1月 18

昨年12月29日には、ゼミ生と1年の振り返りをしましたが、
 そこで話したことをまとめました。

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人が行動することは、自分が何者かを明らかにする 

     — 「概念の生成史」と「概念の展開史」 — 

 「意識(人)が行動しなければならないのは、自分の潜在的な姿を
意識の対象にするためでしかない。意識は自分の行動の結果としての現実から
自分の潜在的な姿を知るのである。したがって個人が行為を通して
現実にもたらされるまでは、個人は自分の何たるかを知ることはできないのである」

(『精神現象学』第5章理性論、第3節「絶対的に実在的だと自覚している個人」。
  牧野紀之訳、未知谷版574ページより)。

 これはヘーゲルの発展観そのものの表現だと思う。そしてヘーゲルの発展観を
理解するには、「概念の生成史」と「概念の展開史」の関係を考えねばならない。
ヘーゲルは、そのものが何なのか(その本質、すなわちその生成史)は、
そのものの生成後の自己展開で明らかになると言う。つまり、その展開史で
その生成史の意味が明らかになるのだ(『精神現象学』の序論にある。
鶏鳴会通信107号を参照されたし)。これは「類」の進化において言われるが、
それはそのまま類の中の個別における成長過程でも言えることだ
(これが『精神現象学』の大きな枠組み)。

 私たち人間は、いつもそれまでの人生を背負って生きている。
ある年齢に達して、今、新たなことに挑戦するときに、
過去がそれに大きな影響を与えていることは明らかだ。
その過去は当然意識されており、その振り返りの上で、
未来への決断・選択が行われると考えられている。
過去は記憶されており、自分史として把握できる。
しかし、そうだろうか。記憶から消された過去も多い。
否、大切な過去ほど、意識の奥深くにしまい込まれているのではないのか。

 ゼミ生に、以下のようなことが起こった

 ある人Aは、私との師弟契約をすることを真剣に考え始めていた。
そのきっかけとしては、それまでの生き方の反省がある。
他人任せで、世間の基準を無自覚に自分の基準としてきたこと。
そして、私と師弟契約をする決断をする際に、忘れていた記憶が
呼び戻されてきた。

 それは、その人には以前にも先生というべき人がいたことだった。
本人はすっかり忘れていたが、整体の指導者を事実上の師としていた。
その師のまわりには弟子の集団があって、その中の一員だった。
そして、その師との辛い別れがあった。その師に、あることから
厳しい叱責を受け、不本意ながらも関係は終わった。
その師弟関係が失われたことは大きなショックであり、とても辛いことだった。
当時、その師は、悩みの相談相手であり、いつも親身にこたえてくれた。
その人は、人生の行き先を照らしてくれる大きな燈明だった。
そうしたことがすっかり思い出されてきた。

 それらの記憶は大切なことだったはずだが、すっかり忘れていたのだった。
そして、その記憶が浮かび上がってきたときには、それはただ辛く
受け止めがたい記憶ではなくなっていた。その師や弟子集団の問題が
おぼろげに見えていたのだ。そうした相対化の視点は、
私を師とすることで与えられたのではないだろうか。
そして、そうした視点がない限り、その記憶は、
心の奥深くにしまい込まれたままだっただろう。

 また、別の人Bには、それまで仕事上の先輩で信頼し尊敬している人がいた。
その人の考え方、仕事の進め方などを、必死で学んできた。
そして、確実にその成果も出て、仕事上でも順調に進んだ。
しかし、次第に、その先輩の不十分な点にも気づくようになり、
生き方や考え方に大きな欠落があることにも気づくようになっていた。
しかし、そうした不満や疑問を口にすることはなかった。

 私は、そうした関係は、その大切な先輩に対して誠実な態度とは
言えないのではないか、と注意をした。そこから、改めて、その先輩を
きちんと批判することを決意するようになる。その時に、
すっかり忘れていた親友とのことが思い出されてきたのだ。

 大学生の時にその親友とは同じクラブを運営する立場として、
互いに批判しあい、支え合っていた。最初は相手が上だった、
しかし、いつしか相手との関係が逆転し、就職後は、相手を
見下すようになっていた。それでも「親友」としての
いつわりの関係は続けてきていた。

 そのことが急に思い出されてくる。そして、そのいつわりの関係を
清算しないではいられない、強い思いがこみ上げてくる。

 こうしたことを見ていると、ヘーゲルの言っていたことの意味が
わかるように思うのだ。

 「行動」「行為」とは、それまでの生き方に一線を画するだけの
ものでなければならない。

 そうした決断の際に、その時点では潜在的だった自分の正体が
はっきりと現れてくる。自分とはもちろん過去の人生によって
作り上げられてきたものだから、現れてきた潜在的本質にも、
それに対応する過去があるのだ。

 Bさんについて、ゼミでは「なぜ精算する必要があるのか」
「親友ではなかったとか、いつわりの関係だったとか、
わざわざ言う必要はないのではないか」といった意見も出た。
しかし、そうした過去を清算しないと、私たちは前には
進めないのではないだろうか。過去が私たちをとらえ、
前に進めなくしているのではないか。

 精算とは、その親友を切り捨てたり、過去の自分を切り捨てる
ということではないと思う。その失われていた過去を呼び戻し、
その意味づけを変えることなのではないだろうか。
私たちは過去を切り捨てることはできない。
すべてを背負って生きるしかない。
できることは、その個々の経験の全体における位置づけをかえ、
より高いレベルで生き直すための、一歩を進めることだけだろう。

 そうした過去の清算ができない限り、それまでの延長線上の生き方、
同レベルの生き方しかできず、発展は不可能なのだろう。
逆に言えば、それまでのレベルを乗り越えて生きていく中で、
過去の一つ一つの経験の意味が、より深いレベルで明らかになる。
一歩前に進むたびに、1つ上のレベルで経験の意味を捉え返し続ける。
それを繰り返していくことで、過去の全体が構造化され、
その意味が透明なすがたとして現れてくる。

 これがヘーゲルの「展開史でその生成史が明らかになる」の
 意味なのではないか。

 これを世間で言われていることを比較してみよう。
世間でも「過去を反省せよ」とか「過去の振り返りをせよ」とか言われる。
それによって、今の選択についてどうしたら良いかわかるし、
未来の方向付けもできる、と言うのだ。

