2月 21

12月の読書会の記録 『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著) 後半

 ■ 全体の目次 ■

 12月の読書会の記録   記録者 吉木政人
『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子(著)、石巻赤十字病院(著)

1、はじめに
2、参加者の感想
3、組織の全体を書くとはどういうことか(中井)
4、危機にこそ本質が見える(中井)
5、第1章「地震発生」の検討
  →ここまで昨日 掲載
6、第2章「石巻二十二万人の瀬戸際」の検討
7、第3章「終わらない災害医療」の検討
8、記録者の感想
  →ここまで本日掲載

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6.第2章「石巻二十二万人の瀬戸際」の検討

 ○ヒューマニズムとリアルな判断の対立
  P114、交通手段も連絡手段も無く、孤立していた渡波(わたのは)
      地区に医師を送るかどうかという対立が起きた。1200人の
     避難者を見捨てることになるから送るべきだという意見に対して、
     治安の悪い渡波地区で1人の医者が犠牲になれば、その医師が
     救うことができる500人の命を救えなくなるから送れない
     という石井医師。(その後石井医師は警察に出掛け、
     治安が悪いのはデマだと確認し、派遣を決定する)。

    → ヒューマニズムとリアルな判断の対立が起きる。
      「助けてあげなきゃ」という意見と、そうすれば全体として
      救える人が少なくなるというリアルな判断をせざるをえなくなる。

  P122、同じく孤立していた牡鹿半島に行かせてくれという
     若い医師の意見を、石井医師は却下する。「おまえが
     遭難したら、どうするんだ。医師ひとり育つには
     5000万かかってるんだ。救える命が救えなくなる」。

    → こういった発言も、とてもリアル。

 ○行政依存せず、全てを引き受けた石井医師
  P117、石巻赤十字病院以外の他の病院はほとんど機能停止、
     行政も被災し、役所の職員も被災者となった。
     「行政も頑張っていますよ。でも、避難所が300か所、
     推定死亡者数1万人。行政の力だけでは無理だし、私たちは
     医療者ですから医療以外のことはできません、とは
     いえないでしょう」(石井医師)

    → こういう状況の中で全てを何とかしたのが石井医師。
      行政批判をするだけではダメ。
      子供用のマスクが足りなくなった時には、行政は
      「今在庫が2000しかないから渡せない」と言った。
      そういう時に行政に頼っていてはダメ。石井医師は即自分で
      支援物資を頼んで手配を終わらせた。代金は全て無償奉仕させた。
      それはここの病院が電源もパソコンも無事だったから出来たのだが、
      初めネットはつながっていなかった。
      石井医師はNTTと連絡を取りネットを立ち上げるところから
      始めた。

 ○「守り」から「攻め」に
  P118、地震直後の急性期を過ぎても救急患者が減らなかった。
     石井医師は、避難所の衛生環境に原因があると考えた。
     そして300か所の避難所のアセスメント(評価)について、
     行政に頼らず、自分達でローラー作戦をやるという決断をした。
     3月17日から3日間で、病院スタッフや外部からの
     医療支援チームに300もの避難所を回らせ、人数、水や食事、
     電気や暖房の有無、トイレの衛生状況、医療ニーズなどを調査させた。

    → この決断は守りから攻めへと転換したとても大きな決断。
      限られた人員をどう配置するか決めるために、避難所が
      どういう状況にあるか調べた。避難所にいる被災者は、
      津波ではなく、避難所の生活環境で死んでいった。
      その生活環境を知ることが重要だった。300もの避難所の
      アセスメントをやるという決断を良くやったなと思う。
      しかも3日で終わらせた。

 ○1つになれた石巻圏の医療界
  P124、3月20日に「東日本大震災に対する石巻圏合同救護チーム」
     を立ち上げた。石巻赤十字病院が災害拠点病院として、
     医師会や東北大学の医療チーム、日赤救護班、精神科医師団、
     歯科医師団、薬剤師会を一元的に統括することになった。

    → 日本医師会と、民間病院(今回の日赤)や東北大学病院は
      もともと敵対関係にある。普段は仲が悪く、こういう時に
      一つになれない。
      しかし、県の協議会で1つになってやっていくことの
      了解を取った。そこにいた東北大学病院長の里見と石井医師が
      師弟関係であったという背景もあった。1つになって、
      誰かが全体を指揮しないと動かない。
      それを石井医師がやったところが面白い。

 ○「想定外」のない外科医
  P127、普段地味で目立たなかった高橋と魚住が、
     石井医師付きの主事として、緊急時に活躍できた。
     「人の真の姿を見たような気がする」(石井医師)

    → このような震災の時に普段見えなかったもの、
      しかし確かにあったものが表に現れる。
      外科手術は予期しないことが起きることの連続だという。
      何か起きる度に出来る最善の対処をするのが仕事なのだ。
      外科の石井医師は、そういう意味で普段やっていることと
      変わらないと(中井の取材で)言っていた。
      彼らの世界に「想定外」はない。

 ○本当のことが画面から消えている。
  P123、救急不可能と判断し、黒のトリアージをつけて
     見捨てざるをえなかったこと等、大事なことが
     NHKのドキュメンタリーでは消されていた。
     ※『果てなき苦闘 巨大津波医師達の記録』を  
      ゼミ開始前に鑑賞した
     
