9月 22

8月29日に立花隆氏へのインタビューをし、8月30日に塩野米松氏と対談をした。いずれもテーマは「聞き書き」で、大修館書店のPR誌のためのものだった。

大修館書店は高校の国語教師を対象にPR誌『国語教室』を年2回ほど刊行している。その94号(秋の号)で 特集として「「聞き書き」の可能性」を組むことになった。
立花氏へのインタビューはその巻頭におかれる予定だ。塩野米松氏との対談は特集の柱の一つになる。

2 「聞き書き」は一人語りという文芸だろうか

塩野米松氏は作家で、聞き書きの手法を駆使して『木のいのち木のこころ―天・地・人』 (新潮文庫) 、『木の教え』『にっぽんの漁師』など、多数の本を出版している。

『木のいのち木のこころ―天・地・人』は、法隆寺の修復にたずさわり「最後の宮大工」といわれる西岡常一氏、その高弟小川三夫氏、小川氏の工房の弟子たちへの聞き書きをまとめたもの。宮大工の仕事を通して、仕事、人生、文化・伝統、師弟関係などのテーマに深く切り込んだすぐれた本だ。

その氏が高校生の「聞き書き甲子園」を主催しており、それは今年で十年目を迎える。

「聞き書き甲子園」は、環境保護運動と「聞き書き」の手法をドッキングさせたものだと思う。「日本全国の高校生が森や海・川の名手・名人を訪ね、知恵や技術、人生そのものを「聞き書き」し、記録する活動です」と主催団体のHPにある。

塩野氏は、「教育」「国語」という言葉に疑問を持ち、「教育」の手段として「聞き書き」を位置づける事への反撥を持って、対談に臨まれた。したがって、意見の対立から話は始まったが、面白い内容になったと思う。

塩野氏は一人語りによる「文芸」として、聞き書きを紹介している。私はそれも1つのあり方と認めた上で、もっと広く社会科や理科などの問題解決をも視野に入れながら、現地で取材する活動から考えていく手法として考えたい。文芸とすると「国語」科の独占物のようになってしまう。それでは社会科や理科と国語科といった縦割り構造を強化してしまうだろう。これからの課題はそうした境界をこわし、相互乗り入れをすることで、本来の問題解決、主体的な学習の手法をめぐって意見交換を行うことだろう。それをうながすような手法と考え方を提案したいと思う。

私は、「聞き書き」を、何よりも、高校生の問題意識を拡充する強烈な武器として、とらえている。
そのためには、一人語りの文体よりも、高校生たちが自分の考えや疑問を直接に書くことができるような文体が必要だと思う。
それはインタビューの様子を再現するような形式、問いと答えの形式などになると思う。

詳しくは、『国語教室』94号を読まれたし。

9月 21

8月29日に立花隆氏へのインタビューをし、8月30日に塩野米松氏と対談をした。いずれもテーマは「聞き書き」で、大修館書店のPR誌のためのものだった。

大修館書店は高校の国語教師を対象にPR誌『国語教室』を年2回ほど刊行している。その94号(秋の号)で 特集として「「聞き書き」の可能性」を組むことになった。
立花氏へのインタビューはその巻頭におかれる予定だ。塩野米松氏との対談は特集の柱の一つになる。

1 「雑誌記者」としての立花隆

立花氏は1990年代に東大の教養学部でゼミ生たちに「調べて書く」ゼミを3年ほど行った。その活動の大きな柱が「聞き書き」であり、それは『二十歳のころ』(新潮社文庫、現在はランダムハウス講談社文庫から出ている)にまとめられている。

「青春期をいかに過ごすかが、その後の人生を決める。
1960年から2001年に二十歳を迎えた多士済々41人に、東大・立花ゼミ生が切実な思いを込めてインタビュー。
これから二十歳になる人、すでに二十歳を過ぎた人、新たなチャレンジをしようとしている人全てに贈る人生のヒント集」。

こう出版社の紹介文にある。
この方針の意図、結果、その評価、課題などを聞くことが目的だった。

そのナカミについては『国語教室』を見ていただくとして、
立花氏については、1点気になっていたことがある。

以前から「知の巨人」といった評価があり、他方でそれへの強い批判もある。
実際はどうなのだろうか、という疑問だ。

インタビューで感じたのは、彼の本質は「雑誌記者」だということだ。文芸春秋で雑誌記者、雑誌編集者としてのあり方、能力を徹底的に鍛えられ、また新人を教育した。当時「鬼軍曹」といわれていたらしい。
それを、大学教育でも実践したのが、彼の東大での立花ゼミの教育活動だったようだ。

これが彼の本質だろう。そして、その後の彼の多様な活動は、すべてその基礎の上に、どこまでも自分の興味関心のママに、面白い対象を追求していった結果なのだと思う。(例外は田中角栄裁判の傍聴記録で、これは社会的使命感から行ったようだ)