 ここにないのは、「生成史」とは別の「展開史」という考えであり、
この両者を統一的にとらえる観点なのだ。だから「反省しなさい」や
「過去の総括文」には無意味なことも多い。
むしろ、嘘を書かせるだけなので、有害なことの方が圧倒的に多いのだ。

 また、過去に執着して前に進めない人が多数存在していることを
どう考えるか。実際には、過去にこだわり、生い立ちにこだわっている人で、
前に進めないでいる人が多い。「過去の反省」は、
こうした人に対しては無力なのではないか。

 人が前に進むときにだけ、意識の奥底に隠してきた過去の記憶が
浮かび上がってくる。前に進むことなく、過去をとらえようとしても
無理なのではないか。

 「大切なことほど意識の奥底に隠されている」と言えば、
すぐに「精神分析」を思い出す人もいるだろう。
そこでは様々な手法によって記憶を探り出し、新たな視点から
過去の人生の全体を捉え直そうとする。しかし、この「新たな視点」は誰が、
どのように与えるのだろうか。そうした曖昧さや危険性に反対する立場からは、
他の手法がさまざまに提案されている。

 しかし、いずれにしても、大切なのは「生成史」と「展開史」の
両方の視点であり、この両者を統一的にとらえる観点なのだと思う。
そして、人が先に進むためには、これらについての認識の深まりが必要である。
そしてそのためには認識能力の高まりが必要であり、その能力を高める過程と
その保障が必要になるだろう。その回答が「先生を選べ」であることは、
すでに繰り返し述べてきた。

5月 14

アリストテレスの『形而上学』から学ぶ その4

 ■ 本日掲載分の目次 ■

(8)アリストテレス哲学の核心 全世界の発展における始まりと終わり

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◇◆ アリストテレスの『形而上学』から学ぶ 中井浩一 ◆◇

(8)アリストテレス哲学の核心 全世界の発展における始まりと終わり

 本稿の(1)では、アリストテレスの核心を次のように述べた

 「【1】個別と普遍(本質)の問題と、【2】変化・発展の問題と、
  【3】全世界の構造、神から物質までの階層、順番の問題。
  この3つの最も根源的な問題を3つともにとりあげていること
  もすごいのだが、それらを1つに結びつけていることが、その圧倒的な高さだ。

  この【1】は誰もが問題にする。この【1】に対するアリストテレスの答えは
  並の答えで、すごいのは、この【1】と【2】とを結びつけて論じたことだ。
  【1】と【2】を、同じ事態の2つの側面としてとらえた。
  その結果、【3】を説明することができたのだ」。

 本稿の(2)では、アリストテレスの課題はプラトンから
イデア論を学んだ一方で、プラトンのイデア論では
運動の説明ができない点を克服することだったと述べた。
言い換えれば、イデア論の限界を、イデア論を発展させることで、
乗り越えること。

 それはどのように行われたのか。
それこそが、『形而上学』の核心部分であり、
【1】?【3】の3つの問題を統一的に解く回答がそこに示される。

 アリストテレスの回答は、端的に言うと次のようになる。

 プラトンは、現実の個物にそのイデアを対置し、イデア研究を目的とした。
アリストテレスは現実の個物にこだわり、その運動を説明したかったので、
個物には、形相と質料のセットを対置した。プラトンのイデアの代わりに、
この形相と質料のセットを置き、この両者が現実性と可能性として
運動すると説明した。その運動の結果が個物である。
形相とはイデアと言い換えても良いので、質料こそがアリストテレスの
創案と言えると思うが、質料の設定は、イデア論への反駁のためであり、
運動を説明するためなのだ。そして、質量から形相への運動によって、
全世界は初めて構造的に体系化された。

 以上は、『形而上学』においてどのように展開されるか。

 まずアリストテレスは、第1巻の3章で、『形而上学』の目的は
始源的な原因の認識だとする。そしてその原因として4つを提示する。

 a)実体であり、「なにであるか」、
 b)質量であり、基体(主語)である、
 c)「物事の運動がそれから始まるその始まり」(始動因)、
 d)「物事の生成や運動のすべてが目指すところの終わり」(目的因)。

 このa)とb)を、7巻の3章でまず取り上げ、それ以降の章でそれに答える。
これが、【1】の個別と普遍、現象と本質の関係の問題である。
その上で、8巻でそれを捉え直して、個別の運動についての
c)始動因と、e)目的因の説明をする。
それを展開するのが8巻と9巻であり、以上が【2】の変化・発展の問題である。

 この個別の運動の説明を踏まえて、アリストテレスは進化の全体像、
生物などの分類の全体像を示すのだが、7巻の12章で分類の原理が示され、
実際の展開、特に神や天体の運動までの広がりは、9巻の8章で描かれる。
以上が【3】の全世界の構造、神から物質までの階層、順番の問題である。

 以上がアリストテレスの回答であるから、『形而上学』の核心部分とは、
7,8,9巻であることがわかる。
これを実際のアリストテレスの叙述に即して、見ていく。

 まず、始元的な原因を考える上で、判断の形式、「定義」「説明方式」が
前提であり、判断論(定義)の主語・述語関係からすべてを考えていく。

 アリストテレスは、事物を実体と属性にわけた時に、
判断の主語に来るのが実体で、述語にはその属性が来ると考える。
主語の位置に来る言葉、つまり基体=主語で、決して述語にならないもの、
つまり「実体」としては、結局は、以下の3つが導出される(7巻3章から6章)。

  【1】 質料
  【2】 形相
  【3】 個別(質料と形相の2つから成る)

 もちろん3つは、それぞれで、その「述語にならない」と言う意味は違う。

 「個別」はすべての個別が相互に異なっているのだから、
ある個別が主語の文の述語に他の個別はおけない。
「質料」は、それ自らは不可認識的で、規定することができないと、
アリストテレスは言う。
「形相」は、規定そのものだが、それはすべての述語を含んだものなので、
述語にはならない(とアリストテレスは考えているようだ)。

 この3つの関係を、判断の形式における部分と全体の関係で分析しながら、
アリストテレスは結局、形相を質料に内在化するものとしてとらえ、
質料と形相の結合体が個別であり、この個別においてしか
生成・消滅の運動はないとした。(7巻10章から12章)

