10月 05

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その2)  中井 浩一

■ 目次 ■

第2節 『生物の世界』から学ぶ
1.一元的世界と生物の主体性
2.無生物から生物の生成
3.環境の主体化はつねに主体の環境化である

なお本稿での『生物の世界』からの引用は「 」で示し、
講談社文庫判のページ数を付した。
引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけ、
中井が補った箇所は〔 〕で示した。

================================

第2節 『生物の世界』から学ぶ

1.一元的世界と生物の主体性

 今西の学問の本質を『生物の世界』で考えてみたい。
まずその凄みだが、それは物事をその根源から考えようとする姿勢から
生まれていると思う。その根源的思考は、地球上のすべてが、もとは
1つのものから分化した。この原理からすべてを導出していることから生まれる。

「この地球の変化を、〈単なる変化〉と見ないで、やはり一種の
〈生長とか、発展〉とかいうように見たいのである」。
「この世界を構成しているいろいろなものが(中略)
〈もとは一つのものから分化し、生成したものである〉。
その意味で無生物といい生物というも、あるいは動物といい植物というも、
その〈もとをただせばみな同じ1つのものに由来する〉というところに、
それらのものの間の根本関係を認めようというのである」。(13,14ページ)

これは壮大な一元論である。それは内在的であり、中心を持った発展を考えている。
そこには主体性が働き、個別性がある。ヘーゲルと非常に近い立場であることに驚く。
(しかし、今西は「単なる変化」と「発展」の違いと同一について突き詰めていない
と思う。この点は後述。また今西はヘーゲルは読んでいないようで、
西田幾多郎からこうした考え方を学んだようである。)

その徹底した一元論にも驚くが、私が感嘆するのは、その原理を
生物の世界の発展に応用してみせる手さばきの見事さである。
今西が借り物の思想を使っているのではなく、彼の血肉化した思想を
自由に駆使していることがわかる。だから文章はエッセイの様であり、
彼の肉声が響いている(他者からの引用が一切ないことには驚く)。

今西は生物の進化に生物の主体性を認める。それは生物の外界の認識、
同時にそれへの反応(行動)を認めることだ。今西はそれを生物の同化と
異化作用というもっとも根源的レベルで考える。

「〈認識する〉ということは単に認めるという以上に、すでにそのものを
なんらかの意味において自己のものとし、または自己の延長として感ずる
ことである」
「〔生物にとって〕食物とは体内にとり入れられなくとも、生物がそれを
食物として環境の中に発見したときにすでに食物なのであるからして、
生物が食物を食物として〈認めた〉ということはすでにそのものの生物化の
第一歩であり、同化の端緒であるともいえよう。こうして生物が生物化した
環境というものは、生物がみずからに同化した環境であり、したがって
それは生物の延長であるといい得るのである」。(62,63ページ)

これが今西の「認識」という理解であり、「汗が出ること」(74ページ)、
「痛いところをなめること」(68ページ)も生物の外界の認識であり、
同時にそれへの反応(行動)である。こうした根源的なとらえ方は、
ヘーゲルが目的論という人間だけの活動領域を、すべての生物に共通の
「衝動・欲求」というレベルから説き起こすことを想起させる。

今西は、こうした理解から、次のように言う。
「生物にとって生活に必要な範囲の外界はつねに認識され同化されており、
それ以外の外界は存在しないのにも等しいということは、その
〈認識され同化された範囲内がすなわちその生物の世界〉
〔いわゆる環境であり、生態系のこと〕であり、
〈その世界の中ではその生物がその世界の支配者〉であるということ
でなかろうか」(62ページ)。

今西は、ここから生物の生活(生態)と生物の肉体(その形)が
一体であることを示す。つまり分類学(死物の学)は生態学(生物の学)
に止揚される。これが分類学(死物の学)と生態学(生物の学)の関係という、
当時の生態学の課題の1つへの回答だったろう。

そこには壮大な一元論が展開することになる。
「生活するものにとって、主観と客観とか、あるいは自己と外界とかいった
二元的な区別はもともとわれわれの考えるほどに重要性をもたない
のではなかろうか」。(62,63ページ)

2.無生物から生物の生成

 こうした一元的な発展論のためには、地球の発展から生物が生まれたこと、
無生物から生物が生まれたことを説明する必要がある。今西は生物の成長の
現象にも、死んだ後の解体の現象にも同じ構造を示すことで、その説明をしている。

「それ〔死〕は確かに生物としての構造の破壊であり、その機能の消滅を
意味する。しかしそれによって生物が生物でなくなるということがただちに
構造そのものの消失、機能そのものの消失ではない。解体が行なわれると
いうのはすなわち〈生物的構造が無生物的構造に変る〉ことであり、
〈生物的機能が無生物的機能に変る〉ことである。生物として存在するときには
それでよかったが、無生物ということになってしまうと
〈無生物的存在として安定であるような構造なり機能なりが得られるところまで、
解体が進み変化が生ずる〉ものと考えられる」。

