9月 17

『コミュニティビジネス入門』から学ぶ 
 (5)社会資本、地域資源は誰のものか 「所有」と「主体」の問題
 (6)本書の意義と限界
 
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(5)社会資本、地域資源は誰のものか ?「所有」と「主体」の問題?

 さて、「地域」が、外部者も含めたものであるのならば、
社会資本、地域資源は誰のものか。ここに、「所有」「主体」の
問題が浮き上がってくる。

 この「所有」「主体」の問題のところで、本書では捉え方が曖昧になる。
一般にも、この点が曖昧なので、問題提起しておきたい。
一般に「コミュニティビジネス」を論ずる人は、その主体を個々の事業主、
つまりNPOや企業、団体として理解、その内部での「所有」の問題を論ずる。
しかし、その団体も含めて、その事業に関係するすべての関係者が
「主体」なのではないか。
これが本当の、地域資本、社会資本という考え方ではないか。

 例えば、ワインツーリズムは誰のものなのか? 
企画運営者の笹本さんたち(3次)だけのものではない。
ワインツーリズムの関係者のすべてのものだろう。
もちろん中心は2次産業のワイナリーだが、「かつぬま朝市会」や地域の
散策組織(「勝沼フットパス」)も加わっている(以上は3次、一部は4次)。
ワインツーリズム参加者はそのワイナリー周辺地域を散策するが、
そこに1次産業のぶどう農家が大きく関わってくる。
ワイナリーにぶどうを提供しているのは、彼ら(の一部)なのだ。

 長く1次の農家と2次のワイナリーには対立があった。
地域の人々から見て、外部の笹本さんたちが偉そうにしていることも
面白くないだろう。そこに都会からワイン好きが集まってきて、
地域の自然や文化財をも楽しむ。

 これらがすべてを所有者、主体として考えるべきではないか。
ここには、多様な利害関係者がいるし、対立の側面は常にある。
一般に、「コミュニティビジネス」の一事業やイベントには、
多様なステイクホルダー、複数のセクターが関わるので、
そこには必ず利害対立が起こり、矛盾がある。だからこそ、
それを解決するための民主主義が、情報公開が問題になるのだ。

 ワインツーリズムでは、実行委員会が一応立ちあげられている。
委員長は笹本さんで、副委員長に大木さんや朝市会の主催者、
ワイナリーや地元農家からは委員が出ている。
地元甲州市の行政マンも委員だ。しかし、議論は低調で、
笹本さんたちにお任せの状態が続いた。関係者間には利害対立があって、
収入アップになるワイナリーと、ボランテアを「強いられた」と感ずる
地元農家との間には、感情的な対立がある。補助金獲得を巡り、
行政や地元、笹本さんたちとの間にも対立がある。
しかしそうした対立が表面化していないので、うやむやになっている。
ワイナリーや個々の利害関係者に、どんな金の流れがあったのか?
それは、現段階ではオープンになっていない。
これが「ガバナンス」の問題であり、「所有」の問題なのだ。

(6)本書の意義と限界

 今示したのは、この社会資本のモデル、理念から見えてくる
論点のほんの一部だが、その有効性がわかるだろう。

 これでワインツーリズの総括ができる。他の似たような
活動をしているコミュニティビジネス(ソーシャルビジネス入)の分類、
位置づけ、評価の観点や課題の整理と、その解決のための政策づくりが可能になる。

 本書では、この社会資本というモデルを提示したことが
最大の貢献だと思うが、ヨーロッパモデルの考え方や情報、
日本でのたくさんの事例が紹介されているのも、参考にはなる。
ヨーロッパの社会的企業。福祉国家から福祉社会への転換。
EUの「社会的排除」との闘いなど。

 コミュニティビジネスを評価する人にも2派がいる、という指摘は重要だ。
一方は「社会的排除との闘い」(社会民主主義)の側面を見る。
他方は「安上がりサービス」(新自由主義)の側面を見る。
この2つは必ずしも正反対の立場ではないが、
どちらを中心とするかで対立をはらんでいるのだ。
これは『良い社会の公共サービスを考える』でも指摘されたことだが、
表面的にはともかく、問題が起きるたびに、どちらの立場なのかが
問われるだろう。そのことを自覚しているだけでも、対応は変わる。

 本書の意義を挙げてきたが、もちろん問題もある。
「用語集」を付けて、今の諸問題を整理し、方向を明確にしている点で、
教科書として成功していると思うが、その内容には疑問も多々ある。

