日本語の基本構造と助詞ハ その4
二 デハナイ 松永奏吾
0. はじめに
1. デアル/デハナイ/デナイ/デハアル
2. XはYである
3. デハナイ
4. 形容詞や動詞の否定
5. デナイ
6. 否定と対比
7. おわりに
6. 否定と対比
「大学生ではない」と述べても、「大学生」の特定の対立者は存在しないため、「大学生でない何かである」
ことまでは特定されない。しかし、「大学生ではない」と述べるためには、少なくとも、「大学生」との差
異は意識されていなければならない。
(33) がらんとした控室に、ひとりでぼんやり佇んでいると、不意に、これではない、と
いう思いがこみあげてきた。(中略)試合は終った。だが、何ひとつ見えてくるもの
はなかった。これではないのだ、とまた思った。これではない。しかし、これではないとしたら、いったいどんな
試合なのだろう。いったいどんな試合を作ればいいのだろう。(一瞬の夏)
上例は、「これではない」と述べることで、「これ」との差異は認識されているものの、それが「どんな試合」
であるかということまでは認識されていない。「Aではない」によって表されたAとの差異が、はっきりAとB
との対立として認識されると、たとえば次のような文となる。
(34) 山田は、大学生ではなく、社会人である。
この「大学生」と「社会人」とがいかなる意味で対立関係にあるかは文脈次第であるが、たとえば(34)を
「山田は大学生ですか?」という質問に対する答えとして見れば、この「大学生」と「社会人」とは、
偽と真という意味で対立している。
6.1 AではなくB
あらためて表(2)を見ると、(34)と同じ「?ではなく(て)」という単純接続の例が20例ある。この20例は
「AではなくB」とパターン化できるもので、そのすべての例がデハナイの直後にその対立規定の現れる例、
つまり、AとBの対比的用例である。
(35) 最初の日にあたしを担当してくれたのはパパではなくて若い頼りないデンティス
トで、あたしを神経過敏にしておびただしい唾液を分泌させてばかりいました。
(聖少女)
(36) たとえば地球が球状の物体ではなく巨大なコーヒー・テーブルであると考えたとこ
ろで、日常生活のレベルでいったいどれほどの不都合があるだろう?
(世界の終わりと…)
これらの例に付した波線部の二項がいかなる意味で対立関係にあるかといえば、(35)は、「パパ=望ましい」
と「若い頼りないデンティスト=望ましくない」という意味で、肯定的評価と否定的評価の対立であり、(36)は、
「球状の物体=常識」と「巨大なコーヒーテーブル=反常識」という意味で、普通の認識と異常な認識という対立
である。名詞述語の場合、その名詞が何と対立関係をもつか、「AではなくB」のAとBがいかなる意味で対立関
係にあるかは、文脈上の解釈によるしかないことが多い。それはともかく、この「AではなくB」というパターン
をもつ用例が、疑問用法を除いた計87例中、20例である。
6.2 BであってAではない
加えて、表(2)の終止法57例にも対比的用例がある。まず、「AではなくB」を逆さまにしたような、「Bであって
Aではない」というパターンをもった例が、計6例ある。
(37) 読唇術というものは非常にデリケートな作業であって、二カ月ばかりの市民講座
で完全にマスターできるというような代物ではないのだ。(世界の終わりと…)
この例は、A「二カ月ばかりの市民講座で完全にマスターできるというような代物」を、「簡単に習得可能な業」
とでも言い換えれば、B「非常にデリケートな作業」との対立関係が分かりやすくなる。この「Bであって、Aでは
ない」というパターンは、「AではなくB」と同様、「Aではない」の対立規定が同一文中に現れるというものである。
同一文中の対比、である。
6.3 Aではない。B
さらに、「Aではない」の対立規定が、「Bである」などの形で、直前ないし直後の別の文で現れる例が、
計37例を数えた。
(38) 「タバコ?……タバコだって?」男は思わず吹き出してしまう。「問題はそんなこ
