これまでは高校生を主な対象として親子関係を考えることが多かった。
高校生にとって、進学、進路の選択は重要だ。それは高校生が自分の人生を自分で選択すること。
つまり親の影響力から自立するための大きな1歩になる。
同時にそれは、親(特に母親)にとっては子離れという大きな課題であり、それは親の自立の問題なのである。
しかし、私の父が亡くなり、母が一人で暮らすことになった。その母をどう支えるかが一人息子である私の責務になっている。
また、中井ゼミで師弟契約をするメンバーの年齢も20代から50代までと幅広くなっており、
親の立場から成人後の子どもへの関わり方が問題になったり、高齢の親の介護や遺産相続の問題に直面したりするメンバーも出てくる。こうしたことを考えながら、親子関係のそれぞれの年代での課題、つまりその全体像がはっきりと見えてきた。
それをここでまとめておきたい。
本稿は2016年にまとめてこのメルマガで発表した。その後も、中井ゼミの参加者から親子関係の問題が繰り返し出され、
その都度その問題を考えてきた。基本の考えは変わらないが、その個々の意味が深められてきたように感じている。
そこで現時点での増補改訂版を出しておく。今後も、増補改訂を続けていくつもりである。
2018年6月11日
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親子関係はいかにあるべきか ? 親子関係の3段階の原理・原則 ?
中井浩一
■ 目次
0.はじめに
(1)親子関係の特殊性
(2)親子関係の原理・原則を立てるには
(3)子どもの本質、親(大人)の本質
1.第1段階 親>子どもの段階
(1)親子関係が親>子どもの段階
(2)子どもの尊厳を守る
(3)親(大人)が子どもにできる最大の教育
(4)子どもの自立と親の自立(子離れ)の問題
(5)子どもの進路、進学の選択
(6)緊急避難
※ここまでを本日に掲載。以下は明日
2.第2段階 親=子どもの段階
(1)親子関係が親=子どもの段階
(2)社会人としての関係、結婚後の関係
(3)子どもの自立が真に問われる
(4)親不孝と恩返し
(5)親子のつきあい方は両者の合意に基づく
3.第3段階 親<子どもの段階
(1)親子関係が親<子どもの段階
(2)老人の尊厳、自立・主体性をどう保障するか
(3)老後の問題の前に、定年後の人生という問題がある
(4)死に方、看取り方
(5)どのような社会を目指すのか
4.ことわり(男女の役割分担について)
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0.はじめに
(1)親子関係の特殊性
最初に確認しておきたいことは、親子関係は特殊な関係であり、もっと一般的な他者や世間とのつきあい方が、
ここではより厳しく、より深く問われるということだ。
親子の「つきあい」方は、親子関係以前に、その人の他者一般、世間との関わり方の原則とその能力の現れである。
他者一般ときちんとした関係を築けない人は、親子関係では一層、難しくなる。
なぜなら親子関係は血縁関係であり、その特殊性は、相手を選択できないことだからだ。
他者一般では、付き合う相手も、つき合い方も選択できる。それゆえに自分の価値観や原則を貫徹しやすい。
ところが、親子関係となるとその選択ができないのだ。
つまり、親子関係をきちんとした原則で律するには、そもそも他者一般と対等な大人同士の関係を築けるかどうかが
問われるのだ。そこでは意見の違いをどう解決してきたか。どう解決しているか。相互の関係の問題をどうとらえ、
どう解決してきたのか。
他者一般と対等な大人同士の関係を築ける人が初めて、親子関係でもきちんとした関係を築ける。
(2)親子関係の原理・原則を立てるには
親子関係の原理・原則は、親としての子育ての悩みなどから自覚されるのが普通である。
しかし、それらは緊急的な問題で応急処置が求められることが多く、本質を深くとらえたものにはなりにくい。
親子関係の原理・原則を立てるためには、子どもの本質の理解、さらには家族と社会の関係の本質、
結婚つまり夫婦関係の本質などが前提となる。
結婚する二人は、「その結婚の目的が何なのか、なぜこの相手でないとだめなのか。2人で何を実現しようとするのか」、
こうした点を話し合い、その一致を踏まえて結婚できると良い。しかし、実際はそうではないことが多いだろう。
