8月 23

「迫られる自立」(その3)
 3月の読書会(『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』河原れん著)の記録
  記録者 掛 泰輔

■ 目次 ■

6、参加者の感想(読書会を終えて)
7、記録者の感想
8、中井による補足

========================================

6、参加者の感想(読書会を終えて)

・アメリカのドラマだと医療班は当然のように出てくるのに、
 日本にこれまでなかったことに改めて驚いた。
 組織運営の視点がないと自分が取材した時もダメになるので、
 勉強してみようと思った。(高校生)

・発言者の具体的な立場や名前が大事な部分で出てこないのはやはり
 かなり問題だと思った。
 DAY2からの災害対策本部の内容よりも、DAY1での主人公の
 震災までの動きは物語が貫かれていてかっこよかった。(大学生)

・組織の自立と個人の自立について考えさせられた。(就職活動生)

・県と国の関係や現場と本部の関係には興味があったが、もう少し
 深めて欲しい部分があった。しかしこういうルポの形で残すことに
 意義があるかなと思った。(社会人)

・情緒的な表現が多くて幼稚な感じを受けたが、中井さんの指摘を受けて
 組織運営の視点がないから幼稚なのかな、と思った。私にもその視点が
 ないことに気付かされた。(社会人)

・「感動の」というテロップがうさんくさかった。全体的に浅いと思った。
(大学生)

・国の話がほとんど出てきてないと思った。

 役人の責任はだれが取るのかについて、最後は大臣とか、知事になる。
 局長が責任とるから全部やれって言ってもビビる課長はたくさん
 出てくる。

 だから役所において大臣や政治家が責任を取ってくれないと、
 組織が一丸となって動くのは不可能だと思った。(社会人)

7、記録者の感想
 
 受験が終わって、原発以外の震災関連の本を読んだのはこれが初めて
だった。今回は岩手県庁の中の災害対策本部の医療班という、いままで
関心のない分野の本を読んだ。

しかし危機的状況の中で表れる本質は、私の関心のある原発問題にも
あてはまるような普遍的なものだと思う。

では本書を通して、危機的状況の中で普段は見えない、誰のどういう
本質が見えたか。

例えば自立の問題が私にとって切実だった。
「追い詰められた状況で苦しんで悶々としているときにも、自分を相対化、
コントロールできるのが自立した人間。普段からの備えが大事。」と
中井先生は言う。

「自立した人間じゃないと人を救えない」というのも納得した。
自分が倒れたらそれこそ組織の負担が増えるからだ。
そこで「善意で」人を助けようとしても、限界があることも
本書を通して知った。

では普段からのどういう備えが大事なんだろうか、
どうすることで自分を相対化しコントロールできるのか。

私はこうした問いをいままで自分に突き付けたことは、少なくとも
今回ほど強くはなかった。

どんな組織にも、非常時にも能力を発揮できる人とそうでない人がいる。
危機的状況でその人の能力があぶりだされる。

自分はもちろん前者を目指す。要するに、「俺は自立しなければいけない、
自立を迫られている」、というふうに、今回の震災やそれで提起された
問題をうけとめないとダメなのではないかと思った。

またDAY1で描かれている秋富医師のテーマにぶつかっていく生き方が
とてもかっこよかった。地震が起こったらすぐに県庁に走りこんでいくなど、
普段から虎視眈々と狙いを定め、問題意識を高く保っていなければ
できないのではないかと思った。

8、中井による補足

 2012年7月3日に、盛岡で秋冨さんに会ってきた。
本書の印象とは別人だった。

本書ではとても心情過多で、肝心な時に意思決定ができず、
逡巡を繰り返すダメ人間の側面を強調していた。
しかし、実際はごりごりの理論派だった。

岩手県における地震と津波の災害医療対策の戦略と戦術は、
彼の頭の中ではすでに出来上がっていた。その事前準備も、
一部(秋田県との連携や、本部有力メンバーの理解を得ること)は
実行されていた。

 3.11以降は、彼の戦略をできるだけ忠実に実現するために
努力するだけだった。

災害医療活動では、彼の役割は決定的に大きかった。対策本部の人たちが
当初、頭の中が真っ白だった時に、彼の示した方法だけが大きな
羅針盤であり、それをみなが認めていき、彼を支えた。