 そして、個別におけるこの3者の関係が、運動の観点から捉え直されるのが8巻である。

 8巻の第2章で、個別を形成する質料と形相の内の質料を「可能的存在」とし、
形相を「現実的存在」と捉える。ここで運動とは、可能性から現実化への
転化としてとらえられ、その質料と形相の結合によって、個別の運動が説明される。

 ここで、質料=可能的存在、形相=現実的存在とする理解には、
驚くのではないか。世間の常識とは一見反対に見えるからだ。
質料は物質のような材料として、直接に存在するもので、
形相は最初は目に見えない。だから、質料が現実的で、
形相は可能性でしかないというのが普通の理解だ。
それが逆転しているところに、アリストテレスの独創がある。

 質量は確かに存在しているが、実現するものの材料でしかないから、
その面からは可能性でしかないのだ。
一方、形相とは、その材料によって実現されるもので、
可能性(材料)を現実化するものこそを現実的なものだと、
アリストテレスはとらえる。

 これは「始まり」「終わり」の理解に関わる。
「終わり」は、もし「始まり」に内在化していなければ、出てこないはずだ。
逆に言えば、「始まり」に何が内在化されていたかは、
「終わり」で明らかになる。つまり「始まり」は「終わり」であり、
「終わり」は「始まり」である。
ここに、ヘーゲルの発展観の芽がすでにあることがわかるだろう。

 以上は、個別の運動の説明方式だが、それを全体として展開すれば
この世界の構造が示されるはずだ。

 生物や、物質などの自然界は、アリストテレスによって、
徹底的に分類され、秩序化された。それは類と種の関係性による。

 類は種差によって種に分化されていく。その種も次のレベルにおける類として、
次のレベルの種差によってまた種に分化されていく。

 ここで、類が質量であり、種差が形相であり、それによって分類される種が
個別なのである、この種は新たな類であり、新たな質料としてとらえられる。
その類(質料)は、次のレベルの形相による種差によって、
次の個別=さらに新たな質料=新たな類へと展開する。

 こうして質量から形相への運動が、ここでは類とその種別化になり、
この自然界と全世界の構造をあらわすことになる。

 ある類の後には同じ原理で分化が繰り返され、
種別化が展開し、それが無限に続く。
その類の前にも同じ原理で、前のレベルの類へと無限にさかのぼれる。
そうしたときに、類を遡れば、一番最初の類が想定され、
それは質量だけの存在になるはずだ。

 他方、最後まで展開し終わった時に、形相のすべてが現れるはずだが、
その形相は実は、真の始まりであるから、この世界の始まりには
形相だけの存在が想定され、それが「神」「不動の動者」になる。
これがアリストテレスの世界観である。

 以上で、当初の問題のアリストテレスの回答が示された。
ここに初めて、【1】個別と普遍(本質)の問題、【2】変化・発展の問題、
【3】全世界の構造の問題、この3つのレベルを統一して、
1つの原理で貫く思想が生まれた。これがヘーゲルに決定的な影響を与えている。
ヘーゲルの「概念」は、アリストテレスの純粋形相(神)を捉え直したものだろう。

 しかし、アリストテレスとヘーゲルの決定的な違いがある。
それは人間の捉え方だ。
アリストテレスは、人間をどこにどう位置づけられたか。
『形而上学』の9巻の最初に、人間の特殊性が述べられている。

 9巻の第2章では、無生物と生物と人間の3者が比較され、
人間の本質は「思考」だとされる。つまり、人間の認識の運動だけは、
他の運動と全く違うとされる。人間だけが、1つの条件から、
2つの相対立する結果を導くことが可能で、それが選択(31ページ)になる。
そこに人間の、必然性からの自由の可能性を見ている。

 しかし、アリストテレスが到達できたのは、ここまでだった。
全世界の発展の中で人間が果たす役割の意味を明らかにできなかった。

 この人間の本質を、全発展の中に、全自然史の中に位置づけ、
その核心部分として捉え直したのが、ヘーゲルなのだ。
ヘーゲルは概念(神であり純粋形相)から始まった全自然の外化の運動が、
その外化の中に人間が生まれることで、その運動自らが、
外化の一方で内化の運動を始め、外化と内化との統一の運動が始まるとした。
そこが大きな転換点であり、それが人間の意味なのだが、
こうした往還運動が可能になったことで、概念の運動が
真に外化と内化の統一になる。

 アリストテレスにはこうした理解がなかったために、
外化の運動と内化の運動が統一できず、神を不動の動者として
設定するしかなかった。世界全体が運動する中に、運動しない固定点を
設けるという決定的な矛盾が起こるのは、人間という転換点を
理解できなかったからだと思う。

 ヘーゲルはその矛盾を解決することで、アリストテレスの世界観を
完成させたと言えるのだろう。それは近代社会を切り開くことにもなった。

 ちなみに、ヘーゲルの論理学全体では、アリストテレスの
自然研究の実証的側面は存在論の中で取り上げ、
アリストテレスが批判した「1」や数学は、存在の中の
量の箇所で取り上げている。それらは本質論以降に止揚されていく。

 アリストテレスが問題にした【1】【2】【3】の観点については、
【1】は本質論の前半、【2】は本質論の現実性で展開され、
その終わりに【3】が出ている。それらが概念論の主観的概念で、
再度判断論の中で展開される。ヘーゲルの判断論では、
質の判断、反省の判断、必然性の判断、概念の判断と
4つの段階に発展するが、これが【1】【2】【3】の展開
そのものになっている。さらにそれが推理論で、展開されている。
もちろん、こうした主観的概念から客観性が生まれ、理念が生まれて終わるのだが、
それによって、アリストテレスの全世界を完成させたつもりだったろう。

5月 13

アリストテレスの『形而上学』から学ぶ その3

 ■ 今回掲載分の目次 ■

 (6)アリストテレスの「判断論」と「推理論」
 (7)アリストテレスの「矛盾律」と「排中律」

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◇◆ アリストテレスの『形而上学』から学ぶ 中井浩一 ◆◇

(6)アリストテレスの「判断論」と「推理論」

 今回、『形而上学』がある程度理解できたように思えるのは、
観点が明確だったからだけではない。
私の側に、その前提となる学習がある程度できていたからだろう。

『形而上学』を理解するには、その前提として『論理学』を
読まなければならないと言われる。事実、アリストテレス自身が、
自らの体系上で『形而上学』の前に『論理学』をおいた。
その意味は、『論理学』はあらゆる学問研究に先だつ予備科目で、
一般に正しく思考し考えるための「道具」「方法」であるとされている。

