4月 19

人間そのものの本質に迫る本 

『痴呆を生きるということ』 (岩波新書847) 小澤 勲

これは素晴らしい本です。認知症という特殊な病を理解するために大いに有効なだけではありません。これは、人間そのものの本質に迫っている本なのです。

認知症を、外から理解する本は多数あります。この本は、そうした本ではなく、認知症をその内側からとらえようとするのです。
徹底的に患者本人に寄り添い、当人の心の世界を、当人の側から理解しようとします。彼らはどのような世界を生きているのか。それを理解し、その世界をともに生きようとします。

この本は、認知症の人の世界を解き明かしただけではありません。それを通して、すべての人間の本質、社会と家族との関係で生きることの本当の意味を浮き彫りにします。
それほどの深さと広がりを持った本です。

最近、私の父が入院しました。腰をいため、食事がとれなくなったからです。そして入院生活の中で、認知症の症状がはっきりとわかりました。
約2年前から、認知症は進行していたようです。

私が気づくのが遅すぎました。しかし、そんなもののようです。父と一緒に生活し、介護していた母も、父を認知症だとは思わず、「寝ぼけている」とか、「意地が悪くなった」とかとこぼすだけでした。私の妻の母は20年ほど前から認知症で、その義母との関係で私もそれなりに認知症を理解しているつもりでした。しかし、そうではなかった。直接の当事者か否かでは、それほどに違うようです。

今は、少子・高齢化社会です。家族が認知症になり、その介護で悩み苦しんでいる方が多いことと思います。他人ごとではなく、また介護側としてだけではなく、私たち自身が認知症になる可能性も高いのです。

本書をゼミの7月の読書会のテキストにし、認知症への理解を深め、人間の本質を考えてみたいと思います。

最後に本書を読む上でのアドバイスを。

本書は、全体としてのまとまりが弱く、読みにくい部分があります。特に本論である、3章?5章の関係、特に3章と4章の関係がわかりにくいと思います。

一番大事で核心的なのは3章です。ここだけでも読めますし、ここをしっかり読むだけでも、圧倒的に学べると思います。

3章と4章の関係については、本書の続編である『認知症とは何か』 (岩波新書942) を読むとわかります。つまり、大きく言って、中核症状(4章)と周辺状況(3章)との区別なのだと思います。本書に感動した人には、『認知症とは何か』を併読することをおすすめします。

4月 18

4月以降の読書会のテキストが決まりました。

4月28日
大鹿靖明『メルトダウン』(講談社)

5月と6月の2回
『福島原発事故独立検証委員会 調査報告書』(ディスカバー)

7月
『痴呆を生きるということ』岩波新書847

=====================================

4月から6月までの3回で、
東電福島原発事故の経緯と検証を取り上げます。

すでに昨年11月にも、福島県の原発問題を取り上げました。

その時は、福島になぜ、東京電力(自分たちの東北電力ではない)の原発がこれだけ集中したのかを考えました。
それを、地方行政の地方経済の視点から解き明かしている清水 修二 (著)『原発になお地域の未来を託せるか』と、実際に福島県の知事として、東電、国(経済産業省)と闘った佐藤前知事の告発本『福島原発の真実』 を読みました。

事故から1年が過ぎて、当時の関係者たちの証言がそろってきて(東電だけは別)、政府(官邸と経済産業省、文科省など)、原子力安全保安院、原子力安全委員会、東電(本社と現地、下請け)、県や市町村の動きがだいぶ見えてきました。そうしたことをまとめたルポ、検証本を読んでみたいと思います。

ルポでは、大鹿靖明『メルトダウン』(講談社)、朝日新聞特別報道部の『プロメテウスの罠』、東京新聞社原発事故取材班の『レベル7』を読みましたが、『メルトダウン』が一番良いと思いましたので、これをテキストにすることに決めます。
こうした大災害、大事故では、その著者の視野の広さと深さ、その問題意識、その人間観と社会観、それがそのまま出てしまいます。