県下の、また全国の医療関係者においても、同じことが繰り返されたようだ。
みなが、秋冨さんの作戦を受け入れた。それ以外の選択肢がその時点では
存在しなかったからだ。

しかし、彼は自分の英雄物語にはしたくなかった。そこで、本書では
秋冨さんはあえてピエロ役をも引き受け、本部のみながヒーローに
なれるような本づくりをしたようだ。

秋冨さんは言う。

「本当のヒーローは、あの現場で一生懸命頑張っていた
被災者自身であり、自分たちではないことを災対本部のみんなは
理解していた。

ただ県庁は何もしていないという非難があった時に、
命がけで頑張っていた災対本部の人たちはその非難を耐えているのをみて、
何かがおかしいと感じた。

もともと不幸から始まる災害は、誰もが不幸になる。

ただ相手を理解していなかったり見えなかったりして、いがみあうのは
岩手にとっても日本にとってもよくないと感じた」。

彼の中に、大きな屈折があるのは事実だが、それは今の日本の
医療関係者の中で、災害医療がその正当な位置を与えられず、
災害医療の従事者たちに正当な評価が与えられていないことを
反映しているのだ。

なお、本書には中央の官邸などとの電話のやり取りが頻繁に出てくるが、
その相手の実名はもちろんだが、地位、肩書が出てこない。
「個人名が特定できないようにした」との説明だったが、それでは
組織の問題が検討できないのではないか。

8月 22

「迫られる自立」(その2)
 3月の読書会(『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』河原れん著)の記録
  記録者 掛 泰輔

■ 目次 ■

4、DAY1の検討
5、DAY2?DAY9の検討

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4、DAY1の検討
※ここからの検討では、「→」が参加者のコメント。
特に断りがなければ、中井の発言である。

○組織と個人 発言した人が特定されていない
 P19、撤収命令が下されたとあるが、誰が命令を出したのか。
 書き手はその部分に全く関心がないか、あえて出さないのだと思うが、
 組織の問題を考えるには、その人の地位や立場がわからないと、考えられない。

○本気で腹が固まった人は行動が違う
 P26、「大げさかもしれないが僕はその(災害医療)ための
 危機対応システムを作り上げ、岩手から広めようと本気で思っていた。
 ここで実績を作れば、それを日本に広げられるんじゃないか、と考えていた。」

 彼は実際にこれを本気で思っていた。本気で思っている人は行動
(主人公の震災までの動き)が全然違う。

 P184で触れている上司の突然の自殺が決定的だったと思う。

○全体をまとめるのは県庁
 P29、「しかし何より問題なのはそれ(警察、消防、自衛隊)を統率する
 システムがないことだった。それをできる唯一の組織が自治体、つまり
 県庁になるわけだが、このとき県庁では組織が集まるような体制を
 とっていなかった。」

 全体をまとめるのが県庁の役割であり、国が存在することの意味。
(2度の地震によって)これじゃあだめだという反省はおこって来ている。

○情報がなければ想像する
 P42、「必要なのは想像力だ。現地がどうなっているのか、想像力を働かせて
 対策を考えるしかない。知事が言う。」

 想像力はどうやって得られるか。当然過去から。小山室長は直前の地震のときに
 県の振興局がある宮古にいて、宮古が震災でどうなるかを知っていた。
 だから今回も類推でだいたいわかった。そのことで攻めることができた。

○岩手の準備
 P45、「岩手と秋田の防災担当者を会議の席で引き合わせ、いざという時に
 連携をとれるよう準備していた」

 おたがいに顔を知っているというだけで違う。これはすごく大きい。

○越野氏の存在
 P51、最初の一週間は防災危機管理監の越野が最初の1週間は対策本部の
 トップだった。自衛隊出身の彼がいたことは決定的だったと(取材で小山防災室長が)
 言っていた。自衛隊のトップが昔の自分の部下だったし、自衛隊の専門家だったから。