つまり「生物の生長という現象も、この構造自身が絶えず変化し更新して
行くゆえに構造的即機能的であるといい得るものならば、
解体の場合だってやはりその構造自身が絶えず変化して行くゆえに、
それは構造的即機能的現象なのではなかろうか」。(45,46ページ)

生物は死後には無生物的存在に戻っていくことが示されるが、
それが逆に、無生物から生物が生成した証明でもあるのだ。
ここにはヘーゲルの「止揚」と同じ考え方が展開されている。

ヘーゲルならこう言うだろう。
「無機物の真理が有機物であり、生命(細胞)である。
その生命の真理は植物であり、また動物であり、さらには人間である。
したがって人間の中には、動物が、植物が、物が止揚されている。
それは人間が壊れていく過程で明らかになる。
人間は、自意識を失えば動物に戻り、次には植物人間となり、
最後は物に戻る」と。

生物の進化の過程はその肉体によく現れている。今西はこう言う。
「生物というものは、その〈身体を唯一の道具とし、また手段として
生きて行かねばならない〉ということである。しかもその身体と
いうものは親譲りの身体であり、その〈身体のうちに、彼の祖先たちが
経験してきた歴史のすべてが象徴されている〉ともいえよう」
(143ページ)。

「個体発生は系統発生を繰り返す」とは有名なテーゼだが、
生物の個々の肉体にも系統発生の過程が刻印されているのだ。

3.環境の主体化はつねに主体の環境化である

 こうしてすべてが物=無生物から生まれたとなれば、これは唯物論であり、
唯物史観になっていくだろう。だから今西を読んでいると、
ヘーゲルと同時に、マルクスが想起されることが多い。

「環境の主体化はつねに主体の環境化であった。身体の環境化であった」
(143ページ)。
これはマルクスの労働過程論を彷彿とさせる。
そしてこの「環境の主体化=主体の環境化」という原理を具体的に展開した
のが、今西の生物社会論なのだ。

今西は、進化を「世界の不平等」から説き起こす。「不平等」とは、
地球上の状態がどこも違うことだ。
「われわれの世界というものは根本的に不平等な世界であり、
不平等はわれわれの世界が担っている一つの宿命的性格であるともいえる」
(100ページ)。
「しかし私はこの不平等さのゆえに、かくも多種類の生物がこの地球上に
繁栄し得ているのだといいたいのである。すると問題は生物がこの不平等さを
どのようにして彼らの生活内容にまで取り込んでいったかということになるで
あろう」(101ページ)

今西はこの問いへの回答を出すために、次の3つのレベルを想定する。
個体と種、同位社会、同位複合社会である。そしてそれぞれのレベルと
その関係性を解明する。

個体と種の関係は
「〔個々の〕生物が〈いたずらな摩擦〉をさけ、〈衝突〉を嫌って、
〈摩擦や衝突の起らぬ平衡状態〉を求める結果が、必然的に
同種の個体の集まりをつくらせた」(88ページ)。これが「種」だと言う。

「種の分化が進まないで、どこまでも相似た生活形をもち、どこまでも
相似た要求を満たそうとするもの同士(類縁の近しい間柄)が同一地域に
共存し、しかもその共存によってお互い同士の間の平衡を保ち得る途
というのはただ一つよりない。それはお互い同士が同じ生活形をとり、
その生活に対して同じ要求をもつようになることである、すなわちそれは
〈同種の個体となってそこに種の社会を形成する〉ことにほかならない」。
(102ページ)

こうした種の内部の個々の生物の間では分業はないと今西はいう。
したがって、これは「未発展」「未完結」のものと今西は言う。

 これに対して、種の分化、分裂が起こり、その両者が
「お互いに相容れぬものであったならば(中略)同じ傾向をもったもの同士が
相集まるようになる」。「そうすることによって〈無益な摩擦をさけ、
よりよき平衡状態を求めよう〉というのが、生物のもった基本的性格の
一つの現われでなければならない」(102,103ページ)

「この二つの社会はその〈地域内を棲み分ける〉ことによって、
〈相対立しながらしかも両立する〉ことを許されるにいたるであろう」
(103ページ)。
これが今西の「棲み分け理論」であり、その結果生まれるのが
「同位社会」である。

同位社会は種社会が分裂して複雑化したものだが、平面的な棲み分けに
とどまり、分化や分業の観点では未発達で未完結だと今西は言う。

 ある地域内の複数の同位社会の間にさまざまな分業が行われ、
その結果「共存」「平衡」が実現した状態を、今西は「同位複合社会」
と呼ぶ。その分業の中で大きなものが「食うもの食われる物の関係」だ。
それは「支配階級と被支配階級」の関係でもある。「食い方の違い」に
よる分業もある。

