10月 16

10月11日から14日まで、福島県の、被災時の状況、復興への取り組みを取材しました。

高校現場、県教育委員会、福島大学を取材しました。

成果は、雑誌や本で発表する予定です。

1月 24

『教職研修』誌の2月号に「大学と教育委員会のパートナーシップ」について書きました。

「大学と教育委員会のパートナーシップ」は『教職研修』誌で連載されているシリーズもので、

理論編4回、
実践編 各大学2本、計12回
福井大学、鳴門教育大学、大阪教育大学、
岐阜大学、岡山大学、兵庫教育大学 
総括編 3回

と続き、私の原稿はラストの総括編の1本として書いたものです。

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実践知と自己教育

(1)画期的な連載
(2)実践と実践知
(3)オープンな雰囲気と緊張感
(4)外部への発信の意味
(5)外へのアピールの仕方
(6)すべては自己教育

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(1)画期的な連載

 この連載の目的は、この連載の企画者である大脇康弘の連載初回の論考で明らかにされている。「大学と教育委員会の連携の成果と課題について実践的研究の視点から考察し、今後の連携の可能性と問題点を明らかにする」。
 私は、このテーマ設定をすばらしいと思う。これこそが、実践知が発揮されるテーマだと思うからだ。そして、こうした内容を、教育委員会や文部科学省に向けた報告書ではなく、本誌のような学校現場の方々を読者とする場で発信しようとすることに、大脇の実践知の凄みを感じる。
 「大学と教育委員会の連携の成果と課題」は、このような連載自体のなかに、端的に示されることになるだろう。ここでは何が書かれているかよりも、何が書かれていないかにその本質があらわれやすい。書かれたことの成否より、書かれなかったことの意味により多くの課題が見えるだろう。
 私は私塾経営者であり、大学や高校などの教育改革について発言してきた。「内部」の利害関係者が言えないことを、「外」から自由に客観的に発言してきたつもりだ。今回も、そのスタンスで私見を率直に述べたい。

(2)実践と実践知

 今、大学と教育委員会の連携が求められる時代背景については、この連載でも述べられているので繰り返さない。ただし、この連載に登場したのはすべて教員養成系の国立大学であることを確認しておく。それは都道府県の教育界の中心にあるが、他方では長く文部科学省の支配下にあった。その責任と自立が求められている。
 文科省から教員養成系の国立大学に求められたのは、教育委員会との連携と、学校現場や教育現場の問題を解決できる実践的な研究と教育であった。それは、一九九九年以降に文科省から出されたさまざな答申や報告書で示されている。
 大学の使命は教員養成だが、教員の採用や研修は教委の所管で、それぞれがばらばらに行い、そこには連携がなかった。教員養成から採用・研修までの一貫した体制や考え方が必要なのは当たり前であり、そのための連携は当然のことだ。そこから、地域の教育目標、理想の教師像などの確認や、大学や研修のカリキュラム、採用基準などの話し合いが必要になる。そして、両者の連携は、今ではこのレベルには到達しているところが増えてきているようだ。しかし、それは政策レベルでの連携でしかない。
 大学から送り出した卒業生が教員として赴任する学校には、現実の諸問題が待ち受けている。ところが、そうした問題に、大学が直接かかわることは少なかった。学校現場の問題解決に直接に役立つような教育と研究が大学に求められたのは当然だろう。そして、そうした試みもすでに行われている。
 新たに設立された教職大学院では、現職教員たちが現場の問題を抱えて学びに来るのだから、そこでの教育・研究が現場の問題を対象にすることは当然だ。こうして、大学には実践的な研究と教育が求められるようになった。現職教員が対象だから、大学と教育委員会の緊密な連携が必要になる。いずれも当然のことで、遅すぎたことばかりだと思う。
 しかし、懸念もある。こうした動きが、文科省による上からの強烈な指導と、逼迫した財政面から実現している点だ。大学や大学の教員たちによる自発的な動きならよいのだが、上から言われて行うような研究・教育にはろくなものはない。それは、表面的には現場の問題を取りあげるが、現場を政策的に振り回すだけの結果に終わりやすいだろう。
 そもそも、実践とは、自分の置かれた現場に問題があり、それを問題として感じた当事者から自発的に生まれるものだ。実践知とは、そうした実践を反省したものでしかない。したがって上からの強制だけから、実践知が生まれ育つのはむずかしい。実践知とは、自発的なものであり、学校現場の、教育現場の、地域の問題に迫られて始まるものなのだ。
 もちろんそうした実践と実践知と連携は、心ある関係者によって以前から行われてきた。たとえば、岐阜では、県教委の出先機関だった教育センターの服部晃(連載第四回)と岐阜大の教育学部附属カリキュラム開発センターの教員たちの信頼関係は一九八〇年代から育まれたものだ。そして、問題意識(教員養成から採用・研修までの一体的な運用)の共有があり、九七年には連携協力協定書が結ばれている。文科省がそうした指導を行うかなり前である。
 福井大の教育学部が、福井県教育委員会の指導主事と、不登校児などを対象とするライフパートナー事業を立ちあげたのは九三年のことだ。当時県下で急増した不登校児への支援が緊急課題になったからだ(連載第五回)。
 これらに遅れたが、大阪教育大が大学・学校・教育委員会をつなぐ「スクールリーダー・フォーラム」を開始したのは二〇〇三年。夜間の大学院の学生(現職教員たち)が多様化したことへの対応に迫られて、自発的に生まれた研究会が、これらの活動の主体である。その中心の大脇康弘は、長く府立高校長たちの学習会のまとめ役を務め、現場の課題に精通していた。大脇は、大学と教育委員会との意見交換(ときに事業の共同参画)や研究者や教委スタッフ共同の学校訪問・支援といった双方向的協働関係を模索したかった。学校現場を中心とした連携だ。(連載第九回、第一〇回)。

