10月 30

10月22日、23日の2日間。中学・高校の先生方に「論理教育」のワークショップを行いました。1日に3時間ずつの、ハードなものでした。また、26日には同じ先生方に中学・高校6年間の「表現指導」について講演しました。
インプットとアウトプットの両面で、私の考える教育の理念と具体的方法論をお伝えしました。

これは、東京都立の桜修館中等教育学校で行ったものです。
ここは、中高6年の一貫教育を行っている学校ですが、「論理教育」を理念に謳っています。全校挙げて、全教員による論理教育を試行しています。
その理想の実現のために、私のワークショップと講演は行われました。

桜修館中等教育学校は、都立大学附属高等学校として創立されましたが、この間の都立高校の再編統合によって、4年前(平成18年4月)に中等教育学校(中学・高校の一貫教育校)として再スタートした学校です。各学年4学級(160人)で、6学年合計24学級(960人)の規模。

その売りは「論理教育」で、「本校は、論理的に考え、表現、行動するリーダーを育成し、国際社会で活躍する人材を輩出することを目指します」とあります。
全校でのこうした取り組みは画期的なものです。
また、新しい学習指導要領では全教科での言語活動を謳っていますが、この学校の理念は、その先取りになっています。

昨年に中学3年間の取り組みが終わり、今年は1期生が高1になりました。
来年度には彼らが高校2年になり、全員が「論文」という大作に挑戦し、それを全教員が担当します。
今年は、中学3年間の取り組みの総括をし、来年の論文指導に備える重要な年です。そこで、私の方法論に賛同していただいた須藤勝校長や一部の先生方の要請で、今回のワークショップと講演会が実現しました。

今後、どのような形で、論理教育と表現活動が行われていくのか、実に楽しみです。

10月 18

 この夏に行われた「日本作文の会」全国大会の高校分科会で、鹿児島の中俣勝義氏、都立江北高校定時制の木村信太郎氏の実践から考えたことをまとめました。

◇◆ 刺激的な出会いと学びのあった大会 中井 浩一 ◆◇

 この夏の大会では、刺激的な出会いがあり、学ぶことが多かったと喜んでいます。
 
? 鹿児島の中俣勝義氏

 鹿児島県の中学での実践家として有名な中俣勝義氏との出会いは嬉しいものでした。
 彼は定年後、医療福祉専門学校で「文学」と「教育学」の授業を担当されており、その実践報告をしていただいた。学生は10代から30代までの多様な人々。
  『蟹工船』をテキストにした「文学」の授業では、今の日本社会や、自分の生き方を見つめ直すことを促して、成功しているようでした。
  「教育学」では、その多様な学生に、中学の実践から生まれた生徒作品を整理し、それをぶつけることで、各自の生き方・考え方を見つめ直すことを求めるものでした。受講者からのすばらしいコメントが生まれていました。
 実は、この大会で中俣氏が報告すると聞き、直前に氏の中学での実践記録『先生!行き場がない』(1995年。エミール社)を読んで、心を動かされていました。私の実践と似ていることに驚き、また励まされたのです。それは以下の3点です。

(1)公開の原則
(2)認識の深化のために、観点を与えての書き直しを重視する
(3)生徒同士の読み合いを重視する

 特に、(1)と(2)は私と同じ考え方の方が少ないので、心強く思いました。(1)は(3)のために不可欠です。私は公開か非公開かは生徒の側の選択権だと考えるので、それを教員が奪うようなことは間違いだと思っています。(2)は生徒の認識を深めていくために不可欠と思っていますが、なかなか行われていません。
 中俣氏が医療福祉専門学校で行っている「教育学」の授業では、30代の女性から次のようなコメントが生まれています。

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 私は高校を卒業し、4年大学へ行き、社会に出て、また今、学校に通っています。年を重ねていますので、高校生あたりから自分のことについては、かなり受けとめられるようになってきたと思います。でも、まだまだ未消化で、何かあると自分のことを思い出して、それをずっと考えてしまいます。しかし、以前のように、悲しいこと辛いことの中心に私がいて、そこから抜け出せないということではありません。心の傷は確かにありますが、普段は、哀しみ辛さを脇に避けて置くことが出来ます。それはこれから自分を作っていけるということ、傷を受けとめ、前に進めるということであると思います。
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 この後半部分に私は注目したいのです。「心の傷は確かにありますが、普段は、哀しみ辛さを脇に避けて置くことが出来ます」。これは大切なことです。それは「逃げ」でも「無視」でもありません。いったん「脇に置く」のです。そして初めて、「これから自分を作っていける」のだし、「傷を受けとめ、前に進める」のです。いったん「脇に置く」のは、真にそれに向き合い解決していくためです。
 
