8月 21

昨年の秋から、読書会では東日本大震災関連の本を読んできました。
これは、今回の東日本大震災で明らかになった
私たちの社会の構造的な問題を考えたいと思っているからです。

今年3月には
『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』(幻冬舎2012/2/25)を取り上げました。
その読書会の記録を掲載します。

私(中井)は、本書の主人公の秋冨さんにこの7月に実際にあって、話を伺ってきました。
それをふまえて、ラストに補足を中井が書きました。

■ 全体の目次 ■

「迫られる自立」
 3月の読書会(『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』河原れん著)の記録
  記録者 掛 泰輔

1、はじめに
2、参加者の読後感想
3、中井の問題提起
(1)この本は何をテーマにした本なのか
(2)県の災害対策本部、医療班の活動のルポはこれでよいのか
(3)秋冨さんの震災までの動き
(4)災害時における原則
 →ここまで本日(21日)

4、DAY1の検討
5、DAY2?DAY9の検討
 →ここまで22日

6、参加者の感想(読書会を終えて)
7、記録者の感想
8、中井による補足
 →ここまで23日

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■ 本日の目次 ■

「迫られる自立」(その1)
 3月の読書会(『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』河原れん著)の記録
  記録者 掛 泰輔

1、はじめに
2、参加者の読後感想
3、中井の問題提起
(1)この本は何をテーマにした本なのか
(2)県の災害対策本部、医療班の活動のルポはこれでよいのか
(3)秋冨さんの震災までの動き
(4)災害時における原則

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1、はじめに

○日時   2012年3月24日 午後4時から6時
○参加者  中井、社会人3名、大学生2名、就職活動性1名、高校生1名
○テキスト 『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』(幻冬舎2012/2/25)
○著者    河原れん(著)

今回検討する『ナインデイズ』は医療の後方支援の、しかも県庁という行政の中の
医療班の闘いの記録である。

主人公の秋富医師は2008年に、地震の起こる確率が高いと言われていた岩手県の、
岩手大学病院に赴任する。ここで実績を作って、行政の中に医療班を配置して行う
「災害医療」(危機管理システム)を日本に広めようと考えていたからだ。

赴任直後の「岩手宮城内陸地震」、「岩手県沿岸北部地震」によって行政に反省が
生まれたこともあり、その後、秋富医師は県庁の中に「医療班」を配置させ、
そこの責任者になった。

また中井さんは岩手県総合防災室室長の小山氏に取材を行っていたので、
そこでの話も聞くことができた。

2、参加者の読後感想

○中央と現場の乖離具合に問題があると思った。

リアルな現場の判断と全員を助けたいというジレンマに秋富さんの
 問題意識を感じた。(大学生)

○自衛隊について本来の役割を知らなかったが、書かれている自衛隊の
 活動を読むと消防隊と役割が変わらないのではないのかと思った。

 行政、警察、自衛隊、がバラバラで駄目だと思ったが、秋富さんは
 管轄を超えた役割をしていて凄いと思った。(高校生)

○情報がほとんどない中で二つの対立する選択を迫られたときに、
 秋富さんたちは守りではなく攻めの選択をしている点が凄いと思った。

 なぜ災害医療が東北のような災害が頻発する地域でこれまでなかったのか
 疑問に思った。

 人が本気になった時には、現場にいる人に限るが、自分の持ち場とか
 建前的な役割を軽く超えていくものだなと思った。

 p32で岩手にだけの独自の危機対応システムができた、とあるが、
 これは2008年に岩手で起こった二回の地震で意識が変わったからだ
 と思う。
 宮城県は岩手と違いDMAT(災害派遣医療チーム)を二日で帰してしまうが、
 平時における準備の差がこういうところに表れているのではないかと思った。

 p116でドクターヘリが患者を救いたい一心で、県庁の医療班の許可なしに
 着陸してしまったが、善意や感情で最後に動くのは実はとても未熟なのではないか
 と思った。ここが一番リアルに感じた。(大学生)

○普段わからない自衛隊の役割が見えてすごいとおもった。(社会人)
 

3、中井の問題提起

(1)この本は何をテーマにした本なのか

○この著者のやりたいことが見えない
・医療の現場の本は既に出ているし、石巻の病院の本も既に出ている。
 そのような最前線を描いたものに対して、県の災害対策本部(医療班)の
 前提的な指揮、後方支援については誰も触れていないのでそれを描いた
 のだと思う。
 そこで医療班のトップであった秋冨さんを主人公に設定している。

○自衛隊、警察、消防をとりしきる県の災害対策本部が何を考え、何をやったか
 に私は興味がある
・国の話は詳しく報道されているが、県レベルの対策がどうだったかを
 明らかにする本がない。
 この本はそれを明らかにする本ではないが、それへの一歩にはなる。

○医療班の動きがわからない
・秋富さんのいる医療班の動きと、本部の動きが立体的な形で整理されて
 書かれていない。

・秋冨さんの全体的な構想、指揮の様子が具体的に書かれていないので、
 状況がよくわからない。秋富さんが医療班をどう動かしたのか、
 大学病院と医師会の対立をどうまとめたのか、まとめられなかったのか、
 がわからない。

