12月 02

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その2) 中井 浩一

■ 目次 ■

第3節 アダム・スミスとその時代
1.スミスの課題
2.スミスの人生
3.スミスの能力
(1)全体を見る
(2)ダイナミズム 運動を運動として
(3)「存在が意識を規定する」 唯物弁証法

なお本稿での『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。
1巻の15ページなら【1?15】と表記した。
引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけた。

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第3節 アダム・スミスとその時代

1.スミスの課題

彼は近代が近代として成立しようとしている時期の思想家で、
近代とは何かを示すことが役割だった。
近代社会とは何か、近代国家とは何か。資本主義社会とは何か。
その全体像を論じた初めての試みが『国富論』である。

近代という固定的で安定した時代があったのではない。
逆に、近代こそ、つねに運動し、運動し続けることでしか存在できない時代であり、
それが始まっていたのである。

スミスの時代は大きな転機の時代であり、危機の時代だった。
国内では産業革命が始まり旧来の手工業者が没落した。
新たに勃興した資本家階級を中心に選挙法改正運動が起こっていた。
イギリスは海外ではスペインやオランダとの戦いを制し、
植民地支配を全世界に拡大し世界を支配していたが、それはイギリスの経済に大きな負担となり
国家財政は破たんに直面していた。
しかもアメリカの独立戦争がはじまり、その対応を間違えればイギリスも過去の栄光に生きる国になってしまう。

その国家的な危機を前にして、従来の重商主義的な政策は決定的に破綻していると考えたのがスミスだった。

「富とは何か」が改めて問われたが、重商主義は、富を金銀や貨幣とし、
貿易差額によってそれらを蓄積することを目的とした。
「国際競争力」のために、国内の一部の独占商人と他の規制、外国産業の排除と保護貿易。
巨大な海軍力で植民地を拡大し、原料の確保と自国産業の独占市場を確保しようとする(大きな政府)。
こうしてできあがった国家による独占的な統制経済の体系が重商主義である。

これに対して、スミスにとっての富とは生活必需品(消費財)であり、
富をもたらすのは労働である(労働価値説)。
この考えは、『国富論』の冒頭で高らかに宣言されている。

「国民の年々の労働は、その国民が年々消費する生活の必需品と便益品のすべてを
本来的に供給する源であって、この必需品と便益品は、つねに、労働の直接の生産物
であるか、またはその生産物によって他の国民から購入したものである」。【1?1】

そうであれば、富を増やすには労働生産性を高めることが核心であり、
そのためには交換と分業を増大する必要があり、そのためには公正な市場原理が貫徹される必要がある。
しかし重商主義の統制はそれを阻害し、経済力の発展を困難にする。
海外市場ではなく、国内市場こそが優先されるべきだ。
したがってスミスにとって必要なのは「夜警国家」(小さな政府)である。

このスミスの考えを「自由主義」「自由放任主義」と名付けたのは後世の人たちのようだ。

2.スミスの人生

スミスは1723年にスコットランド東海岸の小さな港町カコーディに税関吏の次男として生まれた。
そこでの産業の中心は北海貿易で、付近にはいくつか工場もあった。
その後、植民地貿易で栄えていたグラスゴーのグラスゴー大学に入学。
宗教から距離を置いた自由な学風の大学だった。

大学卒業後、イングランドのオクスフォード大学で学んだが、
当時のオクスフォード大学は政治的反動と学問的沈滞の渦中にあったそうだ。
スミスはグラスゴー大学で教えることになる。そこでヒュームとの親交が始まる。
スミスは道徳哲学を担当し『道徳情操論』を刊行しブレイク。その後、経済学の研究に専念。
スミスはしばらくフランスに滞在し、重農主義に学ぶ。ケネーの経済表、経済の循環、再生産の構想など。
そして帰国。10年の研鑽を経て『国富論』を完成。1776年のことだ。