同位複合社会はさらに大きな地域を全体とする同位複合社会を形成して、
発展していく。それは地球規模に至って完結する。

これが今西の考えだ。これは結局は、進化とは棲み分けの密度化であり、
「多種類の生物がこの地球上に繁栄する」ことだと言っているのだろうか。
どうもそうらしい。

 進化をめぐる、ヘーゲルやマルクスと今西との違いは、生物内部の
対立や矛盾の位置づけにある。

ヘーゲルやマルクスは、対立・矛盾から生まれる運動にこそ、
発展の核心を見ようとする。対立・矛盾から生まれる運動が発展を
引き起こす。この立場なら、研究・調査の中心は対立・矛盾の運動に
焦点化されるだろう。

今西も対立・矛盾を認めるのだが、そうした断絶よりも、その結果
生まれる平衡を重視しているように見える。その時、研究・調査の中心は
対立・矛盾が止揚された後の状態に焦点化されるだろう。
ここが大きな違いだ。

今西は対立や矛盾を見ないのではない。しかし、「いたずらな摩擦をさけ」
とか「無益な摩擦をさけ」とか言う時の、「いたずら」か否か、
「無益」か否かの客観的な基準は示されない。

ただし、今西は「甘ったれた」エコロジストではない。たとえば、
今西は「食うもの食われる物の関係」を同じ類縁内に見る。
ある生物の種が繁栄し、高い繁殖率を維持して飽和状態になろうとするとき、
どうするか。

今西は言う。「もとのままの繁殖率をつづける場合には、この世が
いわゆる生存競争の修羅場と化するだけであって、それも
〈無益な抗争を好まぬ〉生物にとってはふさわしからぬことであろう。
だからこの矛盾の、生物らしい円満な解決というのは、その生物社会が
食うものと食われるものとの分業に発展することによって、
繁殖率を減退させずともその飽和状態を持続すむことにあるだろう」
(118ページ)

今西の言うところの「無益な抗争」を避けるためには、
共食いも辞さないのだ。そうした厳しい社会の中での「平衡」を
今西は考えている。
 

10月 04

今年の5月の読書会で今西錦司著『生物の世界』(講談社文庫)を読んだ。
私(中井)が京大の学生だったときに、今西グループの文化人類学者・米山俊直から
強く勧められ、ぱらぱら読んだ記憶がある。そのときは、あまりわからなかったと思う。

 しかし、当時の私は今西の高弟である梅棹忠夫のファンだったから、当然
その親分である今西についてもいろいろと知ることになり、すごい人らしい
とは思っていた。1974年から刊行された全集も2冊購入している。
しかしそれらは積読で終わっていた。ただ気にはなっていた。

今回、鶏鳴学園の中学生クラスのテキストとして検討したいという理由から
読んでみたのだが、圧倒的なすごみと面白さを感じた。

 それは現在読んでいるヘーゲルの目的論、マルクスの労働過程論と、
あまりにも強く響き合ったからだ。それらを考えている今、読んだのでなければ、
またずいぶん違った印象になったかもしれない。

 なお本稿での『生物の世界』からの引用は「 」で示し、
講談社文庫判のページ数を付した。
 引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけ、中井が補った箇所は〔 〕で示した。

■ 全体の目次 ■

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ    中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』
1.『生物の世界』の凄さ
2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 

第2節 『生物の世界』から学ぶ
1.一元的世界と生物の主体性
2.無生物から生物の生成
3.環境の主体化はつねに主体の環境化である
4.「支配階級」の交代
5.人類の誕生
6.相対主義への転落
7.仲間や師弟関係の問題

第3節 高度経済成長と今西の仲間たち
1.逆転
2.桑原武夫の功績
3.文明論の大家・梅棹忠夫
4.大衆社会の到来
5.時代の代弁者たち

──────────────────────────────────
■ 本日の目次 ■

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その1)   中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』
1.『生物の世界』の凄さ
2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 
===================================

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ 
             中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』

1.『生物の世界』の凄さ

 これは凄い本である。この本のどこがすごいのか。それを簡潔に説明する。

 まず、物事の本質を根本から、根源的に考えている。したがって、
ヘーゲルやマルクスと非常に近いところにいることがわかる。
もちろん、突き詰めていけば、その違いもまた明確で、今西のあいまいさや
中途半端さも見えてくる。しかし、それにも関わらず、その根源に迫ろうとする
迫力は大変なものだし、生物学、生態学の分野でヘーゲルやマルクスの理論を
具体化している点からは学ぶべきものが多い。これについては第2節にまとめる。

 しかし、こうした点だけならば、著者が西欧人だったとしても同じことが
言える。ここで、今西が日本人であることを思ってみる時、その凄みは一層
明確になるだろう。

 明治以降の後進国日本は、西欧からの先進的な学術や技術の輸入に追われてきた。
したがって、そこにはいつも夏目漱石の言う「他者本位」と「自己本位」の
矛盾の問題があった。「依存」と「自立」の葛藤である。日本の学者のほとんどは、
西欧研究者の「猿まね」であり、その翻訳者であるにすぎなかった。
そうした中にあって、今西は屹立している。その自前の思想のレベルは、
当時の世界水準を大きく超えていただろうと推測する。

