4月 22

「福島県立小高工業高校の1年を追う 18歳の決断」

福島県の小高工業高校の、震災後の1年を振り返る連載が
週刊『金曜日』の4月20日号から始まりました。

3回の連載で、タイトルは「福島県立小高工業高校の1年を追う 18歳の決断」です。
「18歳の決断」とは、インパクトのあるタイトルですね。
編集部の作品です。

小高工業高校は福島県の相双(相馬、双葉)地区唯一の工業高校。
卒業生の2割(約40人)は進学、8割(約160人)は就職する。
例年一二月には就職内定一〇〇%を達成している。
就職の内訳は3割が県外(東京を中心)で7割は南相馬市を中心とする、いわゆる地元(自宅からの通勤が可能)であるが、
その中でも最優良企業である東京電力とその関連子会社に就職できることが売りだった。

東電の福島第一原発事故のため、原発から二〇キロ圏内にある小高工業は閉鎖された。
混乱の中で小高工業では福島県内五地区(会津、県南、県北、いわき、相双)すべてにサテライト校を設置し、
五月九日から開校した。しかし約200名の生徒が転向を余儀無くされ、在籍数は600人から三九〇人まで減少した。

その生徒たちの避難生活、就職活動、野球部の活躍、サテライト校の困難。それを主に生徒の視点から報告します。

昨年の7月から、私は被災地を取材して回りました。
福島県にもずいぶん訪れ、今年の1月、2月は毎週のように通ってきました。
そうした取材の1つの成果が、今回の連載です。

来月、月刊『高校教育』でも6月号から、
震災後の福島県の県立高校の被害の実態と、復興へ向けた努力をリポートします。
約1年の連載予定。こちらでは、学校の運営、経営という視点から考えてみるつもりです。

3月 05

日本の諸問題を海外に発信するための多言語ウェブサイトnippon.comがあります。
その教育問題特集に寄稿しました。

私の問題提起は、日本ではなかなか受け入れられないので
海外からの反応に期待しています。

全文は以下から読めます。英語版なども今後掲載されていく予定です。

http://nippon.com/ja/in-depth/a00601/

「学力低下」論争と「ゆとり」教育を検証する 中井浩一

1990年代末、日本の子どもたちの「学力低下」が問題視され、大きな論争が起こった。論争の結果、文部科学省は「学力低下」の原因とされた「ゆとり」教育からの政策転換を余儀なくされた。脱「ゆとり」の新学習指導要領が実施され始めた今、「学力低下」論争と「ゆとり」教育を振り返る。

1月 16

昨年12月29日には、ゼミ生と1年の振り返りをしましたが、
 そこで話したことをまとめました。

「謙虚」と「傲慢」 

 すぐにあやまる人がいる。すぐに反省を口にする人がいる。
しかし、こうした人をよく観察すると、本当に反省しているわけではなく、
問題点の改善はされていないことがわかる。謝りながら、実は問題を
スルーしてごまかし、ただ流しているだけなのだ。

 私は、こうした人たちの反省や謝罪に、とても軽薄な印象を受ける。
そこに「間」がないからだ。人は、気付かなかった事実や批判を
受け止めるには、少しばかりの時間が必要だろう。その批判が
核心を突いている時は、しばし沈黙するのが普通なのではないか。
そうした間もなく、すぐに謝り、すぐに反省の言葉を出すのは、
問題をきちんと受け止めようとしていないからだろう。
その結果、同じ過ちを繰り返し、同じ反省をし続ける。

 こうした人は実に多い。こうした人は、一見「謙虚」そうだが、
実際はとても「傲慢」なのだと思う。

 他方で、いつも自己卑下をする人がいる。
いつも自信無げでおどおどしている人がいる。

 こうした人たちも、普通は「謙虚な人」と言われる。
しかし、こういう人もまた、実はとても「傲慢」なのだと思うようになった。

 こんなことがあった。ある人はいつも自信がなく、
自分はきちんとしていない、普通の人ができることができない、
ダメな人間だなどと言っていた。しかし、ある日、見かねて
カウンセラーに行くことを薦めると、「自分が行くのは大げさなのでは
ないかという気がする。私の状態はそんなに深刻ではない」と言うのだ。
この時に、初めて、この人の傲慢さが見えた。

 こうした人は、いつも自信がなく、他人と比べて自分を責めて、
おどおどしているように見えるが、他方では、すごく傲慢で、
他人と比べて、自分はそれほどひどくはないと、安心してもいるのだ。
「きちんとした社会人」ではないが、「きちんとした病人」ではない。

 この「きちんとした」が問題だ。
その判断の基準は、他者や世間や親の基準でしかないからだ。
こういう人は、世間の基準を鵜呑みにし、疑うこともなく、
それに従って生きている。それが自分の実感に合わなかったり、
変だと感じることもあるはずだが、自分独自の基準を作るまでには至らなかった。
世間の基準に従っている方が楽だからであり、それに対立しながら、
自分自身の基準を作ることははるかに厳しく難しいことだからだ。

 その結果、すべてをこうした世間の基準、枠組みから、見ることになる。
しかし、それは自分自身の実感や、心の動きを抑圧することにもなる。
その結果は、ノイローゼであり、心の病に至るだろう。
いつも自信がなく、おどおどするのは当たり前なのだ。

 こういう人は、自分の実感、自分のハートの声に耳傾けることがなくなっていく。
しかし、それを生きていると言えるだろうか。生きる実感とは、
自分の五感に責任を持つことから始まるだろう。
それを放棄してしまえば、あとは自動人形になるのではないか。

 それは人生に対して、自分に対して、他者に対して、生命に対して、
限りなく傲慢で、不遜で、不誠実なことではないだろうか。

1月 13

1月10日発売の雑誌『中央公論』の2月号に

東北大、福島大、岩手大の、震災後の復興支援活動と、法人化の関係を書いた。

久しぶりの原稿だったことと、震災、津波や原発事故という大きな課題に向き合ったこととで、取材中も書きあげるまでも大変だった。

取材中は、震災への対応や原発について考え、普段見えなかった私たちの社会の課題を考え続けた。

拙稿では、紙数の関係で、詳しくは述べられなかったが、
6月に、新書の形で、詳しく私見を発表するつもりだ。

12月 24

12月21日が、原稿の校了だった。

来年1月の発売予定の雑誌『中央公論』の2月号の原稿で、東北大、福島大、岩手大の、震災後の復興支援活動と、法人化の関係を書いた。

久しぶりの原稿だったことと、震災、津波や原発事故という大きな課題に向き合ったこととで、取材中も書きあげるまでも大変だった。

取材中は、震災への対応や原発について考え、普段見えなかった私たちの社会の課題を考え続けた。

拙稿では、紙数の関係で、詳しくは述べられなかった。

新書の形で、詳しく私見を書くつもりだ。