3月 08

2012年12月6日のこのブログで
以下をお願いしました。

◆読者へのお願い

 ヘーゲルがスピノザ著『エチカ』について、
「『規定態は否定である』はスピノザの哲学の絶対的原理である」と、
大論理学の「本質論」、第3編「現実性」の第1章「絶対的なもの」の
注解で述べています。

 この「規定態は否定である」はスピノザ著『エチカ』からの引用だと
思うのですが、見つかりません。

ご存知の方がいたら教えてください。

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これについては、ズーアカンプ社版のヘーゲル全集20巻「哲学史?」のスピノザの項に編集者の注があり、スピノザの書簡集の50番(スピノザからイエレス宛)にその表現があることがわかりました。

「形態は限定にほかならずまた限定は否定なのですから、形態は私の申したように否定以外の何物でもありえないということになります」岩波文庫版(畠中尚志訳)239ページ。

この「限定は否定」がヘーゲルの『規定態は否定である』だということになります。しかし、それが「スピノザの哲学の絶対的原理である」とはどういうことでしょうか。

この書簡の中に、「スピノザの哲学の絶対的原理」を説明しているような箇所は特になく、この書簡の前後、イエレス宛の書簡などを読んでみましたが、ヘーゲルの「『規定態は否定である』はスピノザの哲学の絶対的原理である」を詳しく説明しているような箇所はありませんでした。

私としては、『エチカ』の第1部の定義2「同じ本性を持つ他のものによって限定されるものは、自己の類において有限と言われる」「観念は、他の観念によって限定される」が、ヘーゲルの「『規定態は否定である』はスピノザの哲学の絶対的原理である」の根拠だと考えています。

しかし、「規定態は否定である」という表現には遠いと思います。

ここらへんを知っている方は教えてください。

2月 18

◆3月の読書会のテキスト◆

 3月の読書会テキストは、エンゲルス著『空想から科学へ』です。
 
 テキストは牧野紀之の訳注がある
 『マルクスの「空想的」社会主義』(論創社)を使います。

 2月に前半部(1章、2章)を読みました。後半部(3章、英語版への序文)を3月に読みます。

 参加を希望する方は事前に連絡ください。

なお、今後3月までのゼミの日程は以下になります。
 いずれも午後5時開始。料金3千円。場所は鶏鳴学園です。

  2月23日(土)文ゼミと「現実と闘う時間」
  3月 9日(土)読書会と「現実と闘う時間」
  3月23日(土)文ゼミと「現実と闘う時間」
 

2月 05

今年、私が社会人・大学生たちと行っているゼミで、
「階級」「階級意識」についての学習会を開くつもりです。

そのことでのご相談です。

今の関心は2点あります。

(1)今では、「階層格差」など、「階層」という用語が使用されることが多いですが、
なぜ、「階級」という言葉を使用しないのでしょうか。

この「階級」という用語を使用すると、その著者がマルクス主義の立場にあると表明することになり、
それを避けているのでしょうか。

 そもそも「階層」とは何のことでしょうか。年収での格差のことでしょうか。
マルクスにあるような「社会関係」をも含めて考えていないように思うのですが、どうなのでしょう。

 マルクス、エンゲルス、レーニンに「階層」という観点はあるのでしょうか。

(2)子供が自分の価値観を相対化するためには、自分を育てた親の価値観を相対化する必要があると思います。
それには、親の階級(社会関係)、その階級から生まれる価値観、物の見方や考え方、趣味などを考えることが必要だと思います。

マルクス、エンゲルス、レーニンの著書で「階級」を、その階級ゆえに生まれる価値観、意識から詳しく平明に説明した文献があるでしょうか。

 以上、アドバイスいただければ、幸いです。

12月 06

◆読者へのお願い

 ヘーゲルがスピノザ著『エチカ』について、
「『規定態は否定である』はスピノザの哲学の絶対的原理である」と、
『大論理学』の「本質論」、第3編「現実性」の第1章「絶対的なもの」の
注解や、『哲学史』のスピノザの項で、繰り返し述べています。

 この「規定態は否定である」はスピノザ著『エチカ』からの引用だと
思うのですが、見つかりません。

ご存知の方がいたら教えてください。

事務局メールアドレス sogo-m@mx5.nisiq.net
 

9月 03

 今年の夏を、読者のみなさんはどうすごされましたか。
 自分の課題へのとりくみは進みましたか。

大学生・社会人のゼミでは、この夏も八ヶ岳で3泊4日の合宿を行いました。
 もう5年目になります。

 合宿でのヘーゲル哲学の学習のメニューは、
 原書購読は、大論理学の本質論の第3部「現実性論」の前半を丁寧に読みました。
 翻訳では、ヘーゲル『小論理学』(牧野紀之訳 鶏鳴出版)で下巻「本質論」を通読しました。
ともに、ヘーゲル論理学の本質論を、特に、現実性論をきちんと理解しておきたいと考えての挑戦でした。「現実性論」にはこの5年間、何度も何度も繰り返して挑戦し、その都度弾き飛ばされてきた、というくやしい思いがあります。
今回は、少し、理解できたという実感を持ちました。
くわしいことは別に報告します。

 2日目と3日目の晩には「報告会」を行い、各自の課題について話し合いました。

 4日間の参加者は延べ6人。
 他に、報告会だけの参加が3人(2人はウェブで参加)。