3月 27

2013年に中井ゼミで考えたこと その1

昨年2013年12月29日に中井ゼミの「反省会」がありました。
 私と師弟契約をしている人とそれに準ずる人が集まり、1年の振り返りをしました。
 そこでの意見交換を参考に、昨年1年に考えてきた主な内容を報告したいと思います。

  昨年のゼミ全体としては大きくは3点が指摘できると思います。

 (1)ゼミ全体の能力が高まってきたために、私と師弟契約をしている人やゼミの
    メンバーの間での意見交換、相互批判が、やっと本格的なものになってきました。
    私も、ゼミ運営上の重要なことを彼らに相談できるようになりました。

 (2)内容的には、それは民主主義の問題だったと思います。
    つまり、自由と平等と公正、公平。人格の平等と能力の不平等の矛盾。
    人と人との「まっとうな関係」とは何か
    「批判はなぜしなければならないのか」

 (3)メンバー個人にも、ゼミ自体にも、たくさんの問題が浮き彫りになった1年でした
    問題が自覚された時は、それを解決する能力を持てた時だ、とマルクスが言っています。
    私はこの言葉にいつも励まされてきました。

    このマルクスのコメントには、もちろんヘーゲルの発展の考え方が背景にあります。
    前進することは、そのまま自分の本質へと後戻りすることです。ですから現状以上に
    前進するには、現状を生みだしている自分の本質へと後戻りすることが必要があり、
    そこで問題が問題としてはっきりとするのです。

    たくさんの問題が見えたことは、ゼミの能力の高まりが背景にあり、望ましいことです。
    問題がはっきりするのは、発展のための必然的な1プロセスです。それらの問題を
    解決する力を持てたからこそ、そうした問題がはっきりと表れてきたのだと受け止めて、
    取り組みたいと思っています。

    そうした問題を1つ1つ定式化し答えを出すのが、私の仕事です。

    そうした問題の中からいくつかを報告したいと思います。その定式化や答えとしては
    まだ生煮えの段階のものもありますが、どの問題も現代社会に広く一般的な問題ですから、
    読者の皆さんには問題提起として受け止めていただけると思います。

  ■ 目次 ■

   1 逃げ場としての「哲学」
   2 医者との付き合い方
   3 なぜ批判しなければならないのか
    (1)その人の人生のレベルを決めるもの テーマと人間関係
    (2)批判について
    (3)メンバーからの意見
   4 感情的になることについて
    「認識における感情・感性的の意味」
   5 感覚的な表現の的確さと人格の尊厳
   6 公開の原則
    ○中井ゼミとの関わりを「隠す」こと
    「公開の原則」
  
                                    

3月 25

4月以降のゼミの日程が決まりました。

また、4月と5月の読書会テキストが決まりましたので、お伝えします。

参加希望者は早めに(読書会は1週間前まで、文章ゼミは2週間前まで)連絡ください。
ただし、参加には条件があります。

参加費は1回3000円です。ただし文章ゼミは1回2000円。

◆2014年4月以降の予定

(1)日程

  4月12日 文ゼミと「現実と闘う時間」
  4月26日 読書会と「現実と闘う時間」

  5月10日 文ゼミと「現実と闘う時間」
  5月24日 読書会と「現実と闘う時間」

  6月7日  文ゼミと「現実と闘う時間」
  6月21日 読書会と「現実と闘う時間」

  7月5日  文ゼミと「現実と闘う時間」
  7月19日 読書会と「現実と闘う時間」

  8月21日?24日まで合宿

  ※5月3日?6日の間に、1泊2日での合宿を計画しています。
  その場合は、5月10日はなしになります。

(2)読書会テキストについて

 【1】4月の読書会

   マルクスのアダム・スミス『国富論』への批判的検討を読みます。
  昨年の12月から3回に分けて、アダム・スミス『国富論』(中公文庫)
  を通読しました。その復習にもなると思います。

   テキストはマルクスの『剰余価値学説史』国民文庫版で1巻、2巻。
  テーマは、『国富論』の第1篇における賃金の二重性の問題
  第2編の「生産労働」と「非生産労働」の区別です。

  『剰余価値学説史』国民文庫版はアマゾンから中古品で入手可能です。

 【2】5月の読書会

   今西 錦司『生物の世界』 (講談社文庫 い 26-1) を読みます。
  これは世界的に有名な今西錦司が、若き日に出兵前に遺書として
  書き残した記念的な著作です。