(3) オープンな雰囲気と緊張感

実は私は、「スクールリーダー・フォーラム」にゲストとして参加したことがある。2009年の第8回の時だ。「府立高等学校経営革新プロジェクト事業」の3年間にわたる成果を総括するのが目的だった。
「経営革新プロジェクト」は、府教委が主催する事業で、府立高校の中堅校21校が参加し、中堅校の特色作りに取り組んだ。「特色作り」といっても、それぞれの学校の具体的な課題を明らかにし、その解決に取り組んだ。眼前の高校生たちの抱えた課題、それに全校で取り組む。学校の個性とはその結果生まれるものでしかない。
中堅校は多様なために、教育成果をどう考えるかが大きな問題として浮かび上がってくる。一般に「改革」に成功した学校は「偏差値」があがり、「良い生徒」が集まる。しかし、その分は必ず、どこかの高校が下がることになる。私立ならばいざ知らず、公立校がそれでは意味がない。大阪ではこの矛盾の答えを出した。「入学した生徒が3年間でどれだけ伸びたか」で競い合うと。
ここに基準を置けば、すべての学校で可能であり、どこが上がった下がったという基準とは別に、絶対的な基準を用意することができる。
 このフォーラムでは、各学校の内情を隠すことなく、本音レベルでの報告がなされ、また討議も率直な意見交換が行われる。オープンな雰囲気がそれを可能にするのだろう。しかし、オープンではあるが、緊張感は維持されている。
他者への批判は、そのまま自分に跳ね返ってくる。教育委員会は現場を批判するだけではなく、現場の支援ができているかどうかが問われる。現場からだけではなく、大学の教員からの批判にも応えなければならない。学校も、支援を得られる一方で、外部からの批判にさらされ、課題などの内部事情はオープンにされる。大学の教員にとっては、自分の研究のための現場の調査やデータ収集ができるのはメリットだが、その学問のレベルは厳しく問われる。現場で有効な理論を提示できるかどうか。こうした緊張関係の中から、和気藹々とした雰囲気が生まれている。それがとても尊いことだと思った。
大脇は、こうした連携が成功する条件として、大学・教育委員会・学校の三者の違いを尊重し、学び合うことが必要であるとまとめている(連載第三回)。

