3月 05

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。
それから2年が過ぎ、学習でも運営面でも、確実に深まっていると思います。

本日は、2017年12月の学習会の報告を掲載します。

重松 清著『エイジ』学習会(2017年12月3日)報告
                                  田中由美子

昨年10月の学習会に続いて、12月も「思春期」をテーマとしました。

10月に参加者の一人から、中学生の子どもに以前のように明るく活発であってほしいという思いを聞いて、
今回は、思春期に葛藤することこそ成長の証だと思えるようなテキストをと考え、小説、『エイジ』を選びました。
主人公の中学生、エイジのように、周りと対立し、また自分自身と葛藤するのが思春期であり、
その対立や葛藤こそが大切な成長の芽だと思います。

以下、私の感想と、参加者の方の感想を掲載します。

思春期の対立と葛藤が成長の芽

この学習会をスタートして三年目に入り、今回初めて小説をテキストにした。
「思春期」を外側から解説している本ではなく、思春期の子どもの側から何がどんなふうに見えるのかを描いた
『エイジ』を選んだ。
当時30代の小説家、重松清が中学生たちの気持ちを代弁しているのだが、リアルに描かれている。

エイジの同級生が「通り魔事件」を起こしたことによって、エイジたちの目に大人や世間の矛盾や悪がくっきりと見える。
事件をなかったことにしたいかのような教師たち、騒ぎ立てるマスコミなどに対してエイジは疑問だらけの中で、
彼自身の矛盾や悪にも目覚めていく。
友人が「シカト」されることに対して態度を決めかねたり、その気もないのに女子生徒と付き合い始めたり、
親にキレたりと、無様な自分に直面する。
よいことなど一つもないかのようだが、これがエイジの成長の過程だと思う。

他者に疑問を持ち、対立し、また自分自身に疑問を持ち、葛藤する。
外との分裂と、自分自身の中の分裂に足を踏み入れるのが思春期だ。
それ以前の、誰とでも仲良くできて、何にでも溌剌と取り組めるというような子どもには、もう戻れない。
むしろ、対立が必然の現実を自分で生きていく大人に向けて、一歩成長したのだ。
成長したから苦しんでもいる思春期の子どもに対して、以前の方がよかったと言うことは、成長するなと言っていることになる。

一旦いくらか自分が壊れることで、親から与えられてきた生活を、自分自身の人生として捉え直し、
つくり直し始められるかどうか。中高生はその転換点に立っている。
エイジのように一時期勉強が手につかなくなるというような「一時停止」があったり、
あるいは後退しているように見えることさえある。

ところが、疑問や否定、対立はよくないというのが現代のトレンドである。
ぐずぐず悩むよりも「プラス思考」が好まれる。
とにかく大学受験まではと、葛藤には向き合えずに走り続ける子どもも多いのか、近年大学の学生相談室は利用者
の増加が止まらず、どこもパンク状態のようだ。

子どもの思春期の対立や葛藤、「一時停止」の意味を十分に認めて、その苦しい過程を経て自立していけるように、
見守り、後押ししたい。
それは、私たち自身が対立や問題に向き合って生きることによってはじめて可能なのではないか。

◆ 参加者の感想より

中学生の母、Aさん

今回は小説がテキストということで、専業主婦をしていた母が子育てしながらよく参加していた「読書会」なるもの、
自分の仕事を持ってしまい生活とでいっぱいいっぱいの私には全く縁がなく、羨ましく思っていたので、
なんだか嬉しい気持ちで出席させていただきました。主人公のエイジが、娘と同じ中学2年生というのも、興味がありました。

エイジやそのクラスメイトたち、描かれるのは男子が多いですが、みな思春期真っ只中の中学2年生、
それぞれの人物の揺れる心がよく表されていたと思います。

前回の学習会で学んでから、思春期というのは、自分自身の中に、またそれだけでなくあらゆる物事や人間に
二面性を見つけ、悩んでしまうことではないかと考えるようになりました。そうすると不思議なことに、
反抗ばかりだと思っていた娘の言動にも納得がいくような気がしてきていました。

今回もそれは、内的二分化という言葉で先生に表していただき、どの登場人物も見事にそう揺れているのがよくわかりました。

エイジを追ってゆくと、なんだかよくわからないけれど理由がある、という思春期の言動がよくわかります。
大人たちはそれを、なんだかよくわからないもの、として片づけてしまいます。
しかし思い出してみれば自分もそうであったように、なんだかよくわからないけれど理由はあった、のです。
そこを、大人はよく理解し忘れないようにしないとならないのではないかと、この本を読んでいて感じました。

