12月 17

■ 目次 ■

牧野哲学の総括      中井 浩一

1 前置き 第二期鶏鳴学園の挫折と牧野さん自身による「第二期鶏鳴学園の反省」
2 牧野さんの総括「第二期鶏鳴学園の反省」の確認
3 「第二期鶏鳴学園の反省」の検討
(1)牧野さんの哲学の問題
(2)牧野さんの個人的な問題
(3)研鑽について

 ※今回はここから。
4 中井の代案 その1 師弟関係論
(1)師弟関係論「先生を選べ」の正しさ
(2)カンパは乞食、オルグはお節介
(3)生徒の側の二つの段階の区別
(4)先生の二種類
(5)個人崇拝の問題
5 中井の代案 その2 マルクスの思想の問題
6 これからの課題

 追記

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4 中井の代案 その1 師弟関係論

(1)師弟関係論「先生を選べ」の正しさ
運動を考える時には、その運動の目的そのもの、そしてその目的を実現するための方法・手段が問われます。
牧野さんは、真理の認識、真理の実現を目的としました。その真理を具体化した立場としては、「ヘーゲルの概念の立場とマルクスの賃労働者階級の立場」とを掲げ、それを「大衆の生活の立場からとらえ直し、それを全生活に及ぼして生きることを目的とする」としました。(「牧野道場の規約から)
ここで「全生活に及ぼして生きることを目的とする」としたこと。これこそが牧野さんの運動の核心だと思います。それは思想運動ですが、何よりも「生き方」を具体的な日々の生活の場で問題にするのです。他の人とまるで違います。
次に、この目的を実現するための組織原則が、牧野さんの「先生を選べ」を中心とする師弟関係論でした。牧野さんの言葉では、講壇学問を上回る真の学問を目指し、その実現のために「先生を選べ」に規定された「真の師弟関係論」を打ち出しました。
この原則は直接的には牧野さんの個人的な経験と悩みから生まれたものだと思います。東京大学の哲学科での経験、その後自らの先生として選んだ寺澤恒信のいた東京都立大学大学院、博士過程での経験。それは弟子、生徒としての経験ですが、他方で牧野さんが色々な大学で教えていた時の学生に対する先生として向き合った経験があります。その両者の立場を経験した上での、学習・研究を進めるための師弟関係の原則でした。しかしこれは当時の大きな思想上の問題に、社会主義運動の内部における個人崇拝の問題に対する牧野さんの答えでもあったのです。それについては後述します。

師弟関係論は次の三段階から成ります。(以下は「先生を選べ」「道場の三原則」から)
第一原則 先生を選べ
第二原則 先生から徹底的に学べ
第三原則 先生を追い越せ

この第一原則の先生を選ぶ段階を、牧野さんは学問の主体的性格と客観的性格の二面から説明します。主体的性格とは生徒が自分の問題意識、自分の関心を追求していくという側面であり、その客観的性格とは、そのために人類の過去の最高の成果を先生として選ぶという側面です。その両者の分裂と統一として、師弟関係論をとらえようとしているのです。
第一原則は「始まり」ですから重要なのですが、その成否は第二原則にかかっています。そこで第二原則「先生から徹底的に学べ」の補足として、牧野さんは「正しい学ぶ姿勢」を示します。?自分でやってみて先生に批判を求める、?先生の話を大人しく聞く、?先生に不満を言う、の三つの姿勢を挙げた上で、?が正しいとします。「一般に人間は自分の能力を高めるには自分で何かをやってみなければなりません」「自分の問題意識をはっきりさせ積極的に自分の意見を述べて先生や他の人の意見を聞く」という態度が求められるのです。しかし実際はほとんどの人が?で、一部が?で、正しい?の人はほとんどいない。
 この学ぶ姿勢とは学問の主体的性格から出てくるものですから、弟子にとってはこの理解が重要だと思います。私自身は牧野さんから「学ぶ姿勢」が悪いこと、つまり「先生を選べ」ができていないことを繰り返し、繰り返し批判されました。特に、第二期の最初の1年間は、毎回のゼミで批判され続けた記憶があります。それは私が?の姿勢だったということです。
今、私は次のように考えています。
まず?を、生徒の真の自立、真の主体性だと考えます。これに対して?と?は?に対しては、他者への依存、先生への依存の姿勢だと思います。
?が依存なのはわかりやすいでしょう。こういう人は、そもそもの問題意識がないのですから、先生を選ぶこともできないはずです。
問題は?の人です。この人は、他者への反発や、反抗、批判ばかりです。先生に対しても変わりません。これは一見、依存ではなく自立しているように見えるのですが、実際はこれは裏返しの依存でしかありません。この人が自立の根拠としている反発や、反抗、批判には、その向けられる対象があるのですが、反抗や批判とはその対象があるがゆえに可能になっている。つまりこれも大きな意味では、その対象に依存していると言えるのです。「反体制」や「反対運動」をしている人には、この段階の人が多いのです。
この?の人と、?とは何が違うのでしょうか。?の人には、批判ばかりで代案がないということです。代案を自分の力で作っていないということです。作るだけの覚悟もなく、批判するだけに甘んじている、それで自己の存在証明になっていると考えるのです。
この代案こそが、「自分の思想」と言えるもので、これを作るために、先生を選び、先生から徹底的に学ぶのです。それが代案「自分の思想」を作ることになり、それが真の自立であり、それが?なのです。そしてその先に「先生を超えろ」と言われるわけです。
ここで人間の弱さを考えたいと思います。人が自分のテーマや問題意識を持ちながら?にならず、?または?になってしまう理由は何なのでしょうか。
 人が自分の問いを持ちながら、その答えを出せないのは、根本的には自分の能力の低さが原因であり、それを克服する以外には解決の道はありません。しかし、その低さを直視するのが難しいのです。能力の低さは、自分の生き方、人との関係、組織との関係における中途半端さ、対立を避けて問題から逃げてきたことが深く関わります。その根底には両親や世間の価値観から自立できていないことがあります。そうした自分の弱さ、限界を直視することが難しいのです。
そしてその時、自分自身の弱さや苦しさを他者に転嫁する、それが先生への批判として現れる。それはよくあることです。それが?です。そして?でやった結果、先生からそれを徹底的に叩かれた場合は、?になりおとなしくなってしまう。これもまたよくあることです。つまり、?と?は実は同じ依存なのです。ここに人の弱さ、悪の問題があります。
例えば、ソクラテスを裁判で殺したアテネの市民たちは明らかに?ですが、ソクラテスの弟子たちや死刑に反対した市民たちの多くは、?ではなく?でしかなかったのではないか。
私の話をすれば、私は20代の自分の行動、社会運動の反省をする覚悟を持てず、この問題を正面から出して、その答えを出すことに専念することができないでいたのでした。それが?の形に現れたのです。
 こうした主体性の問題を牧野さんは確かに感じていたのだと思います。しかし問題は定式化されていないためにそれは不十分でした。

以上、牧野さんの師弟関係論を検討しましたが、これは原理的にはあくまでも高く正しいと思います。この原則を打ち立て、それを三〇年間実行して生きたことが、牧野さんの哲学史上の最大の功績だと思っています。
この原則こそ、人類史を踏まえ、ヘーゲルの概念を踏まえたものです。人間は真理、理念を実現してきたのであり、その実現過程が人類の歴史であり、哲学の歴史です。その真理と理想と正義の実現を目指す以上、その運動自体がその真理の実現過程における継承、発展を純化したものでなければならないことになります。それが牧野さんが明らかにした師弟関係論であると私は考えています。
 この「先生を選べ」の原則では、人間に先生を選ぶという強い主体性とその責任を要求します。ここには選び、選ばれた関係から生まれる信頼関係があります。選ばれた先生は強い指導力を発揮して、生徒を成長させることが可能です。もちろんそれには強い責任が求められます。
これは現在の大学制度の根幹の批判であり、それを超えるものです。そのことは牧野さんがこの原則を示した1970年代から今に至るまで変わらないと思います。現行の大学制度内には、この真の師弟関係はありません。そこで教え研究する教授たちは、みながサラリーマンであり、その生き方の限界を持っているからです。

第二期鶏鳴学園の大きな成果の根本原因とは、この原則を純化したことにあると思います。そしてこの原則の純化は、弟子同士の関係を深めることになりました。
第一期鶏鳴学園では、牧野さんの弟子同士の関係は深いものではありませんでした。牧野さんが「三宝を敬え」(『囲炉裏端』)と、真理、師、弟子たちへの敬意を挙げたのは、弟子たちに互いを敬うことを求め、この問題を解決するためでした。
それは師弟関係の純化でのみ可能でした。同じ人を自らの先生としている、そしてそこでは「正しい学ぶ姿勢」を実行しようと生きる。ここから相互の信頼関係が生まれ、これによって研鑽の充実が可能になるからです。
これは、私には生まれて初めての経験となりました。人が、個人の嗜好や傾向性、好き嫌い、その階級・階層の価値観、そうした「自然性」、出自の偶然性の延長の「思想」ではなく、選んだ先生とその先の真理との関係、そうした生き方でのみつながる。それが実際に可能なことを知った時、それまでの私の人との関係はその逆であったことがわかりました。自然性や偶然性をはるかに超えた関係を、先生と真理を媒介にすることで、人はもてるのです。これが本当の人間関係だと思います。
以上から、第二期鶏鳴学園の前期の大きな成果の原因としては二つが確認されます。師弟関係論の根本的な正しさであり、それゆえの研鑽の充実です。

(2)カンパは乞食、オルグはお節介
この師弟関係論から、牧野さんの「運動の拡大」についての大方針が確定されます。それが「カンパは乞食、オルグ(勧誘)はお節介」(『ヘーゲルの修行』に収録)の原則です。意味は明確です。そのままですから。
これは、何よりも実際の社会運動のほとんどが、勧誘とカンパによってその拡大運動をしていることへの批判です。それは宗教団体も、政治団体も、経済団体も、市民運動もかわりません。
多くの社会運動は、自分たち(だけ)が正しいという信念を持っており、その信念が社会全体に実現されることを求めます。そして、その方法とは運動のメンバーが増えるように勧誘(オルグ)し、そのための財源が確保されて、拡大運動が継続されることです。これは思想の内容に関係なく、ほとんどすべての運動の実態です。
しかし、牧野さんはその真逆を提示します。弟子たちに勧誘はさせず、自己研修第一を求めます。世間の一般的な運動に自らの運動を対置させ、外へ向かう運動と内に向かう運動、他者を教えようとする運動と自己教育を第一にする運動として示します。牧野さんは自らの方針を「熟柿主義」と称し、「桃李もの言わざれど下自ら蹊を成す」とします。
私はこの原則は、学ぶ姿勢の原則と同じであり、他者への依存か真の自立か、他者を教えようとするのか自己学習第一かを問題にするものだと考えます。これを根底に置くのが牧野さんの師弟関係論なのです。
そしてこの師弟関係論の主体的性格の原則からは、熟柿主義しか帰結せず、その「哲学主義」、その「共同体運動」が生まれるのだと考えます。そして、以上は正しいと私は考えます。

