6月 05

「ふつうのお嬢様」の自立 全8回分の第2回

江口朋子さんが、この春に「修了」した。
その修業に専念した6年間を振り返る、シリーズ全8回中の第2回。

■ 本日の目次 ■

心動くものだけと向き合った6年間 ―鶏鳴でやってきたこと― 江口朋子

(1)何のために振り返るか
(2)ゼロから始めた
(3)自分の関心は一貫しているのでは
(4)対象理解の問題
(5)自分の関心の対象と、その対象への切り込み方
(6)引きこもりの必要

=====================================

◇◆ 心動くものだけと向き合った6年間 
―鶏鳴でやってきたこと―       江口朋子 ◆◇
                               

(1)何のために振り返るか

 振り返りの文章を書く目的は、6年間鶏鳴でやってきたことは、結局自分にとって何だったのかを考えることである。なぜそれが自分にとって今必要かといえば、その答えがこれからの自分を支えるだろうと思うからである。逆にいうと、いくら中井さんから修了を認められても、自分の側に自分はこれを鶏鳴でやってきた、これを自分のものにしたと言えるものがはっきりしていなければ、修了の意味がないだろうと思ったから。

(2)ゼロから始めた

 他のゼミ参加者と比べて、自分は本当に中身の何もないゼロからのスタートだったと思う。例えば、同時期に師弟契約をした守谷君は、高校生の頃から大学卒業後の進路を意識し、大学に入ってから意識的に活動をして、そこで得た問題意識を基に鶏鳴で学んでいたし、他の人でも、それが表面的なものであっても一応自分はこれに関心を持っています、というものを持って参加してきた人が多かった。
しかし自分には「これに関心がある」と言えるものが4月の時点で何もなかった。大学4年の夏休みまで大学院に行くつもりで、教授にも院試のアドバイスをもらっていたぐらいだから、それまでの大学生活で自分の興味関心を本当のところで意識していなかった。だから最初はほとんど中身が空っぽの状態で、自分が何に興味があるかわからず、そもそも興味が向くもの自体なかった。
 だから最初の1年は自分の関心以前に、現状を理解することで精一杯だった。大学院進学を辞め、それまでの友人と関係を切り、親とも話し合いでぶつかるという、それまでと逆の方向に走り始めた自分の状態を、自分で理解するのに精一杯だった。

(3)自分の関心は一貫しているのでは

 今まで、自分の関心はあちこちに飛んで、もちろんつながりはあるが、それまで出ていなかったものが急に出てくるような唐突さがあるとどこかで思っていた。しかし今回、改めて過去6年間の報告や文章を読み直すと、自分の関心は奈良に行った時から基本的に変わっていないのではないかと思った。例えば、地形に対する興味はこの時既にあり、山の辺の道で見た周りの山の稜線や、比叡山の帰り道に見た琵琶湖と周囲の山とのでこぼこさ、日本庭園と背後の山との関係が面白いと書いている。
 また、今回読み返して驚いたが、短歌のことも06年に既に出てきていた。出羽三山に行く途中の電車の窓から日本海を見て、「大磯の礒もとどろに寄する波 われてくだけて裂けて散るかも」という短歌を思い出したと書いている。

 しかし一方で、過去の文章を読みながら、展開が急だったり、強引に思えるところも度々あった。例えば、2007年11月に、いったんそれまでを振り返り、自分の関心を改めて奈良滞在で見た日吉大社の石橋だとはっきりさせ、民俗学や民俗宗教の視点から石を考えるところまではよくわかる。しかしそのあとに、民俗学に対する不満(石を決まった枠組みでしか見ていない)から、地質学・地球物理学における石にテーマが移るのは、やはり急だと思う。人間が作る石橋と、その素材である自然石は別のものであるから、最初の石橋への興味はどこに行ったのかということになりかねない。またその後に、ヘーゲルの著作を読んだ影響もあって、石の生成の必然性を展開したいと試行錯誤し始めるが、これはかなり無理があることをやろうとしていたように思う。
 しかしそうした無理や強引さや、その時々のテーマの変化の急さも含めて、自分の関心が向けられている対象ははっきりしていて、それに対して手を変え品を変え何とかアプローチしようとしているように思えてならない。自分の興味ある対象に向かって、どう切り込んでいったらいいかわからず、試行錯誤し、時間がかかったように思える。

(4)対象理解の問題

 自分の場合、ある対象に心が動かされると、その対象に自分が乗り移りかねないほど、対象にひきつけられてしまう。対象と一体化してしまうとも言えるかもしれない。強い感覚的な反応でもある。例えば、奈良滞在について書いた文章や、地形の文章でもいいが、自分は見たものをまずそのまま描写する。それは、始めはそれ以外に表現のしようがないからでもあるが、対象を描写すれば、それがそのまま自分の心の動きでもあるからだ。
 これは対象理解の話と関係するかよくわからないが、師弟契約をした1年目、友人や親との関係が変化した時に、自分はひたすら地球や生物の進化に自分を重ね合わせていた(05年7月?10月)。それまでの自分がいったん崩され、人間関係も変わって新たに自分をつくらなければならなくなった時、誰でも自分と似たものに自分を重ね、自己理解をしようとするはずであり、私も地球の進化の前にマルコムXの自伝を読み、彼の生き方を自分にひきつけて考えていた。そういう風に、ある人物を自己理解の参考にするのはよくわかるが、地球そのものや地球の生物に自分を重ねるというのはどういうことなのだろう。その後の、テーマの変遷にも関係しているのだろうか。
しかし対象を深く理解するためには、いったん自分と対象を切り離し、対象それ自体として見なければならない。これが自分には苦手で弱いのではないだろうか。例えばイサム・ノグチについても、彼のアトリエで見たままのもの、例えば彼がつくった庭や周りの屋島や五剣山など地形との調和には心が動かされる。しかし、そうしたアトリエを作った彼の人生、時代背景となると、関心が薄れてしまう。総じて歴史、経済、法律、社会に対する興味が片寄って少ない。
 08年から「石とは何か」というテーマで自然科学の視点から論文を書こうとしてきた。普通に考えると、自然科学の知識を応用するということは、対象を自己と切り離し、対象としてありのままに理解することに他ならないように思える。自分でもそう思ったから、このやり方を選んだはずである。しかし私の場合、どうもうまくいかなかった。このあたり(08年以降)のことはまだまだ意味づけができない。