 その自立性、その強烈な主体性は、本書の「序」によく出ている。
本書の刊行は1941年(昭和16年)。今西は、太平洋戦争への
出兵を目前にして、遺書のような思いで本書を書いたようだ。
「私はせめてこの国の一隅に、こんな生物学者も存在していたということを、
なにかの形で残したいと願った」(3ページ)。
本書には他者からの引用が一切ない。すべてが自分の言葉で書かれている。
だからこそ、今西はこうした学術書を「私の自画像」(3ページ)と
呼べるのだ。まさに「私」の自画像なのだ。
彼にとって、学問と自分は一体なのだろう。
彼の生き方とその学問は1つなのだ。
そうサラッと言える人がどれだけいることだろう。

 事実、この本は彼自身の人生の危機を前にした遺書であると同時に、
生態学そのものの危機を前にした提言書でもあるようだ。
「生態学という、実に広い未開拓の野に踏み込んで(中略)
差し迫った問題に関連して」(4ページ)書かれている。
だから本書では問いが沸き立っている。答えが噴き出している。
当時の生物界の抱えていた問いはもちろん、誰も疑問を待たないで
見過ごしていることに今西独自の問いが次々に立てられ、それに
片っ端から答えていく。その答えは、それぞれ面白く、納得できる。

 やはり、本書は大変な本である。重厚で圧倒的な迫力がある。

 それにしても驚くのは、当時の日本で、自前の学問をつくりあげ、
そのレベルが当時の世界水準を大きく超えていたような人がいたことだ。
それはなぜ可能だったのか。

2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 

 今西 錦司(いまにし きんじ、1902年?1992年)は、京都西陣の有名な織元
「錦屋」の長男として生まれ、京都という千年の都で、由緒ある商家の
ボンボンとして育った。旧制京都一中、三高、京大と進学したのはエリートコース。
その一中以来の親友が第一次南極越冬隊副隊長を務めた西堀栄三郎。
その三高以来の親友が桑原武夫〔第3節の2で説明する〕。
3人は三高で山岳部を立ち上げ、その後京大学士山岳会を創設し、
ヒマラヤ登山など日本の山岳史上に大きな実績を残した。

 今西を考えるときには、大きく2つの側面を考えるべきだ。

 1つは登山家、探検家としての側面、もう1つは学者・研究者としての側面だ。

 今西のユニークさは、登山家・探検家の面の方こそが中心であり、
研究者の側面は副次的なものだった点だ。山=自然こそが主なのだ。
これが彼の学問のユニークさであり、当時にあっては(今も変わらない)
異端的な存在だった理由だろう。

 登山家、探検家としては、国内で多くの初登頂をなし、海外では
1932年、30歳の年に試みた南カラフト東北山脈の踏査を皮切りに、
36年の冬季白頭山の踏査、38年の内蒙古草原調査、
41年のポナペ島生態調査、42年の北部大興安嶺探検、
44年の内蒙古草原調査と続く。

 戦後も、その勢いは衰えるどころか加速する。
52年にマナスル登頂の準備のためにヒマラヤに初登山、
55年にはカラコルム・ヒンズークシ学術探検、
57年に東南アジアの生物学的調査、
58年以降にアフリカにおけるチンパンジーと狩猟民族の調査と続く。

 今西たちの登山、探検のレベルは世界水準のものであり、
そこに西欧コンプレックスが入る余地はない。彼には第1級のレベルの
仲間たちがいたし、彼らを組織するリーダーとしての能力が鍛えられた。
それは現実と理想の間を強靭につなぐ力だ。
組織の運営と金の算段、海外での活動には国家規模での交渉が必要になる。
計画や戦略の立案と実現のための客観的な現状分析やそれを実現する
勇気や決断の能力だ。

 さて、今西にあってはこうした登山、探検がそのまま自らの
研究活動と重なり、その思想を鍛える現場になっている。そして、
彼の研究における仲間や弟子たちは、こうした登山や探検の仲間や
チームの一員であったことが特徴だ。
梅棹忠夫〔第3節の3で説明する〕、川喜田二郎、中尾佐助、吉良竜夫たちは、
みなこのチームから育ったのである。
逆に言えば、京大で長い間無給講師を続けていた今西には
規制の制度内での弟子はほとんどいない。

 研究者としての経歴は生態学者として始まるが、初期の日本アルプスに
おける森林帯の垂直分布、渓流の水生昆虫の生態の研究などは
すべて登山と結びついている。後者は住み分け理論の直接の基礎となった。

 その後の海外での探検の活動からは、生態学を越えて動物社会学、
動物社会から人間社会(遊牧社会)の研究へと進んでいく。
『生物の世界』はこうした過程での産物である。

 戦後はニホンザルの社会集団の存在を実証し、その構造や
文化的行動について明らかにした。その後アフリカの類人猿、
狩猟採集民の調査を通じ、これがサルから類人猿をへて
人類にいたる霊長類の進化の過程とそれぞれの社会構造を
テーマとする巨大な研究プロジェクトになっていった。
そこでは人間社会、人間家族の起源について研究までがおこなわれた。
この研究におけるチームの伊谷純一郎と河合雅雄、川村俊三などは
今西の長い無給講師時代の弟子として知られる。