 30代の著者が、こうした認識を獲得できたのは、中俣氏が中学生から引き出した作品群を読み合い、みなで考えることによってでした。その作品群は、中学生たちがみなで読み合い書き直しを経て生まれた物です。そして、専門学校での4カ月の授業でも、毎回授業後に感想を書きます。それが10数回積み上げられて、最後の回に、彼女はこうした認識を表現しています。
 表現指導の持つ力、可能性がしっかりと見えました。そのために必要な条件も明らかだと思います。

? 都立江北高校定時制の木村信太郎氏

 都立江北高校定時制の木村信太郎氏の実践では、全生徒の作品を毎年「江北文集」にまとめて刊行しています。ここでも基本的に、実名での公開が原則であり、教員の皆さんも本音で書いた文章を寄せています。        
 そこから、次のような文章が生まれています。

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友の話

 今の僕がいるのは、今までに出会ってきた人たちがいたからです。昔、僕は小学校に入学する前に、よっちゃんという人と万引きをしまくっていた。それが最初の悪い事で、そのことがあって警察につかまったのも小学校入る前で、小学校入学してからは、うそつき健太と呼ばれていた。マジ、うそつきまくっていて、友達はよっちゃんて人しかいなかった。小二までがそのままで、小三になってクラスのみんなとケンカばっかしていて、その時に一対一をおぼえたのだ。女の子に恋というものをしたのだが、女も男もクラスの人からは、まじきらわれていて恋とかいっている場合じゃないことだと思っていたけど、おそかった、と思ったら一人の男子の子がクラスのみんながオレのことを責めているところ、オレに味方してくれて、そのときまじうれしかった。そしてはじめての親友ができた。そのときクラスのみんなとはじめて仲良くなれたときだったんだよ。それから学校が楽しくて楽しくて、まじ学校がいいとこだと思った。だけど、母のことがあって、学校に行けない日が多くなってきて、先生もそのことで心配してくれたし、友達も心配してくれた。そして、なんとか小六の時は、安定して学校に行けるようになった。楽しいことのあとには卒業という別れがおとずれ、その時、自分は大人への一歩なんだと心の中で思いつつ、とても悲しい気持ちで卒業式をむかえ、はるばる卒業したのです。 そして中学生となりました。中学では、案外かんたんに友達ができて、ばか騒ぎしまくったり楽しい毎日ですが、悪いこともおぼえたりした。タバコに酒やケンカもしたり、小学校ではしてはいけませんっていっていたやつをやったり、放火して父にぶっ飛ばされたりもありました。先公がうざくなったり、他校に乗りこんだり、バイクパクったりしたし、女ってもんもおぼえたりしたし、よく警察につかまったりもしたけど、なんだかうまくいって、鑑別に入ってなくてよかったし、行かされなくて中学の友達はみんあ本当にいいやつばっかだったよ。今でもみんなとつるんだりしてるし、なんていうか楽しかった中学校も、高校は、もっといいやつらと友達だと思ったよ。僕のことをいつも心配してくれて電話してきてくれるやつもいたし、よく言いあいになって怒るけど、仲良くなるのがすごく早いやつもいたし、いつもいっしょにいるやつもバイク乗ってて面白くていいノリの人も、かつぜつ悪いやつも、年上なのにとてもやさしくしてくれる人も、おれまじで高校の友は生涯の友だと思ってる。まじいいやつばっかでした。
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 「仲良くなれたときだったんだよ」「中学の友達はみんあ本当にいいやつばっかだったよ」「高校は、もっといいやつらと友達だと思ったよ」などの文末のことばが、私は気になります。この呼びかけは誰に向けられているのでしょうか。なぜ呼びかけているのでしょうか。

 この作文は授業中に書かせたものでしたが、著者は夢中で書いていたそうです。そして、この文章を書いてしばらくして彼は退学したとのことでした。彼は、この文章を書いている時点で、すでに退学の決意を固めていたのでしょう。彼は、この文章が退学後、刊行されて定時制の友たちに読まれるだろう事を意識して、この文章を書いていると思います。

 この文体の中に現れる「呼びかけ」は誰に向けられたものでしょうか。それは自分に対してでしょう。これは「自分とは何か」の答えを出すためのもの、自己確認の文章です。友について語ることは、それを通して自分を語ることに他なりません。直接自分を語るのでないだけに、それは冷静に自分を見つめることを可能にします。
 しかも、それは自分に語りかけているだけではなく、やはり定時制での仲間の一人一人を思いだし、その一人一人に語りかけ、自分との関係を確認しているのです。それが自己確認に他ならないからでしょう。仲間への呼びかけを通して、それは自分ときちんと向き合うことができています。その友との関係が大切なものだからでしょう。
そして、その自己確認を終えて、彼は退学し、次の道を歩き始めました。

