正面からバストショットで捉えるようになる。特殊なカメラ配置で、対話する人の顔を正面から撮るという演出を可能にしている。そういった演出がこの映画に優れた媒介の構造を作っていて、観客の私が第三者として、対話の中で人の輪郭が鮮明になっていく様に立ち会うことを可能にしているのだと思う。これがこの映画を、たんなる出来事の記録ではなく、媒介性のある表現として成立させていると感じた。

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