    → そういう「厳しい現実」をNHKは消してしまう。
      大事な正論の部分は画面から消されてしまう。本当は普段の
      生活でも、人は黒のトリアージをつけながら生きている
      にもかかわらず。
      中井もそういう正論、本音を番組の取材では言うが、
      オンエアされない。

7.第3章「終わらない災害医療」の検討

 ○医療の根源性、全体性
  P156、薬の調査のために被災した家を回ったが、同時に
     トイレの調査もせざるをえなかった。

    → こういうところに医療の全体性がある。薬の前に
      トイレや水の状態といった、生活の根源が問題になる。
      本には書かれていないが、家族関係などの問題もあっただろう。

  P161、避難所での感染症対策として、手洗いができる環境か
     どうかを確認して回った。

    → 手洗いといった生活の基本から崩れ、せっかく津波から
      逃れた人も死んで行ってしまった。

 ○「想定外」は普段の生活・仕事の延長線上
  P186、「日々の医療をきちんとやること、想定外への備えも
     その延長線上にしかないと思う」
     (地域救急救命センターの石橋センター長)。

    → その通りだと思う。普段の中に全てがある。今回の震災で
      本質が分かりやすく前面に出ているが、分かっている人に
      とっては普段から既に分かっていたことにすぎない。
      日々の医療の中に、その延長線上の想定外の医療も含まれている。
      これが発展的な理解。これができなかったから原発事故も起きた。
      原発の当事者は、今回の震災や津波に対して想定外だったから
      ダメだったのではない。普段からダメだったのだ。

 ○患者のニーズに応える
  P187、「そのとき病院や医療者自身がどうありたいか、
     どういう医療をやりたいかではなくて、患者さんの医療ニーズを
     どうすくい上げ、どう応えるか、なのだと今回あらためて
     認識しました」(地域救急救命センターの小林副センター長)

    → 社会人:私は人を教育したり、指導したりする時には、
      どちらかというと、自分がどうやりたいかと考えている。

    → 教育や子育てでもそう。こういう人間になってほしいだとか。
      しかし、まず本人がどうしたいか、何を求めているのかから
      しか始まらない。もちろん親の希望はあることは正当だし、
      教育にも理念があるが、それを子供に押し付けることはできない。
      そもそも親の希望や教育の理念が、客観的に求められている
      こととズレていることも多い。

 ○偶然の死をどう受け入れるか
  P187、「人間は絶対に死ぬ。その死が震災によるものだったと
     思うしかありません」(石橋センター長)

    → 話の内容に賛成はできないが、こういう言い方で
      自分の家族を亡くした人が「救われた」と言っている。
      そんなことでいいのかと思うが、実際に「救われた」と
      言っていることをどう考えたらよいのか。
      偶然的なものが存在しているが、人間はそれを
      必然性として理解せずにはいられないということ。
      しかし、偶然に亡くなるという事実はある。人の生が
      偶然の死によって突然終わってしまうことがあるが、
      それまでどう生きたかということは確かなものとして残る。

 ○自立していることが根本
  P201、被災したスタッフを休ませるべきか、それとも仕事を
     続けさせる方がいいのかという葛藤があった。

    → スタッフに休みを与え、自分を見つめる時間を与えること。
      こういう時だからこそ、自分を見つめる時間を取ることが
      ものすごく大切だったろう。大変な状況の中で、
      「やらなきゃいけない」という思いだけで進んでいくと
      人間は壊れてしまう。あえて、距離を取って、自分の心の中を
      見つめる時間を取ることが大事だろう。

  P202、休むかどうかは自分で、自己管理をして決めていいとした。

    → この自己管理というのはとても厳しい、難しいこと。
      周りがハードに動いている時に、それに流されず自分の状態を
      見つめ、休むことを決めることは厳しいことであり、
      同時に大切なこと。

  P212、災害拠点病院として、自己完結型で医療チームを
     派遣できる態勢を備えていた。食料や水や寝具などを持参し、
     現地で食料等の提供を受けない形態を自己完結型という。

    → ボランティア等も含めて、自己完結型の支援ということを
      どう考えるか。これは物質的という意味だけでなく、
      精神的に自立しているという意味もある。他人に依存している
      人間は、自己完結型の支援はできない。これは自己管理が
      できることが基本にある。それができない人は他人を
      救えないどころか、邪魔をすることが明らかになった。

 ○準備の進んでいた宮城県
  P210、宮城県沖地震を想定して、2010年に
     「石巻地域災害医療実務担当者ネットワーク協議会」が
     立ちあげられていた。今回の震災の前から、県や市役所、
     警察、自衛隊、海上保安庁、近隣の病院などが互いに
     顔を知っている関係にあった。

    → 顔を知って、「○○さん」と分かることはものすごく大きい。
      これが今回の活躍につながった。準備のできていた宮城県と、
      できていなかった福島県では全く違っていた。
      地震の1ヶ月前だったが、石井医師が県のコーディネーターに
      なっていたこともとても大きかった。

    → 地震直後からの映像と記録が残っている。
      いざ事が起こったら記録を残すことも決まっていた。
      そういうところでも準備の意識が違う。

8. 記録者の感想

   私は今回のテキストを自分とは関係のないものとして読んでいた。
  あくまでも緊急の、災害医療の現場のことであり、東京で平穏な
  生活を送っている自分とは関係のない話だということだ。