ではそのような思春期に、親はどう関わるか、という答えは書かれていません。
しかしそれも、登場人物を並べて出来事を追っていくうちに、すこし見えてくる気がしました。
思春期の中学生の内面を、理解しないのは学校の先生達。理解しようとするのは、中学生の世界の外にいる、
マスコミの大人。それに対して、毎日生活を共にする両親というのは、内面には直接関わらず、
距離を保ってしかしそれぞれのスタンスを貫いています。子どもを理解しようと内面に立ち入って、
揺れる中学生と一緒に揺れてしまったら、毎日の生活が立ち行かなくなってしまう。
親というのは、もしかしたらこれでよいのでしょうか。

いまの思春期という問題には、そんなことを考えさせられた一冊でした。
小説としては、それぞれの人物の心理がよく描かれているようで、最後まで興味深く読めました。

高校生の母、Bさん

重松清の作品はいくつか読んでいて、好きな作家だったが、エイジが課題図書となって一読してみて、
率直に言って、エイジは何とも捉えようがなく、他の重松作品に比べてつまらなく感じた。

でも、子どもに、この作品は中井先生の「日本語トレーニング」でも取り上げられている本だと聞いて、少し関心を持った。

そして、学習会の場で田中先生の解説を聞いているうちに、「あぁ、そういう趣旨だったのか」と気付くことがあり、
全く自分の感性が干からびてしまっていたことに気がつく有様だった。
50半ばにして堂々のおばさん(夫の言葉で言うとbaba)になっていた私から見て、中学生の感性はなんと繊細なこと!
解説付きじゃなきゃ、わかんない! 私も遠い昔には同じようなことを感じていたのかなー、と言うのが率直な感想だった。

それはともかく、その後に「日本語トレーニング」にも興味がでて読んでみた。
冒頭に出てくる「道徳教育でない論理トレーニングが、現実と戦う力になる」という箇所に、少し涙ぐんだ。
私の悩みは、何も特別なものではない世間にはありふれた悩みだが、なんとなく説得力を感じたのだった。
まだ全部は読めていないが、ちょっとずつでも読んでいこうと思った。

2月 17

中井ゼミの仲間である塚田毬子さんが、初めての演出、初めての公演をします。
私は3月10日の公演を観る予定でいます。
京都での上演となるので、東京からは遠いですが、
ご都合のつく方は、ご一緒しましょう。

「アンティゴネー」公演情報

ギリシャ悲劇から現実を照らし出す、
破滅と再生の二人芝居

オイディプースの娘アンティゴネーは、国王の法令に背き、兄を埋葬した咎で死ぬ。
自分の運命を選択する力強さ。行動と対立の中で顕わになる人間の本質。
破滅の後、我々はどう生きるべきか。

ギリシャ悲劇の傑作『アンティゴネー』を、2018年春、上演します。

「アンティゴネー」
作:ソポクレース 翻訳:中務哲郎
演出:塚田毬子
出演:岡村淳平 金城裕磨

2018年
3月8日(木)19:30
3月9日(金)15:00/19:30
3月10日(土)15:00/19:30
3月11日(日)15:00/19:30

※受付開場は開演の20分前です。
※上演時間約60分です。

■会場:green and garden 京都市中京区三条猪熊町645-1 詳細
■料金:2,000円
■予約:日時、氏名、人数をご記入の上、mrk.tsukada@gmail.comまでご連絡ください。

「美しく死ねない、ということほど恐ろしい目に遭うわけはないのだもの。」
アンティゴネーの強さは、信念を貫く潔さだ。それは純粋な愛か、それともたんなる妄想か。
なぜか演劇に引っかかってしまった私たちは、並々ならぬ不満足を持ち、他の誰も演劇をやってくれないのでだまされたふりをして自分でやることに決めた。
ここから私たちは美しく死ねるまで、たとえ信念が崩壊して途方に暮れても、私たちを使い切って演劇をつくってみたい。
そんな第一作、ご期待ください!