 その論理学の中心に判断論と推理論があるが、
特に判断の捉え方が重要だと思う。アリストテレスは『形而上学』において、
判断の形式からすべてを考えようとしているからだ。

 昨年はヘーゲルの論理学から「判断論」「推理論」を読んだ。
さらにカントの関連箇所、カントが参考にしたアリストテレスの論理学から
『カテゴリー論』と『命題論』を読み、言語学の学習会で、
関口ドイツ語学から『冠詞論』を読み、判断を中心に置いた
文構造の読みを展開していることを知ったこと。
同じような理解で日本語を考察している、日本語学者の論考も読んだ。
これらが私の側の準備になっていた。

 ヘーゲルと関口や一部のすぐれた日本語学者にとって、
その源泉はアリストテレスにあることが確認できた。
アリストテレスの考えを継承して、自分の哲学を作ったのが
カントであり、ヘーゲルである。

 アリストテレスの判断を説明する前に、そもそもなぜ判断の形式が
問題になるのかを考えよう。

 それは人類の認識や知恵は、この形の中に蓄積されているからだ。
それは人々の長い営みの中で生活の知恵として結晶している。
従って、個人が改めて真理を探す必要はない。
この蓄積の中にその認識と知恵を学べば良いことになる。
それがアリストテレスの基本的な立場なのだ。
これはソクラテス、プラトンからアリストテレスへと継承された、
基本中の基本だろう。アリストテレスにとっては、判断の形式、
「定義」「説明方式」がすべての前提で、すべての対象を
それに関する判断(定義)の主語・述語関係から考えていく。

 さて、この判断論と、判断の根拠に遡る推理論においては、
アリストテレスの2面性がはっきりと現れている。
ナカミのない形式主義者である面と、他方で
圧倒的にすぐれた思索を展開した面とである。

 その形式主義の側面とは何か。

 アリストテレスは、判断(命題)を一般の文と区別して、
真偽が決まるものに限定して判断(命題)と考える。
ここがすでに悟性的なとらえ方だ。1つの判断を他から切り離し、
それだけで固定させて、その真偽を捉えられると考えるからだ。

 こうした前提のもとに、アリストテレスは判断全体を分類し、
その相互関係を明らかにしようとする。ここまでは良いのだが、
その捉え方が、機械的で、実に悟性的なのだ。分類や相互関係といっても、
結局は、その命題の真偽だけを問題にすることに終始するからだ。

 アリストテレスの分類とは、判断の文が肯定か否定かと、
主語が全称か特称かで大きくわける。その組み合わせは4種類できるが、
それらの関係を「矛盾」「反対」「小反対」「大小」の4種に整理し、
一方の判断の真偽から、他方の真偽が自動的に演繹される体系を作った。
ここでは真偽が対象世界から切り離され、機械的で形式的な作業で決められる。

 さらに、この判断の真偽の根拠を遡ると推理(3段論法)が
導出されるのだが、ここでも、アリストテレスは推理全体の分類と
相互関係を考える。まずは、推理を定言3段論法、仮言3段論法、
選言3段論法に分類し、それぞれの推理を大前提と小前提と結論の関係から、
1格から3格までの種類に分類し、それぞれの格における真偽の基準を示すのだ。

 そして、ここでもアリストテレスは1つの推理を他から切り離して、
その真偽だけを問題にするので、極めて形式的な演繹のルールだけが示される。

 こうした判断と推理のルールは、対象と無関係なものだから、それは
「存在論」と対立する意味での「認識論」としての論理学と言えよう。

 こうした側面が、後に形式論理学として完成され、今日も記号論理学として、
大学などで勢力を誇っている。現代の普通の考えでも、判断は対象(主語)に、
ある内容(述語)を人間が「結びつける」「つなぐ」と考えられている。
そして、その判断が正しいかどうか(真偽)だけが問われるとされる。
ここには、主語と述語の言葉は、そもそもバラバラなもので、
それらを「結ぶ」のも「切り離す」のも人間だ、という考え方がある。

 こうした主語・述語関係は、人間、認識主体が、対象と無関係に、
対象の外部から、恣意的に、あれこれと「貼りつける」もので、人間の恣意的なものだ。
それが対象世界に関わるのは、判断の真偽決定の検討においてのみだとされる。

 以上の形式論理学ならびに、現代の普通の理解は、アリストテレスに始まるとされる。
しかし、アリストテレスにはもう1つの側面がある。
「存在論」として、対象世界そのものを判断の形式からとらえていく側面である。
そこでは判断は静止せず、運動した形で捉えられる。
そして存在の運動は、そのままで判断の運動、認識の運動となる。

 存在の運動とは、対象がその実体と属性とにわかれることであり、
判断の運動とは、実体が主語におかれ、その属性が述語におかれることである。

 そして、言葉を分析し、主語にしかおけないもの、主語にも述語にもなるもの、
述語にしかおけないものに分類する。それらの言葉の関係でも、
主述関係をさらに考えていく。

 この作業を積み重ねていくと、主語にしかならないものと、
述語におかれても、他の述語の頂点にくる言葉が把握できる。
その主語=基体で、決して述語にならないものを「実体」として、
またそれ以外の主要なカテゴリーを導出した。

 このように、主語(基体)と述語の関係から、対象世界の実体と属性との関係を
運動の中で捉えようとしているのが、アリストテレスの『形而上学』である。

 判断は認識の運動であると同時に、存在の運動の反映でもある。
アリストテレスは、いつもこの両面を見ながら論じている。
例えば、7巻の4章で、まずは「言語形式の問題」(234ページ)を考察し、
その後ただちに、「事実上の問題」(238ページ)を考察する。
その後も、アリストテレスは常に、両者を結びつけながら、対象に迫ろうとする。

 推理論でも、対象世界の運動を捉えようとするのが、
『形而上学』における推理の用語法である。そこでの推理とは、
現実の中にある運動を「始め」「中」「終わり」ととらえた3者の媒介関係、
媒介の運動として捉えていると思う。7巻の7章(249ページの「推理」)や
9章(258ページの「推理」)に当たられたし。