『福島原発事故独立検証委員会 調査報告書』では、事実経緯や政府や東電の対策の検証だけではなく、社会的、歴史的な背景にまでさかのぼって、検証しています。日本社会の根本的な問題として、原発事故を取り上げる必要があると思います。

4月 02

4月以降のゼミの日程です

(1)文章ゼミと読書会(原則は土曜日)
4月
14日 文ゼミ
28日 読書会

5月
連休中に1日集中ゼミ(日時はまだ未定)

12日 文ゼミ
26日 読書会

6月
9日 文ゼミ
23日 読書会

7月
14日 文ゼミ
28日 読書会

8月は3泊4日の合宿を予定

(2)ヘーゲルゼミ(毎週月曜日)
4月16日より開始

1.日本語文献は午後5時から
テキストは関口は『定冠詞論』

2.ヘーゲル原書講読は午後7時から
テキストは大論理学の概念論

(3)参加費は、毎回三千円です

(4)定期参加者以外は、事前の申し込みが必要です。

3月 09

3月の読書会

ゼミの読書会では、昨年の秋から「東日本大震災で提起された問題」をテーマにしています。

今回は、『ナインデイズ』です。岩手県の対策本部の記録です。県庁という行政のあり方、
最前線と後方支援の関係、自衛隊、警察、消防、海上保安庁、そして医療班の連携のあり方を考えたいと思います。

なお、この対策本部のチーフの小山氏(総合防災室長)には、先日取材してきました。その話しもしたいと思います。

=====================================

◇◆ 3月の読書会とテキスト ◆◇

ゼミの読書会では、昨年の秋から「東日本大震災で提起された問題」をテーマにしています。この震災と原発事故への対応の中で、日本社会の抱えていた諸問題が表に吹き出し、誰の目にも見えるようになってきたこと。これが、今回の大きな不幸の中の、唯一の(と言ってよいと思います)成果です。
それを真剣に学ばなければならないと思っています。

 読書会では、これまで
 10月
   海堂 尊 (監修)『救命─東日本大震災、医師たちの奮闘』新潮社 (2011/08/30)
 11月
   清水 修二 (著)『原発になお地域の未来を託せるか』自治体研究社 (2011/06/15)
   佐藤栄佐久(著)『福島原発の真実』 (平凡社新書) (2011/06/22)
  12月
   『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著)
小学館(2011/10/05)

 以上を読みました。

『救命』は最前線の現場の個人の医師の記録
『石巻赤十字病院の100日間』は、は最前線の医療現場の組織的活動の記録
今回の『ナインデイズ』は、医療の後方支援の、しかも県庁という行政(その中の医療班)としての闘いの記録です。
行政はいつも「悪者」にされますが、彼らを正当に理解しない限り、本当のことがわからないでしょう。
県庁という行政のあり方、最前線と後方支援の関係、自衛隊、警察、消防、海上保安庁、そして医療班の連携のあり方を考えたいと思います。

(1)期日 3月24日 午後4時から6時まで

(2)場所 鶏鳴学園 ※引っ越したので注意してください。
〒113-0034 東京都文京区湯島1?3?6 Uビル7F
地図は、http://g.co/maps/p8pwj を参照のこと
電話03-3818-7405

(3)テキスト
『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』
河原 れん (著) : 幻冬舎 (2012/2/24)

以下はアマゾンからの引用

ひとりでも多く助けたい。
思いは、ただそれだけだった。
東日本大震災での岩手県災害対策本部の闘いを描く、感動のノンフィクションノベル。

2011年3月11日、東日本大震災発災直後、岩手県庁内に設置された災害対策本部。そこで、県の防災室の面々と共に指揮にあたったのは、岩手医大・救命救急センターの医師、秋冨慎司だった。濁流に飲み込まれた被災地。襲いくる火災。錯綜する情報。足りない燃料。悪天候で飛べないヘリ。「被災地で苦しんでる人を、ひとりでも多く助けたい」その一念で、秋冨は寝食を忘れ奮闘する。焦りから声を荒らげ、動かない行政に低頭し、己の力不足に唇を噛み締め……。その激烈な9日間を、膨大で緻密な取材をもとに、リアルに描ききる。