当時の世界的思想家であるスミスとヒュームが、イングランドではなくスコットランド出身である
ことには意味があるだろう。スコットランドとイングランドの両国は1707年に1つの国家に統合されたが、
両国の関係には対立・矛盾があった。
スコットランド内部にも、保守層と植民地貿易で繁栄する新興層の対立があった。
スミスはそうした中で、観察眼を養っていたのだろう。
こうした背景に今も大きな変化がないことは、2014年9月のスコットランドの独立騒動からも明らかになった。

3.スミスの能力

『国富論』を読むと、圧倒的な面白さを感ずるが、それを能力として捉えると、以下のことが挙げられるだろう。
(1)全体を見る
(2)ダイナミズム 運動を運動として
(3)「存在が意識を規定する」 唯物弁証法
(4)発展的にとらえる
(5)時局問題への対応
(6)平易なわかりやすさ

(1)全体を見る

スミスに感心するのは、その全体を見る力である。彼は全体を全体として示すことができる。
だからこそ、スミスは「公平」「公正」な視点を持つことができた。
他の人にそれができないのは、さまざまな価値観や偏見にしばられて全体が見えなくなっているからだ。

彼が経済の根本に据えた「労働」を考えるとわかりやすい。
それをスミスは直視するが、それは以前はできない事だった。奴隷制社会に生きたアリストテレスには、
労働一般は見えなかった。彼に見えたのは「精神労働」だけで、奴隷と肉体労働は視野の外にあった。

スミスにはそうしたことがない。それどころか、社会の下層の人々、たとえば死刑執行人や動物解体業者
【1?167】をも視野に入れている。
だからこそ工場内の賃金労働者の労働を国家の富の源泉ととらえることができた。

スミスは、冨が社会の最下層にまで行きわたることの是非を正面から問う【1?133】。
当時のエリートたちの多くは、心に思っても口にはしない。そうしたタブーがスミスにはない。
それほどに、彼は全体的で公平な視点を持っている。

(2)思考のダイナミズム 運動を運動として

 重商主義は、結局は貿易差額を富の源泉とするのだから、足し算引き算の世界で、静的な世界だ。
これをとらえるには悟性段階で十分だ。
しかし、資本を運動させ拡大再生産をし続けないといけない資本主義をとらえるには、
運動を運動として、「力」の現れとして動的にとらえることが必要になる。

当時の勃興する資本家たちを代表するスミスには、そうしたダイナミックな思考力がある。
彼は、矛盾した2面をおさえながら、考察できる。
相反する2要素を組み合わせて、価格決定の仕組みを説明できる【1?145】。
関係を「力」や「支配力」とその現れを通してとらえることができる。【1?54】。

全体の中に様々な要素があれば、全体を「規制」するものは何かを問わねばならない【1?70】。
これは、社会のすべてを構造的に、上下関係でとらえることになっていく。
それは根源にさかのぼることでもあり、マルクスの言う「下降法」を徹底することになる。

スミスは経済活動の根源を明らかにする。
交換と分業が生産力を高める以上、その根本を動かすのは人間の欲望である。
スミスは欲望を全肯定する。すべてをそこから導出しようとするのだ。

(3)「存在が意識を規定する」 唯物弁証法

スミスは物事の表面的な現象に騙されることが少ない。事実を事実として示すことができる。
普通は、「常識」という名の「偏見」や、「道徳」という名の「習俗」や、自分の欲望から
事実は見えにくくなる。しかし、彼はキレイごとや建前ではなく、事実を見ることができる。
だから楽々と核心を突き、平易にそれを表現する。

それができたのは、経済活動がすべての基礎であり、そこから社会や政治や文化現象の真実を
説明できることを、スミスが知っていたからだ。それは唯物史観に通じている。
スミスは『道徳情操論』をまとめているが、彼の主張や論旨には、およそ「道徳的」なところが
ないことに驚く。スミスにとって「道徳」とは社会の現実の関係の反映でしかなく、
それは社会をリアルに見ることで認識できるとかんがえていたのだろう。

たとえば、奴隷制度の是非も、スミスにとっては経済問題に過ぎない。
スミスは、使用人が奴隷と自由人で、どちらがコストパフオーマンスが良いかという問いを正面から
立てる【1?136,7】。もちろん自由人の方が、自分を大切にするので結局は安上がりなのだ。

