12月 04

10月の読書会の記録(海堂尊『救命ー東日本大震災、医師たちの奮闘』) その2

大学生・社会人のゼミの、今年の秋の読書会のテーマを、東日本大震災で提起された問題としました。それを自分の問題として受け止めていくことを目標とします。

10月には海堂 尊 (監修)『救命─東日本大震災、医師たちの奮闘』新潮社 (2011/08)を取り上げました。

■ 目次 ■

6、各章の検討
 【1】宮城県南三陸町 公立志津川病院内科医(被災当時) 菅野武
【2】宮城県名取市 東北国際クリニック院長 桑山紀彦
【3】福島県双葉郡 富岡中央病院院長 井坂晶
 【4】千葉県松戸市 旭神経内科ハビリテーション病院院長 旭俊臣

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6、各章の検討

 ※以下、本読書会で取り上げた内容を「・」で示し、それに対する中井先生の考えを「→」で示した。

【1】宮城県南三陸町 公立志津川病院内科医(被災当時) 菅野武

? 死を覚悟して医者としての使命を果たそうと決意し、遺体が発見された時の目印になるように結婚指輪をはめる。(p.13)
→具体的な細部の描写からこの人の覚悟が分かる。泣かせる。

? 自治医科大学を卒業後は、出身地の地域コミュニティの中に飛び込み、医療活動をし、さらにリーダーとしてネットワークを構築して行く。(p.17)
→菅野医師のアナログ的な人間関係を築いた大学時代の経験から、自治医科大学の意義。地域のリーダーは相当な人間力がないとやれない。

? 極限の状況で頑張れた理由を「他人のために一生懸命尽くす事で、自分の崩れそうな心を支えられたから」と述べる。(p.24)
→これは一種の共依存関係になっている。患者がいたから頑張れた訳だが、後に彼自身も精神的に不安定になっている。この人は頑張ったけれど、弱さがある。でも弱いからこそ頑張ったとも言えるのではないか。しかし、震災後子どもが生まれて初めて眠れるようになった。生と死の深い関係が暗示されていて印象的だ。

? 医者に指示を出せるのは医者しかいない。(p.29)
→この事がどれくらい世の中を悪くしているか。なぜ偏差値秀才が医学部に行くのか。深い問題がここにある。

→今回動けたのは、普段から地域医療のネットワークをつくっていた事が絶対条件。

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【2】宮城県名取市 東北国際クリニック院長 桑山紀彦

? 桑山医師は「コンプレックスが唯一の親友だった」と話す。また医者として象牙の塔を目指し、大学医師という肩書きに憧れたが、大学、学会にはじかれ、地元の開業医に。(p.59)
→大学病院の医者は地元の医師会を見下している意識があり、逆もそう。どうしようもない状況があり、桑山さんみたいな人には耐えられないのだと思う。だから国際ボランティア、ワークショップが、この人に取っては大切な活動になるのだと思う。

? 外から来る人にとって患者は一つのケースでしかない(p.52) 患者に「共感」ではなく「同感」したい(p.53) 東京のドクターから「共感」ではダメだという指摘(p.54)
→被災地の外から入って行く人の意識と被災した人の意識のずれの問題。心の問題を見る時に、患者と一体化してしまう事は非常に危険だが、桑山さんは自分も被災者だから「同感」したいと言う。

? 震災の恐怖の記憶をどう和らげるかという心のケアの根幹。
→精神科だけの話ではなく、人間というのは過去を持ち、今を生き、未来に向かって自分が生きて行くなかで自分が存在しているという時に、過去現在で受けたダメージをどう回復して行くか、それは未来に向けて過去現在をつなぐ物語をつくらなければいけない。物語を作る為には未来が無ければ物語はつくれない。今と過去だけでは、物語にならない。そこで物語に変えて行くというのは、その過去から今に向けての運動がどういう未来に向かって運動して行くかという所まで、広げて行く必要がある。

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【3】福島県双葉郡 富岡中央病院院長 井坂晶

? オフサイトセンター大熊町には原発事故の際に、住民に避難勧告を出す組織がある。その職員がいち早く避難してしまった(p.69) 
→福島のケースは難しい。なにがどう難しいかが話の中によく出ている。

? 行政の問題、救護所と診療所の区別。平常時のルール、馬鹿な区別。行政が認めないと医療行為ができない。緊急時はあり。行政は一ヶ月かかったと言っている。(p.73)
→確かに、行政は問題だらけだが、だからといって、それを行政の責任にするという形で良いのか。今回は行政の能力を超えてしまっていることが起こっている。

? 避難したくない、ここで死ぬと言う人にはどう対応するか。(p.77)
→こういう問題が起こってくる。病人を抱えながらの避難生活は感染症の恐れがある。だから、施設に行くのは嫌だという年寄りに対してでも、説得して納得してもらった上で出て行ってもらうしかない。この判断は正しいと思う。しかし、その時の接し方がとても大事だと思う。

? もともと過疎で医者が不足している地域に原発事後が起こり、さらなる医者不足に(p.81)
→元々過疎の地域だから原発が出来るわけだが、仲間だった人たちが本当に助けて欲しかった時に、職場放棄して逃げてしまった。しかし、子どもがいるからと遠くに逃げる人たちを責める訳にも行かない。それが福島県の中で最も大きな心の傷を作っている。

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【4】千葉県松戸市 旭神経内科ハビリテーション病院院長 旭俊臣

→外から入って来た人の経験は弱い。その現場で必死に生きた人の強さ、迫力と、外から来た人たちの温度差はものすごいものがある。

? 被災者の自殺を防ぐ取り組み。岩手県の自殺率がワースト2という現実。(p.91)
? 新潟県松之町「働くだけが人間の生き甲斐ではないんですよ」という事を解いて、少しずつ老人達の考えを変えて行った事が、うつ病になる人を減らして、自殺を減らしたという結果に現れた。(p.92)
→ほんとにそんなことなのだろうか。「働く事が人間の生き甲斐だから死ぬしかない」という説明は納得できない。秋田や岩手の人は本当にそう思っているのか。やはり、過疎の問題、地域の問題が一番の根底にあるのではないか。働くというよりも地域の人との関わりが無くて、生き甲斐を見出せないという事なんじゃないかと思う。

? 被災地に調査で入るという発想。外からの調査団に対して現地の保険師や役場の人たちが拒否反応を示す。(p.93)
→長期のスパンでの長いケアをしていかないといけない。保険師、役場の人というのはある意味、最も地域に根ざしているから調査と言ったら拒否反応起こすのは当然だと思う。

? 東北人は我慢強く、辛いことがあってもあまり表に出さない傾向が強い。そういうものを美徳としている。(p.98)
→これはホントにそうなのか。もしそれが事実だとしても、最初からそうだったのか。東北の人たちに我慢を強いて来たのは一体誰なのか。我慢を強いられた結果、我慢強くなったのではないか、そのプロセスがあるはず。東京の人間が我慢を強いるような構造が戦後ずっとあったのではないのか。

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