11月 27

 「痴呆を通して人間を視る」(その4)
  7月の読書会(小沢 勲 著『痴呆を生きるということ』 岩波新書)の記録

7月の読書会のテキストは
『痴呆を生きるということ』(岩波新書847)でした。

その読書会の記録を、4回に分けて、掲載しています。本日は4回目です。

■ 目次 ■

 「痴呆を通して人間を視る」(その4)
  7月の読書会(小沢勲 著『痴呆を生きるということ』 岩波新書)の記録
  記録者  金沢 誠
 
5.読書会に参加しての感想
6.記録者の感想

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5.読書会に参加しての感想

 ・要は、生き方次第だと思った。自立した生き方ができるかできないか次第で、
  痴呆になるかならないか、また痴呆になった時に、どういう症状が表れてくるか
  が、決まると思った。それから、痴呆の人の心が見えるか見えないかも、
  その人の生き方次第だと思った。

 ・攻撃性は喪失感から来るという話しを聞いて、知り合いの事例で、疑問に
  思っていたことがあり、それが理解できた。

 ・痴呆症の人間というと、もうその人とは理解不能と考えてしまいがちだが、
  この本を読んで、こちら側の働きかけ方で、見えてくるものがあると思った。
  それから、自分自身の普段の人間関係を考えていく時の参考になった。

 ・攻撃性の心の裏に、寂しさと不安があるという所は、自分の経験で、
  よく分かった。こういう本を読んでいると、自分の行動の意味を、自分で
  理解することができるようになる。

 ・この本で取り上げられていることは、すべて自分の問題だったということに、
  自分一人で読んでいた時には気がつくことができなかった。「自分のなかで
  取り引きをしている」という話しでは、自分はこれをやっていると思った。

 ・自分の母親との関係のことを見直すことができた。

6.記録者の感想

 3年ほど前から、定期的に「社会人・大学生の学習会」に参加しているが、
 最近思うことがある。

 これまでの読書会では、東日本大震災関連の本が取り上げられてきたが、
 今回は、認知症の問題を扱った本が取り上げられた。だが、今回、この読書会の
 記録を作成していて思ったことは、どんな本を取り上げても、中井さんは、
 同じこと、一つのことを問題にしているのではないかということだった。
 それは、自立ということだと思う。
 痴呆になり、妻盗られ妄想などの周辺症状が出る人間と出ない人間の違いは
 どこから来るのか。それは、自立した生き方ができているかどうかということ
 だと思う。

 では、自立した生き方ができているとは、どういうことか。
 そのことを考えていて、思い出したのが、一年ほど前に、中井さんがゼミの場で
 話題にした「釜石の奇跡」のことだった。3月11日の地震の際、
 釜石の学校の生徒が、ハザードマップを鵜呑みにせず、自分で考えて判断し、
 津波から逃げて、自分の命を自分で守った行動は、自立した生き方の模範だと思う。

 それから、今年の5月、6月の読書会で、『福島原発事故独立検証委員会 
 調査・検証報告書』を取り上げ、そのなかで、「吉田所長や、菅首相は、
 自分の命をかけて仕事をした」という中井さんのコメントがあった。
 このことを考えていて、思い出したのは、2009年の6月の、佐藤優著
 『国家の罠』の読書会のことだった。そこで、中井さんが、その著者の生き方
 について、「圧倒的な自己相対化の力がある。自分の逮捕や有罪判決よりも
 大事なものがあり、そのために生き、闘っている。」とコメントしていたことを
 覚えているが、自立した生き方ができているということは、こういうことでもある
 と思う。そして、こういう生き方のできる人が、強い人間なのだと思う。

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