 すでに社会資本の「所有」「主体」のとらえかたに疑問を出したが、
他では、就労形態で、「ワーカーズコレクティブ」と「生協」の違いが
分からない。結局は大きさ、規模の違いなのではないか。
生協は大きくなりすぎて、小ささが必要なのではないか。
所有と意思決定と労働の間で、小ささの持つ意味が問われているのでは。

 「社会的企業」とか「社会起業家」の「社会」も曖昧だ。
「正しい」とか「正義の」といったニュアンスだが、それでは
「社会的」でない「企業」や「起業家」が存在することになるし、
それを認めることになるが、それで良いのか。本来は、
企業や起業は社会的な物なのだから、こうした「社会」という冠が
不要になることが最終ゴールなのだ。「社会的企業」という言葉がなくなること。

 つまり、本書の「用語集」では、一般に言われていることを
まとめているだけで、著者たちの自説や掘り下げがないのだ。
もっとも、そもそもまだ概念が曖昧で混乱している段階だ。
私たちで自前の「用語集」を作り直すような覚悟が
必要だということだ。用語、概念は単なる知識ではなく、
課題を深く、広く考えていくための基本的な武器なのだから。

 こうした基本概念に対する理解の程度が運動のレベルを決めてしまう。
概念には、人類の問題意識と英知が集約されている。
 

 本書には問題を深めるよりも、きれいごとで済ませている箇所も多い。

 例えば、コミュニティビジネスの意義を強調するために、
行政と民間企業の限界を以下のように強調する。
地域、家庭の崩壊により、行政サービスが拡大したが、
それも今では財政破綻したし、もともとが一律サービスしかできず、
特定の地域ニーズには対応できない。一方の民間企業は
多様なサービスを提供できるが、ニーズがあり利益があがる限りのことだ。
こうした狭間で、利益が上がりにくい多様なサービスを提供できるのが、
コミュニティビジネスだと言うのだ。そのためには、民間以上の力で
「経営的イノベーション」の能力が必要になる。しかし、
それほど困難で高い能力を持つ人が、本当にコミュニティビジネスに
関わるだろうか。彼らの年収は約200万だと言う。
ここには根本的な無理がないか。

 この点で、コミュニティビジネスと生協との連携などを提案しているのは
現実的だ。理解ある企業との提携が一番現実的だろう。

 しかし、そうした際にも、結局は、また「所有」の問題にぶつかるだろう。
これがやはり肝なのではないか。だから、本書では多様な
コミュニティビジネスを紹介しているが、一番知りたいのは、
その所有の問題や、内部対立をどう解決しているかなのだ。
もちろん、内部民主主義と公開の原則の重要さは言われている。
しかし、そうした建て前ではなく、実際のコミュニティビジネス内部での
深刻な対立の問題は出さなければ、説得力はない。

 現在のコミュニティビジネスにはたくさんの問題がある。
なぜ横の連携が取れないのか。なぜ小さくしかまとめることができないのか。
それぞれの小さな組織で、お山の大将でいたいからではないのか。
単なる補助金荒らしではないのか。

 そうした内部の深刻な問題には触れていない。
しかし、それは求める方が間違っている。自分たちで行うべきだろう。

 私たちの議論の中から、次のような意見も出た。
「社会的排除」と言うと、いわゆる「社会的弱者」を念頭に思い浮かべやすいが、
そうでない場合もある。ワインツーリズムでの「社会的排除」とは、
「大量生産・大量消費のマーケットや受身の社会生活に満足できない層」を意味する。
彼らは山梨では、プライドが保てない。出て行って(排除されて)しまう。
 こうした視点も大切にしたい。

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9月 16

『コミュニティビジネス入門』から学ぶ 
 (1)「コミュニティビジネス」と「地域の自立」
 (2)「社会資本」というモデル
 (3)「社会資本」「地域資源」とは何か ?産業構造の組み換えや統合?
 (4)「地域」とは何か。 ?地域外部の人間の必要性?

