アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その2) 中井 浩一
■ 目次 ■
第3節 アダム・スミスとその時代
1.スミスの課題
2.スミスの人生
3.スミスの能力
(1)全体を見る
(2)ダイナミズム 運動を運動として
(3)「存在が意識を規定する」 唯物弁証法
なお本稿での『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。
1巻の15ページなら【1?15】と表記した。
引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけた。
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第3節 アダム・スミスとその時代
1.スミスの課題
彼は近代が近代として成立しようとしている時期の思想家で、
近代とは何かを示すことが役割だった。
近代社会とは何か、近代国家とは何か。資本主義社会とは何か。
その全体像を論じた初めての試みが『国富論』である。
近代という固定的で安定した時代があったのではない。
逆に、近代こそ、つねに運動し、運動し続けることでしか存在できない時代であり、
それが始まっていたのである。
スミスの時代は大きな転機の時代であり、危機の時代だった。
国内では産業革命が始まり旧来の手工業者が没落した。
新たに勃興した資本家階級を中心に選挙法改正運動が起こっていた。
イギリスは海外ではスペインやオランダとの戦いを制し、
植民地支配を全世界に拡大し世界を支配していたが、それはイギリスの経済に大きな負担となり
国家財政は破たんに直面していた。
しかもアメリカの独立戦争がはじまり、その対応を間違えればイギリスも過去の栄光に生きる国になってしまう。
その国家的な危機を前にして、従来の重商主義的な政策は決定的に破綻していると考えたのがスミスだった。
「富とは何か」が改めて問われたが、重商主義は、富を金銀や貨幣とし、
貿易差額によってそれらを蓄積することを目的とした。
「国際競争力」のために、国内の一部の独占商人と他の規制、外国産業の排除と保護貿易。
巨大な海軍力で植民地を拡大し、原料の確保と自国産業の独占市場を確保しようとする(大きな政府)。
こうしてできあがった国家による独占的な統制経済の体系が重商主義である。
これに対して、スミスにとっての富とは生活必需品(消費財)であり、
富をもたらすのは労働である(労働価値説)。
この考えは、『国富論』の冒頭で高らかに宣言されている。
「国民の年々の労働は、その国民が年々消費する生活の必需品と便益品のすべてを
本来的に供給する源であって、この必需品と便益品は、つねに、労働の直接の生産物
であるか、またはその生産物によって他の国民から購入したものである」。【1?1】
そうであれば、富を増やすには労働生産性を高めることが核心であり、
そのためには交換と分業を増大する必要があり、そのためには公正な市場原理が貫徹される必要がある。
しかし重商主義の統制はそれを阻害し、経済力の発展を困難にする。
海外市場ではなく、国内市場こそが優先されるべきだ。
したがってスミスにとって必要なのは「夜警国家」(小さな政府)である。
このスミスの考えを「自由主義」「自由放任主義」と名付けたのは後世の人たちのようだ。
2.スミスの人生
スミスは1723年にスコットランド東海岸の小さな港町カコーディに税関吏の次男として生まれた。
そこでの産業の中心は北海貿易で、付近にはいくつか工場もあった。
その後、植民地貿易で栄えていたグラスゴーのグラスゴー大学に入学。
宗教から距離を置いた自由な学風の大学だった。
大学卒業後、イングランドのオクスフォード大学で学んだが、
当時のオクスフォード大学は政治的反動と学問的沈滞の渦中にあったそうだ。
スミスはグラスゴー大学で教えることになる。そこでヒュームとの親交が始まる。
スミスは道徳哲学を担当し『道徳情操論』を刊行しブレイク。その後、経済学の研究に専念。
スミスはしばらくフランスに滞在し、重農主義に学ぶ。ケネーの経済表、経済の循環、再生産の構想など。
そして帰国。10年の研鑽を経て『国富論』を完成。1776年のことだ。
当時の世界的思想家であるスミスとヒュームが、イングランドではなくスコットランド出身である
ことには意味があるだろう。スコットランドとイングランドの両国は1707年に1つの国家に統合されたが、
両国の関係には対立・矛盾があった。
スコットランド内部にも、保守層と植民地貿易で繁栄する新興層の対立があった。
スミスはそうした中で、観察眼を養っていたのだろう。
こうした背景に今も大きな変化がないことは、2014年9月のスコットランドの独立騒動からも明らかになった。
3.スミスの能力
『国富論』を読むと、圧倒的な面白さを感ずるが、それを能力として捉えると、以下のことが挙げられるだろう。
(1)全体を見る
(2)ダイナミズム 運動を運動として
(3)「存在が意識を規定する」 唯物弁証法
(4)発展的にとらえる
(5)時局問題への対応
(6)平易なわかりやすさ
(1)全体を見る
スミスに感心するのは、その全体を見る力である。彼は全体を全体として示すことができる。
だからこそ、スミスは「公平」「公正」な視点を持つことができた。
他の人にそれができないのは、さまざまな価値観や偏見にしばられて全体が見えなくなっているからだ。
彼が経済の根本に据えた「労働」を考えるとわかりやすい。
それをスミスは直視するが、それは以前はできない事だった。奴隷制社会に生きたアリストテレスには、
