6月 06

「ふつうのお嬢様」の自立 全8回中の第3回

江口朋子さんが、この春に「修了」した。
その修業に専念した6年間を振り返る、シリーズ全8回中の第3回。

現状維持ではなく問題提起を目指せ (上)
 ―中井ゼミの原則から振り返る― 江口朋子

■ 目次 ■

A.全体的に言えること
B.各項目について
1.目標「自立」をめざせ
2.目標達成の方法、大きなプロセス
(1)親からの自立
(2)先生を選べ、学ぶ姿勢の確立
(3)民主主義の原則
3.原則に対する態度、立場の問題

■ 本日の目次 ■

A.全体的に言えること
B.各項目について
1.目標「自立」をめざせ

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◇◆ 現状維持ではなく問題提起を目指せ
―中井ゼミの原則から振り返る―   江口朋子 ◆◇
                               
A.全体的に言えること

 原則1?7の観点から自分が鶏鳴でやってきた6年間を振り返ると、これらの原則が達成できたわけでは到底ない。しかし中井さんがゼミの場で、これらの原則を繰り返し話題に出し、問題提起し続けてきたのを聞きながら、少しずつ自分にひきつけて考えるようになり、また実践し始めたところだと思う。これからが、本当にこれらの原則の意味が問われてくるのだと思う。

B.各項目について

1.目標「自立」をめざせ

 今までの自分は、自立するため、また自分のテーマを作るための準備をしてきた段階だった。テーマを作るためには、そもそも自分が何に関心があるのか、心から面白いと思えるもの、ひきつけられるものは何なのかをはっきりさせなければならない。その作業に集中したのがこの6年間だった。
 これからが本当に自立を問われる段階だが、まだまだ自分は自立の意識が弱いと思う。第一に親に対する経済的依存がある。これについては、3.「親から自立せよ」で改めて述べる。第二に、今までは師弟契約をしていた中井さんに頼っている面が少なからずあった。それも仕方ない面はあり、自分一人では先に進めないわけだからアドバイスを受けるのは当然だが、自分でやって先生の意見を聞くというより、中井さんからの提案や助言を受けて考える、行動するということも多々あった。しかしこれからは、現状維持・現状肯定ではなく、自分で自分に対して問題提起できるような目を、自分の中に持つ必要があると思う。
 その必要を感じるのは、もともと自分に問題提起や葛藤、衝突を避ける傾向があるからで、これは自分の過ごした学校生活が特に影響していると思う。つまり、幼稚園に入った4歳から14年間同じ私立の女子高で過ごしたので、そこでの温室状態というか、周りが似た者同士で自分が何者かを問われるほど他人を意識する経験がなかった状態が体に染みつき、無意識のうちに居心地良く感じるようになってしまった。結果として、自分に対しても、他人に対しても、見たくないものに反射的に目をつぶるような、要するに問題点を指摘して先へ進めていくようなことができにくくなったという面がある。
 だからこそ、これからは今までのような守られた世界から外へ出て、他人や世間にもまれて、時には自分を正面から否定されたり、思うようにいかない事態をたくさん経験することが必要だと思う。そうしなければ、今までの自分がある意味そうだったように、自分とは何か、自分のテーマは何かがぼんやりしたままで、はっきりしない。具体化されていかない。
他人とぶつかるということは、自分の未熟さ、低さが露わになることでもある。例えば歌会に参加すれば、そこでの自分の態度から自分が議論の場で問題提起できないことが明らかになる。歌についても、わからないことがいくらでも出てくるし、自分の歌に対する参加者の批評を聞けば、自分の歌の駄目さを嫌でも感じさせられる。千年以上の歴史をもつ日本の歌に対して、足がすくむような、越えようのない壁が立ちはだかっているような不安や恐れを感じてしまうのが正直な気持ちだ。
しかし、まずはそういう自分の現状を認めないとどうしようもない。今は何もわかっていない一番低い段階だが、まずはここから始めて、目の前にある課題を一つずつクリアしていくしかない。いきなり大きい問題に取り組もうとしてもできないし、きれいに取り繕おうとしても仕方ない。どちらかというと学校や家庭で優等生的に振る舞ってきたためか、自分には問題点をさらっと流してきれいに整えたがる傾向がある。石の論文を書いている時もそうだった。しかしどうしたって上手くいかないことは起きる。むしろ問題が起こることが自然なのだ。それならば、一つ一つの問題から目を逸らさず向き合う方が、表面だけ取り繕って済ますより、結局は得るものが大きい。
牛が一度口にしたものを繰り返し咀嚼し続け、反芻しているような、あのしつこさというか粘りを見習って、できることから一つずつ、しかし着実に課題に取り組むという意識が大切ではないかと思う。そうすれば、必要以上に臆することなく外の世界に出て他人と関わっていけると思う。

