5月 21

佐藤優『国家の罠』(新潮文庫)を読みました。
ひさしぶりに心が動かされました。

鈴木宗男事件で逮捕された外交官の「暴露本=告発本」です。
しかし、下卑たところは1点もない、見事な本です。

国策捜査とその背景の時代の変化
マスコミの実態、
外務省、検察の組織の実態
組織の中で生きる個人の生態
国家目的と官僚の関係、政治家と官僚の関係

それがあざやかに描かれています。

見事な生き方と、カスの生き方と。
それは最終的に「誠実さ」「真っ当さ」に行き着くようです。

6月27日の読書会テキストを変更し、佐藤優『国家の罠』(新潮文庫)を読みます。
当初予定していた中井久夫「精神科医がものを書くとき」(ちくま学芸文庫)は7月以降に取り上げます。

5月 06

 5月3日のJ-CASTニュースで、東大の一人勝ち状況にコメントしました。
 以下が私の校正した文面ですが、ラストが変更されました。

東大「一人勝ち」ますます進む 
京大や早慶は「何をやっとるのか」

(連載「大学崩壊」第2回/国語専門塾代表・中井浩一さんにきく)

「東大一人勝ち」。他大学からため息とともに漏らされる言葉だ。研究・運営費の多さを指すらしい。ただ、研究だけでなく、東京大学は「キャリア官僚」を最も多く輩出してきた大学でもある。しかし、「官僚が国を支える」時代が終わりを告げ、東大の存在意義に疑問符を投げかける声も出てきた。東大を「優遇」する必要は今後もあるのだろうか。「『勝ち組』大学ランキング どうなる東大一人勝ち」(中公新書ラクレ)など大学関連著書も多い、国語専門塾「鶏鳴学園」代表の中井浩一さんにきいた。

(中見出し)
ますます「一人勝ち」が進み、差が広がる

――「東大一人勝ち」について中井さんが取り上げた本の出版が2002年でした。その後04年に国立大学が独立行政法人化されました。「東大一人勝ち」の状況に変化は出てきたでしょうか。

中井 ますます「一人勝ち」が進み、差が広がっています。運営交付金が多いとか、論文発表数や引用数が多いとか、そういう数字に表れるランキング的な話ばかりでなく、総合的な力で他大学は水をあけられています。教養部改革や大学院重点化でも、法人化や産学連携の体制作りでも、東大が一番早く、根本的なことを行っています。改革のパワーでは最強であると言っていいと思います。

――差が広がるのはなぜでしょうか。運営交付金など「国費」投入額が国内1位であり続けていることが影響しているのでしょうか。2008年度の運営交付金(当初予算)は、東大は約882億7000万円で、2位京大より274億円以上も多く受け取っています。

中井 お金の問題も影響してないとはいいません。しかし、本質的にはまったく別問題だと考えています。そもそも独立行政法人化以降、旧国立大は、国立大時代よりはるかに自由に独自の視点で動けるようになりました。ところが未だに東大の背中を見ながら様子見をしている。これは私立大もそうです。東大が先にやって、うまくいけば自分たちも導入、失敗すればしないという姿勢です。京大など2番手、3番手は何をやっとるのか、ということです。新しい価値観、新しい動きを打ち出す気構えが感じられない。これでは東大に「一人勝ちしてくれ」と言っているようなものです。

――今話に出てきた京大は、物理や化学などの理系のノーベル賞受賞者が、東大より多いとよく言われます。東大とは違う独自性を発揮しているとは言えないでしょうか

中井 そういう部分を全否定する気はありません。しかし、ノーベル賞受賞者が京大を卒業したのって何十年前の話ですか。差があるといってもごくわずか数人差です。確かに、京大には例えば1970年前後ごろ、今西錦司や桑原武夫、梅棹忠夫など学問をリードする人材がいて輝いていた時代がありました。しかし、それ以降は凋落がはなはだしい。その原因は、学内を優遇する親分・子分人事にあります。

 一方東大は、90年代に建築家の安藤忠雄や京大卒の上野千鶴子を教授として外部から迎え、最近では早大卒の政治学者姜尚中を迎え入れるといった、思い切った人事をしています。学内の序列で順番を待つ人がいるのに、よそから教授を連れてくるのは大変なことです。また、やはり90年代ですが、東大は教養教育の新しいカリキュラムを実施し、そこから生まれた本を出版、「知の技法」と「ユニヴァース・オブ・イングリッシュ」はベストセラーになりました。こうしたことをする力が東大にはある、ということです。他大学では感じられないパワーが確かにあります。

(中見出し)
創造性、先見性ある人材を

――東大の存在意義としては、学問の分野だけでなく、「官僚養成機関」としての役割も大きかったと思います。高度成長期など「国を支える、国を引っ張る官僚」が求められた時代もありました。しかし、昨今では官僚が国を引っ張る時代ではなくなり、「官僚養成機関」としての東大の価値は低下したのでは、という見方もあります。

