「ふつうのお嬢様」の自立 全8回中の第6回
江口朋子さんが、この春に「修了」した。
その修業に専念した6年間を振り返る、シリーズ全8回中の第6回。
眠りから覚めたオオサンショウウオ (その2)
?江口朋子さんの事例から、テーマ探し、テーマ作りのための課題を考える?
中井浩一
■ 本日の目次 ■
(4)ゼロからの「自分探し」
(5)テーマがくるくる変わったのはなぜか
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(4)ゼロからの「自分探し」
引きこもって、何を始めたのか。自分の生涯を貫くはずのテーマ探しであり、テーマ作りだった。それは「自分探し」であり、「自分作り」であった。世間ではこれを「自分探し」と言うが、私はそれに反対で、「自分作り」と名付けている。テーマは確かに潜在的には内在しているのだが、「探し」て簡単にみつかるようなものではなく、それを顕在化させるには、主体的に闘いとるような激しさが必要で、それは「作る」という言葉で表現するのがふさわしいと思うからだ。
しかし、江口さんの場合は、文字通り「探し」始めたのだ。自分を「つくる」ためにそれが必要だったからだ。
江口さんの「自分探し」は徹底していた。それは過去の自己への完全な否定から始まったからだ。それは自分を「ゼロ」ととらえることから始まる。
「他のゼミ参加者と比べて、自分は本当に中身の何もないゼロからのスタートだったと思う」「自分には『これに関心がある』と言えるものが4月の時点で何もなかった。(中略)それまでの大学生活で自分の興味関心を本当のところで意識していなかった。だから最初はほとんど中身が空っぽの状態で、自分が何に興味があるかわからず、そもそも興味が向くもの自体なかった」。
ゼロから始めて、テーマを発見するために、何をしたのか。
「本当に自分の心が動き、身体が反応したもの」を探し、それを1つ1つ文章にまとめては報告を重ねてきた。それを地道に辛抱強く、行ってきた。
「鶏鳴で何をやってきたかと聞かれてまず思い浮かぶのは、何より自分の実感に従って、自分が何に強くひかれ、逆に何に関心が弱いかを、自分に対してはっきりさせてきたということだ。今の自分が持てる関心は出し尽くしたと思う。これは自分のテーマを作る上で、一つ必要な段階ではないかと思う」。
「中身の空っぽの状態から始めた自分にとっては、何かに興味をもつということは、同時にそれに対して感じたことや考えたことで自分の中身を埋めていくことでもあった」。
1つ1つの対象を、自分の実感でとらえていく。それは同時に、それらの対象によって、自分の中の感覚、知覚を1つ1つ呼び覚ましていく作業だったのだと思う。何かを本当に感ずるためには、「感ずる」練習が必要なのだ。テーマを「探す」作業は、同時にゼロから自分の感性そのものを「つくる」という厳しい作業だった。
しかし、その作業は簡単ではない。どんなに強い初心、明確な目的意識があっても、途中では行きづまり、自分を見失い、テーマがわからなくなる時期もあるからだ。
文字通り、死んだようになって何ヶ月も引きこもることもあった。自殺しないかと心配したこともある。
そうした時こそ、自分の状況を発展的に理解する力が必要だ。それらの停滞や破綻や挫折はマイナスに見えるが、その中にこそ、次への発展の芽がある。
そして、「先生」が必要なのは、まさにこうした時だと思う。事態や状況を発展的に理解し、その意味づけをし、それを辛抱強く見守ってくれる人がいること。何よりも、自分を信じてくれる人がいること。
江口さんのテーマは「ころころ」とかわった。「石とは何か」から「地形とは何か」へ、そして最後に急に「短歌」が出てきた。
「6年間を振り返ると、確かにその時々の変化に意味があると思うし、特に「石とは何か」というテーマで論文を書けず、地形とは何かも途中のまま、急に短歌が出てきたというこの約3年の流れは、一応12月の時点で意味づけを報告に書いたものの、自分でもよくわかっていない」。
この変化は私にもよくわからず、本人同様に私もとまどっていた。