彼の凄さは、その徹底ぶりにある。

つまり、立花氏にはもともと「知の巨人」といったところはないし、それをめざしてもいない。そういう人を「知の巨人」と持ち上げるのもバカげているが、それに反撥して、そうでないことを証明することにやっきになることも、虚しい作業だと思う。

9月 18

◇◆ 4.「何もしない時間」を考える 小堀陽子 ◆◇

 1.はじめに

 昨年の夏に合宿に参加して、久しぶりの集団生活を体験しました。
今回は本を読む気にならなくて、合宿の参加は見合わせましたが、
ウェブ会議システムを使って、晩の報告会に2日間参加しました。

 最初に「声が聴こえなかったら言ってください」と言われました。
私は「はい」と答えました。実際に会議が始まると、言葉が
聞きとりにくい時がありましたが、「聞こえないです」と言えませんでした。
会議の自然な流れを中断するのがためらわれました。

 2.「何もしない時間」を考える

 5月下旬に中井さんから「小堀さんは傲慢だと思います」という
メールをもらいました。その内容はショッキングでしたが、
自分を静かに見つめようとするきっかけになりました。

 合宿の報告会では、ここ数カ月の自分の変化について
「何もしなくなった」と報告しました。中井さんから
「何もしていないようだが、実際は古い自分を壊している時間だ」と
指摘されました。そうだったらいいと思いますが、正直な気持ちを言えば、
自分の内側で果たして何か変わっているのか、実感はうすいです。

 中井さんのメールで、自分が長い間捕らわれていた観念というか、
枠の存在を意識するようになりました。意識するたびに、
それを外そうとしてきました。すると「しなければならない」、
「すべき」という強迫観念が浮かばなくなってきました。
ここ最近は、何に対してもどんな感想も出てこなくなってしまいました。
以前は、追いつめられるように本を読んでいましたが、
それもほとんど読まなくなりました。

 10年近く前に、私には引きこもりの5年間がありました。
その時期はそれこそ何もしない時間でしたが、当時は
自分の内側がとても投げやりだったように思います。
それと比べると、今の何もしない時間はもっと静かな時間です。
この「意欲のわかない」、「やる気のない」時間は
しばらく続くのかもしれません。
あまり長く続いたら困るなという気持ちも少しあります。

 他の参加者の報告を聴いて、何を言ったらいいのか
思い浮かびませんでした。以前は他のひとの報告を聴くと、
比較して苦しい気持ちになったものです。
今は、あまり気持ちが波立たなくなりました。
先々は自分の感情が動くようになり、自分の感想が
出てくるようになることを願っていますが、これも
どうなるかわからないことです。

 3.なぜわざわざ報告会に参加しようと思ったのか

 今回、合宿に行かないのに報告会だけ参加しようと思ったのは、
8月は通常のゼミが休みだからです。

 5月のメールをもらった時、「このままゼミに行かなくなることは
したくない」と思いました。それは逆に言うと、言われた内容が
とてもショックだったので、ゼミに行って中井さんと
顔を合わせるのがつらかったからだと思います。

 また、メールの厳しい言葉から、中井さんが私に対してとても
「怒っている」のだと感じて、ゼミに行くのが怖いという気持ちも
ありました。

 ただ、この「行きたくない」という気持ちにしたがって、
ゼミに行かなくなることはしたくないと思ったのです。
それがなぜなのか、わかりません。急に行かなくなることが失礼だとか、
いけないことだとかいうのとは、違う理由がある気がしますが、
言葉になりません。「行きづらい」私には幸いなことに、
6月は用事があってゼミに参加できませんでしたが、報告を1回出しました。

 合宿用の報告を最初に提出した時、中井さんに
「一番肝心な、私のメールを読んで以降の変化について、
きちんと書かれていないと思います」と指摘を受けました。
それを受けて、報告を追加しました。
自分の「変化」がはっきりわからないまま、書きました。

 4.昨年と今年で違うこと

 最後に、2日目の報告会は23時半くらいまで続きましたが、
私も最後まで聞いていました。

 昨年の夏の合宿でも、夜中まで話し合いが続いた日が
ありましたが、私は途中で退席しました。
疲れて眠くなっていました。体力的なことは別にして、
話し合いに夢中ならば眠くなることはなかったと思います。
私が眠くなったのは、話す内容に関心がもてず、気持ちも
動いていなかったからではないかと思います。
話し合われていたのは政治に関わる内容で、参加者すべてが
意見を出していたわけではありませんでしたが、退席したのは
私だけだったので、みじめな気持ちになりました。

 今年の報告会でも少し眠くなりましたが、「もうダメだ」
という状態にはなりませんでした。昨年よりも気持ちが楽でした。
「ダメになったら、退席しよう」と思っていました。

 昨年は「退席してはいけない」という追い詰められた気持ちでした。
話し合われていたのは、政治につながる内容で、私がふだん
関心があることではありませんでした。そこは昨年と共通していますが、
なぜ今回は終わりまで聞いていられたのかは、気を楽にしていたこと以外に
何か違うのかわかりません。