また、スミスは人間の価値観や意識や無意識までを経済から説明する。例えば、貧困と出産率【1?134】、
就職先としての海軍と陸軍との違い【1?181,182】など。

スミスは自らの社会が、その経済関係から、3大階級(賃金労働者、資本家、大地主)にわかれている
ことを見ていたが、その階級の大枠や、その細部の違いが、人々の思考や価値観や生活意識の違いとなって
現れることを的確に見抜いている。いたるところにそうした指摘があるが、例えば、文明社会の道徳を
スミスは2つに分ける。庶民の厳格主義と上流階級の自由主義だ【3?166,7】。鋭い指摘だと思う。

1つの政策は特定の階級と結びつく。
重商主義もスミスの自由主義も、それぞれが依拠する階級の利益を代弁している。そのことにスミスは自覚的だ。
たとえば「穀物貿易法」が誰の利益になっているのかを、スミスは推理小説のような鮮やかさで暴露する【2?130】。

近代の原理は自由と平等であるが、スミスにとってはこれも経済の反映なのだ。
近代社会では労働はすべての人間の本質、人間の根本規定として現れた。
スミスはそこから人間の平等の原理や、私的所有、職業選択の自由、移住の自由などをとらえていた。
逆ではない。
スミスははっきり言わないが、近代の人間観とは資本家階級を代表するものであり、彼らの利益と結びついている。
それが一般化されたということは、資本家階級が支配階級になったということだ。
こうした点を見抜き、決して道徳や倫理や「人間の本質」などの美名のもとにごまかすことをしないのが、
スミスでありマルクスだ。

人間の意識や価値観を経済が規定するという考えは確かに唯物論である。
ただし、機械的に経済が意識を決めるととらえているのではない。
意識という独立した機能を媒介にして反映するのだ。
それは「存在が、意識を媒介にして、意識を規定する」という唯物弁証法の立場である。

「存在が意識を規定する」ことについてのスミスの理解は深い。
例えば、東インド会社の酷さを告発しつつも、それを次のように擁護もする。

「私は東インド会社の使用人たち一般の人格になんらか忌わしい避難をあびせるつもりは毛頭ないし、
まして特定の人物について、その人柄を問題にしようとしているのではない。私がむしろ非難したいのは、
その植民地統治の〈制度〉なのであり、使用人たちがおかれているその〈地位〉であって、
そこで行動した人々の人柄ではない。かれらは、〈自分たちの地位がおのずからに促すままに行動しただけのこと〉
であり、声を大にしてかれらを非難した人々といえども、いったんその地位におかれれば、
いまの使用人よりも好ましく行動はしなかったであろう」【2?432】。

12月 01

昨年の秋から今年の春まで、アダム・スミス著『国富論』とその関連の書物を読んだ。
そのための読書会は5回行った。準備として高島善哉著『アダム・スミス』(岩波新書)を読み、
『国富論』は3回かけて通読した。そして最後にまとめとして、マルクス著『剰余価値学説史』から
アダム・スミス論(第3章と第4章)を読んだ。学ぶことが多かった。それをまとめる。
 なお、『国富論』のテキストには中公文庫版を使用した。訳注に共同研究の成果が出ており、
岩波文庫版と比べると、用語や訳語、スミスの叙述への批判や疑問が率直に表明されている点を評価したからだ。
『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。全部で3巻からなるが、1巻、2巻、3巻をそれぞれ
【1】、【2】、【3】とし、1巻の15ページなら【1?15】と表記した。
 マルクスの『剰余価値学説史』については国民文庫版を使用した。スミスの『国富論』と区別できるように、
1巻、2巻をそれぞれ《1》、《2》とし、1巻の15ページなら《1?15》と表記した。
 引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけ、中井が補った箇所は〔 〕で示した。

■ 全体の目次 ■

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ  中井浩一 (2014年11月7日)