   しかし、中井さんは危機にこそ、本質が明らかになると言う。
  しかも、その本質は普段から存在しているものであり、
  見えにくいだけのものなのだ。こういう危機の時には
  その本当のことが分かりやすい形で明らかになっているだけなのだ。

   休養などの自己管理(自立)の問題、ヒューマニズムの限界など、
  中井さんの話を聞きながら、自分が他人事としてしか読めなかった
  ことの低さを思った。それは危機の中に本質を見ようと
  していないと同時に、普段の生活の中でも本質を見ようとしていない
  ということではないだろうか。

   石井医師は有限な医療スタッフ、薬等を最大限活用できるように
  避難所のアセスメントを行った。私は自分の限られた時間、
  限られた体力を最大限活用するようなリアルな判断ができて
  いるだろうか。いや、石井医師のように死に接する職業に従事し、
  外科手術で「想定外」に向き合い続けて来た人のリアルさには
  到底及ばない。

   災害医療においての石井医師の活躍は普段の生活、仕事の
  延長線上にあった。そのことを考えると、今回のテキストの内容が
  自分に関係のあるものだという実感も湧いてくる。
  私の今の生活の延長線上に石井医師の強さは無いということに
  実感を持たざるを得ない。

   普段の生活の中に、危機も何もかもが入っているということを
  感じられたことが、今回の読書会の私の成果だ。

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2月 20

12月の読書会の記録 『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著)

 ゼミの読書会では、昨年の秋から「東日本大震災で提起された問題」
をテーマにしています。

この震災と原発事故への対応の中で、
日本社会の抱えていた諸問題が表に吹き出し、
誰の目にも見えるようになってきたこと。

これが、今回の大きな不幸の中の、
唯一の(と言ってよいと思います)成果です。
それを真剣に学ばなければならないと思っています。

 読書会では、これまで10月にも

 ◆海堂 尊 (監修)『救命─東日本大震災、医師たちの奮闘』
   新潮社 (2011/08/30)

を取り上げました。こちらは個人の医師の活動に焦点を当てたものです。

12月には

 ◆『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著)
   小学館(2011/10/05)

を読みました。これは地域の拠点病院という「組織」に焦点を当てています。
この読書会の記録を掲載します。

■ 全体の目次 ■

 12月の読書会の記録   記録者 吉木政人
『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子(著)、石巻赤十字病院(著)

1、はじめに
2、参加者の感想
3、組織の全体を書くとはどういうことか(中井)
4、危機にこそ本質が見える(中井)
5、第1章「地震発生」の検討
  →ここまで本日 掲載
6、第2章「石巻二十二万人の瀬戸際」の検討
7、第3章「終わらない災害医療」の検討
8、記録者の感想
  →ここまで明日掲載

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◇◆ 12月の読書会の記録 吉木政人 ◆◇

『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子(著)、石巻赤十字病院(著)

1.はじめに

 ○日時   2011年12月22日16:00-18:00
 ○参加者  中井、社会人2名、大学生1名、就職活動生1名、高校生3名
 ○テキスト 『石巻赤十字病院の100日間』(小学館、2011/10/5) 
 ○著者   由井りょう子(著)、石巻赤十字病院(著)

  震災関連としては、10月の『救命』(海堂尊監修)と同じく、
 今回も医療現場のテキストを扱った。『救命』は医者個人についての
 内容だったが、今回は石巻赤十字病院という組織について考えた。

  宮城県の石巻赤十字病院は震災後に、石巻圏の拠点病院として、
 行政をも全てを巻き込んで災害医療にあたった。

  石巻赤十字病院の活躍において決定的だったのが、
 災害対策本部のトップとして組織全体を動かした石井正医師の存在だ。
その石井医師が石巻赤十字病院だけでなく、石巻圏全体の医療を、
 行政をも巻き込んで指揮したのである。

  中井さんは現地取材をし、この石井医師に直接インタビューを
 行っていたので、そこでの話も読書会で聞くことが出来た。

  災害時という危機にこそ、本質がハッキリと明らかになっている
 ことが分かる。本当は普段からあるのだが見えにくい本質が、
 分かりやすい形で現れるのだ。

2.参加者の感想

 ○とにかく石井医師はスゴイと思った。自分が石井医師のような
  人にどうやって対峙したら良いかと考えた。(大学生)

 ○一番面白かったのは、石巻赤十字病院が自ら災害拠点病院に
  なっていたところ。当然上からの指示で決まると思っていた。
  それも看護師だった人が自分から声をあげて始まったところが
  面白かった。また、普段はいつもボーっとしているように
  見えていた参謀の二人が、こういう緊急時に活躍したというのも
  面白かった。(社会人)

 ○黒の「トリアージ」(患者を選別し、治療の優先順位を
  つける行為。黒は救命不可能の超重症者を意味する)をつけて
  身捨ててしまうことが気になった。確かにしょうがないと
  いうのも分かるが、黒のトリアージにもっと人員を
  かけられないかなと思った。(高校生)

 ○トリアージエリア設置など、このような危険な状況にもかかわらず、
  早い対応ができたのがスゴいと思った。現場が殺気立っていたことも
  実感することが出来た。(高校生)

 ○食料で苦しんでいる人の言葉、セリフがそのまま書かれていて、
  それは一番グッと来たし、つらいなと思った。「ミルクを下さい」
  という母親に対して、病院はミルクをあげることができなかった。
  (高校生)