○守りではなく攻め
 P56、越野「情報が集まらないなら、こちらから拾いに行くしかない。」、
 P58、小山「なにがなんでも勝ちに行くんだ」

 守りに入ったら人間力が出ない。人生死ぬまで攻めればいい。しかし本当に
 攻めるためには守りがそのなかに入ってなくてはいけないが・・・。

5、DAY2?DAY9の検討

○広域搬送のジレンマ
・P91、「この時点で搬送拠点がしっかりしているのは岩手だけだった。
 去年行っていた実地訓練が活かされ、奇しくも広域搬送を行うのに最も適した
 条件を有していた。それでも僕は迷いに迷っていた。」

 個人的な心情レベルと、全体を見て戦略的に考えるレベルでは、矛盾する局面が
 必ず起こる。その時に、トップが揺れてはいけない。

○P96,97、なぜ宮城はDMATを2日で返したのか
・私の推測だが、宮城がDMATを2日で返すことができたのは、東北病院の
 里見病院長が全国の国立大学の病院協会に電話して、宮城に支援をしてくれ
 と言って全国の国立大学から集まったから。
 
 要するに岩手と何が違ったかというと、DMATや救助者の絶対量が違った。
 岩手の方が圧倒的に少なかった。

→4,5月は宮城一極集中だった。NPOのボランティアにしても北方面から
 岩手を助けに来る、というのは少ないように感じた。

○組織と個人 発言した人が特定されていない
・P104、「医療班の責任者としては、派遣人員の安全は絶対に守らなくては
 いけない。」

 ここは本当に大事なポイント。原発事故が起こったら大変なことになる。
 だから官房にきくと「大丈夫、今のところ問題はない」という。
 これ以外のことは言わない。

→官邸は本当にわからないらしい。だからこれ以外に答えようがない。
 わからないときは「わからない」と言うはず。
 しかしどの立場の誰が電話に出ているのかが書かれていない。
 これは組織をわかっていない著者の問題だろう。

○熱意と理性
・P116、「患者を乗せたドクターヘリがあろうことか許可を得ぬまま
 盛岡市内の県警ヘリポートへ着陸すると言う失態を起こしていた。
 重症患者を一秒でも早く病院に連れて行きたいと焦ったパイロットが
 機体を降ろしてしまったのだ。」、

 「なにより怖いのは熱意ばかりが先に立ち、それが大きな二次災害を招く
 かもしれないという理性さえ失っていることだった。」

 2005年の福知山線の事故の時に秋富さんは個人として被災地に行った。
 そういったときに自分のことは自分で責任をとる、ということは言えるが、
 今回のように組織として活動するときに末端の人は責任を取れない。
 二次災害を招くと組織にさらに負担がかかる。

→機体の数や金の問題もある。

○自立した人とは
・P120、「夜が怖いのは心に揺り返しが起こるからだ。なぜ、あのとき、
 ああしなかったのか。あの行動は正しかったのか。あの命を救う方法は、
 なかったのか。」

 そもそも自立した人間だったかどうかが問われる。私も20代の時には、
 2,3日一睡もできないなんて精神状態になるときもあった。
 そういう追い詰められた状況で苦しんで悶々としているときにも、自分を相対化、
 コントロールできるのが自立した人間。普段からの備えが大事。

・P130、「けれど、今まで経験したことのない大混乱でハイになり、
 自らを省みずに危険をおかす人もいる。そのことの怖さを、実家から来た
 電話であらためて気付かされた。医療者の安全だけは、絶対に守らなければ。」

 人を救う立場の人間は自分をコントロールできなくてはいけない。
 結局自分が壊れたらまただれかが自分のめんどうをみなくてはいけない。
 だから、自立した人間じゃないと、人を救えない。

○現地の人へのシワ寄せと外務省マター
・P136、「突然降ってきた政府からの要求に、大慌てで通訳を探し、
 現地消防は部隊配置を決めなくてはいけなかった。なにせこれは
 外務省マターなのだ。「万が一」は絶対に許されない。」