すべてがあいまいで、相互理解が不十分なままに結婚生活が始まり、その後にさまざまな問題が起こる中で、
改めて自分と相手を見つめなおしていくことになるのが普通だ。
子育ても同じだろう。夫婦間での十分な理解や話し合いなどはないままに、子どもが誕生し、子育てが始まってしまう。
その後、様々な問題が起こる中で、本質理解や原理・原則の必要性が自覚されていく。
そこから、何度でも、原理・原則の見直しをし、本質理解を深めていくしかないだろう。
(3)子どもの本質、親(大人)の本質
子どもの本質とは、未来の社会の働き手、その変革の主体である。
親(大人)の本質とは、現在の社会の働き手、その変革の主体である。
これはそもそもの人間の本質が、社会の働き手、その変革の主体だということから出てくる。それを現在実行しているのが
親の世代であり、それを過去において行ったのが祖父母や先祖たちであり、それを未来に行うのが子どもや孫の世代なのである。
なお、ここにはいくつかの前提がある。
まず、個人も社会も成長・発展していくという前提である。ここから「変革」という規定が生まれる。
そしてこの発展という考え方から、近代以前と近代以降の社会の違いが考えられなければならない。
人類において、家庭・家族が社会の維持発展に欠かせない基底である点は変わらない。家庭・家族の役割は、
大人という現時点の働き手を、日々精神的に肉体的にケアして社会に送り出すと共に、未来の働き手である子どもを
育てることである。したがって、社会は自らの存立を支える家庭・家族を守り育てる責務を持つ。
以上を前提とした上でだが、近代以前と近代以降には大きな違いがある。
人間の社会全体を考える時、そこには社会と家族と個人との3項があるが、近代以前は家族(血縁・地縁)を基礎として
社会が成立していた。つまり「社会>家族>個人」の関係であった。
近代以降は家族(血縁・地縁)ではなく、個人こそが社会の構成単位となっている。
つまり「社会> 個人>家族」の関係である。
近代以前では家制度があり、個人はあくまでも家を代表する存在でしかなかった。その社会は身分制社会であり、
家族は身分制度の中に位置付けられており、その枠を個人が超えることは不可能だった。
しかし近代以降は、家制度も身分制度も崩壊し、個人はあくまでも個人として働き、個人として評価される。それが人格の平等の社会、現代の資本主義社会、自由競争の社会である。
こうした社会を前提としたのが上記の定義であり、「社会の働き手」という規定である。
以上のようなあり方が近代社会であり、私たちはこの原理原則を前提として、今、生きているのである。
そして、そこでの家族の問題とは、「家族>個人」から「個人>家族」への移行・発展における対立、矛盾が制度面でも
意識の上でもあることであり、それが親子関係の問題を難しくしている。例えば、結婚は以前は家と家との関係の問題だった。
今では個人と個人の関係の問題なはずである。ところが今も「○○家と△△家との結婚披露宴」になっていないか。
さて、では以下で、親子関係のあるべき姿を3段階で考えていく。
「第1段階 親>子どもの段階」と「第2段階 親=子どもの段階」と「第3段階 親<子どもの段階」である。
この3段階は子どもの成長に沿ったものだが、同時に親の肉体的な衰えの過程でもある。
親子関係がこの3段階の過程で進行することは、人間の自然的で肉体的な過程を踏まえたものであり、
いつの時代でもかわらない。しかし、それぞれの段階の具体的な内実や課題はその時代と社会で異なる。
私たちが問題にするのは、現代の日本社会におけるあり方である。
1.第1段階 親>子どもの段階
(1)親子関係が親>子どもの段階
親は子どもを育て、教育する権利と義務を持つ。子どもは両親の保護下にあり、それがなければ死ぬ。
法律でも親の教育権、子どもの法的権利の代行を求めている。
親>子どもの関係
子どもは親の支配下にある。衣食住だけではなく、生き方、物の見方、価値観においてもそう。
(2)子どもの尊厳を守る
子どもの尊厳性の根源は、未来の社会の働き手ということから生まれる。
子どもは両親の所有物ではない。子どもは神からのさずかりもの、社会からの預かりものであり、
次の社会の働き手、その変革の主体として育て、教育し、社会へと返すものである。(この考えは堺利彦が明示している)