(3)生徒の側の二つの段階の区別
ここまで述べてきたように、私は、師弟関係論の根本的な正しさを認めるのです。しかしその内部における「先生を批判するな」という原則には問題があったと考えます。
牧野さんは、第二原則の「先生から徹底的に学べ」は「先生を批判するな」ということだと言います。これは先の学ぶ姿勢の原則の?「先生への不満を言う」への批判をさらに徹底し、それを全否定するに至ったものだと思いますが、そうしたレベルには収まりません。ここで牧野さんは「個人崇拝」の克服をめざしているのです。
二〇世紀の後半になれば、マルクスの社会主義運動の内部からスターリン信仰や毛沢東信仰の問題が明らかになり、「科学的社会主義」の内部からなぜ宗教的な個人崇拝の問題が生まれたのかが厳しく問われることになりました。スターリンや毛沢東だけではありません。それはマルクス自身への信仰であり、レーニンへの信仰でしかなかったのではないか。社会主義をただ信仰していただけではなかったのか。
 牧野さんのこの問題についての回答とは「道場員は牧野の哲学を信仰してはならない。道場員は自分の問題意識に立って、牧野哲学を疑い尽くし、他の諸思想と比較検討し、自分の思想を作ろうとしなければならない」(「牧野道場の規約」)。
「道場の目的は牧野主義者や牧野信者を作ることではなく、一人一人が自分の思想を持ち、したがって豊かな個性を持った人間になることです。こういう人をヘーゲルは『概念の個別』と呼んだのです」。そしてこの実現のための原則が師弟関係論であり、それを「概念的組織原則」と呼ぶのです。
この牧野さんの意図と構想の壮大さには驚きます。1970年代の前半、まだ30歳代の前半の時点で、こうした構想を考えて実行していたことのすばらしさ。
一般的には社会運動の組織とは、その目的実現のための手段であり、手段としての有効性が問われるだけです。しかしこの師弟関係論はそれ自体が真理そのものであり、その実現を目的とする側面を持つのです。
しかし、なぜ「先生を批判するな」の原則が、個人崇拝の問題を解決できるのでしょうか。牧野さんは以下のように説明します。
第三原則は、「後輩が先輩を追い越す」ということですが、後輩が先輩を追い越す理由は先輩の仕事に不満を感じるからです。「従って後輩は先輩に不満を持つべしという命題」(第三原則)と「後輩は先輩に不満を言ってはいかんという命題」(第二原則)という矛盾する二つの命題を持つことになる。どうしたらよいか。「後輩が先輩に不満を持ったらそれを先輩にむけないで自分で背負い解決」すればよい。
「要するに後輩が先輩に対して行なって良い唯一の批判は先輩を追い越すという行為による批判だけです。第二原則で先生に対する批判を禁止し第三原則で先生を行為によって批判することを勧めたのは批判という名の甘ったれを禁止し真の批判を奨励し強制さえしているということです」。これが牧野さんの真意だと考えます。
したがって「先生を批判するな」の原則の是非を考えるには、この原則が個人崇拝の問題を解決できたのかどうかが基準になります。結果は否でした。牧野さんが総括文で「言ってみれば『おんぶにだっこ』で十秒ゼロを実現しようとしたのです。それは原理的に不可能でした」と書いてあることが全てです。これほどの厳しさを求めた運動が、実は大甘の運動であったという矛盾。これをどう考えたら良いのでしょうか。ここでは現実の人間の成長・発展段階が無視されていたということだと思います。
人は、最初から「先生を追い越す」ことや「自分の思想を作ること」を目指すことはありません。とりあえず困っていて、その解決策を求めるだけです。困っているとは、問題を抱え、問題意識を持ち、その答えを求めているが、未だ見出せていないということです。そしてその問いと答えを媒介するものとして先生を求めているだけなのです。それ以上のこと、例えば先生を追い越すとか、人類の最高点に到達したいとか、そういうことは、普通の人々の意識の中にはないのです。
 私はその現状、現実を踏まえて師弟関係論を二つに分け、それを立体的に発展としてとらえればよいのだと考えています。

第一段階(低い段階)
第一原則 先生を選べ(自分の問題、問いを自覚し、その答えを出すために最適の人を先生とせよ)
第二原則 先生から徹底的に学べ(答えを出せないのは能力が低いからなので、自分の能力を高めよ。それには自分で高めるしかない)
第三原則 自分の問題意識の答えを出せ

第二段階(高い段階)
第一原則 先生を選べ
第二原則 先生から徹底的に学べ
第三原則 先生を追い越せ(これは「自分の思想を作る」と言い換えられます。これを目標とします)

この二つの段階を比較すると、第一段階は最初の低い段階であり、生徒の主体性の側から、その悩み・問題に寄り添うものであり、第二段階はより先の高い段階であり、先生や人類という客観的で絶対的な立場から見ていることがわかります。
第一原則の先生を選ぶ段階で、牧野さんはすでに学問の主体的性格と客観的性格の二面を出していました。これを実際の生徒の段階において分裂しているものとしてとらえて、原則を二つのレベルに分けたのが私の原則です。
 私の原則の第一段階こそが、多くの人が切実に求めているものです。しかしこの段階の人は、先生を超えるということは意識していません。それどころではないのです。眼前の自らの問題に直面しているだけで、その先を考えるような余裕はないのです。またそれがその人の現在の発展段階なのです。この段階に必要な先生とは、人類史上で問題になるレベルの人ではありません。しかし、この段階でこそ、学ぶ姿勢の問題が問われるのだと思います。
そして、この段階の人は、自分の問いの答えを出せればそれで満足であり、それ以上を求めていません。答えが得られ、当初の目的が達成できれば、先生の下を離れますが、それで良いのです。
 しかしこの段階の人のごく一部ですが、その段階には満足できず次の段階に進む人が出てきます。なぜなら第一段階で能力を高めその思考を深めていく中で、自分の問いが大きくなり深まっていくと、それを解決できるレベルの先生は限られるからです。そこでは先生のレベルが問われ、人類史上の発展が問題になります。この過程では先生の選び直しが起こります。それが繰り返されることもあるのです。そのようにして人類史上の最高点である先生が問題になる段階に至るのです。ヘーゲルやマルクスの思想の本当の価値を理解し、それをさらに理解したいと思うようになる人が出てきます。
第一段階においては、先生やヘーゲルやマルクスはあくまでも答えを出すための媒介・手段であり、それ自体が自分の目的・目標にはなりません。しかしその思想の理解が深まることによって、その巨大さに圧倒されながらも、それを本当に理解したい、その頂点を目指したい、いやさらにはそれを超えたいという欲求が芽生えてくるのです。これが第二段階であり、これが牧野さんの提示した師弟関係論なのです。この段階こそ、人類史、哲学史の中に自分を位置づけ、先生を追い越し自分の思想を作る段階です。そしてこの段階では自己反省はいっそう厳しいレベルで求められます。
 「先生を選べ」といっても、第一段階では先生は複数の横並びの中から選ぶにすぎません。それはたまたまその人を選んだという偶然性の段階です。先生と呼ばれる他の人たちと上下の差があるのではなく、その問題の専門家であるにすぎません。しかし第二段階になり、その過程が進むにつれて、先生とはただ一人であり、他の可能性をすべて捨てる段階が来ます。これが自分の「立場」になります。
以上のように二つの段階を区別すれば、第一段階の人に「先生を追い越せ」とか、さらには「先生を批判するな」と求めることは無理なのであり、それを求めれば破綻するという予想が可能です。そして第二期の後半はそれをしたがために、事実破綻したのです。
 では第二段階においては、「先生を追い越せ」や「先生を批判するな」を求めることは正しいでしょうか。私はそこにはやはり問題があり、無理があると考えます。
なお、牧野さんは牧野道場という組織の意志決定をする上で、道場員の分類をしています(「牧野道場の規約」)。意志決定に参加できる一級道場員と、できない二級以下の道場員です。しかしその区別の基準が示されていません。その本来の基準とは、この第一段階と第二段階の区別にあるのだと思います。この運動を決める会議の参加権は第二段階(高い段階)のメンバーだけが持ち、その決定権は、第一に先生が持ち、第二に先生のレベルに到達したメンバーだけが持つのです。

(4)先生の二種類
私は弟子側の発展として二段階を示しました。それは生徒、弟子側の問題の解決のためでした。しかし問題は、先生の側にもあります。それは先生にも二種類があるということです。
先生といってもすでに亡くなっている死者であり、その書き残したテキストから学ぶだけの場合があります。他方で、先生が生きており、その人について直接に指導を受ける場合があります。それは明確に区別する必要があります。死者からはテキストから学ぶしかなく、そこでは「批判を言う」必要はありません。しかし、生きた人から直接に指導を受ける場合にはそうはいきません。そこには現実の関係からトラブルが起こり、それを解決しなければなりません。ここには研鑽の問題があるのです
師弟関係が具体的に深まっていけば、そこでは人間の個人の傾向や性格レベルの様々なぶつかり合いが起こります。そうした低レベルから始まって、人間観、社会観、世界観といった最高のレベルまでの広がりの中で師弟関係は成立しています。問題がそのどのレベルのものなのか。その区別は難しいものです。
 まず、弟子にとっては、本来は自分の思想を作ることが目的であり、そのためには個々の具体的な状況の中で問題を考えなければなりません。その中にはどうしても師弟関係の問題も含まれます。しかし批判をするなと言われれば、それが禁じられるということになってしまいます。
 もちろん、弟子は自分の低さや課題を解決するために、師弟関係を結んでいます。ですから、自分の課題を中心にそれを第一に反省していくのが弟子のあり方です。先生の問題や課題を考えるためではありません。しかしそうは言っても、師弟関係が深まれば、人間の個人レベルの様々な問題は、大きな問題になるし、それが共同生活ということになれば一層大きな問題になります。
 また、これは先生にとっても大きなマイナスです。先生の言動への批判が出てこなくなるので、先生の自己反省が難しくなってしまいます。これでは師弟間の十分な研鑽ができません。
 以上の結果、第二期の後半にあっては、結局は先生に従順な生徒を生み、運動全体が全体主義に転落しました。
牧野さんが「批判をせずに質問をしろ」と言ったこともありましたが、それは実際は解決にはなりません。これは言葉を変えることによるごまかしを生みます。なぜならその質問の中には、同時に潜在的には批判が含まれているのであり、それを外化させなければ問題は解決しないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
「先生を批判するな」の原則は廃止し、逆に批判を奨励する。これが正しい対策だったと思います。「先生の言動に疑問や問題があると思った人は、できるだけ早く、きちっとした問題提起をせよ」を原則にするのです。
ただしその際、牧野さんが示した弟子の「甘え」の問題や「弱さ」や「悪」の問題は、前もって示しておきます。そして「先生を追い越せ」とは弟子が「自分の思想を作る」ことであり、それを目的とすることを繰り返し確認します。
そして「自分の思想を作る」ことが目的となれば、問題提起をした場合は、その答えを出すのは、先生ではなく、まず問題提起した自分自身だということになります。その答えを自分自身で展開しつくすことを求め、それを実行することが自分の思想を作ることの一助になります。
問題提起をするということには、そうした責任が伴うとの自覚、その責任とは最終的には自分の思想を作ることであることを、事前にきちんと示しておくのです。
その上で、先生に対する問題提起を奨励し、それがなされた場合は、この原則を徹底すればよろしい。