(2)県の災害対策本部、医療班の活動のルポはこれでよいのか

○「組織」という観点の弱さ。
・これだけ大きな問題を扱っているのに、著者自身に「組織とは何か、
 組織運営はいかにあるべきか」という視点がとても弱い。

・医療の問題を扱っているにもかかわらず、日本医師会と大学病院の対立、
 縦割り行政の問題という極めて基本的な問題が、十分に捉えられていない。

・秋冨さんの個人的な活躍と内面的な葛藤が主になっている。医療班の全体の動き、
 その班内部の葛藤や激論、そのトップとしての秋冨さんの動きが見えにくい。

○トップのすべきことや葛藤、苦しさが書かれていない。
・行政を描くなら最終的に責任者がどの段階でそういう決断をしたかの積み重ね
 だと思う。そこが十分に書かれてない。秋富さんはサブで最終決定者ではない。

 最終決定者は小山室長や自衛隊上がりの越野氏。
 組織運営の専門家であり、組織を動かしてきた彼らのトップとしての
 葛藤が知りたい。

(3)秋冨さんの震災までの動き

○秋富さんのスゴさは震災前の動きの中に、すでに現れている。
 それによって、今回の災害対策も決まってくる。

・2005年の福知山線の事故で滋賀県から要請もされないのに、出ていって、
 危険だから引き揚げろと言うのに留まり、最前線で仕事をしたことから
 彼の災害医療が始まった。

・この一年後に彼の上司が自殺していることも秋富さんにとって
 決定的だったのではないか。

・彼は災害医療を日本で確立するために31歳で2008年に滋賀県から
 岩手医大に赴任する。
 次の地震が岩手で最も起こりやすいと言われていたから。
 このあたりも素晴らしい。

・2008年の岩手・宮城内陸地震のときにはまったくの押しかけで県庁に
 飛び込んだが、けんもほろろ。
 しかし2ヶ月後の岩手県沿岸北部地震のときには県の職員のたった一人の
 味方をうまくつかって 県庁に入り、役人に顔を覚えてもらって、
 県議会に災害医療の必要性を訴えた。

・30歳の人間がたったひとりの闘いをこういうふうにやっている。
 私(中井)だったらこここそを中心にした小説にする。

・彼は30を前にして自分のテーマをつかみ、全力でぶつかっていった。
 その意味で彼の前半生は、若い人にとっての「良い人生」のモデル。

(4)災害時における原則

○この本は「原則」がわかりにくい。
・原則とは「守りではなく、攻め」、「まずは自分を救う、守る」、
 「救うことは切り捨てること」、「普段の延長でしかない」など。

・また医療者の自立の問題が問われていない。

・タブーとなっている避難所などの性犯罪の問題に触れている点は他の本にはないし、
 本書の意義。こういうことはしっかりアナウンスされるべき。

6月 26

7月のゼミの日程

7月のゼミの日程が変更になっています。

以下ですが、注意してください。

7月7日
午後5時より「文ゼミ」
その後、「現実と闘う時間」

7月14日
午後4時より読書会
午後6時より「現実と闘う時間」

読書会のテキストは『痴呆を生きるということ』(岩波新書847)です

6月 03

「自己否定」から発展が始まる(その4)
(ベン・シャーン著「ある絵の伝記」の読書会の記録) 記録者 小堀陽子

 ■ 目次 ■

2.読書会
(3)テキストの検討
 <2>「異端について」
 <3>「現代的な評価」
(4)質疑応答
(5)読書会を終えて ─ 参加者の感想

3.記録者の感想
(1)記録を書いて
(2)他人との関わり
(3)自己否定の違い
(4)表現の違い

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2.読書会
(3)テキストの検討

 <2>「異端について」
 〈芸術家と社会の関係〉
 ・110、111p
 → 芸術家は社会と一体になっていたら表現はできないが、
  社会から切り離されて遊離しても表現はできないという、
  矛盾を生きている。

  実はあらゆる人がそう。
  それを極端に最も激しくやらなければ芸術家の仕事はできない。

  これがただの分裂にならないあり方というのはどういうあり方なのか。
 
 ・116pの後ろから2行目
 → この人は保守主義者を否定しない。自分の中に位置づけている。
  最後の行「そういう人の重要性を小さく見積るつもりはない。」
  なぜか。

  過去の芸術を僕たちが今美術館で見ることができるのは、
  まさに保守主義者がそれを守ってきたからだ、という捉え方。

  しかし、どうしても保守主義者は過去の作品が素晴らしいとなって、
  いま生まれている作品は苦手。
  今、生まれているもののどれが本当の芸術か、ということは難しい。

 <3>「現代的な評価」
 〈芸術家と民衆の関係〉
 ・145pから146p
 → 民衆に支持されてたくさん売れるのが良い絵なのか。それとも
  民衆から見向きもされないものこそが良いのか、という問い。
  この人はどちらでない、と例の調子。

