2月 11

 ヘーゲル哲学学習会では、『精神現象学』の序文に出てきた「存在の運動と認識の運動の一致」を確認するために、「ヘーゲルの弟子」を自称しているマルクスの『経済学批判』『資本論』を読んでいます。

 その中で考えたこと、気づいたことがいくつかあります。その中から、2点をまとめました。
 「人はいかにして自立できるか ーマルクスの「思想的履歴書」ー」は『経済学批判』の「序言」について。
 「ヘーゲル哲学は本当に『観念論』だろうか」は、「経済学批判序説」の有名な「経済学の方法」。その中の「自己批判と他者批判の統一」という有名な主張から考えました。

 「ヘーゲル哲学は本当に『観念論』だろうか」で今回問題提起したのは、実に大きな問題だと思っています。

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◇◆ ヘーゲル哲学は本当に「観念論」だろうか ◆◇

 マルクス、エンゲルスは自らの立場を唯物弁証法、唯物史観とし、ヘーゲル哲学を「観念論的」弁証法だとして批判した。ヘーゲルの弁証法は哲学史上の最大、最高の遺産だが、それは観念論であり、「逆立ち」しているのでそれを唯物論の立場からひっくり返したのが唯物弁証法だというのだ。
 しかし、このまとめは大きな間違いだったと思う。政治パンフレットのわかりやすさとしては良いが、そのわかりやすさとは、いかにも悟性的であり、他を一面的に切り捨て、発展的な理解、つまり弁証法からかけはなれたものだったからだ。
 本来は、悟性の意義と同時にその限界を指摘し、仲間の人々には悟性を克服する学習運動をうながさなければならないはずが、その逆になってしまった。
 「空想的」社会主義者に「科学的」社会主義を対置し、上部構造に下部構造を対置し、宗教に科学を対置し、両者を単純な対立関係とし、前者を切って捨てた。その結果、仲間や支持者の間に「観念」や「理想」や「夢」への蔑視、軽視の傾向を生んでしまった。

 ヘーゲルはすでに「存在が意識を規定する」ことを明らかにしていた。それは彼の論理学が客観的論理(存在論と本質論)から主体的論理(概念論)がでてくることに端的に示されている。また、彼の哲学史、歴史哲学、法哲学などでも、このことは確認できると思う。ただし、ヘーゲルにあっては、この規定を精神史一般、人類史一般、民族一般の運動として考察していた。
 これは「存在」の意味が抽象的で一般的なままにとどまっていたと言える。これを具体化、現実化したのが、マルクスの唯物史観である。つまり、「社会的存在が社会的意識を規定する」とし、それを経済と政治の関係としてとらえ、下部構造が上部構造を規定するとしたのである。これはヘーゲルの抽象的普遍を、一層発展させ、より具体化、現実化、個別化したのである。(以上は牧野紀之「価値判断は主観的か」による)

 この時、マルクスは、自分が乗り越えたヘーゲルをどう批判し、どう評価するのが正しかっただろうか。
 実際にマルクスが行ったことは、ヘーゲルを「観念論」だとし、「逆立ちしている」と批判することだった。これは、どこまで正しい批判だっただろうか。ただし、ここでの「正しさ」とはマルクスが到達した発展段階、唯物史観の立場からのものを言う。

 ヘーゲルは確かに唯物史観には到達できなかった。そのことを指摘し、それを批判することは正しい。しかし、それをヘーゲルの「観念論」の責任にするのが正しかっただろうか。もちろんヘーゲルの叙述の中に、精神至上主義的な個所は多数指摘できる。しかし、同時に、かれが経済発展とその矛盾故の市場拡大の動き、経済を反映した法関係といった理解を示している個所を挙げることも簡単なことなのだ(『法の哲学』を参照)。
 ヘーゲルにあっては、唯物史観で言うところの上部と下部への分裂が明確に意識されていなかったと言える。しかし、それを持って「観念論」と批判するのは妥当だろうか。ヘーゲルは「精神」という言葉で、市民社会も、その経済活動も含めていた。上部と下部の区別がなく、混在していたのがヘーゲル哲学であり、彼の時代ではなかったか。

 マルクスのヘーゲル批判が、「観念論」という言葉の不適切な拡大だというだけではない。この批判の仕方には、もっとずっと根本的な問題が含まれている。マルクスが、唯物史観の立場から唯物史観で唯物史観をとらえるという「自己批判」をしていることは有名である(『哲学の貧困』第2部第1章第7の考察)。
 また「経済学の方法」(『経済学批判序説』第3)ではそうした「自己批判」なしの「他者批判」では一面的な考察しかできないと述べ、事実上「自己批判と他者批判の統一」を主張している。
 これらは画期的な観点であり、自らが他と群を抜いて高い立場にあることを示すものだった。しかし、マルクスにも、実際にはそれはできていなかったのではないか。それがヘーゲルへの「観念論」だという批判の仕方に現れていないか。

