7月 05

7月3日に、盛岡で、高校における表現指導をテーマに講演をしました。

「第一学習社」の「小論文事業部」主催の講演会で
岩手、青森の高校の先生方が五〇人ほど集まっていただきました。
国語科だけではなく、理科・社会、英語、家庭などの先生方も参加されました。

「聞き書きから小論文へ」とのタイトルで
今の高校生が、テーマや問題意識を持って、たくましく生きていけるような表現指導を提案しました。

第一部の講演後、
第二部の座談会があり、
二〇人近くの方が参加されました。

その方々は
私の『脱マニュアル小論文』『日本語論理トレーニング』、大修館書店の教科書「国語総合」につけた論理トレーニング本の読者の方々のようでした。

それぞれの方々が置かれた学校の現状や課題、表現指導の悩みなどを語り合いました。

「読者」と直接に語り合えたことで

私のやっていることが、どのように現場で受け止めてもらっているかがわかったように思います。

目の前の高校生の成長を心から願い、学内の指導体制の問題に悩みながらも、少しでもまっとうな指導をやろうとしている方々です。

こうした方々の力になれるような仕事を、これからもしていこうと強く思いました。

6月 26

7月のゼミの日程

7月のゼミの日程が変更になっています。

以下ですが、注意してください。

7月7日
午後5時より「文ゼミ」
その後、「現実と闘う時間」

7月14日
午後4時より読書会
午後6時より「現実と闘う時間」

読書会のテキストは『痴呆を生きるということ』(岩波新書847)です

6月 09

海外向けの多言語情報発信サイト『nippon.com』に、寄稿しました。

タイトルは
「学力低下」論争と「ゆとり」教育を検証する

以下で読むことができます。
外国の知人にも紹介してください。

日本語
http://nippon.com/ja/in-depth/a00601/

英語
http://nippon.com/en/in-depth/a00601/

フランス語
http://nippon.com/fr/in-depth/a00601/

スペイン語
http://nippon.com/es/in-depth/a00601/

中国語版
簡体字
http://nippon.com/cn/in-depth/a00601/

繁体字
http://nippon.com/hk/in-depth/a00601/

多言語発信サイト『nippon.com』を運営している一般財団法人ニッポンドットコムについて、
以下、ニッポンドットコム自身による説明を引用します。

一般財団法人ニッポンドットコムは、海外向けの多言語情報発信を専門とする組織として、平成22年12 月に設立されました。民間による対外広報活動として、日本財団からの助成を受けて本年10 月に対日理解を促進するための多言語発信サイト『nippon.com』をスタートしました。
当サイトでは、日本に関心を持つ海外の有識者層を中心に、大学生以上の幅広い読者層に向けて、日本の文化、社会、政治、経済、外交、科学技術など幅広い分野にわたるオピニオンや、日本の現状を掘り下げて伝える記事を、日本語、英語、中国語、仏語、西語(順次アラビア語、ロシア語も加わります)で掲載していきます。
36 年間、日本の知識層の真実の声を海外に伝えてきた英文誌『JAPAN ECHO』誌の精神を継承し、ありのままの日本の姿をグローバルに発信していきます。
■対応言語
日本語、英語、中国語(簡体字・繁体字)、フランス語、スペイン語
■ウエブサイト開設
2011 年10 月3 日
■編集委員会
編集主幹 谷内正太郎 外務省顧問
編集長 白石隆 政策研究大学院大学学長
副編集長 宮一穂 京都精華大学教授、元『中央公論』編集長