(4)参加費 3000円

2月 21

12月の読書会の記録 『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著) 後半

 ■ 全体の目次 ■

 12月の読書会の記録   記録者 吉木政人
『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子(著)、石巻赤十字病院(著)

1、はじめに
2、参加者の感想
3、組織の全体を書くとはどういうことか(中井)
4、危機にこそ本質が見える(中井)
5、第1章「地震発生」の検討
  →ここまで昨日 掲載
6、第2章「石巻二十二万人の瀬戸際」の検討
7、第3章「終わらない災害医療」の検討
8、記録者の感想
  →ここまで本日掲載

==================================

6.第2章「石巻二十二万人の瀬戸際」の検討

 ○ヒューマニズムとリアルな判断の対立
  P114、交通手段も連絡手段も無く、孤立していた渡波(わたのは)
      地区に医師を送るかどうかという対立が起きた。1200人の
     避難者を見捨てることになるから送るべきだという意見に対して、
     治安の悪い渡波地区で1人の医者が犠牲になれば、その医師が
     救うことができる500人の命を救えなくなるから送れない
     という石井医師。(その後石井医師は警察に出掛け、
     治安が悪いのはデマだと確認し、派遣を決定する)。

    → ヒューマニズムとリアルな判断の対立が起きる。
      「助けてあげなきゃ」という意見と、そうすれば全体として
      救える人が少なくなるというリアルな判断をせざるをえなくなる。

  P122、同じく孤立していた牡鹿半島に行かせてくれという
     若い医師の意見を、石井医師は却下する。「おまえが
     遭難したら、どうするんだ。医師ひとり育つには
     5000万かかってるんだ。救える命が救えなくなる」。

    → こういった発言も、とてもリアル。

 ○行政依存せず、全てを引き受けた石井医師
  P117、石巻赤十字病院以外の他の病院はほとんど機能停止、
     行政も被災し、役所の職員も被災者となった。
     「行政も頑張っていますよ。でも、避難所が300か所、
     推定死亡者数1万人。行政の力だけでは無理だし、私たちは
     医療者ですから医療以外のことはできません、とは
     いえないでしょう」(石井医師)

    → こういう状況の中で全てを何とかしたのが石井医師。
      行政批判をするだけではダメ。
      子供用のマスクが足りなくなった時には、行政は
      「今在庫が2000しかないから渡せない」と言った。
      そういう時に行政に頼っていてはダメ。石井医師は即自分で
      支援物資を頼んで手配を終わらせた。代金は全て無償奉仕させた。
      それはここの病院が電源もパソコンも無事だったから出来たのだが、
      初めネットはつながっていなかった。
      石井医師はNTTと連絡を取りネットを立ち上げるところから
      始めた。

 ○「守り」から「攻め」に
  P118、地震直後の急性期を過ぎても救急患者が減らなかった。
     石井医師は、避難所の衛生環境に原因があると考えた。
     そして300か所の避難所のアセスメント(評価)について、
     行政に頼らず、自分達でローラー作戦をやるという決断をした。
     3月17日から3日間で、病院スタッフや外部からの
     医療支援チームに300もの避難所を回らせ、人数、水や食事、
     電気や暖房の有無、トイレの衛生状況、医療ニーズなどを調査させた。

    → この決断は守りから攻めへと転換したとても大きな決断。
      限られた人員をどう配置するか決めるために、避難所が
      どういう状況にあるか調べた。避難所にいる被災者は、
      津波ではなく、避難所の生活環境で死んでいった。
      その生活環境を知ることが重要だった。300もの避難所の
      アセスメントをやるという決断を良くやったなと思う。
      しかも3日で終わらせた。

 ○1つになれた石巻圏の医療界
  P124、3月20日に「東日本大震災に対する石巻圏合同救護チーム」
     を立ち上げた。石巻赤十字病院が災害拠点病院として、
     医師会や東北大学の医療チーム、日赤救護班、精神科医師団、
     歯科医師団、薬剤師会を一元的に統括することになった。