第1節 圧倒的な面白さ
第2節 近代の総体をとらえる
→ ここまで本日、12月1日に掲載

第3節 アダム・スミスとその時代
1.スミスの課題
2.スミスの人生
3.スミスの能力
(1)全体を見る
(2)ダイナミズム 運動を運動として
(3)「存在が意識を規定する」 唯物弁証法
→ ここまで12月2日に掲載
(4)発展的にとらえる
(5)時局問題への対応
(6)平易なわかりやすさ
→ ここまで12月3日に掲載

第4節 『国富論』の篇別構成
第5節 スミスの経済理論
(1)分業と交換
(2)「人間分子の関係、網目の法則」
(3)欲望の全肯定
→ ここまで12月4日に掲載

第6節 国家の発生から近代国家が生まれるまで
(1)狩猟採取→牧畜→農業
(2)国家の発生
(3)産業構造の発展と王権の拡大
(4)近代国家の成立
→ ここまで12月5日に掲載

第7節 歴史と先人から学ぶこと
1.「労働商品」という矛盾
2.不生産的労働と生産的労働
3.矛盾から逃げない人
4.歴史から学ぶ 過去の遺産を継承発展させる
5.工業化の時代という限界
6.「学者バカ」マルクス
→ ここまで12月6日に掲載

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■ 本日分の目次 ■

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その1)  中井 浩一

第1節 圧倒的な面白さ
第2節 近代の総体をとらえる

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アダム・スミス著『国富論』から学ぶ 
  中井 浩一  

第1節 圧倒的な面白さ

 そもそも、『国富論』を読む目的は何だったか。
それはマルクスにとっての前提が何だったかを確認することだった。
マルクスの『経済学批判』や『資本論』を読みながら、マルクスが批判しながらも依拠している
アダム・スミス著『国富論』を読まないと先に行けない思いに駆られた。

 それは以前からそうだったのだが、長大な『国富論』に怖気づいていた。
一方で、マルクスを読んでわかった気になっていて、読む必要がないとも思ったし、
また読んでもつまらなそうな感じがしていたのも事実だ。

 しかし、マルクスを深く理解するには、スミスとマルクスのどこがどう違うのか、
スミスとの関係はどうなっており、マルクスの独自性はどこにあるのか、それらを知ることが必要に思えた。

 そこで恐る恐る読んでみた。つまらなければ、また読む意味がないと思えば、
『国富論』の読書会は1回で終わりにするつもりだった。

 ところが面白い。断然面白い。圧倒的に面白い。経済学書がこんなに面白いとは思わなかった。
これまで読んだ経済学書中で、文句なく一番面白かった。

 それは欲望と野望に燃えるビビッドな人間たちがうごめいているからだ。彼らは出世や金儲けに奔走し、汲々としている。
それに対して、スミスは道徳やお説教を垂れることはしない。辛辣だがリアルな認識を示して見せるだけだ。

 欲ボケの人間たちは、笑い、怒り、悲しみ、唸りながら、最後はスミスの示す真実を「かなわないなあ!」と受け入れるしかない。
私たちはここでリアルな物の見方や考え方を学んでいるのだ。
それは難しく言えば、マルクスの唯物弁証法、唯物史観とよく似たものだ。

 しかも、それはまるでエッセイを読むような読みやすさなのだ。
専門家相手の論文調ではなく、しちめんどくさい数値や統計などもほとんど出てこない(付論とかにあるだけ)。
あきらかに読者として想定されているのは、エリートだけではなく、中産階級の大衆たち(後に資本家に成長する人たち)である。

 欲ボケの人間の真実を、これほどのわかりやすさで、まるでエッセイのように書き流してみせるスミスには驚嘆する。
これに比べると、マルクスは大衆にはとても読めたものではない。
だからエンゲルスによる通俗化の作業(たとえば『空想から科学』のパンフレット作成)が必須になった。

 さて、当初の問いだった、マルクスとの関係だが、
マルクスにあった重要な観点のほとんどすべてが、すでにスミスにあることを確認できた。
マルクスのオリジナルは唯一、「剰余価値」の発見だけではないか。
それは大きな一歩ではあるが、一歩でしかない。スミスの巨大さは、マルクスをほとんど飲み込むほどのものだった。
その確かな巨大さの上に、マルクスの世界は構築されている。

