1月 22

ヘーゲルの論理学の判断論と推理論 その4

 昨年(2010年)は、ヘーゲルの論理学では、
 第3部概念論の主観性から判断論と推理論を学んだ。
 これは言語学との関連もあり、
 関口ドイツ語学の学習と並行して進められた。
 それは大いに相乗効果があったと思う。

 昨年に学んだことを以下にまとめる。
 わからない点も、どこがどうわからないかをまとめておく。
 「推理論」そのものの詳しい検討は、後にまわす。

 ■ 目次 ■

 一.論理学全体、第3部「概念論」全体、「主観性」の全体として
 (1)なぜ、ヘーゲルの論理学では、[判断の形式]ですべてが貫かれているのか
 (2)なぜ存在論、本質論までは[判断]でいいのか
 (3)概念論の主観性の[判断論]
 (4)概念論の主観性の[推理論]
 (5)[概念論]は発展の論理であるが、それはまず[主観性]という
    大きな括りの中で示される。
   →その1

 二.「判断論」全体の問題点
 (1)認識主体(主観性)が出てこないのはなぜか
 (2)判断の矛盾、運動の原動力とは何か。
 (3)判断論の内部での進展は何を意味するのか。
    判断から推理への進展は何を意味するのか
 (4)文(命題)と判断とはどう違うのか
 (5)仮言判断の問題
 (6)主語が2つ、文が2つ現れるとは、どういうことなのか
 (7)概念のナカミはどこで問われるのか
 (8)カントとの関係
 (9)アリストテレスとの関係
   →その2

 三.判断論の各論
 ○判断の運動(質の判断から反省の判断へ)
 (1)質の判断
 (2)反省の判断 →その3
 (3)必然性の判断(種と類) →その4
 (4)概念の判断 →その5

 四.その他
 (1)例文について
 (2)「生活のなかの哲学」 
 (3)大論理学と小論理学
   →その5

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 (3)必然性の判断 (種と類)

 定言判断  金は金属である バラは植物である

 仮言判断  もしAが存在すれば、Bも存在する
       カントの例:太陽が石を照らすと、石は暖かくなる
       もし山田氏が未婚ならば、彼は妻を持たない
       もし下痢をすれば、身体が衰弱する
       もし横綱が負ければ、この首をやるよ

 選言判断  AはBであるかCであるかDであるかである
       AはBかつCかつDである
       詩は叙事詩か抒情詩か劇詩である

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 1)全体として

【1】[主語]が類(普遍)になる(選言判断)ことの意味。

 [主語]と[述語]関係の逆転。※これは、いわゆる「判断」の止揚である。
 類=普遍そのものが、意識の中心に置かれた。
 [全体]が意識されるに至った。→必然性の判断。
 その全体の内実が具体的に検討され、
 その中身の関係が、具体的に考察されるに至る。→選言判断

【2】本質論の「現実性」に対応する
 「必然性の判断」は、本質論の「現実性」をさらに一歩進めたもの。
 ここでは発展の論理、生物進化の原理までが問われている(特に選言判断)。
 cf)精神現象学の「自己意識」の「生命」では、食物連鎖から「類」を出す。

【3】 定言判断 → 仮言判断 → 選言判断
 論理学の本質論の 実体性 → 因果関係 → 概念 へとの展開との対応

 2)定言判断

 「この金は」金属である
 「このバラは」植物である
 これが「金は」、「バラは」になる

 個別 )種 )類 )

【1】主語と述語は反省関係になっている
 自己と自己との同一性
 自己内反省=[肯定的統一]

【2】必然性は内的(実体関係)、偶然性、可能性の立場 → 必然性の外化、否定的統一(仮言判断)

【3】
 主語は述語である
 個別は普遍である → 種は類である(特殊は普遍である、という段階)

 ┏[主語](種)の内部の普遍性が引き出された
 ┗ 一方、[述語]の普遍性から、それを分割する形で、それ自体も普遍性の種を[主語]とする

 3)仮言判断 もしAが存在すれば、Bも存在する

 ※これは前段が個別、特殊(種)で、後段が普遍(類)なのか、
  それとも逆か。
  前だと、次の選言判断につながらないように思う

【1】他者との同一性の定立(定言判断は、自己と自己との同一性の定立)
 自己と他者との同一。同一の深化 →[否定的統一]

 同一だが、概念の同一ではなく、普遍、特殊、個別の3契機がない
 契機一般はある。主語と述語関係ではない。
 普遍→特殊までで、概念がまだない

【2】必然性の外化(因果関係)
 しかし、2つの存在は外的で偶然。その存在の必然性は定立できない。
 定立できたのは、2つの関係の必然性のみ。

【3】大論理学で、ここに 「可能性」という言葉が出てくるのは、
 「現実性」の可能性から必然性との流れがここで意識されているから。

【4】仮言判断は、すでに2つの主語(文)が出ており、
 自己と他者の両者が1つの文で直接示される(2つの文が内在している)
 初めての例。これは推理ではないのか。

 4)選言判断

【1】[否定的統一]の原理とは、概念の原理だが、つまり発展の原理のこと
 これが経験主義を超える可能性

【2】類=A,B,C,D 類の種別化、分類の原則、進化の原理 →「概念」

【3】普遍、特殊から個別(概念)が現れる。→ 概念の判断

【4】選言判断で、主語と述語の逆転が起こる

 主語は述語である
 個別は普遍である
  ↓
 特殊は普遍である
 が
 主語と述語が逆転する
 類が述語だったのが、主語が類になっている
 普遍は普遍である

 普遍は特殊の総体である
 コプラの両方が、普遍でまったく一致する
 この全くの一致に、コプラの充実(一応の一致)=潜在的な概念が現れている

【5】大論理学「主語は述語に対する自分の規定を失う」
 (『ヘーゲル大論理学 3』寺沢恒信訳注 以文社 195ページ,
  ズールカンプ社版全集6巻 407ページ)とある。

 寺沢はここで、コプラの充実と説明し(『ヘーゲル大論理学 3』432ページの注17)、
「必然判断」では性状が判断の根拠になっているとする
(『ヘーゲル大論理学 3』433ページの注18)。
私は、ただの「根拠」ではなく「概念」になっているのだと思う。

【6】2つの文が現れる必然性
 主語と述語が逆転することと関係するのでは

5)「反対概念」(AもBも が可能)と、「矛盾概念」(AかBか)

 (選言判断から)

 ┏同じ類の中で区別されるものが反対概念
 ┗相互に締め出す関係が矛盾概念

これはヘーゲル用語辞典に入れるべき。

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