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(1)「コミュニティビジネス」と「地域の自立」

 『コミュニティビジネス入門 地域市民の社会的事業』
 (風見正三・山口浩平 学芸出版社)。

 これは現在世間でも注目され始めている、「コミュニティビジネス」
「ソーシャルビジネス」の入門書だ。大学などの教科書としても
使用できるように作られている。事例が豊富で、一応の理論化もあり、
用語集もついているので、考えるキッカケには相応しいと考えた。
著者たちに純粋な研究者はいない。みなが現場の人間か、
現場経験者から研究者に転じた人ばかりだ。

 笹本さんたちは、山梨でワイン農家や醸造家などの活性化のために、
「ワインツーリズム」を企画し、成功した。その意味を、その本質を考え、
こうした方法や考え方を、山梨県全体に、さらには日本全体にも
広げていくことが、今後の課題だ。
それが「地域再生」「地域の自立」を進めると考えるからだ。
そのためには、まずワインツーリズムの意味、意義を
しっかり考えておかなければならない。そのための課題や論点を
はっきりさせるために、このテキストを読んだ。ここから、
今後の政策立案に向けた取り組み方、公開学習会の進め方も見えてくるだろう。

(2)「社会資本」というモデル

 結論からいえば、このテキストを選んだのは正解だった。
ここには地域再生のための1つのモデルが、
極めて有効なモデルが示されていたからだ。

 そのモデルは「社会資本」という考えを中心とする3点からなる。

 【1】地域の社会的資本(地域資源)を、
 【2】その所有者である地域自身が主体となり、
 【3】それによって、地域資源が「持続可能」なように経営(管理運営)すること。

 これは社会資本が循環するモデルで、わかりやすく明確な
イメージが持てる理念だと思う。地域重視については、
「地産地消」「スローフード」「マルシュ」「第6次産業」などと
さまざまなことが言われる。しかし、そうしたもろもろは
すべて副次的なもので、核心にあるのはこの3点だと思う。
そして、他は大切なものでも、この全体の中に位置づけられるべきだろう。

 このモデルによって、ワインツーリズムやコミュニティビジネスの
課題を整理し、その全体像や分類などをすることができるのではないか。

 しかし、このモデルは、方向性は明確だが、問題への
回答そのものではないだろう。あくまでも論点を明確にするしかけである。
まだまだ曖昧な点が多く、矛盾もあるように思う。
ただし、それは本書の問題と言うよりも、まだこれらの概念が
生まれたばかりで、混沌としている段階だからしかたない面もあるだろう。

 したがって、このモデルの曖昧さを、自分たちの実践で
はっきりとさせていくべきなのだ。
以下は、本書をヒントにした私見であることを断わっておく。

(3)「社会資本」「地域資源」とは何か ?産業構造の組み換えや統合?

 「社会資本」「地域資源」とは何か。
その地域の自然と社会のすべて、物質面と精神面のすべてが含まれる。
このように本書では言われる。
その中心は産業そのものと、人間の社会関係であると思う。

 地域資源を改めて見直していくことは、産業構造の組み換えや
統合をもたらし、人間関係を作りかえる可能性がある。

 従来の「産業」構造は、1次 → 2次 → 3次 → 4次(情報産業)と
発展してきたが、それは常に前の時代の産業を否定することでの発展であった。
例えば、高度成長期に2次産業と、それを支える3次産業(サービス業)が
急速に伸び、家電製品が家庭に氾濫するようになった。
しかし、それは各地の農村から労働力をひきはがして
過疎化を進めることで成立している。このような否定の仕方もあるし、
他方で共存共栄の止揚のありかたも、本来は可能なはずだ。
しかし、従来は単なる否定が多かった。したがって、産業間の利害関係も
人間相互の対立も根深いものがある。工業化における
資本家と労働者の対立も大きかった。今は、2次、3次産業の
実物経済を否定するような形のマネー資本主義(貨幣そのものを商品とする、
4次の究極の姿)へと進んでいる。
実物経済はマネー資本主義の道具になり下がった。

 実物経済を否定した今の社会は、発展のどん詰まり、
否定の行きついた果てだ。これから先の発展とは何なのだろうか。
これを止揚するとはどういうことなのだろうか。

 それは、今や手段にすぎなくなった、1次に始まった実物経済を、
単なる否定ではなく、価値ある止揚へとするようなあり方だろう。
それまでの各段階が、4次の中で、契機としてそれぞれが有効に機能しているか。

 つまり、再度、1次、2次や3次産業の実物経済、その再編統合によって、
全体を発展させる以外にはないはずだ。それを考える役割が
4次(思考)や3次のサービス業にある。
これが産業構造の組み換えや統合をもたらし、人間関係を作りかえるのだ。

 例えばワインでは、2次のワイナリーは1次の農業(ブドウ農家)と
相互依存しているが、対立関係もある。1次産業はすべてのベースだが、
従来の固定した関係性をそのままにしていて、地域の再生は不可能だ。