プロフィール
塚田毬子/Mariko Tsukada
1994年、東京都出身。京都市在住。
2014年 地点カルチベート・プログラムで演劇に出会う。
2017年 地点『忘れる日本人』にインターンとして参加。
2018年 『アンティゴネー』で初めての演劇創作。

2月 16

「おばさん」たちの勝負の時

岩崎千秋さんは50歳近くまで普通の「おばさん」だった。
中井ゼミとの縁は、次女が鶏鳴学園に通っていたことだ。娘が高3生の時に中井ゼミの読書会に数回参加し、
田中由美子が主宰する家庭論学習会(田中ゼミ)では運営委員を務めるようになった。
昨年はヘーゲルゼミでヘーゲル哲学をドイツ語で学習し始め、夏の合宿にも参加した。
岩崎さんのそうした活動の背景には、もちろん彼女の個人的な悩みがあってのことだが、一般に女性たちの「後半生」
の問題があると思う。男性には「定年後問題」があり、それはみなが自覚していることだ。しかし、女性にもそれに
対応する「後半生」の問題があるのだと思う。
子どもたちは大学に入学、就職し、子育ては一応終わり、連れ合いも定年を迎える。
明らかに、人生の「前半」は終わったのだ。では、その後は、どう生きるのか。何を目的として、どう生きたら良いのか。
この問題に、すべての女性たちがぶつかっている。
田中ゼミを主催する田中由美子がまさにそうだった。50歳を過ぎてから、一人の女性が本気で生き方を学び直す。
人生の前半戦を終え、後半戦に向けて前半戦を総括し、テーマを持って生きていこうとする。
それは決して特殊事例ではない。すべての50代の女性が、今、その問題に直面している。そんな一人岩崎さんが、
体のレッスンに参加した報告を読んでいただこう。

■ 目次 ■

おばさんの一大決意 岩崎 千秋

1.課題
2.体のレッスン
3.レッスンを終えて

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おばさんの一大決意 岩崎 千秋

1.課題

私は、人と話すのが苦手だ。現在50歳を過ぎて、年々、図々しさが増してきたおばさんでも人見知りをするのだ。
苦手といっても、内心では相手の人と友好関係を築きたいと思っているからややこしい。
まず最初に、自分が人畜無害な人間であることをアピールしたくなり、頭の中を余計な考えが巡り始める。
そのうちに、簡単な内容の会話であっても勝手に複雑にしてしまい、結局、話をすること自体が億劫になってしまう。
この面倒な性格(癖)が、子供の頃から続いている。
なぜ、人畜無害アピールをしたくなるのか。もちろん、50年以上生きているのだから現実的に無害なはずはなく、
また、初対面の人に「つまらないものですが」と菓子折りを手渡すような感覚であるが、その変わった癖の要因は
私の母との複雑な関係が影響しているのではないかと考えている。母は、厳しく躾けをする人で、口ごたえはもちろん、
意見すら言えなかった。いつも、母の機嫌を伺いながらその場を取り繕い演じる癖は、大人になってからも続いている。
しかし、自分でも何かがおかしいと思い、子供がお世話になっていたご縁で中井ゼミに2年程前に参加をした。
今では社会人として学習するようになって、ようやく相手に対する批判や本音を隠し、当たり障りのない付き合いしか
できていなかった自分を知ったのである。