 ○緊急時の、災害医療の現場のことを、自分のことに引きつけて
  読むことができなかった。また、医者にしても、ボランティアに
  しても、患者にしても、当事者意識が弱くお客様意識の強い人は
  どうしようもないなと思った。(就職活動生)

3.組織の全体を書くとはどういうことか(中井)

 ○個人の視点の『救命』、組織の視点の『石巻赤十字病院の100日間』
  ・前回の『救命』はあくまでも、個人でどう動いたかという話。
  ・個人でどう動いたかよりも、まずは全体を知りたい。
   まずは全体として何が問題だったかが重要だし、そこを知りたい。
   全体を知る手掛かりとして今回のテキストがある。
   石井さんに話を聞いたのも全体を見ていた人の話が
   聞きたかったから。
 
 ○本書は組織の全体が書けていない
  ・本書はそれぞれの部署から考えた本でしかない。
   それぞれの部署で、それぞれこうだったということを
   並べても全体は見えない。部分を足せば全体になるという
   足し算の考え方。しかし、組織とはそんなものではない。

 ○組織の理念が書けていない
  ・組織の理念、目的が全てを支配する。しかし、この本では
   その理念が出せない。石巻赤十字病院の理念は何だったのか。
   今回の震災対応で貫かれた理念とは何だったのかが分からない。
   本当は最初に理念があって、その理念が全部署、全個人を支配する。
   そういう視点が無い。

 ○組織のトップが書けていない
  ・本当は中心がある。それは石井さんであり、災害対策本部。
   その頭がどう動いたかという視点がない。
  ・この病院の特別な点は、石井さんが地域の全体を
   一元管理する体制を作ったこと。行政までも含めて
   全てを巻き込んだ一元管理体制を作った。
   この点が圧倒的に素晴らしかった。こういう時に
   行政を批判しているだけなのは最低。
  ・石巻赤十字病院が著者ということになっていて、「当院」
   という表現が連続する。ここには主人公、リーダーがいては
   ならないことになっている。
   石巻赤十字病院が主人公。「みんなが主人公」という小学生の
   レベル。それは嘘だ。実際は石井さんがリーダーだったに
   決まっている。
   こういうエセ民主主義をどう思うだろうか。私は間違いだと思う。

 ○組織外からの視点がない
  ・石巻赤十字病院からの視点だけで、外部からの視点は無い。
   それでは本当の問題、矛盾は明らかにならない。この本に直接
   外部からの視点は無くても良いが、取材としては外部からの視点も
   必要。
   つまり、行政や警察や医師会、自衛隊など。
  ・こういう時、警察、特に自衛隊からの肉声は抹殺されている。
   公的な仕事の人の「顔」が見えない。唯一自衛隊に肩入れしたのは
   長渕剛くらい。どうして日本の社会はこうなのだろうか。
   自衛隊の人達の生の声、不満が外に出ない形でいいのだろうか。
   誰もやらないのなら、本当は私(中井)が自衛隊に取材しないと
   いけないのかもしれない。

 ○「感動物語」の本
  ・この本では、対立や矛盾が明らかにならない。「頑張った」
   「素晴らしい」「かなしい」といったレベルにとどまっている。
   これが普通のレベル。

4.危機にこそ、本質が見える(中井)

 ○危機にこそ、本質が見える
  ・私がなぜ震災に関心を持つかというと、こういう危機にこそ
   普段見えなかったものがハッキリと姿を現わすから。
   それが最大の面白さ。黒のトリアージの人を見捨てる話が出たが、
   実は普段見えないだけであって、普段からそういうことは
   やっている。「かわいそう」という考え方自体がダメ。
  ・そういう本当のことは何てシンプルで論理的なんだろう。
   素晴らしい。
  ・危機に現れている本質から、もう一度原則をハッキリさせて
   やっていきたい。

 ○善意やヒューマニズムの限界
  ・善意やヒューマニズムでは何も救えないことが明らかになった。
   そういうのは絵空事でしかない。それが絵空事だということが、
   危機の時にハッキリする。そこに投入できるヒト・モノ・カネは
   有限。普段は有限だということを見ないで済む。本当は普段から
   限界があるのだが、しかしこういう危機では表に現れる。
  ・石井さんが素晴らしいと思うのは、絶えずカネの問題を
   露骨に出すこと。
   「一人の医者のために何千万円かかっていると思っているんだ」
   というセリフ。それだけのカネがかかっている医者を
   いかに回して、最大効率をあげるかということをいつも考えた。
   これが本当のリアルであり、本当の理想主義だ。
   リアルがない理想主義はただの絵空事。
  ・ヒューマニズムでボランティアをやる人は、現場にとって
   迷惑になることが多い。「自己完結型」の支援でなくてはならない。
   そのためには自立していなければならない。

 ○まずは自分を救う
  ・まず何よりも真っ先に最優先に救わなきゃいけないのは、自分。
   他人ではない。自分を救えなかったら他人も救えない。
   石巻赤十字病院にとっては、まずスタッフを救うことが肝心だった。

 ○行政依存でなく、自分で全てを引き受ける
  ・行政依存はダメ。自分が全てを引き受けるしかない。石井さんは
   県のコーディネーター(震災のたった1ヶ月前に任命されていた)
   としての権限、肩書きを最大限利用した。