 そこでワインツーリズムの登場だ。都会の消費者が、
ワイナリーをまわってワインを楽しみながら、そのワイナリー周辺地域を
散策する。そこに展開されるのは1次産業のぶどう農園であり、
さらには歴史的文化的な観光資源や、地域の産物の店が出店されている。

 つまり、これを企画運営した、笹本さんたちソフトツーリズム(株)や
従来からあった「朝市会」(以上が3次)を中心に、2次のワイナリーが参加し、
さらに1次の農園を取り入れ、そこに地域の自然や歴史財をも取り入れていく。
このことで、従来の産業間の関係や、人間関係が変わってくる。
これが「地域コミュニティの再構築」だと思う。

 この「地域コミュニティの再構築」はもちろん重要だが、
これを本書は次のように説明する。

 これまでは、行政(公)、企業(民)、市民(市民中心のNPO)の
3分類が普通で、相互に対立するか無関心であることが多かった。
しかし、そのすべてがここでは資源に含まれる。
そこに従来の公私を越える、「新たな公共」
(=行政ではなく多様なステイクホルダー)を見ようとする。
複数のセクターが関わるので、それは「協働型社会」になる。
行政主導ではないし、補助金依存でもない。

 しかし、こうした説明では、肝心な産業構造の変化を見られず、
従来の産業間の対立や協同の具体的変化も見えてこない。

(4)「地域」とは何か。 ?地域外部の人間の必要性?

 さて、私のように考えるとき、「地域」とは何か。
それは地図上の地域、その住民だけをさすような閉じた意味の
「地域」ではない。本書でも地域コミュニティとテーマコミュニティ、
地域内と地域外の連携の必要性を強調する。
外部の人間の積極的な関わりこそが必要だからだ。

 本来は、地域資源こそ、その地域の「誇り」であるべきだ。
笹本さんが、自らの地域再生のための運動名を「KOFU Pride」と
名付けたことには、正しい方向性があったことがわかる。

 しかし、その地域の住民が、その資源の資源である価値に
気付いていない場合が多い。例えば、山梨の人間は、
実はワインをあまり飲まない。山梨のフランス料理店、
イタリア料理店においてあるワインは、山梨産ではないことが多い。
ここに「地方」の問題があり、中央指向や「他者本位」の問題がある。
地域資源を評価できるのは、むしろ、東京に出た後に
Uターンした人間であることが多い。

 だから、地域をその地域内の人たちに限定してはならないのだ。
地域を開き、地域外との連携が必要なのだ。ワインツーリズムの場合も、
企画運営にあったのは、そうした人たちだ。会代表の笹本さんも
副代表の大木貴之さん(甲府市内の小カフェーのオーナー)も
山梨出身だがUターン組だし、ワインツーリズムを行った勝沼の住民でもない。
ワイナリーの土屋幸三さん(機山洋酒工業社長)も、家業の跡取り息子だったが、
阪大で学び、企業や国の研究所で働いた上で実家の家業を継いだ。
ワイナリーだが、場所は塩山であり、勝沼のワイナリーにとっては外部者である。

 それにしても、地域の人々自身の地域資源への関心の弱さには、
地方の屈折した思いがある。長く、地方は中央の文化を輸入してきた。
それが劣等感にもなっている。しかし、これからの時代は、
旧来の「中央の高い文化を、文化的に低い地方にもたらす」方向ではダメだろう。
その逆に、地方から中央に新たな価値を発信するものであるべきだろう。
そうでなければ、地域のプライドにはならないだろう。

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9月 11

『良い社会をつくる公共サービスを考える』から学ぶ                   (1)今の時代の課題を考える
 (2)「守り」と「ごまかし」
 (3)時代を発展的にとらえる
 (4)社会民主主義的政策と「社会的排除」
 (5)市民運動の4分類         
    
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(1)今の時代の課題を考える

 『良い社会をつくる公共サービスを考える 
  ?財政再建主義を超え、有効に機能する「ほどよい政府」を?』。

 この長ったらしいタイトルの文書は、「公務公共サービス労働組合協議会」
(自治労、日教組、国公連合などが参加)の提唱で設けられた
「良い社会をつくる公共サービスを考える」研究会の報告である。
この報告書はインターネットに全文公開されている。
http://www.komu-rokyo.jp/kokyo_campaign/final_report/final_report2.html

 今回この文書を取り上げたのは、今の時代の課題を考えるためだ。
そもそも今の時代を考えるためには、以下の4点を踏まえる必要があるだろう。

 1.高度経済成長、東西冷戦が終わり、グローバル化した資本主義が全体を支配している。 
   では、高度経済成長、東西冷戦とは何だったのか? どんな意味があったのか?
 