 海外の救助隊が入ってきたという大ニュースの後ろに、現地のぎりぎりのところで
 やってる人たちにシワ寄せがいっているという事実がある。

 里見さん(東北大学病院長)は海外からの援助隊の受け入れにすごく反対した。
 なぜかというと2,3週間たって時点の医療では「問診」が必要になる。
 日本語のできない医療者を受け入れても、誰かが彼らの言葉の面倒をみなければ
 ならない。そんな余裕はない。

 しかし政府から受け入れて欲しい、という強い要望が来る。
 そういうことがたくさんある。

○天下りの必要な側面
・P141、「この震災ではその規則(自衛隊の部外機関へのデータ提供の禁止)
 の枠を超え、(自衛隊は)率先して現地調査まで買って出てくれ、県庁を
 援護してくれた。これは旧知の仲だった越野(防災危機管理官)と
 林師団長がなかば独断的に講じた方策だった。」

 こういうことから考えると、自衛隊の上のポジションの人を災害対策本部(県庁)に
 一人配置しておく、つまり天下りにも必要で正しい面があることになるだろう。
「天下り」全般を否定するのではなく、どういう理由で天下りを受け入れるのかを、
 きちんと説明できればよいだけ。越野さんのような人はこういう状況で最も頼りになる。

○内陸の盛岡と沿岸部の意識の差
・P176、「職員がぽかんとした顔を向ける。沿岸部は盛岡から90キロ以上
 離れている。被災地は「対岸の火事」だ。自分は自衛隊でも何でもない、
 一職員だ。それなのになぜ現場に行かされなくちゃいけない。」

 盛岡市内はほとんど被害がない。沿岸部は壊滅的。対策本部は盛岡市で立ち上がった。
 だからはっきり言えば盛岡の人には当事者意識がない。

→福島が浜通り、中通り、会津で3つに分かれていて、岩手も同じように3つに
 分かれている。しかし福島にしても岩手にしてもそれらの連携はない。それが問題。

8月 21

昨年の秋から、読書会では東日本大震災関連の本を読んできました。
これは、今回の東日本大震災で明らかになった
私たちの社会の構造的な問題を考えたいと思っているからです。

今年3月には
『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』(幻冬舎2012/2/25)を取り上げました。
その読書会の記録を掲載します。

私(中井)は、本書の主人公の秋冨さんにこの7月に実際にあって、話を伺ってきました。
それをふまえて、ラストに補足を中井が書きました。

■ 全体の目次 ■

「迫られる自立」
 3月の読書会(『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』河原れん著)の記録
  記録者 掛 泰輔

1、はじめに
2、参加者の読後感想
3、中井の問題提起
(1)この本は何をテーマにした本なのか
(2)県の災害対策本部、医療班の活動のルポはこれでよいのか
(3)秋冨さんの震災までの動き
(4)災害時における原則
 →ここまで本日(21日)

4、DAY1の検討
5、DAY2?DAY9の検討
 →ここまで22日

6、参加者の感想(読書会を終えて)
7、記録者の感想
8、中井による補足
 →ここまで23日

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■ 本日の目次 ■

「迫られる自立」(その1)
 3月の読書会(『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』河原れん著)の記録
  記録者 掛 泰輔

1、はじめに
2、参加者の読後感想
3、中井の問題提起
(1)この本は何をテーマにした本なのか
(2)県の災害対策本部、医療班の活動のルポはこれでよいのか
(3)秋冨さんの震災までの動き
(4)災害時における原則

========================================

1、はじめに

○日時   2012年3月24日 午後4時から6時
○参加者  中井、社会人3名、大学生2名、就職活動性1名、高校生1名
○テキスト 『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』(幻冬舎2012/2/25)
○著者    河原れん(著)

今回検討する『ナインデイズ』は医療の後方支援の、しかも県庁という行政の中の
医療班の闘いの記録である。

主人公の秋富医師は2008年に、地震の起こる確率が高いと言われていた岩手県の、
岩手大学病院に赴任する。ここで実績を作って、行政の中に医療班を配置して行う
「災害医療」(危機管理システム)を日本に広めようと考えていたからだ。

赴任直後の「岩手宮城内陸地震」、「岩手県沿岸北部地震」によって行政に反省が
生まれたこともあり、その後、秋富医師は県庁の中に「医療班」を配置させ、
そこの責任者になった。