とじゃないんだ……毛屑ですよ、毛屑……分らないかな?……毛屑のために、賽の
河原の石積みたいなまねをしたって、仕方がないだろうってことですよ。」(砂の女)
(39) もちろん私は機械の故障や係員の不注意が現実に起り得ないと言っているわけで
はない。逆に現実の世界ではその種のアクシデントが頻繁に起っていることを私は
承知している。(世界の終わりと…)
(38)で、A「そんなこと=タバコ」と、直後のB「毛屑」との関係は、相手の主張するもの(問題)と自らの主張
するもの(問題)との対立、言い換えると、ある主張とそれに対する反論、という意味での対立である。また、(39)
に付した長い波線部のうち、Aの中の「起り得ない」と、Bの中の「頻繁に起っている」だけを見れば対立が分かり
やすい。
ここまで見た(35)-(39)の例は、「AではなくB」、「BであってAではない」、「Aではない。B」といったパタ
ーンをもち、「Aではない」の対立規定が文脈上に現れていた。つまり、表(2)の疑問用法を除いた87例中63例までが、
対比のある例であった。
6.4 対比なし
そして、終止用法の残る14例は、対比のない例、と見られた。
(40) それはなんだかトルコ語のように響いたが、問題は私がトルコ語を一度も耳にした
ことがないという点にあった。だからたぶんそれはトルコ語ではないのだろう。
(世界の終わりと…)
(41) もちろん砂は、液体ではない。(砂の女)
(42) おれの思いつきも、まんざらじゃない。(砂の女)
(43) あたしの腕のなかで煙突になってるパパは好きじゃないな。(聖少女)
まず、(40)は、主語「それ」が「トルコ語ではない何かである」とまでは認識されているものの、具体的に何である
かまでは認識されていないため、対立規定が現れない。一方、(41)は、「もちろん」という語の示す通り、砂が「個体
である」ことを常識として略している。(40)は、差異(違和感)だけが認識され、それが対立の形で捉えられていない
デハナイ、(41)は、対立が認識されているがそれが表現されていないデハナイの例である。
特に、(41)のような例の存在が示唆することは重要で、それはすなわち、名詞にも形容詞や動詞同様、それ自体が特定
の対立を意味するものはいくらでもある、ということである。「男ではない」とか、「素人ではない」とか、「子供で
はない」とか、こうした「名詞+ではない」の場合、対立規定を必ずしも必要としない論理であり、すなわち、対比の
ない例も十分にあり得るわけである 。
次に、(42)「まんざらじゃない」は、対応する肯定表現が普通でないことから、デナイ終止法にもあった「尋常でない」
などと同様、熟語的、一語的で、否認という意識が薄い。類例として、「冗談じゃない」、「たいしたことじゃない」、
「それどころではない」があって、(42)を含め、計4例である。
さらに、(43)「好きじゃない」に類する例は、「簡単なことじゃない」(2例)、「あまり気分のよいものではない」、
「とくに驚くべきことではない」、「とても追いつくもんじゃありません」、「あたし、みてるんじゃありません」、
「並大抵の歳月ではない」があり、(43)と合わせると計8例である。これらの例に共通することは、デハナイの否定の
対象自体が、元々対立関係にある、というところにある。あえて語彙的に言い表せば、「好き/嫌い」、「簡単な/難し
い」、「よい/わるい」、「驚くべきこと/普通のこと」、「追いつく/逃げられる」、「みてる/他所を向いている」、
「並大抵の歳月/非常に長い歳月」、などとなる。すなわち、前節でデナイ終止法に見られた例と同類である。
最後に、疑問用法のデハナイを除いた、表(2)の「単純接続2」の2例、「順接確定」の5例、「逆接確定」の3例につい
ても、対比のない例であったことだけを報告しておく。以上、疑問用法を除いたデハナイ87例中、対比のある例が計63例、
対比のない例が計24例という結果であった。