〒100-0011
東京都千代田区内幸町2-2-1
日本プレスセンタービル

6月 03

「自己否定」から発展が始まる(その4)
(ベン・シャーン著「ある絵の伝記」の読書会の記録) 記録者 小堀陽子

 ■ 目次 ■

2.読書会
(3)テキストの検討
 <2>「異端について」
 <3>「現代的な評価」
(4)質疑応答
(5)読書会を終えて ─ 参加者の感想

3.記録者の感想
(1)記録を書いて
(2)他人との関わり
(3)自己否定の違い
(4)表現の違い

=====================================

2.読書会
(3)テキストの検討

 <2>「異端について」
 〈芸術家と社会の関係〉
 ・110、111p
 → 芸術家は社会と一体になっていたら表現はできないが、
  社会から切り離されて遊離しても表現はできないという、
  矛盾を生きている。

  実はあらゆる人がそう。
  それを極端に最も激しくやらなければ芸術家の仕事はできない。

  これがただの分裂にならないあり方というのはどういうあり方なのか。
 
 ・116pの後ろから2行目
 → この人は保守主義者を否定しない。自分の中に位置づけている。
  最後の行「そういう人の重要性を小さく見積るつもりはない。」
  なぜか。

  過去の芸術を僕たちが今美術館で見ることができるのは、
  まさに保守主義者がそれを守ってきたからだ、という捉え方。

  しかし、どうしても保守主義者は過去の作品が素晴らしいとなって、
  いま生まれている作品は苦手。
  今、生まれているもののどれが本当の芸術か、ということは難しい。

 <3>「現代的な評価」
 〈芸術家と民衆の関係〉
 ・145pから146p
 → 民衆に支持されてたくさん売れるのが良い絵なのか。それとも
  民衆から見向きもされないものこそが良いのか、という問い。
  この人はどちらでない、と例の調子。

 ・145p後ろから2行目?146p6行目
 ≪私も、多くの芸術家と同様に、民衆の賞賛を芸術の評価の標準に
  適用することには大反対である。

  しかし、それと同様に、今述べたような民衆に嫌われることを
  直ちによい作品の標準とする奇妙に逆転した考え方にも、
  私は大反対である。

  民衆の知性がどんなに堕落していようと、また民衆の眼が
  どんなに汚されていようと、民衆こそはわれわれの文化の
  現実性にほかならない。≫

 → ここで現実性という言葉が出ているのはヘーゲルばり。
  民衆こそがわれわれの文化の現実性だと言っている。ただし、
  それは民衆の評価がそのまま正しいということではない。

 ・146p7?15行目
 ≪民衆は、そこに白百合の種子を播くべき沃土である。

  芸術家たる以上は、この現実の縁飾の上に存在をたもつか、
  あるいは、その重要な一部分になるのがわれわれの努めである。

  芸術の民衆に対する価値を構成するものは、
  芸術の基本的な意図であり、責任感である。≫

 → 民衆と芸術家または民衆と政治的指導者、こういう関係は
  いかにあるべきか。
  これは永遠のテーマだが、この人はこういうスタンスで、
  僕も勿論同じだが、それを実現させるのが難しい。

(4)質疑応答

 (社会人)リルケの詩のところで、記憶を忘れてもう一度戻って
   くることを、ヘーゲルとの関連で説明したが、どういうことを
   ヘーゲルは言っているのか。

  →(中井)僕たちは、いろいろな経験をする中で自分を作っていく。
    普通は、経験そのものから次の一歩が出てくると考える。
 
    リルケは違う。この経験を忘れろと。忘れて、それと自分が
    一つになるまでにならなければ、結局次の一歩は出てこない
    と言っている。

    ヘーゲルは、次の一歩が出てくるというのは、一歩前に出る
    と同時に一歩自分の中に入ることだと言っている。

    過去に本当に何があったかが先に進めたこの一歩でわかる。
    その一歩を出す何かがここに十分出来上がった時、前に出る
    と言う。

    更にヘーゲルはこうやって一つ一つ出て行くのは、
    過去の一つ一つに何があったかがわかるという形で、前進即後ろ
    と捉えて、その全体が絶えずその中で明らかになっていく、
    という世界観。