(5)個人崇拝の問題
 以上は、生きた先生との師弟関係にあって、具体的な場面で起こるトラブルをどう解決するかについてでした。
さて、ではここから本題であった個人崇拝の問題にもどります。「先生を批判するな」ではこの問題は解決できません。

牧野さんの総括文が、まずは「教師としての間違い」に言及し、「相手の素質などを正確に判断しないで、過大なことを期待したり要求したりする」ことの反省にあった点をここで思い出す必要があります。能力(素質)の観点をここでしっかりと持たなければならないのです。
 人の素質と能力は残念ながら限界があります。さらに個々人の能力の格差とその偏りは人類史と共に巨大なものになっています。階級・階層への分裂とその激化です。ここに問題の根本があります。それは第一段階でも大きな問題ですが、第二段階ではごまかしようがない形で現れます。つまり能力の低い人には、先生を超えることは無理なのです。
第一段階でも、能力が低ければ、先生の言うことをおとなしく聞くか、または反抗するしかありえません。それは全面的な依存と言ってもいいでしょう。
その段階をクリアした第二段階の人だけが、この問題と真に向き合うのです。しかし最終的に先生を越えられない場合、自分の思想を作るに至らない場合を考えなければなりません。その可能性は自分の抱えた問題が大きいほど、また先生のレベルが高ければ高いほど大きくなります。そして先生のレベルに届かなかった場合、先生を超えられなかった時にはどうなるでしょうか。一方は反抗、反逆(いわゆる「逆恨み」「居直り」)であり、一方は依存つまり信仰(盲従)になります。つまり能力の低さは必然的に反抗か信仰かになるのです。大きく言えばともに、依存です。
ここで、用語を整理し、確認しましょう。議論に不要な混乱が起こらないためです。
「自分の思想を作る」という時の、「思想」と何でしょうか。
人が自分の問題の答えを出す時、ひとつの問題、その問題に関係する専門分野、専門領域に限定した答えでしかない時、それを思想とはまだ言えないと思います。それが人間観、社会観、世界観にまで拡大され深まったものを思想というのです。
 では「先生を超える」とはどういうことでしょうか。
「先生を超える」とは、自分の思想の中に先生の思想を止揚することです。
生徒・弟子は自分の問いの答えを出すために、先生の思想を手掛かりにして考えていきます。自分の問いの観点から、先生の思想を学習し、それを吟味することになります。その問いが表面的なものではなく、その専門分野の根本的な問題に深まるなら、必要とする先生のレベルが高いものになり、その思想の吟味もまた全体的なものになります。そして、根本的な問いの答えを、先生のレベルで出せた時、その側面において先生を超えたと言ってよいのだと思います。しかし、その止揚した内容が、先生の思想を全体として、その中心において止揚しているかどうかが次に問われます。そしてこの段階クリアーした場合に、真に先生を超えたと言うのだと思います。その時は、それは人間観、社会観、世界観にまで拡大され深まった思想になっているはずです。
では「信仰」とは何でしょうか、その何がどう問題なのでしょうか。
自分の問いの答えを出せずに終わった人、または先生を越えられなかった人。その人には、その敗北、自分の限界をどう受け止めるかが問題になります。
この事実を認められず、その事実を踏まえた上で生きる方法がわからない場合は、一つは反抗・反逆になります。もう一つは先生を絶対化してそれに盲従することになります。後者がここで「信仰」と呼ぶものです。
両者ともに問題なのですが、それはそこにウソやごまかしがあるからです。
反抗・反逆とは、自分が先生を超えられなかったということを、先生及びその思想の間違いのせいにするのですから、そこにウソがあります。しかしその反抗は自分がその思想の側に立っていないこと、立てなかったことを露わにしています。そこにはウソはありません。若いころに共産主義にかぶれ、後年になって反共主義者になる人などを思い浮かべるとよいでしょう。
 他方で、より問題なのは先生への盲従、信仰の場合です。反抗と同じく先生を超えられなかったという結果、今度はその逆に先生に盲従し、自分がその思想の側に立っているような振る舞いをすることになります。そこには二重のウソがあります。ウソにウソを塗り重ねていることになります。
ヘーゲルは「知っているだけでは認識していることにはならない」「博識はまだ科学ではない」と言っています。また宗教は真理の表象を扱い、哲学は真理の思考による認識を目的とすると言います。つまり「信仰」とは、真理を本当には理解することができず、その言葉の表象、言葉を知っているレベルに止まることです。それは理解していなのに、理解しているようにふるまうことになり、それが二重のウソになります。
それは自己に対しては、自分が真理を認識できていないという事実、自分の弱さや限界を見ないでいること、したがってその弱さ、低さと戦うことをしないことが問題です。それはその人の成長を不可能にします。
しかし、問題はそれにとどまりません。そうした人は他者に対しては、ただ自分の「真理」を教えようとし、他者をバカにし、見下す結果になります。先生を絶対視してしまうと、虎の威を借りる狐の状態で、自分以外の全てを攻撃し、全ての上に立てると思い、すべてを貶めようとします。
こうした人は、自分が本当には認識できていないことに薄々は気づいているのです。そこで、それに激しいコンプレックスを持ち、内心ではやましさを抱えています。そのためにこうした人は、他者に対する攻撃的な言動が増えていきます。内なる弱さは、外に向かうのです。
 世間では「他者を裁くような態度」の「正義の味方」がたくさんいるのですが、それはみなこうした人たちです。
彼らは、敵〔だと信ずる人〕に対してだけではなく、むしろ仲間に対して、一層激しい攻撃をすることになります。そこに自分のやましさやコンプレックスを刺激され、それを抹殺しようとするからでしょう。そうした活動こそ自己証明となるからです。社会主義運動での自己批判の強制や査問の横行などがその典型です。これがスターリンや毛沢東の引き起こした巨悪の大きな作用ではなかったでしょうか。これは自己相対化を失い、自己を絶対化するものであり、人間の弱さであり、人間の悪そのものです。
これでは個人は成長できなくなり、その組織もまた発展ができなくなります。
これはすでに問題にしたオルグやカンパの問題と同じです。いや、それそのものです。そこにあるのも自分の弱さを外に転化することです

しかし、能力上に大きな格差があり、自分の思想を作ったり、先生を越えられない人が多数存在するのです。どうしたらよいのでしょうか。それでもなお、反抗でも盲従でもない生き方をすればよい。それは可能です。
自分の低さ、限界の自覚を持ち、自分の能力のレベルをわきまえ、自分のやれること、やるべきことを意識し、それを実行すること。分をわきまえて生きることです。つまり、私たちが目指すべきなのは真理の契機となること、自分が真理の契機として、真理のために生きることです。
人はその人生において、ただひたすらに真理の契機として生きれば良いのです。それが真理全体の主役であり中心であるかどうかは関係なく、それがどこであろうが、とにかく真理の契機であるということ。断じて、偽りの契機としてではなく生きることです。

この段階で先生を追い越せという第三原則自体が相対化されます。
 「先生を追い越せ」は真の目的ではなく、真理の契機に至るための必然的過程、その必然的な手段に他なりません。
実際に先生のレベルに到達できるかどうか、先生を越えられるかどうかは、問題ではないのです。大切なのは力の限り自分のベストを尽くして真理のために生きることだけなのです。
 自分が絶対ではなく、真理の前に相対化され、その契機として生きること。この点において実は全ての人が同じなのです。ヘーゲルもマルクスもイエスもソクラテスもプラトンもです。

 そうであれば、その生き方はどこで、どのように可能なのかを考えなければなりません。それは正しい師弟関係の中でこそ可能になると思います。これを実現するための組織こそが真の師弟関係なのです。先生と生徒は真理の契機としては全く対等であり、しかし真理実現のどこにどういう位置づけ(役割)を持つかが違うだけです。
そこでは個々人の能力、実力の格差も、その偏りも隠されておらず、透明になっていること。各自は自分の能力の限界の自覚、先生の全体と人類史の全体、その中での自分の位置を自覚できること。弟子たちの相互の能力の種類、その高低、上下を明らかにし、その理解において自分と他者を律すること。
 その運動の中で、個人が自分の中で、また運動する組織がその組織の中で、また外に対しても、それを透明にできること。それは相互の批判、評価が、どのレベルで行えるかにかかっていますが、それが、その組織の研鑽の能力です。その前提が相互の信頼関係であり、それを強め、研鑽能力を高めていけるのは師弟関係の深まりだけです。
私はこの透明な自己理解と他者理解のあり方こそが、ソクラテスの「無知の知」なのだと考えています。そしてそれは、組織においては「無私の私」なのではないか。これはいわゆる「滅私奉公」ではありません。その真逆のものであり、主体性の完成した姿なのだと思います。

以上が、個人崇拝、信仰的な態度を超える方法であり、この実現のための原則が師弟関係論であり、それを「概念的組織原則」と呼ぶのでしょう。
私はこの原則を可能な限り貫き、実現していきたいと思っています。

なお、牧野さんが総括文で、自分の限界、分をわきまえる、自分を限定することを学んだと述べています。これは私の言葉では「真理の契機として、しっかり生きる」となります。
それはもちろん正しいのですが、人が若い時からそれができることはあり得ず、自分の立場や自分の思想を持った上で、初めてそれが可能になるのではないでしょうか。師弟関係の第二段階での切磋琢磨なしに、真理の契機となるという考えとその実行はありえないでしょう。

5 中井の代案 その2 マルクスの思想の問題

牧野さんは、真理の認識、真理の実現を目的としました。その真理を具体化した立場としては、「ヘーゲルの概念の立場とマルクスの賃労働者階級の立場」とを掲げ、それを「大衆の生活の立場からとらえ直し、それを前生活に及ぼして生きることを目的とする」としました。(「牧野道場の規約から)
 ヘーゲル、マルクスの思想そのものではなく、それを現在の社会の発展段階の上で、さらに発展させた立場としてとらえていて、それを牧野さんは「大衆の生活の立場」からとらえ直すとしているのだと思います。
 私はヘーゲルの発展の立場は、哲学史上の最高の立場であり、今もこれを超える思想はないと思います。しかしマルクスの思想には大きな問題があり、一部ではヘーゲル哲学をより具体的にした側面があるものの、全体としてはヘーゲルの思想をとらえそこない、ヘーゲルの思想の発展に失敗していると思います。
牧野さんは、マルクスとそのマルクス主義一派に対して、それを根本的に批判し、その政治主義、つまり国家権力の奪取というだけの方法論に対して、「哲学主義」を掲げ、哲学がすべてを指導するという理念を出しました。これは高い目標・立場を示したと思います。またそれに共同体運動を対置したのも意義があったと思います。
 牧野さんのマルクスに対する総括は「マルクスの感情的社会主義」にまとめられており、牧野さんの第二期後半の運動は、その総括の上で行われました。ですから、そこに大きな問題があったのであれば、再度マルクスの思想全体における問題を考えなければならないはずです。しかし、それはなされていません。