 こうしたアリストテレスにある2面性を指摘し、前者を批判し、
後者を高く評価したのがカントであり、ヘーゲルだった。

 ヘーゲルは、アリストテレスの後者の側面を、さらに大きく発展させている。
人間が対象を判断できるのは、対象世界が自ら判断し、
自らが何物であるかを示すからだ、ヘーゲルはそう考える。
その対象が自らに内在化していた本質を外に現すことが、
判断における主語と述語の分裂であり、それが1つの対象でもあることが
コプラによる主語と述語との一致である。判断も低い段階では、
主語は空虚で、判断の内容とはその述語にある。この主語と述語の
コプラ(一致)は、実際は完全には一致せず、その矛盾が判断という形式を
発展させ、次第に主語と述語の関係がより深いレベルで統一されていく。
それがヘーゲルの「判断論」の4段階の発展なのだが、これは、
アリストテレスが示そうとした判断の分類と相互関係に、
ヘーゲルが代案を示したものと言える。同じく、ヘーゲルの推理論は、
アリストテレスの推理論への代案である。

 今日では、アリストテレスが創始したと言われる「形式論理学」、
演繹推理を、ナカミのない形式主義であるとして否定する人も多い。
例えば、野矢茂樹は『論理トレーニング』(産業図書)の
3(注:アラビア数字)で「演繹」を取り上げ、演繹推理や
記号論理学のくだらなさを指摘する。
しかし、結局はそこから一部を取り上げ、練習問題を用意する。

 「形式論理学」を批判するならば、その低さの理由を示し、
それを克服する方法を明示するべきだろう。野矢はそれができないために、
結局はそれに追随しているのではないか。
では演繹推理におけるアリストテレスの低さとは何か。
それは普遍と特殊(個別)、肯定と否定を悟性的に対立させるだけで、
それらの相互転化を言えなかったことだ。それでは運動が起こらない。
ヘーゲルはそれらの相互転化を示すことで、発展として判断を展開して見せている。

 しかし、アリストテレスの形式的な演繹推理を、アリストテレス自身が
思考全体のどこに位置づけていたのかは、それとは別に考えるべきだ。
アリストテレスはただのバカではない。「運動」の説明を求め、
それができないでいるプラトン主義をもっとも激しく批判したのが、
アリストテレスその人だったことを忘れることはできない。

 ヘーゲルは、自らの「判断論」でも「推理論」でも、「形式論理学」は
ナカミのない形式主義であるとして徹底的に罵倒し、否定している。
そして、その責任の一端を創始者としてのアリストテレスに帰すとともに、
アリストテレスを擁護し、アリストテレスの偉大さは、実際のアリストテレスの
思考(例えば『形而上学』)では、彼の形式論理を使用していないところに
あるとまで言っている(『小論理学』187節注釈)。

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(7)アリストテレスの「矛盾律」と「排中律」

 現在の形式論理学は、アリストテレスの『論理学』に基づくとされている。
そうした論理学の教科書の構成は、概念、判断、推理の順に展開され、
その根本原理として「三大法則」(「同一律」「矛盾律」「排中律」)が
おかれている。これは現代の記号論理学でも、基本的な部分は同じである。

 この「三大法則」は、『形而上学』では4巻で取り上げられる。
それを読んで驚いた。世間の説明と正反対だったからだ。

 かの有名な「矛盾律」は、次のように述べられる。
「同じもの(同じ属性・述語)が同時に、そしてまた同じ事情のもとで、
同じもの(同じ基体・主語)に属しかつ属さないということは不可能である」
(上巻122ページ)。つまり「Aは非Aではない」。

 しかし、いわゆる3大法則は出てこない。そのことに新鮮な驚きがあった。
直接に、アリストテレスが原則として出しているのは、矛盾律だけなのだ。

 同一律(「AはAである」)は出てこない。もちろん矛盾律の中に
含意されているわけだろう。排中律は出てくる(「二つの矛盾したものの
あいだにはいかなる中間のものもありえず、必ず我々はある一つについては
何かある一つのことを肯定するか否定するかの、いずれかである」上巻148ページ。
つまり「AはBか、または非Bである」)が、これは矛盾律に内在化しているものを、
わざわざ引き出して見せただけだ。
 

 つまり、「3大法則」とは余計なもので、いかにも、バカのやるやり方だ。
アリストテレスはそうしたバカではない。

 さらに実際に読んでみて、「矛盾律」「排中律」についての
アリストテレスの叙述は、教科書の説明とは逆であることを知って、愕然とした。

 普通に考えると、「矛盾律」は、悟性的で、固定した世界と結びつき、
結果的に現状肯定の保守的な立場になると思う。

 確かに、規定、対をしっかりと確立させ、固定させるのが矛盾律なのだが、
アリストテレスがそうするのは、それによって、その先(反対の規定の相互転化)に
突き進みたいからだと思った。規定を、対立を明確にすることで、矛盾を屹立させ、
そこから運動を導出することをしようとしているのだ。
これは弁証法であり、絶えざる変革の立場であり、ヘーゲルそのものではないか。

 一方、普通の形式論理学者は、その先に進まないために、
現状を肯定するために、矛盾律を使う。
これがバカたちの理解するアリストテレスなのだろう。

 他方、矛盾律に反対する人たちは、生成、消滅や運動を説明できないとして、
規定や対そのものを否定する。その結果、対立があいまいになり、
矛盾が突き詰められず、結果的に運動を説明できなくなる。
(上巻137ページ以下に詳しい)

 排中律(つまり矛盾律)に反対するのは、相対主義者たちである。
アリストテレスは、そうした相対主義者の立場や心情を理解した上で、
その批判を展開する。

  「すべての現れがことごとく真実であると説く者は、
   すべての存在を相対的であるとする者である。
   それゆえに、理論上の強制力を要求すると同時に、
   自らの説の正当性を主張する彼らも、現れがただ端的に
   存在するというのではなくて、現れはそれが現れる人に対してそうあり、
   それが現れる時にそうあり、またそれも現れる感覚やその時の事情の
   いかんに応じてそうあるのである、と言って自ら警戒せねばならない。
   もし彼らがこのように自ら警戒することなしに、自説の正当性を
   要求するならば、彼らは直ちに自ら矛盾したことをいうことになるであろう」
    (4巻6章。上巻145ページ)。