 マルクスは、ヘーゲルを観念論として批判するのではなく、ヘーゲルが唯物史観には到達できず、その思想を具体化できなかったと、批判するのが正しかった。
 マルクスは、ヘーゲルの不十分さの理由を、ヘーゲルの「観念論」のせいにする(それこそが観念論的ではないか)のではなく、社会的、経済的発展段階の問題として考察すべきではなかったか(これが唯物史観だろう)。
 つまり、ヘーゲルがそこに至らなかったのは、当時の発展段階がそこまで到達していなかったからだし、マルクスがそれを把握できたのも、彼の時代が、ドイツで資本主義が大きく発展し、大土地所有者とブルジョワジーの対立が激化した時期だったからに他ならない。こうした理解が、発展的理解(「自己批判と他者批判の統一」)と言うものだろう。

 マルクスは、本来はこう言うべきだった。 

 「ヘーゲルは発展的な理解を明らかにするという巨大な仕事をした。それは近代市民社会の生成という時代を反映している。しかし、当時のドイツは資本主義の未発達な段階だったために、『存在が意識を規定する』というヘーゲルの定式は個人の、または歴史一般のレベルにとどまっていた。
 しかし、ドイツでも近年急速に土地所有階級が没落し、資本家が成長し、資本主義を論理的に考察できる段階になった。それゆえに、ヘーゲルの限界を超えて、『存在が意識を規定する』という定式を、個人から社会全体に押し広げ、または歴史一般、民族史一般から具体化し、『社会的存在が社会的意識を規定する』と定式化できた。それが、私(マルクス)の唯物史観である。
 しかし、ヘーゲルがそうであったように、私の考え『唯物史観』も時代の制約下にあり、その不十分な点は、次の時代の後継者に乗り超えてもらうことを期待する。そのためには、ヘーゲル哲学を徹底的に学び、その発展として私の唯物史観を理解し、その上で唯物史観をさらに発展させてほしい」。

 ところが、マルクスはこう言うことができず、ヘーゲルを「観念論」だと切り捨ててしまった。それはマルクス自身の思想を「一面的」なものにした。これは大きな間違いだっただろう。これによって、彼の支持者たちが、ヘーゲルの弁証法、発展の考え方を継承することを難しくしてしまったからだ。
 マルクスとエンゲルスは、「科学的」「唯物史観」「唯物弁証法」の立場を口にはしたが、実際にはそれを貫けず、他を「空想的」「観念論」などと切り捨てる一面性に陥った。そのために、彼らは、理想、夢、空想などを一般的にいけないもの、否定すべきものとし、その結果、夢や理想主義を馬鹿にする傾向、語れない傾向を生み、それらを語る他派や宗教者を理解する力を失った。マルクス自身、結局、夢の世界像を示せなくなった。
 こうした批判の一面性、傲慢さが、宗教批判、国家批判にも出ているのではないか。

 ところで、私が以上のことを言えるのは、今現在が高度経済成長が終わり、社会主義が破綻し東西冷戦が終わったという、かつてない未知の段階に到達しているからなのである。
(2010・1・26)

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2月 11

◇◆ 人はいかにして自立できるか ーマルクスの「思想的履歴書」ー ◆◇

 『経済学批判』の「序言」を読み、これはマルクスの「思想的履歴書」だと思った。
 人間はいかにして自立できるのか、つまりいかにして自分の思想を作り、それを生きることができるのか。その「問い」への見事な回答になっている。

 回答はこうだ。まずは、1自分の生活から問題意識(テーマ)を持ち、2その問題を解決する観点から先生を選び、先生から徹底的に学び、3最初の問いへの答え(自分の思想、自分の立場)を出す。
 これが思想の生成過程。しかし、この段階では、まだそれは芽でしかない。その後、その答え(自分の思想、自分の立場)を様々な課題に応用して具体化していく。これが展開過程。このようにして人は自分を作ることができる。これはヘーゲルの発展の論理を、個人の成長過程に具体化したものだ。

 「序言」は以下の構成になっている。
1) 導入部
2)問いが明確になるまで
3)先生を選び学んだこと
4)問いの答え(唯物史観)を出したこと
5)答え(唯物史観)の詳しい説明
6)一応の答えを出してから、さらに研究を進めて『経済学批判』を出すまで