 ・145p後ろから2行目?146p6行目
 ≪私も、多くの芸術家と同様に、民衆の賞賛を芸術の評価の標準に
  適用することには大反対である。

  しかし、それと同様に、今述べたような民衆に嫌われることを
  直ちによい作品の標準とする奇妙に逆転した考え方にも、
  私は大反対である。

  民衆の知性がどんなに堕落していようと、また民衆の眼が
  どんなに汚されていようと、民衆こそはわれわれの文化の
  現実性にほかならない。≫

 → ここで現実性という言葉が出ているのはヘーゲルばり。
  民衆こそがわれわれの文化の現実性だと言っている。ただし、
  それは民衆の評価がそのまま正しいということではない。

 ・146p7?15行目
 ≪民衆は、そこに白百合の種子を播くべき沃土である。

  芸術家たる以上は、この現実の縁飾の上に存在をたもつか、
  あるいは、その重要な一部分になるのがわれわれの努めである。

  芸術の民衆に対する価値を構成するものは、
  芸術の基本的な意図であり、責任感である。≫

 → 民衆と芸術家または民衆と政治的指導者、こういう関係は
  いかにあるべきか。
  これは永遠のテーマだが、この人はこういうスタンスで、
  僕も勿論同じだが、それを実現させるのが難しい。

(4)質疑応答

 (社会人)リルケの詩のところで、記憶を忘れてもう一度戻って
   くることを、ヘーゲルとの関連で説明したが、どういうことを
   ヘーゲルは言っているのか。

  →(中井)僕たちは、いろいろな経験をする中で自分を作っていく。
    普通は、経験そのものから次の一歩が出てくると考える。
 
    リルケは違う。この経験を忘れろと。忘れて、それと自分が
    一つになるまでにならなければ、結局次の一歩は出てこない
    と言っている。

    ヘーゲルは、次の一歩が出てくるというのは、一歩前に出る
    と同時に一歩自分の中に入ることだと言っている。

    過去に本当に何があったかが先に進めたこの一歩でわかる。
    その一歩を出す何かがここに十分出来上がった時、前に出る
    と言う。

    更にヘーゲルはこうやって一つ一つ出て行くのは、
    過去の一つ一つに何があったかがわかるという形で、前進即後ろ
    と捉えて、その全体が絶えずその中で明らかになっていく、
    という世界観。

    リルケの捉えようとしていることはヘーゲルと同じだと思う。
    こういう詩人が本物の詩人だと思う。
    このレベルの詩人が日本にいるだろうか。

(5)読書会を終えて ─ 参加者の感想

 (小堀)一人の画家の人の作品を一遍に展示している展覧会を
   初めて見た。学芸員の人の話が面白かった。

   シャーンは1930年代にたくさん写真を撮ったが、それは
   ニューディール政策(中井解説:社会主義的な政策)の仕事だった。
   その時、貧しい農村を撮って来い、必ず子供を撮れとか、
   素足の足を撮れとか、貧しさが強調されるように撮れという
   具体的な指示があった。

   シャーンもその指示に従っているが、あまり悲惨な写真に
   なっていない。ベン・シャーンが相手の人とのコンタクトによって
   一人一人を撮ろうとするのが写真に出ているのが面白いという
   話だった。

   そして実際に写真を見たら、一人一人がとても柔らかい表情を
   していた。そして、文章も人間が存在するような文章は、
   深く人と関われる人でなければ書けないと思った。

  →(中井)表情がいい。(図録46,47pなど)これは全部
    貧しい最下層の人たちだけれど、表情が全部豊か。
    彼の言う「社会から個人に」という方法が写真でも出ている。

 (就職活動生)「解放」という絵を、空虚な絵に描いているのが
   面白かった。自分の場合は就職活動が終わったとき解放されたが、
   その途端に自分になにもないのが明らかになった感じがある。
   そこは自分とつながっていると感じた。

 (社会人)最初言った通りで、特に加えることはない。

 (社会人)私は絵画を理解するのはその人の発展史を共に理解した方が
   いいのかと疑問を持った。固定された概念で見てしまうと、
   作品そのもの自体に迫ることができなくなるとも思う。
   けれど今日は、シャーンの問題意識の変化から作品に違いが
   出来てきたということが納得できた。

 (中井)絵はその一枚の絵で勝負するべきだし、一枚の絵で
  勝負できないものはダメな絵だと思う。

  ただ、ベン・シャーンという人間がやってきたことの全体がわかれば、
  自分が感動した絵の後ろ側にどれだけのものがあったかをわかるから、
  それによってその絵の理解が深まることはある。

  ただ、最初にカス絵だと思ったものが背景を知ったことによって、
  評価がカス絵ではないと変わることはないと思う。

  ベン・シャーンの中にもダメなものもあるが、心に届いてくるものも
  あるから、その意味は考えたい。

  今回は今日話したことをベン・シャーンで考えたが、これは自分自身の
  問題でもある。

  ベン・シャーンは圧倒的にアメリカの民衆に支持された画家。それは
  一つにはわかりやすい。漫画みたいな絵を彼は自分の方法として選んで生きた。

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3.記録者の感想

(1)記録を書いて

   テキストに目を通して、ベン・シャーンの絵が見たくなって
  展覧会に行った。なにか感じるものがあったから絵を見たいと思った
  はずだが、それは言葉にならなかった。