中井 確かに東大が育成してきたのはキャッチアップ能力に優れた人材でした。先行するものがあって、それをうまく効率的に早く追いかける力がある人間でした。その最たるのが官僚です。東西冷戦以降、そうした人材では、すべての運営がうまくいかなくなった。もっと創造性、先見性ある人材が求められるようになりました。しかし、東大はそうした人材を育成して来られなかったし、今もできていません。

 しかし、キャッチアップ能力しか持ち得なかったのは、何も官僚だけではありません。日本の政治家だって財界人だって同じようなものです。結局はアメリカの後追いをする発想の枠組みでしか行動できませんでした。東大以外のほかの大学、例えば京大や早稲田や慶応は、以前から創造性ある人材を育成していたのでしょうか。要するに、官僚の役割低下の問題は、東大だけの問題でも官僚だけの問題でもない、ということです。

――では、東大一人勝ちはまだ続くし、それで構わない、ということでしょうか。

中井 今のままの発想と能力では、同じ状態が続くだけでしょう。それでいいとは思いません。東大が育てられなかった創造性、先見性ある人材を輩出する大学が出て来なければなりません。しかし、それにはお金の話の前に意識改革が必要です。これは社会一般、国民意識にも当てはまると思いますが、大学の教員自らがキャッチアップ能力しかなかったことを反省できるかどうかです。

 まずは安易に東大批判をする風潮をやめるべきです。批判すべき所は勿論批判すべきですが、他と比べて優れているところは素直に認めるべきでしょう。アンチ東大、なんて言っている限り永遠に東大を超えることはできません。アンチの姿勢を心地よく感じるのは、70年代までの学生運動のノリで、それは実はありがたがっていることの裏返しです。もっと独自の価値観で堂々と勝負していい。アメリカ追随の政治しか持ち得ない日本社会ではもうだめなように、一人ひとりが考え直す時期かも知れません。このまま東大一人勝ちを許し続けるようでは、日本の将来は明るくありません。

 真のエリートを教育するにはどうしたらよいのか。私の塾ではすでに4半世紀にわたり、それを実践してきました。拙著「日本語論理トレーニング」「脱マニュアル小論文」などを参考にして、是非大学の授業をチェンジしてほしいものです。

中井浩一さん プロフィール
なかい こういち 1954年生まれ。京都大文学部卒業。一般企業や大手予備校勤務の後、ドイツへ留学。1989年に国語専門塾「鶏鳴学園」を設立、現在も代表を務めている。著書に「日本語論理トレーニング」(講談社現代新書)、「脱マニュアル小論文」(大修館書店)、「大学『法人化』以降」(中公新書ラクレ)、「大学入試の戦後史」(同)など多数。

(写真キャプション)「東大はがんばってる、なんていうと文句を言われることもある」と話す中井浩一さん。中井さんは京大OBだ

5月 04

(1)大学生。社会人のゼミの成果のまとめ
1カ月、ゼミを休みにして、
昨年から読んで考えてきたことを原稿にまとめました。
ヘーゲルの『法の哲学』、『本質論』、『精神現象学』の「序言」。
マルクスの「ヘーゲル国法論批判」
許万元『ヘーゲルの現実性と概念的把握の論理』
についてです。
メルマガやブログで公開します。

こうした時間を定期的にとって、成果をまとめていく必要を強く感じました。

(2)村上隆「芸術起業論」を読みました。
痛快な本でした。
日本の現状批判と、世界で生き残るための戦略について、
単純かつ明快な主張で、気持ちが良かった。
本気で生きている人に触れた快感だと思います。
これほどシンプルな形になるまで、どれほど大変だったのかを考えました。

5月 03

 3月5日に神奈川県立近代美術館(鎌倉別館)で関合正明展を観てきた。2回目となるが、しばらくは観られないと思い、ゆっくり丁寧に観た。09年1月27日のブログでは関合の絵の良さについて述べたが、その弱さにも触れておく。

 関合には孤独に徹する強さがあるが、まだ甘さが残っている。画面の形や構成を突き詰め切れていないところに、それを感ずる。
 彼は形を壊さない。現象の形や事実に寄りかかっている。例えば、彼は風景の中に人間を入れて描く。しかし、私には、なぜその人間の形や外見が、そこに必要なのかがわからない。
 風景や情景に人間を入れるかどうか。入れるなら、なぜ入れるのか。どう入れるのか。入れないなら、なぜ入れないのか。
 こうしたことを突き詰めていないように思われる。佐伯祐三なら人間を入れない。池大雅では人間と自然が一体になっている。

 こうした問題を突き詰めていない徹底性の弱さが、彼の絵を今ひとつ突き抜けた地平に進めなかったのだと思った。

5月 01

 日本の美術展を観ていると、たいがいは不満でたまらなくなる。企画力の貧困、問題意識の弱さ、それにつくづく情けなくなる。そこで、時々優れた企画に出会うことができると本当に嬉しい。それについて書いた。

◇◆ 展覧会には2種類ある ◆◇

 3月5日に神奈川県立近代美術館 葉山で「アジアとヨーロッパの肖像」を見た。国際巡回展で、神奈川県立歴史博物館と県立近代美術館 葉山で同時開催となった。美術館のHPでは「特色ある活動を展開してきた両館が、初めて全面的に連携を組む新しい試み」と謳っている。「この展覧会では、アジアとヨーロッパの出会いを背景に、広い意味での肖像、すなわち人物表現を伴う絵画・彫刻・工芸・写真などに表現された自己と他者の姿の歴史的な展開を、5 つの章で紹介します」とある。