    リルケの捉えようとしていることはヘーゲルと同じだと思う。
    こういう詩人が本物の詩人だと思う。
    このレベルの詩人が日本にいるだろうか。

(5)読書会を終えて ─ 参加者の感想

 (小堀)一人の画家の人の作品を一遍に展示している展覧会を
   初めて見た。学芸員の人の話が面白かった。

   シャーンは1930年代にたくさん写真を撮ったが、それは
   ニューディール政策(中井解説:社会主義的な政策)の仕事だった。
   その時、貧しい農村を撮って来い、必ず子供を撮れとか、
   素足の足を撮れとか、貧しさが強調されるように撮れという
   具体的な指示があった。

   シャーンもその指示に従っているが、あまり悲惨な写真に
   なっていない。ベン・シャーンが相手の人とのコンタクトによって
   一人一人を撮ろうとするのが写真に出ているのが面白いという
   話だった。

   そして実際に写真を見たら、一人一人がとても柔らかい表情を
   していた。そして、文章も人間が存在するような文章は、
   深く人と関われる人でなければ書けないと思った。

  →(中井)表情がいい。(図録46,47pなど)これは全部
    貧しい最下層の人たちだけれど、表情が全部豊か。
    彼の言う「社会から個人に」という方法が写真でも出ている。

 (就職活動生)「解放」という絵を、空虚な絵に描いているのが
   面白かった。自分の場合は就職活動が終わったとき解放されたが、
   その途端に自分になにもないのが明らかになった感じがある。
   そこは自分とつながっていると感じた。

 (社会人)最初言った通りで、特に加えることはない。

 (社会人)私は絵画を理解するのはその人の発展史を共に理解した方が
   いいのかと疑問を持った。固定された概念で見てしまうと、
   作品そのもの自体に迫ることができなくなるとも思う。
   けれど今日は、シャーンの問題意識の変化から作品に違いが
   出来てきたということが納得できた。

 (中井)絵はその一枚の絵で勝負するべきだし、一枚の絵で
  勝負できないものはダメな絵だと思う。

  ただ、ベン・シャーンという人間がやってきたことの全体がわかれば、
  自分が感動した絵の後ろ側にどれだけのものがあったかをわかるから、
  それによってその絵の理解が深まることはある。

  ただ、最初にカス絵だと思ったものが背景を知ったことによって、
  評価がカス絵ではないと変わることはないと思う。

  ベン・シャーンの中にもダメなものもあるが、心に届いてくるものも
  あるから、その意味は考えたい。

  今回は今日話したことをベン・シャーンで考えたが、これは自分自身の
  問題でもある。

  ベン・シャーンは圧倒的にアメリカの民衆に支持された画家。それは
  一つにはわかりやすい。漫画みたいな絵を彼は自分の方法として選んで生きた。

────────────────────────────────────────

3.記録者の感想

(1)記録を書いて

   テキストに目を通して、ベン・シャーンの絵が見たくなって
  展覧会に行った。なにか感じるものがあったから絵を見たいと思った
  はずだが、それは言葉にならなかった。

  読書会の最初に読後感想をもとめられた時、私には話すことがなかった。
  テキストに書いてある内容がわからなかったからだ。読書会で他の
  参加者の感想や中井さんの話を聴いてもよくわからなかった。

  記録を残すために、録音を繰り返し聴き、テキストを読み直して、
  やっと自分の感想が言葉になってきた。

(2)他人との関わり

   ベン・シャーン展で彼の撮った写真を見て強く印象に残ったのは、
  被写体のひとたちが、とても柔らかい表情をしていたことだった。
  ベン・シャーンが相手と積極的に関わったことが想像できた。
  そして、こんな表情を見せてくれるまでに、どんな会話がされたの
  だろうと知りたくなった。そして、文章表現にも同じ面があると思った。

  私は学生時代に、小説や随筆を好んで読んでいた。
  自分の心に残った作品は、文章に「ひと」の存在が感じられる
  ものだった。ベン・シャーンの作品は、そういう書き手の文章に
  重なるものがあった。