  生物社会の構成原理を生物と環境・社会論と歴史論の面から明確にし、
  ダーウインの進化論を超えたと言われる「今西進化論」の基礎となる
  考え方が示されています。

  今西生物学の所謂「棲み分け理論」をはじめとする思想的自画像風の
  ユニークな文化論でもあります。

   日本人の科学者が、その科学的世界観と論理が世界水準にあることを示した1冊。

2月 18

アダム・スミス『国富論』の読書会の案内

2月と3月の読書会テキストは、アダム・スミスの『国富論』です。

経済学の創始者スミスは、近代という時代の大きな転換点で、
人間について、人間の社会の公平・公正について、国家について、
徹底的に考え抜いた人です。

大きな人間で、
普通はタブーになっているようなことでも、
あけすけにズバリと言ってのけます。
唸ることがしばしばです。

経済に関心のある人、
現代社会をその基礎の基礎から考えてみたい人にとって、
必須の本だと思います。

参加してみませんか。

テキストの全部が読めなくても、参加して聞いているだけでもいいと思います。

希望者は連絡ください。

日時は
2月22日午後5時から7時まで 読書会
3月22日午後5時から7時まで 読書会

テキストは岩波文庫版ではなく、中公文庫版(?、?、?の3冊)で読みます。訳文の点と共同研究が背景にある点で、そうします。

2月は
『国富論』の第2編(文庫?)、第4編(文庫?)を通読します。

3月は
『国富論』の第3編(文庫?)、第5編(文庫?)を通読します。

昨年12月は
『国富論』の第1編を通読しました。
スミスが、予想外に、または予想通りに
大きな存在であることが確認できたので
2回ではなく、3回に分けて
少し丁寧に読みたいと考えました。

2月の
『国富論』の第2編、第4編について

第2編は経済の本質論です。
ここはじっくり読む必要があります。

第4編は経済学史であり、
スミスの時代の世界経済の現代史であり、
スミスの経済学上の立場がはっきり示されるはずです。

小見出しだけは通読し、
面白いと思ったところを読んでみてください。

3月の
『国富論』の第3編、第5編について

第3編は都市と農村の関係論、また歴史的な都市論です。

第5編が、スミスの近代国家論(経済学から見た)です。

これらの読み方はまた説明しますが
小見出しだけを通読しておくことです。

なお、小見出しだけを通読するのには
文庫?の「小見出し一覧」を読むのが便利です。

10月 27

改めて、今年の暮れまでの学習会のスケジュールと読書会テキストをお知らせします。

参加希望者は早めに(読書会は1週間前まで、文章ゼミは2週間前まで)連絡ください。参加には条件があります。

参加費は1回3000円です。ただし文章ゼミは1回2000円。

(1)毎週月曜日のゼミ
 ?日本語文献の読書会 午後5時より
  関口『無冠詞論』を読んでいます。
  今、5章を読んでいるところです。

 ?ドイツ語原書講読 午後7時より
  マルクスの「労働過程論」(『資本論』第1巻第3編第5章)を読み終え、
  来週(11月4日)から、ヘーゲルの「目的論」(『小論理学』204節から212節)を読みます。
  ズールカンプ社版全集第8巻を使用します。

(2)毎月の文章ゼミと読書会の日程

11月9日 文章ゼミ+現実と闘う時間
11月23日 読書会
12月7日 文章ゼミ+現実と闘う時間
12月21日 読書会
12月某日 今年1年の振り返りと忘年会

(3)11月からの読書会テキストについて

 11月23日 読書会(高島善哉著『アダム・スミス』岩波新書 青版 674)
 12月21日 読書会(アダム・スミス『国富論』1 中公文庫)
 2014年1月 読書会(アダム・スミス『国富論』2、3 中公文庫)

 古典派経済学の創始者アダム・スミスの『国富論』を読みます。
 スミスはマルクス『資本論』の前提の労働価値説の創始者でもあります。

 新たに経済学が生まれてきた時代背景を知り、その時代の経済問題と
 雄々しく闘ったスミスの戦いぶりを、読んで考えてみたいと思います。

 高島善哉著『アダム・スミス』岩波新書(青版 674)は古いですが、
 アマゾンで 「中古品」として簡単に購入できます。

 アダム・スミスの『国富論』は、岩波文庫版ではなく、中公文庫版で読みます。
 訳文の点と共同研究が背景にある点で、そうします。

10月 18

今年の夏の集中ゼミでは、マルクスの『資本論』の第1篇「商品と貨幣」と
 第2編「貨幣の資本への転化」を読みました。

 第1篇「商品と貨幣」は一番難解とされています。
 この30年近く、何度も読んできた部分を、今、どのレベルまでマルクスの真意に迫り、
 それをヘーゲルの論理学の視点から批判できるかが、勝負だと思って読みました。