 スミスは大きな人だな?!というのが読後感だ。そこから説明してみたいと思う。

第2節 近代の総体をとらえる

 スミスは経済学の創始者である。経済学はそれまでの政治学の一分野から分離・独立したのだ。
そうした1つの学問の創始者、時代を画する思想の創始者、そうした人には大きく豊かなものがあるに決まっている。
アリストテレスしかり、ヘーゲルしかり、マルクスしかり、関口存男しかりだ。
そうした大きさ、豊かさを実感しておくことは必要だ。それで初めて「小ささ」「貧弱さ」を理解できるからだ。

 しかし、スミスの大きさは単なる創始者としてのものだけではない。
その「大きさ」は何よりも、スミスが向き合っている近代社会そのものの大きさから生まれている。
スミスの凄みとは、近代社会をその根底でとらえている点であり、彼の大きさとは、その近代の大きさそのものだ。

 近代は、西欧世界が海外に進出し、その植民地を世界中に拡大して世界が一つになるまでになった時に始まる。
それが可能だった原因は、その経済力にあり、それは全世界を支配できるほどに巨大化していた。
人間の欲望をかぎりなく拡大していけた時代であり、
経済力が政治から文化までのすべての分野を動かす原動力になった初めての時代である。
しかし、一方では対立や闘争が全世界規模に拡大した時代でもある。
国内と海外が常に1つになって運動し、たえざる動揺と混乱の危機の時代でもあった。

 だからこそ、経済学の政治学からの独立が求められ、
経済中心の物の見方、しかも対立・矛盾を直視したダイナミックな見方(唯物弁証法)が生まれたのだ。
世界が一つになり、他文明との衝突を経験すれば、全体の意識と全体から見た自己相対化が始まる。
世界を支配するまでに巨大化した自己自身の意味を、歴史的に、発展的に考える発想(唯物史観)が生まれる。
その全体的な見方の上に、スミスは近代をとらえようとした。
それは近代という時代が、自らを全体的な世界として示し始め、人間の欲望が人間を突き動かし、
世界を経済が根底から動かすものになったということだ。

11月 21

拙著『日本語論理トレーニング』講談社現代新書(2009年2月20日初版)が増刷され第5刷になりました。

今回の増刷にあたって、間違いを訂正し、表現をいくつか直しました。

48ページ
最初の図で
             そこ(古典)で言われていることじたい ×
古典が偉大な(理由)は
             そこ(古典)で言われようとしていること○
             =それ(古典)が私たちに投げかける志向性の影

は(によって)を3か所加えてください。以下です

             そこ(古典)で言われていることじたい(によって) ×
古典が偉大な(理由)は
             そこ(古典)で言われようとしていること(によって)○
             =それ(古典)が私たちに投げかける志向性の影(によって)

78ページの図では

自己を 国=統一国家 として  画する(閉じる)

これを以下に
                画する(=閉じる)

163ページの図は

[仮説を検証する段階]仮説 → 仮説から導かれた、事実(現象)に関する結論(推測)

を以下に直しました。

[仮説を検証する段階]仮説 → 仮説から導かれた結論が、事実(現象)と一致するか否かを確認

また162ページの文章を直しました。【 】部分を加えました。

となるでしょう。ここに【現象から仮説、仮説から現象という】、両方向の矢印が現れることに注意してください。実はこれが媒介なのです。
ところで、ここで仮説と現象は、いったいどちらが「根拠(原因)」なのでしょうか。読者の皆さんは、当然のように現象が根拠で、それによって仮説が形成されたと考えるでしょう。しかし、ではその仮説の真偽を検証する段階ではどうなるのでしょうか。仮説から導かれる現象【(結論)】を予測し、その結論が実験などで【実際が現象と一致するか否かが】検証されます。この「仮説から導かれる現象」とは、仮説を根拠にして現象を導き出しているのではないですか。