(4)外部への発信の意味

 しかし、なぜ、こうした連携論を本誌のような学校現場の方々を読者とする場で発信するのだろうか。それは、教育委員会や文部科学省に向けた「内向き」にではなく、外部へのアピールをするためである。
 こうした外部への発信は、関係者のモチベーションになる。また、公開することで、内部への緊張感をもたらし、問題を隠すことへの牽制の機能を果たす。そして、一番重要なことは、外からの評価や批判・圧力でしか、内部は変わらないという事実である。
 このことは、実践で苦労している方ならみな、知っている。
 そもそも、連携論がなぜ問題になるのか。以前から大学の教員が個人として、教育現場や教育委員会と連携する例はあった。一部ではあるが熱心な教員もいたのだ。何がなかったかというと、大学という組織と、教育委員会という組織とが、「組織的」に活動することだ。今問題になっているのはこのレベルである。そのむずかしさとは何か。自らが属する組織を組織として変えていくことのむずかしさである。
 個人的な活動である限り、個人のレベルにとどまり、組織の問題は表面化しない。しかし、今回のような組織としての連携では、組織の問題が隠せなくなる。内部を変えることが迫られる。それができない限り、元のような個人レベルに戻るしかないのだ。
 したがって、連携の成否は、それぞれの組織内部の組織としての変化でチェックされるだろう。それは制度面と意識面の両方である。学生に関する教育内容やカリキュラムなどの変更は、そのまま組織の制度面の変更を伴うことが多い。逆に言えば、制度面の変更がなければ、「絵に描いた餅」に終わりやすい。
 今回の連載で、自らの組織内部の事情や制度面の変更について言及した例が少ないことは、まだまだ課題が多いことを推測させる。大学人は、大学内部の組織や制度の問題をほとんど語っていない。それを行っているのは教育委員会の関係者である。
 たとえば、岐阜県教育委員会の教育センターの服部晃は、教育委員会の組織変更を行い、教育センターを格上げすることで、自らの権限を強化して連携を押し進めた。その苦労をもとに、教育委員会の組織内部の意志決定の過程を具体的に説明している(連載第四回)。同じく岐阜県教育委員会の教職員課の早川三根夫も、岐阜大学との交渉のなかでの教育委員会側の動きを率直に述べていて興味深い(連載第一二回)。
 大学人が、こうした語り口を獲得するのは、いつの日なのだろうか。

(5)外へのアピールの仕方

 連携を深め、組織を変えるためには、外部へのアピールは大いに有効だ。そしてそれには、効果的なアピール方法をとらねばならない。しかし、どうもこの判断に誤りがあるのではないか。この連載では「成果」を競い合っているように見えるからだ。
 アピールすべきはいわゆる「成果」ではないだろう。「成果」をあげることは当たりまえのことだからだ。そうではなく、「成果」の裏にある課題の掘り下げ、課題の明確化こそ、最大の「成果」ではないだろうか。教育委員会や文部科学省に向けた報告書ではできない理由がここにある。そこでは大学人は「優等生」になるしかないだろうし、「優秀度」を競い合うしかないだろう。
 こうした雑誌を発表の場に選んだ以上、そこでは問題の掘り下げこそを中心にすべきであり、それでこそ外圧を引き起こし、内部を変えることが可能になる。そのためには、問題の語り口こそが重要である。
 問題は、抽象的・一般的にではなく、個別具体的に語らなければならないと思う。連携について全般的で総花的に語るのではだめで、一つの事業にしぼり、そのなかでも問題を絞り込まなければならないだろう。そして、きれいごとや建て前論を排し、リアルに本音に近い部分で語るべきだ。すべてにおいて、人・物・金の問題は避けて通れない。それを語らなければ、問題の核心部分が見えてこないだろう。
 たとえば、「スクールリーダー・フォーラム」第九回では、大阪の府教委と市教委の対立や相互学習のむずかしさ、教育委員会側と大学の教員とのせめぎ合いなどがあった。大脇はそれらを具体的に描いている(連載第九回)。岐阜県教育委員会の教職員課の早川三根夫は、岐阜大学との交渉の舞台裏を開示し、両者の組織の違いやキーマンの存在の意味などを述べている(連載第一二回)。こうした論考のリアルな部分から、私たちは多くを学ぶことができる。
 しかし、そうした論考が少なすぎる。いつも思うのだが、「教育」の世界は、なぜこれほどに、きれいごとや建て前に支配されているのだろうか。これは、上は文科省・教育委員会から、大学や学校などの、教育界全体に広がっている問題ではないだろうか。