 マルクスのやろうとしていることがわかるようになってきたと、感じました。

 驚いたのは、第1篇「商品と貨幣」では、
 商品交換から貨幣が生成した必然性の証明を目指しているのに対して、
 第2篇「貨幣の資本への転化」では、
 貨幣から資本が生成した必然性の展開になっていないことです。
 ここでは単に、「貨幣による商品の等価交換」と
 「貨幣の増殖という資本形成の過程」の矛盾を示して、
 その矛盾を説明するものでしかないのです。

 このために、本当に第1篇「商品と貨幣」での
 商品交換から貨幣が生成した必然性の証明が必要だったでしょうか。

 その他、今回考えたことをまとめました。

■ 目次 ■

1.マルクスの『資本論』の第1篇「商品と貨幣」、第2編「貨幣の資本への転化」の内在的論理展開
(1)第1篇
(2)第1篇内部の1章から3章の展開の意味
(3)第1篇内部の1章の「判断」と3章の「推理」との関係
(4)第1篇第1章内部
(5)第1篇第1章第4節と第2章
(6)第1篇第1章の本来の展開(代案)
(7)第1篇第1章の第3節
(8)第2篇

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1.マルクスの『資本論』の第1篇「商品と貨幣」、第2篇「貨幣の資本への転化」の内在的論理展開

(1)第1篇
 【1】目的は貨幣の生成の必然性の証明
  そのために、まず商品交換の矛盾を指摘し、その矛盾から貨幣が生成するまでを展開する。
 【2】この第1篇は、ヘーゲル論理学そのもの。
  マルクスのヘーゲル批判の激しさと、ここでのヘーゲル論理学への追従ぶりの激しさとのギャップ。
 【3】この第1篇で、商品の使用価値と交換価値への分裂、労働の二重化の説明をするが、
  それが剰余価値を発見するための前提だった。それが4章で明らかになる。

(2)第1篇内部の1章から3章の展開の意味
  1章は商品交換から貨幣が生成する必然性の論理的証明
  2章は、その貨幣の立場からの生成過程の歴史的振り返り
  3章は、貨幣自身の論理的展開

  これはヘーゲルの論理学における3構成法の踏襲
  【1】生成の必然性の展開 〔生成史〕
  【2】その成果の立場からの振り返り
  【3】その成果自身の展開 〔展開史〕

(3)第1篇内部の1章の「判断」と3章の「推理」との関係
 【1】第1篇は第1章の商品交換(物々交換)から始めている。
  この資本論はブルジョア社会を前提としている。
  そうであれば、ブルジョア社会では物々交換は例外であるからおかしい。
  実際のブルジョア社会での商品交換は実際には貨幣を媒介している。

 【2】しかし、そもそも貨幣の生成過程の説明をしたいのだから、
  貨幣による媒介の段階から始められない。
  そこで貨幣による媒介が外在化せず、まだ内的で潜在的だった段階の物々交換から
  始めるしかなかった。

 【3】この物々交換の場合から始める点だけは、歴史的始まりでもある。
  これは商品交換(物々交換)が歴史的始まりだが、同時に論理的始まりでもあるから。

 【4】第1篇内部の1章「判断」と3章「推理」の関係
  これを概念論でとらえれば、3章は3項からなる推理で、
  1章は2項からなる判断である。
  そして、判断の矛盾が顕在化したのが推理であるという
  ヘーゲル論理学と同じ展開である。推理は判断の止揚なのだ。
  だから判断の2項から始めるしかなかった。

 【5】しかし、マルクスの説明はそうなっていない。
  マルクスは、判断から推理へと言う論理展開を意識できなかったのかもしれない。
  または読者にそうした理解を前提できなかったのか?
  マルクスが理解できなかったとして、それでも事実上、
  ヘーゲルの概念論の展開を行えたことは、マルクスがいかに深く、
  ヘーゲルの方法と能力を身につけていたかを示す。