また中井さんは岩手県総合防災室室長の小山氏に取材を行っていたので、
そこでの話も聞くことができた。

2、参加者の読後感想

○中央と現場の乖離具合に問題があると思った。

リアルな現場の判断と全員を助けたいというジレンマに秋富さんの
 問題意識を感じた。(大学生)

○自衛隊について本来の役割を知らなかったが、書かれている自衛隊の
 活動を読むと消防隊と役割が変わらないのではないのかと思った。

 行政、警察、自衛隊、がバラバラで駄目だと思ったが、秋富さんは
 管轄を超えた役割をしていて凄いと思った。(高校生)

○情報がほとんどない中で二つの対立する選択を迫られたときに、
 秋富さんたちは守りではなく攻めの選択をしている点が凄いと思った。

 なぜ災害医療が東北のような災害が頻発する地域でこれまでなかったのか
 疑問に思った。

 人が本気になった時には、現場にいる人に限るが、自分の持ち場とか
 建前的な役割を軽く超えていくものだなと思った。

 p32で岩手にだけの独自の危機対応システムができた、とあるが、
 これは2008年に岩手で起こった二回の地震で意識が変わったからだ
 と思う。
 宮城県は岩手と違いDMAT(災害派遣医療チーム)を二日で帰してしまうが、
 平時における準備の差がこういうところに表れているのではないかと思った。

 p116でドクターヘリが患者を救いたい一心で、県庁の医療班の許可なしに
 着陸してしまったが、善意や感情で最後に動くのは実はとても未熟なのではないか
 と思った。ここが一番リアルに感じた。(大学生)

○普段わからない自衛隊の役割が見えてすごいとおもった。(社会人)
 

3、中井の問題提起

(1)この本は何をテーマにした本なのか

○この著者のやりたいことが見えない
・医療の現場の本は既に出ているし、石巻の病院の本も既に出ている。
 そのような最前線を描いたものに対して、県の災害対策本部(医療班)の
 前提的な指揮、後方支援については誰も触れていないのでそれを描いた
 のだと思う。
 そこで医療班のトップであった秋冨さんを主人公に設定している。

○自衛隊、警察、消防をとりしきる県の災害対策本部が何を考え、何をやったか
 に私は興味がある
・国の話は詳しく報道されているが、県レベルの対策がどうだったかを
 明らかにする本がない。
 この本はそれを明らかにする本ではないが、それへの一歩にはなる。

○医療班の動きがわからない
・秋富さんのいる医療班の動きと、本部の動きが立体的な形で整理されて
 書かれていない。

・秋冨さんの全体的な構想、指揮の様子が具体的に書かれていないので、
 状況がよくわからない。秋富さんが医療班をどう動かしたのか、
 大学病院と医師会の対立をどうまとめたのか、まとめられなかったのか、
 がわからない。

(2)県の災害対策本部、医療班の活動のルポはこれでよいのか

○「組織」という観点の弱さ。
・これだけ大きな問題を扱っているのに、著者自身に「組織とは何か、
 組織運営はいかにあるべきか」という視点がとても弱い。

・医療の問題を扱っているにもかかわらず、日本医師会と大学病院の対立、
 縦割り行政の問題という極めて基本的な問題が、十分に捉えられていない。

・秋冨さんの個人的な活躍と内面的な葛藤が主になっている。医療班の全体の動き、
 その班内部の葛藤や激論、そのトップとしての秋冨さんの動きが見えにくい。

○トップのすべきことや葛藤、苦しさが書かれていない。
・行政を描くなら最終的に責任者がどの段階でそういう決断をしたかの積み重ね
 だと思う。そこが十分に書かれてない。秋富さんはサブで最終決定者ではない。

 最終決定者は小山室長や自衛隊上がりの越野氏。
 組織運営の専門家であり、組織を動かしてきた彼らのトップとしての
 葛藤が知りたい。

(3)秋冨さんの震災までの動き

○秋富さんのスゴさは震災前の動きの中に、すでに現れている。
 それによって、今回の災害対策も決まってくる。

・2005年の福知山線の事故で滋賀県から要請もされないのに、出ていって、
 危険だから引き揚げろと言うのに留まり、最前線で仕事をしたことから
 彼の災害医療が始まった。