  読書会の最初に読後感想をもとめられた時、私には話すことがなかった。
  テキストに書いてある内容がわからなかったからだ。読書会で他の
  参加者の感想や中井さんの話を聴いてもよくわからなかった。

  記録を残すために、録音を繰り返し聴き、テキストを読み直して、
  やっと自分の感想が言葉になってきた。

(2)他人との関わり

   ベン・シャーン展で彼の撮った写真を見て強く印象に残ったのは、
  被写体のひとたちが、とても柔らかい表情をしていたことだった。
  ベン・シャーンが相手と積極的に関わったことが想像できた。
  そして、こんな表情を見せてくれるまでに、どんな会話がされたの
  だろうと知りたくなった。そして、文章表現にも同じ面があると思った。

  私は学生時代に、小説や随筆を好んで読んでいた。
  自分の心に残った作品は、文章に「ひと」の存在が感じられる
  ものだった。ベン・シャーンの作品は、そういう書き手の文章に
  重なるものがあった。

  今回のテキストで、ベン・シャーンが被写体と向き合う方法論を
  読み、実際にその結果が形になった写真を見た。
  文章表現も同じで、他人との関わりがそのまま表われるのだと思った。

  だから、他人との関わりを避けてきた私には「ひと」を書くことは
  できない、と思う。

(3)自己否定の違い

   大学、大学院で日本文学を専攻していた私は、仕事を始めてから
  小説を読まなくなった。実際に時間や気持ちに余裕がなくなったこと
  もあったが、意識的に読むのを避けた面があった。それは、
  大学院時代の自分を否定する気持ちが文学に関わることを
  拒絶させたからだった。

  全くの親がかりで生きてきた私は、その時期が終わった時、
  自分が大学院で一生懸命していたことは「空っぽな勉強」で、
  実際は「遊び」だったのだと思った。
  「大学院でやっていた文学」は金持ちの遊びに過ぎない、
  私にはもう縁のない世界だと思い、関わることを禁じた。

  勿論「大学院の文学」を否定することは、「本来の文学」の否定には
  つながらないはずだ。けれど私は、今でも文学が存在する意味が
  わからなくなったままだ。

  ベン・シャーンが、パリに学んだ自分を強く否定した中から
  自分独自の方法を作っていく過程を書いていた。
  それについて中井さんが、否定された自分も踏まえて前に進んでいく
  という話をした。否定は、否定した対象を自分の中に位置づけることだと。

  比べてみると、自分の否定は、過去の自分や「文学」を抹殺しようと
  していて、ベン・シャーンの否定とは大きく違うと思った。
  今は、抹殺する否定のあり方は間違いだとなんとなくわかる。
  けれど、過去の自分を抹殺しようという動きが自分の中にはある。

(4)表現の違い

   ベン・シャーンには表現したいものがある。例えば「恐怖をリアルに
  表現したい」という思いがあって、絵を構成していく。目的があるから
  そこに向かって作戦をたてて形にしていく。

  自分が時々書く文章との違いを考えた。
  私の書く文章は表現したいものがはっきりして組み立てて行く文章ではない。

  私が書く時は、自分の中のかたまりを、言葉にすることで、ほぐしている
  という感じがする。絡み合った糸をひとつひとつほぐすようなもので、
  書いていると自分の内側が静かになっていく。
  そしてその作業が今の自分には必要な気がする。(了)

6月 01

「自己否定」から発展が始まる(その2)
(ベン・シャーン著「ある絵の伝記」の読書会の記録) 記録者 小堀陽子

■ 目次 ■

2.読書会
(3)テキストの検討
 <1>「ある絵の伝記」
     検討2

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 〈自分の方法〉
 ・初めて自分がこれではないかと思えたのが、52pのドレフェスの作品
 (版画集「ドレフェス事件」図録21p、001?008)。
  こういう漫画みたいな絵を単純性、直接性という言葉で表わしている。
  53p後ろから2行目「第一に、私自身の作品が私の人柄とひとつになった。」
  それは当然「世間の反応も大きかった」。

  54p1行目「普通は展覧会に行かない」人々、つまり絵の専門家ではない人が
  見てわかる。そういう絵が、自分がやる方法ではないかと思った。

 〈思想の中身〉
 ・54p真ん中の段落
 ≪私が中心主題に関する絵画の仕事をした時は、内なる批評家は
  やや温和になった。次に問題になるのは、画家の思想そのものの
  中味である。≫

 → 形式がある程度見えてきて次に中身が問題になる。

 ・54p後ろから4行目、人間を「社会的に見る見解」から
  55p1行目の「個々の特殊性」へと変化した。

  この人は当時社会主義的な立場、つまり貧しい人たちに身を寄せて
  その悲惨さを描けばいいという立場にいた。
  それが、個人を見なければならない、と思うようになった。

 ・55p4行目
 ≪絵画や彫刻を見にくるのは、彼という個人があらゆる階級を
  超越し、あらゆる偏見を打破しうることをさとることが
  できるからだ。芸術品の中に彼は彼の独自性が確認されているのを
  見出す。≫