2.体のレッスン

前置きが長くなったが、いつしか声まで小さく、上ずった話し方になっていて、上っ面の行動が声や話し方にまで
影響をしていることに気づかされた。中井さんに勧めて頂いたのをきっかけに、自分を変えたいと一大決意をして、昨年、
12月23日に瀬戸嶋充さん主催の「人間と演劇研究所」の定例ワークショップに参加した。
竹内敏晴さんの「竹内レッスン」と野口三千三さんの「野口体操」を応用したものだそうで4時間のレッスンであった。
4時間も何をするのかドキドキしながら新宿の会場に着いた時、目の前の椅子にふわりと座ってパソコン作業をしていた人が
いたが、その人が講師の瀬戸嶋さんであった。座っている姿が自由自在にふわりと動くマリオネットか、
空気を入れてふわりと浮くビニー袋のような印象を受けた。講師の瀬戸嶋さんの他、女性が私を入れて5人、男性が4人で、
私と20代の女性が初めての参加であったが、その女性は「野口体操」は習っているとのことだった。
レッスンが始まった途端に、瀬戸嶋さんがからだをくねくねとさせながら、腰から半分に折り曲げて前屈姿勢になった。
力が抜けているわけではなく、力を入れているわけでもない、折りたたむという表現がちかい。早速、「さあ、やってみて」
と言われて全員でくねくねし始めるのだが、ロボットのようにギコギコという動きしかできない。それからは、聞いたこと
もない言葉での指導が続いた。「頭の上を外して。できれば頭を取っちゃってください」、「皮膚の下を感じてください」、
「足の指先で息をしてください」、意味がわからないまま見よう見まねでくねくねしてみたが、「頭の中で考えないで!
意識でからだを動かそうとしないように」と注意された。頭でからだの動きの指令を出さずに、
また、意識もせずにからだは動くものなのか。何回も同じ動きを繰り返した。ただ立ったまま、からだを左右にゆすりながら
半分に折りたたむだけなのであるが、恥ずかしさが抜けないのでくねくねが難しい。
頭が最後にクタッと下を向いてその動きは終了なのだそうだが、先に頭がガクッと下に垂れ落ちてしまい、
その度に注意を受けた。「自分の呼吸だけを聞いてください。あとはからだが自然に動きます」と言われて、
自分の呼吸に耳を傾けてくねくねを続けていた時、部屋の畳が視界から消えて自分のからだの周りが感じたことのない
空気に包まれた。ゆらゆらと手が下に降りて、自然に腰や膝が曲がっていき最後に頭がゆっくりと下を向いた。
できた気がした、と思った瞬間に周りの人たちが私が終わるのを待っていたことに気づいてとても焦った。
そのあとは、2人1組になって相手のからだを動かす側と動かされる側に分かれた。動かされる方は仰向けに横になった。
相手のからだを動かす方は、寝ている人の足の親指を軽くつまんで左右にゆっくりと小刻みに揺らしたり、
足の裏をマッサージしたり、両足を揃えて引っ張ったり、ふくらはぎや足の付け根をゆらゆらと揺らしたり、
いくつかの動作を休憩を挟んで交代で動かしたり動かされたりした。私は、隣にいた初めて会ったおじさんと組んだので
とても緊張したし、正直かなりきつかった。相手のおじさんも同じことを考えていたのだろうか、それとも、
単純にレッスンを受けているだけで、こんなに次元の低いことは考えずに超越しているのかわからなかった。
そのうちだんだん肝がすわってきて、緊張する気持ちも半ばどうでも良いような気持ちになりかけた頃に、
今度は大きな声を出すレッスンが始まった。
お腹の底から響くような声が部屋中に響いた。私は、鳴けないニワトリのようなかすれた小さな声しか出ない。
心配は的中して、個人的に大きな声が出るまで集中指導を受けた。その間、5分か10分程度のことであったと思うが、
1時間くらいに感じた。瀬戸嶋さんに、「大きな声でアーと言ってください」と言われて、「アー」と声を出したが、
「大きい声を出そうとしない!」と言われてわけがわからなくなった。もう一度、「アー」と挑戦するが、
「喉を使わない!」、「アー」、「まだまだ!」、「アー」と何回も繰り返した。「自分の声を自分で聞かない!」と
言われた時に納得した。私は話をする時に自分が何を話しているのか、間違えたことを言っていないかと、
自分の声を聞いて反芻しながら話している。瀬戸嶋さんに指摘されて気がついた。
そして、次にチューリップの歌を歌うように言われ、完全に開き直った心境で、「さいた、さいた」と歌い出すと、
「やけにならない!」、「チューリップの花が」、「からだをゆらして!」、こんなやりとりを何度もしながら歌った。
以前の私であれば、早々に気絶寸前であろうが、自分を変えたいと思って参加をしたおばさんは強かった。
レッスンが終わっだ後で、2、3人の女性が私の集中レッスンを気にかけて、大丈夫かと声をかけてくれた。嬉しかった。
思ったよりもダメージを受けていない。からだが軽い。フワッと立っている。頭の中も軽く感じた。

3.レッスンを終えて

自分の価値観=エゴでからだの動きを妨げることなく、からだの声を聞いて従う集中力が必要であると学んだ。
これまでからだの声など気にしたことがない。頭でこうあるべき、こうするべきと考えることなく、シンプルに深い息をしたい。
緊張や必要のない気遣いでガチガチになった自分のからだを意識できた。これからは頭で意識せずに、
からだが動くように自然体でいることが私の課題だ。自然に任せてからだが動くように動かす、中井さんの言葉通り、
「だんだんシンプルになる」ということなのだと思った。

2月 15

高校作文教育研究会(高作研)主催で、
北海道立高校教諭として33年の教師歴を持つ池田考司さんに、
これまでの実践とそれを支えた理論を振り返ってもらう学習会を企画しました。

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◇◆ 実践報告「生活綴方教師にあこがれて歩んできた高校教師としての33年間」高校作文教育研究会臨時学習会 ◆◇