 2)が1問題意識(テーマ)を持つ過程。問題とは、法律の問題と経済の関係はいかなるものか。当時の社会主義、共産主義をどう理解したらよいか。
 3)が2その問題を解決する観点から先生を選び、先生から徹底的に学んだ過程。
 4)が3最初の問いへの答え(自分の思想、自分の立場)を出したこと。
 5)で、定式化された唯物史観、完成された唯物史観の説明をしている。しかし、時間的には、完成は後のことであろう。最初に生まれたのは、唯物史観の芽でしかない。それをその後、さまざまなライバルたち、論敵に適応して論争し論破する6)の過程で具体化していったものだろう。
 2)から4)が思想の生成過程であり、6)が展開過程に当たる。

 こう見てくると、この序言は、思想を持って生きる上での模範的な過程ではないだろうか。ただ、マルクス自身はそれを自覚していなかったようだ。
 3)では、ヘーゲルを先生にして学んでいるが、この意味をマルクスは語らない。なぜヘーゲルだったのか。それが過去の最高のレベルのものだからだろう。ここで先生を選ぶことの意味、この過程こそが「発展の論理」の具体化だということを指摘できなかったのは、残念なことだ。
 マルクスにそれができなかった理由の一端は「ヘーゲル哲学は本当に『観念論』だろうか」に述べたことにあると思う。
 マルクスは、人が自立するための問題と回答を、自らの経験から語りながら、その意味を十分に自覚できず、それを一般化して定式化し、人々に示すことができなかった。本当は「自分を見習って、みなさんも学び、生きるように」提案するべきだった。特に共産党員には、その幹部には、それを強く求めるべきだったし、直接の指導をすべきだっただろう。

 マルクスに代わり、この意味を明らかにしたのが牧野紀之の「先生を選べ」である。
(2010・2・2)

2月 09

大学生、社会人のゼミの2月、3月の読書会のテキストを変更します。
 2月は開始時間も早くなります。
 
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◇◆ 2月から3月までのゼミ(文章ゼミと読書会)の予定 ◆◇

 (1)日程 

 2月6日 文ゼミ
 2月20日 読書会

 3月6日 文ゼミ
 3月20日 読書会

(2)2月の読書会テキストとスケジュール

 2月20日、土曜日の午後3時から5時(6時ぐらいまで延長アリ)ぐらいまで。

 1)ヘーゲルの『精神現象学』「序論」(牧野紀之訳、未知谷)
 2)ハイデガーの「ヘーゲルの『経験』概念」

 『精神現象学』の「序論」は、ヘーゲルの「認識論」(「認識論批判」)と
言って良いと思います。他との違いに愕然とし、
改めてヘーゲルの立っているところのすごさを実感します。

 「どんなに革新的で根源的な思想も、それが現れるときは、
他と並ぶただの現象でしかない」とヘーゲルは言います。
自らの思想もそうだと言うのです。
ではどうしたら良いのでしょうか。

 またヘーゲルは、人間は「自己吟味」によって、自らの力で誤りを正し、
無限に成長していけると言います。これも気が遠くなるようなコメントです。

 今回は、これらの意味を再確認したいと思います。
また、ハイデガーの「ヘーゲルの『経験』概念」は、この「序論」の解説です。
二人の「巨人」対決から学べるものを学びたいと思います。

 参加希望者は連絡ください。詳しいことをお知らせします。

(3)3月の読書会テキストとスケジュール

 3月20日は午後7時より
 テキストは『「個性」を煽られる子どもたち─親密圏の変容を考える 』
 (岩波ブックレット)、土井隆義 (著)です。

 今の子供の世界の変容を、さまざまな少年少女たちの事件から
解き明かそうとしています。「個性」の誤った理解が問題とされています。
この「個性」や「オンリーワン」の背景を考えたいと思います。

1月 19

『学校マネジメント』(明治図書)2月号に寄稿した。
2月号では特集「政権交代で、教育政策は何が変わるか」が掲載されている。
私は「教育委員会制度」について執筆した。
タイトルは「国民的な大議論を」で、以下である。

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政権交代の時代
 政権交代が実現した。民主党を中心とする連立政権は、官僚に依存しない政治主導を掲げ、マニフェスト(政権公約)の実現に全力であたっている。来年度から高校の授業料を無償化し、教員免許更新制を来年度限りで廃止する予定だ。また、教育委員会制度や学校運営のあり方も検討対象に挙がっている。もちろん、教育行政の改革は最後に回るので、この政権が最初の二年を持ちこたえられなければ実現することはないだろう。今の民主党政権もいつ倒れるかは不明だ。元に戻ることを願い、様子見に徹している人も多い。しかし、自民党政権時代に戻ることはない。これからは、政権交代が前提で、すべてが動いていくことになるのだ。こうした大きな転換期には、従来のあり方に囚われず、問題を直視し、本質的に議論して克服する方向をさぐるべきだろう。