    → 日本医師会と、民間病院(今回の日赤)や東北大学病院は
      もともと敵対関係にある。普段は仲が悪く、こういう時に
      一つになれない。
      しかし、県の協議会で1つになってやっていくことの
      了解を取った。そこにいた東北大学病院長の里見と石井医師が
      師弟関係であったという背景もあった。1つになって、
      誰かが全体を指揮しないと動かない。
      それを石井医師がやったところが面白い。

 ○「想定外」のない外科医
  P127、普段地味で目立たなかった高橋と魚住が、
     石井医師付きの主事として、緊急時に活躍できた。
     「人の真の姿を見たような気がする」(石井医師)

    → このような震災の時に普段見えなかったもの、
      しかし確かにあったものが表に現れる。
      外科手術は予期しないことが起きることの連続だという。
      何か起きる度に出来る最善の対処をするのが仕事なのだ。
      外科の石井医師は、そういう意味で普段やっていることと
      変わらないと(中井の取材で)言っていた。
      彼らの世界に「想定外」はない。

 ○本当のことが画面から消えている。
  P123、救急不可能と判断し、黒のトリアージをつけて
     見捨てざるをえなかったこと等、大事なことが
     NHKのドキュメンタリーでは消されていた。
     ※『果てなき苦闘 巨大津波医師達の記録』を  
      ゼミ開始前に鑑賞した
     
    → そういう「厳しい現実」をNHKは消してしまう。
      大事な正論の部分は画面から消されてしまう。本当は普段の
      生活でも、人は黒のトリアージをつけながら生きている
      にもかかわらず。
      中井もそういう正論、本音を番組の取材では言うが、
      オンエアされない。

7.第3章「終わらない災害医療」の検討

 ○医療の根源性、全体性
  P156、薬の調査のために被災した家を回ったが、同時に
     トイレの調査もせざるをえなかった。

    → こういうところに医療の全体性がある。薬の前に
      トイレや水の状態といった、生活の根源が問題になる。
      本には書かれていないが、家族関係などの問題もあっただろう。

  P161、避難所での感染症対策として、手洗いができる環境か
     どうかを確認して回った。

    → 手洗いといった生活の基本から崩れ、せっかく津波から
      逃れた人も死んで行ってしまった。

 ○「想定外」は普段の生活・仕事の延長線上
  P186、「日々の医療をきちんとやること、想定外への備えも
     その延長線上にしかないと思う」
     (地域救急救命センターの石橋センター長)。

    → その通りだと思う。普段の中に全てがある。今回の震災で
      本質が分かりやすく前面に出ているが、分かっている人に
      とっては普段から既に分かっていたことにすぎない。
      日々の医療の中に、その延長線上の想定外の医療も含まれている。
      これが発展的な理解。これができなかったから原発事故も起きた。
      原発の当事者は、今回の震災や津波に対して想定外だったから
      ダメだったのではない。普段からダメだったのだ。

 ○患者のニーズに応える
  P187、「そのとき病院や医療者自身がどうありたいか、
     どういう医療をやりたいかではなくて、患者さんの医療ニーズを
     どうすくい上げ、どう応えるか、なのだと今回あらためて
     認識しました」(地域救急救命センターの小林副センター長)

    → 社会人:私は人を教育したり、指導したりする時には、
      どちらかというと、自分がどうやりたいかと考えている。

    → 教育や子育てでもそう。こういう人間になってほしいだとか。
      しかし、まず本人がどうしたいか、何を求めているのかから
      しか始まらない。もちろん親の希望はあることは正当だし、
      教育にも理念があるが、それを子供に押し付けることはできない。
      そもそも親の希望や教育の理念が、客観的に求められている
      こととズレていることも多い。

 ○偶然の死をどう受け入れるか
  P187、「人間は絶対に死ぬ。その死が震災によるものだったと
     思うしかありません」(石橋センター長)