(6)すべては自己教育

 つまるところ、問題は、自己教育にかかわってくることがわかるだろう。「教員・指導者自身が教育されなければならない」のだ。
 今回の連載で、連携を「実践的研究の視点から考察」することを目標にしたのは、まさにこの自己教育にねらいがあったのではないか。大学人が、こうした連携自体を考察し、反省することは、「実践知」を自らの実践において示すことなのである。
 大学と教育委員会の連携にたずさわった大学人にとっての現場とはどこだろうか。それは連携それ自体であり、自らが属する大学そのものである。したがって、その実践と実践知は、その連携や大学改革によって問われることになる。
 しかし、その語り口はまだまだ平板で、深まりが弱いように思う。彼らが自己や自らの組織を語ることは、なおまだ少ない。自由な立場の私のような者が発言しなければならない理由がそこにある。読者の方々で、関心をお持ちの方は、拙著『大学「法人化」以降』(中公新書ラクレ)をお読みください。五章「教員養成系大学」では、岐阜と大阪の例を、大学と教育委員会それぞれの内部事情とキーマンたちの動きを追いながら報告しています。連携問題を考えるヒントにしていただければ幸いです。

12月 14

週刊「教育資料」2010年12月13日号で以下を書きました。

仕事の聞き書き/鶏鳴学園代表 中井浩一/

「僕は父のその決断力、行動力に圧倒された。今の経済の主流はひたすらコストカット、収益重視だ。経営面では今の銀行の建て直しが急務の中ではそれも仕方ないのかもしれない。しかしそういう点で僕は経済について冷たい印象があった。しかし、父が色々な人と出会って生み出した自分なりの信念と、それを貫き通す姿勢は何においても中心になるものだと思う」。
これは、高校生が、銀行マンの父親に仕事の話しを聞いてまとめた、「聞き書き」からの引用である。

仕事の聞き書き
 現代の若者たちの問題として、フリーター、ニートの急増、人生の目標の喪失、進路・進学意識の弱さなどが言われるようになって久しい。この大きな原因は、高校生に、仕事の意味や社会の現実が知らされていないことがあげられよう。父親の働く姿を見ていないし、社会のリアルな諸問題にも触れることが少ない。
 さてその対策として、私が有効だと思っているのが、親の仕事の聞き書きなのだ。弊塾ではこれを高校生全員に課題とし、保護者にも協力を呼びかけている。そして、塾生みなで互いの文章を読み合って、意見交換をする。
 取材する項目としては、仕事のナカミ、仕事の喜怒哀楽。サラリーマンであれば、組織で生きることの意味、同僚や上司や部下との関わり、女性の地位など。多様な視点を生かしたい。大切なことは、「建て前」や「きれいごと」を排除し、できるだけリアルに具体的に語ってもらうことだ。問題や悩みを聞きたい。「自分の子供だ」と思えばこそ、外部に出しにくいことも語れるはずだ。

時代の激変
 仕事の聞き書きからは、当然ながら、今の社会の厳しさ、大きな時代の変化も見えてくる。冒頭の聞き書きの父親は、勤め先が三和銀行から、UFJさらに三菱東京UFJへと銀行の再編統合で変わっていく。金融自由化で、初めての「投資部門」に異動がある。そうした中で懸命に仕事をする父親の姿は、息子の心を打つ。
 他のケースでは、リーマン・ショック時にリーマンブラザーズに勤めていて職を失った金融アナリストの父親が、当時の内部の様子を生々しく語る場面も出てくる。彼はそれまでに転職を5回重ねていた。90年代の不況下で会社が倒産し、その整理を担当した父親の話も出てくる。起業の話も、リストラの話もある。
 単に仕事やこの現実社会について学ぶだけではない。高校生の進路・進学を考えるための事例研究になるように、父親の大学や学部選び、就職先の選択、転職や結婚、単身赴任などについても聞いてもらう。「今の一瞬ではなく、30年後につぶれていない業界を選んだ」「魅力的な上司がいないような会社に、いつまでいてもしかたがない」「80年代のプラザ合意以降、将来の中心はメーカーではなく、金融になると思って、メーカーを辞め、金融アナリストになった」「就職難なら、なぜ中国語を学んで中国で就職しようとしないのか」「転職で自分が外ではどう評価されるか確かめたかった」といった刺激的な発言が出てくる。