  今回のテキストで、ベン・シャーンが被写体と向き合う方法論を
  読み、実際にその結果が形になった写真を見た。
  文章表現も同じで、他人との関わりがそのまま表われるのだと思った。

  だから、他人との関わりを避けてきた私には「ひと」を書くことは
  できない、と思う。

(3)自己否定の違い

   大学、大学院で日本文学を専攻していた私は、仕事を始めてから
  小説を読まなくなった。実際に時間や気持ちに余裕がなくなったこと
  もあったが、意識的に読むのを避けた面があった。それは、
  大学院時代の自分を否定する気持ちが文学に関わることを
  拒絶させたからだった。

  全くの親がかりで生きてきた私は、その時期が終わった時、
  自分が大学院で一生懸命していたことは「空っぽな勉強」で、
  実際は「遊び」だったのだと思った。
  「大学院でやっていた文学」は金持ちの遊びに過ぎない、
  私にはもう縁のない世界だと思い、関わることを禁じた。

  勿論「大学院の文学」を否定することは、「本来の文学」の否定には
  つながらないはずだ。けれど私は、今でも文学が存在する意味が
  わからなくなったままだ。

  ベン・シャーンが、パリに学んだ自分を強く否定した中から
  自分独自の方法を作っていく過程を書いていた。
  それについて中井さんが、否定された自分も踏まえて前に進んでいく
  という話をした。否定は、否定した対象を自分の中に位置づけることだと。

  比べてみると、自分の否定は、過去の自分や「文学」を抹殺しようと
  していて、ベン・シャーンの否定とは大きく違うと思った。
  今は、抹殺する否定のあり方は間違いだとなんとなくわかる。
  けれど、過去の自分を抹殺しようという動きが自分の中にはある。

(4)表現の違い

   ベン・シャーンには表現したいものがある。例えば「恐怖をリアルに
  表現したい」という思いがあって、絵を構成していく。目的があるから
  そこに向かって作戦をたてて形にしていく。

  自分が時々書く文章との違いを考えた。
  私の書く文章は表現したいものがはっきりして組み立てて行く文章ではない。

  私が書く時は、自分の中のかたまりを、言葉にすることで、ほぐしている
  という感じがする。絡み合った糸をひとつひとつほぐすようなもので、
  書いていると自分の内側が静かになっていく。
  そしてその作業が今の自分には必要な気がする。(了)

6月 02

「自己否定」から発展が始まる(その3)
(ベン・シャーン著「ある絵の伝記」の読書会の記録)  記録者 小堀陽子

 ■ 目次 ■

2.読書会
(3)テキストの検討
 <1>「ある絵の伝記」
     検討3

=====================================

〈自分と異なる方法について〉
 ・62p後ろから3行目
 ≪クライヴ・ベルの理論のように、純粋形式のためにのみ描く画家は、
  芸術における最終的に可能な表現としての形式に確信を抱いている
  のであろう。≫

 → これは抽象絵画のこと。形と色だけが全てでそれが思想だと。
  勿論それも思想で、あるメッセージを持っている。

  作品にはその時代の何か、その人間の深さ、馬鹿さ加減、
  全てが丸見えになる。

  僕は抽象絵画でも関心が持てないものと、すごいと思うものが
  ある。ベン・シャーンの中にすごいと思う作品も、つまらないと
  思うものもある。

 ・62p後ろから2行目
 ≪フロイトの理論のように療法として芸術を見る人々は
  自分のしていることに自信があるだろう。
  いろいろな材料を巧みに扱うだけの画家たちも同様だろう。

  しかし、かかる芸術は内面的な経験をも、外部的な経験をも
  含むことができないのではないか。≫

 → 内面的な経験も外部的な経験も、作者と客観世界を
  引き離してしまうだけで表現できない。
  彼は両者を統一しなければならないと思っている。

 〈自分の方法 ─ 普遍性を描く〉
 ・63p5行目
 ≪私にとっては、主観と客観は共に極めて重要なものであって、
  前に述べたイメージとアイデアの問題のひとつの面に
  外ならない。

