5月 10

全国の実践家との交流をしましょう  
高校作文教育研究会6月例会

今年度は、全国の実践家との交流をはかりたいと思っております。

表現指導には、実にさまざまな取り組み方があります。また、高校には多様な学校があり、多様な生徒たちが学んでいます。そうした多様な実態と、その中から生まれている多様な実践、多様な生徒作品。それらと向き合いながら、表現の可能性を広く、深く、考えてみたいと思います。

6月は、東大附属の「卒業研究」と、「総合学習」で小児救急医療問題を追究した高校生の事例を取り上げます。2つの実践は、ともに高校生に強い問題意識を作り上げるための果敢な挑戦だと思います。こうした試みが全国に広がっていくことを願いながら、そのすぐれた点はもちろんのこと、その課題についても学び合いたいと思います。
いずれも、具体的な生徒作品に即して、検討していきます。

高校作文教育研究会は、昨年まで2年間ほど「聞き書き」をテーマとして研究してきました。その中で、いくつかの課題や問題点が浮かび上がってきました。それが最大の成果だったと言えるでしょう。連載を完走した古宇田さんが、その課題を報告します。みなさんとともに、考えていきたいと思います。

どうぞ、みなさん、おいでください。

なお、参加希望者は、前もって以下に申し込みください。
  E-mail:sogo-m@mx5.nisiq.net

1 期 日    2011年6月26日(日)10:00?16:30

2 会 場   鶏鳴学園御茶ノ水校
         東京都文京区湯島1?9?14  プチモンド御茶ノ水301号
         ? 03(3818)7405 JR御茶ノ水駅下車徒歩4分
       ※鶏鳴学園の地図はhttp://www.keimei-kokugo.net/をご覧ください

3 報告の内容

(1)高校生の卒業研究の指導過程と論文の実際
          東京 東京大学教育学部附属中等教育学校  鈴木 一史

 東京大学附属中等教育学校では卒業必修単位として「卒業研究」を課している。4年生(高1)の冬にテーマ決定をし、6年生(高3)の夏に提出する。進路や受験勉強との葛藤の中で、大部の論文を作成する。この2年近くにわたって取り組む卒業研究のカリキュラムと指導過程の実際の流れを確認し、出された成果としての「論文」を検討したい。月に一度ある教員の「指導時間」は、主に論文の作成過程の確認、参考文献等の情報、論文全体の論理構成の助言である。数値を扱う生徒もいれば、文献調査のみで終える生徒もいる。また、生徒の多くはフィールドワークを通して情報を集めて書きあげる。生徒への助言がどのように奏功しているのか、失敗しているのかを具体的な生徒の作文から検討し、カリキュラムと具体事例との関係性についても議論していきたい。

(2)「総合学習を通した高校生のアイデンティティ形成」
                        北海道教育大学  高橋 亜希子

 高校における総合学習は、学力低下論や進学に向けた学校間競争などから不活発な状況が続いています。しかし、総合学習において、テーマ設定のために自分を問い取材を通じ学校外の人に出会うことは、生徒の自己形成に大きく寄与します。
 今回の発表では、総合学習における学校外の人々との関わりに焦点を当て、学習過程の一高校生の継続的な面接資料と記した文章から、出会った人の言葉、印象、そこで得た体験が生徒の在り方を変容させていく過程を分析します
 生徒は1年半にわたる小児救急医療問題の追究を通し、命の意味を考え、周囲の人々との関係を変えていきます。高校生における学習と自己形成のかかわりや、高校生にとっての“生きた学び”についてみなさまの意見を頂けると幸いです。よろしくお願い致します。

(3)聞き書きの構成と文体についての試論
           茨城 古宇田栄子

「聞き書きの魅力と指導法」の連載は終わりましたが、まだ、研究結果の報告会が終わっていないので、なんだか宙ぶらりんな気分です。やはり、研究結果はきちんと整理・分析し、新たな課題を把握しておくべきだと強く感じています。その中で、いちばん気になるのが、聞き書きの構成と文体です。中井さんが新たな発想、視点でいろいろ提案してくれましたが、その結果についての検討が不十分です。今回のレポートでは、私なりにそれを整理してみたいと思います。今、思いつくことをランダムに書いてみます。