2.目標達成の方法、大きなプロセス

(1)親からの自立

 自分に対する両親の影響の自覚や相対化は、6年前と比べると進んだと思う。大学卒業直後、自分がこれから何をどうするかを話し合った時は、父親は自分の話を理解できず、むしろ母親は同調する傾向が強かったが、それは母親の理解があったわけではなく、ただ母娘が一体化している面が強いだけだった。その後、自分の関心やその時々の大きなテーマが変わる節目ごとに、両親と話し合ってきた。その結果、例えば父が会社勤めではなく、大学教授という学問や研究を仕事としていることは、大きくみれば自分と似ていること、自分に働くように強く言わないのも、テーマを作ることの大変さを一応わかっていて、父自身職に就くまで時間がかかったことが関係していることなど、両親の言動を背景も含めて考えるようになった。父方、母方の祖父母に対する理解も、以前と比べると進んだ。
 一方、親との関係で今一番大きい問題は経済的に依存していることで、家を出て独り立ちすることが避けられない課題である。そもそも、親に全面的に養われている立場では自立とはとても言えない。衣食住の心配のない安全な場所にいて、本当にいい歌が作れるのか、中身のある仕事ができるのか、他人に対して何か意見が言えるのか、そうした問題に向き合わないといけない。今までは、親に養ってもらっている事実を敢えて見ないようにしてきた面が強く、それを意識してしまうと自分の関心やテーマ作りに集中できなくなってしまう恐れがあった。しかし今は、ひとまず自分のやりたいことがはっきりし、社会に出ていくだけの準備もできたので、自活していく方法を考えるべき時だと思う。
 自分が大学卒業後6年間も働かずに好きなように過ごせたのも、当然両親の影響があり、特に父の影響が強い。父自身、浪人や留年で大学卒業まで人より3,4年時間がかかっており、更に大学院まで進んだので、実質的に社会に出て働き始めたのが30歳近くになってからで、その間学費などで親に援助してもらうこともあった。だから本当にぎりぎりの生活の苦労を経験せず、どこかで親を頼れる意識があり、その意識が自分の子供に対してもあり、私にもそのまま受け継がれている。
 また、「1.目標「自立」をめざせ」のところで、自分に問題提起を避ける傾向があると書き、その理由の一つに学校生活を挙げたが、それ以外に親からの影響もあると思う。要するに、両親もどちらかというと現状肯定で、波風立てず安定した生活を送りたいという気持ちが本音としてあると思う。そしてこのまま親元で生活していると、自分もそういう親の本音を受けた継いだまま、乗り越えられずに終わってしまう。そのためにも、1,2年以内に自活することを目指して、今からその準備を始めていくことが自分にとって大きな課題である。

6月 05

「ふつうのお嬢様」の自立 全8回分の第2回

江口朋子さんが、この春に「修了」した。
その修業に専念した6年間を振り返る、シリーズ全8回中の第2回。

■ 本日の目次 ■

心動くものだけと向き合った6年間 ―鶏鳴でやってきたこと― 江口朋子

(1)何のために振り返るか
(2)ゼロから始めた
(3)自分の関心は一貫しているのでは
(4)対象理解の問題
(5)自分の関心の対象と、その対象への切り込み方
(6)引きこもりの必要

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◇◆ 心動くものだけと向き合った6年間 
―鶏鳴でやってきたこと―       江口朋子 ◆◇
                               

(1)何のために振り返るか

 振り返りの文章を書く目的は、6年間鶏鳴でやってきたことは、結局自分にとって何だったのかを考えることである。なぜそれが自分にとって今必要かといえば、その答えがこれからの自分を支えるだろうと思うからである。逆にいうと、いくら中井さんから修了を認められても、自分の側に自分はこれを鶏鳴でやってきた、これを自分のものにしたと言えるものがはっきりしていなければ、修了の意味がないだろうと思ったから。