 アリストテレスは相対主義を否定するのではない。むしろその徹底を求めている。
それが徹底できないで、あいまいなところで停止し、思考停止していることを
批判しているのだ。つまりアリストテレスの立場は相対主義の否定ではなく、
それを止揚した上での絶対主義なのだ。

 排中律を人々が嫌う理由は、選択、決断を迫られたくないという心情にあると思う。
それが相対主義者たちの本音ではないか。(4巻7章。上巻148,149ページ参照)

 以上を確認して、私は驚いた。私はすっかり騙されていたのだ。
 いわゆる形式論理学とは対極の所に、アリストテレスは立っていた。

5月 12

アリストテレスの『形而上学』から学ぶ  その2

 ■ 今回掲載分の目次 ■

 (3)「自然科学オタク」としてのアリストテレス
 (4)アリストテレスの著作の読み方と、
    『形而上学』のアリストテレス哲学体系における位置
 (5)アリストテレスの問題への向き合い方

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◇◆ アリストテレスの『形而上学』から学ぶ 中井浩一 ◆◇

(3)「自然科学オタク」としてのアリストテレス

 アリストテレスとプラトンの対立の意味については、すでに多くの人が考えてきた。
カントは「アリストテレスは経験主義者たちの頭目と、
またプラトンは理性主義者たちの頭目と見なされうる」
(『純粋理性批判』「純粋理性の歴史」)と言っている。
アリストテレスに経験主義者の面は強い。『形而上学』冒頭の有名な箇所からは、
アリストテレスの感覚への偏愛が確認できる。

  「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。
   その証拠としては感官知覚〔感覚〕への愛好があげられる。
   というのは、感覚は、その効用をぬきにしても、すでに感覚すること
   それ自らのゆえにさえ愛好されるものだからである」(1巻1章)。

 これはアリストテレスがいかに感覚を愛し、その対象の自然と
自然研究を愛していたかを示すだろう。1960年代、70年代の
カウンター・カルチャーでは「いま、ここ」がスローガンになったが、
この考えを確立したのは、アリストテレスだと言えるかも知れない。

 私はアリストテレスを、「自然科学オタク」として考えるとわかりやすいと思った。
 哲学者には理系的な人と、文系的な人に大きくわかれると思う。
また、実証主義的な人と、理念主義的な人とにわかれるだろう。
アリストテレスは生来、理系的な実証主義者で、オタクだったと思う。
プラトンはその対極にあったのではないか。
そうした違いもその対立の原因だったろう。

 哲学史上で、理系的なのはアリストテレスやデカルトである。
倫理や人間社会の研究が中心なのは、ソクラテス、プラトン、
ヘーゲル、マルクスなどである。

 自然研究は社会研究よりもわかりやすい点がある。対象が
自分と無関係(とりあえず)に存在し、その全体像がつかみやすい。
そこで、自然界の運動、生成・消滅を観察し、統一的な説明をしようとした。
自然の階層性、分類も体系的に考えようとした。その際、まずは
徹底的な実証的研究になるし、アリストテレスはそれが得意だった。

 社会や倫理は、対象が自分自身を内在しており、その全体像がつかみにくく、
観察や実験だけではとらえられない。運動、生成・消滅は、政治闘争、
経済闘争として社会にもあるのだが、その全体像は見えにくく、把握が困難だ。
こちらは観念論的になりやすい。ここにも、自我の内的二分が
アリストテレスからは出てこなかった理由があるかも知れない。

 アリストテレスとプラトンとの対立にはこうした違いが根底にあったと思う。
しかしアリストテレスは、その自分のオタク性を、プラトン主義によって
陶冶したのではないか。そうだ。しかし、そうした資質の一部は暴走し、
枝葉末節へのこだわりとなることもあったのではないか。

 アリストテレスにある矛盾、二面性は、このようにも考えられるだろう。

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(4)アリストテレスの著作の読み方と、
   『形而上学』のアリストテレスの体系における位置

 実際にアリストテレスの著作を読んでみて、その読みにくさには辟易した。
 それはどこから来るのだろうか。

 1つは、それが紀元前の古いものであり、当時は今のような「書き言葉」の
世界ではなく「話し言葉」の世界、オーラルが中心の世界であったことから
生まれるのではないか。

 アリストテレスの著作には、「言われるものども」「?と言われるから」
「?と言われないから」という言葉が繰り返し出てくるのだが、
当時は音声、「語り」が中心の時代であり、文字は、その話し言葉を
記録するという役割が主であり、「書き言葉」本来の意義がまだ十分に
現れていない時代だったのではないか。

 宮本常一の『忘れられた日本人』の世界だと言える。
口承の世界、聞き書きの世界、一人語りの世界なのだ。

 したがって、その読み方は、内容理解以前に、文化人類学的、
民俗学的なものとなるだろう。
近代の著作を読むようには読めないのが当然だ。

 「書き言葉」は、「話し言葉」の反省形態であり、それを整理し、
高め、純化するものだが、当時の書き言葉にはそうした役割が弱い。

 もちろん、当時も著作として意識された文章があり、それはプラトンの
対話編のように読みやすく整い、「話し言葉」を反省したものになっている。

 アリストテレスの著作の読みにくさとは、今日残されているもの
(「アリストテレス大全」)のほとんどが講義のメモ、草稿であり、
完成された著作ではないという点にもある。さらには、
書かれた時代も異なる草稿類を、後の人が編集したものであることが、
いっそうわかりにくくしている。

 アリストテレスの著作には「ところで」で文や段落をつなぎ、
前後の論理的関係が示されないことが多い。接続詞が変な箇所も多い。

 これはそもそもが「語り」だからなのか、「メモ」「草稿」類だからなのか、
他者の編集だからなのか。もちろんそれらも理由だろうが、
当時は「書き言葉」によって、構想全体を立体的に
整理し直すようなことができなかったのだろう。

 アリストテレスは対概念をたくさん使用しているのだが、
全体として叙述は平板で、すべてがべた?っと並べられ、立体的にならない。

 これは、アリストテレス自身の思考の弱さ、体質的な実証主義の側面が
強く関係していると思う。実証主義は事実や現象にべた?っと寄り添うもので、
そこから身をひきはがし、屹立することが弱い。
プラトンのような飛翔する力は、アリストテレスには弱いのではないか。