?理科社会における聞き書きの文体と国語における聞き書きの文体は分けて考えるべきかどうか。
?テープ起こしにはどのような意味があるか。
?国語科の聞き書きにおいて文献調査等事前調査をどうとらえるか。
?聞き出せなかったところは想像して書く、についてどう考えるか。
?ひとり語りの文体と書き手(聞き手)の感想、思索をどうとらえるか。
?聞き書きの文体としては、伝聞体、Q&A型の文体、ひとり語り、ルポルタージュ風の文体等が考えられるが、それぞれどんな違いがあるのだろうか。
?問題意識の深化と文体は関係があるのかどうか。
?子どもの論理的思考と描写とはどのような関係があるのか。ほか。
他者の経験を自己の生活や生き方に引き寄せて考えられるようにするためにはどのような指導が必要なのだろうか。また、その際のリアリティをどう保障したらいいのだろうか。

どこまで整理できるか、自信はありませんが、一緒に考えていただければ幸いです。

4 参加費   1,500円(会員無料)

5月 09

5月以降のゼミのスケジュールが決まりました。

関心のある方は、今から日程調整や、テキスト購入などの準備をしてください。

参加希望者は、前もって以下に申し込みください。
 読書会、文章ゼミ、月曜日のゼミなど、すべての参加費は1回3000円です。

なお、初めての参加者には、事前に「自己紹介文」を書いていただいています。

 1. 簡単な履歴(年齢、大学・学部、仕事など)
 2. 何を学びたいのか
 3. どのようにこの学習会を知ったのか、なぜこの学習会で学びたいのか
 
 などを書いて、以下にお送り下さい。
 E-mail:sogo-m@mx5.nisiq.net

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(1)5月以降の読書会と文章ゼミのスケジュール

読書会は、原則は午後5時から開始。7時からは、参加者の報告と意見交換の時間があります。
文章ゼミは午後5時開始です。

5月
   21日 読書会 

 6月
  4日 文ゼミ
  18日 読書会

 7月
  2日 文ゼミ
  16日 読書会

 8月
  18?21日(予定) 合宿

 9月
  17日 文ゼミ

 10月以降は未定。

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(2)読書会のテキスト

☆5月21日 読書会 

ヘーゲル『精神現象学』の「理性論」を翻訳で読みます。
 
範囲はヘーゲル『精神現象学』の第3部第5章「理性論」の第1節です。

テキストは牧野紀之訳、未知谷からの刊行版を使用します。購入するか、図書館でかりるなりしてください。

「理性」の段階とは、夏目漱石の「私の個人主義」(『漱石文明論集』岩波文庫に収録)でいうところの、他者本位から自己本位への大転換後の段階で、「先生を選べ」を自覚的に行っている段階と言えるでしょう。

☆6月18日 読書会

 テキスト:山田孝雄『日本文法学要論』(書肆心水)

日本語とは何か、言語とは何かを考えるシリーズです。
明治以降の日本語論で最高最大の功績を残しているのが山田文法です。それに取り組みます。
 テキストは高価なので、図書館で借りるなどしてください。
 必要箇所はコピーをお渡しする予定です(実費をいただきます。)

☆7月16日 読書会

 福沢諭吉の『文明論の概略』(岩波文庫)を読みます。
 これは日本の近代化を考える上での必須のテキストであり、政治、経済、文化などのあらゆる面での、日本の近代化の諸問題を考えるための、前提となるテキストです。
 明治時代のその諸問題が、実は、今の私たちの諸問題の根底に「未解決」のまま横たわっているのです。

これは、内容充実のテキストなので、数回に分けて読みたいと思います。

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(3)毎週月曜日のゼミは5月16日から開始します。

午後5時からはヘーゲルの原書講読で
『小論理学』の「概念論」を読みます。毎回3ページほどを読みます。

ドイツ語の初心者のために、午後3時からドイツ語の指導の時間もとっています。

午後7時からは、関口存男『定冠詞論』を毎回80?100ページずつ読みます。
5月は、第2編からです。
参加者にはテキストはコピーしたものをお渡しします。(実費をいただきます。)

4月 18

春の合宿の案内

新緑の美しい季節が来ますね。

その季節に、山梨県の八ヶ岳の麓の清里で、合宿を行います。
ヘーゲルの『精神現象学』の理性論を読み、各自の報告会や文章ゼミも行います。
一部だけの参加も可能です。
関心のある方は連絡ください。

(1)日程
 5月3日?5日 

(2) 学習メニュー
翻訳(牧野紀之訳 未知谷)でヘーゲル『精神現象学』の第3部第5章「理性論」の第1節を読みます。
晩には、文章ゼミ、報告会(現実と闘う時間)を行います。
そこで、基本文献(『生活の中の哲学』『先生を選べ』『ヘーゲルの修業』など)について説明し、一部は読みます。