親子の対話の復活
 大きな副産物もある。親子の対話の復活だ。今の家庭では父親は「粗大ごみ」扱いされている。しかし、父親を尊敬できず、誇りに思えない中では、自分の仕事や人生への敬意や意欲をもてないだろう。
 冒頭の聞き書きでも高校生はこう語っている。「自分の仕事に誇りをもち生きている父は、本物の企業戦士だ。父親として見たら子育てもろくすっぽしなかったし、お世辞にも良い父親とは言えない。そう思っていた。しかし、その人生を通して一つのことを貫き通している生き方は、子供の時に一緒にキャッチボールをしたり遊園地に行ったりすることよりも多くのことを僕に教えてくれた」。
 インタビューを受けた側の父親たちの感想を2つ紹介しよう。
「日本の父親は一般に自分の仕事の話をあまり子供にしません。でもすべての父親は現代社会の修羅場をくぐっています。自分の父親から改めて仕事の話を聞く(「授業」の一環だということが双方に好影響を与えます)ことで、父親に対する信頼、尊敬などにもつながると思います」。
「自営業ならともかく、サラリーマンの場合には、家庭で自らの仕事の内容を詳しく説明する機会を持っている人はほとんどいないと思います。インタビューを機会として、娘との距離が若干縮まったような気がしました」。

仕事の話を授業で
 弊塾では、今年から、一斉授業の中でも仕事の話を取り上げている。前年に出された聞き書きの中から、特に高校生に参考になると思われるものを選び、その保護者たちに来てもらう。生徒たちとはその文章を事前に読みあって、内容について話し合い、質問項目を考えあう。クラス毎にインタビューの担当を決め、当日は「講演」ではなく、生徒自身によるインタビューの形式で行った。幸い、生徒からも、協力してくれた保護者からも好評だった。今後も継続していきたいと思っている。

 こうした授業や、聞き書きの実践が、全国の学校、大学、塾などで、数多く試みられることを期待したい。

10月 17

週刊「教育資料」2010年10月11日号で以下を書きました。

羅針盤を作る教育を/鶏鳴学園代表 中井浩一/

 この夏に、ビジネスマン対象の雑誌で「哲学」が特集された。週刊『東洋経済』(8月14日、21日合併号)の「実践的『哲学』入門」だ。特集の中に、各地の「大学生・社会人」の学びの場を紹介するコーナーがあり、わが鶏鳴学園の「哲学ゼミ」も取り上げられた。

 取材にみえた編集者によると、マイケル・サンデル教授(ハーバード大学)の「正義」に関する授業がテレビ放映され大きな反響があり、その講義録も刊行されベストセラーになった。そこから、なぜ現代日本で「哲学」がブームになっているのかを考えようとの企画のようだった。

時代が「哲学」を求めている
 今の時代が「哲学」を求めているのは本当だと思う。私のゼミの参加者が増えていることからも、そう言えるだろう。今時、「哲学」といった硬いナカミで、しかも大学外で、何の資格も取れない場だ。しかし、そこに通う人が一〇数人いることを、どう思われるだろうか。この数年で、二〇代の若者が増えてきた。他方で、三〇代から五〇代まで年齢の幅も広がっている。大学生(フリーターやニートも)、役人、主婦、ジャーナリスト、教師、政治家などとその職業も多様だ。彼らは何を求め、何に駆り立てられているのだろうか。
 今の時代には、人生の羅針盤がないのではないか。物を考え、評価し、選択する際の、基準が見えないのではないか。ほとんどの人は、途方に暮れている。それは、若者にとっては人生の方針を立てられず自立できないという深刻な問題になる。それがフリーター、ニートの急増にも現れているだろう。
 それは特殊な人々の問題ではない。若者たち全般の「自立」の遅れは深刻だし、すべての大人にとって「成熟」がムズカシくなっている。明治時代にあっては、夏目漱石のように三〇代の前半まで自己確立できずに悩み抜いた人は少なかった。しかし、今は多くの人が同じ悩みを抱え込むようになっているのではないか。
 一方、「格差社会」「階層格差」の問題が深刻化しているが、この問題も「成熟」の遅れと関係するのではないか。