 ○医療の全体性
  ・医療行為というものが生活の全体につながるということが分かった。
   医療が食料から何から一切合切、全てを請け負った。それは医療が
   本来そういうものだということ。今回の震災では口内炎になって
   食べられない人が多かった。
   食べるという生きる上での根源的なところまで話が進んだが、
   それは危機にあったからこそ本質が現れたということ。

5.第1章「地震発生」の検討 
 ※各章の検討では、「→」が参加者のコメント。
  特に断りが無ければ、中井の発言である。

 ○「マニュアル」をどう考えるか
  P26、地震発生からわずか1時間で救急患者の受け入れ態勢ができた。
     トリアージエリアの設置(患者の治療優先度に応じて
     赤、黄、緑、黒に色分けしたスペースを作った)と、
     医療スタッフの人員配置ができた。
     1年がかりで実践的な災害対策マニュアルを作っていたことが
     活かされた。

   → マニュアルがあればいいというものではない。
     普通の災害対策マニュアルは全然役に立たない。しかし、
     石井医師達は1年かけて自分達で実践的なマニュアルを
     作りあげていた。
     「マニュアル」という言葉だけで考えても意味がない。
     重要なのは、マニュアルがあるかないかというレベル
     ではなく、マニュアルの実質的なナカミ。

 ○まずは自分達を守ること
  P62、看護係長佐藤京子「私たちが、家族の代わりになることは
     絶対にできません。ただ、よりそって話を聞いてあげるだけ。
     なんでもいいんです、聞いてあげることが大事なのです。ただ、
     そのためには自分を一定に保つよう心がけます」

   → よく「相手を受け入れなさい」ということが言われるが、
     実際には自分を一定に保たない限り相手の話を聞くことは
     できない。それが重要なのだ。こうした指摘はとてもリアル。  

  P74、救援物資の受け入れで事務方の職員は仮眠すらできなくなって
     しまった。そこで夜の11時から朝の6時までは受け付けない
     ことにした。

   → まずは自分達(ここでは病院スタッフ)を守らないといけない。
     自分が倒れては元も子もない。

 
 ○人が本気になった時の態度
  P70、一度来た民間の給水車が帰るのを引きとめた。
    ずっと石巻にとどまってもらい、水道局と往復させ続け、
    病院に水を送り続けさせた。

   → 医療行為そのものではないことまで自分でやらなくてはならない。
     行政がどうこうという姿勢では、ダメ。死んでしまう。

   → 就職活動生:人が本気になった時の態度、言葉は違う。

2月 13

2月の読書会

 今回は、『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』河北新報社 (著)
を取り上げ、ジャーナリズムと震災を考えたいと思います。

 読書会では、昨年の秋から「東日本大震災で提起された問題」をテーマにしています。
 この震災と原発事故への対応の中で、日本社会の抱えていた諸問題が表に吹き出し、誰の目にも見えるようになってきたこと。
これが、今回の大きな不幸の中の、唯一の(と言ってよいと思います)成果です。それを真剣に学ばなければならないと思っています。

 読書会では、これまで

 10月
 ◆海堂 尊 (監修)『救命─東日本大震災、医師たちの奮闘』
   新潮社 (2011/08/30)

 11月
 ◆清水 修二 (著)『原発になお地域の未来を託せるか』
   自治体研究社 (2011/06/15)
 ◆佐藤栄佐久(著)『福島原発の真実』
   (平凡社新書) (2011/06/22)

 12月
 ◆『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著)
   小学館(2011/10/05)

 以上を読みました。次は、地元新聞を取り上げます。

(1)期日 2月25日 午後4時から6時まで
(2)場所 鶏鳴学園の3階
(3)テキスト
  『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』河北新報社 (著)
   文藝春秋 (2011/10/27)
   ¥ 1,400
(4)参加費 3000円
参加希望者は、鶏鳴学園まで申し込み下さい。

今回は、ジャーナリズムと震災を考えたいと思います。

新聞とは何か。
地元紙とは何か。何をするべきか
震災下の地元紙とは何か。何をするべきか。

『河北新報』とは宮城県仙台市に本社がある、
宮城県を中心にした東北の地元紙です。
その震災直後からの1カ月ほどの活動の日々を、
自らが振り返ったドキュメントです。

「肉親を喪いながらも取材を続けた総局長、殉職した販売店主、
倒壊した組版システム、被災者から浴びた罵声、避難所から出勤する記者」
とアマゾンの内容紹介にあります。

参加希望者は、以下に申し込み下さい。

            鶏鳴学園 読書会事務局
  メールアドレス sogo-m@mx5.nisiq.net
 ホームページ http://www.keimei-kokugo.net/

1月 14

ベン・シャーン展を見てきました。彼の絵の出自と生成史、その展開史を見せつけられた印象が深かったです。
それを、彼自身の言葉でも確認したいので、『ある絵の伝記』を1月の読書会テキストにします。

———————————————————–

◇◆ ベン・シャーンの絵の生成史と展開史  ◆◇

ベン・シャーン展をみてきた。とても心動かされた。

前から関心を持ち、彼の画集をながめていた。心に染みてきて、私の体の内側から静かに力が満ちてきて、背筋をグンとのばしてくれる。

有名な《ラッキードラゴン》 1960年 テンペラ・綿布
は、日本の漁船がアメリカの水爆実験に巻き込まれ放射能被曝をした第五福竜丸(ラッキードラゴン)事件を題材にしたもの。
そうした社会派の側面を強く持ちながら、
リルケの「マルテの手記」の1節を版画集にしているような側面もある。これがいい。