子どもと親とは別人格であり、ともにその尊厳性(社会の働き手、その変革の主体)を認め合うことで、
その関係は確かなもの、豊かなものとなる。
(3)親(大人)が子どもにできる最大の教育
大人(親)の尊厳性も、子どもと同じく、社会の働き手、その変革の主体であることから生まれる。
それが、時間的に現在と未来の違いがあるだけである。
親は、第1に現在の社会の働き手、その変革の主体として、立派に生きなければならない。そしてこのことが、
親として、子どもに対してできる最大、最高の教育である。
子どもは親の背中を見て育つ。親の生き方を見ながら、自分の将来の準備をしていく。子どもの教育を真剣に考えるならば、
まずは親自身が立派に生きて、1つのモデルを示すことである。それ以外のことはすべて、副次的ことだ。
(4)子どもの自立と親の自立(子離れ)の問題
子どもの自立とは、未来の社会の立派な働き手、その変革の主体になることだが、
そのためには、子どもが自分自身の夢とテーマを持ち、それを生きる覚悟と能力を持つことが必要である。
そのためには、子どもが親から自立する過程が必要で、それを保障しなければならない。
それが難しい。
子どもの側では、親から承認されたいという強い欲求があるからだ。この承認欲求がどれほど強いものかを、
深く理解する必要がある。兄弟姉妹で、親からの承認欲求をめぐる争いと、その後遺症の大きさを理解しなければならない。
この両親や世間からの承認欲求は、成長への動機にもなるが、阻害の動機にもなる。この真の克服は、
両親や世間の価値観とは独立した自分のテーマと思想を確立することになる。
また、子どもの自立が難しいのには、親の側にも大きな問題がある。
親もまた自立(子離れ)できないでいることが多いからだ。
親は子どもへ過干渉、過保護になりやすい。
しかし、一見、その逆の放任や放置が正しいわけではない。親自身の考えをきちんと説明し、
子どもの言動で批判するべきは批判する。問題提起をするべきだ。おしつけと、適切な意見や批判提言の違いを理解し、
適切な距離の取り方を考えるべきだ。
母親が子育て、教育を自分の仕事、役割としている場合、子離れは難しい。失業になるから。
母親は子どもと一体の関係になりやすい。親子の間の共依存関係になりやすい。母親と息子の関係よりも、
母親と娘の関係の方が難しい。同性ゆえに、距離が取りにくい。
父親は社会での仕事があり、仕事の目標やテーマを持つことが普通であり、子育てを仕事としていないので、
子離れはしやすい。
両親の子離れの過程での父親の役割は、母子の一体関係を壊し、母親と子供の両者が自立していくことを支えること
(5)子どもの進路、進学の選択
子どもが自立する過程では、経済的援助を含めて、親からのさまざまな支援が必要になる。
そこでは親が、子どもの進路、進学で、親の意向による方向付けをしようとしがちだ。
しかし、自立とは、親の価値観や思想からの自立をも含む。
それなしで、子どもが未来の社会の立派な働き手になることはできない。
未来には未来のための新たな価値観、新たな目的、新たな思想が必要なのだ。
親が子どもを支援するのは、親の価値観に従わせるためではない。子どもが未来の社会の立派な働き手になるためである。それによって人類と社会に貢献するためである。
子どもは、そのことを忘れてはならない。
たとえ、親の意向や希望と違っていても、子どもは自分自身で進路、進学先を選択しなければならない。
自分自身の夢と目標を作り上げ、それを未来に生きるためである。
進路、進学の最終意志決定は、その責任をとることが可能な本人がするべきである。
親は先に死ぬのが普通であり、その責任を取ることはできない。
(6)緊急避難
児童虐待などの暴力や養育のネグレクトなど親の側の問題が大きい場合、社会が子どもを親から引き離し、
守らなければならない。
※注釈
家庭・家族は社会から独立した存在であり、公的権力から守られなければならない。
しかし、家庭内で犯罪が行われている時は、子どもを守ることが優先されなければならない。
子どもには何ができるだろうか。残念だが、子どもは親を変えることはできない。
子どもは自分自身を守るために、児童相談所などの公的施設に助けを求めることができる。
場合によっては、緊急避難的には家出をし、一方的に親子関係を切り捨てることもできる。
一般的には社会人となり、経済的に自立すれば、親から独立できる。
※明日につづく。