 2.今のあらゆるシステムは、高度経済成長、東西冷戦の下で作られてきた。
   では、どの制度、システムが、高度経済成長、東西冷戦と
   どのように内的に結びつき、発展してきたのか?

 3.古いシステムを次の時代、社会へ向けた新しいシステムに切り替えていかなければならない。
   では、このためには、新たな社会がどのような社会であり、
   そのためには、どこをどう変えなければならないのか? それはなぜか?

 4.この1?3の結果、日本では80年代のバブル、90年代のバブル崩壊からの不況が続いた。
   それへの対策として、小泉改革の新自由主義的政策が行われてきた。

 1?3の事実認識は、すでに多くの人々に共有されている。
それらに対する1つの回答として小泉改革があったのだから、
その批判(良い点も、悪い点も)をする際にも、根底には
この1?3に対する別の回答が用意されなければならないはずだ。
その別解の深さと広さによって、小泉路線を全面的に克服できるか
否かが決まるだろう。

 小泉路線の批判としては「格差拡大」「弱者切り捨て」をみなが言うが、
「規制緩和」「小さな政府」「民営化」「財政再建」などでは
それぞれの立場が揺れ動いている。誰もまだ、小泉改革の総括を
できていないと思う。自民党の小泉改革路線は
「自民党をぶっこわす」結果を生んだし、民主党の一部は
それを支持していたことを忘れてはならない。本来は民主党も、自民党も、
小泉路線の総括をきちんとすべきなのだ。民主党がそれをしないまま、
マニュフェストを出したことは欺瞞そのものだった。

(2)「守り」と「ごまかし」

 さて、この『良い社会をつくる公共サービスを考える』だが、
この文書の目的は、小泉政権の新自由主義、新保守主義や、
財政再建路線を批判し、公共サービス部門においての
具体的代案を提示することだった。メンバーには、小泉改革への
反対の立場として有名な学者名が並ぶ。北大の宮本太郎、
東大の神野直彦、佐藤学、京大の間宮陽介などだ。
それは一言で言えば、ヨーロッパの「社会民主主義」の立場のようだ。

 さて、ではこの文書は、小泉路線の総括ができたか。
それを全面的に克服できただろうか。否。個々に正しい指摘があっても、
全体としてはレベルが低いし、リアルではなく
問題の深さに届いていない。これでは、小泉・竹中路線には
到底かなわないと思った。

 第1に、時代の波に乗って「攻め」立てた小泉に対して、
この文書は依然として「守り」にまわっている。
時代から突きつけられている問題から逃げ、誤魔化している。
つまり、長く続いた東西冷戦が終わり、社会主義陣営が崩壊し、
資本主義の勝利が明らかになった意味を語っていない。

 今や時代は高度成長や東西冷戦から、次のステップへと高まった。
すべての世界が基本的には資本主義の原理の下に、一律の競争社会に
突入したのだ。小泉は、この現実の上に、新自由主義的な政策を
推し進めた。だからこそ支持されたのだ。

 これに対する代案として、社会民主主義的な政策を言うのなら、
先ずは、社会主義敗北の原因、そのどこがどう間違っていたのかについて
きちんと説明し、その社会主義と自らの立場の異同を明らかにするべきだろう。
それが全くない。それでは説得力が出てこないだろう。

 第2に、言葉のごまかしが多い。現実を直視せず、
対立・矛盾を見られていない。一言で言えば、「きれいごと」なのだ。
自分たちに都合の良いことだけを言う。

 例えば「自立した個による連帯として、国民が社会形成に参加する
連帯民主主義」(総論)と言う。この文書では他にも、
「市民」による「民主主義」の提唱が多い。それを疑う文言はない。
しかし、ここでの「市民」「個」「国民」とは何を指すのだろうか。
とても曖昧で、抽象的で、ほとんど無意味な規定だ。
階層格差が拡大し、「市民」「国民」内部の利害対立が進む中、
こうした言葉で、リアルに物事を語れるのだろうか。

 例えば、この報告では底辺層支援の政策である「ミニマム保障制度」について、
中間層からの批判があることを指摘する。その上で、
中間層自体にも底辺層への転落のリスクが大きいことが、
合意形成の可能性の拡大になると言う。しかし、そうしたリスクの大きさが、
中間層からの底辺層への差別意識を一層強める可能性もある。
そうした掘り下げが極めて弱いのだ。