・この一年後に彼の上司が自殺していることも秋富さんにとって
 決定的だったのではないか。

・彼は災害医療を日本で確立するために31歳で2008年に滋賀県から
 岩手医大に赴任する。
 次の地震が岩手で最も起こりやすいと言われていたから。
 このあたりも素晴らしい。

・2008年の岩手・宮城内陸地震のときにはまったくの押しかけで県庁に
 飛び込んだが、けんもほろろ。
 しかし2ヶ月後の岩手県沿岸北部地震のときには県の職員のたった一人の
 味方をうまくつかって 県庁に入り、役人に顔を覚えてもらって、
 県議会に災害医療の必要性を訴えた。

・30歳の人間がたったひとりの闘いをこういうふうにやっている。
 私(中井)だったらこここそを中心にした小説にする。

・彼は30を前にして自分のテーマをつかみ、全力でぶつかっていった。
 その意味で彼の前半生は、若い人にとっての「良い人生」のモデル。

(4)災害時における原則

○この本は「原則」がわかりにくい。
・原則とは「守りではなく、攻め」、「まずは自分を救う、守る」、
 「救うことは切り捨てること」、「普段の延長でしかない」など。

・また医療者の自立の問題が問われていない。

・タブーとなっている避難所などの性犯罪の問題に触れている点は他の本にはないし、
 本書の意義。こういうことはしっかりアナウンスされるべき。

6月 26

7月のゼミの日程

7月のゼミの日程が変更になっています。

以下ですが、注意してください。

7月7日
午後5時より「文ゼミ」
その後、「現実と闘う時間」

7月14日
午後4時より読書会
午後6時より「現実と闘う時間」

読書会のテキストは『痴呆を生きるということ』(岩波新書847)です

6月 03

「自己否定」から発展が始まる(その4)
(ベン・シャーン著「ある絵の伝記」の読書会の記録) 記録者 小堀陽子

 ■ 目次 ■

2.読書会
(3)テキストの検討
 <2>「異端について」
 <3>「現代的な評価」
(4)質疑応答
(5)読書会を終えて ─ 参加者の感想

3.記録者の感想
(1)記録を書いて
(2)他人との関わり
(3)自己否定の違い
(4)表現の違い

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2.読書会
(3)テキストの検討

 <2>「異端について」
 〈芸術家と社会の関係〉
 ・110、111p
 → 芸術家は社会と一体になっていたら表現はできないが、
  社会から切り離されて遊離しても表現はできないという、
  矛盾を生きている。

  実はあらゆる人がそう。
  それを極端に最も激しくやらなければ芸術家の仕事はできない。

  これがただの分裂にならないあり方というのはどういうあり方なのか。
 
 ・116pの後ろから2行目
 → この人は保守主義者を否定しない。自分の中に位置づけている。
  最後の行「そういう人の重要性を小さく見積るつもりはない。」
  なぜか。

  過去の芸術を僕たちが今美術館で見ることができるのは、
  まさに保守主義者がそれを守ってきたからだ、という捉え方。

  しかし、どうしても保守主義者は過去の作品が素晴らしいとなって、
  いま生まれている作品は苦手。
  今、生まれているもののどれが本当の芸術か、ということは難しい。

 <3>「現代的な評価」
 〈芸術家と民衆の関係〉
 ・145pから146p
 → 民衆に支持されてたくさん売れるのが良い絵なのか。それとも
  民衆から見向きもされないものこそが良いのか、という問い。
  この人はどちらでない、と例の調子。

 ・145p後ろから2行目?146p6行目
 ≪私も、多くの芸術家と同様に、民衆の賞賛を芸術の評価の標準に
  適用することには大反対である。

  しかし、それと同様に、今述べたような民衆に嫌われることを
  直ちによい作品の標準とする奇妙に逆転した考え方にも、
  私は大反対である。

  民衆の知性がどんなに堕落していようと、また民衆の眼が
  どんなに汚されていようと、民衆こそはわれわれの文化の
  現実性にほかならない。≫

 → ここで現実性という言葉が出ているのはヘーゲルばり。
  民衆こそがわれわれの文化の現実性だと言っている。ただし、
  それは民衆の評価がそのまま正しいということではない。