 → 「彼」は作品を見る人。展覧会に来た人が、絵に描かれている
  人が自分と違う階層であっても「これは自分だ」と思う絵になる。

  貧しい人がかわいそうだという立場で絵を描いても、上流階級は
  自分と何の関係も感じられない。さらにその奥に迫れるという考え方。

 〈個人と社会の関係〉
 ・55p7行目
 ≪人は社会的不正に苦しみ、集団的改善を強く望むが、
  いかなる集団であれ個人から成っている。
  個人は誰でも感情をもち、希望や夢をもつことができる。≫

 → こういうことを表現するのが芸術だと思っている。

 ≪このような考え方は私の確信している芸術の統一力に関する考え方と
  矛盾しない。

  私は常にひとつの社会の性格は偉大な創造的作品により形成され、
  統一されること、ひとつの社会はその叙事詩の上に形成され、
  ひとつの社会はその大寺院や、美術品や、音楽や、文学や、
  哲学のような創造作品によって想像するものだと信じてきた。

  社会がかく統一されるのは、高度に個性的な経験が、
  その社会の多数の個人の成員によって、共通にもたれるためであろう。≫

 → 社会と個人の関係。これは大衆と指導者の関係とも同じ。
  一方では全てを敵にまわしてでも闘わなければならないが、
  同時に全てを自分が止揚するために闘わなければならない。
  僕はそう考えている。ベン・シャーンは直感的にそれがわかっている。

 〈否定の意味〉
 ・彼はひとつずつ前を否定して次に行く。パリの絵に毒された自分に
  対してほぼ全否定に近い形から始まる。ではその否定はどういうことか。

 ・56p1行目
 ≪通り過ぎてきた芸術上の経路はすべてその後の作品に
  影響を及ぼし、変化を与えるものだ。

  私が捨てたものがなんであれ、それはそれ自体確実な形成力である。
  私は社会的な人間観を捨てても、共感や愛他心は大切にもち続けている。≫

 → この否定は、ヘーゲル的に言えば止揚されたということ。
  否定はその立場より上に行こうとしたということで、同じレベルで
  否定しているわけではない。

  信念は否定に否定をし続けてきた人だけが持てる。

 〈時代背景─思想の変遷〉
 ・56p後ろから6行目
 ≪私だけが「社会的な夢」に夢中になったのではなかった。
  1930年代には芸術は「大衆思想」に席巻され、一転して
  1940年代には抽象芸術に対する大衆運動が起った。

  社会的な夢が却けられただけでなく、夢全体が却けられた。
  30年代に仮定的な独裁と理論的な対策を描いた画家たちの多くが、
  40年代になると正方形や円錐形や、色彩の糸や、色彩の渦の絵に
  署名されるようになった。≫

 → 「社会的な夢」「仮定的独裁と理論的な対策」は
  マルクス主義者たちの当時の社会主義革命や理論のこと。
  1930年代、この人がまさにマルキシストだった。
  その全否定が抽象芸術という形で出てきた。

  彼は社会主義の形のものではダメだと。しかし、
  その全否定の抽象芸術もダメだと言っている。では何なのか。

 ・57p後ろから4行目
 ≪それまで「社会的写実主義」と呼ばれていた私の芸術は
  一種の「個性的写実主義」に転向した。私は民衆の性格を、
  絶えず興味深いものとして眺めた。≫

 → 自身の絵の変化を「個性的写実主義」と言っている。
  それ以前は、被写体の個性的な表情ではなく、ある役割として
  描いていた。それが「個性的」へ変化しても、やはり
  ある立場を表わしている。それは社会を否定した個性ではない。

  59p真ん中「個性的写実主義、すなわち人間の生活の
  個性的観察、人生と場所の気分の個性的観察」。
  さらに次に行くと、60pの「主観的写実主義」。

  結局今この立場だと言う。そうすると、ずっと写実主義の
  立場にいる。写実主義それ自体を否定する立場、
  抽象画の立場はとらない。

 ・60p1行目
 ≪私の企てたあらゆる変化を通じて、私が絵画の原則として
  もち続けた主義は、外的対象は細部まで鋭敏な眼で
  観察されねばならないが、この観察は総て、内面的な見方
  から形成されねばならない─いわば「主観的写実主義」とも
  称すべき立場であった。≫

 → この「主観的」という言葉は客観性を否定するという
  意味ではない。

  社会主義リアリズムでは、客観世界がそのまま作品に
  反映されると言う。しかしそれは間違い。

  なぜなら社会的な現実を、作者が媒介して作品を作る。
  そうすると、作者が客観世界とどのように関わっているか、
  また作者が人類の絵画の歴史をどのように担って生きているか、
  ということが作品の中に現われてくる。

  これが「主観的写実主義」。

  僕たちは全て自分自身を反映すると同時に自分の周りの
  全てを反映させてあらゆる表現活動を行なっている。

  客観世界にも作者にも矛盾があり、その矛盾から出てくる
  作品にも矛盾が起こる。だからこそ発展できる。

  僕は彼の言葉をそう理解した。彼はそれを自覚した立場で、
  全体を自分は統一しなければならないという意識。
  それは僕の立場でもある。

  ここまでは一般論。次に絵の特殊性の話へ。
 ・60p4行目
 ≪かかる内容は、油絵具であれ、テンペラであれ、
  フレスコであれ、絵具の種類に忠実な方法で
  描かれなければならない。≫

