震災後の国立大学の対応の取材
10月17日から19日は仙台の東北大と宮城県歯科医師会を取材しました。
東北大では医学部、歯学部、病院。地域イノベーション研究センター。
10月21日から23日は盛岡の岩手大学を取材しました。
岩手大ではINS(産・官・学の連携組織)、地域連携推進センター、本部。23日の震災復興への取り組みの報告会を取材。
成果は、雑誌や本で発表する予定です。
震災後の国立大学の対応の取材
10月17日から19日は仙台の東北大と宮城県歯科医師会を取材しました。
東北大では医学部、歯学部、病院。地域イノベーション研究センター。
10月21日から23日は盛岡の岩手大学を取材しました。
岩手大ではINS(産・官・学の連携組織)、地域連携推進センター、本部。23日の震災復興への取り組みの報告会を取材。
成果は、雑誌や本で発表する予定です。
10月11日から14日まで、福島県の、被災時の状況、復興への取り組みを取材しました。
高校現場、県教育委員会、福島大学を取材しました。
成果は、雑誌や本で発表する予定です。
今後のゼミの日程が変更されました。
秋の読書会のテーマとテキストの一部が決まりました。
どうぞおいでください。
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◇◆ 1.今後のゼミの日程 ◆◇
今後の日程は以下です。
10月29日(土曜日) 読書会
11月12日(土曜日) 文ゼミ
26日(土曜日) 読書会
12月10日(土曜日) 文ゼミ
22日(木曜日) 読書会
12月末(28日以降)に成績発表と忘年会を予定
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◇◆ 2.読書会のテーマとテキスト ◆◇
(1)読書会のテーマ
読書会のテーマを、東日本大震災で提起された問題とします。
(2)テキスト
1.10月29日は(土曜日)
医療現場から見た震災の姿です。
医療とは何か、人間が生きるとはどういうことか、
そうした根源的な問いと答えが、ここにあります。
海堂 尊 (監修)『救命―東日本大震災、医師たちの奮闘』新潮社 (2011/08)
2.11月26日(土曜日)
福島県の原発問題を考えます。
福島県は、宮城県、岩手県と比較して、震災後の復興がきわめて困難で、その心の傷は一層深いものがあります。
それは、原発事故による放射能汚染がすすんでしまったことから生じています。
そこから見えてきた問題を考えます。
福島になぜ、東京電力(自分たちの東北電力ではない)の原発がこれだけ集中したのか。
それを地方行政、地方財政の視点から解き明かしている清水氏の本と
実際に福島県の知事として、東電、国(経済産業省)と闘った佐藤前知事の告発本を
読みます。
その1
清水 修二 (著)『原発になお地域の未来を託せるか―福島原発事故 利益誘導システムの破綻と地域再生への道』自治体研究社
その2
佐藤栄佐久 著 『福島原発の真実』 (平凡社新書)
12月は未定です。
島田紳助が暴力団との交際が発覚して芸能界を引退した。
紳助の某番組での発言に怒った右翼団体から街宣活動をかけられ、それに困り果てて、知人を介して暴力団の幹部に解決を依頼したのが関係の始まりだという。
島田紳助と同じく、暴力団との交際が噂されているのがビートたけしだった。そのたけし本人が、その詳細を語った(「週間文春」2011年9月29日号)。
たけしも、街宣活動をしばしば受けたらしいが、その対応が違っていたようだ。そして、その違いが、伸助は引退し、たけしは今もトップの地位にいる結果になっている。
たけしはフライデー事件で逮捕され、懲役6カ月・執行猶予2年の判決を受けて謹慎し、半年後に復帰した。その際に、日本青年社に「復帰が早すぎる」と街宣をかけられた。たけしは、事務所が何もしてくれないから「自分で話をつける」と決め、住吉会の当時の会長の堀正夫のもとに行き、謝罪した。住吉会のトップに会ったのは、その幹部に日本青年社の結成者がいたからだ。堀に、その幹部と日本青年社の会長のところに行くように言われ、たけしは謝罪に行った。2人には、芸能界を辞めることを申し出たが、当時の事務所を辞めることで、話がついた。以降も、そうしたことが何回かあったようだ。
紳助とたけしのこの違いについて、「伸助は『芸』がなかった」とたけしは言う。しかしこれは「芸」のある、なしと言うよりも、生き方そのものの違いだろう。
そういえば、そもそものフライデー事件の際にも、たけしは講談社のフライデー編集部に乗り込んで、直接に話を付けようとした。
講談社では暴力を振るい、他方では暴力団の圧力に屈服しているように見える。いずれにしても、暴力への親密度がそこにはある。
紳助にもそうした面がある。吉本興業の女性マネージャーに暴力をふるって謹慎していたことがある。
しかし、そうした共通性の一方で、誰にも頼ることなく、自分一人で問題を解決しようとするたけしと、紳助のそれとは大きく異なる。
こうしたたけしのスタンスと覚悟が、彼がここまでやってこられた最大の力なのではないだろうか。