目標を見失った社会
 社会から絶対的な目標と基準が失われ、「価値の多様化」(実は表層的なタコツボ化)が進んだのは、「豊かな」社会になったからだ。以前は、国民全体が貧しく、「豊かになりたい」という夢をみなで共有できた。そして高度経済成長に邁進し、豊かさを実現してきた。その裏では地域や大家族制が崩壊していったが、国民は「豊かさ」の代償として諦め、淋しさは「中流」としての一体感で補ってきた。
 他方で、世界は東西冷戦下で資本主義と社会主義との対立があり、それは全体的な世界観の対立でもあった。すべての人々が立場の選択を強制されたが、ひとたび態度決定さえすれば、後は自動的にすべての問題の回答を一挙に手に入れることができた。こうした政治対立はもちろん国民の対立を引き起こしたが、両者は「豊かさ」を追求する点では共通だったから、共依存の関係でしかなかった。その時代には、社会にも個人にも、明確な目標と基準があった。
 今はそれが失われた。そして、むき出しの競争社会と格差の拡大が広がっている。そこでは地域や大家族制は崩壊し、バラバラの個人と核家族が広がっているだけだ。社会に強い共通目標があるときは家庭の影響は小さい。しかし、それが失われたときは、家庭の影響力が決定的になる。それが今の格差社会ではないか。親の階層、価値観、社会的地位、能力が、そのまま子どもに受け継がれ、貧富の差が拡大し、階層が固定化していく。それは個人が自立できないでいることと裏腹の関係だ。さて、ではどうするか。

「哲学」とは何か
 私の「哲学ゼミ」には二つの柱がある。一つは哲学上の古典を読むことで、ヘーゲルを中心に、カントやアリストテレス、マルクスやハイデガーなどを読む。もう一つが、各参加者の活動報告や問題意識を出し合って話し合うことだ。こちらが重要だ。そこでは自分の直面している問題を考えながら、これまでの人生を振り返る。それを報告し文章にし、相互批評をする。それによって人生の目標、テーマを作ることが目標だ。これは、実は親からの自分への影響の総チェックであり、親からの自立をうながすことでもある。

今求められる教育
 自分の個人的で特殊な問題を、一般的に論理的に考える。そのための媒介として、本や哲学書を読む。それが私のゼミで行っていることだが、これが本当の「哲学」だと思う。これを学校や大学など、あらゆる教育の場で行っていくべきだろう。わが鶏鳴学園は「国語の専門塾」を標榜しているが、実はそれは「哲学の専門塾」という意味なのだ。
 今の時代には、既成の答えは有効ではない。教師は、答えを押しつけるのではなく、生徒とともに、生徒が抱える問題を、真摯に考えていくことしかできない。そのためには、教師自身の価値観や経験の意味づけを見直し、壊し、作り替える作業をすることになるだろう。
だから今、「正義」のそうした作り直しの作業を協同で行ったマイケル・サンデルの授業が大きな反響をよんだのではないか。 (2010年9月29日)

8月 28

新しい学習指導要領では「全教科での言語活動」「その中心の国語科」が謳われている。
その実際の実現のための提言を月刊『高校教育』の4月号から連載して、今回がラスト。

9月号の 第6回(最終回) ディベート学習の課題
          教育の「内容主義」と「形式主義」をめぐって

1.90年代のディベート・ブーム
言語活動の充実のために、いくつかの問題提起と具体的提案をしてきたが、最後にディベート学習を取り上げたい。「全教科での言語活動の充実」「スピーチ、発表、討論」と言われたときに、真っ先に思い出されるのがディベート学習であろう。しかしディベート学習については、それを支持する声がある一方で、強い批判や疑問の声もある。この混乱と対立の中に、言語技術の教育のための核心的問題があると思うからだ。
ディベート学習は80年代後半から中高の教育現場で始まった。前号で紹介した「学習院言語技術の会」の高校版教科書でも、その中の1項目として取り上げられている。しかし当時は英語科(ESS)を中心とする、少数の先端的な取り組みでしかなかった。その後社会科や国語科にも広がり、90年代にはブームになるほどだった。ディベート甲子園も始まり、多数のディベート関連の本が出版された。
最近では一時のブームは去ったようだが、社会科や国語科の教科書ではディベートが紹介され、学校の正規のカリキュラムに入っているところも増えた。熱狂の時期は去ったが、定着し落ち着いたとも言えるようだ。