 私は、後進国であるアジア諸国が、西洋画を受容する過程が展示され、その比較もできることが面白かった。日本の画家たちを、他のアジア諸国の西洋画受容との比較で見ると、違うように見えてくるのが面白い。もちろん、西洋側の東洋絵画の受容もある。

 展覧会には2種類があると思う。

(1)新しい視点、観点の提示をし、その視点からの展示をする。したがって、内容的には従来とすべて同じでも、そこに新たな発見がある。
 
(2)新しい視点、観点はない。既成の枠内で行っている。典型的なのは「ルーブル展」とか「ピカソ展」「ゴッホ展」「ゴーギャン展」とかである。これは現地(外国)に行かなければ見られないものが、日本に居ながらにして見ることができる。しかしそれだけのことだ。

 もちろん、(1)(2)それぞれの範疇においても、それぞれの企画においてレベルの差がある。しかし、大きく言って、(1)を私は(2)の上に置く。
 (2)は昔ならいざ知らず、今の時代には大きな価値はない。また、これは既存の価値観に依存するだけに、そこそこの成功は確約される、安全策だ。しかし、安易で情けないものだ。企画力が不要だし、学芸員の問題意識も不要である。金のあるなしだけが問題だ。

 こうして二つを区別すると、日本ではほとんどが(2)であり、(1)は非常に少ないことがわかる。

 展示があれば、私はいつもこの2種のいずれであるかを考える。単なる個人展でも、無名の新人の発掘や新たなグループ展などは(1)になる。絵画ではないが、以前見た中村真一郎の企画による「堀辰雄展」などは、全く独自な中村の視点で編集されていて、目を見張らされた。

 日本の美術館で言うと、神奈川県立近代美術館はよく(1)の企画をしてくれる。戦後初めての近代美術館であり、学芸員が良く教育されているのだと思う。

 東京の渋谷区立松濤美術館も、そうした企画が多い。これは所蔵作品が少なく、企画力だけで勝負するしかないという状況が大きいと思う。その結果、学芸員は頑張らざるをえない。

 東京国立博物館の最近の企画には、しばしば(1)が入る。所蔵品に恵まれ、なおかつ、企画力に優れていれば、鬼に金棒だ。

 京都国立博物館もしばしば(1)の企画を行う。春の「妙心寺展」はすばらしかった。妙心寺は禅宗(臨済宗)の中で京都五山などの官制に組みすることのなかった一門だ。その権力に距離を取った寺が芸術を守ってきた。また初代から代々のトップの肖像画や弟子への認可証などが並べられ、師弟関係がとぎれることなく続いてきたことがわかる。「師弟関係」について関心を持っている私にとっての、一つの規範がここにある。良い点も悪い点も含めてだ。

 今回、腑に落ちたことがある。妙心寺派が運営する花園大学では、禅の独自の研究が行われてきた。京大人文研出身の入矢義高と妙心寺の柳田聖山によって、臨済録などの古典の読み直しが行われてきた。従来の読み方への徹底的な批判だ。口語、俗語を正確に読むことで、権威づけられてきた古典から虚飾をはぎ、剛直で直截な表現を浮かび上がらせた。もってまわった高遠な思想は消え失せ、師弟の緊迫した息づかいが生き生きと甦った。正統派からは、異端として扱われたその試みが、なぜ花園大学で可能だったのか。長年の疑問の答えがわかったように思う。もちろん妙心寺一門の問題点もあるが、それには今は触れないでおく。

 京都国立博物館は、今年秋にも魅力的な展示を行う。「日蓮と法華の名宝―華ひらく京都町衆文化―」であり、「文応元年(1260)、39歳の日蓮は、度重なる災厄と国家の危機を憂えて、『立正安国論』を著し、鎌倉幕府前執権の北條時頼に献じました。それから750年目にあたる今年、それを記念し、『立正安国論』を軸に、京都十六本山を中心とした諸寺伝来の宝物の数々を、一堂に展観します」(博物館のHPより)とある。
 これはいわゆる「琳派」展だろう。江戸時代の本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ)、俵屋宗達に始まり、尾形光琳、尾形乾山らが確立し、その後もすぐれた継承者を多数生んだ「琳派」の流れの展示である。

 しかし、それがなぜ「日蓮と法華の名宝」なのか。光悦たちの多くが法華宗徒だったからだ。光悦は、京都の洛北鷹ヶ峯に芸術村(光悦村)を築いたことで有名だが、その住人の本阿弥一族や町衆、職人などは皆、法華宗徒だった。光悦の死後、光悦の屋敷は日蓮宗の寺(光悦寺)となっている。
 これには当然わけがある。浄土を死後の世界に求めず、現世に実現しようとする在り方、現世と人間の欲望を肯定する教えが、彼らの拠り所になっていたのだろう。
 その宗教と芸術との関係から「琳派」を見直すことで、これまでと違う側面が見えてくるかも知れない。