やはり大きな問題となるのが、マルクスの唯物史観と社会主義の目的の理解にあると思います。
もちろん、マルクスの唯物史観の画期的な功績を認め、この視点を常に考察の中に入れることは正しい。またマルクスの社会主義が目標とした方向性もあくまでも正しいし、それを目指していくこともあくまでも正しい。しかし唯物史観の一面性やその理解の浅さを理解する必要があります。また、分裂の克服、止揚という枠組みが、実際には否定になってしまったことは大きな間違いでした。
マルクスは都市と農村の分裂、工業と農業の分裂、精神労働と肉体労働の分裂という三大分裂を克服(止揚)することを目標にし、さらに私有財産の止揚、国家の止揚をも目標にしました。それ自体は正しかったと思います。
しかし問題はその「止揚・克服」が一面的な「否定」「廃止」と事実上理解されていたことです。宗教もただ疎外として、否定されるだけでした。
これはマルクスが、存在の運動を十分には理解できなかったことを意味します。私有財産も、分業も、その問題は大きいですが、他方でそれらには大きな意義があります。
牧野さんがその否定を今すぐ実行しなければならない、共同体をすぐに実現するべきだとしたのは間違いでした。しかし、牧野さんの間違いは、実はもともとのマルクスの間違いを引きずったものだったのだと思います。つまり牧野さんも、マルクスを真に克服はできなかった。
 マルクスがヘーゲル哲学に対して、その弁証法を高く評価する一方で、その観念論的側面を批判し、それが逆立ちしているので再転倒して、「唯物」弁証法にするとしたのも浅はかでした。これらは、マルクスにそもそものヘーゲルの発展という考えの理解が不十分だったことに起因します。フォイエルバッハの疎外論に引きずられ、発展のなかに疎外論をどう位置付けるべきかが明確でなかったのです。そこには存在するものの肯定的理解がなかったのです。
唯物史観は、生産力が生産関係を規定し、その下部構造が上部構造を規定するとしました。その一面性と、この規定関係が最終的に逆転することを示せなかった限界を、はっきりと指摘しなければなりません。発展の始まりから終わりに向けた運動は、終わりが始まりに戻る運動になります。規定するものは逆に規定されるものになります。規定されたものはそれを逆に規定することができます。ヘーゲルはそれを、前提は定立されると言いました。この理解がマルクスにはできなかったようです。詳しくは私の『現代に生きるマルクス』に書きました。

ではどうしたらよいのか。
マルクスの示した大きな方向性の正しさを認めるが、それを今すぐにすべて実行するのではなく、まずは運動の内部において、可能な範囲でその実現を目指す。私有財産も分業も精神労働と肉体労働の分裂も、その意義を十分に理解した上でそれを本当に克服して止揚していけるあり方を絶えず模索していくことです。あまりにも平凡ですが、これを着実に実行していくことが大切なのだと考えます。
 牧野さんが総括文に述べているように、分業については、本来は一人一人のメンバーはその専門分野を持ちその専門分野でまず一流にならなければならない。そうであれば、そのための指導を指導者はしなければならない。そうして政治・経済・文化のあらゆる分野において有能な人材を輩出しなければならなかった。そうであれば、そのすべての分野で、現実の肯定的理解が問われます。発展の理解が問われます。
この局面での指導でこそ、その成否は指導者の能力に大きくかかっており、そこでこそ「哲学主義」の意義が問われるのだと思います。
 しかし、哲学主義の理念は正しくとも、実際の人間には限界があります。ですから指導者は自らと運動の能力を高めるように不断の努力をし、また全員に対してそれを保障するような組織と原則を作る必要があります。その限界を絶えず自覚し続けられるようなシステムが必要です。
それは研鑽だったでしょう。またその基礎には、師弟関係と弟子同士の関係を正しく律する原則が必要だと思います。
以上が目的についての検討です

6 これからの課題

さて以上を踏まえて、運動の理論を深め実践をしていくことが私のこれからの目標です。
そこで、現下での緊急の課題であり、今後の最大の課題となっていると思うのが、研鑽についてのより深い具体的な理論と実践を示していくことだと考えています。
つまり、みなが「概念の個別」を目指し、真理の契機として生きること、その実現のための師弟関係、「概念的組織原則」を明らかにし、それを実現していくことです。「4 中井の代案 その1 師弟関係論」の「(5)個人崇拝の問題」でまとめた内容の具体化です。
それは個人の自立とそれを保障する社会・組織の確立です。これは真の民主主義社会の確立の問題に他なりません。そのための理論と実践を提示していくことです。
その全体を展開することが私の課題ですが、まだそれを示せません。牧野さんがすでに明らかにしている原則を研究し、それを発展させ、それをさらに具体化し、実現していくことを自分の課題とします。
これが個人崇拝の問題を真に克服することになるはずです。以上で、私の現状の報告を終えます。

牧野さんと出会えたことは私の人生での最大の転換点となりました。牧野さんからの指導なしに、私の「古い自分」を滅ぼすことはできず、「新たな自分」へとの再生もありえませんでした。ここまで牧野さんへの批判を述べてきましたが、それは牧野さんへの感謝は、牧野哲学の先の展開を示すことで、表すべきだと考えるからです。

 2022年12月29日

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追記

4の(2)「カンパは乞食、オルグはお節介」の牧野自身の文章では、「カンパ」や「オルグ」が全否定されているようで、悟性的だと思います。
「カンパ」にも、「オルグ」にも、正しい「カンパ」と「オルグ」があり、間違った「カンパ」と「オルグ」があります、間違った方を批判するだけではなく、正しい方をも具体的に示す方がより高い立場だったと思います。

4の(3)「生徒の側の二つの段階の区別」は私の考えであり、言っていることはわかるのですが、実際にはこの区別を師弟契約時に示すことは不可能でしょう。弟子の側ではわかりようがないからです。4、5年がすぎて、成果として何がなされたかを振り返る時に、この2つの段階を示して、その成長、発展段階を考えることが有効だと思います。
これについては、まだまだ試行錯誤が必要だと思います。様々な工夫をして、よりよい方法を考えて行きたいです。

一番重要な論点は、4の(5)「個人崇拝の問題」で取り上げた師弟関係論の第3原則「先生を追いこせ」(自分の思想を作る)の段階において、ついに先生を追いこせない人が現れてくるという事実と、それへの対応です。
先生を越えられなかった人には、その敗北、自分の限界をどう受け止めるかが大きな問題になります。
この事実を認められない場合は、一つは先生を絶対化してそれに盲従することになり、もう一つは反抗・反逆になります。

この間違った2つの態度と、それを超える生き方を考える際に、ここでも「学ぶ姿勢」が問われていることに気づきました。
この反抗と盲従は、学ぶ姿勢の悪い例である?と?のことに他ならなりません。それが最終局面だからこそ、大きく現れるのです。
しかし、盲従でも反抗でもない生き方は可能です。それは?の正しい学ぶ姿勢からのみ生まれます。
自分の低さ、限界の自覚を持ち、自分の能力のレベルをわきまえ、自分のやれること、やるべきことを意識し、それを実行すること。分をわきまえて生きることです。つまり、私たちが目指すべきなのは真理の契機となること、自分が真理の契機として、真理のために生きることなのです。
これが「正しい学ぶ姿勢」の真理なのだと思います。

以上2025年12月12日に記す。

12月 16

■ 目次 ■

牧野哲学の総括      中井 浩一

1 前置き 第二期鶏鳴学園の挫折と牧野さん自身による「第二期鶏鳴学園の反省」
2 牧野さんの総括「第二期鶏鳴学園の反省」の確認
3 「第二期鶏鳴学園の反省」の検討
(1)牧野さんの哲学の問題
(2)牧野さんの個人的な問題
(3)研鑽について
 ※本日はここまで。以下は明日

4 中井の代案 その1 師弟関係論
(1)師弟関係論「先生を選べ」の正しさ
(2)カンパは乞食、オルグはお節介
(3)生徒の側の二つの段階の区別
(4)先生の二種類
(5)個人崇拝の問題
5 中井の代案 その2 マルクスの思想の問題
6 これからの課題

 追記

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◇◆  牧野哲学の総括  中井 浩一  ◆◇

牧野さん

中井です。その後、お体の調子はいかがですか。

本日は、牧野さんと私たちの第二期鶏鳴学園の失敗について、またそれを踏まえた牧野さんの第三期について、私の考えていることを報告します。

以下は次のような順番になっています。
1 前置き 第二期鶏鳴学園の挫折と牧野さん自身による「第二期鶏鳴学園の反省」
2 牧野さんの総括「第二期鶏鳴学園の反省」の確認
3 「第二期鶏鳴学園の反省」の検討
(1)牧野さんの哲学の問題
(2)牧野さんの個人的な問題
(3)研鑽について
4 中井の代案 その1 師弟関係論
(1)師弟関係論「先生を選べ」の正しさ
(2)カンパは乞食、オルグはお節介
(3)生徒の側の二つの段階の区別
(4)先生の二種類
(5)個人崇拝の問題
5 中井の代案 その2 マルクスの思想の問題
6 これからの課題

牧野さんの眼が悪いのはわかっているので、読んでいただけるように大きな文字を使用しました。そこで分量が大きくなりました。その核心部分は「3『第二期鶏鳴学園の反省』の検討」の「(1)牧野さんの哲学の問題」と「中井の代案 その1 師弟関係論」です。その始まりのページに付箋を付けました。そこだけでも読んで頂ければ幸いです。