合宿への参加希望者は、前もって以下に連絡ください。
 詳細をお伝えします。
ただし、初めての方は、事前に「自己紹介文」を書いて送ってください。

 1. 簡単な履歴(年齢、大学・学部、仕事など)
 2. 何を学びたいのか
 3. どのようにこの学習会を知ったのか、なぜこの学習会で学びたいのか
 
 などを書いて、以下にお送り下さい。
 E-mail:sogo-m@mx5.nisiq.net

4月 16

『サンデー毎日』の今週号(4月24日号)で、大学入試問題のミスに関する記事が出ている。
私も取材を受けて、1時間近く話したが、話した100の内、1しか使われず、それもどうでも良い部分だった。

私は大学入試が、日本社会の高度経済成長期、建前の「平等」と現実の「格差」の矛盾を隠す安全弁の役割を果たしてきたこと。
それが、今も、惰性的に続いていること。
それを述べたのだが、
それは
この記事が問題にしていることを、根本問題の矮小化だということになる。

関心のある方は、拙著『大学入試の戦後史』(中公新書ラクレ)をお読みください。

を根底から記じの

4月 14

遅い桜が満開を迎え、早くも散っています。
なぜか、今年は、桜には心が動きません。
椿の可憐さ、芳醇さ、鮮やかさ、さまざまな姿に心惹かれます。
西洋のバラは、日本では椿なのだと思います。

今年も新たな年度を迎えました。
この時期が嬉しいのは、さまざまな美術館で素敵な企画が見られるようになるからです。

今東京で行われている展覧会で3つお薦めがあります。いずれも実際に観てきました。

1.「牛島憲之」展 渋谷区松濤美術館
http://shoto-museum.jp/ 

2..「白洲正子」展 世田谷美術館
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html 

3.「江戸の人物画―姿の美、力、奇」 府中市美術館
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/ 

です。

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1.「牛島憲之」展 渋谷区松濤美術館

 今回の展覧会のポスターの牛の絵(「春林」)がよくて、見に行きました。
静かに、圧倒されました。すぐにわかるような「迫力」「激しさ」「華麗」「斬新」「凄み」といった絵ではありません。心に染みてきて、泣き出してしまう、そういった絵です。
初期の「貝焼場」が楽しく、日本にもこんな明るいワクワクする絵があるのか、と驚きました。「山の駅」「赤坂見附」も、楽しみました。

戦争中に「山峡の秋」(出展はされていない)のような絵しか描いていないことにも驚きました。戦後すぐの「炎昼」には新しい世界が存在しています。

その後の絵は、工場やタンクなどを取り込みながら、ますます深く単純化が進みます。その中には、正直に言って、私にとって退屈なものもたくさんあります。しかし、わしづかみにされる絵もあります。全体として、彼の世界に包み込まれ、それは幸せでした。

牛島憲之は1997年に97歳で亡くなった画家です。西洋に一度も行かず、日本の身近な風景を書き続けました。実は、忘れていたのですが、私は彼の絵をかなりの量、見ていたようです。よく行く府中市美術館には「牛島憲之記念館」があり、行くたびにそこにも足を踏み入れているからです。しかし、記憶に残っていません。「退屈」に感じ、そこにある「凄さ」に気づけなかったようです。不明を恥じるしかありません。

以前、関合正明の絵について、風景の中の人物像の意味を突き詰めていないと、書いたことがあります。風景の中に人物を書く意味を突き詰めていないように思えたのです。

牛島憲之は、それを突き詰めて、彼の答えを出しています。一事が万事このように、牛島は、すべての諸問題に彼の答えを出した上で、絵を描いていると思います。とことん突き詰めていく作業に耐えていける強い人だと思いました。

日本には南画、文人画といった系譜があります。それも彼の絵から感じます。もっと言えば、日本の伝統そのものと言って良いのかも知れません。

2.「白洲正子」展 世田谷美術館
 白洲ファン、白洲が示した日本人の信仰、宗教観、美の世界に関心がある人には、ありがたい展覧会です。
 「日月山水図屏風」をゆっくりと見てきました。改めて、緑の一色しかないことを確認しました。秋にも赤や紅がない。他は桜や雪の白と、背景の金と銀だけです。
秋の場面に滝があること、波の描き方と波頭が銀で描かれていることなど、確認しました。すごい絵ですね。

3.「江戸の人物画―姿の美、力、奇」 府中市美術館
 府中市美術館は、企画力、展示力があると思います。2年前にも「江戸の風景画」を多様な視点から読み解く展覧会を行っています。今回はその続きで、「人物画」の持つ意味を、江戸時代に遡って考えさせる。「想像」「リアル」の意味や、「ポーズ」の意味、西洋画との出会いの意味。そうしたことを考えながら、好きな画家だけではなく、未知の画家や興味深い絵画に出会えることも、こうした企画の嬉しい点です。