(5)自分の関心の対象と、その対象への切り込み方

 6年間を振り返ると、確かにその時々の変化に意味があると思うし、特に「石とは何か」というテーマで論文を書けず、地形とは何かも途中のまま、急に短歌が出てきたというこの約3年の流れは、一応12月の時点で意味づけを報告に書いたものの、自分でもよくわかっていない。なぜ今短歌なのかと聞かれても、納得いく説明はできない。
 しかし、石から地形、地形から短歌という変化にどう意味があるということは、今の自分にとっては正直どうでもいい。それは、今いくらかんがえても仕方がないという意味だ。これから短歌の道を進みながら、考えていくしかないと思う。ヘーゲルが、確か『精神現象学』で、ある運動そのものが必然的であるならば、その運動によって生まれたもの、つまり成果もまた必然的なものになると言っていた。自分はまだ運動を展開している最中であり、その成果が出ない限り運動の意味は本当には考えられない。
 今の自分にとって重要なことは、この6年間で自分の関心はひとまず出し尽くしたと言えることだ。自分の中のアンテナを常に意識し、興味が向けられるものは一つ一つ取りあげ、報告や文章で発表してきた。中身の空っぽの状態から始めた自分にとっては、何かに興味をもつということは、同時にそれに対して感じたことや考えたことで自分の中身を埋めていくことでもあった。
しかも、今自分の中にある関心、具体的にいうと6年間の文章で関心をひいたものとして取りあげた一つ一つの対象は、どれも本当に自分の心が動き、身体が反応したものである。興味がないのにあるような振りをしたり、ごまかしたものはない。それは、師弟契約をした時にはっきり意識したことで、今まで自分はやりたくない勉強を嫌々やったり、周りに合わせて何となくやり過ごしてきたので、これからはそういうごまかしはしないと決めていた。
従って、鶏鳴で何をやってきたかと聞かれてまず思い浮かぶのは、何より自分の実感に従って、自分が何に強くひかれ、逆に何に関心が弱いかを、自分に対してはっきりさせてきたということだ。今の自分が持てる関心は出し尽くしたと思う。これは自分のテーマを作る上で、一つ必要な段階ではないかと思う。しかし一方で、それは興味・関心という言葉に留まり、自分のテーマがはっきりしたとまでは言えない。テーマとは1つの疑問文の形にまとめられるものだという牧野さんの言葉があったが、それはただ形だけ整えればいいのではなく、それまでの自分のあらゆる関心がそのテーマに統合されることを指しているのではないかと思う。
 その意味では短歌は自分のテーマではないが、しかしより大きい根本的なテーマに至るための小さなテーマとも言える。自分でもよくわかっておらず、説明が難しいが、自分にとっての短歌の意味は、自分の感じたこと、考えたことを表現するために有効(だと思える)方法であり、同時に対象に切り込むための武器というか道具でもあると思う。ただ自分の関心をはっきりさせるだけでは足りず、その対象にどう入っていくか、どういう方法で対象を理解するのかが問題になるが、自分が苦労していたのもこの点だったのではないか。イサム・ノグチや日本庭園、民俗学、石、地形など試行錯誤を繰り返したが、やっと「短歌」という方法に出会い、これならいけると思えた。しかしそう思えたのも、今までの失敗があったからではないかと思う。

(6)引きこもりの必要
 
この6年間、自分は実質的に引きこもり状態だった。付き合う人が量的にも質的にも限られ、文章など読んでいても、家族と鶏鳴以外に生身の他人がほとんど出てこない。これは自分の関心に集中し、余計なものに邪魔をされたくなかったからだが、そういう時期も人間の成長の一つの段階として必要だと思う。程度の差はあれ、多くの人が実質的な引きこもり状態を経験しているのではないかと思うが、どうだろう。例えば10代後半ぐらいに、特定の友人と必要以上に密着し、常に行動を共にしたりするのは、相手を自分の分身と見ているという意味で他人が存在せず、自分の中に閉じた引きこもり状態と言えないだろうか。
 重要なのは、引きこもること自体ではなく、むしろ風邪と一緒で引きこもりの期間をうまく過ごせるかどうかではないかと思う。自分の殻に閉じこもってはいけないとか、他人とうまく付き合わなくてはという無理をすると、後々問題が生じかねない。その意味では、自分は思う存分引きこもったと自信をもって言える。極力無理をしなかった。何もしたくない時は休み、鶏鳴のゼミを2ヶ月以上欠席したこともある。だからと言っていつも楽だったわけではないが、不思議とこれだけ引きこもれると、逆にもう外に出て第三者とぶつかっても何とかなるだろうと思えるし、外に出たいという気にもなる。それはやはり、本質とは他者との関係において現れるということと関係していると思う。自分ひとりでやれることにはどうしようもない限界がある。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Leave a Reply