 〈抽象絵画に対する批判〉
 ・60p6行目
 ≪芸術が抽象化し、材料のみに媚びるのをみた私は、
  かかる傾向は画家に袋小路を約束するのみのように
  考えられた。

  私はこの方向を避け、同時に芸術の中にある深い意味を、
  政治的気候の変化にも枯渇しない泉のような意味を
  発見したいと思った。≫

 → 材料のみに媚びる芸術とは、恐らく抽象絵画。
  メッセージを全て排除して、油絵の具は油絵の具だけの
  ものを表現できるという、今もある立場だが、
  自分は違うと言っている。

 〈自分の絵画の位置づけ〉
 ・60p10行目
 ≪一人の画家のスタイルを形成する例の「受納」と「拒否」の
  バッテリーのなかから、ひとつの力として生じてくるものは、
  その画家自身の成長し、変化する仕事だけではない。

  他の現在及び過去の画家の仕事に対する評価も変ってくる。

  われわれはあらゆる傾向を観察して、実り多きものと思える
  方向を続け、他方永続きしないように思われる方向は
  遠ざけねばならない。

  かくして、画家にはある程度の知性も不可欠なものになる。≫

 → あるレベルに到達していく時に、進むと同時に
  彼を生み出した本質のところに戻る運動が起こる。
  これはまさにヘーゲル。

  ある立場に行けば現在の他の画家の仕事に対する評価
  および過去の画家の仕事に対する評価につながる。

  つまり、自分の仕事は、過去のどことつながって
  今自分はこれをやっているのかという自覚。
  ここに僕たちが歴史を勉強する理由がある。

  自分のやっていることを歴史の中に位置づけることが
  できて初めて、その意味が自分の中で確信できる。

 ・その具体的な例が53p7行目
 ≪私が心から寸時も離さなかったのはあのジオットが
  連続的な情景─個々の場面は単純で独立しながらも、

  全体としては彼にとって生きている宗教的な物語を
  表現している多くの情景を描いた際に彼が用いた
  単純性であった。≫

 → 自分の絵画は、絵画の歴史の中のどのことを
  意味づけるものなのか。これが抜き差しならない形で
  現われてくる人がいる。

  だから自分が前に進むことは周りへの批判になると
  同時に過去の意味づけにもなる。

 〈超現実主義に対する批判〉
 ・次の段落は、超現実主義に対する批判。
  人類の歴史で、この人の発展させた方向性以外に
  発展の方向がないのではない。
  違う画家は違う発展ができるしそれで正しい。

  でもこの人にとってはこれしかない。
  その立場からすると、超現実主義は違うと。

  60年代の終り、無意識の世界の中で表現されるものがいい、
  勝手にタイプライターを打って出てきたものが詩だとか、
  そういう一群があった。潜在意識こそが全てだと。61p。

  しかし、この人は潜在意識の持つ力を認めた上で、
  最終的にそれを統一するものを持つのは意図的な自己で
  なければならないと言う。

  例えば野口整体では、無自覚に無意識に僕たちの身体が
  動いて身体を整えている運動が鈍っていくことが問題である
  として、その運動を意識によって高めようとする。

  活元運動はそれを意識的に高めていこうという、
  意識で行なう無意識の運動。そういうことだと思う。

  ここでは、当時の、無意識こそが全てだという運動を、
  彼が位置づけて、自分はそれはやらない、と言っている。

 〈心理学者と芸術家〉
 ・62p5行目。
  ヴァン・ゴッホについての心理学者と芸術家で捉え方が
  違うと言っているが、これは不正確。

  ここで言っている心理学者は馬鹿たれで、心理学もそれが
  本当のものになっていったら、彼が言っているところに行く。
  逆に、芸術家の浅はかな人間が言うことは馬鹿なことだということ。

5月 31

1月に、ベン・シャーン展をみてきた(神奈川県立近代美術館 葉山)。とても心動かされた。

 前から関心を持ち、彼の画集をながめていた。
心に染みてきて、私の体の内側から静かに力が満ちてきて、
背筋をグンとのばしてくれる。

 今回は、彼の絵がどのような形で生まれてくるかを
解き明かすような展覧会になっている。
絵の出自、絵の生成史と、その展開史が一緒に展示されている。
 その意味でも、興味が尽きなかった。

 ベン・シャーン展で、彼の絵の出自、絵の生成史と、
その展開史の展示を見て帰ってから、今度は、
彼自身の言葉でそれを述べている『ある絵の伝記』
(美術出版社)を読みたくなった。

 数年前に一度読んでいたのだが、
今回は実際に実物でその軌跡を確認した上で読んだので、印象が深かった。
そして、ヘーゲルの発展観、人間の意識の内的二分と、
きわめて近い考えが展開されていることに感銘を受けた。