246ページは

「立体的構成」の(1)のマル2の
「環境説の極限の言説」を

「遺伝説の極限の言説」
に正しました。正反対のママになっていました。

以上について直しました。

他にも問題になる箇所、わかりにくい個所があることでしょう。
読書からの御意見をお待ちします。

10月 28

高山寺明恵上人の「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」

2014年10月16日に、京都博物館で「国宝鳥獣戯画と高山寺」展を見た。
高山寺の明恵上人を改めて強く意識した。
鳥獣戯画が高山寺に残された背景に、明恵が存在していることを意識したからだ。

明恵については以前から気になっていた。
河合隼雄が『明恵 夢を生きる』を出していて、
青年期から晩年まで膨大な夢日記を残していることを知っていたからだ。

今回の展示で、
明恵が傍らに置いていたイヌやシカの彫刻も愛くるしかったし、
聖フランチェスコのような「樹上座禅図」(明恵が自然の中で、リスや鳥たちに囲まれて座禅をしている)も面白かったし、
「仏眼仏母像」(明恵が身近に 置いた持仏像で、亡くなった母と仏が重なっている)も鮮烈だった。

展示の中で気になったのは、
明恵が周囲に置いていた画僧と協力して華厳宗の新羅の2人の坊主を主人公にした2つの絵巻(国宝です)を作っていたことだ。
なぜ、中国の偉い僧でなく、新羅の僧なのか。

帰ってから
白洲正子の『明恵上人』
河合隼雄の『明恵 夢を生きる』
上田三四二『この世 この生』の「顕夢明恵」
を読んだ。
いずれも面白かった。

新羅の2僧は、明恵の自己内の2つの自己なのだとわかった。

今回、初めて華厳宗に触れた。
華厳宗についてはまだ不明だが、
「あるべきようわ」を問う明恵には、強く共振するものがある。

「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」は明恵の座右の銘であり、「栂尾明恵上人遺訓」には以下のようにある。
 「人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)の七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。
乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり」。

 河合隼雄は『明恵 夢を生きる」で次のように説明する。
「『あるべきようわ』は、日本人好みの『あるがままに』というのでもなく、また『あるべきように』でもない。
時により事により、その時その場において『あるべきようは何か』と問いかけ、その答えを生きようとする」。

「あるがママ」でも「あるように」でもない。
他方で、「あるべきように」でもなく、「あるべきようわ(何か)」である。
「ある」=存在を問うことが生き方(当為)を決める点が真っ当だと思う。
「ある」といっても、ただの現象レベルが問題になるのではない。
存在の本質に迫ろうというのだ。そのためには、現実や自分や他者に働き掛けつづけなければならない。
「あるべきようワ」という表現には、「あるべきよう」を自他と現実社会に問いづけ、
存在=現実=理念の形成を促し、その中に参加し、没入しようとする、明恵の姿勢がはっきりと示されている。

存在と現実と理念が1つであること、
夢(無意識)と現実(意識)が1つであること。
明恵はそれをよく理解し、それを生きたようだ。
つまり理念を生きたと言えるだろう。
私はヘーゲルを思っていたが、
その点になると、
河合はバカな二元論者になってしまうと思った。

明恵は栄西などの宗教者だけではなく、西行とも親しかったようで
すごい歌がある。

あかあかやあかあかあかやあかあかや
あかあかあかやあかあかや月

これはまさに
言葉が生まれるところから
生れていると思う。

10月 08

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その5) 中井 浩一

■ 目次 ■

第3節 高度経済成長と今西の仲間たち
4.大衆社会の到来
5.時代の代弁者たち
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第3節 高度経済成長と今西の仲間たち

4.大衆社会の到来

 しかし、桑原や梅棹らを含めた今西たちのグループが、
大学や学会全体の中で主流になったわけではない。
ただ、高度経済成長下の大衆から圧倒的に支持された。
アカデミズムからは煙たがれたが、財界人や政治家たちからも強く支持された。
こうした現象をどう考えたらよいのだろうか。

それは大衆文化の勃興、大衆消費社会の到来を意味する。
高度経済成長下で小金持ちとなった「中流」社会の大衆は、
文化的にも高いレベルでの「面白い」読み物を求めるようになった。