 例えば、プラトン主義批判の23カ条などがそうだ。
いくらなんでも、もう少し整理して立体的に述べられないものか。
こうしたバカっぽいところがアリストテレスにはあると思う。

 しかし、そうした草稿類ではあるが、アリストテレスは体系家であり、
体系的に整理編集されて、「アリストテレス大全」にまとめられ、
今日に伝わっている。その中で、『形而上学』は、どこに位置づけられているのか。

 「アリストテレス大全」で、最初に来るのが予備学としての「論理学」だ。
これは、あらゆる学問研究に先だつ予備科目で、一般に正しく思考し
考えるための「道具」「方法」であるとされている。

 「論理学」に続いて、次には「本論」として、「理論学」と
「実践学」(倫理、政治)と「制作術」(弁論述、詩学)がおかれている。

 「理論学」がその中心だが、それは3部門あったようだ。
「自然学」と「第1哲学」と「数学」。「数学」は残っていない。

 「自然学」は、アリストテレスの最も得意とするものであり、
この研究をしたいからこそ彼は哲学者になったと言えるだろう。

 そして「自然学」の次におかれたのが『形而上学』である。
そもそも『形而上学』とは「自然科学の諸論文の次書」という意味からの命名だ。
それは「第1哲学」と呼ばれるが、自然に関する実証研究を理論化、一般化して、
世界の実体に迫ろうとしたものと言えるのだろう。

 以上から、「アリストテレス大全」における核心は『形而上学』にあることが確認できよう。

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(5)アリストテレスの問題への向き合い方

 『形而上学』を通読すると、人が本気で何かをしようとする時の覚悟が、
具体的につたわってくる。それは、哲学史(1巻)であり、
「難問集」(3巻)であり、「用語集」(「哲学辞典」5巻)である。

 アリストテレスは、巨大なテーマを前にしていた。
 そうした時に、人はどのように取り組めばよいのだろうか。

 アリストテレスはまず、その問題、対象に対する過去の考え方、
論争、論点を確認することから始める。それが哲学史の確認であり、
「難問集」としての論点の整理である。このテーマに答えるには、
どういった論点に回答できればよいかを、自分に対して確認しているのだ。

 その論点確認の際に、用語の確認、意味の分析と整理がどうしても必要になる。
「?には多くの意味がある」(9巻 下巻20ページ)からだ。それが「用語集」だ。

 このように、アリストテレスは哲学史の研究者から哲学者になった。
これが、自分の哲学を作るための「王道」だろう。ヘーゲルもそうだった。
それはプラトン主義を全面的に克服するための方法でもあったろう。
そして、哲学史を研究するには、当時の世界で、アカデメイアの書庫が、
最高の環境だったのではないか。

 巨大なテーマに取り組むと、道に迷い、自分を見失いやすい。
アリストテレスのような取り組みは、自分の方向性を、自分自身に
はっきりさせるために必要なのだ。こうして、アリストテレスは
問題の全体を見渡そうとする。この「全体」を把握しようとしたことが、
アリストテレスの圧倒的にすぐれた点であり、彼の体系性を生みだしていく。

5月 11

アリストテレスの『形而上学』から学ぶ

 アリストテレスの『形而上学』を、2011年の1月から3月の
 読書会のテキストに取り上げ、通読してみた。
 改めて、その巨大さに圧倒された。
 世間の言うアリストテレスとは、全く対極にあるアリストテレスを発見した。

 ■ 全体の目次 ■

(1)『形而上学』を読む観点
(2)アリストテレスとプラトン →その1

(3)「自然科学オタク」としてのアリストテレス
(4)アリストテレスの著作の読み方と、
   『形而上学』のアリストテレス哲学体系における位置
(5)アリストテレスの問題への向き合い方 →その2

(6)アリストテレスの「判断論」と「推理論」
(7)アリストテレスの「矛盾律」と「排中律」 →その3

(8)アリストテレス哲学の核心 全世界の発展における始まりと終わり →その4

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◇◆ アリストテレスの『形而上学』から学ぶ 中井浩一 ◆◇

(1)『形而上学』を読む観点

 アリストテレスの『形而上学』(岩波文庫版。ページ数はこれから)を
2011年の1月から3月の読書会のテキストに取り上げ、通読してみた。
20年以上も前に読んだことがあるが、当時のことはほとんど記憶にない。
対象が巨大すぎて、手も足も出なかったのだと思う。

 今回は、確認したいことがあり、そうした観点をもってのぞんだ。
 その分、今回は収穫があったように思う。

 アリストテレスとヘーゲルは、人類の哲学史上の2つの巨峰である。
ともに、それまでのすべての哲学が流れ込み、その後のすべての哲学が
そこから流れ出た。ヘーゲルは他の誰よりも、アリストテレスから学び、
アリストテレスを絶賛している。その核心部分を理解したかった。

 昨年、波多野精一著『西洋哲学史要』のアリストテレスの項を読み、以下を考えた。

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   アリストテレスのすごさとは何か。

   【1】個別と普遍(本質)の問題と、【2】変化・発展の問題と、
   【3】全世界の構造、神から物質までの階層、順番の問題。
   この3つの最も根源的な問題を、3つともにとりあげていることもすごいのだが、
   それらを1つに結びつけていることが、その圧倒的な高さだ。

   この【1】は誰もが問題にする。この【1】に対するアリストテレスの答えは
   並の答えで、すごいのは、この【1】と【2】とを結びつけて論じたことだ。
   【1】と【2】を、同じ事態の2つの側面としてとらえた。
   その結果、【3】を説明することができたのだ。
   ヘーゲルは、何よりも、ここから学んでいると思った。

    (以上「ヘーゲルとアリストテレス」メルマガ179号)

———————————————————–

 まず、この点を確認したかった。これが今回の最大の観点である。

 もう1点、確認したいことがあった。ヘーゲル哲学が、近代世界を
切り開いたものだと言われるのは、その「自我の内的二分」の考えによって、
全世界の中心に人間を置いたからだ。それはアリストテレス哲学ではどうだったのか。

———————————————————–

   アリストテレスには対象意識はあった。対象世界、その全体と
   その構造や最上位に君臨する神を、とらえていた。
   対象世界の中には、自然も精神(魂)も人間社会も含まれていた。
   人間社会では、法律も制度も道徳も国家体制もとらえていた。
   無いのは、自己意識(意識の内的二分)だけだ。

