7月の読書会のテキストは『痴呆を生きるということ』(岩波新書847)でした。
その読書会の記録を、明日から4日に分けて、掲載します。
『痴呆を生きるということ』は感動的な本でした。
私の思いは、読書会の案内として、メルマガ(6月25日配信)の号外に、書きました。
読書会の記録の掲載の前に、再録します。
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◇◆ 人間そのものの本質に迫る本 『痴呆を生きるということ』 ◆◇
『痴呆を生きるということ』 (岩波新書847) 小澤 勲
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出版社/著者からの内容紹介
痴呆老人は,どのような世界を生きているのだろうか.
彼らは何を見,何を思い,どう感じ,
どのような不自由を生きているのだろうか.
痴呆老人の治療・ケアに20年以上携わってきた著者が,
従来ほとんど論じられてこなかった痴呆老人の精神病理に光をあて,
その心的世界に分け入り,彼らの心に添った治療・ケアの道を探る。
(アマゾンより引用)
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これは素晴らしい本です。
認知症という特殊な病を理解するために
大いに有効なだけではありません。
これは、人間そのものの本質に迫っている本なのです。
認知症を、外から理解する本は多数あります。
この本は、そうした本ではなく、
認知症をその内側からとらえようとするのです。
徹底的に患者本人に寄り添い、当人の心の世界を、
当人の側から理解しようとします。
彼らはどのような世界を生きているのか。
それを理解し、その世界をともに生きようとします。
この本は、認知症の人の世界を解き明かしただけではありません。
それを通して、すべての人間の本質、社会と家族との関係で
生きることの本当の意味を浮き彫りにします。
それほどの深さと広がりを持った本です。
最近、私の父が入院しました。
腰をいため、食事がとれなくなったからです。
そして入院生活の中で、認知症の症状がはっきりとわかりました。
約2年前から、認知症は進行していたようです。
私が気づくのが遅すぎました。しかし、そんなもののようです。
父と一緒に生活し、介護していた母も、父を認知症だとは思わず、
「寝ぼけている」とか、「意地が悪くなった」とかと、こぼすだけでした。
私の妻の母は20年ほど前から認知症で、
その義母との関係で私もそれなりに認知症を理解しているつもりでした。
しかし、そうではなかった。
直接の当事者か否かでは、それほどに違うようです。
今は、少子・高齢化社会です。
家族が認知症になり、その介護で悩み苦しんでいる方が
多いことと思います。
他人ごとではなく、また介護側としてだけではなく、
私たち自身が認知症になる可能性も高いのです。
本書をゼミの7月の読書会のテキストにし、認知症への理解を深め、
人間の本質を考えてみたいと思います。
最後に本書を読む上でのアドバイスを。
本書は、全体としてのまとまりが弱く、読みにくい部分があります。
特に本論である、3章?5章の関係、
特に3章と4章の関係がわかりにくいと思います。
一番大事で核心的なのは3章です。ここだけでも読めますし、
ここをしっかり読むだけでも、圧倒的に学べると思います。
3章と4章の関係については、本書の続編である『認知症とは何か』
(岩波新書942) を読むとわかります。
つまり、大きく言って、中核症状(4章)と周辺状況(3章)との
区別なのだと思います。
本書に感動した人には、『認知症とは何か』を併読することをおすすめします。