 そこで、『ある絵の伝記』を1月の読書会で取り上げた。
 その読書会の記録である。

■ 全体の目次 ■
1.はじめに
(1)1月読書会について
(2)記録について
(3)テキスト選択の経緯
2.読書会
(1)テーマ
(2)参加者の読後感想
(3)テキストの検討
 <1>「ある絵の伝記」
     検討1 →ここまで本日(5月31日)掲載
     検討2 →6月1日掲載
     検討3 →6月2日掲載
 <2>「異端について」 →以下6月3日掲載
 <3>「現代的な評価」
(4)質疑応答
(5)読書会を終えて─参加者の感想
3.記録者の感想
(1)記録を書いて
(2)他人との関わり
(3)自己否定の違い
(4)表現の違い
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■ 本号の目次 ■
1.はじめに
(1)1月読書会について
(2)記録について
(3)テキスト選択の経緯
2.読書会
(1)テーマ
(2)参加者の読後感想
(3)テキストの検討
 <1>「ある絵の伝記」
     検討1
=====================================
1.はじめに
(1)1月読書会について
  ○日時   2012年1月28日16:00?18:00
  ○参加者  中井、社会人3名、就職活動生1名
  ○テキスト 『ある絵の伝記』(美術選書、1979)より
    主に「ある絵の伝記」 他「異端について」「現代的な評価」
  ○著者   ベン・シャーン(著)、佐藤明(訳)

(2)記録について
  ・以下の記録は、中井の語りを中心にまとめた。但し書きのない箇所は
   中井の発言である。
  ・読書会の(3)テキストの検討 の中で≪ ≫を付した文章は、
   テキスト本文の引用、あるいは要約である。
  ・語られた絵については、作品のタイトル、ベン・シャーン展図録の
   掲載ページ、作品番号を付した。

(3)テキスト選択の経緯
 <1> ベン・シャーン展 
   (神奈川県立近代美術館 葉山 2011.12.3?2012.1.29)
   ベン・シャーンは以前から好きだったが、展覧会を見てきて
  面白かったので、「ある絵の伝記」を読み直した。

  1.画家としての出発点から最晩年の作品が出てくるまでの
   プロセスがよくわかる展示だった。
   「ある絵の伝記」の最初の「シンプルな」作品群はこれ
   (版画集『ドレフュス事件』図録21p、001?008)。
   最初に自分の絵の道を自覚した段階。

   その次の共産主義者が冤罪で殺された時がこれ
   (「四人の検事」22p、010)。

   最晩年の作品、リルケの「マルテの手記」への石版画が
   終りに展示されていた。
   (版画集『一行の詩のためには…:リルケ「マルテの手記」より』、
   図録117?124p、275?298)

  2.絵ができあがるプロセスがわかる展示だった。
   社会で生きる人間を写真で撮って、その写真から絵を
   構成している。

   労働者の写真をたくさん撮っていることも、
   今回の展覧会で初めて知った。

  3.デッサンがたくさん展示されていた。(図録62、63p素描断片)
   シャーンはデッサンを発展させようとしていた。

 <2>ヘーゲルとの類似
  1.「ある絵の伝記」を読み直して、ヘーゲルについて
   今考えているところにかなり符号するものがあったので、
   とりあげた。

  2.今日はヘーゲルの話も少しする。
   生成史と展開史との関係を僕は考えている。
   この「ある絵の伝記」も、この両面を押さえていると思った。

   ある人間、或いはある本質がここに現われるまでの歴史と
   それが現われたあとそれ自体を自ら明らかにする運動。
 
   この両者は大きく見れば1つの歴史、1つの運動だ。だから
   生成史と展開史は何か固定した形で二つと押さえられるのではなく、
   無限の運動になっている。そういうことをいま考えている。
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2.読書会
(1)テーマ
 <1>「ある絵の伝記」
  「寓意」という油絵を描き上げる過程で画家が考えたこと。
  絵の実物はこれ(テキスト口絵「寓意」)。
火事のひとつのシンボルが描かれている。ケダモノの顔、
顔の周りに炎のシンボル。子供たちが横たわっていて、家がある。

 <2>「異端について」
   現実社会の中で芸術家はどこに位置づけられるものなのか、
   という問いの答え。

 <3>「現代的な評価」
   大衆による作品への評価についてどう考えるのか、
   という問いの答え。

(2)参加者の読後感想
  (社会人)面白かった。絵と画家の思想は切り離せない、
    これは本質と現象が一致するという話だと思った。
    また自分を否定する厳しい批評家がいて進化していく
    という話は、中井さんが話していた発展観そのものだと思った。

  (就職活動生)本はほとんど読めなかったので、感想はない。

  (小堀)ベン・シャーンを知らなかったが、テキストを読んで
    絵が見たくなり、展覧会に行った。そこで展示を担当した
    学芸員の講演を聴いた。その話が面白くて、絵も面白く見て来た。

  (社会人)自分が考えている「当事者性」という問題と関係が
    あると思った。

    ベン・シャーンが自分の経験にないことを
    描いた時に、何々風の衣装を装って描いたが、それは自分には
    関係なかったという箇所に、とても共感した。

    そこから、私自身がフラメンコをやっている意味は何か、
    フラメンコという形式を使って表現したいことが
    スペイン人と違っていていいのか、ということを考えた。