    (以上「ヘーゲルとアリストテレス」メルマガ179号)

———————————————————–

 この点も確認したかった。
 なお、以下の前提となる知識は岩波文庫下巻の解説による。

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(2)アリストテレスとプラトン  

 この確認作業の結果を述べる前に、改めて、アリストテレスの人生や、
歴史上の位置についても考えたので、それを最初に述べたい。

 アリストテレスは、紀元前384年ごろの生まれだという。これだけ古い時代に、
これほどの思想、思考レベルに到達していたことに驚く。

 アリストテレスとプラトン、この巨人二人の出会いは、アリストテレス17歳、
プラトン60歳の時。その後、プラトンが死ぬまでの20年間、アリストテレスは
プラトンの学園アカデメイアで修業を重ね、次第に頭角を現していた。

 しかし、プラトンの死後、学園の後継者(学頭)はアリストテレスではなく、
プラトンの血縁者(甥)だった。アリストテレスは独立し、自らの学園を作ることになる。
なぜ、後継者がアリストテレスにならなかったのかは、不明なようだが、
路線対立があったことは確かだろう。

 『形而上学』には、「1」や数学(ピタゴラス主義)とイデア論を
批判的に検討する部分が多く、全体の3分の1ほどある。
これは、アカデメイアで当時強まっていたイデア論の数学化、
神秘化への断固たる批判なのだろう。プラトン主義、そのイデア論についても
徹底的で執拗な批判が繰り返されている。

 しかし、こうした批判をする以前に、アリストテレスには
プラトンの下で学んだ20年間がある。したがって、批判は、
プラトンの下で学んだことを発展させるためのものであったと理解するべきだろう。
それがアリストテレスの発展の立場から、アリストテレス哲学を
理解することになるだろうから。

 アリストテレスが、プラトン(ソクラテスも)から学んだことは何だろうか。

 第1に、哲学する姿勢であり、第2にその能力であろう。
 現象ではなく、対象の「それ自体」としてのあり方(イデア論)を問うこと。
超感覚的なイデアの世界で考え、そこに生きること。
つまりたんなる現状肯定、現状追認ではなく、それを変革していくこと。

 そして、対象の「それ自体」(イデア)を考えるための方法と能力。
それはプラトンによって対話編として展開されるから、言葉の研究、
判断(定義)の形式の研究になっていく。その時に、その対象は、専門用語ではなく、
日常用語、生活の言葉や思考の形式であったことを改めて確認した。
そのことに新鮮な驚きがあった。

 例えば、『形而上学』でアリストテレスは「教える」ことの意味を次のように説明する。

  「また一般に、ひとが物事を知っているか知っていないかについては、
   そのひとがそれを他に教えうるか否かが、その一つの証拠になる。
   そして、この理由からするも、技術の方が経験よりも
   より多く学問〔学的認識〕であるとみなされる。
   けだし、技術家は教えうるが、経験のみの人々は教ええないからである」
   (1巻1章。上巻24ページ)。

 このように、「教える」という日常的な行為を取り出し、
その根源的で普遍的な意味を大きくとらえる捉え方に感心する。

 また、これに関連して、経験と技術(理論)の違いを他の箇所では次のようにとらえる。

 まず、経験家が個別のことにつては、理論化より、しばしば上手く
処理できることを認める。例えば、医術でも「(理論家が)概念的に
原則を心得ているだけであるなら、したがって、普遍的に全体を
知っておりはするが、そのうちに含まれる個々特殊については無知であるなら、
しばしばかれは治療に失敗するであろう」と述べるが、

 「しかし、そうは言うものの」と論を転じて、

  「『知る』ということや『理解する』ということは、経験によりも
   いっそう多く技術に属することであると我々は思っており、
   したがって、経験家よりも技術家〔理論家〕の方が、いっそう多く
   知恵ある者だと我々は判断している、このことは、「知恵」なるものが、
   いずれの場合にも、「知ること」の方により多く関するものであることを
   意味するのであるが、そのわけは、後者〔理論家〕は、物事の原因を知っているのに、
   前者はそうでないから、というにある。けだし、経験家の方は、
   物事のそうあるということ〔事実〕を知っておりはするが、それの
   なにゆえにそうあるかについては知っていない。しかるに他の人は
   なにゆえにを、すなわちそれの原因を、認知している」
    (1巻1章。上巻24ページ)。

 この「なにゆえに」つまり「原因」が実体であり、アリストテレスの研究対象になる。
こうした考えの進め方は、まさに「生活の中の哲学」そのものだ。

 当たり前のことだろうが、当時は、日常用語、生活の言葉と、
学術用語の区別がなかったのだ。哲学者も生活の言葉で考えている。
アリストテレスは、哲学用語をその言葉の生活面での使われ方から考えている。
それはさらに言えば、日常と哲学などの専門学術が分裂していなかったことを意味する。
アリストテレスの用語は、生活から地続きなのだ。

 その後、西洋でも両者は分裂するが、近代化の過程で日本などの「後進国」は
西洋の学問を輸入する過程で、この日常語と思考の言葉の間に完全な分裂が
起きている。この問題は、明治の夏目漱石らの先人達が押しつぶされそうに
なりながらも取り組んだ問題だが、私たち日本人には今も重くのしかかっている。

 さて、アリストテレスはプラトンから学ぶ一方で、プラトンを
激しく批判している。その批判点は何だったのか。

 それは、プラトンのイデア論では運動の説明ができないことにあった。
アリストテレスは、プラトンによって「自然についての研究は壊滅されるしかなかった」
(1巻9章。上巻67ページ)とまで言っている。

 アリストテレスの第1の関心は自然研究だった。
自然界には生成・消滅や変化があり、物理的な運動があるが、それが研究対象だった。
生物の世界、植物や動物の世界の分類、体系化がテーマだった。
ところが、それがイデア論では説明ができない。

 その限界を、イデア論を全否定するのではなく、イデア論を発展させることで
乗り越えることがアリストテレスの課題だったと思う。

 アリストテレスは、プラトンの死後、アカデミアを去って自分の学園を作った。
すでに40歳をすぎていた。ここからアリストテレスが自らの哲学を確立するための、
プラトンから真に自立するための、本当の闘いが始まったと思う。
そして、生涯をかけて自らの課題と取り組んだ。
そのアリストテレスの回答は『形而上学』にまとめられている。