1 前置き 第二期鶏鳴学園の挫折と牧野さん自身による「第二期鶏鳴学園の反省」

第二期鶏鳴学園の挫折は牧野さんにとって決定的なものだったと思います。そして、牧野さん自身によるその総括として「第二期鶏鳴学園の反省」(1997・10・10の日付があります。雑誌『鶏鳴』145号1998年1月発行に掲載)を出しています。運動の失敗から五年後に出ていることが、その挫折の大きさと深刻さをよく表わしています。
なお、私は以下で牧野さんの考えとしては主にこの総括文を検討するのですが、これ以外に、牧野さんのまとめた総括などがあれば教えてください。以下では、これが唯一の総括文であるとして、この後を書きます。
牧野さんは、「第二期鶏鳴学園の反省」で第二期鶏鳴学園を前半と後半に分けて、「前半(1985年12月から90年3月まで)はこの種の運動としては最高の段階に達していた」。後半(90年4月から92年3月末まで)では「それ以上のもの(共同体の実現)を望んだのが間違いの元だったのです」とまとめています。
これは私の実感、その評価とも一致します。牧野さんの指導した鶏鳴学園の全歴史の中で、前半はピークだったと思います。その成果は『ヘーゲル的社会主義』にまとめられていますが、これは戦後の日本における哲学の最高レベルだと私は考えています。
しかし、この第二期は前半で大きな成果を出しながら、途中から共同体の実現に大きく梶が切られ、それがすべてに優先されました。数少なかった仲間が運動から離れたり、恋人と別れるなどの結果がありました。そうした大きな犠牲を払いながら実現した共同体運動は二年も持たずにあっけなく崩壊しました。
私にとって、その失敗という結果は意外ではありませんでした。無理に無理を重ねていることは感じていたので、予想された結果です。牧野さんの「暴走」を止める力は私にはなかった。しかし私には運動を辞める選択肢はなかった。そこで牧野さんに最後までついていき、その最後までを見届けることを決めていました。しかし、牧野さんの考えを十分に理解していたわけではなく、納得していたわけでもなかった。
そこで、その失敗の総括は、当時の私には不可能でした。ドイツに二年間留学して1997年4月に帰国した後に、牧野さんの「第二期鶏鳴学園の反省」がでました。その内容は衝撃的で、これは重く私にのしかかりました。
 衝撃だったのは、共同体や分業の止揚、大学や講壇学問の否定、研鑽への大きな期待、といった運動の根幹にあった理念が、ほぼ全否定されたような内容であったからです。私が前提とした(させられた)すべてが崩壊して、自分を支えるものがなくなったような心細さでした。
当時の私は牧野さんの考えを十分に理解できていなかったし、結局は牧野さんについていくだけで、自分で考える力がなかったのですから、自業自得です。
 私はそこから始めました。バラバラに砕け散った破片を1つ1つ拾い上げて、もう一度1つ1つを確認するために、ヘーゲル、マルクス、牧野さんの著作を読み直すことを始めました。
自分の中井ゼミを開始し、そこでは師弟契約に基づく師弟関係を始めました。契約者は最初は1人だけでした。今は10人ほどがいます。
そして中井ゼミで20年間、ヘーゲルを、マルクスを、牧野さんを読んできました。大学外でこうしたことを継続できたのは、師弟契約にもとづく強い信頼関係があったからだと思っています。また若い彼らの抱える問題を一緒に考えながら、第二期鶏鳴学園の運動について考えてきました。
私は今年、マルクスについて、二年前にはヘーゲルについて、本に考えをまとめました。そして今、自分なりに、第二期の総括をまとめられるところまで来たと思っています。
それを以下に、報告します。これはこれからの私の生き方、中井ゼミのありかたを確認するものです。

2 牧野さんの総括「第二期鶏鳴学園の反省」の確認

「第二期鶏鳴学園の反省」は失敗の総括としては3つの部分からなっています。(1)失敗の根本の原因、(2)失敗後の牧野さんの大きな変化、(3)研鑽についての反省、です。この順番に見ていきます。

(1)失敗の根本の原因として、牧野さんは「教師として」の間違いを挙げています。そしてその中で、共同体と分業の止揚の失敗をとらえています。
教師としての間違いとは、第一に「相手〔弟子たち〕の素質などを正確に判断しないで過大なことを期待したり要求したり」したことです。「哲学をやるというのは百メートルを十秒ゼロで走るようなもの」であり、「その素質のない人には無理なのです」。
そして「その不可能なことを追求するために、『共同生活で良い環境を』と考えたのが第二の間違いだったのです。つまり、言ってみれば『おんぶにだっこ』で十秒ゼロを実現しようとしたのです。それは原理的に不可能でした」。
これは牧野さん自身が設定した「教師の自戒」の第一原則「生徒の成長の過程を自覚して、順を追って生徒に練習させよ」の違反です。
 また、ここで分業の止揚の問題も出しています。分業をすぐに止めて自然生活を目指さなければならないと考えたのは間違いであった。分業の止揚のはずが、分業に否定になっていた。分業を否定することはできない。
「この世の中で戦って生きていくには、何らかの分野で人より優れているものがなければならないし、それを維持するために日頃から自分で勉強し続けなければなりません」。こうして改めて分業の意義を確認します。
そして、分業の問題を解決するには共同体というあり方とは「別の方法」を考えなければならないと述べます。しかし、その「別の方法」とは何かは書かれていません。
そしてこの教師としての反省の最後では、「その上、私には経営者としての才能も組織者としての才能もありませんでした」と述べます。これはつけたしであり、わずか36文字です。次の段落の冒頭には「〔我々の共同体は〕直接的には経済的に行き詰まり、人が去って終わりました」とあるのです。この経済、経営、組織のとらえかたの軽さには驚きました。
以上が(1)失敗の根本原因として牧野さんが挙げた内容です。それは一言でいえば、教師としての間違いだったとしているということになります。

したがって、第三期では、教師としての教え方を大きく変えることになりました。それが(2)にまとめられています。相手に過大な期待を持つことをやめた。素質ややる気のある人に限定して、自分の授業をその人をその人に限定してより良いものにすることだけを考えた。自分の仕事の限定をした。分業を推し進め、家庭教育は家庭教育に任せた。
 それはそれまでの大学否定の姿勢の反省にもなりました。「『大学ではダメだ』ということで鶏鳴学園を始めたのですが、共同生活まで追求してみて、結局大学以上のところは無理なのかと思うようになりました」。「大学を原理的に否定するのは間違いだ」。

そして、最後に研鑽についての反省(3)があります。第二期では研鑽、つまり話し合いと相互批判を、大変に重視しました。「私たちが今追求しているのは話し合いと自己反省の中で自分も相手も変わっていくことを前提してその相互研鑽を保障し高める主体的民主主義のシステムづくりだと思います」(『ヘーゲルと自然生活運動』の「あとがき」)。
この考え方にも大きな修正が加えられます。もちろん牧野さんも第二期での研鑽の成果を認めています。共同生活の失敗の状況下でも「暴力沙汰は一切なく、大きな声を出したりすること」もなかった。「ただ、考えが一致しなかっただけです」。
ここから「話し合いの調整能力を過大に考えていた」。「『言論の限界について認識しておく』ことを忘れると、『何でも話し合いで』という観念論になってしまいます。共同生活の中で話し合いによって変えうる範囲は極めて小さいことを思い知らされました」という結論が出ます。そして、ここから「そもそも人間変革などということは神の仕事であって、人間の考えて良いことではないのかもしれません」との思いが吐露される。

以上が「第二期鶏鳴学園の反省」の運動の失敗の総括部分の内容です。

3 「第二期鶏鳴学園の反省」の検討

「第二期鶏鳴学園の反省」を検討するにあたって、何よりもまず、牧野さんがこの運動を主導したリーダーとして、運動の失敗を認め、その原因についての反省を公表したこと、その責任の取り方と生き方の高さを確認したいです。多くの場合、こうした運動の失敗の際に、責任者は一切沈黙したり、何も語らないのが普通なのですから。
私はマルクスのことを考えるのです。彼は1848年の革命失敗後、そうした自己反省の表明はついにできなかったと思います。
 しかし、この総括文は次のような欠点を持っていると思います。ここにはリーダーの個人的な問題や教師としての反省はあっても、運動として、組織としての問題は明らかにされていません。経営や組織の運営については軽く触れるだけです。何よりも、哲学者としての反省、運動の理論、運動の原理原則の反省へと深まっていません。

(1)牧野さんの哲学の問題
失敗の根本原因を考える時、牧野さんは何よりもまず「哲学者」なのですから、その反省はまずは、その「哲学」そのものの反省にならなければならないはずです。教育者としての失敗、経済や組織の面での失敗があるのなら、それはその哲学の低さの結果として理解すべきではないでしょうか。
 牧野さんの「哲学」は相対的には他を圧倒していましたが、絶対的にはまだまだ低いものであったということなのだと思います。それは何よりも発展の理解の不十分さにあります。牧野さんは、現実の肯定的理解ができず、否定しかできず、止揚の道筋を示せなかったのではないでしょうか。
 発展の理解を問題にする場合は、存在の運動と認識の運動を区別して考えると、わかることがあります。牧野さんは認識の運動については立派な理論をまとめていますが、実際の存在の運動になると、その理解が弱かったということです。
 実際にそれは弟子たちについての理解に現れました。その素質、それぞれの発展過程を的確に理解することができなかったようです。そして結果的に甘やかすことになりました。それは牧野さんの総括文にも失敗の第一の原因として書かれています。
しかし、それは弟子たちに対してだけではなく、この現実社会について、そこでのビジネス、経営、経済活動や組織運営の面でも、その対象を発展としてとらえることが極めて弱かったと思います。
牧野さんは総括文の中で、経営や組織については軽く触れるだけで終わりにしています。これには唖然としました。
唯物史観の立場に立つ者にとって、物事の根本は経済の問題であり、それがその上に立つ組織と、その上の意識を規定するはずです。ところがここで牧野さんは自らの意識のあり方を第一の原因だとするのです。
私は牧野さんが経営をわかっていないと思ったことがたくさんあります。「ダンケのパン」の失敗、「鶏鳴出版」が大きな成功を収められなかったこと、そして第二期後半の共同体運動を株の運用で行おうとしたこと。それはバブル崩壊とともに決定的な負債を抱える結果となり、これによって運動は終わりました。共同体運動の失敗とは言えないレベルだった思います。この経営面の問題を、総括文では真剣に反省せず、どこにどういう問題があったのかを考えようとしません。
これは全体として牧野さんの認識が抽象的普遍にとどまりがちだったことを意味します。このことが牧野さんが現実の肯定的理解ができず、否定になったことを説明すると考えます。
牧野さんには、ヘーゲルの「現実的なものが理性的なものであり、理性的なものが現実的なものである」という際の「現実的なもの」の理解が不十分すぎたと思います。つまり、その思想や認識には、理性レベルではなく、悟性レベルのものが多かったということです。

第一期、第二期の鶏鳴学園は現実世界(固定した分業、私的所有、格差拡大、教育機関としての大学及び大学の教員のサラリーマンとしてのあり方の問題など)を止揚すると標榜しながら、実際は否定するだけで、それを真に超える原理を出せなかったのだと思います。
従ってそれが失敗した以上は、最初に全否定した現実世界にもどり、現実世界を肯定し、その大枠の中でできることをする、ベストを尽くすものになりました。それは、その運動が現状を「止揚」するといいながら、実際は「否定」になっていたために、その反省は「肯定」にひっくりかえることになったのだと思います。
 もちろん、牧野さんは、その大枠の中で他の研究者を大きく超える仕事をしました。しかし本当の反省をし、新たな運動を組織することはできなかったと考えています。このことは牧野さんの第三期の仕事全体のレベルを規定していると思います。例えば、『関口ドイツ文法』は他に類を見ない大きな仕事ですが、関口ドイツ語学に可能性としてあった理性的なものを切り捨て、悟性的なレベルでまとめていると思います。また牧野さんの許万元さんへのこだわりにもおかしなものを感じます。許さんについてはすでに牧野さんによって、その根本への批判は終わっていると思います。どうして今も許さんを問題にするのでしょうか。

