11月 26

対等な関係における意見交換、相互批判の原則 その2

夏の合宿以降、ゼミ生相互の信頼感が急速に深まってきたようだ。一部にではあるが、活発な意見交換、相互批判が行われるようになった。

しかしそうした中で問題も出てきた。批判の言葉に傷ついたり、感情的になったりすることが起こってきたのだ。このことは当然予測されたことだ。一つ上のレベルへ高まろうとする限り不可避のことでもある。

師弟関係は上下関係だが、ゼミ生間は対等な関係だ。そこにはこれまでとは別の原則が必要になるのだ。

この10月に、その原則について話し合いをした。私は一般的な原則と感情的になることについての対策の2つを中心に提案をした。そのレジュメをここに3回にわけて発表する。

なお、いつものことだが、私の考えは牧野紀之氏の考えを前提としている。今回も、一原理論の(1)「能力の不平等と、人格の平等の矛盾」の定式や、(3)「人間の相互理解」の基本は牧野氏から借りている。

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◇◆ 仲間内でのアドバイスや批判をどう考えるか 中井浩一 ◆◇

          2010年10月23日
一 原理論
(1)「能力の不平等と、人格の平等の矛盾」(牧野紀之より)をどう考えるか
1.この矛盾は、民主主義社会の一般的な問題。
みなが能力を高めあって、みなが高い能力で生きることが解決
それがムズカシイ
2.師弟関係は、能力の上下関係を確認し、それを認め、能力を高めることを目的とした関係だから、人格の問題が基本的には解決されている
3.私のゼミの横の関係では、前提があるから、一般社会よりは、少し簡単
同じ目標(真っ当な生き方、考え方をしたい。自分の可能性を最大限に発揮したい)のもとに、同じ先生を選んでいる。
そこから生まれる信頼関係がある。

(2)何が問題なのか。→ (1)の原則の自覚のなさと認識能力の低さ
  1.内容の問題。認識能力の低さゆえに内容に間違いがおこる
   相手の発展段階の理解と、自分自身の発展段階の理解を踏まえたものにならないと的確な内容を言えない。
言う、言わない、の判断ができない。(言わないという判断もありうる)
→ これには「自己理解と他者理解の統一」を倫理として出している
しかしそれだけではなく、認識能力の低さの問題こそが大きい
  →しかし、能力は、使わないと高まらない。失敗は覚悟すべき
2.形式の問題。(1)の原則の自覚のなさゆえに相手の人格の尊重を軽視する
言うにしても言い方が問題になる。相手の人格を尊重しなければならない
無礼も、慇懃無礼もある。
 →しかし、萎縮して何も言えなくなるのは避けたい。失敗は覚悟すべき
  
(3)注釈 人間の相互理解(牧野紀之より)
1.相互にすべてを理解し合うことは不可能だし、その必要もない →誤解は不可避
 ※「不可能」というと消極的だが、ここにはもっと積極的な意味がある。
  それは人間の尊厳性の根拠ではないか。例えば夫婦でも踏み込んではいけない領域があるし、秘密はあっていいし、あるべきではないか。
2.それを自覚した上で、誤解の確認と解決への道筋があればよい

(4)対策
1.多くの人は、最初は自分のことで精一杯で、他者のことまで考える余裕がない。
自分を第一にしながら、言える範囲で他者について発言すれば十分
  2.余裕が出てきた段階では、仲間内での意見交換は積極的に行われるのが望ましい。しかし、相手のことが最初はよくわからないから、
内容も形式も問題が多い発言になる。
   失敗を重ね、反省を重ね、少しずつ相互理解を深め、能力を高めていく以外にない
    → 言うべきか否かで迷うぐらいなら、言った方がよい
3.言い方や相手への配慮は必要だが、それにあまりにエネルギーをさくのは不毛。
「わざと」でなければ、結果的に傷つけることは不可避であり、しかたがない。
それを許し合い、認め合って、前に進みたい。
  4.問題が起こったと気づいた人は、それを指摘し、みなで話し合う
こじれそうで、自分では解決できなそうなら早めに中井に相談する
  

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