すべてが商品として現れる時代、衣食住レベルだけではなく、
文化的生活のレベルまで、上級の知識や学問までが商品化される時代に
入ったのだ。

そこでは小難しい理屈を振り回し、「専門用語」でしか
語れない文化人は不要だ。市井の言葉で、総合的な視点でものを言える
研究者が求められるようになった。
他人の言葉ではなく、オリジナルな自前の言葉で語れる研究者が。

桑原や梅棹らは、その流れを確実に読んでいた。そしてその流れに乗って、
それを拡充しようとしたのが彼らだ。「文化」が商品になり、
それが売れる時代が来る。それが彼らに分かったのはなぜか。
それをわかる感覚が、彼ら京都の文化人にはあるからだろう。
彼らの先祖は町衆であり、武士階級出身の文化人とは違い、
時代を見抜く目と商才があるのだ。「商才」をバカにすることなく、
そこに文化的能力を正当に評価できるのだ。
それが彼らの学問を他と違うものにしている。

5.時代の代弁者たち

 なぜ彼らに対して、大衆や財界や政界の一部からの熱い支持があったのか。
それは彼らが時代の代弁者、伴走者だったからだ。彼らの学問には、
敗戦後の復興をささえた大衆への励まし、勇気づけがあったのだ。
自信を失った彼らに日本人の誇りを回復させ、もう一度復興に向けて
立ち上がる勇気や覚悟を促すような力があった。

 敗戦は明治維新後に匹敵する日本の危機だった。敗戦ですべての権威が崩壊し、
空虚さが覆い尽くした。アメリカ占領軍の近代化方針は、日本に外から
押しつけられたもので、国民の内発的で自発的なものではない。
明治の夏目漱石が直面した危機的精神状況がそこにあった。

その時、いくつかの光を放ったグループがあったが、その1つが今西たち
だったのだろう。彼らは、近代文明と伝統の両面をかかえもっていた。
彼らには、日本人の誇り、日本人の原点 京都文化の誇りがあった。
失われた濃密な師弟関係 友情関係と師弟関係があった。

そして彼らはまさに日本の高度経済成長を代弁したのではないか。
彼らの中で、高度経済成長そのものに言及した人はいない。
直接にそれに関わった人もいない。しかし、事実上、また結果的に、
日本の戦後の方針や高度経済成長を擁護し、支援してきた。

今西の「棲み分け理論」は、日本が敗戦後に軍備をアメリカに任せ、
ひたすら経済活動にまい進したことを擁護するだろう。
結果的にこの「棲み分け」が大成功だった。

梅棹忠夫の「文明の生態史観」はヨーロッパと日本の文明としての
同一性を強調し、日本の戦後の復興を当然のこととした。そして
自らその企画に参加した万博は、戦後、高度経済成長を成し遂げ
アメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つ
イベントとして開催された。

彼らは時代が求めるものを提供し、その見返りを得た。そう言えるだろう。
しかし彼らにできなかったことも、今日では明らかである。
彼らは時代の代弁者、伴走者であり、さらには時代をリードしたが、
時代を根底から批判し、それを越える観点を出すことはできなかった。
それは彼らの学問が、絶対的レベルでは低いものだったからではないか。

今西の理論的な不十分さは、彼らのグループ全体において言えることである。
共同討議や共同研究には明確な限界がある。そのレベルは討議のメンバー中の
最高者のレベルに規定され、それを超えることはできないということだ。

今西の「棲み分け理論」のように、日本は軍備をアメリカに任せ、
ひたすら経済活動にまい進した。しかしその成果が出た今、
そのつけが回ってきている。
中国や韓国との歴史認識問題の解決が見いだせない。

梅棹が関わった日本万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」だった。
しかし「進歩」は必ず対立・矛盾を激化する。それを解決するのは
「調和」ではない。梅棹は『世界の歴史』河出書房版の最終巻『人類の未来』も、
ついに完成させることができずに終わる。
これは根本的に、梅棹が「発展とは何か」に回答を出せなかったということだ。

こうした彼らの未解決に終わったすべては、今を生きる私たちの課題である。
私たちはそれを引き受けて、その先に行かなければならない。

                          2014年7月2日