(2)ゼロから始めた

 他のゼミ参加者と比べて、自分は本当に中身の何もないゼロからのスタートだったと思う。例えば、同時期に師弟契約をした守谷君は、高校生の頃から大学卒業後の進路を意識し、大学に入ってから意識的に活動をして、そこで得た問題意識を基に鶏鳴で学んでいたし、他の人でも、それが表面的なものであっても一応自分はこれに関心を持っています、というものを持って参加してきた人が多かった。
しかし自分には「これに関心がある」と言えるものが4月の時点で何もなかった。大学4年の夏休みまで大学院に行くつもりで、教授にも院試のアドバイスをもらっていたぐらいだから、それまでの大学生活で自分の興味関心を本当のところで意識していなかった。だから最初はほとんど中身が空っぽの状態で、自分が何に興味があるかわからず、そもそも興味が向くもの自体なかった。
 だから最初の1年は自分の関心以前に、現状を理解することで精一杯だった。大学院進学を辞め、それまでの友人と関係を切り、親とも話し合いでぶつかるという、それまでと逆の方向に走り始めた自分の状態を、自分で理解するのに精一杯だった。

(3)自分の関心は一貫しているのでは

 今まで、自分の関心はあちこちに飛んで、もちろんつながりはあるが、それまで出ていなかったものが急に出てくるような唐突さがあるとどこかで思っていた。しかし今回、改めて過去6年間の報告や文章を読み直すと、自分の関心は奈良に行った時から基本的に変わっていないのではないかと思った。例えば、地形に対する興味はこの時既にあり、山の辺の道で見た周りの山の稜線や、比叡山の帰り道に見た琵琶湖と周囲の山とのでこぼこさ、日本庭園と背後の山との関係が面白いと書いている。
 また、今回読み返して驚いたが、短歌のことも06年に既に出てきていた。出羽三山に行く途中の電車の窓から日本海を見て、「大磯の礒もとどろに寄する波 われてくだけて裂けて散るかも」という短歌を思い出したと書いている。

 しかし一方で、過去の文章を読みながら、展開が急だったり、強引に思えるところも度々あった。例えば、2007年11月に、いったんそれまでを振り返り、自分の関心を改めて奈良滞在で見た日吉大社の石橋だとはっきりさせ、民俗学や民俗宗教の視点から石を考えるところまではよくわかる。しかしそのあとに、民俗学に対する不満(石を決まった枠組みでしか見ていない)から、地質学・地球物理学における石にテーマが移るのは、やはり急だと思う。人間が作る石橋と、その素材である自然石は別のものであるから、最初の石橋への興味はどこに行ったのかということになりかねない。またその後に、ヘーゲルの著作を読んだ影響もあって、石の生成の必然性を展開したいと試行錯誤し始めるが、これはかなり無理があることをやろうとしていたように思う。
 しかしそうした無理や強引さや、その時々のテーマの変化の急さも含めて、自分の関心が向けられている対象ははっきりしていて、それに対して手を変え品を変え何とかアプローチしようとしているように思えてならない。自分の興味ある対象に向かって、どう切り込んでいったらいいかわからず、試行錯誤し、時間がかかったように思える。