マニフェストの問題
 これまでの日本社会は、基本的には上下下達の一律で単一な「ムラ」社会だった。それが有効に機能して高度経済成長が可能だった。確かに東西冷戦下では、その言論は二分されたが、それぞれの陣営内部では、画一化のタコツボ化は進んでいた。では、冷戦体制が崩壊後、マスコミや思想界、私たちの社会は多様な豊かさを持つに到っただろうか。否、むしろ、マスコミや世間の動向は、いつも一色に染め上げられるようになっている。小泉政権への対応もそうだった。今の民主党政権に対しても、同様だ。

 総選挙での報道では、マニフェストのあり方を根本から問題にするような意見はほとんど見られなかった。その意義は、それまでの一般的抽象的で無内容な標語を排し、現実の具体的な政策を、具体的なスケジュールと共に語るようになり、その達成度がチェックできるようになったことだ。しかし、それゆえの大きな課題もあるのだ。それは、根本理念が見えにくく、本来「手段」でしかないものが「目的」化しやすいことだ。「戦術論」ばかりになり、「本質論」が軽視されやすいことだ。今回の場合は「高校の授業料無償化」がそうで、一般的に格差是正の目的からこうした政策が出てくるのはわかるが、「高校教育」には日本の教育全体の矛盾が集約されていることへの洞察がない。教育行政全般の改革でもそうだ。

教育行政の改革
 民主党のマニフェストでは、地方分権の考え方のもと、特に文科省→教育委員会→学校という上意下達の仕組みを改め、それぞれの自律性を拡大しようとするねらいがある。「中央教育委員会」をつくって文科省を廃止する。教育委員会の教育行政機能は首長部局に移し、「教育行政全体を厳格に監視する『教育監査委員会』を設置する」。さらに「公立小中学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する『学校理事会』が運営することにより、保護者と学枚と地域の信頼開係を深める」。「教育監査委員会」は、教育が首長や政治からの距離を取れるようにとの意図から構想されている。

 私は、改革の大きな方向性はこれで正しいし、現状の課題に対応した物だと評価する。しかし、これは大きな方向でしかなく、細部を詰めていく中で、沢山の複雑な問題が浮き彫りにされるだろう。例えば、歴史教科書の採択などで首長がどこまで関わることが正しいのか。

 実は、地域の教育委員会や学校が自律できないでいるのは、制度の問題ではない。例えば、全国学力テストは強制ではないのに、参加しないのが犬山市だけなのはなぜか。犬山市のように自主的なカリキュラムや自主教材を作成している市町村が少ないのはなぜか。実は、こうした地域の教委の改革を阻害しているのは、文科省ではなく県レベルの教育委員会であることが多い。

 こうした問題は、やはり歴史を遡らないと見えてこない。戦後の「第二の教育改革」では、そもそも文科省を廃止し、それぞれの地域に自律した教育委員会と学校を作ろうとした。また、政治から距離を置けるように、公選制の教育委員による合議的な委員会を想定したのだ。この上下関係からの自律性、政治からの独立性は、今こそ実現しなければならない目標だろう。

 それがつぶされたのは、東西冷戦下での、国内の保守と革新の政治対立だった。それゆえに、上意下達のシステムが強化され、各教育委員会と学校の自律性は失われた。地域の教育委員会や学校は上ばかりを見るようになり、県の教育委員会は「平等」の名の下に、県下の教委を一律に統制することを目標にしている。

国民的な大議論を
 それは教育委員会や学校だけの問題ではない。最大の課題は、国民一人一人の意識の問題だ。「お上だのみ」の体質であり、権利に対応する責任を引き受けないあり方だ。文科省の権限を縮小することを求める一方で、「いじめ自殺」などが起こると、マスコミやそれに煽られた世論は一斉に文科省を攻撃する。しかし、その責任は、第一に関係する児童とその保護者に、第二にその学校に、第三に地域の教育委員会にあるのではないのか。

 文科省に依存し、上から一律の指導を求めているのは、マスコミや国民自身ではないか。そうしたあり方を根本から変えなければならないだろう。今後は、改革も一律ではなく、各自治体や各学校が、それぞれの多様な制度で創意工夫することを認めていけないだろうか。「教育監査委員会」や「学校理事会」も、手を挙げたところで、まずやってみるような方式は取れないだろうか。

