松田道雄著『新しい家庭像を求めて』の読書会の報告 その1
6月21日(日)に、鶏鳴学園にて、松田道雄著『新しい家庭像を求めて』(筑摩書房 1979/12)の読書会を行いました。
もともと大学生・社会人ゼミ主催の読書会だったのですが、今回のテーマが「家庭論」でしたので、
鶏鳴学園(中学、高校生対象の塾)の生徒や保護者の方々にもご案内しました。
以下の「1.テキストと著者」はその案内文で、
「2.本書の読み方」は参加者に読み方のアドバイスをしたものです。
当日はゼミ生4人以外に、卒塾生(大学生)1人、生徒2人、保護者の方4人が参加しました。
10代から60代までが集って共に議論をするという、壮大で、異色の勉強会でした。
家庭というテーマが、すべての人に共通する、本質的なものであることを、改めて再認識しました。
こうした勉強会を、
今後も用意していきたいと思います。
この読書会の報告を3日にわたって掲載します。
本日は、以下の
3.「忠君愛国」に取り込まれた「家内安全」
まで。
■ 目次 ■
1.テキストと著者
2.本書の読み方
3.「忠君愛国」に取り込まれた「家内安全」 (中井の感想)
4.塾の保護者、生徒の感想
5.卒塾生とゼミ生の感想
(1)T君(大学1年生)
(2)加山 明
(3)畑間 香織
(4)掛 泰輔
(5)田中 由美子
6.おまけ
==============================
1.テキストと著者
少子高齢化社会を迎え、核家族のもとでは両親の介護の問題が深刻です。
私たち自身の老後にも不安があり、男性の定年後の夫婦の生き方の問題もあります。
そうした中で女性の生き方も改めて問われます。
子育てや子供の教育に関しても悩みは多いと思いますが、根底には母子一体化の問題があるように思います。
こうしたことを考えるために、松田道雄著『新しい家庭像を求めて』(筑摩書房 1979/12)を読みます。
1979年刊行の本で、少し古いのですが、根本的なところから家庭の在り方を捉えているので、本書を選びました。
戦後、家族や家庭の在り方に大転換がありました。
3世代の大家族から、核家族になり、マイホームや専業主婦が現れてきました。
そうした変化の背景やその意味を、本書はわかりやすく説明してくれます。
そこからどのような問題が生まれているかを考えてみたいと思います。
松田道雄(1908-1998)は、小児科医であり育児書『育児の百科』(1967年出版)はベストセラーになりました。
開業医として、地域の家庭の変容を見守り、母親、主婦の声に耳傾け、
さらに老人たちやその孫たちの思いもしっかりと受け止めようとしています。
また彼は京都大学の人文科学研究所のメンバーとして共同研究にも参加し、
広く人類の社会と歴史を研究しています。
そうした豊かな視点から、家庭問題を解明しているのが本書です。
2.本書の読み方
松田道雄著『新しい家庭像を求めて』は、読みやすくわかりやすく書かれた本ですが、200ページ以上あります。
読書会では読むテキストと論点を絞って議論したいと思います。
一「民主主義のなかの家庭」(前半)は、日本の家庭に敗戦後に起きた大きな変化をとらえたものです。
ここでは、「あなたの家庭はそれでよいか」は省略し、「マイホームと現代」と「親と子」と「一夫一婦制と性」を取り上げます。
「マイホームと現代」は、老人問題を考えています。老人介護の問題が緊急な課題となっている現代では、切実です。
「親と子」では、特に「父親考」が重要だと思います。「おやじと私」は松田自身の父親が書かれており、面白いです。
「一夫一婦制と性」では「自由と男と女」を読めば良いと思います。
二「母親たちの明日」(後半)は、いわゆる「女性の自立」の問題を扱っています。
ここでは「母親へのメッセージ」から「母性愛今昔」と「独立した個人として」と
「主婦の生きがいとは何か」と「子どもの文化・母親の文化」を読みたいと思います。
特に「主婦の生きがいとは何か」が重要です。
3.「忠君愛国」に取り込まれた「家内安全」 (中井の感想)
「家庭」論は、ムズカシイものです。
「家庭」については皆がよく知っているのですが、
その本質や問題を平易に説明するのは、至難の業です。
それを本書は、楽々と余裕を持って行っていることにまず、感心します。
これまで私が読んだ家庭論では、ヘーゲルの『法の哲学』の家庭論を別格とすると、
社会主義者の堺利彦の『家庭の新風味』がダントツです。
子どもを「次の時代の働き手」と規定し、それゆえに子どもとは人類と両親にとっての「夢」そのものであることを示します。