(4)対象理解の問題

 自分の場合、ある対象に心が動かされると、その対象に自分が乗り移りかねないほど、対象にひきつけられてしまう。対象と一体化してしまうとも言えるかもしれない。強い感覚的な反応でもある。例えば、奈良滞在について書いた文章や、地形の文章でもいいが、自分は見たものをまずそのまま描写する。それは、始めはそれ以外に表現のしようがないからでもあるが、対象を描写すれば、それがそのまま自分の心の動きでもあるからだ。
 これは対象理解の話と関係するかよくわからないが、師弟契約をした1年目、友人や親との関係が変化した時に、自分はひたすら地球や生物の進化に自分を重ね合わせていた(05年7月?10月)。それまでの自分がいったん崩され、人間関係も変わって新たに自分をつくらなければならなくなった時、誰でも自分と似たものに自分を重ね、自己理解をしようとするはずであり、私も地球の進化の前にマルコムXの自伝を読み、彼の生き方を自分にひきつけて考えていた。そういう風に、ある人物を自己理解の参考にするのはよくわかるが、地球そのものや地球の生物に自分を重ねるというのはどういうことなのだろう。その後の、テーマの変遷にも関係しているのだろうか。
しかし対象を深く理解するためには、いったん自分と対象を切り離し、対象それ自体として見なければならない。これが自分には苦手で弱いのではないだろうか。例えばイサム・ノグチについても、彼のアトリエで見たままのもの、例えば彼がつくった庭や周りの屋島や五剣山など地形との調和には心が動かされる。しかし、そうしたアトリエを作った彼の人生、時代背景となると、関心が薄れてしまう。総じて歴史、経済、法律、社会に対する興味が片寄って少ない。
 08年から「石とは何か」というテーマで自然科学の視点から論文を書こうとしてきた。普通に考えると、自然科学の知識を応用するということは、対象を自己と切り離し、対象としてありのままに理解することに他ならないように思える。自分でもそう思ったから、このやり方を選んだはずである。しかし私の場合、どうもうまくいかなかった。このあたり(08年以降)のことはまだまだ意味づけができない。

(5)自分の関心の対象と、その対象への切り込み方

 6年間を振り返ると、確かにその時々の変化に意味があると思うし、特に「石とは何か」というテーマで論文を書けず、地形とは何かも途中のまま、急に短歌が出てきたというこの約3年の流れは、一応12月の時点で意味づけを報告に書いたものの、自分でもよくわかっていない。なぜ今短歌なのかと聞かれても、納得いく説明はできない。
 しかし、石から地形、地形から短歌という変化にどう意味があるということは、今の自分にとっては正直どうでもいい。それは、今いくらかんがえても仕方がないという意味だ。これから短歌の道を進みながら、考えていくしかないと思う。ヘーゲルが、確か『精神現象学』で、ある運動そのものが必然的であるならば、その運動によって生まれたもの、つまり成果もまた必然的なものになると言っていた。自分はまだ運動を展開している最中であり、その成果が出ない限り運動の意味は本当には考えられない。
 今の自分にとって重要なことは、この6年間で自分の関心はひとまず出し尽くしたと言えることだ。自分の中のアンテナを常に意識し、興味が向けられるものは一つ一つ取りあげ、報告や文章で発表してきた。中身の空っぽの状態から始めた自分にとっては、何かに興味をもつということは、同時にそれに対して感じたことや考えたことで自分の中身を埋めていくことでもあった。
しかも、今自分の中にある関心、具体的にいうと6年間の文章で関心をひいたものとして取りあげた一つ一つの対象は、どれも本当に自分の心が動き、身体が反応したものである。興味がないのにあるような振りをしたり、ごまかしたものはない。それは、師弟契約をした時にはっきり意識したことで、今まで自分はやりたくない勉強を嫌々やったり、周りに合わせて何となくやり過ごしてきたので、これからはそういうごまかしはしないと決めていた。
従って、鶏鳴で何をやってきたかと聞かれてまず思い浮かぶのは、何より自分の実感に従って、自分が何に強くひかれ、逆に何に関心が弱いかを、自分に対してはっきりさせてきたということだ。今の自分が持てる関心は出し尽くしたと思う。これは自分のテーマを作る上で、一つ必要な段階ではないかと思う。しかし一方で、それは興味・関心という言葉に留まり、自分のテーマがはっきりしたとまでは言えない。テーマとは1つの疑問文の形にまとめられるものだという牧野さんの言葉があったが、それはただ形だけ整えればいいのではなく、それまでの自分のあらゆる関心がそのテーマに統合されることを指しているのではないかと思う。
 その意味では短歌は自分のテーマではないが、しかしより大きい根本的なテーマに至るための小さなテーマとも言える。自分でもよくわかっておらず、説明が難しいが、自分にとっての短歌の意味は、自分の感じたこと、考えたことを表現するために有効(だと思える)方法であり、同時に対象に切り込むための武器というか道具でもあると思う。ただ自分の関心をはっきりさせるだけでは足りず、その対象にどう入っていくか、どういう方法で対象を理解するのかが問題になるが、自分が苦労していたのもこの点だったのではないか。イサム・ノグチや日本庭園、民俗学、石、地形など試行錯誤を繰り返したが、やっと「短歌」という方法に出会い、これならいけると思えた。しかしそう思えたのも、今までの失敗があったからではないかと思う。