今回のことで、暴力団と芸能界との関係がいろいろに言われているが、今回の事件の核心は1つだと思う。自分の言論に対して、右翼団体などからの街宣活動を受けたときには、どうしたらよいのか。これは広く考えれば、言論の自由はどう守られるか、自分の言論をどう守るか、と定式化できる。つまり、憲法の保障する「言論の自由」の問題なのだ。
そうとらえれば、これは私たち一人一人の問題なのだということがわかる。自分の言論の後に、私たちはどれだけの覚悟を持っているだろうか。
なお、今回の事件の報道や言論で、私のような視点はほとんど出ていない。この状況はとても危険なのではないか。
今、練馬区立美術館で磯江毅の特別展をやっている。お薦めしたい。
特別展 磯江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異才
平成23年7月12日(火曜)から10月2日(日曜)http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/isoe-tsuyosi.html
彼については、昨年10月に「スペイン・リアリズムの密度 磯江毅展」を平塚美術館で見て、牽きつけられたので書いたことがある。
それを再度掲載する。
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◇◆ 「スペイン・リアリズムの密度 磯江毅展」 ◆◇
10月5日に、平塚で「スペイン・リアリズムの密度 磯江毅展」を観てきた。平塚美術館のHPで磯江の絵を何点か観て、牽きつけられるようにして行った。
すばらしかったし、考えさせられた。彼のことも、スペイン・リアリズムのことも全く知らなかったので、これも今年の収穫の一つだ。お薦めです。
写実、リアリズムという「過去の遺物」を捨て去るのではなく、それを自分の立場として選び、それを発展させ、現代を表現するための武器にまで高めている。
磯江の作品は、最も現代的な絵画だと思った。静謐な中に深い精神性があり、溢れんばかりの力と才能が、それ以上の力によって、絵画の底の底に押さえ込まれている。
彼の画集『磯江毅|写実考』を購入した。その中で、スペイン人で彼の仲間で親友でもあるマヌエル・フランケロが、スペイン・リアリズムと磯江の「反時代的なあり方、生き方」を語っている。最も時代に深く根差して生きることが、最も反時代的になる矛盾だ。
パリ、ニューヨークなどの芸術の先端的な地域から離れ、フランコの独裁政権下で、スペインでの芸術はその時の流れを止めていた。そこから独自のスペイン・リアリズムが生まれたようだが、磯江はそうした「反時代的芸術と生き方」を意識的に選択し、生き抜いた。そうした人の存在に、私は勇気づけられ励まされるものを感じた。
私の好きな画家の中に、スペインと縁のある人がいることを思い出した。須田國太郎、関合正明だ。
展覧会の詳細は以下を参照されたし。
以下はすべて、http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2010205.htmより
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スペイン・リアリズムの密度 磯江毅展
2010年9月18日(土)?11月7日(日)
主催:平塚市美術館
協力:彩鳳堂画廊
●内容
透徹した描写力をもち、現代リアリズム表現を追究した画家、磯江毅(いそえつよし1954-2007)の作品を、初めて公立美術館にてご紹介します。
磯江は大阪に生まれ、1974年、西洋美術を本格的に学ぼうと19才でスペインに渡ります。王立美術学校でデッサンの基礎を学び、プラド美術館に通って、デューラーやフランドル派の画家たちの名画の模写に没頭しました。マドリッドは、1970年頃から新たなリアリズム表現を求める画家の活動の中心地となっており、磯江は自らを「GUSTAVO ISOE」(グスタボ・イソエ)と名乗って、アントニオ・ロペス・ガルシアといった画家たちと交流し、80年代にはその運動を担う一人として活躍していきます。
存在の実感―リアリティ―をつかんで平面上に写し取るリアリズム表現は、伝統的な西洋美術の根幹をなすものであり、20年以上をスペインに暮らして、それを体得した磯江の作品からは、事物の発するエネルギーやそれを取り巻く空間そのものさえ確固として感じることができます。「リアリズム絵画とは、実体とはフィジカルなものだけど、徹底した描写によってメタフィジカルな世界が見えてくるのを待つ哲学です」という磯江の言葉どおり、個人の情感や主観を排して描写に徹した画面からは、静謐で孤高な精神世界が現出しています。
1996年からは日本にもアトリエを構えて、自分の学んだリアリズム表現を伝えたいとしていた磯江ですが、2007年に53才の若さで急逝しました。作品の完成に長い時間がかかることもあり、寡作な作家の活動の成果を目にする機会は、これまであまりありませんでした。この展覧会では作品約60点により、磯江が極めたその表現世界を展覧します。