人はどんな人にも自らの限界があります。挫折があった時に、それを超えられる場合もありますが、越えられない場合もあります。誰もが人間としての限界を持ち、さらに時代の子なのですから当然のことです。牧野さんが自分の限界を自覚し、その限界内でベストをつくすように生きようとしたことは立派でした。しかしそれがどの程度までできたかは、また別に考えるべきだと思います。
私自身は牧野さんの第三期の道は取りません。私は、牧野さんが第一期、第二期に打ち立て、実践した理論と運動の中に、今の現実社会を超えていけるものがあると思っています。それを明らかにし、その実現を目指すのが私の課題です。つまり改めて牧野哲学の意義と限界を明らかにし、それを継承し、真理を実現することです。その際に、自分、自分たちの限界の自覚。それをわきまえた言動を心がけるつもりです。

牧野さんの哲学の問題については以上とします。次に、牧野さんの個人的な問題を考えたいと思います。

(2)牧野さんの個人的な問題
牧野さんの総括文を読んで、まず思うことは、牧野さんという人の理論の高さ、志の高さと、実際の運営、実践との間の驚くべき乖離と落差です。これは理論と実践の不一致の問題で、誰もがそうした問題を持っているのですが、牧野さんの場合は大きすぎます。これは先に述べた牧野さんの哲学の弱さの原因でもあり、結果でもあると思います。
 牧野さんは、個人としては善意の塊のような人で、普通の意味での理想主義者です。実行レベルでも、妥協せずに、信念を貫ける人です。しかし、人の弱さ、醜さ、悪の部分を直視できず、そうした人に振り回されたり、引きずられたりします。
総括文にもその反省がありますが、そこにないのは、「人の弱さ、醜さ、悪の部分」が牧野さん自身についてもあったし、しかも大きかったことへの反省です。その点の自覚がとても弱いと思います。
これは大きく言えば、牧野さんが性善説で性悪説の立場ではなかったということです。自分の中に巣くう大きな悪を見抜き、それに対処していく力が弱かったということです。
また個人の性格というレベルでも問題があります。牧野さんには、すぐに調子に乗るという欠点があると思います。性急さ、焦る、あわてる、こうした傾向性を押さえることができないといった問題もあります。これは改善されることはありませんでした。むしろ危機的な状況の中では、それらはより大きな欠陥として現れました。

もちろん、人は誰でも長所も短所もあります。ですから個々の問題があっても、全体として運動を前に進めることができればそれでよいのだと思います。そしてそのための大きな役割が研鑽にあったのだと思います。それが実際は機能しなかったということこそ、哲学者としては反省すべきではないでしょうか。

(3)研鑽について
牧野さんの研鑽についての総括には、私は異論があります。
牧野さんも第二期での研鑽の成果を認めています。共同生活の失敗の状況下でも「暴力沙汰は一切なく、大きな声を出したりすること」もなかった。「ただ、考えが一致しなかっただけです」。
そしてここから「話し合いの調整能力を過大に考えていた」「共同生活の中で話し合いによって変えうる範囲は極めて小さいことを思い知らされました」という結論が出ます。

これは私の理解とは大きく異なります。私の理解では、研鑽の力は前期では機能していたと考えます。先生と生徒の間で先生からの率直な指摘、アドバイスができるようになった。さらに以前は鶏鳴学園には先生と生徒の関係しかなく、仲間同士の研鑽がなかなかできていなかったです。それが、「成績発表」として各自が自分を含めた全員についての評価、批判をするようになり、その解決につながっていました。同じ先生を選んだことこそが、相互の信頼関係を深め、その研鑽を可能にしたと思います。こうした研鑽の成果が前期の学習上の成果だったと思います。
 問題は後半です。この後半においては研鑽の力はほとんど機能しなかったと思います。
なぜでしょうか。共同体運動は牧野さんの夢であり、目標でしたが、他の弟子たちにはそうではなかったからです。そこでは共同体運動を自発的に希望するメンバーはいなかった。
共同体運動に舵を切ったのは牧野さんであり、弟子たちがそれに参加したのは、事実上は牧野さんによる強制でした。それに参加しないものは運動から去らなければならなかったからです。すでに皆、それまでの仕事を辞めて退路を断っているのであり、追い込まれていたのです。
共同体に参加したメンバーも、牧野さんに言われて嫌々ながら、半信半疑でやるというのが実態であったと思います。私自身のことはすでに「1 前置き」に書いた通りです。
 さらに、師弟関係の中には大きな問題がありました。「先生を批判するな」として、牧野さんへの批判が禁じられていたために、共同体運動への反対、批判、疑問を抑え込むことになりました。それは牧野さんを絶対化しそれに従うという、全体主義への転落を意味しました。そこには主人と奴隷の関係しか存在しません。
したがってその状況下で共同体運動を、みなで冷静に検討することはできず、また共同体運動が始まった後も内部での研鑽は十分には機能しなかったと思います。これについては、師弟関係論の問題として後述します。

 以上、牧野さんの運動の研鑽の問題を述べてきましたが、私は今も研鑽の可能性を信じています。本来は正しい師弟関係と正しい仲間の関係があるならば、それは研鑽を深め、また逆に研鑽によって師弟関係と弟子相互の関係を深めることが可能であり、それこそが共同体運動を可能にしただろうと思います。その可能性は研鑽の成否にかかっていると思います。

※つづきは明日掲載

12月 15

「牧野哲学の総括」について

牧野紀之は私の師(先生)である。牧野は自らの師弟関係論で、?先生を選べ、?先生から徹底的に学べ、?先生を追いこせの三原則を示している。私はそれに同意し、私の先生として牧野を選んだ。30歳の時だ。それから40年、今の私があるのは牧野のおかげである。
牧野の考えやその言動には、同意できず対立したことは数多い。しかし牧野を先生に選んだこと自体を間違いだったと思ったことは一度もない。これは本当である。私にとって牧野はただ一人の先生である。

約3年前に牧野哲学に対する総括文を書いた。これは私もそのメンバーの一人として参加した牧野の思想運動「自然生活運動」に対して、私が今どう考えるのかを明らかにするものである。
それを提出するのがここまで遅くなったのは、牧野の思想が私にとっては大きく広く深かったからである。それは、ヘーゲルとマルクス・エンゲルス、レーニンなどが前提になっている。それらを検討し私の代案を出すのに時間がかかった。
しかしこの総括はどうしてもしなければならないことであった。私が思想を持って生きようとするならば、果たさなければならない最低限の責任であった。

この文章を書き上げる際に、私にとってもう一つ大きかったことは、牧野の批判をするならば、陰でこそこそするようなことはしてはならないという意識である。まっすぐに正面から牧野にそれを表明するようなものでなければならない。牧野が死んだ後に、それを出すような姑息なことをしてはならない。それは卑怯だからである。
そこで牧野宛の手紙の形式にした。これは実際に、牧野に2023年正月に手紙として送ったものである。牧野はすでに目が悪かったので、大きな大きな字体で印刷して送ったので、 かなり分厚いものになった。しかし牧野はそれでも読めないということだったので、全文を朗読し、その録音をしたカセットテープを牧野に送った。すると今度は聴き方がわからないと言う。その後、何とか聞いてもらえたようだ。その年の春に牧野からの電話で、聴いたと言う事実を伝えられ、牧野のコメントをもらった。拙文への牧野の答えは、牧野の『哲学の授業』という本で出しているというものだった。
私は牧野が私の総括文をとりあえず受け止め、彼からの返答をもらったことに一応満足し、これで1つの区切りとなったことを確認した。
 私がこの総括文を書き上げた時に思ったのは、「間に合った」ということである。牧野の死に間に合ったという感慨であった。

 牧野にこの総括文を送ってから3年が過ぎようとしている。これをすぐにこのブログに掲載しなかったのは、少し寝かせておきたかったからである。それがなぜ今、このタイミングで公表するのか。来年の2月か3月に拙著『ヘーゲル哲学を研究するとはどういうことか』が刊行される。これは牧野の『ヘーゲル研究入門』の増補版にあたる。それだけではなく、これは私の現時点でのヘーゲル哲学への総括文となる。
 このヘーゲル哲学への総括は、私にとって牧野哲学への総括文と重なる。私にとって2つは切り離せず、常に2つで1つだからである。
私は、拙著の読者がヘーゲル哲学への総括と併せて、牧野哲学への総括をも読めるようにしたかった。逆もしかり。この牧野への総括文を読む人には、私の本をも読んでほしい。
そこで、このタイミングで、公表することを決めた。読者には、両者が響き合っていることをおわかりいただけるだろう。

「牧野哲学の総括」は明日から2回に分けて掲載する。
これは、牧野に送った文章のままであり、文章を変えてはいない。その後の3年で考えたことはあるので、それは最後に「追記」としてまとめた。

■ 目次 ■

牧野哲学の総括      中井 浩一

1 前置き 第二期鶏鳴学園の挫折と牧野さん自身による「第二期鶏鳴学園の反省」
2 牧野さんの総括「第二期鶏鳴学園の反省」の確認
3 「第二期鶏鳴学園の反省」の検討
(1)牧野さんの哲学の問題
(2)牧野さんの個人的な問題
(3)研鑽について
4 中井の代案 その1 師弟関係論
(1)師弟関係論「先生を選べ」の正しさ
(2)カンパは乞食、オルグはお節介
(3)生徒の側の二つの段階の区別
(4)先生の二種類
(5)個人崇拝の問題
5 中井の代案 その2 マルクスの思想の問題
6 これからの課題

 追記

3月 25

本論文について 中井浩一

中井ゼミでは、マルクスについては何度も取り上げて検討してきました。資本論の第一巻の通読をしました。その中では第1章の商品論を丁寧に検討し、第5章の労働過程論はドイツ語で詳しく検討しました。第7編の資本の蓄積過程は何度も繰り返し読みました。またマルクスの『経済学批判』の「序説」(特に「経済学の方法」)は繰り返し読んで、ドイツ語でも検討してきました。これらの到達点の一部は、昨年2月に『現代に生きるマルクス』として刊行しています。

安藤雷さんはそれらを踏まえた上で、初版『資本論』第1章への付録、いわゆる「価値形態論」(信山社版、ドイツ語原文と牧野紀之の訳注を収録)を自分で丁寧に読んで検討し、それを大部のメモノートにまとめました。それについて私と安藤さんとで意見交換をしましたが、それを踏まえたうえで、安藤さんが自分の考えをまとめました。それが今回このブログに掲載する論考「交換も人間労働である」安藤雷著です。

マルクスは「価値形態論」で、商品と商品との交換が事実成立することから、その根拠としての商品の価値、またその価値を表現する貨幣の成立をとらえていきます。
安藤さんは、その考察の進め方に、その交換活動そのものもまた労働である(商品である)という側面が抜けていることを指摘します。これはあまりにもシンプルで、根本的な、大きな問題です。それなのに、この問題はこれまで誰からも指摘されてこなかったのではないでしょうか。

どうして、この簡単な欠陥が見逃されてきたのでしょうか。研究者はみな、マルクスが設定した枠組みの中でしか考えられず、その枠組自体を検討することができないからだと思います。
安藤さんは、マルクスの設定した枠組み自体を批判したのです。これは大きな成果であると思います。