人間個人の成長過程が矛盾と葛藤のプロセスであるように、テーマの対象世界も同じで、そうしたプロセスを経て、成長、発展する。
自分のそうした過程を理解する力は、対象世界の理解を深め、テーマを明確にするだろう。そこでは認識の力が大きく伸び、文章力が飛躍的にのびる。
そして、思考力、自己理解の深まりがあるレベルに到達すれば、おのずからテーマも見えてくるのではないか。江口さんのテーマは「短歌」になった。歌人になるのが江口さんの当面の課題であり、「自分とは何か」の取りあえずの答えは「歌人」だ。
実は、昨年の12月、今年1月に、江口さんは、短歌の創作の様子と、祖父母の病死と死の看取り、病院や看護士の対応などを厳しく見つめた文章を提出している(私的な内容なので、今は公開しない)。
その洞察、観察の深さ、的確さ。文章の落ち着きと静けさ。それに深く感動した。この人はもう一人でやっていける力を獲得している。それが今回の修了の意味だ。「短歌」が本当に生涯のテーマなのかどうかは、私にもわからない。しかし、いずれにしても「独り立ちする力を持っている」ことは間違いないと判断した。後は実際に外に出て勝負していくしかない。
私の判断が正しいかどうかは、この6年を振り返った江口さん自身の文章で考えてもらえるだろう。
(5)テーマがくるくる変わったのはなぜか
意外にも、くるくる変わったのではなく、「自分の関心は一貫している」というのが江口さんの答えだ。
「過去6年間の報告や文章を読み直すと、自分の関心は奈良に行った時から基本的に変わっていないのではないかと思った」。
「自分の興味ある対象に向かって、どう切り込んでいったらいいかわからず、試行錯誤し、時間がかかったように思える」。
「ただ自分の関心をはっきりさせるだけでは足りず、その対象にどう入っていくか、どういう方法で対象を理解するのかが問題になるが、自分が苦労していたのもこの点だったのではないか。イサム・ノグチや日本庭園、民俗学、石、地形など試行錯誤を繰り返したが、やっと「短歌」という方法に出会い、これならいけると思えた」。
もちろん、スムーズにいったわけではない。「無理や強引さや、その時々のテーマの変化の急さ」はあった。しかしそうしたことも含めて、「自分の関心が向けられている対象ははっきりしていて、それに対して手を変え品を変え何とかアプローチしようとしている」ことがわかった。「しかしそう思えたのも、今までの失敗があったからではないかと思う」。
こうした思考法が、江口さんには確立されている。
しかし、結局、「短歌」は最終的な答えなのかどうか。
「石から地形、地形から短歌という変化にどう意味があるということは、今の自分にとっては正直どうでもいい。それは、今いくらかんがえても仕方がないという意味だ。これから短歌の道を進みながら、考えていくしかないと思う」。
この考え方は、ヘーゲルが『精神現象学』の序言で述べていたものでもあり、真っ当だと思う。出した答えが正しかったかどうかは、今後の方向性と活動にかかっている。
江口さんは自分の傾向性を次のように分析する。
「自分の場合、ある対象に心が動かされると、その対象に自分が乗り移りかねないほど、対象にひきつけられてしまう。対象と一体化してしまうとも言えるかもしれない」。
「しかし対象を深く理解するためには、いったん自分と対象を切り離し、対象それ自体として見なければならない。これが自分には苦手で弱いのではないだろうか。例えばイサム・ノグチについても、彼のアトリエで見たままのもの、例えば彼がつくった庭や周りの屋島や五剣山など地形との調和には心が動かされる。しかし、そうしたアトリエを作った彼の人生、時代背景となると、関心が薄れてしまう。総じて歴史、経済、法律、社会に対する興味が片寄って少ない」。
前者は江口さんの最大の武器になるだろう。
そして、後者、特に「歴史、経済、法律、社会に対する興味が片寄って少ない」点は、今の段階ではしかたがないものだ。それはこの6年間の「引きこもり」生活による。
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