2010年から、私のゼミで関口存男の冠詞論と取り組んできた。不定冠詞論から始めて、定冠詞論をこの4月に読み終えた。
この世界一の言語学から学んだことをまとめておく。
1.名詞がすべてである ― 関口冠詞論から学ぶ ― 中井浩一
2.判断の「ある」と存在の「ある」との関係 中井浩一
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名詞がすべてである ― 関口冠詞論から学ぶ ―
中井浩一
目次
1.関口存男の冠詞論と闘う
2.定冠詞論のむずかしさ
3.冠詞論とは名詞論である
4.名詞論としての定冠詞論
5.名詞が抱え込んだ矛盾
6.附置規定の主述関係 →本日5月11日
7.言い換えにおける名詞の分裂
8.名詞の発展の3段階
9.名詞こそが運動している
10.関口の生き方
6.附置規定の主述関係
関口は「第1篇 前半 直接に規定される場合の定冠詞」と「第1篇 後半 間接に規定される場合の定冠詞」において取り上げられる名詞のすべてにおいて、そこに主述関係を見抜いていこうとする。
「第1篇 前半 直接に規定される場合の定冠詞」では特に附置規定が問題になる。
冠置規定と附置規定の区別は以下である
daßchöne Mädchen (冠置規定)
das Mädchen schön (附置規定)
関口は言わないが、この冠置規定と附置規定のいずれにも以下の主述関係が伏在している。Das Mädchen ist schön.
日本語でも同じで
白い雲が? 冠置規定
雲の白きが? 附置規定
この冠置規定と附置規定のいずれにも以下の主述関係が伏在している
「雲が白い」。
関口はこの附置規定の分析から始める。最初は、名詞が附置になる場合が取り上げられる。
「掲称的附置」
das Tier Mensch(人間という動物 )
der Begriff Staat (国家という概念 77ページ)が例である。下線部が附置規定
関口は、ここに Der Mensch ist ein Tier. Der Staat ist ein Begriff.という主語・述語関係(判断)、命名文が伏在する(内在する)と考える。
また、関口はこれを、名詞の特殊(個別)〔主語〕と普遍〔述語〕の2つの名詞への分裂として考える。(以上135,6ページ)
「人間(特殊)は動物(普遍)である」。「国家(特殊)は概念(普遍)である」。
私は、この「掲称的附置」は、命名文(判断)による名詞の分裂と統合を繰り返した中から、生れたものだと推測する。
このder Begriff Staat は、der Staat als Begriff であり、der Begriff des Staatesと2格(掲称的2格)で表現することもできる。ここにも主述関係がある。
この「掲称的2格」からは、2格が名詞の分裂を統合する役割を持つことがわかる。ここに「2格」の生成の意味があるのではないだろうか。
関口はさらにこのMenschやStaat を「人間ということ」「国家ということ」という掲称(概念を概念として際立たせる)としてとらえ、これを名詞だが、「省略された文章としての語局」ととらえる。こうして名詞から文章が生まれ、名詞を規定するdaß節が生まれるのだ。(関口は、dasからdaßが生まれたと推測している)
関口は、このdaß節とdaß節に規定される名詞との関係が並立関係から従属関係(主述関係)になることを説明する。これが主文と従属文への分裂の生成である(146、7ページ)。
関口は、名詞に文章が含みとして内在し、そこから主文と従属文への分裂が生まれることを示した。これによって、文が無限に立ち現われる可能性を証明した。この点で、関口はヘーゲルの判断論を超えていると思う。ヘーゲルは、文からなぜ複文が生まれるのかを示せていない。
関口は、西洋合理主義の生成を、このdaß節に規定される名詞との関係が並立関係から従属関係(主述関係)になったこと、つまりdaß節の独立に見ている。「客観化」「事実関係を事実関係として主観から独立せしめる」ことから科学精神が発生した、と説明するのだ。これは非常に面白い。
さらに関口は、ハイデガーがこのA als Bととらえる能力を、人間の論理的思惟の最も根源なものとしている(die Als-Struktur der Auslegung 147)ことを紹介する。
関口は、「第1篇 前半 直接に規定される場合の定冠詞」の「附置規定」を「掲称的附置」「掲称的2格」から始めるが、その後名詞を規定するものとしてdaß節、zuを含む不定句と述語句、関係節の順番に検討していく。これは名詞との主述関係が強い順で、zuを含む不定句と述語句は中間形態で、関係節では主述関係はなくなる。これによって関口は、名詞の分裂の基本が主述の関係、特殊(個別)と普遍の分裂であり、他の関係はそこから派生したものであることを示しているのだと思う。
なお、ここで関口が示した主述関係の伏在、普遍と特殊への名詞の分裂と統合が内在化した形態は、日本語では助詞のノとガが担っている。(ただし、助詞のノとガの原始的な姿に特に多く見られるので、例は上代語にかたよっている)
○の○ 花の美しき、我が背の君、花の生涯、雲の青雲、花の咲けば、
○が○ 嵐が丘、自由が丘、私が読んだ本
ちなみに、主述関係が伏在ではなく明示されるのは、普通の判断文であり、関口はそれを不定冠詞論で扱う。それに対応する日本語の助詞はハである。