 ・146p7?15行目
 ≪民衆は、そこに白百合の種子を播くべき沃土である。

  芸術家たる以上は、この現実の縁飾の上に存在をたもつか、
  あるいは、その重要な一部分になるのがわれわれの努めである。

  芸術の民衆に対する価値を構成するものは、
  芸術の基本的な意図であり、責任感である。≫

 → 民衆と芸術家または民衆と政治的指導者、こういう関係は
  いかにあるべきか。
  これは永遠のテーマだが、この人はこういうスタンスで、
  僕も勿論同じだが、それを実現させるのが難しい。

(4)質疑応答

 (社会人)リルケの詩のところで、記憶を忘れてもう一度戻って
   くることを、ヘーゲルとの関連で説明したが、どういうことを
   ヘーゲルは言っているのか。

  →(中井)僕たちは、いろいろな経験をする中で自分を作っていく。
    普通は、経験そのものから次の一歩が出てくると考える。
 
    リルケは違う。この経験を忘れろと。忘れて、それと自分が
    一つになるまでにならなければ、結局次の一歩は出てこない
    と言っている。

    ヘーゲルは、次の一歩が出てくるというのは、一歩前に出る
    と同時に一歩自分の中に入ることだと言っている。

    過去に本当に何があったかが先に進めたこの一歩でわかる。
    その一歩を出す何かがここに十分出来上がった時、前に出る
    と言う。

    更にヘーゲルはこうやって一つ一つ出て行くのは、
    過去の一つ一つに何があったかがわかるという形で、前進即後ろ
    と捉えて、その全体が絶えずその中で明らかになっていく、
    という世界観。

    リルケの捉えようとしていることはヘーゲルと同じだと思う。
    こういう詩人が本物の詩人だと思う。
    このレベルの詩人が日本にいるだろうか。

(5)読書会を終えて ─ 参加者の感想

 (小堀)一人の画家の人の作品を一遍に展示している展覧会を
   初めて見た。学芸員の人の話が面白かった。

   シャーンは1930年代にたくさん写真を撮ったが、それは
   ニューディール政策(中井解説:社会主義的な政策)の仕事だった。
   その時、貧しい農村を撮って来い、必ず子供を撮れとか、
   素足の足を撮れとか、貧しさが強調されるように撮れという
   具体的な指示があった。

   シャーンもその指示に従っているが、あまり悲惨な写真に
   なっていない。ベン・シャーンが相手の人とのコンタクトによって
   一人一人を撮ろうとするのが写真に出ているのが面白いという
   話だった。

   そして実際に写真を見たら、一人一人がとても柔らかい表情を
   していた。そして、文章も人間が存在するような文章は、
   深く人と関われる人でなければ書けないと思った。

  →(中井)表情がいい。(図録46,47pなど)これは全部
    貧しい最下層の人たちだけれど、表情が全部豊か。
    彼の言う「社会から個人に」という方法が写真でも出ている。

 (就職活動生)「解放」という絵を、空虚な絵に描いているのが
   面白かった。自分の場合は就職活動が終わったとき解放されたが、
   その途端に自分になにもないのが明らかになった感じがある。
   そこは自分とつながっていると感じた。

 (社会人)最初言った通りで、特に加えることはない。

 (社会人)私は絵画を理解するのはその人の発展史を共に理解した方が
   いいのかと疑問を持った。固定された概念で見てしまうと、
   作品そのもの自体に迫ることができなくなるとも思う。
   けれど今日は、シャーンの問題意識の変化から作品に違いが
   出来てきたということが納得できた。

 (中井)絵はその一枚の絵で勝負するべきだし、一枚の絵で
  勝負できないものはダメな絵だと思う。

  ただ、ベン・シャーンという人間がやってきたことの全体がわかれば、
  自分が感動した絵の後ろ側にどれだけのものがあったかをわかるから、
  それによってその絵の理解が深まることはある。