 
 こう見てくると、今西の学問の特異性が良く理解できる。
それは、従来の日本のアカデミズムの狭い世界を大きくはみ出している。
狭く縦割りの専門分野、講座制という旧来の師弟関係、そうしたものと
無縁の経歴である。

 今西の学問は、世界中の現地調査によるフィールドワークを
基礎とするものである。それは観念論的な物の見方を壊し、
リアルな実証研究を根底に据えるものだ。しかし今西たちはそこに
とどまらず、共同討議を基礎にして、未知なる広大な領域、
巨大な思想領域にまで踏み込んでいる。
それは当時の日本が生んだ数少ない、自前の自立した、
そして世界的基準の研究だった。

 全世界をまたにかけた探検から生まれた研究は、動物も人間社会も、
空間的社会学も時間的な進化論や社会発展をも視野に入れている。
それは今西のように理系の自然科学を基底に置くが、
人文社会科学や思想の領域をも含んだ総合的な研究となる。

 登山や探検では目的を共有したチームとしての組織的な活動が基本になる。
そこから生まれる研究は、個々の研究者が孤独に取り組むものではなく、
集団的な討議が中心の共同研究になる。また、今西の仲間や弟子たちは
大学や学会と言った既成の枠組みとは無縁のところに形成されており、
登山や探検という生死を共にするような強固な仲間意識でつながれている。
それだけに強烈な師弟関係、盟友関係があったことがうかがわれる。
彼らをまとめて今西学派、今西グループなどと呼ぶらしい。

 私はそこに、もう一つ、京都という文化的背景があったと推測する。
京都の文化的サロン、そうした自由な討議の伝統だ。
彼らは京都の町衆の後裔としてのエリート集団だったのではないか。

3月 12

■ 目次 ■

1.危機にこそ本質が見える
2.「国家」が現れた
3.リスク管理
4.トリアージ
5.「自己完結型」の支援
6.「準備」
7.「普段から」
8.「性悪説」

7.「普段から」

人は「準備」していないことには対応できない。しかしそれは、緊急時に対する特別な準備に限定されないはずだ。むしろ、その人が「普段」から何を考え、どう仕事をしていたかがすべてを決めたと言える。なぜなら、普段やっていることの延長上のことしか、人はできないからだ。緊急時に発揮できるのは、普段から日常の中で行っていたことからおのずと出てくる能力、行為の範囲に限られる。
石巻赤十字病院の地域救急救命センターの石橋悟センター長は「日々の医療をきちんとやること、想定外への備えもその延長線上にしかないと思う」(186)と語っている。
私は2011年の12月に石井正医師にインタビューをした。彼の専門は外科なのだが、外科手術は予期しないことも起こるから、迅速な判断の連続だ。それゆえに最大限の準備(予習)が必要なのだ。「そういう意味で普段やっていることと、今回の震災後の活動は変わらない」と石井は語った。彼らの世界に「想定外」はない。
また、今回も被災地の県庁や市町村の「行政批判」がずいぶん多く行われた。被災した住民や医療関係者、ボランティアからの行政批判。マスコミもそれに加担した。もちろん行政には問題があった。その硬直した対応、時間がかかる対応には問題がある。しかし、行政もまた被災していた。問題があるのならば、それを解決できるのは被災した住民たち自身だけだ。そうした「自立的な」活動をしないでいて、行政批判をしていたならば、それは甘えであろう。普段から行政に依存していた「お上意識」の裏返しの役人批判ではないか。普段から「自立していた」人たちは、危機的状況下では行政を無視し、さっさと自分たちで動いたはずだ。そうした視点を出せないマスコミも同じ穴のむじなである。
県のコーディネーターとして任命されていた石井は、その肩書きを最大限利用し、「東日本大震災に対する石巻圏合同救護チーム」を立ち上げた。「行政も頑張っていましたよ。でも、避難所が300か所、推定死亡者数1万人。行政の力だけでは無理だし『私たちは医療者ですから医療以外のことはできません』とはいえないでしょう」(石井)。
今回の震災で問われたのは、私たちの現実への向き合い方なのではないか。現実を直視し、ごまかさない。そこにあるリスクを認め、それを管理するための日常的な努力をする。そして「自立する」。それは生き方そのものの問題だろう。
しかし、支援のしかたでも、報道でも、依然として、同じ間違いを犯し続けているのではないか。つまり現実を直視せず、キレイごとを垂れ流す。
例えば、被災地や避難所で、本当のリスクはきちんと報道されただろうか。そこで起こる犯罪、性犯罪、弱者への犯罪。ボランティアがどれほど迷惑をかけているか。それらは報道されただろうか。「美しい話」「感動的な話」を情緒的に垂れ流すだけで、本当の問題をきちんと提起できなかったのではないか。
 被災地を忘れないということは、被災地のリスクをしっかり受け止め、自分自身の生活や周囲の状況の中で、リスクを直視しリスク管理を始めることだろう。キレイごとは、それを忘れさせるのではないか。

