9月 16

◇◆ 2.ヘーゲルと縁のない人 太田峻文 ◆◇

 私は今年の7月から中井さんの下で「本気の勉強」をする事を
目的の一つとして師弟契約を結び、ドイツ語の学習、
ヘーゲルの原書講読を始めた。

 合宿においてなによりも驚かされたことは、原書講読における
中井さんの学ぶ姿勢である。ゼミの形式はゼミ生が一文ずつ原文を読み、
和訳をした後に、中井さんがその文に考察を加えていくというものであるが、
理解が不十分な所に対しては立ち止まり、一つの冠詞、一つの指示語から
全体の構成まで立ち戻り、さらなる考察を深めていく。

 この時間が退屈に思われるかも知れないが、中井さんはその考察を
一つ一つ言葉に発しながら行なっていくので、私たちもその考察過程を
たどることができるのである。

 このように、中井さんはヘーゲルの言わんとすることを、
なんとかつかもうと極限まで突き詰めた後、その時点で
どこまでの理解に達し、また、どこが理解できないのかという
理解の到達点までも私たちに説明する。
この対象への誠実さにもまた圧倒された。

 ヘーゲルの文章が難解であるのはもちろんだが、中井さんは
ヘーゲルが難解である以前に、読み手自身がそういう生き方を
していなければ分からない、つまりヘーゲルと縁のない人は
分かりようがないと何度か指摘する場面があった。

 その証拠に、今回の合宿では中井さん自身の経験を、
たくさん聞く事が出来た。その一方で、自分はどうだったかと振り返ると、
概念論では、男女のかかわり合いやフリーター・ニートの問題を
特殊の段階に見て考えることによって、そして自分を特殊の段階として
意識して読む事によって少しは読めた気がするし、自己理解も
深まったように感じる。

 特に、自己理解という事で言えば、合宿後半の精神現象学は印象的だった。
今回読んだ第三部の第二節は、「自分が世界の始まり」という
個人の意識の始まりから、自己実現の最終段階についてであった。

 その意識の始まりから、個人が他者と一体になったり、
社会に反発したりという意識の変遷では、強烈に自分の経験を
意識する事ができた。他人との比較が、どれほど表面的なものであるかと
指摘するヘーゲルを読んでいる時、他人との比較でしか自分を
感じられなかった過去の自分を思い出した。特に高校時代から
大学3年までの自分を、今まで以上に相対化するきっかけを
今回の合宿では得ることができた。

 そして、以上の低い意識の段階から抜け出す為に、
ヘーゲルは行動することの重要性を強調する。
まさか自分がヘーゲルで自己啓発されるとは思っていなかったが、
他との比較は無意味だということをさんざん経験してきた今だからこそ、
「行動していく中で自分の何たるかが明らかになっていく」という
ヘーゲルの発展の立場にたった考え方のすごさ、強さを
実感することができた。

 先に進まない限り何も見えてこないというのは当たり前の話に思えるが、
実感を持って納得できたのは今回が初めてだった。それも自分が
鶏鳴でこの一年間、今までの生き方を少しでも反省し、その上で
自分の課題に取り組もうとしてきたからではないか。
自分は、ヘーゲルと縁のない人では無いと言う事が、今回の合宿で
分かっただけでも行ってよかったと思う。

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