『版画集:リルケ「マルテの手記」より:一行の詩のためには…』はどうしても実物が見たく、大川美術館まで行き、鎌倉の近代美術館にも行った。

今回は、彼の絵がどのような形で生まれてくるかを解き明かすような展覧会になっている。絵の出自、絵の生成史と、その展開史が一緒に展示されている。

その意味でも、興味が尽きなかった。

ベン・シャーン展については、以下を参照のこと。1月29日まで

神奈川県立近代美術館 葉山
〒240-0111
神奈川県三浦郡葉山町一色2208-1
電話:046-875-2800(代表)
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2011/benshahn/index.html

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◇◆ 1月の読書会とテキスト ◆◇

ベン・シャーン展で、彼の絵の出自、絵の生成史と、その展開史の展示を見て帰ってから、今度は、彼自身の言葉でそれを述べている『ある絵の伝記』(美術出版社)を読みたくなった。

数年前に「マルテの手記」の版画集を見た際に、一度読んでいたのだが、今回は実際に実物でその軌跡を確認した上で読んだので、印象が深かった。そして、ヘーゲルの発展観、人間の意識の内的二分と、きわめて近い考えが展開されていることに感銘を受けた。

そこで、東日本大震災シリーズを1回お休みして、『ある絵の伝記』を1月の読書会では取り上げる。

(1)日時 1月28日(土曜日)午後4時から6時まで  
  ※ただし、日時に変更の可能性があるので、必ず確認してください。

(2)テキスト
ベン・シャーン『ある絵の伝記』(美術出版社)
 その中の特に、「ある絵の伝記」

1月 04

11月の読書会の記録 太田峻文

 (佐藤栄佐久『福島原発の真実』,清水修二『原発になお地域の未来を託せるか』)

 ■ 目次 ■

 4、佐藤栄佐久『福島原発の真実』の検討
 5、清水修二『原発になお地域の未来を託せるか』の検討
 6、記録者の感想

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4、佐藤栄佐久『福島原発の真実』の検討

 全体について
 
 〇汚職事件で逮捕

・佐藤前知事は検察にハメられたと主張するが、有罪が確定するも
 収賄額ゼロという認定からは、前知事の主張の妥当性がわかると思う。

・国と徹底的に喧嘩する人は、過去の読書会で扱った佐藤優のように、
 検察によって潰されていくことが、事実としてあるのではないか。

・県知事が東電や国と喧嘩をすることで、彼にも読者にも
 見えてくるものがある。

 〇本質論

・普通の政治家は利益誘導だけを考えて調整すれば良いので、
 本質論なんてやらない。

・佐藤知事は原子力政策で本質論をやろうとした所に凄さを感じる。

・本気で物事に取り組む人、本気で国家と喧嘩をする覚悟がある人は、
 本質論をやらないと話にならない。

 第1章:事故は隠されていた

・1991年1月の、第二原発3号基の部品脱落事故。

・原発政策に自治体はなんの権限も無く、関与できない。

 第2章:まぼろしの核サイクル 

 〇官僚の無責任さ

・核燃料の処理に関する、知事と官僚との約束が破られる。
 官僚は異動してしまえば責任のがれができる。
 その責任は誰がとるのか?

 〇本気で戦う人の姿勢

・原発政策に対して国に申し入れをする際、
 原発集中地域である福島、新潟、福井の3県に絞る。

・県の原子力関係部門を課に格上げして、さらに専門家を入れる。

 〇本質論に向けて

・議論を尽くす事を目的に「核燃料サイクル懇話会」を設置。
 ここが、本質論のレベルの始まり。

・4回目の懇話会に『原発になお地域の未来を託せるか』の著者、清水さんが
 呼ばれている。原発について本質論をやる時に欠かせない人。

 〇リーダー論 

・自治体の不適切な支出、膨大な接待が発覚。佐藤知事は職員に
 徹底的に討論させ、最終的に課長以上の職員に、200万円を
 県に返還させることを決断。

・つまり、多数決ではなく、最終決定をトップが行い、
 その責任をトップが取るというスタンス。

・今回の震災で、責任を取ろうとしないトップがいかに多かったか。

 3章:安全神話の失墜

 〇リスク管理

・JCO臨界事故において、リスク管理の欠如が明らかになる。

 〇地方の過疎の問題

・県庁所在地であるにも関わらず、駅前はシャッター通りに
 なっていている。

・古い町並みにあった商店街はほとんど潰れ、一方で郊外の
 ショッピングセンターが栄えている。

・平成の大合併。地域のコミュニティを無視した、政府主導の
 アメとムチの政策。

・大規模小売店鋪法。規制緩和の名の下に押し進められた
 経済産業省の新自由主義政策。

・地方の過疎化を加速させた新自由主義の政策にも、
 正当な理由(競争がなく、時代に取り残された)はあるが、
 今は全体を考えた政策が必要。

・佐藤知事は以上の政策に反対の姿勢を示してきたが、
 その対応策は成功しているのかは不明。

 第4章:核燃料税の攻防

 〇プルサーマル計画

・計画実施をめぐり、国、官僚があの手この手で揺さぶりをかけ、
 東電が脅しをかけたりと、そのやりとりが実におもしろい。

・経産相の知らないうちに、役人たちが動いていろいろな事が
 進められてしまうと知事が言っている。

 〇経産省内の電力自由化抗争

・「新規電源凍結騒動」の結果、電力自由化論者の官僚が経産省を追われる。
 このことから、原発推進派=反電力自由化という理解で良いのだろうか。
 また、この電力自由化論は55年体制を是正しようとする流れから
 来ているのかは不明。

