9月 18

◇◆ 4.「何もしない時間」を考える 小堀陽子 ◆◇

 1.はじめに

 昨年の夏に合宿に参加して、久しぶりの集団生活を体験しました。
今回は本を読む気にならなくて、合宿の参加は見合わせましたが、
ウェブ会議システムを使って、晩の報告会に2日間参加しました。

 最初に「声が聴こえなかったら言ってください」と言われました。
私は「はい」と答えました。実際に会議が始まると、言葉が
聞きとりにくい時がありましたが、「聞こえないです」と言えませんでした。
会議の自然な流れを中断するのがためらわれました。

 2.「何もしない時間」を考える

 5月下旬に中井さんから「小堀さんは傲慢だと思います」という
メールをもらいました。その内容はショッキングでしたが、
自分を静かに見つめようとするきっかけになりました。

 合宿の報告会では、ここ数カ月の自分の変化について
「何もしなくなった」と報告しました。中井さんから
「何もしていないようだが、実際は古い自分を壊している時間だ」と
指摘されました。そうだったらいいと思いますが、正直な気持ちを言えば、
自分の内側で果たして何か変わっているのか、実感はうすいです。

 中井さんのメールで、自分が長い間捕らわれていた観念というか、
枠の存在を意識するようになりました。意識するたびに、
それを外そうとしてきました。すると「しなければならない」、
「すべき」という強迫観念が浮かばなくなってきました。
ここ最近は、何に対してもどんな感想も出てこなくなってしまいました。
以前は、追いつめられるように本を読んでいましたが、
それもほとんど読まなくなりました。

 10年近く前に、私には引きこもりの5年間がありました。
その時期はそれこそ何もしない時間でしたが、当時は
自分の内側がとても投げやりだったように思います。
それと比べると、今の何もしない時間はもっと静かな時間です。
この「意欲のわかない」、「やる気のない」時間は
しばらく続くのかもしれません。
あまり長く続いたら困るなという気持ちも少しあります。

 他の参加者の報告を聴いて、何を言ったらいいのか
思い浮かびませんでした。以前は他のひとの報告を聴くと、
比較して苦しい気持ちになったものです。
今は、あまり気持ちが波立たなくなりました。
先々は自分の感情が動くようになり、自分の感想が
出てくるようになることを願っていますが、これも
どうなるかわからないことです。

 3.なぜわざわざ報告会に参加しようと思ったのか

 今回、合宿に行かないのに報告会だけ参加しようと思ったのは、
8月は通常のゼミが休みだからです。

 5月のメールをもらった時、「このままゼミに行かなくなることは
したくない」と思いました。それは逆に言うと、言われた内容が
とてもショックだったので、ゼミに行って中井さんと
顔を合わせるのがつらかったからだと思います。

 また、メールの厳しい言葉から、中井さんが私に対してとても
「怒っている」のだと感じて、ゼミに行くのが怖いという気持ちも
ありました。

 ただ、この「行きたくない」という気持ちにしたがって、
ゼミに行かなくなることはしたくないと思ったのです。
それがなぜなのか、わかりません。急に行かなくなることが失礼だとか、
いけないことだとかいうのとは、違う理由がある気がしますが、
言葉になりません。「行きづらい」私には幸いなことに、
6月は用事があってゼミに参加できませんでしたが、報告を1回出しました。

 合宿用の報告を最初に提出した時、中井さんに
「一番肝心な、私のメールを読んで以降の変化について、
きちんと書かれていないと思います」と指摘を受けました。
それを受けて、報告を追加しました。
自分の「変化」がはっきりわからないまま、書きました。

 4.昨年と今年で違うこと

 最後に、2日目の報告会は23時半くらいまで続きましたが、
私も最後まで聞いていました。

 昨年の夏の合宿でも、夜中まで話し合いが続いた日が
ありましたが、私は途中で退席しました。
疲れて眠くなっていました。体力的なことは別にして、
話し合いに夢中ならば眠くなることはなかったと思います。
私が眠くなったのは、話す内容に関心がもてず、気持ちも
動いていなかったからではないかと思います。
話し合われていたのは政治に関わる内容で、参加者すべてが
意見を出していたわけではありませんでしたが、退席したのは
私だけだったので、みじめな気持ちになりました。

 今年の報告会でも少し眠くなりましたが、「もうダメだ」
という状態にはなりませんでした。昨年よりも気持ちが楽でした。
「ダメになったら、退席しよう」と思っていました。

 昨年は「退席してはいけない」という追い詰められた気持ちでした。
話し合われていたのは、政治につながる内容で、私がふだん
関心があることではありませんでした。そこは昨年と共通していますが、
なぜ今回は終わりまで聞いていられたのかは、気を楽にしていたこと以外に
何か違うのかわかりません。

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