「戦術論か本質論か」(その3)
4月の読書会(大鹿靖明著『メルトダウン』講談社)の記録
記録者 掛 泰輔
■ 目次 ■
4、各部の検討
(3)第3部「電力闘争」
5、参加者の感想(読書会を終えて)
6、記録者の感想
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4、各部の検討
(3)第3部 「電力闘争」
・経産省は浜岡原発の稼働を停止することによって、他の原発を動かそうと考えた。
しかし菅は暴走した。それで菅降ろしが始まった。これは事実として正しいのか。
<登場人物の理念のなさ>
・登場人物の能力がないとは思わない。しかし、日本のエネルギー政策が本来は
どうあるべきかを考え、そういう信念に基づいて行動している人が出てこない。
<役人、官邸、著者は終始一貫、戦術論>
・P250、浜岡を止めるときに寺田(衆議院議員)が、「浜岡を止めたら、
他の原発はどうするかという話になりますよ。そうすれば国のエネルギー政策を
どうするかという話に必ずなる。そのへんを詰めたうえで言ってるんですか」
と言って枝野に反対した。
・海江田や松永(事務次官)、柳瀬(官房総務課長)、枝野も、「今言わないと、
つぶされるから」やっているように、すべてが戦術論だけで流れていっている。
・役人も戦術論しかないが、官邸の中も終始一貫、戦術論。
・しかし一方で、取材者が本質論を深めるような取材をしていないんじゃないか、
とも思う。本質論があったとしても、それを取材者が見逃しているのではないか。
官邸や霞が関の中には優れた人もいるはず。
<著者の一貫性のなさ>
・P271、著者は一方で孫(正義)さんを持ち上げて、他方で「政商」だとか、
「彼一流の計算高さ」だとかいって貶めているが、いったい何が言いたいのか。
孫さんは一貫してビジネスマンとして当然のことをやっている。
著者が何を言いたいのかわからない。
→電力という国家の基幹たるものを、孫さんのようなビジネスマンに渡しかねない
ことを喜んでやる菅直人に問題を感じる。そういう人からどう守るかが大事なのに、
上っ面のところで意気投合することに問題を感じる。
・経産省の人間が本当に日本国家のために動いていたか、だと思う。
私はどっちもどっちだと思う。だとすれば周りが有象無象で動いている連中
ばかりだから、孫さんは大きい存在だったのではないか。
逆に言うと経産省で本当にちゃんと考えているやつが出てこない。
<欧米のパクリ>
・P319、「逆に言えば、海外の先進国に受け入れられるような日本発の政策は
皆無に等しいのである。政策はいつも輸入で、輸出はないのだ。
発送電分離は英国のサッチャー改革で取り入れられ、西欧諸国に広がった。
再生可能エネルギーの導入はドイツやスペインで広がり、同様に欧州諸国で普及した。
先駆的に見える政策は海の向こうで始まり、日本の政策立案能力は圧倒的に劣っている。」
・官僚、政治家、学問もこれと同じで、外国のをパクっている。
逆に言えば本当の日本のあるべき姿を打ち出して、それがヨーロッパ、
アメリカが学ぶような政策、理念にならないといけない。
・終身雇用や年功序列を今の時代にそのまま持ち越すことは不可能だったと思う。
あれはあのときにしか有効ではなかった。今の時代で日本のあるべき姿を出して
いくべき。
<批判のための批判>
・(P319の引用に続いて)「だから結局彼らは天下りをするしか道がなくなる」
とあるが、相対的に能力の高い人が活用されるのは当然。
こういうのは批判のための批判。逆に言えば、役人は定年後どう生活しろと言いたいのか。
霞ヶ関には能力の高い(与えられた課題を、与えられた条件で、考えるときの能力)人が
集まっている。
・こうした能力も、絶対的な基準からいえば「低い」ものだが、それを批判する資格が
ある人は限られる。
5、参加者の感想(読書会を終えて)
・登場人物が理念ではなく戦術論で動いているのは、著者がそういう人物を選び取って、
あるいは本質論をやらない著者の「類は友を呼ぶ」でエリート批判をしていることが
そもそもダメだと思った。(大学生)
・どうやって情報を得ているのか気になった。ここまで食い込んだ取材を著者に
させているのは何なのか、と思った。
経産省の実態とともに、メディアが情報源の官僚や政治家に踊らされているなと
思った。それに情報を得た瞬間に他紙よりも一刻も早く載せよう、ということしか
頭になく、それを報じる責任なんて考えてないんだと思う。
自分たちの社会的影響力を自覚していないと思う。(社会人)
・(中井)戦術論と本質論を分けて、本質論を深めていくような意識が強くなければ、
目の前にある戦術論に飛びついてしまう。
経産省の内部の情報をとることがそんなに大変と思わない。彼らは取材を
受けるのが好き。基本的には断らないと思う。
財務省は断る。財務省は情報を出すのに統一が取れている。
しかし財務省のように完全に統一が取れているのが良いことで、経産省のように
ぽろぽろ出てくるのが悪いと言えるのか。
・今回東電の会長が下河辺さんに変わったが、あれは東電と経産省の戦いで
経産省が勝ったということなのか?会長が変わっただけでは東電は変わらないのか。
(浪人生)
・面白いとは思ったが、よく言葉にならない。(社会人)
・人は自分のいる組織に相当制約を受けるものだと思った。(社会人)
6、記録者の感想
(1)戦術論
私は今回の『メルトダウン』を一人で読んでみて、ただ漠然とエリートの
能力のなさ、保身、責任転嫁、精神の堕落を感じていたところがあった。
しかし読書会で読むとそれらは中井先生のいう現象論をただなぞっているだけで
あって、本質論として不十分で、区別なく書かれていることがわかった。
私ははじめ、そこに問いを立てることができなかった。現象論と本質論の区別が
そもそもなかったからだ。例えば清水社長が入院中に住宅ローンを全額返済するのも、
トップなのに大事なときに倒れてしまうのも、全部ダメだと思っていた。
今回の読書会の収穫の一つは、具体的な場面から何が現象論で、何が本質論か、
を少しでも実感し理解できたことだ。
(2)命の問題
「命をかけてでも守らなければならないものがあるのか、ないのか」という問いで、
ある人を思い出した。3月の読書会で読んだ『ナインデイズ』の主人公の秋冨医師だ。
彼はそれがあったからこそ、JR福知山線の脱線事故の際に命がけで現場に飛び込んだの
だろうし、3.11直後、岩手県庁で医療班として震災の対応に当たれたのだと思った。
それは使命感といえるかもしれない。
今の私にそんなものはない。
しかし今回の読書会を通して、自分の中に種のようなものはまかれたと思う。
命より大切なものがある生き方を選ぶのか、選ばないのか、という問いの種だ。
(3)似非民主主義について
「国(東電)のために死ね」と吉田所長に押し付けた責任を、勝俣会長は
どうとるんだろうか、という中井先生の指摘にはっとした。これはレベルこそ違えど、
私にも突きつけられている問いだと思ったからだ。
当時吉田さんに死んでもらうことを迫り、また現在も刻一刻と福島原発の作業員に
放射線を浴びせ続けている責任を、私はどうとるんだろうか。
私がこれから大学で4年間学ぶものは、この問いの答えにならなければならないのでは
ないか。そういう問いが生まれ、突きつけられた読書会だった。