・また一方で、原発推進派はどちらかというと電力自由化論者である
 という見方もある。中には「東電解体」「発送電分離」を
 支持しているにもかかわらず、「原発の国有化」も
 主張している人がいたりと矛盾が多い。

・国は東電をコントロールしたいけれど、東電の影響力は強いので
 うまくいかない。だから国の「東電憎し」という気持ちから
 「電力自由化」という主張が出てくるのではないか。

・電力自由化を実現させたアメリカへの憧れから
 支持している人もいるだろう。電力自由化抗争は複雑。

・しかし、佐藤前知事が言うように、国のエネルギー政策に対して
 きちんとした考えを持って取り組んでいる人というのは
 どれくらいいるのだろうか。本来、電力自由化は手段にすぎない。

・国と東電の関係は歪んだ共依存関係ではないか。
 つまり、東電としては原発、特にプルサーマルは、
 リスクが 大きいだけだから本音としてはやりたくない。
 ところが、国が国策の名のもとに原発を東電に押し付けるので、
 東電には被害者意識がある。だからその代わりに東電が
 儲かる構造があり、社員は役人以上に高い給料を貰っている。

・その関係が、責任を取ろうとしない体質につながっていく。
 原発事故以後の報道を見ていても、両者の無責任さは見え見えだった。

 第5章:国との全面対決

 〇エネルギー政策検討会

・「県民の意見を聞く会」に寄せられた意見を整理して、
 テーマを4つに絞り込み、そしてそこから本質論をやって行こうとする。

・議事録をホームページに公開していくというやり方は
 真っ当であり、この姿勢から、佐藤前知事の本気度がわかる。

 第6章:握りつぶされた内部告発

 〇内部告発への対応

・東電は事故隠しを行い、経産省は内部告発を2年間放置していたことが発覚。

・経産省は、外国人の告発者を東電に報告するというひどさ。

・政治家は官僚にはしごを外されている。

 第7章:大停電が来る

・「原発の安全管理は厳しすぎる」という東電社員のホンネがみえる。

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5、清水修二『原発になお地域の未来を託せるか』の検討

 全体について

・研究者として30年間、原発の問題に関わってきているので
 主張に年季がある。

・あくまで原発を誘致した側の視点で書かれているため、経済的に
 どうして受け入れる必然性があるのかという問いに、答えようとしている。

・一方的に脱原発、反原発と言うような人ではない。
 経済的な問題がそこにあり、地域の問題を解決せずして、
 原発を無くすもなにもない。そういう意味では、
 清水さんのような研究はとても重要。

・第一章の「原発震災は何をもたらしたか」は、今回の事故で
 明らかになった問題の論点整理。ここに根本的な問題提起がある。
 問いに対する答えは本書にはまだ出せていないが、当然。
 これからみんなで、一人一人が出していくべき。

 第一章:原発震災は何をもたらしたか

 〇避難と退避

・避難と退避の区別の基準が曖昧。
 それがいかに大きな問題になっているか。

・今回の福島の問題は、内的な気持ちのところの被害が大きい。
 もちろん、肉親が亡くなったりする外的な要因で心の被害を受けるのだが、
 福島県内の人は直接的にではなく、心が傷つけられていくという
 陰湿な被害を受けている。

 〇心理的なストレス

・放射能の恐怖によって、ストレスがものすごくかかっている中で
 生きている人たちの気持ちは、僕たちにはとても分からない。

・自主避難をした人たちへの補償は一切無いが、そういうストレスの中で
 生きていく事が耐えられなくて避難した人ヘの救済が、行なわれないでいいのか。
 ストレスに耐えられないのが、むしろ正常なのではないか。
 (これは一部補償の対象になることになった)

 〇避難をめぐる葛藤

・福島県の地域、職場、家族間のあらゆるコミュニティで、
 避難できた人と残った人、避難したい人と残りたい人とで2分された。

・避難とは、職場放棄でもある。仲間などへの「裏切り」という面がある。

・どういう判断をしても誰かを傷つける結果になり、
 両者がそれぞれ、深刻な心の傷を負うことになった。

 〇規制値とは何か

・政府の示した暫定規制値をどう考えるか。

・これまで、被ばく規制値は年間1ミリシーベルトとされてきたが、
 それがいきなり20ミリシーベルトに引き上げられ、不安を呼んだ。
 本当に大丈夫か?

・低線量被曝の影響が専門家の間でもはっきりしないので、
 個々の責任で判断するしかない。

・ひとつの判断として、浴びる線量をゼロにするために
 避難することもある。

・「被曝のリスク以上に、避難をすることで社会的、経済的、
 精神的リスクの方が大きいのではないか」という、清水さんの問題提起。

 〇農業者が抱える悩み

・福島県産に手を出さない消費者の行動は、風評被害なのか。

・福島県のある一定の地域が放射能で汚染されたことは事実であり、
 それに対して手を出さないというのは、極めて合理的な判断と
 言えるのではないか。

 〇福島の第一次産業を救わないで良いのか?