(6)引きこもりの必要
 
この6年間、自分は実質的に引きこもり状態だった。付き合う人が量的にも質的にも限られ、文章など読んでいても、家族と鶏鳴以外に生身の他人がほとんど出てこない。これは自分の関心に集中し、余計なものに邪魔をされたくなかったからだが、そういう時期も人間の成長の一つの段階として必要だと思う。程度の差はあれ、多くの人が実質的な引きこもり状態を経験しているのではないかと思うが、どうだろう。例えば10代後半ぐらいに、特定の友人と必要以上に密着し、常に行動を共にしたりするのは、相手を自分の分身と見ているという意味で他人が存在せず、自分の中に閉じた引きこもり状態と言えないだろうか。
 重要なのは、引きこもること自体ではなく、むしろ風邪と一緒で引きこもりの期間をうまく過ごせるかどうかではないかと思う。自分の殻に閉じこもってはいけないとか、他人とうまく付き合わなくてはという無理をすると、後々問題が生じかねない。その意味では、自分は思う存分引きこもったと自信をもって言える。極力無理をしなかった。何もしたくない時は休み、鶏鳴のゼミを2ヶ月以上欠席したこともある。だからと言っていつも楽だったわけではないが、不思議とこれだけ引きこもれると、逆にもう外に出て第三者とぶつかっても何とかなるだろうと思えるし、外に出たいという気にもなる。それはやはり、本質とは他者との関係において現れるということと関係していると思う。自分ひとりでやれることにはどうしようもない限界がある。

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6月 04

「ふつうのお嬢様」の自立

祝・江口朋子さん「修了」

江口朋子さんは、私のゼミの師弟契約第1号である。それは2006年の4月だった。
その2年前から江口さんは鶏鳴学園で国語教育の研修を受けていた。卒論も私が指導した。その延長としての師弟契約だったのだが、それまでのレベルを、もう1つ上のレベルに高めたかった。
以前から、本来の師弟関係のあり方について考えていたが、そのアイデアを実行するための該当者がいないために、実行できなかった。江口さんがあらわれたことで、その可能性がでてきたことになる。
こうして、師弟契約第1号が生まれた。

それから6年がたち、江口さんはこの春に、めでたく「修了」を迎えた。修了でも第1号だ。
その江口さんに、この6年を振り返る文章を書いてもらった。
「心動くものだけと向き合った6年間 ―鶏鳴でやってきたこと―」は、「テーマづくり」を中心としたふりかえりであり、
「現状維持ではなく問題提起を目指せ ―中井ゼミの原則から振り返る―」は、私のゼミの原則からのふりかえりである。
中井ゼミの原則とは、若い方々の自立のための原則をまとめたもの。
 
この機会に、私自身も江口さんを指導した6年を振り返って文章をまとめた。あわせて掲載する。

江口さんは「ふつうの人」「ふつうの女子高生」「ふつうのお嬢様」だった。そうした読者の方々に、ぜひ読んでほしいと願っている。

■ 全体の目次 ■

温室から実社会へ出るための準備 ―鶏鳴で得た成果と課題― 江口朋子
心動くものだけと向き合った6年間 ―鶏鳴でやってきたこと― 
現状維持ではなく問題提起を目指せ ―中井ゼミの原則から振り返る― 

眠りから覚めたオオサンショウウオ
  ?江口朋子さんの事例から、テーマ探し、テーマ作りのための課題を考える?
            中井浩一

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5月 31

6月の読書会

 日時:6月18日(土) 午後3時より5時まで 鶏鳴学園にて 
 テキスト:山田孝雄『日本文法学要論』(書肆心水)・野村剛史「常識としての山田学説」(『現代の山田文法』(ひつじ書房)所収)
 参加費 三千円

6月の読書会では、山田孝雄(よしお)の文法書、および、野村剛史(たかし)の山田文法論を取り上げます。発表担当は松永です。

山田は、明治生まれの日本語学者で、日本語文法の研究者として、今なお最大の巨人と言われます。これまで言語学学習会で読んできた野村剛史(松永の指導教官)も、山田文法を継承しています。その批判的継承として書かれたのが、「常識としての山田学説」です。