この価値形態論についての中井自身の考えは、追って、このブログに掲載したいと思っています。

■ 目次 ■

交換も人間労働である
──マルクスの資本論「価値形態論」における大きな欠陥──  安藤雷

1.はじめに
1?1.附録について
1?2.価値形態論について
1?3.価値形態論の方法・前提の確認
2.価値形態論の欠陥
2?1.形式面:必然性の欠如
2?2.内容面:交換の軽視ないし無視

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◇◆  交換も人間労働である
──マルクスの資本論「価値形態論」における大きな欠陥──  安藤雷  ◆◇

1.はじめに
本稿は、マルクスの資本論初版第一章への附録「価値形態論」を主たる検討対象にして、まとめたものである。

1?1.附録について
マルクスの資本論は「商品論」から始まる。第一編が「商品と貨幣」で、その第一章が「商品」となっている。商品から貨幣を導出し、貨幣から資本を導出し、資本の中に剰余価値のを見るのが資本論である。「商品論」において商品から貨幣を導出する部分が「価値形態論」(Wertform)である。
これは初版では本文だけではなく附録(Anhang zu Kapitel?, 1.)の形でもまとめられている。本文の価値形態論は分かりにくいから補遺が必要だという友人クーゲルマンのアドバイスに従ったものである。価値形態論と附録について、初版の序文では「それまでの叙述よりも弁証法がはるかに鋭くなっているので、それは難解である。・・・(中略)・・・そこでは、事柄を、その科学的な理解が許す限りできるだけ単純に、また学校教師風にさえ叙述するよう努めている。」と書かれている。
他方、エンゲルスは価値形態論を補遺の形でまとめ直す必要はないとしていたが、これに対して、マルクスは1867年6月22日にエンゲルスに宛てた手紙で付録の必要性について次のように書いている。
「相手にするのは俗人ばかりではなく、知識欲のある青年などもいる。その上、事柄はこの本の全体にとってあまりにも決定的だ。経済学者諸君は、これまで次のような極めて単純なことさえも見落としてきた。すなわち、“20エレのリンネル=1着の上着”という形態は“20エレのリンネル=2ポンド・スターリング”の未展開な基礎に他ならないということ、したがって、商品の価値がまだ他のすべての商品に対する関係としてではなく、ただその商品自身の自然形態から区別されたものとして表現されているにすぎない最も単純な商品形態が、貨幣形態の全秘密を、したがってまた、つづめて言えば、労働生産物のすべてのブルジョア的形態の全秘密を含んでいる、ということだ。」(下線は筆者が引いた)
マルクスとしては、どうしても価値形態論を広く理解してもらいたいと考えていたということである。さらに、そのために付録では§とかa) b) c)とかα) β) γ)といった記号を使い、見出しを付け、規定の移行が一目でわかるような工夫もしている。

1?2.価値形態論について
マルクスは価値形態を全部で4つの式から構成している。アルファベットは商品である。なお、ややこしくなるため、ここでは量的規定は抜いてある。
?式 単純な価値形式 商品A=商品B
?式 全体的または展開された価値形式 A=B,C,D,E,・・・
?式 普遍的な価値形式 B,C,D,E,・・・=A
?式 貨幣形式 A,B,C,D,E,・・・=貨幣(〇〇円、〇〇ドル等)
先に引用したエンゲルスへの手紙にあるように、最も単純な商品形態が?式であり、ここにはすべてが含まれていて、資本論全体にとって決定的なものであるとマルクスは考えている。そして、?式から?式まで展開されて、貨幣が導出される。この展開において、マルクスは?式から?式の「逆転」、その際に起こるA以外のすべての商品が?式において「排除」されることを、最も難しいとしている。
「貨幣形式を理解する上での困難は等価物の一般的な形式の理解に絞られ、したがって価値の一般的な形式つまり第?形式の理解に絞られるのである。」(附録の最終節 「商品という在り方の単純な形式は貨幣形式の秘密である」より)

1?3.価値形態論の方法・前提の確認
実際のマルクスの方法としては、大きく言って以下の???の前提に立って展開させており、その結果として?の展開になっている。
? 左辺を価値表現・価値形式における相対的価値形式、右辺を等価物形式と呼び、両者は対極にある。左右が入れ替わると、形式が真反対となり、まったくの別物になる。
? ある商品は相対的価値形式と等価物形式の両方の形式を同時に取ることはできない。
? 相対的価値形式の位置にある商品は、自らの価値を表現するためには、等価物形式を取る商品、自らとは異なる別の商品を必ず必要とする。
? 等価物形式を取る商品は何でも良いのだが、人間の抽象的労働力の支出の結果として生み出された労働生産物でなければならない。
? その理由は、価値の実体は人間の抽象的労働力の支出だから。
? アリストテレスが価値概念を理解できなかったのは、奴隷制社会に生きた影響から価値の実体が人間労働であることを理解できなかったから。
? Verkehr(注1)の内部においてのみ、労働生産物は価値・商品という性質を持つ。
? 等価物形式を取る商品として、?式では任意の1つが選ばれる。?式ではA以外の全商品が選ばれる。?式ではそれが逆転して、逆に、他の全商品から排除されたAだけが選ばれる。?式ではAとして金が社会的慣習や社会的過程(注2)によって選ばれて、貨幣形式に到達する。

2.価値形態論の欠陥
価値形態論はA=Bを展開させたものである。この最も単純なものが貨幣になり、資本になり、全世界を覆い尽くすという発想のスケールはあまりに大きく、一元論の行き着く最大規模のものと言えると思う。実に画期的なものである。この始まりの部分に力を込める点にマルクスのマルクスたる所以があるだろう。
しかし、この始まりの部分に大きな欠陥があることもまた確認することができる。それは、商品Aと商品Bをつなぐ交換行為に焦点が当たっていないということだ。交換行為も労働のはずだが、それが押さえられていないのである。交換行為とは分業と言い換えても良く、社会的分業にまで至った際のその意義の大きさはマルクス自身が認めているものなので、マルクスにとっても決して軽い問題とは言えない。
この欠陥は形式・内容の両面で問題を引き起こす。何より、始まりにおける重大な欠陥である以上、資本論全体に影を落とすことになるだろう。

2?1.形式面:必然性の欠如
三つ目の項目である交換が捨象されることから、二項関係のみで展開されることになる。これが形式面での最大の問題であり、必然的な展開にできなくなってしまう。まず、二項関係だけでは商品から貨幣を必然的な形で導出できず、実際に「逆転」「排除」という方法を使っている(注3)。この導出方法では貨幣・資本が「疎外態」となり、断罪されることになる(注4)。
次に、何かある概念を導出する際にも、必然的展開ではなく、唐突に出すか、定義・前提の形で断定的な出し方をしている。例えば、価値の実体が人間の労働力の支出であることや、使用価値と交換価値と価値の関係のところなどが、重要な部分にも関わらず該当する(注5)。
そして、何より、「止揚」(aufheben)や「全体性」(Totalität)という方法を取ることができていないために必然的展開にならない、とも言い換えられる。「止揚」「全体性」といった捉え方であれば、必ず事物の意義と限界の双方を捉えることになる。しかし、「疎外態」として捉えると一面的な理解になりやすく、特に意義の理解が飛びがちになる。
本来なら、商品Aと商品Bを媒介する交換行為の中にすべてが含まれていると捉え、交換行為の意義と限界を見ながら貨幣を導出・展開するのが必然的な形式だろう。Aを生み出す労働、Bを生み出す労働、交換行為という労働の3つの労働の媒介関係として捉えるべきところ、交換行為を労働として捉える意識が弱く、むしろ悪として断罪する意識が強いために、AとBしか見えなくなっている。何かを無視・全否定する態度から必然性を出すのは難しい。マルクス自身が資本論第二版への後記に「弁証法は、・・・(中略)・・・現状の肯定的理解のうちに同時にまたその否定、その必然的没落の理解を含み、一切の生成した形態を運動の流れの中で捉え、したがってまたその過ぎ去る面から捉え、何物にも動かされることなく、その本質上批判的であり革命的である」(下線は筆者が引いた)と記しているように。

2?2.内容面:交換の軽視ないし無視
以上の形式面の問題は、内容にも影響を与える。それは3つある。
第一に、貨幣が疎外態になってしまう。マルクスの「経済学批判」のうち、「序説」は出版されていないが、その中の「経済学の方法」では、資本にすべてが含まれており(止揚されており)、経済学について叙述する際には資本から始められるべきと結論付けられている。そして、その資本を直接的に生み出すものが貨幣である以上、その貨幣にもすべてが含まれている。だが、マルクスの価値形態論では、貨幣は他のすべての商品から排除・除外されたものに過ぎず、「疎外態」になってしまっている。貨幣は商品を止揚したものとしている以上、そこには分業・交換や労働や価値の在り方も含まれている。本当ならさらに「発展」「展開」させ「止揚」される対象のはずである。マルクス自身も最も単純な商品形態の中に貨幣の秘密があると言っており、本来のマルクスもこの考え方に立つはずである。しかし、疎外態という理解になってしまうと、除去対象にまで引き下げられることになる。
第二に、商業・サービス業・経営といった営みの重さが捉えられず、その結果として剰余価値の導出が軽薄なものになっている。
例えば交換行為に勤しむ商人のことを「寄生虫」として扱っている(資本論第四章[国民文庫288頁])。資本家の経営努力も、恐らく文章としては言及が一切ない。形式面の問題で確認した、「意義」の理解がおざなりになってしまう問題がこのように現れている。
交換行為の重さを捉えられないことで、マルクスにとって決定的なまでに重要な剰余価値の導出がいい加減で軽薄なものになっている。そもそもマルクスは商品→貨幣→商品の交換行為について「この形態変換は少しも価値量の変化を含んではいない」(資本論第四章[国民文庫277頁])と述べており、交換行為を労働と見ていない。このため、形態変換の中で発生する剰余価値を賃労働者からの労働力の搾取としか捉えられない。そして、「我々の資本家はハッとする。生産物の価値は前貸しされた資本の価値に等しい。前貸しされた価値は増殖されておらず、剰余価値を生んでおらず、したがって、貨幣は資本に転化してはいない」(資本論第五章[国民文庫333頁])と書き、「我々の資本家には彼を嬉しがらせるこのような事情は前から分かっていたのである。・・・手品はついに成功した。貨幣は資本に転化されたのである」(資本論第五章339頁)と進める。
剰余価値の発生は「手品」で済ませるものではないだろう。剰余価値は交換過程において生まれるが、この軽薄な捉え方では、交換過程を真に捉えることは難しいだろう。剰余価値の発生というマルクスの問題提起は大きなものだが、これではその大きさが矮小化されてしまうのではないか。
第三に、論理と歴史の矛盾である。マルクスは商品が価値になるのはVerkehrの内部においてのみだと言う。だが、このVerkehrについては、「価値形態論」ではなく第2章の「交換過程」で言及される。また、等価物形式を取る商品が1つだけに絞られるのは社会的過程の結果とされているが、それも「価値形態論」ではなく「交換過程」で言及される。
マルクスは「経済学批判」の未出版部分の「経済学の方法」において、上向法と下降法、歴史と論理といった方法論の枠組みを出しているが、「価値形態論」が論理に、「交換過程」が歴史に該当するのだろう(注6)。「交換過程」では「経済学の方法」と同じく、共同体の縁・際で交換が始まり、そこから貨幣が生まれていくとしている(注7)。共同体間をつなぐ交換活動は文字通り命懸けの行為だったはずだが、歴史におけるその重さと、貨幣導出の論理がつながっていないように思う。歴史と論理を分けるという方法自体の是非は置いておくにしても、共同体と貨幣の歴史と論理が有機的に結合した議論になっておらず、このように分離・独立した状態では、歴史の豊かさを取り上げきれないのではないか。