6.5 否定と対比
一般に、助詞ハについて論じられる時、「対比」ということが言われるが、それは助詞ハの本質的機能であるのか、
あるいは他の何かから出て来る派生的機能であるのか、とすればそれはどういう理屈で派生するのか、という問題がある 。
助詞ハは、主語名詞の内的二分を反映して主語と述語の間に位置する。また、述語の内的二分を反映してデハナイを
成立させた。デハナイは、否定の対象を明瞭にする。そしてデハナイに限らず、否定文一般において、助詞ハは否定の
対象を明瞭にする。ここから、助詞ハの第二の機能とも言うべき、いわゆる「対比」の機能が出て来る論理が考えられる。
すなわち、否定の対象を明瞭にすることによって、同時に、捨象されたものの存在が暗示されるという論理である。
輪郭を定めると、輪の内と外が生じるようなものである。場合によっては、対象外とされた存在者が、対立的に暗示される。
(44) 山田は、朝食を全部は食べない。
たとえば(44)は、助詞ハによって「全部」を明瞭に否定することで、それと対立する「部分」が否定の対象外として暗示
される。だから、(44)の言外に、「少し食べる」とか「ほとんど食べる」といった内容が解釈される。同様に、「朝食は
食べない」とすれば、「朝食」と対立する「昼食」ないし「夕食」などが否定の対象外として暗示され、「昼食や夕食は
食べる」といった内容が言外に解釈される。さらに、(44)で、「山田」にも助詞ハが付いている以上、それも否定の対象
となり得るから、否定の対象外として「山田以外」の存在が暗示されて、「他の人は全部朝食を食べる」といった内容が
言外に解釈されることもある。このような言外の解釈が実際に表現されると、次例のような一般的な対比の用例になる。
(45) 山田は、朝食は食べないが、昼食と夕食は食べる。
(46) 山田は朝食を食べないが、竹田は朝食を食べる。
無論、「対比」一般の問題がこれで片付くわけではないが、以上、「対比」の否定起源説を述べた。
7. おわりに
デハナイは、述語の内的二分を反映し、対象化された認識を否定する。「XはYである」という認識がまずあって、
その認識を対象化して否定するのがデハナイである。認識の対象化は認識の認識であり、デハナイは観念的な否定の表現
である。しかしながら、「XはYである」が基本文である以上、その否定文が「XはYではない」となるのは実は自然なこ
とでもある。助詞ハの本質は二分することにあり、否定がその対象を明瞭にしようとすればそこにハを介在させることで、
否定の対象と否定とが明瞭に二分されるからである。かくしてデハナイはデアル述語の一般否定形となる。
デハナイの一般性は、「名詞+ではない」に限らず、「?のではない」、「?わけではない」などの形で形容詞や動詞を
も名詞化する形、さらには次例のように、連用成分、各成分を直接否定する形にまで及ぶ。
(47) 槍に向ってではなく青い空に向って歩き出して間もなく、加藤は、槍ヶ岳の肩のあ
たりで、小屋が作られつつあるのを見て取った。(孤高の人)
(48) 当時は本当に金のない時代だった。いや、時代がではなく、私個人の方がである。
(風に吹かれて)
また、表(2)の調査には現れなかったが、次例のような「禁止」の用法もある。
(49) 「そんなシーンがありましたか? おかしいな、ぼく、そんなシーンを入れたおぼ
えはありませんがね」
「ごまかすんじゃない。あのシーンは無意味だ。カットしたまえ」(ブンとフン)
さらに、今回対象外とした、「?ではないか」などの疑問用法に至ると、すでに「否定」が止揚され、さらに、
確認用法とでも言うべき「いいじゃない」のような用例では、助詞ハ自体が埋没し、「じゃない」というこの形で
一語的になる。また、形容詞にも「美しくはない」、動詞にも「食べはしない」という形があり、またもう一方には
肯定の「美しくはある」、「食べはする」、デハアルという述語形もある。以上のようなデハナイの更なる進化の方向を
たどる道が今後の課題である。
2014/03/08