  ただ、最初にカス絵だと思ったものが背景を知ったことによって、
  評価がカス絵ではないと変わることはないと思う。

  ベン・シャーンの中にもダメなものもあるが、心に届いてくるものも
  あるから、その意味は考えたい。

  今回は今日話したことをベン・シャーンで考えたが、これは自分自身の
  問題でもある。

  ベン・シャーンは圧倒的にアメリカの民衆に支持された画家。それは
  一つにはわかりやすい。漫画みたいな絵を彼は自分の方法として選んで生きた。

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3.記録者の感想

(1)記録を書いて

   テキストに目を通して、ベン・シャーンの絵が見たくなって
  展覧会に行った。なにか感じるものがあったから絵を見たいと思った
  はずだが、それは言葉にならなかった。

  読書会の最初に読後感想をもとめられた時、私には話すことがなかった。
  テキストに書いてある内容がわからなかったからだ。読書会で他の
  参加者の感想や中井さんの話を聴いてもよくわからなかった。

  記録を残すために、録音を繰り返し聴き、テキストを読み直して、
  やっと自分の感想が言葉になってきた。

(2)他人との関わり

   ベン・シャーン展で彼の撮った写真を見て強く印象に残ったのは、
  被写体のひとたちが、とても柔らかい表情をしていたことだった。
  ベン・シャーンが相手と積極的に関わったことが想像できた。
  そして、こんな表情を見せてくれるまでに、どんな会話がされたの
  だろうと知りたくなった。そして、文章表現にも同じ面があると思った。

  私は学生時代に、小説や随筆を好んで読んでいた。
  自分の心に残った作品は、文章に「ひと」の存在が感じられる
  ものだった。ベン・シャーンの作品は、そういう書き手の文章に
  重なるものがあった。

  今回のテキストで、ベン・シャーンが被写体と向き合う方法論を
  読み、実際にその結果が形になった写真を見た。
  文章表現も同じで、他人との関わりがそのまま表われるのだと思った。

  だから、他人との関わりを避けてきた私には「ひと」を書くことは
  できない、と思う。

(3)自己否定の違い

   大学、大学院で日本文学を専攻していた私は、仕事を始めてから
  小説を読まなくなった。実際に時間や気持ちに余裕がなくなったこと
  もあったが、意識的に読むのを避けた面があった。それは、
  大学院時代の自分を否定する気持ちが文学に関わることを
  拒絶させたからだった。

  全くの親がかりで生きてきた私は、その時期が終わった時、
  自分が大学院で一生懸命していたことは「空っぽな勉強」で、
  実際は「遊び」だったのだと思った。
  「大学院でやっていた文学」は金持ちの遊びに過ぎない、
  私にはもう縁のない世界だと思い、関わることを禁じた。

  勿論「大学院の文学」を否定することは、「本来の文学」の否定には
  つながらないはずだ。けれど私は、今でも文学が存在する意味が
  わからなくなったままだ。

  ベン・シャーンが、パリに学んだ自分を強く否定した中から
  自分独自の方法を作っていく過程を書いていた。
  それについて中井さんが、否定された自分も踏まえて前に進んでいく
  という話をした。否定は、否定した対象を自分の中に位置づけることだと。

  比べてみると、自分の否定は、過去の自分や「文学」を抹殺しようと
  していて、ベン・シャーンの否定とは大きく違うと思った。
  今は、抹殺する否定のあり方は間違いだとなんとなくわかる。
  けれど、過去の自分を抹殺しようという動きが自分の中にはある。

(4)表現の違い

   ベン・シャーンには表現したいものがある。例えば「恐怖をリアルに
  表現したい」という思いがあって、絵を構成していく。目的があるから
  そこに向かって作戦をたてて形にしていく。

  自分が時々書く文章との違いを考えた。
  私の書く文章は表現したいものがはっきりして組み立てて行く文章ではない。

  私が書く時は、自分の中のかたまりを、言葉にすることで、ほぐしている
  という感じがする。絡み合った糸をひとつひとつほぐすようなもので、
  書いていると自分の内側が静かになっていく。
  そしてその作業が今の自分には必要な気がする。(了)