山田文法の核心は、「文」は判断である、という文観にあります。「犬が歩いている」「山田は学生である」のような文の場合、対象(事実)としては一体であるはずのものが、主語と述語に分裂して表れます。それが判断の表現です。

しかしその一方で、山田は、「まあきれいな花」のような、話者の感動と対象が一体となって表れた文(喚体文)の存在も強く主張しています。ここには一見して、主語も述語もありません。するとこれは判断ではないことになります。

それに対して野村は、「まあきれいな花」の中にも、さらには名詞「花」の中にさえ、判断を見ます。

今回の読書会では、山田の本と野村の論文をテキストに、文と判断との関係をテーマとして考えます。考えるべき問題は、下記の諸点にあります。

・名詞の判断と動詞の判断の違い、両者の交渉
・描写と説明の違い、両者の交渉
・主語と述語
・主語ならぬ要素(目的語など)と述語との関係は判断ではないのか? 

※山田の本は、全体で280ページありますが、十五章「喚体の句と述体の句との交渉」まで(178ページまで)を扱います。野村の論文は、30ページ程度です。

5月 15

「子どもは親の所有物ではない。社会からの預かりものだ」

今回掲載したのは2008年に某雑誌に依頼された原稿ですが、家庭と学校の関係を人類の立場から原理的に検討しています。

モンスターペアレントや学校の校則や閉鎖性の問題について、いまだに解決の方向が見えない今、改めて、読んでいただきたいと思い、掲載します。

この考え方は、「原理的」であること、「人類」という視点、「発展の立場」から見ている点で、参考にしていただけると思います。

1. 時代の転換点
 学校に対して、理不尽な要求をする保護者が増えているらしい。その際の親の態度にも大きな問題があるようです。この問題については、小野田正利・大阪大教授が『悲鳴をあげる学校』で取り上げ問題提起をしてきました。その後この問題について様々な論者が論じるようになっています。
 しかしその議論はまだまだ混乱していて、問題の本質に十分には迫れていないように思います。ここらで問題を整理し、確認すべき原則や運営上のルールなどをはっきりさせる必要があるでしょう。
そもそも、こうした問題が起こり、その議論が錯綜するのは、今が時代の転換点にあるからです。そのために、学校も家庭も地域も、行政も政治も、この社会全体が目標を見失い、漂流しているのではないでしょうか。

2. 家庭が壊れている
 学校への理不尽なクレームや要求をする保護者が増えている背景には、明らかに家庭の変質、親子関係の変質があります。
 「子どもの親殺し」「親の子ども殺し」が盛んに報道されるようになりました。「子どもの親殺し」で私が一番不思議なのは、そんなに追いつめられているのに、なぜ家出をしないのか、ということです。本当にどうして彼らは家を捨て、親を捨てないのでしょうか。おそらく、子どもにはそうした発想すらないのだと思います。それほどに親子の一体化が進行している。そう私は考えています。
 一方の「親の子ども殺し」もそうです。児童虐待や育児放棄(ネグレクト)でも、親が子どもと一体化しているように思えてなりません。この対策として「赤ちゃんポスト」は有効だと思います。「殺す」前に、「他人(社会)に預ける」選択肢があることを示すことになったからです。子どもとの一体の世界から逃げる方法を、親にはっきりと示せたからです。
 昔から「わが子」という言い方がありました。親にとって子どもは自分の所有物のように感じられるようです。そこに他者が入ることのない一体の関係です。これは無償の愛ともなるのですが、自他の区別がなく、子どもが別人格であることを理解しないことにもなります。現代はこうした親子の一体化、共依存関係が進行しているために、子どもの親離れ、親の子離れが極めて困難になっています。
 他方で、この数年でビジネスマンの父親をターゲットにした子育て情報雑誌が多数出版されるようになりました。経済紙誌の「お受験キッズ誌」です。私立中高一貫校の受験に成功した子どもの家庭を紹介し、受験情報を提供するものです。
 これは児童虐待とは反対のあり方に思われます。しかし、親子一体の強化という意味では同じ事態が進んでいるのではないでしょうか。これまでの母子一体化に父親までが加わったのです。母子一体化を壊す役割は、他者(社会)を代表する父親が担っていました。その父親までが家庭の一体化に加担してしまうと、そこには他者がいなくなってしまいます。親離れ、子離れが極めて困難になっているのです。
 保護者から学校への無理難題が急増している背景に、こうした家庭の変質があることは明らかでしょう。