 いずれにしても、事は、半世紀に一度の大改革である。国民一人一人の意識の変化を促す必要がある。一九八〇年代に、中曽根政権が行った臨時教育審議会(臨教審)は、国民的な大論争を呼び起こした。それに匹敵するほどの国民的な議論が起こらなければならないだろう。来年度から、そうした場を設置して、国民的な議論を喚起していくような仕掛けが必要ではないか。

1月 12

シリーズ:「聞き書き」を学び合う 第8回 
高校作文教育研究会2月例会

高校作文教育研究会は、一昨年秋から2年ほどの予定で、会のテーマを「聞き書き」として、聞き書きの可能性、授業で実践する際の具体的手だて、その課題などを検討しています。

この間、私たちの例会や全国大会に、各地の中学、高校のすぐれた実践家10人ほどをお招きし、みなで共同討議をしました。聞き書きに関するさまざまな課題について、生徒作品を丁寧に読みながら、具体的に考えてきました。

その成果は、昨年6月から雑誌「月刊 国語教育」に連載中です。

2月の例会では、古宇田栄子さんが、40年近くの実践を振り返り、聞き書きについて報告します。
また、今回は新しい試みを用意しました。正則高校での宮尾美徳さんの実践は昨年の例会でも取り上げました。その時は、正則の学習旅行、その事前学習と事後学習の徹底ぶりに感嘆の声があがる一方で、その表現指導の不十分さを指摘する声もありました。今回はそれを踏まえて、具体的な代案を考えたいと思います。この企画では、この1年半にわたる会の研究がいかほどのものになっているかが試されることにもなるでしょう。乞うご期待。
 
どなたでも参加できる研究会です。どうぞお気軽にご参加ください。

1 期 日    2010年2月14日(日)10:00?16:30

2 会 場   鶏鳴学園御茶ノ水校
         東京都文京区湯島1?9?14  プチモンド御茶ノ水301号
         ? 03(3818)7405 JR御茶ノ水駅下車徒歩4分
       ※鶏鳴学園の地図はhttp://www.keimei-kokugo.net/をご覧ください

3 報告の内容

(1) 聞き書きの世界
茨城 常総学院高校 古宇田栄子

聞き書きの魅力は、なんと言っても、聞き出した世界の豊かさにあると思う。それは、人の生き方の多様性であり、世の中の奥の深さであると思う。私が指導した生徒たちは何を学んでいたのだろうか。今、改めて、これまでに書かせてきた作品を読み返してみることで、生徒たちが学んだものはなんであったのかを考えてみたいと思っている。

(2)宮尾実践への代案
?再度の実践に向けて  東京 正則高校 宮尾美徳

三年前の「学習旅行」では、「聞き書き」に学んだ実践を試みた。生徒たちに「旅行」先で出会う方々のお話を、より確かに受けとめさせたかったからである。結果、課題も多く残された。数々の指摘も受けた。しかし、新たに見えたこともあった。いま三年経ち、再び「学習旅行」を目前にして、新たな表現指導の実践案を計画してみた。ご批判を請いたい。

?宮尾実践―私ならこう指導する(その1)茨城 常総学院高校 古宇田栄子

昨年の宮尾実践を聞いて、私には違和感があった。行事がいっぱい、感動がいっぱいの学習旅行を、生徒たちは、本当に書き切れたのだろうか。そもそも、宮尾さんは、何を、どう書かせたかったのか、見通しがあったのだろうか。宮尾さん自身、イメージができていなかったのではないか。それが、私の感想だった。
もうすぐ今年も学習旅行に行くそうなので、参考になればと思い、昔、学校行事や生徒会活動をリードしていた生徒たちに、総括として書かせていた作文をふまえて(あの時の強烈な反省もふまえて)、私ならこうする、という試案を発表してみたい。

?宮尾実践―私ならこう指導する(その2) 東京 鶏鳴学園中井浩一

聞き書きの検討を重ねてきて、結局、聞き書きの目的と構成と文体の三位一体の関係が問われていると考えるようになった。そして、こうした研究はこれまでほとんど行われてこなかったのだ。しかし、この三位一体の関係は聞き書きだけの問題ではなく、実はすべての表現活動に言えることだとも思うようになっている。
昨年の宮尾実践の不十分さとは、聞き書きの目的・ねらいがあいまいなことだと思う。今回は、学習旅行の事後学習としての表現はいかにあるべきか。また、そこで聞き書きの果たすべき役割は何か、そのための構成と文体はいかなるものであるべきか。それを提案してみたい。
 

4 参加費   1,500円(会員無料)