9月 17

◇◆ 3.人と話したい 金沢誠 ◆◇

 2年ぶりに合宿に参加した。参加してよかったと今回は思った。

 自分は人と話をすることに対して、強い抵抗がある。
ささいな言葉を交わすことでさえも、うそ臭いなと感じて、
斜に構えてしまう。自分だけの世界に閉じこもってしまう。

 このようなひきこもり状態を10年近く続けてきた。
その間は、何かおかしいと思いながらも、何だかよく分からない
苦しい状態だった。自分に対して、他人に対して、
うまく折り合いをつけることができなかった。人と関わる、
人と話をするなどということは、仕方なしにやるしかないものだ
というようにしか思えなかった。これをなんとかしたいということが、
自分が鶏鳴学園に通うようになった理由の一つにある。

 通い始めて、報告会に参加して、最初の頃は、
その場にいるだけでも苦しかった。
まして自分のことを話す時になると、もういいから自分の番が
早く終わってくれと思っていた。自分の姿を自分で見る時には、
不快でたまらない気持ちになる。

 今もそれがなくなったわけではないが、ようやく最近になって
変わりつつあるように思う。今回、合宿に参加して、そう思った。
特に話し合いの場に参加しながら、人と話をするっていいものだなと思った。

 ただ、自分の課題も見えた。ゼミのなかで、中井さんが、発言の少ない
参加者に対して、「話し合いの場で発言をしないのは犯罪行為だ」と
指摘したのを聞いていて、自分自身のことを考えた。
次はもう少し発言できるようになりたい。
そのために毎月の報告の場で、少しずつ努力していきたい。

9月 16

◇◆ 2.ヘーゲルと縁のない人 太田峻文 ◆◇

 私は今年の7月から中井さんの下で「本気の勉強」をする事を
目的の一つとして師弟契約を結び、ドイツ語の学習、
ヘーゲルの原書講読を始めた。

 合宿においてなによりも驚かされたことは、原書講読における
中井さんの学ぶ姿勢である。ゼミの形式はゼミ生が一文ずつ原文を読み、
和訳をした後に、中井さんがその文に考察を加えていくというものであるが、
理解が不十分な所に対しては立ち止まり、一つの冠詞、一つの指示語から
全体の構成まで立ち戻り、さらなる考察を深めていく。

 この時間が退屈に思われるかも知れないが、中井さんはその考察を
一つ一つ言葉に発しながら行なっていくので、私たちもその考察過程を
たどることができるのである。

 このように、中井さんはヘーゲルの言わんとすることを、
なんとかつかもうと極限まで突き詰めた後、その時点で
どこまでの理解に達し、また、どこが理解できないのかという
理解の到達点までも私たちに説明する。
この対象への誠実さにもまた圧倒された。

 ヘーゲルの文章が難解であるのはもちろんだが、中井さんは
ヘーゲルが難解である以前に、読み手自身がそういう生き方を
していなければ分からない、つまりヘーゲルと縁のない人は
分かりようがないと何度か指摘する場面があった。

 その証拠に、今回の合宿では中井さん自身の経験を、
たくさん聞く事が出来た。その一方で、自分はどうだったかと振り返ると、
概念論では、男女のかかわり合いやフリーター・ニートの問題を
特殊の段階に見て考えることによって、そして自分を特殊の段階として
意識して読む事によって少しは読めた気がするし、自己理解も
深まったように感じる。

 特に、自己理解という事で言えば、合宿後半の精神現象学は印象的だった。
今回読んだ第三部の第二節は、「自分が世界の始まり」という
個人の意識の始まりから、自己実現の最終段階についてであった。

 その意識の始まりから、個人が他者と一体になったり、
社会に反発したりという意識の変遷では、強烈に自分の経験を
意識する事ができた。他人との比較が、どれほど表面的なものであるかと
指摘するヘーゲルを読んでいる時、他人との比較でしか自分を
感じられなかった過去の自分を思い出した。特に高校時代から
大学3年までの自分を、今まで以上に相対化するきっかけを
今回の合宿では得ることができた。

 そして、以上の低い意識の段階から抜け出す為に、
ヘーゲルは行動することの重要性を強調する。
まさか自分がヘーゲルで自己啓発されるとは思っていなかったが、
他との比較は無意味だということをさんざん経験してきた今だからこそ、
「行動していく中で自分の何たるかが明らかになっていく」という
ヘーゲルの発展の立場にたった考え方のすごさ、強さを
実感することができた。

 先に進まない限り何も見えてこないというのは当たり前の話に思えるが、
実感を持って納得できたのは今回が初めてだった。それも自分が
鶏鳴でこの一年間、今までの生き方を少しでも反省し、その上で
自分の課題に取り組もうとしてきたからではないか。
自分は、ヘーゲルと縁のない人では無いと言う事が、今回の合宿で
分かっただけでも行ってよかったと思う。