このたび、北海道の池田考司さんが高作研の学習会に参加してくれることになりました。
池田さんは、さまざまな困難を抱えた生徒たちと向き合って、温かくも、積極的な実践をされている方です。
池田さんは書いています。生徒たちには、「試行錯誤する権利」と「未来に対する権利」がある。そしてそれを行使できる主体に育っていく権利がある。
「倫理」の授業では、そのような課題(目的)を授業のテーマに位置づけ、書く力や話し合い、発表する力をつける機会を作ってきた、と。
池田さんの実践には、感動があります。池田さんは「研究」と「実践」を大切にされている方です。
今回は、池田さんご自身の教師としての歩みをふまえつつ、実践報告をしてくれることになりました。
池田さんの実践報告から、さまざまなことを学べる、またとない機会です。
どうぞ、みなさん、お出でください。参加費無料です。

1 期 日    2018年3月18日(日)13:00?15:30

2 会 場   鶏鳴学園

3 実践報告
「生活綴方教師にあこがれて歩んできた高校教師としての33年間」
北海道 池田考司

(概要)1985年3月に明治大学を卒業し、北海道立高校教諭として勤め、33年が経とうとしています。
大学生時代、教育系サークルを立ち上げ、民間教育研究団体の実践家・研究者と出会い、具体的な理想の教師像を思い描き、学校現場に入りました。
 しかし、当時の高校は校内暴力の真っ盛りで、激しく「荒れる」生徒たちとのやりとりが教師生活最初の10年間でした。そこで考えたこと、生徒との関わりの切り口は、「なぜ、この生徒は荒れているのか?」「この生徒は何を訴え、何を求めているのか?」ということでした。そのような発想には、学生時代に読んだ生活綴方教師の著作も大きく影響しています。村山俊太郎、石田和男等の言葉を時々読み返して、「荒れた」生徒と向き合ったことが何度もありました。
 地方2校での勤務を経て、札幌の後発進路多様校に移り出会ったのは、休み時間に廊下でじっと立っている生徒、「人を信じられない」という生徒など、傷ついた心を持つ生徒たちでした。生徒の抱える「悲しみ」「生きづらさ」を聴き取り、寄り添い支援していく。その取り組みを学習指導の中で行っていく。それが札幌圏での2校18年間の日々でした。その時、考察と実践の土台になったのは、大学院での師でもある田中孝彦氏が立ちあげた臨床教育学でした。
 そして再び、地方の高校に出て4年勤務し、昨春、札幌圏の現任校に異動しました。どちらも「教育困難」校です。家庭が崩れ、愛されずにいる生徒たちの尊厳と生活をどう守り、支援していくのか。生活環境の再編をどう他職種の専門職とともに行っていくのか。そのことがこの5年間の中心テーマになっています。
 私の教育実践史と、底流にある生活綴方教育・臨床教育学についてお話しできればと思っています。

(池田考司プロフィール)
 北海道野幌(のっぽろ)高等学校(社会科)。大学非常勤講師。教育科学研究会副委員長。日本臨床教育学会事務局次長 【著書】◆『18歳選挙権時代の主権者教育を創る』(佐貫浩・教育科学研究会編共著)新日本出版社、2016年。 ◆『子どもの生活世界と子ども理解』(教育科学研究会編共著)かもがわ出版、2013年。 ◆『ジュニアのための貧困問題入門』(久保田貢編共著)平和文化、2010年。 ◆ 『教職への道しるべ』(姉崎洋一編共著)八千代出版、2010年。

4 参加費無料

12月 25

来年の1月から3月のゼミの日程をご案内します。

参加希望者は今からスケジュールに入れておいてください。また、早めに(読書会は1週間前まで、文章ゼミは2週間前まで)申し込みをしてください。
遠距離の方や多忙な方のために、ウェブでの参加も可能にしました。申し込み時点でウェブ参加の希望を伝えてください。

ただし、参加には条件があります。

参加費は1回2000円です。

2018年1月から3月のゼミの日程

基本的に、
文章ゼミと「現実と闘う時間」、
読書会と「現実と闘う時間」は開始を午後2時とします。
ただし、変更があり得ますから、確認をしてください。

なお、「現実と闘う時間」は、参加者の現状報告と意見交換を行うものです。

1月
 14日(日)文章ゼミ+「現実と闘う時間」
 28日(日)読書会+「現実と闘う時間」

2月
 11日(日)文章ゼミ+「現実と闘う時間」
 25日(日)読書会+「現実と闘う時間」

3月
 11日(日)文章ゼミ+「現実と闘う時間」
 25日(日)読書会+「現実と闘う時間」