労働一般は見えなかった。彼に見えたのは「精神労働」だけで、奴隷と肉体労働は視野の外にあった。
スミスにはそうしたことがない。それどころか、社会の下層の人々、たとえば死刑執行人や動物解体業者
【1?167】をも視野に入れている。
だからこそ工場内の賃金労働者の労働を国家の富の源泉ととらえることができた。
スミスは、冨が社会の最下層にまで行きわたることの是非を正面から問う【1?133】。
当時のエリートたちの多くは、心に思っても口にはしない。そうしたタブーがスミスにはない。
それほどに、彼は全体的で公平な視点を持っている。
(2)思考のダイナミズム 運動を運動として
重商主義は、結局は貿易差額を富の源泉とするのだから、足し算引き算の世界で、静的な世界だ。
これをとらえるには悟性段階で十分だ。
しかし、資本を運動させ拡大再生産をし続けないといけない資本主義をとらえるには、
運動を運動として、「力」の現れとして動的にとらえることが必要になる。
当時の勃興する資本家たちを代表するスミスには、そうしたダイナミックな思考力がある。
彼は、矛盾した2面をおさえながら、考察できる。
相反する2要素を組み合わせて、価格決定の仕組みを説明できる【1?145】。
関係を「力」や「支配力」とその現れを通してとらえることができる。【1?54】。
全体の中に様々な要素があれば、全体を「規制」するものは何かを問わねばならない【1?70】。
これは、社会のすべてを構造的に、上下関係でとらえることになっていく。
それは根源にさかのぼることでもあり、マルクスの言う「下降法」を徹底することになる。
スミスは経済活動の根源を明らかにする。
交換と分業が生産力を高める以上、その根本を動かすのは人間の欲望である。
スミスは欲望を全肯定する。すべてをそこから導出しようとするのだ。
(3)「存在が意識を規定する」 唯物弁証法
スミスは物事の表面的な現象に騙されることが少ない。事実を事実として示すことができる。
普通は、「常識」という名の「偏見」や、「道徳」という名の「習俗」や、自分の欲望から
事実は見えにくくなる。しかし、彼はキレイごとや建前ではなく、事実を見ることができる。
だから楽々と核心を突き、平易にそれを表現する。
それができたのは、経済活動がすべての基礎であり、そこから社会や政治や文化現象の真実を
説明できることを、スミスが知っていたからだ。それは唯物史観に通じている。
スミスは『道徳情操論』をまとめているが、彼の主張や論旨には、およそ「道徳的」なところが
ないことに驚く。スミスにとって「道徳」とは社会の現実の関係の反映でしかなく、
それは社会をリアルに見ることで認識できるとかんがえていたのだろう。
たとえば、奴隷制度の是非も、スミスにとっては経済問題に過ぎない。
スミスは、使用人が奴隷と自由人で、どちらがコストパフオーマンスが良いかという問いを正面から
立てる【1?136,7】。もちろん自由人の方が、自分を大切にするので結局は安上がりなのだ。
また、スミスは人間の価値観や意識や無意識までを経済から説明する。例えば、貧困と出産率【1?134】、
就職先としての海軍と陸軍との違い【1?181,182】など。
スミスは自らの社会が、その経済関係から、3大階級(賃金労働者、資本家、大地主)にわかれている
ことを見ていたが、その階級の大枠や、その細部の違いが、人々の思考や価値観や生活意識の違いとなって
現れることを的確に見抜いている。いたるところにそうした指摘があるが、例えば、文明社会の道徳を
スミスは2つに分ける。庶民の厳格主義と上流階級の自由主義だ【3?166,7】。鋭い指摘だと思う。
1つの政策は特定の階級と結びつく。
重商主義もスミスの自由主義も、それぞれが依拠する階級の利益を代弁している。そのことにスミスは自覚的だ。
たとえば「穀物貿易法」が誰の利益になっているのかを、スミスは推理小説のような鮮やかさで暴露する【2?130】。
近代の原理は自由と平等であるが、スミスにとってはこれも経済の反映なのだ。
近代社会では労働はすべての人間の本質、人間の根本規定として現れた。
スミスはそこから人間の平等の原理や、私的所有、職業選択の自由、移住の自由などをとらえていた。
逆ではない。
スミスははっきり言わないが、近代の人間観とは資本家階級を代表するものであり、彼らの利益と結びついている。
それが一般化されたということは、資本家階級が支配階級になったということだ。
こうした点を見抜き、決して道徳や倫理や「人間の本質」などの美名のもとにごまかすことをしないのが、
スミスでありマルクスだ。
人間の意識や価値観を経済が規定するという考えは確かに唯物論である。
ただし、機械的に経済が意識を決めるととらえているのではない。
意識という独立した機能を媒介にして反映するのだ。
それは「存在が、意識を媒介にして、意識を規定する」という唯物弁証法の立場である。
「存在が意識を規定する」ことについてのスミスの理解は深い。
例えば、東インド会社の酷さを告発しつつも、それを次のように擁護もする。
「私は東インド会社の使用人たち一般の人格になんらか忌わしい避難をあびせるつもりは毛頭ないし、
まして特定の人物について、その人柄を問題にしようとしているのではない。私がむしろ非難したいのは、
その植民地統治の〈制度〉なのであり、使用人たちがおかれているその〈地位〉であって、
そこで行動した人々の人柄ではない。かれらは、〈自分たちの地位がおのずからに促すままに行動しただけのこと〉
であり、声を大にしてかれらを非難した人々といえども、いったんその地位におかれれば、
いまの使用人よりも好ましく行動はしなかったであろう」【2?432】。