    また、社会に巻き込まれながら同時に社会から自分を
    離しておかないといけないと言っていたが、具体的に
    どうやって自分たちの社会の価値観から離れられるのか、
    わからなかった。

(3)テキストの検討
 <1>「ある絵の伝記」
     検討1

 〈全体の感想─中井〉
 まず、これだけ自分の自己反省をしながら絵を描く画家がいることに
 感動した。普通、画家は言葉には出来ない。

 それだけでなく、その中身が非常に良い。ただしシャーンは
 哲学の専門家ではないので、読者は言葉尻を捉えるのではなく、
 彼が問題にしようとしている対象にどれだけ迫れたか、という点を
 考えなければいけない。

 〈画家の立場〉
 ・39pから40p
 → 問題提起。「寓意」というタイトルからも明らかだが、
  この絵にはメッセージがある。他方、絵にはメッセージは
  必要ではない、メッセージがあると絵の純粋性が損なわれる
  という立場もある。これは対立する二つの立場。

  40pの最後「私はこの双方の見解と闘わなければならない」。
  この人は両方の立場と闘っていた。

  あらゆるものは矛盾するから、正反対の二つの立場が
  現われてくる。そして世間では二つの立場が闘っている。

  普通はどちらかの陣営に属するが、真っ当な人は、
  自分の陣営の中とも闘わざるを得なくなる。
  どこかの陣営に属して済むレベルならばその人が
  存在する意味はない。

 ・41pからは、「寓意」に則して言っている。

  ベン・シャーンは42p1行目にあるように挿絵画家だった。
  純粋芸術を言う人からすると、挿絵という大衆画を
  描いている奴は下らないという意識がある。

  しかしシャーンは価値において、挿絵だから即低い、
  油絵だから即高い、という発想ではない立場だと思う。

 〈作品の製作方法・製作過程〉
 ・42p「私は多数の視覚的な事実を調査する。」
  この人はまず現場に入って写真を撮る。次にそのすべてを捨てる。
  捨てた上で普遍的なものに迫ろうとするのがこの人の方法論。

 ・42p後ろから4行目で、一応出来上がるが、満足出来ない。
  43p3行目≪私の画室に多くの反写実的な、象徴的な方向の
  線画が残された。≫
  画材から切り離された断片の中に発展の芽がある、
  と捉えてそれを発展させようとする。

 ・44p4行目から、「線画」と油絵の違いについて述べている。
  音楽に例えれば、油絵はオーケストラで線描はポリフォニー。
  しかし、ジャンルが違うことが即、絵のレベルの上下関係だ
  とは思っていない。

  油絵でしか表現できないものがあり、線描でしか表現できない
  ものがある。
  ここで彼が描きたいと思っているものは油絵の形式でしか
  表現できないものだと言っている。

 ・46p後ろから5行目≪この油絵に私が火事に関して感じて
  きたことのすべてを描き込むことができるのではないか。≫
  僕は展覧会を見てきて、画面構成、色、画面の質感について
  シャーンは考えぬいていると感じた。

  47p1行目≪災害を取り巻く感情的な調子─別の言葉で
  言えば内面的な災害が描きたかったのだ。≫
  この内面性、感情、という言葉は、この人の特別な
  言葉づかいだと思うが、それを表現したいと言っている。

  47p真ん中の段落の最後「私の狼に対する恐怖はリアルで」。
  恐怖感、内面的災害、感情、それをこの絵でリアルに
  表現しようとした、と説明している。

 〈内的二分─強烈な自己否定〉
 ・49p1行目
 ≪芸術家は仕事をしている時は二人の人間になっていて、
  一方はイメージを作り、他方は厳しい批評家である。≫

 → 自分の中で二人の言葉が対立し、片方が芸術家で
  片方が批評家だと言っているが、正確な表現ではない。

  絶えず否定する声が自分の中から出てくるということ。
  これはヘーゲルの内的二分。それによって自分を
  発展させてきた、と言っている。

  50pから、内面の自分がどういう否定を突き付けて
  きたかが書かれている。

 ・51p後ろから2行目
 ≪最初はこんな着想とイメージというような分離が現われる
  ことはなかった。もともと私が絵画に打ち込むようになった
  のは、半分真剣とでもいうような調子だったからである。≫

 → 本気になった時に、自分を否定する自分が強烈に現われる。
  その第一の否定が50p。

  この人は旧ソ連の出身だが、貧しくて8歳の時に家族で
  アメリカに移住した。貧しいので子供の時から働いていた。
  石版画も芸術家としてではなく、職人として身につけた。

  そして、芸術家にとって最先端の場所だったパリに行った。
  ところが、パリの専門的なものは自分にとっては違った。

  50p後ろから2行目「これは私の芸術だろうか」。
  最後「私そのものが、その中心に含まれていない」。
  51p5行目それが「たとえ完全に立派だったとしても」
  「総ては私自身に無関係な芸術」。

  全否定から何かが始まる。