(4)第1篇第1章内部
  第1節、第2節は、教科書的に、
  商品とその商品を生む労働の内部矛盾(議論の前提)と労働価値節の説明。
  それをまるで定義のような「断定」の形で置く。(「断定は科学の敵」牧野紀之)
  この唐突さはマルクスの本意ではなかったろう。
  読者にとっての「わかりやすさ」のために、こういう展開にしたのではないか。

  第1節、第2節を前提にして、商品の内部矛盾から貨幣を導出するのが第3節。
  ここで、この1節から3節までは、論理的証明。
  それに対して4節は何か。歴史的説明のようだ。

(5)第1篇第1章第4節と第2章
  ともに歴史的過程の確認、それを反映する経済学史の確認である。
  マルクスは、自分の論理的説明に、これらを対置している。

  違いは、4節は、商品内の価値=労働時間(労働価値説)の、
  歴史的展開(事実)と、経済学(事実の理論的反映)の発展の振り返り。
  (つまり第2節への注釈)
  2章は、商品交換→貨幣→金貨の歴史的過程と、
  貨幣の生成の必然性を問わないブルジョア経済学への批判
  (つまり第3節への注釈)

(6)第1篇第1章の本来の展開(代案)
  冒頭に、「問題提起」として、第1章第4節と第2章の内容を置く。
  つまり、商品交換→貨幣→金貨の歴史的過程と、
  商品内の価値=労働時間の歴史的展開。

  次に、それをとらえる経済学の発展の振り返りをして、

  最後に、アダムスミス以来のブルジョア経済学の意義と限界をまとめる。
  その限界を克服するには、論理的説明が必要で、
  それを行ったのがマルクス自身の経済学だとする。
  以上が冒頭の「問題提起」。

  この答えとして、第1篇の第1章の第1節から第3節までを出す。
  そうすれば、第1節、第2節の唐突さもなくなる。
  このように、歴史と経済学史からの問題提起と、
  その答え(論理的展開)とすれば、自然な展開になる。

(7)第1篇第1章の第3節
 【1】論理的説明だが、内在的と言うよりも、機械的(悟性的)な説明になっている
  ・AからBが部分と全体の関係
  ・BからCが「反転」という説明
  ・CからDが「置き変え」

 【2】本来はAとBの交換に内在する矛盾が、顕在化し自己展開したと書くべき
  この分裂、矛盾を全面展開したのが、今のブルジョア社会と、説明するべき

 【3】交換(判断)そのものは本質論なのだが、その内部でのマルクスの説明は、
  存在論のカテゴリーがほとんど。
  質と量、悪無限からの止揚(独立存在)で説明している。

(8)第2篇
 【1】「貨幣から資本への転化」というタイトルだが、
  貨幣から資本の生成の必然性の証明にはなっていない。

  商品と貨幣の等価交換という仮象の中に、本質(秘密=剰余価値)を
  見出したという書き方。つまり推理小説のような面白さ。

  商品交換における使用価値と価値との対立から、
  論理的に「新たに使用価値そのものを生み出すような使用価値である商品」を
  さがすことになり、それが「労働」という商品だった、という展開。
  W-WからW-G-Wを出し、次のG-W-Gとの矛盾を示した。

 【2】なぜ、資本の生成の必然性を展開しなかったのか。
  当時は、それが無理だったからか。
  しかし、それなら、貨幣の生成の必然性を示すことにどれだけの意味があったのか。
  
 【3】マルクスの思考は、概念論よりは、本質論の範囲で動くことが多いように思える。
  用語では存在論のものが多い。そこに問題がある。
  しかし、ヘーゲルの用語を振り回す誰よりも、
  ヘーゲルの考え方を実行しているのもマルクスだ。
  貨幣の生成の必然性、資本主義社会の没落の必然性を書いたことがそれだ。

 【4】唯物史観と剰余価値の発見
  マルクスは剰余価値の発見を、自分の経済学史における最大の功績と考えていた。
  マルクスは、自らがプロレタリアートの立場に立っていることを、
  自分が剰余価値を発見できたことで確認できたと考えていただろう。
  ブルジョア経済学では無理だったと考えていた。

  しかし、剰余価値の創造には、プロレタリアートだけではなく、
  ブルジョアも多大の貢献をしている。それをまったく無視するのはおかしい。

 【5】剰余価値の発見には、第1篇の商品の使用価値と交換価値への分裂、
  労働の二重化が前提だった。それが4章で明らかになる。