  取るべき手段はこの両者を芸術から抹消し去ることではなく、
  むしろ両者を統合して、一個の感銘を与えるもの、

  ─すなわち「意味」がその不可欠な要素になっている
  ひとつの視覚「映像」たらしめることである。≫

 → 統一することはこの人の核心。具体的には次の段落の最後
  「世界的な性質をもつシンボル」だと。65p「普遍性を描く」。

  しかし「概括」とか「抽象化」によって描くのではない。
  絵は具体的なものしか描けない。絵に表れるのは全部個別。
  そのことを一見否定したかのようなのが抽象絵画。

  66pは、個別しか表現できない絵で普遍的なものを描くことは
  いかにして可能か、という問い。

  65p最後にデ・キリコの絵とマサッチオの絵という2つの例を
  出している。自分が持っている問いについて、二人が
  一応答えを出している。

  66p「感情の極限から」生まれて「偉大な普遍性」に到達している。
  それはどういうことか。

 ・66p4行目
 ≪私が第二次大戦の末期頃に描いた作品、例えば「解放」とか、
 「赤い階段」とか─は、様式の上では、以前の作品とはっきり
  区別できるようなものではなかったが、一層個人的なものになり、
  一層内面的なものになっていたことは確かである。≫
 
 → 「解放」(図録69p,197)は第二次大戦末期にフランスが
  ドイツから解放されたニュースを聞いて描かれた。

  普通は解放を明るく描く。シャーンの「解放」では子供が
  死んだような顔をしている。

  これは、ある感情の深さから始まって普遍性に到達するということ
  を試み、苦しさの中でこの段階での結論として出されたもの。
  写実であるが写実を超えた作品。

 ・66p7行目
 ≪かつて秘隠的で難解だと思われた象徴主義が、今は
  戦争がわれわれに感じさせた「空虚」と「空費」の感じと、
  戦時下に生きんとする人間の力の弱さを表現しうる
  唯一の手段となった。≫

 → 普通は解放された時、良かった、明るいと捉える。
  一方シャーンは解放された時にその戦争の空虚さが露出する、
  という捉え方。
  これが戦争を経験した人たちにとっての最も深い受けとめ方
  である、ということ。

  先日、野見山暁治の抽象画を見てきて良いと思った。

  野見山が、戦争を20代で経験して引き揚げてきて、
  これから自分がどういう絵を描くかと悩んでいた時に、
  シャーンの「解放」は衝撃的だったと言っていた。

  「衝撃的」とは、自分の心の中がそのまま描かれている
  という意味。

  戦争に負けた日本人の心の中と戦争に勝った側の心の中が
  実は全く同じだと。

  これが、個人的なもの、または感情の極限が普遍化される
  ということだと思う。

  野見山は自分の作品についてベン・シャーンのように
  言葉にならない。けれどそれは彼の絵がダメだということ
  にはならない。
  言葉にできる人が本当にいい絵を描いているとも限らない。

  ベン・シャーンの場合は両立している。
  野見山の場合は言葉での表現はできないが問題はない。
  けれどもう少し言葉にしてほしい。

  ただ、野見山が「解放」という絵に自分が何を感じたかを
  言っている言葉は僕の中にとても響いてきたし、
  この絵がどういう絵なのかということがわかる説明だった。