そこから「子どもは社会からの預かり物」として大切に愛し育てなければならないという規定。
それは「子どもを親の私物化することを許さない」というまっとうな方針を含みます。
こうした大きな原理原則を踏まえながらも、日常の基本的生活の実用書でもあります。
戦前に、こうした著書があったことを嬉しく思います。
本書は、それに匹敵するもので、20世紀後半の日本社会の家庭の大きな変化の本質と問題をあざやかに示しています。
特に、明治維新後の大きな変質の指摘にはうなりました。
明治維新の指導者(旧武士)たちは日本に近代国家を作るために、
それまで国民にあった「家」を守るための原理「親孝行(孝)」を基礎に置きながら、
天皇と国民を疑似親子関係とした「天皇制」の上に人工国家を作りました。
それはそれまでの「家内安全」の家族主義を国家規模にまで拡大するもので、
「孝行(孝)」の原理を、「忠君」の原理に取り込んでしまったものです。
国家を大家族としてとらえたのです。
これは上手いやり方でした。
ここから国家のためには「家」(両親、妻子)も犠牲にする「忠君愛国」の兵士と労働者が誕生し、
彼ら壮年の男子と家を守る女や年寄との分業も進み、
日本は近代化と戦争と海外の植民地化に向けて邁進することになりました。
もちろん「忠君愛国」は「家内安全」を犠牲にするところにしか成り立ちません。
敗戦後に生まれた核家族とマイホーム主義に対しても、松田の批判は辛辣です。
アメリカ占領軍は、封建制解体、家長による大家族制の解体の方針を出しましたが、
それを受けて、いっきょに3世代の家族のありかたが壊滅し、核家族とマイホーム主義が覆い尽くしました。
それは「強制」だけではなく、むしろ国民自身が望んだことでした。
これは封建制に対する民主化の「つもり」だったのですが、
それはあまりに短絡的で視野が狭かったと、松田は批判します。
人間は、子供時代と老年期に人の助けを必要とします。
そのために、人間たちは「家」を守ることを必要とした。
それを解体するのなら、老人が切り捨てられることになる、と松田は指摘します。
松田は、高齢者の「年を取ってから楽をする権利」は「基本的人権」だと主張します。
私は、こうした指摘を自分自身への厳しい批判として重く受け止めました。
松田は全体として常に「自立」「自己決定」「基本的人権」を問題にします。
それが生きること全体を貫く原則として示されていることに感心します。
それは松田自身がそう生きていることの表れでしょう。
彼は京大の人文研のメンバーとしても活躍していますが、もともとは町医者です。
そして、彼の父もまたそうであり、その父の方針から多くを学んだようです。
彼は患者の自己決定権を大切にしようとします。
「症状があっても、その症状が本人の現在の生活にとって支障になっていなかったら、
医者は治療という名で、その人の生活に立ちいるべきではない」94ページ
さらには「安楽自殺の権利を要求するところまでいかないのは、
自由意思で生きようという老人が少ないせいだろう」(61ページ)とまで述べています。
「ここまで言うか」と驚きました。
女性の自立についても、女性が外で働けば解決ではありません。
むしろ奴隷化が強まる可能性もあるのです。松田はそこを見逃しません。
「指図してもらわないと落ち着かないからというような自由恐怖症の女だけが働くことになれば、
女の地位は今よりよくはならない」183ページ
家庭の問題は、誰にも身近だからこそ、どうしても感情的になったり、一面的になりやすいものです。
本書は違います。
ここには広い視野に基づくおだやかさ、
過激な問題提起を含みながらも、人間を見つめるまなざしの温かさがあります。
それに改めて感心しました。
松田は何も触れていませんが、
本書の論考は、梅棹忠夫の「妻無用論」「母という名のきり札」に触発されて書かれたように感じました。
梅棹の問題提起を受け、その不十分さを補いながら、それをさらに客観的に深めているように思います。
松田の論考は70年代で終わっています。その先を私たちは進まなければなりません。
そこでは社会における「家族主義」を改めて問題にしなければならないと思います。
明治維新後に「孝行(孝)」が「忠君」に取り込まれたのは、
それほどに「家族主義」的な感情が私たちに強く作用するということでしょう。
それは身内の一体感を大切にしますが、ひとたび身内でないと判断すれば、徹底的に排除する論理です。
それは国家にも会社にも役所にも学校にも、マイホームにも根付いているのではないでしょうか。
そこを解決していかなければ「自立」「自己決定」は不可能であり、先の展望は開かれないと思います。
2015年7月5日