3. 学校の変質
 家庭の変質の一方で、学校を取り巻く状況もすっかり変わってしまいました。それは、時代が大きく変わったということです。高度経済成長の社会は終わり、低成長下で先の読めない社会になったのです。
 高度成長期の社会は単純でした。戦争に負け、皆が一様に貧しい中から始まり、皆が一生懸命に働きました。社会の目標は「豊かになる」ことで、それに向けて、上から下まで、皆が横並びで生活していたのです。こうした時代には、社会全体の価値観は単一で、そこでは教育の目標も明確でした。学校は社会的な価値観の体現者であり、地域のリーダーでした。
 しかし、そうした時代は終わりました。今はもう「豊かさ」は達成し、それゆえに社会の単一の目標はなくなりました。もはや皆が一律に横並びで生きることはできません。価値は多様化し、各自が自分の生き方を模索するしかないのです。
 学校には以前のような権威はありません。昔は学校は地域のリーダーで、保護者たちはみな従ってくれました。今は、学校と保護者は対等です。
 そうした中で、親たちからの学校への要求が問題になってくるわけです。価値が多様化した中で、学校と保護者が話し合う新たな原則、ルールが問われているのです。
 このことを確認するためにも、今の議論の不十分な点を挙げておきましょう。先ず第一に、保護者から学校へのクレームや苦情が増えていること自体を問題にする人がいますが、それは間違いだと思います。むしろ、それは大いに歓迎すべきことです。苦情が「理不尽」であろうがなかろうがです。多数の異論の表明があることは正しいことなのです。以前の主従関係よりも、はるかに高い段階になったのですから。問題は、その対応方法が確立していないことだけだと思います。
 第二に議論が保護者から学校への苦情の話に限定されていることを、指摘したいと思います。学校から家庭への懸念や苦情の処理の仕方と合わせて考えるべきでしょう。学校のチェックだけではなく、家庭のチェックも必要です。なぜなら、今の家庭は多くの問題を抱えているからです。特に、親子の一体性は大きな問題で、外にチェック機能が必要だと思います。それが学校や塾などに求められます。

4. 子どもの教育権は親にあるのか、学校にあるのか
 親と学校の関係を検討するために、原理的なことから考えましょう。この問題を突き詰めて考えると、ついには次の問題にぶつかります。子どもの教育権は親にあるのか、学校にあるのか。
 先ず、教育を家庭教育と学校教育とに分けて考えましょう。家庭教育とは主に小学校までに家庭によって行われるもので、しつけや生活態度、学ぶ姿勢など、すべての教育の基礎になるものです。この責任主体は親(親権者)です。
 学校教育とは、家庭教育の上に、社会に出ていくための基礎教育(読み・書き・そろばん、基礎知識)を行うもので、その責任主体は学校です。この学校は行政上は、教育委員会や文科省(国家)にもつながります。
 さてここで、この教育主体を、より根源的にとらえて社会、究極的には人類とまで突き詰めて考えておきたいと思います。子どもの教育権は人類にあるということです。一方の学習の主体も、直接的には子どもたちですが、これも究極的には子どもの学習権は人類にあると考えたいと思います。
 教育主体は人類である、とまで突き詰めて考えておかないと問題がおこります。もし家庭教育でその主体を親とするだけなら、一部のダメ親を肯定することになりかねません。学校教育の主体を学校や教員とするだけだと、一部の管理教育や、「自由」の名の下の手抜き教育を是認するだけになります。教育全般の主体を教育委員会や国(文科省)とするだけだと、文科省の言いなりの地方教育行政や、かつての排外的軍国主義教育の是認になりかねません。
 つまり、親も学校も、地域や国家も、人類から人類の使命を実現する一助としての教育を委ねられていると自覚し、繰り返しその使命を反省しつつ活動すべきなのです。
 私たち人間は、この社会を発展させるために生まれてきたのです。人類の使命に貢献できるように学習し、大人になってからは教育をする権利と義務も担っています。
 子どもは親の所有物ではありません。子どもは次の時代の社会の働き手であり、社会(人類)からの預かりものです。したがって、別人格として尊重し、大切にしなければならないのです。