 私の解釈が合っているかどうかはともかく、こうした文体の意味にも着目し、その意味を考えていきたいものです。

9月 22

今回の学習指導要領には画期的な点があります。

第1に、言語活動(思考、判断、表現)を教育活動の中核とし、すべての教科で指導すべき、とした点です。
第2に、その教育活動の中心に国語科が位置づけられたことです。
  第3に、リアルな現実、生徒の体験が重視されたことです。

 これは、これまでの学校教育、国語科教育の大きな課題の克服をうながすものです。

 課題とは、学ぶ対象が リアルな現実ではなく、抽象的で一般的なきれいごとでしかないことです。つまり、現実の社会問題や、現実のクラス・学校・地域の問題が軽視され、生徒自身の体験、生き方が問われることが少ないことです。
 また、それらを取り上げても、問題や陰の部分や本音に突っ込むことがなく、きれいごとや建て前に終始することです。

 また、その学び方にも課題があります。それが情緒的・感覚的・文学的で、思考によって分析・判断することが極めて弱いことです。

 それが今回、大きく変わることが期待されます。特に、国語科は、他教科の思考、表現を指導することを要請されたのです。変わらないわけにはいかないでしょう。

 これまでの国語科は、思考力をなおざりにし、文学教育と道徳教育に成り下がっていました。それを改革し、理科や社会、英語や数学、家庭科などの教科での表現、分析、読解をリードすることが求められています。もともと、すべての表現とその根底の思考力を教えるのが国語科であるべきだったのです。

 今のままの国語科が、理科や社会に適切な表現とは何かを教えられるでしょうか。こうしたことをめぐって、大きな混乱、議論が起こるでしょう。それは避けられない過程なのですが、その意味がわからないと、またバッシングを受けるでしょう。

 全国の高校現場の心ある先生方、是非協力して、この課題の克服のために努力していきましょう。

 昨日のブログで書いたように、新しい学習指導要領についての座談会に出ました。私見について、詳しくはそちらをご覧下さい。大修館書店のPR誌『国語教室』90号、本年11月に発行予定です。

9月 21

9月18日に、大修館書店のPR誌『国語教室』の座談会に参加しました。

新しい学習指導要領を入り口にして、これまでの国語教育、学校教育の問題点、その改革の可能性を論じ合いました。

他の出席者は以下の3人の教員です。
・藤森裕治氏(信州大学)
・釜田啓市氏(清真学園)
・臼田悦子氏(長野県野沢南高等学校)

『国語教室』は高校の国語教科書の販売促進のためのPR誌で、座談会は90号、本年11月に発行予定です。

座談会には高校現場から二人の参加者がありました。これまでの国語教育批判、学校教育批判において、私だけが浮いてしまうことを心配していました。しかしお二人(特に釜田氏)とは、基本的に考えが一致していました。心強く思いました。

8月 03

 7月31日から8月2日まで、日本作文の会の全国大会で長崎に行って来ました。
 私が代表を務める「高校作文教育研究会」が、2日間の高校分科会をそこで開催するようになって7年。これまで毎年、実践報告をしてきました。
 参加者は長崎、鹿児島、兵庫、高知、神奈川、東京、茨城などから、15人ほど。
 
 私は、今年は「聞き書き」について報告しました。
 自己理解のための、対象・社会理解。そのためには、社会理解(現場取材とインタビュー)で、現実認識を深めて、自分自身の問いを立てる必要があります。
 そこでは、現実認識が上っ面にとどまらないための厳しい指導が必要だ、と話しました。それでこそ、自己理解が深まるのだと。(内容は拙著『脱マニュアル小論文』の第3章を踏まえたものでした)
 参加者からは好評でした。
 
 鹿児島県の中学での実践家として有名な中俣勝義氏も報告してくれました。定年後の福祉専門学校での「教育学」と「文学」の授業の実践報告でした。学生は10代から30代まで。
 「教育学」では、その多様な学生に、中学の実践から生まれた生徒作品を整理し、それをぶつけることで、各自の生き方・考え方を見つめ直すことを求めるものでした。受講者からのすばらしいコメントが生まれていました。
 『蟹工船』をテキストにした「文学」の授業でも、今の日本社会や、自分の生き方を見つめ直すことを促して、成功しているようでした。

 実は、少し前に、氏の中学での実践記録『先生!行き場がない』(1991年。エミール社)を読んで、心を動かされていました。
 私の実践と似ていることに驚き、また励まされたのです。
 それは以下の3点です。
(1)公開の原則
(2)認識の深化のために、観点を与えての書き直しを重視する
(3)生徒同士の読み合いを重視する

 特に、(1)と(2)は私と同じ考え方の方が少ないので、心強く思いました。