 また、ここでは「民主主義」を声高に語るが、その矛盾、
つまり「人格の平等と能力の不平等」には触れない。
この「能力」の問題を正直に語らないで「教育」を語るのは
欺瞞ではないか。この「能力」の低さが、
社会主義が敗北した原因の一つではないか。
また、「ほどよい」とか「小さくも大きくもない政府」とか
と言った文言は、いかにも曖昧である。

 それに対して、小泉・竹中路線は「社会主義が負けて、
資本主義が勝った」という事実を踏まえている。その上で
「格差の何が悪い」「人生イロイロ」と言う。
そこにはリアルな現実を踏まえたあけすけな本音がある。
レトリックなしの、むき出しの正直さがある。
これが国民に支持された大きな理由ではないか。
東西冷戦下では、両陣営ともにタブーがあり、
そのことにはみなが薄々は気づきながら守っていた。
小泉はそうしたタブーを打ち破った。
だから小泉は不思議なまでに明るい。彼は「今太閤」だったと思う。

 これに対して、この文書には、あからさまに裏が見える。
昔ながらの陰険な党派性(左翼であり、組合寄りである)が
隠されている。役人、労働組合の問題の掘り下げが弱すぎる。
これでは、小泉の単純明快な発言に、到底勝てないだろう。

(3)時代を発展的にとらえる

 小泉路線を真に超えるには、時代を発展的にとらえ、
社会主義の崩壊も、新自由主義や新保守主義も、
その中に位置づけねばならないだろう。しかし、
この文書の研究者たちにはその能力も問題意識もない。
だから、小泉路線に自分たちの考えを平面的に対置しているだけなのだ。

 総論の2?4で、20世紀全体の「社会構造の変化」が
まとめられているが、表面的で一面的なものだ。

 20世紀の捉え方の根本的なことに関して、私見を述べておく。

 まず、産業構造の変化、
1次産業→2次産業→3次産業(サービス)→4次産業(情報産業)を
発展、能力の高まりととらえるべきだ。

 1次産業から2次産業までの転換では、それほど高い能力が
必要だったわけではない。工業労働に必要だったのは
「読み書きそろばん」の能力で、それは文盲が多い社会では
非常に高いものだが、絶対的にはそうではなく、
普通の「学校教育」で達成できるレベルのものでしかなかった。
その絶対的には「低い」能力のレベルではあるが、
そのレベルでそろっていることが重要だった。その意味では均一で
画一的な能力と、その人材が必要だった社会。
これが高度経済成長下の「中流社会」だ。

 しかし、経済の中心が2次産業から3次産業、さらに4次産業へと
高まるにつれて、要求される能力も高まり、当然ながら格差が
開き始める。格差が開くのは、求められる能力が高まることからの
必然的な側面がある。したがって、「格差の問題」を解決するためには
すべての人々の能力を高めることが必須であり、「教育」が課題となり、
一人一人の能力を高める学習が必要になる。
しかし、佐藤学が言うように、それを従来の学校教育が
指導できるとは思わない。それは、教員や生徒自身が
現実の問題や課題と取り組むことでしか、学べない能力ではないか。

 また20世紀の政治・経済を本質的に理解するには、
社会主義と資本主義の相克を理解する必要がある。
なぜ両者の戦いで、資本主義が勝利したのか。
一言でいえば、社会主義は平等主義(性善説)、
資本主義は能力主義(性悪説)だったからだ。

 2次産業までなら、社会主義がやや優位だった。
しかし、3次産業以降へと移行するときには
平等主義では乗り越えられず、能力主義がどうしても必要だった。
人間には限りない欲望、エゴなどの悪の側面があるのだが、
それを抑圧するのではなく、それを肯定し、それを成長や
社会発展に役立てる必要がある。そうでないと、
このレベルの能力の獲得は困難だからだ。これが「個性」と関係する。
その後ろには、人間内の「悪」の側面の理解の深さが必要だ。
性悪説の立場である。

 わが日本ではどうだったか。実際には能力主義が一部で
機能していたのだが、「建前」の平等主義や性善説で、
それを覆い隠してきた。それが「悪平等」社会の実態だ。
しかし、今、この矛盾を直視するべきなのだ。
建前の平等主義と本音の能力主義の分裂は、無自覚なゆえに、
またタブーになってきたゆえに、混乱を呼んでいる。
建前の「性善説」を乗り越えて、現実的な「性悪説」の立場に
立った社会と生き方を確立する必要があるのだ。