2.ディベート学習の是非をめぐる対立
ディベート学習とは、「ある特定のテーマの是非について、2グループの話し手が、賛成・反対の立場に別れて、第三者を説得する形で議論を行うこと」(全国教室ディベート連盟)だが、この学習を効果的にするために、勝敗を争う競技形式で行われる。つまり、第三者(専門の審査員など)によって勝敗を決定し、賛成・反対の役割は、参加者の本来の主張とは無関係に決められる。
ディベート学習そのものは、ある主張をする際に、説得力のあるような論証をする練習、つまり、事実をよく調べて、十分な根拠に基づき、それを論理的に組み合わせて主張につなげる練習だろう。
賛成派は、ディベート学習によって、次のような能力が獲得できると主張する。論理的に物事を考え、他人の意見を聴き、自分の意見を効果的に伝え、相手(他人)の立場に立ち、情報処理や整理をし、多面的な視点を獲得するなど。また、それによって、問題意識や自分の意見を持つようになるとも主張する。
しかし一方で、それに対する強い批判や疑問もある。そうした反対派は、その目的に反対しているのではなく、その目的が達成できない、否、かえって逆効果だと言うのだ。その疑念や批判は、主にその競技的形式面に向けられているようだ。
勝敗を争うために、ディベートが単なる「口論の技術」「相手をやりこめる技術」になり、「詭弁家」を作ることになるのではないか。
参加者の意向とは無関係に、役割(肯定側・否定側)やテーマが与えられ、本来の主体性が損なわれるのではないか。本来は切り離せない人格と思想を、無理に分離させることは間違いではないか。学習効果はかえって小さくなるのではないか。
そうした問題点があるので、ディベートでは盛り上がっているように見えても、学習効果は小さいのではないか。

3.「生徒の主体性による共同的な探求学習」
 こうした批判に対して、「競技ディベート」支持派からは、「そうした懸念は当たらない。競技形式こそが学習効果を高める」との反論がある。しかし、ディベート支持派からも、「競技ディベート」への批判の声はあるのだ。「競技ディベート」と本来のディベート学習を区別しようとの意見だ。
それは主に社会科の先生方が中心だが、そうした立場を代表するのが『授業が変わるディベート術!―生徒が探究する授業をこうつくる』(国土社1998)だ。二人の編著者の一人は、もう20年近く、実践を積み重ねてきた杉浦正和氏(芝浦工業大学附属柏高校の社会科担当)。もう一人が、県立小金高校などで教え、現在は大学の教職課程を指導している和井田清司氏(武蔵大学人文学部)。
この本では、勝負の側面が前面に出てくる「競技ディベート」(「ディベート甲子園」がその典型)には批判的で、それに対して「生徒の主体性による共同的な探求学習」を対置する。それは勝負にこだわらず、あくまでも認識の深化を目的とする。
この違いは、審査の違いになる。前者は先生などの専門家が行うが、後者はクラスの仲間が行う。
そもそも、杉浦氏たちがディベート学習を始めたのは、教師からの一方的な講義形式の授業に対する不満からだった。生徒が主体的に学習することをなんとか実現するための方法がディベートだったのだ。
実は連載の第3回で紹介した川北裕之氏の総合学習「環境学」では、最初の3カ月の「触発学習」で2回にわたるディベート学習を行っており、その指導者は和井田氏(当時の川北氏の同僚)だった。川北氏は、それがその後の現地調査の触発学習として極めて有効だったと述べている。
「ディベートで、ある一方の側から立論をつくることは、仮説を立てて調べることにつながり、これは研究の基本です。自分と異なる立場で戦うのはつらいし、負けたときはくやしいので、『環境学』のようにこのエネルギーを探究活動にむかわせるようにします。後日、自分の意見を表明する小論文を書かせると良いでしょう」。
 私は、昨年秋に杉浦氏のディベートの授業見学をさせていただいた。笑いが起こる和気あいあいとしたものだった。ディベート学習は、やはり指導者の力量が大きくかかわると思った。杉浦氏は、高校生段階のディベート学習の成否は、そのテーマ設定にあると考えている。
テーマは、善か悪かと言う単純な価値判断では決められない問題がふさわしい。問題がさまざまな側面を持ち、その側面の事実を丁寧に分析する必要がある問題だ。現実に社会的論争になっている問題(政策課題)が良い。肯定側も否定側も、それぞれ有力な根拠を持っていて、簡単には判断が出せない。そうした問題からこそ対立説の双方を知り、複眼的思考を学ぶことができる。
 例えば、「熱帯木材輸入禁止」をテーマにすると、環境保護と開発(貧困からの脱出)の対立・矛盾が問題になるが、単純な白黒図式にはならない。肯定側は両者の矛盾を言えばいいだけだが、否定の輸入側は、開発が重要だと言うだけではなく、開発と環境保護が両立するとか、開発で豊かになってこそ環境保護も可能になると主張する。否定側も環境破壊を公然と認めるわけにはいかないからだ。
こうした議論の「正解」は容易には出ない。そこで、正解よりも、認識の深まりが問題になる。それが評価のポイントでもある。そして杉浦氏は、この「正解がない」ことを、ディベート批判派は認められないのではないかと、推測している。これは核心的な問題だ。
また杉浦氏のディベートでは、審査するのは生徒だ。「学習はあくまでも生徒のレベルに応じておこります。ですから生徒が審査するのが一番良いのです。不十分でたどたどしい論争であっても生徒にとってはわかりやすいこともあるのです」。これが、生徒の「共同的な」探求学習、という意味だ。クラスの仲間とともに探求を深めることを追求するのだ。
 審査とは、真実を決めたり、意志決定をすることではない。あくまでも、いずれが説得力があったかを判断するだけだ。論争の評価が生徒の学習になる。そして、審査を下すことで、困難な真理認識は保留にし、それに向けた探求の欲求を引き出すのだ。
こうした杉浦氏のディベートに「詭弁家を育てる」との批判は当たらないだろう。しかし、それもやはり競技ディベートであることには違いはない。したがって、人格と思想の分裂との批判には答えなければならないだろう。