8.「性悪説」

 しかし現実を直視せず、リスク管理ができず、自立できないでいるのが、私たちの社会の現状なのである。この問題を本気で考えるためには、そうした生き方とセットになっている人間観とは何だったのかを見なければならない。それは「性善説」だったのではないか。「性善説」という暗黙の了解のもとに、互いにもたれ合い、自立しようとしてこなかったのではないか。だから私は、基本的な人間観の一大転換が必要になると思う。従来の「性善説」から「性悪説」へ。
私はここで、「性善説」と「性悪説」という概念を、ただ人間の本性が善か悪かという違いで提示しているのではない。今まで述べてきた、現実を直視しリスクを見ることができるかどうかで、「性悪説」と「性善説」との分けて考えようと提案したいのだ。
「性悪説」の立場とは、次のように考えて生きることだ。
人間は誰もが悪の側面、弱さを持ち、悪は常に内側に可能性としてあり、それが実際に外に現れているか、否かだけが違う。どんな人も、権力を持ち、金と人事権を持てば必ず堕落する。だからたえざる相互チェックが欠かせない。自分の内の悪、他者の中の悪を直視し、それを指摘しあい、批判しあうだけの勇気と覚悟が必要なのだ。
名誉欲、出世欲、権力欲、支配欲は誰もがもつ。それが本人の成長や、周囲の発展につながる場合もあるが、他を抑圧する方向に向かう場合もある。また、支配者に支配されたいという依存の傾向もまた私たちの中にある。それら全体をどうコントロールしていくか。
ではなぜ今までは、こうした「性悪説」の立場に立たなくでもやってこられたのだろうか。
以前は、「悪」がなかったのではなく、ほどほどの貧しさの中で、しかも閉じたムラ社会の中では、みながそこそこで満足して共生するしかなかった。そこではそれなりの相互チェックが機能していた。「世間体が悪い」「恥」などの道徳で、あまりにも大きな悪が生まれないように規制できた。
また高度成長期には「少しでも豊かになりたい」という欲望で人々がつながることができた。「会社人間」として個人と組織が一体で機能できた時には、ムラ社会の規律が機能した。しかしその時代は終わった。一応の豊かさは獲得され、その先の目標を全員が共有するのは難しくなった。時代にあった変化に対応することが組織にも個人にも求められる。そして個々人がそれぞれの欲望と価値観のもとに生きていく時代になった。これは以前よりもはるかに高い発展段階であり、そこでの原則は以前より人間とその社会の本質と現実を厳しくとらえたものでなければならない。それが「性悪説」の立場である。
「悪」は可能性としては常に存在する。私たちにできることは「悪の管理」だけなのだ。「悪」「弱さ」「甘ったれ」は、私たちの内なるリスクである。それは本当は、いつでもどこにでもある。それをなくすことはできない。できるのはリスク管理をすることだけだ。リスクをできるだけ自覚し、その計量と予測と、最悪をも覚悟して生きることだ。そして、こうした人間観を前提に、制度や倫理を再構築していくべきなのだ。
「リスク管理」ということばが震災後さかんに言われるようになったが、悪の管理こそが究極のリスク管理ではないか。ここまで突き詰めないでいるリスク管理は必ず破綻する。それは能力の問題であり、「生き方」と「死に方」の問題なのである。

3月 11

■ 目次 ■

1.危機にこそ本質が見える
2.「国家」が現れた
3.リスク管理
4.トリアージ
5.「自己完結型」の支援
6.「準備」
7.「普段から」
8.「性悪説」

5.「自己完結型」の支援

 もう1つの例をあげよう。今回の被災地域には、多数のボランティアがかけつけた。「他者を救う」ため、「他者を支援する」ためである。その動機は美しいし、その行動力も尊い。しかしそれを全面的に肯定するわけにはいかない。ボランティア活動のためにかけつけた人々の中には、被災者たちに迷惑をかけた人もいたからだ。「来ないでくれた方が良かった」と言われている人たちがいるのも事実だ。
だからこそ、今回は「自己完結型」の支援ということがよく言われた。ボランティア自身の食料、住む場所、安全性などを周囲に依存せず、すべて自己管理で行うものだ。そうでない限り、被災者側に負担をかけることになる。緊急事態で「他人を救う」には厳しい条件があるということだ。
特に、精神的に自立していることが求められる。それは自分の精神状態を厳しくコントロールできなければ、他人を救えないどころか、自分が救ってもらう側になって、迷惑をかけるからだ。
例えば、石巻赤十字病院では、救援物資の受け入れで事務方の職員は仮眠すらできなくなってしまった。そこで夜の11時から朝の6時までは受け付けないことにした(74ページ)。また、被災したスタッフを休ませるべきか、それとも仕事を続けさせる方がいいのかという葛藤があった。結論は、休むかどうかは自分で、自己管理をして決めていいとした。(201,202ページ)。この自己管理という課題はとても難しいだろう。周りがハードに働いている時に、それに流されず自分の状態を見つめ、休むことを決めなければならない。しかし、まず何よりも真っ先に最優先で救わなければならないのは、自分自身なのだ。自分を救えなかったら他人も救えないからだ。
他人を救うには、自己管理ができるかどうかが問われる。それは普段から自己の弱さを熟知しており、それをコントロールできること。つまり自分の内部のリスクの直視と、リスク管理ができていること、つまり「自立」ができていることが必要なのだ。そうした人は、普段から、自分のリスクや弱さを直視し、自分の限界を知りつつ、周囲に流されないだけの生き方をしていたのだろう。つまり能力と生き方は1つだ。