 もし、今、社会民主主義(大きく言って社会主義的政策)を
求めるのならば、19世紀からの社会主義の歴史を振り返り、
その発展と、その限界を明らかにしたうえで、
その克服を示さなければならないはずだ。

(4)社会民主主義的政策と「社会的排除」

 以上、この文書への根本的な批判を述べたが、もちろん、
学んだことや、参考にしたいことはある。

 第1に、アメリカ流一辺倒の小泉路線に対して、ヨーロッパの
社会民主主義的政策を紹介したのは大きな意義だし、
福祉国家の行き詰まりの分析と、その克服の試みからは学ぶことはある。
高度成長の過程で、地域が崩壊し、家庭内の女性が社会で働くことにより、
介護や育児などのサービスが彼女たちによる無償労働から、
労働市場へ投げ出される中で、社会からの現物支給が
必要になったという側面、つまり女性の自立や家庭の問題を提起し、
現金支給ではなく現物支給が有効であることを指摘している。

 また、第2に、西欧流の「社会的排除」への対策が、
小泉流の「官から民へ」「小さな政府」「財政削減」路線と
一致するように見えること。「地方自治」「自立と自己責任」など、
表面的には同じ言葉、同じ政策でも、正反対の立場から論じられ、
行われているという事実。

 そもそも、小泉路線自体に根本の矛盾があった。
それは新自由主義と新保守主義の矛盾だ。個人的競争を
あおればあおるほど、協同的な社会は壊れる。そこで、
それを愛国心や公共性といった道徳や理念でカバーしようとする。

 この矛盾が、より大きく、小泉路線の支持勢力と反対勢力が、
同じ局面で対峙しているのが現状なのだ。
だから、社会的事業や政策を評価するときの立場の矛盾がある。

 ┏「財政削減に役立つ」として評価する立場(小泉路線)
 ┗「弱者救済(自立への支援)に役立つ」として評価する立場(本書)

 すべてにこの対立がある。今、この指摘は重要だ。
 自民と民主の政策は、表面的には区別が見えない。

(5)市民運動の4分類

 第3の収穫は、ここで示された市民運動の4分類だ。

 【1】相互扶助・社会的自助型(子育てサークル等)
 【2】市民事業型(介護サービス、ワインツーリズム等)
 【3】政策提言型
   ・市民シンクタンク型→政策提言
   ・ネットワーク型→情報提供・経営支援・市民組織ネットワーク
 【4】市民資金・市民基金型(市民の資金を循環。市民事業型に資金提供)

 このように、市民運動全体をおさえると、全体の現状や
自分たちの位置づけが見えてくる。例えば、ワインツーリズムは【2】だが、
その枠内で、【2】市民事業型から【3】政策提言型への
発展の芽があり、それが今回の笹本さんの政治活動ではないか。

 今後は、まずはこれら4つの横の連携が必要だろうが、
特に【2】「市民事業型」と【3】「政策提言型」の連携を強めて、
山梨県内で新しい公共サービスの強化を図ってゆきたい。

 この【3】「政策提言型」は、実は、私が提案した「学習会」中心の
政治運動と関係する。この提言では【3】について、
今は市民の政策過程への参加が求められているとして、
自治体議会に市民が参加する「政策提案制度」などを求めている。
しかし、現状の市民に政策提案の能力があるだろうか? 
単に制度だけつくっても、お飾りのアリバイづくりになってしまう。
これを実際に機能させるには、市民自身の学習が必要なのだ。

 それをやるのが、私の提案している「学習会」中心の政治運動だ。
これは政策提言をするが、それをしながら、参加者自身の能力を高め、
認識を深めるのだ。そして、これに成功できれば、それをモデルとした
「政策提案制度」を提言できるだろう。今後は、議会のシステムの中に、
こうした学習会を組み込んでいくべきなのだ。

 実際に、「政策提言型」の市民運動が存在し、議会に「政策提案制度」が
生まれ始めているという事実は、私の学習会中心主義の現実的な根拠となる。
私は理念から方針を述べたのだが、それが現実に
深く根ざしたものでもあったことが、後から裏付けられた。

 また、行政の政策の評価が必要であるから、補助金の事後評価が必要だ。
しかし、こうした評価は確立できていない。従来にはなかった
モデルなのだから、行政にそれを求めるのは無理であり、
自らがワインツーリズムの自己評価を行い、
評価モデルを具体的に示すべきなのだ。