・(著者)日本国民はこれまで原発を許してきたわけだから、
 その結果として生まれた汚染大地の産物を、大人の国民は
 甘んじて口にするべき。

・(中井)基本的に賛成。一般に風評被害ということで
 軽く済ませている。実際に放射能で汚染されていることを
 重く受け止めなければいけない。子供は守ることを前提に、
 大人たちはあえて福島県産を食べろというのは、極めて重要な
 問題提起ではないか。

 〇東京と福島のねじれた関係

・原発立地地区の住民は、これまで原発の恩恵に預かってきた訳だから
 福島県の農業を、そうまでして救わなければいけないのか。

・福島で発電された電気は、地元ではなく東京が消費している。

・福島が東京に電力を提供し、東京が福島にお金を払うという関係は
 対等と言えるのか。

・これまでの東京一極集中の構造から、東京と地方の関係に
 どのような関係がありうるのか。

 〇公式情報を信じるかどうか

・今回政府、東電が情報隠しをやったが、これをどのようにとらえるか?

・(著者の意見)原発事故に際しての福島県民の行動様式は
 「お上に従順な東北人気質」に見えるかもしれないが
 「誇るに足るもの」である。

・普通は批判点としてあげられるところだと思う。
 大学教授でもある著者が、なぜこういう評価になるのか。

・家族も仕事も福島にある人の中には、自分だけ残り、子供と奥さんは
 避難させるという選択がある。一方で、放射能のリスクはあるけれども、
 親と離れることによる子供への精神的な影響を考え、家族と一緒に
 残るという選択がある。政府の情報を信用してというよりは、
 直感的にリスク管理をやっているのではないか。

・清水さんは信頼できる。「政府は信頼できない」と一方的に
 言っている人は、その発言の責任をどう取るのか
 というところまで深く考えていない。

・震災直後に直ちに避難できたのは、外国人と金持ち。
 金がない人間は、どう行動することが現実的だったのか。

 〇損害の補償はだれがするのか

・東電が過剰な賠償責任を問われるのを恐れているのは
 日本の財界、というのはリアル。

・東電の大株主は大企業であり、それは東電が潰れる事で
 もっとも直接の被害を受けるのは、日本の財界。

 〇今後の可能性

・脱原発をして、自然エネルギーを中心としたエネルギー基地に
 なったとしても、そこにはなんらかの補助金、交付金がついて、
 構造的には同じになってしまうのではないか。

・もともと産業がなかった地域だからこそ原発が
 建ってきたのだから、風力にしたからと言って
 地域の問題は解決されるわけではない。

・政府、東電を批判していれば正しいというような風潮があるが、
 それは間違っている。国は政策を決めなければいけないし、
 エネルギー政策は、国家の根幹に関わる問題。
 一貫した政府、自民党の原子力政策を、40年近く
 国民が指示し続けてきた重さをどう考えるのか。

・今、脱原発に進むとして、その先にどういう社会があるのか。
 そもそも、どういう将来を僕たちが望むのか。

・一つの可能性として、外の人がどんどん入っていくというのは良いと思う。

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 6、記録者の感想

 私は『福島原発の真実』を読んで、福島県が10年以上にわたり
原子力政策をめぐり、国との間で激しい対立、抗争が
あったのにもかかわらず、それらについて私の記憶の片隅には
一切残っていないということにまず驚いた。

 そして、佐藤前知事が本質論で原発政策に取り組み、逮捕されるまで
突き詰めてきた姿勢に圧倒され、自分もこのような激しさを持って
物事に取り組んでいくことができるだろうか、不安に思った。

 私のように無知であることからくる恥ずかしさ、申し訳なさ、
負い目を、今回の福島原発事故から誰もが少なからず感じたと思う。
そういった、これまでの国民の無責任さについては、清水さんが
著書の中で言及しており、その責任のとり方についても
問題提起している。

 これまでの無関心な姿勢を反省して生きていくことは必須だと思うが、
それが即、いま盛り上がりを見せている「脱原発・反原発」
ということになるのだろうか。その「脱原発・反原発」が、
これまでの姿勢を反省した形になっているのだろうかと疑問に思った。

 確かに、原発事故以後の政府、東電、経団連に関するネガティブな
報道がたくさん流れる一方で、被災者を追ったドキュメンタリー番組
などで、放射能汚染の影響で廃業せざるを得ない農家や、
畜産農家の方が、涙をぼろぼろ流しながらその悔しさを
語る姿をみると、東電憎しで脱原発は当然だろうとも思う。

 しかし、ある番組で原発事故のせいで農業を廃業し、
家族と離れ離れになったという人が、地元に残って
最終的に見つけた就職先が、東電の関連会社だった
というのを見て、こんな厳しい現実が地方にはあるのかと
その時初めて知った。このような地方の本当の現実、問題を考えず、
さらにそこに暮らす人々に思いを馳せないで脱原発を
主張することは、結局これまでと同じ、東京側の
視点でしかないのではないか。

 今回の読書会で扱ったテキストの著者は、長年福島で生活し、
それぞれの問題に取り組んできたということで共通している。
だから、今回の両テキストが東京側の視点ではなく、福島側の視点を
提供してくれているという点で、非常に意味があるものだと思った。

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