6.「準備」

また、今回の人命救助、復旧・復興支援の成否の最大のポイントは、「準備」ができていたかどうかだった。国や県、基礎自治体などの行政側、警察、消防、自衛隊、医療関係者たちに、どれだけの事前の「準備」ができていたのか。危機的状況への具体的対策として、制度、規則、組織をどう整えていたか、どれだけの実地訓練ができていたか。各組織を横につなぐ連携はどこまで実現できていたか。それは地域によって大きな差があった。
宮城県では宮城県沖地震を想定して「救急医療協議会」での協議が行われていた。2006年には仙台で「日本集団災害医学会」の集会が行われ、そこで「宮城県沖地震に対する医療の備えを強化するための7つの提案」が採択。その中の「災害医療コーディネーター」制度の設置が2010年に決定。2010年から「石巻地域災害医療実務担当者ネットワーク協議会」が立ちあげられ、県や市役所、警察、自衛隊、海上保安庁、近隣の病院などが互いに顔を知っている関係にあった。石巻赤十字病院の石井正医師はそのメンバーの1人だが。彼が石巻地域の「災害医療コーディネーター」に任命されたのが3・11の1か月前。彼は震災後の3月20日に「東日本大震災に対する石巻圏合同救護チーム」を立ち上げた。石巻赤十字病院が災害拠点病院として、医師会や東北大学の医療チーム、日赤救護班、精神科医師団、歯科医師団、薬剤師会を一元的に統括することになった。「災害医療コーディネーター」制度がかろうじて、間に合った形だ。
岩手県では、2008年に「岩手・宮城内陸地震」「岩手県沿岸北部地震」があり、岩手県の防災システムに大きな問題があることが明らかになっていた。そこから真剣な準備が始まった。県庁の総合防災室に災害防災のプロたちが結集し、2年をかけて対応システムの見直しをした。大災害時には全救助組織の代表が県庁の災害対策本部に集結することが決まった。全情報を皆で共有し、活動を一体的に指揮する。こうして消防、警察、海上保安庁、自衛隊、医療関係者と行政が一体で動く機能的な体制が作られた。その中心にいた小山雄士が室長に就任したのが2010年。こうして生まれたすばらしいシステムも、絵に描いた餅では実際の場面で機能しない。小山たちは2010年の9月には大掛かりな実地訓練を実施。消防、警察、海上保安庁、自衛隊、医療関係者と行政が一体になった、本番さながらの大訓練だった。それから半年、3・11が来た。
こうした準備がなんとか間に合ったのは、そのために奔走した方々がいたからこそだ。その一部は本書でも取り上げさせていただいた。