 また、この提言から、「報告書」の形式を学ぶことができる。
私たちは学習会で学んだことをもとにして、政策を実際に作り、
それを笹本さん自身の政策とするのだが、それはパンフだけではなく、
「最終報告書」の形でまとめるべきだ。つまり、総論と各論からなる形式だ。
しかし、この提言では、きれい事ですませ、現実の矛盾をごまかしている。
私たちの最終報告書では、リアルな本音のあるものにしたい。

 私たちの学習会では提言2に関連して、学校教育の課題も話し合った。
学校の先生自身の教育は、研修制度なのではなく、子供たちと
地域の人たちと、地域の課題に取り組むことなのではないか。
また、提言4では行政職員に求められる「コーディネート機能」に
ついて述べているが、一方で地域に出て、問題を見て、
現場の人々と共にそれを解決する行政マンが必要だが、
他方で、市民側も行政マンと組んでゆかないと、何も動かせない。
行政に情報が集中しているからだ。

9月 09

私は今年の春から
 山梨県甲府在住の笹本貴之さんと一緒に、山梨県で
 「学習会」中心の政治運動を始めた。
 その学習会では、地域が自立するための
 課題を考え、その問題の解決策として政策を作成する準備をしている。

その始まりに当たって行った、準備会的な学習会の報告をしたい。

 何事も始まりが肝心である。学習会の始まりにあたって、
広く今の時代の課題を考えておきたい。またこれまで行ってきた
ワインツーリズムの総括をするための観点も、しっかり用意したいと考えた。

 他に呼びかける前に、まずは中心メンバー自身が学習することから
始めなければならない。笹本さんと彼を支援する中心メンバーと、
内々で2回読書会をした。これは、広く公開の形で行う予定の
学習会とは区別して、リサーチ学習会と名付けた。
学習会をするための学習会であり、準備会であったからだ。

 1回目は4月26日に、牧野紀之「民主主義」
(『ヘーゲル哲学辞典』に収録)と『良い社会の公共サービスを考える』
(良い社会をつくる公共サービスを考える研究会最終報告)を読んだ。
「民主主義」は能力の不平等と人格の平等という矛盾を確認するため、
『良い社会の公共サービスを考える』は時代の課題を考えるため。

 2回目は5月10日に行い、『コミュニティビジネス入門』
(風見正三・山口浩平)を読んだ。これは、ワインツーリズムの
総括をするための観点を得るためだった。

 幸い、ゼミの仲間に、経済産業省の役人がいて、
現在コミュニティビジネス(ソーシャルビジネス)に関わっている。
彼からこの2つのテキストを教えてもらった。

 この2回の読書会の内、初回は大前提であり、
時代の背景の理解、一般論と言える。
2回目は具体論であり、各論である。
この2回の読書会で学んだこと、考えたことを次回から発表する。

 ところで、この読書会はテレビ会議システムを利用して行った。
笹本さんたち中心メンバーは山梨県在住で、私は東京にいる。
それが2時間ほどの時間を、テレビ会議システムでつないで、議
論をすることができる。実に便利な物ができたものだ。

9月 08

 以下は4月になって、「政策立案のための学習会」を進めるために、
 さらなる具体的提案をしたものだ。

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 学習会の進め方

(1)「政策立案のための学習会」と他の学習会を区別する
   → 名称も区別する。「政策学習会」と「学習会」など

(2)「政策学習会」

 1.必要な項目、その優先順位を明確にする
   100点満点は必要ない。ベストを尽くし、マストは死守する
   Aの各メンバーの可能な範囲で、1年間全体のどこかで実施すればよい
   全体のスケジュールを考えておく
   無理が続くと破たんする

 2.Aメンバーは「政策の学習会」に、まずは集中する

 3.「公開学習会」と、その準備のための「リサーチ学習会」の区別をする
   後援者や一般に公開する「学習会」(公開学習会)と、
   その準備のための「学習会」(リサーチ学習会)がある
  (研究そのものと、研究のリサーチのための研究と)

   今は、リサーチの段階。問題に関する全体を調査し、
   報告者候補や読書会テキスト候補をさがす
   常に、「全体」と「本質」を意識してほしい

(3)中井が司会をするリサーチ学習会を、A会議メンバーを中心に
   4月、5月初旬までに行う(提案)

 1.民主主義、発展の理解 これはリサーチではなく、前提の確認のため A会議メンバーのみ
 2.新自由主義を検証/テキスト:「良い社会をつくる公共サービスを考える」
 3.「コミュニティビジネス入門」の読書会

(4)他の「学習会」

 横の連携が必要
 報告会を定期的に行い、秋には発表会なども実施

  2010年4月5日