    → 話の内容に賛成はできないが、こういう言い方で
      自分の家族を亡くした人が「救われた」と言っている。
      そんなことでいいのかと思うが、実際に「救われた」と
      言っていることをどう考えたらよいのか。
      偶然的なものが存在しているが、人間はそれを
      必然性として理解せずにはいられないということ。
      しかし、偶然に亡くなるという事実はある。人の生が
      偶然の死によって突然終わってしまうことがあるが、
      それまでどう生きたかということは確かなものとして残る。

 ○自立していることが根本
  P201、被災したスタッフを休ませるべきか、それとも仕事を
     続けさせる方がいいのかという葛藤があった。

    → スタッフに休みを与え、自分を見つめる時間を与えること。
      こういう時だからこそ、自分を見つめる時間を取ることが
      ものすごく大切だったろう。大変な状況の中で、
      「やらなきゃいけない」という思いだけで進んでいくと
      人間は壊れてしまう。あえて、距離を取って、自分の心の中を
      見つめる時間を取ることが大事だろう。

  P202、休むかどうかは自分で、自己管理をして決めていいとした。

    → この自己管理というのはとても厳しい、難しいこと。
      周りがハードに動いている時に、それに流されず自分の状態を
      見つめ、休むことを決めることは厳しいことであり、
      同時に大切なこと。

  P212、災害拠点病院として、自己完結型で医療チームを
     派遣できる態勢を備えていた。食料や水や寝具などを持参し、
     現地で食料等の提供を受けない形態を自己完結型という。

    → ボランティア等も含めて、自己完結型の支援ということを
      どう考えるか。これは物質的という意味だけでなく、
      精神的に自立しているという意味もある。他人に依存している
      人間は、自己完結型の支援はできない。これは自己管理が
      できることが基本にある。それができない人は他人を
      救えないどころか、邪魔をすることが明らかになった。

 ○準備の進んでいた宮城県
  P210、宮城県沖地震を想定して、2010年に
     「石巻地域災害医療実務担当者ネットワーク協議会」が
     立ちあげられていた。今回の震災の前から、県や市役所、
     警察、自衛隊、海上保安庁、近隣の病院などが互いに
     顔を知っている関係にあった。

    → 顔を知って、「○○さん」と分かることはものすごく大きい。
      これが今回の活躍につながった。準備のできていた宮城県と、
      できていなかった福島県では全く違っていた。
      地震の1ヶ月前だったが、石井医師が県のコーディネーターに
      なっていたこともとても大きかった。

    → 地震直後からの映像と記録が残っている。
      いざ事が起こったら記録を残すことも決まっていた。
      そういうところでも準備の意識が違う。

8. 記録者の感想

   私は今回のテキストを自分とは関係のないものとして読んでいた。
  あくまでも緊急の、災害医療の現場のことであり、東京で平穏な
  生活を送っている自分とは関係のない話だということだ。

   しかし、中井さんは危機にこそ、本質が明らかになると言う。
  しかも、その本質は普段から存在しているものであり、
  見えにくいだけのものなのだ。こういう危機の時には
  その本当のことが分かりやすい形で明らかになっているだけなのだ。

   休養などの自己管理(自立)の問題、ヒューマニズムの限界など、
  中井さんの話を聞きながら、自分が他人事としてしか読めなかった
  ことの低さを思った。それは危機の中に本質を見ようと
  していないと同時に、普段の生活の中でも本質を見ようとしていない
  ということではないだろうか。

   石井医師は有限な医療スタッフ、薬等を最大限活用できるように
  避難所のアセスメントを行った。私は自分の限られた時間、
  限られた体力を最大限活用するようなリアルな判断ができて
  いるだろうか。いや、石井医師のように死に接する職業に従事し、
  外科手術で「想定外」に向き合い続けて来た人のリアルさには
  到底及ばない。

   災害医療においての石井医師の活躍は普段の生活、仕事の
  延長線上にあった。そのことを考えると、今回のテキストの内容が
  自分に関係のあるものだという実感も湧いてくる。
  私の今の生活の延長線上に石井医師の強さは無いということに
  実感を持たざるを得ない。

   普段の生活の中に、危機も何もかもが入っているということを
  感じられたことが、今回の読書会の私の成果だ。

─────────────────────────────────