3月 10

■ 目次 ■

1.危機にこそ本質が見える
2.「国家」が現れた
3.リスク管理
4.トリアージ
5.「自己完結型」の支援
6.「準備」
7.「普段から」
8.「性悪説」

3.リスク管理

数々の問題が明らかになった中で、最も深刻なのは、リスク管理の問題であろう。「想定外」という言葉で、本来考えるべきリスクが無視、軽視されていた。その結果、当然ながらリスク管理はできず、津波対策はなされていなかった。
リスクを見ることができない。それを直視できない。それは「安全神話」が形成され、それに抵触する言動が封じられるような状況があったからだ。しかし、今回の事故で安全が完全に壊れた今、これまでの「リスクか安全か」という2項対立は成立しない。「すべてはリスクでしかない」という考え方が、大前提になるべきだ。そして、その上で初めてリスクの管理を考えられる。リスク管理の問題がすべての国民に明確に提起された。これは大きなことだと思う。なぜなら「安全神話」を作り上げたのは、東電や政府、「原子力ムラ」などの原発推進側だけではないからだ。反対側も、「リスクか安全か」という2項対立を迫ることで、結果的には「安全神話」形成に加担していたのだ。その点をはっきりと認識することが必要だと思う。
反対派は冷静で客観的なリスク管理を求めたのではない。リスクゼロという「不可能」な基準を推進側に求めた。それを受けて、推進側も嘘を承知で、リスクゼロと説得するしかなかった。そのリスクゼロとの主張が自縛となり、本来は「想定」すべきリスクを認められなくなり、リスク管理を不可能にした。しかし、両者ともに、それがウソであることを感じていたのではないか。しかしリスクを見たくはなかった。現実を直視し、現実的な対応をする力はなかった。
このリスクを見ない、見ようとしないという精神的傾向は、決して原発反対派だけでも、推進派だけにあるのでもなく、そうした精神的傾向は、もっと広く一般に私たち皆が持つ傾向性ではないか。
つまり、「キレイごと」でごまかし、現実を直視しない。「建前」を言うだけで「本音」レベルの対決を避ける。周囲の暗黙の了解には逆らえず、「空気を読み」ながら生きている。
本来は、リスクは可能性としてはいつでもどこでも存在する。リスクをなくすことはそもそもありえない。私たちにできるのは、より小さなリスクをめざし、そのリスクの可能性が実際に実現しないように努力することだけなのだ。そうした厳しい認識が、原発事故のような大きな危険性においてはどうしても必要だったろう。
しかし、私たちの普段の生活においても同じことがおきているのではないか。見たくないリスクは見ない。「幸い」にも、高度経済成長下では厳しい認識の上に立たなくてもやってこられたのだ。そのために、そうした考え方、そうした能力は育たなかった。それは「生き方」の問題であり、「死に方」の問題である。

4.トリアージ

この問題をより具体的に実際に考えるには、震災後の災害医療や対策本部のあり方から考えるのがわかりやすい。災害医療については、テレビや新聞などのマスコミ、多数の著書で紹介されている。ここでは主として石巻赤十字病院が経験したことを例としたい。震災後、宮城県の石巻地区は孤立し陸の孤島となった。そこで地域の医療活動の中心となったのは石巻赤十字病院だった。その活動は、由井りょう子と石巻赤十字病院著『石巻赤十字病院の100日間』(小学館)や、石井正著『石巻災害医療の全記録』(講談社ブルーバックス)などで詳しく報告されている。私自身も石井正医師ら関係者に取材した。以下、『石巻赤十字病院の100日間』からの引用には括弧内にページ数を記載した。 
まず、「トリアージ」を取り上げよう。
「トリアージ」とは、災害や事故で多数の負傷者が出た際に、負傷者を緊急性や重症度によって分別し、治療の優先度を決定することである。救命需要が同時多発し、搬送や治療に制限がある状況下で可能な限り多くの人命を救うには、医師を含めた医療資源を効率的に配分する必要があるからだ。
分別の方法は負傷者を「緊急治療群」「非緊急治療群」「治療不要もしくは軽処置群」「死亡もしくは救命困難群」に振り分け、それぞれの患者の手首や足首にそれぞれ「赤」「黄」「緑」「黒」のトリアージタッグをつけていく。「赤」は出血多量や気道閉塞など生命の危険が迫っており、緊急治療が施されれば助かる見込みがある患者で、最優先で処置がなされる。「黄」は自力歩行が不能だが、治療の遅延が生命の危機に直接は繋がらない患者、「緑」は歩行可能で、必ずしも膚門医の治療を必要としない患者である。災害時にはこの「緑」が最大数になるケースが多い。そして「黒」は死亡しているか、心肺蘇生を施しても蘇生の可能性の低い患者で、処置は後回しとなる(以上『石巻災害医療の全記録』より)。
この「トリアージ」は、極めて特殊な状況下で行われる特殊な事態であるように見える。それは患者の選別であり、一部患者への医療放棄である。それはヒューマニズムに反することであり、普段なら許されない。それは危機的な緊急事態でだけ、限定的なこととして許されている。しかしそれは「ひどい」「むごたらしい」ことだから、テレビ番組では、そうしたトリアージの場面は取り上げない。やはり「タブー」なのだと思う。
しかし、トリアージは特殊な状況下に起こる、特別なことなのだろうか。私はそうは思わない。むしろ、普段から行われていることが、緊急時だからこそ、むき出しの形で現れただけなのではないか。
最初から、私たちの社会が医療にさける資源・コストは限られている。そこに投入できる人、物、金、技術は限られている。その限られた資源を有効活用するしかできないし、実際にそうしている。しかし、その真実は、むき出しにさらされているのではない。見えにくい形で行われているので気付きにくいのだ。ところが、実際には社会が医療に投入できるコストは限られ、それをどう配分するかが、今問題になっている。そこでは当然ながら、有限な資源の「最適」な配分が問われる。
すべての人に、等しく最高の医療を提供することはできない。国によっても格差があり、日本国内でも首都圏と地方でははっきりと格差があり、個人としても貧富による格差がある。しかし、それは普段はごまかされ、身もふたもないことは言われないでいるだけなのだ。
ここでも、本当のこと、リアルな現実を直視できないという事実がある。キレイごとに慣れ親しみ、事実を直視できなくなった人だけが、今回のトリアージを異常事態での特殊なこととして見るのだ。私は、普段の状況が濃縮した形でむき出しで表に出ただけだと思った。