5. 話し合いの原則
 以上を踏まえた上で、価値が多様化した中で、学校と保護者が話し合う原則を考えましょう。ここで大切なのは、一方で多様な価値観と思想の自由を認め合いながらも、その一方で社会の規律、ルールをしっかりと守り合うことです。この両者を混同せず、区別した上で守ることが重要になっています。
 保護者が学校に疑問を持ったらどうしたらいいのでしょうか。
 ?学校教育の主体は学校です。したがって、親は子どもを学校に預けた以上は、学校の裁量権の範囲内のことについては、学校の最終決定に従わなければなりません。
 ?ただし、最終決定までには、学校と保護者は十分な話し合いをする必要があります。
 同時に、家庭教育についても考えておきましょう。学校が家庭教育に疑問を持ったときはどうしたらいいでしょうか。
 ?家庭教育の主体は両親(親権者)ですから、学校は、両親の裁量権の範囲内のことについては、両親の最終決定に従わなければならなりません。
 ?ただし、学校と保護者は十分な話し合いをする必要があります。
 ここで「学校の裁量権」とは、学校教育における、憲法や教育基本法などの法律違反以外、学校が掲げている教育理念や教育方針などへの違反以外のすべてです。「親の裁量権」も、家庭教育における、憲法や法律違反以外のすべてのことになります。憲法や法律違反に関しては、本来は話し合いの領域ではなく、警察に任せるのが正しいと思います。
 さて、こうした原則から見て、今の現状はどうなっているでしょうか。学校教育について考えれば、今は?の面がほとんど理解されていません。しかしこれが守られなければ学校教育は成立しません。ただ混乱するだけです。この点は保護者にもよく理解してもらわなければなりません。そうした一方で「学校と保護者の十分な話し合い」が保障されなければなりません。しかし「十分な話し合い」を行えば、家庭教育が問われることもあるでしょう。問題があったときに、悪いのは学校だけとは限らないからです。家庭の責任が問われることも多いはずです。保護者の方々は、学校に向けた刃はそのまま自分に返ってくることを自覚しておくべきです。
 ところで、学校教育の問題では、「保護者は学校の最終決定に従わなければならない」と言いました。なぜでしょうか。
 学校が最終的な決定権を持つのは、学校や教師が「正しい」からではありません。それは簡単には決められないので、学校教育の権限を持つ側に委ねておくという意味です。価値の多様化が前提とされる社会では、どちらが「正しいか」はもはや議論で決めることは無理だからです。
 ただしその時に考える基準として、学校や保護者の都合ではなく、当の子ども本人にとって一番良いことは何かを考えて欲しいと思います。そしてその際にも、人類の使命にまで立ち返って考えてみてほしいのです。
 子どもとは何なのか。子どもは親のものなのか。子どもは誰のものなのか。子どもを教育するとはどういうことなのか。家庭教育とは何か。学校教育とは何か。教師と子どもはどういう関係であるべきか。親子はどういう関係であるべきか。
 こうした本質的な問題の正解があるわけではありません。しかし、繰り返し意見交換をしていくべきです。閉じた学校を開き、閉じた家庭を開くためです。相互に、自らの使命を繰り返し反省するためです。
 
6. クレームの「窓口」を設け、議論をオープンにする
 最後に、すぐにできる、現実的な対策を提言します。学校には、苦情を受け付ける専用「窓口」を設けたらよいと思います。窓口の担当を置いて、学校が責任を持って対応すべきです。決して、当事者の教員個人にまかせっきりにしてはなりません。校長以下、学校全体で対応する覚悟を持つことです。
 そして、そこで行われている議論は、個人情報に配慮しながら、できる限りオープンにすることです。どんな苦情があり、どう回答し、どう解決したかを公開するのです。「通信」などで保護者たちにフィードバックし、保護者全体での議論を作っていくのです。場合によってはホームページ上に公開するといいと思います。
 閉じた場で議論するのではなく、できる限り、オープンにしなければなりません。変な議論は密室故に起こるのですから。
 私たちは、価値が多様化して、一切の権威が失われた社会に生きています。その中で、相互に考えを深め合い、子どもを見守っていける仕組みを構築することが求められているのです。

 (拙稿をまとめる上で、思想家の堺利彦氏と牧野紀之氏の論考を参考にさせていただきました。記して感謝します。)