4.ディベートの意義
私はディベート、特に「探求学習」型のディベートの大きな意義を認める。その理由は、この過程は思考の過程そのものであり、思考学習そのものだからだ。
それは、事実と意見を区別することから始まる。これは木下是雄氏の方法論と同じだ。もちろん区別するのは、より深く、より全体的な視点から両者をつなぐためだ。これは意見文が、根拠(事実)とその根拠に基づく意見の2つの部分からなることを明確に意識させる。
次に、ある立場(主張)を支えるための根拠(事実)を構成するのだが、事実を深く丁寧に考えねばならない。あるテーマに関する賛成と反対の両方の立場から考えることで、対象の全体をながめることになり、それぞれの立場が対象のどの面を、どの立場から考えているかを、冷静に検討することになる。これは確かに、多面的に物事を考えることであり、これによって「複眼的思考」ができるようになる。考えるということは、このように対立や矛盾を手がかりに進んでいくのだ。ここまでは誰も反対はないだろう。
さて、では、自分の本当の考えと違う役割を与えられた場合はどうなるのだろうか。ここでは、事実と主張の分断とともに、自分と自分の意見をも、一旦は切り離すことが求められる。それは相手の意見とその人格を区別する態度を学ぶことにもなる。
さてここで、当然ながら、「人格と思想を切り離す」との批判が待っている。しかし、つねに人格と思想が一体であるならば、論争の際に自分と相手の意見対立は、即互いの人格を否定しあうことになる。本当にそれで良いのだろうか。また、それでは「相手の立場に立つ」ことは不可能になるのではないか。

5.2つの態度
こうした批判の前提には、人格と思想はつねに一体のものであり、切り離すことはよくない、という考えがあるのだろう。それは思想の内部に対立や矛盾を認めないことになる。しかし私たちの考えの内部には、つねに懐疑や動揺がある。これが実際の姿ではないか。社会内部の賛成・反対の対立は、それぞれの陣営の個々人の内部にも、矛盾や対立を引き起こすはずだ。逆も真だ。そして、対立・矛盾によってのみ個人の認識は深化し、相互理解も拡大する。だから、われわれは矛盾や対立を歓迎すべきなのだ。
また、ここには「正解主義」が隠されていると思う。つねに、論争には正解があり、正解はわかっている。そうした思い上がりがないだろうか。つねに「答え」があり、それは教師が知っており、それを教師は生徒に教えることができる。「答え」があるのなら、手っ取り早くそれを教えればよいだけで、途中の困難な過程は省略できる。これが従来の教育で、これが「内容主義」なのだ。
一方、この反対の「形式主義」的な考え方がある。教師や大人もつねに「正解」を知っているわけではない。しかし自発的な「問い」を引き出し、それを深める方法は教えなければならない。その過程では繰り返し、疑惑や反問、立場の転換が起こるが、それで良いのだということも教える必要がある。
そして、教室内部の議論や、資料統計だけでは解決できないのだから、現実社会の現場に出ていく必要を強く感じるようになるはずだ。
こうした二つの立場と態度が、現在の教育現場にはあるだろう。言語活動や論理を教育するには、教師自身はどちらの立場に立つ必要があるのか。それを、各自が自分に問うべきだろう。それが一番肝心なことではないか。