【注】
1.牧野紀之によると「ドイツ・イデオロギー」では生産関係という概念の未熟なものして使われていた単語で、社会、関係、交換といったような意味。牧野は「交通」という訳語を当てている。筆者の理解ではA=Bという交換行為が成立している状態を示す言葉。
2.社会的過程の詳細は「価値形態論」では言及されず、第2章「交換過程」で扱われる。
3.その他にも、商品の「完全枚挙・数え上げ」や等式の両極の対立の「度合い」とその「固定化」で、必然性を事実上語るなどしている。
4.中井浩一『現代に生きるマルクス』でフォイエルバッハの「疎外」の立場がいかにマルクスに決定的影響を与えているかが示されている。
5.この点は内容にも大きな影響を与えているはずだが今の段階では明確に指摘できない。
6.中井浩一氏による中井ゼミでの指導による。
7.余談だが、「経済学の方法」における共同体と貨幣の関係(崩壊しつつある共同体でこそ貨幣経済が発達する、傭兵には貨幣で賃金が支払われる等)や富の源泉の発展(金属から主体性・人間労働に移行していった)についての描写は抜群に面白かった。歴史に言及している箇所でのこの面白さとマルクスの論理はどうつながっているのか。つながっていないのではないか。

2023年3月12日

2月 20

◇◆ 17 再生医療の矛盾と倫理 ◆◇ 

再生医療は困難を極めるのだが、それはなぜなのだろうか。
動物の細胞には、培養下において、全ての組織に分化し得る能力を持つ細胞(万能細胞)が存在する。しかし、これらの細胞を適切な条件で培養しても、秩序だった組織は形成されず、細胞の塊ができるだけである。それはなぜなのだろうか。
また、臓器移植では、ドナーに由来する臓器を移植する際に、拒絶反応が起こる。人体は自分と他者を厳密に区別するのだ。こうした「拒絶反応」は再生医療への大きな障害であり、再生医療とは「拒絶反応」との戦いである。
しかし、そもそも「拒絶反応」はなぜ起こるのだろうか。「拒絶反応」をただの障害、邪魔者と考えることを止め、私たちは逆に、なぜ「拒絶反応」は起こるのか、万能細胞はなぜ組織にならないのか、その意味を深く、深く理解する必要があるのではないか。私たちが何者であるかを理解するためである。

再生医療の問題を考えるには、生物の進化の過程を考える必要があると思う。私たちの地球の歴史である。
地球は物質で構成されていたのだが、ある段階で生命が生まれた。生命にはその「中心」、つまり「目的」が明確な形で現れて来る。それは自己保存、自己保持である。つまり「生きる」こと、「生き続ける」ことである。
生命は単細胞から始まった。そして単細胞が集まって多細胞の生物が生まれる。細胞が全体の中に組織され、より機能分化が進んだ生物が生まれる。すべては目的を果たすためだが、この進化の過程で個々の細胞の自立性は失われていく。生物の目的、生きるために、その部分は全体の要素としての機能を果たすようになる。目的のためのものでしかなくなる。
こうした生物の進化の最初の段階は植物である。植物では基本的には組織切片から全体を再生することができる。挿し木を思えばよくわかることだ。これは自らの成長過程を、元に戻して再生できるということだが、それは原始的な機能を持っているから可能なのである。
しかし、動物が生まれ、さらに人間が生まれてくる過程で、こうした再生機能は失われていく。動物では、受精卵以外の組織はこうした能力を持たない。トカゲのしっぽ切りが有名だが、それはしっぽだけの再生であって、自分の丸ごとの再生はない。
物質から生命が生まれ、植物から動物、人間が生まれるまでの過程は、後者は前者の低さを克服(止揚)していく過程であり、よりよい機能分化、機能の高度化の過程である。その過程では、原始的な生物の持っていた機能(例えば再生機能)は失われてきた。進化の過程は高度化をめざすバトンリレーであり、そこでは何かを犠牲にして、高度化が進んできたのであり、それをもとにもどすことはできない。
しかし、ではその進化の目的とは何なのか。なぜ進化が起こり、機能分化が進み、高度化が進むのだろうか。なぜ人間は生まれたのだろうか。人間は他の動物と同じく、ただ生きるために、生き続けるために存在しているのだろうか。人間とは何なのか。
ここで人間の使命、進化の意味が問われる。これにどうこたえるかで、再生医療への評価はまるで違うものになる。
地球から生命、植物、動物、人間と生まれてきた。この地球の進化の最先端にある人間は、ついに自己意識(「自分とは何か」)を持ち、思考の能力を形成し、認識ができるようになった。
その目的は、自然界の進化・発展の意味を理解し、その全過程を完成させることである。その全過程に対して責任を持ち、その完成を実現するのが人間の使命なのではないか。
したがって、人間がその使命をはたさないで、人間だけの幸せを考えることは許されないのではないか。

 ここでヘーゲルの力を借りたい。彼の『精神哲学』は精神(人間)が地球からどのように進化してきたか、その進化の意味と、人間の使命を説明する。その『精神哲学』から生物の発生と、植物から動物までの進化の過程の説明部分を引用する。

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生物(植物)
 〔ここまでは物質について触れてきたが、物質の最後に言及した「中心」がより明確に現れるのが生命を持つものである〕。生物においては、生命を持たないものを支配している必然性より、もちろんより高い必然性 が現れる。すでに植物にあっては、その〔個体内において〕中心が周辺(葉脈や神経など)に注がれ、〔逆に〕諸区別は中心に集中されている。〔他方で、その成長発展の過程でも〕内から外に向けての自己展開が起こり、自己自身を区別し、そうした諸区別からつぼみができ〔次の種子ができる〕ということで、自己を一つの統一した植物として次々と外に現わしていく 。これは植物の「衝動」 といっても良いだろう。
しかしこの統一性〔生命のサイクル〕は不完全なものにとどまる。なぜなら植物が分肢していく過程は植物の主体が自己を外化するものであるが、その各部分は〔それぞれ〕その植物全体であり、同じもの〔全体〕の反復であり 、したがって各分肢は〔自立的であり、その植物という〕主体の統一性の下に完全に服従しているのではないからである。

動物全般
こうした外的自立性の克服 について、植物よりもさらに歩みを進めた のが動物の有機体である。動物にあっては各分肢は他の分肢を生み出し、すなわち各分肢は他の分肢の原因であり結果であり、手段と目的であり、従って自分自身であると同時に自己の他者 である。〔しかし、これだけなら植物と同じである。ところが動物は〕それだけではなく、その全体 が自らの統一性(中心)によって貫徹されており、そのために全体の中に自立したように現れるもの〔動物の各分肢で〕はなく、各規定〔動物の各分肢〕は同時に観念的なもの 〔動物全体の契機として〕であり、動物は各規定〔動物の各分肢〕に分かれていても、同じ一つの普遍性〔全体の目的、生命保存〕にとどまり、したがって動物の肉体において相互外在性は全くの非真理である ことが明らかになる〔相互外在性は止揚され、全体の契機になっている〕。
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以上は『精神哲学』第381節(岩波文庫では第5節)。訳文、小見出しは中井。

「植物の各部分は〔それぞれ〕その植物全体であり、同じもの〔全体〕の反復であり 、したがって各分肢は〔自立的であり、その植物という〕主体の統一性の下に完全に服従しているのではないからである」。
挿し木が、この具体例である。葉や枝から全体が再生する。ここでの論理がクローン技術、再生医療の論理である。
動物は「全体が自らの統一性(中心)によって貫徹されており、そのために全体の中に自立したように現れるもの〔動物の各分肢で〕はなく、各規定〔動物の各分肢〕は同時に観念的なもの 〔動物全体の契機として〕であり、動物は各規定〔動物の各分肢〕に分かれていても、同じ一つの普遍性〔全体の目的、生命保存〕にとどまり、したがって動物の肉体において相互外在性は全くの非真理である ことが明らかになる〔相互外在性は止揚され、全体の契機になっている〕」。
私がここで考えたのは人間の再生医療、「臓器移植」などがなぜ難しいかの根拠である。植物の段階では各部分は相互外在的であり自立性が高く、相互に入れ替えが可能で、全体の再生も可能だった。全体の契機になっている程度が低いのだ。動物、ましてや人間は、各部分の自立性は低く、相互の入れ替えや全体の再生は不可能で、他の動物(人間)との入れ替えもムズカシイのだ。それは部分が全体の契機になっている程度が高いと言える。
そして人間に到っては、個々の個体が自己を完成させ、他者との間に絶対的区別を持つ。それが自己意識を生み、個性がそこに確立する。それは自分が自分以外の何者でもないこと、自分は自分という一回性の生を生きるものであることを意味するのではないか。そしてこの個体性が各人の自立性の根拠であり、各人の思想の独立性へと発展していくのである。
同時にまたそれが「拒絶反応」を引き起こすのである。人間が自分以外のものを拒否する機能は、人間が自己意識を持った証であり、地球の進化の最先端にあることの証でもあるのではないか。

人間の尊厳性とは何を意味し、何を根拠とするのだろうか。
それは、人間が自然の進化の過程の最先端にあることであり、人間を生んだ目的であり、人間の使命である。この地球の全自然過程を完成させること、それが人間が人間であるという意味なのであり、ヘーゲルはそれを人間の概念と呼んだ。
そうであるならば、人間が自らの概念を実現する努力をし続けている限り、物質から人間が生まれるまでの過程は、基本的には正しかったことになる。
ところが、再生医療とは、この進化の過程に抗い、それをもとに戻す試みなのである。人間をまた植物レベルへと戻すこと、退行させることなのである。
私はそれは基本的に間違いであり、絶対的には無理があるのだと思う。私たちは植物レベルに戻らないし、戻れないのではないか。
私たちは自分の使命に責任を持つべきであり、自分を生み出した進歩、進化の過程に責任を持つべきではないか。それが再生医療における「倫理」、クローン技術、遺伝子操作における「倫理」なのではないか。
もちろん、人間の使命、その概念の正しさは、私たちが何をするかで決まることである。私たちはどちらを選択するのか。概念の実現を自らの目標としその使命を全うするのか、できずに終わるのか。それこそが私たちの最後の倫理であり、正しさの基準なのだ。

2023年1月31日