 ・66p8行目
 ≪当時私は作品の形成だけが問題だった。つまり強く感じられた
  感情を、絵具を塗った平面の視覚像に形成することが、
  目標だった。≫

 → 油絵は構図及び表情だけではダメ。シャーンの絵は、
  背景の色使いがすごい。

  絵は二次元の世界だから、その中にどういう像を作っていくか
  ということがプロの画家の力量。

 ・66p12行目
 ≪私自身の見解では、これらの作品は成功だった。

  当時はっきりと知った事は、情感ある視覚像はわれわれの
  感情を動かす外界の事件そのものの映像である必要はなく、

  むしろ多くの事件の内面的な痕跡から組立てられる
  ということだった。≫

 → 例えば「解放」は実際のリアルな場面ではなくイメージを
  描いた作品。

  67p2行目「このようないろんなイメージこそ」を「形成」
  するのだと言っている。

 ・68、69p
 → 絵で表現するということはどういうことか。
  68p最後。それは色であり形であり、その触感、背景の肌触り、感覚。
  そこにまで落としこんでいく力がなければ画家ではない。

 〈人間の価値〉
 ・69p後ろから7行目
 ≪私は以前に私をひどく苦しめたアイデアとイメージとの間の
  長期戦のことを述べた。
  私はこの紛争をアイデアすなわち思想を放棄することにより
  調停することはできなかった。

  かかる解決は絵画を単純化するかもしれないが、同時に
  絵画というものを勇気ある、知性的な、大人の実践の闘技場から
  退場させてしまうことになるからだ。

  私にとっては、もし思想が作品から現示すべきでないとしたら、
  絵画にあまり存在理由を認めない。
  人間が思想をもつ力があるという点、そしてその思想そのものが
  価値があるという点にこそ、人間の価値があると
  私は考えているからである。≫

 → こういうことを言える思想家がいるだろうか。

  「知性的な実践の大人の闘技場から退場させてしまう」という
  ところにぐっとくる。
  要するに彼からすると、そいつらの絵は子供っぽい。
  大人がやる闘いは違うと言っている。

  これは本当に成熟した人の言葉を聴いている感じがする。
  成熟は今の社会では難しい。全共闘世代、吉田拓郎や井上陽水は
  60になっても子供みたいな顔をしている。

 〈晩年の作品─「マルテの手記」を題材に〉
 ・71p後ろから5行目
 ≪リルケはマルテの手記のなかで書いている。

 「一行の詩のためには、あまたの都市や、人間や、事物を
  みなければならぬ。─ 中略 ─ 詩人はまた死にゆく人の傍に
  いたことがなければならないし、開いた窓がかたこと鳴る部屋での
  通夜もしたことがなければならない。≫

 → この「詩」という言葉のところに自分のテーマを入れれば
  全ての人に当てはまる。

  あらゆるものを見てあらゆるものを聞いてあらゆるものを感じて、
  それが大前提だと言っている。しかしそれだけでは足りない。

 ・72p7行目
 ≪しかも、こういう記憶をもっていることで充分ではない。
  追憶が多かったら、これを忘れることができなければならない。
  そしてそういう追憶が再び帰ってくるまで待つ大きな忍耐力を
  もたなければならない。

  追憶はいまだほんとうの追憶になっていないからだ。

  追憶がわれらの身体のなかの血となり、眼差しとなり、
  表情となり、名前のない、われら自身と区別のつかないものに
  なるまでは…。

  そして、その時に、いとも稀なる時刻に、
  ひとつの詩の最初の言葉が、それら追憶のまんなかに浮き上り、
  追憶そのものから進み出て来るのだ」と。≫

 → リルケがリルケであるところはこの後半にある。

  忘れた追憶が再び帰ってくるまで、そこに最も忍耐力が必要。
  そこで人間は成熟する。これはヘーゲルそのもの。

  僕たちは強い経験をした時にその記憶は強烈な故に消える。
  普通はそのまま消えて終りだが、頑張った人にだけ浮かび上がって
  くる時はある。リルケは詩人だからそれが詩になる時だと言う。

  最後にこれを持ってきたベン・シャーンはまさに自分は
  これをやってきたと言っている。

  ベン・シャーンはこの一節に対しての思い入れが強く、
  マルテの手記の今の部分について最晩年に描いている。
  これを自分が最初にそこからスタートした石版画でやっている。
  ここにも意味がある。