8月 30

2016年の秋には、初めて仏教を学習した。『摂大乗論』に関する卒論の指導をする必要があり、
仏教に向き合わざるを得なくなった。
これまでは、仏教についてはなかなか本気になれないし、その経典や概説なども読む気にならなかった。
ヘーゲルが仏教を抽象的普遍としてバカにしているし、私自身も従来の日本の葬式仏教への軽蔑の念があったからだ。
もちろん、仏教(大乗)が中国、朝鮮、日本へと伝播していき、日本において空海、最澄、栄西、道元、日蓮、親鸞
を生んだことを重く重く考えなければならない。それは当時の日本で思想という名に値するごくわずかの成果だった
のだから。鎌倉時代の仏教の沸き立つような時代を思うと、仏教の根源を理解したいという思いはあった。

さて卒論指導だが、本人が仏教の宗派の中では唯識に関心をもっており、卒論の計画では最初は比較思想の観点から
カントと唯識を比較するなどしてお茶を濁す予定だった。『仏教の比較思想論的研究』の中の東大の玉城康四郎の
「カントの認識論と唯識思想」を下敷きに、実際にカントと唯識を比較して、意見をまとめる。
しかし、玉城の論考はあまりおもしろくなく、本人のやる気に火をつけることができなかった。
そこで、最終的には本人が強い関心を持っていた唯識の経典『摂大乗論』をしっかりと読むことにした。

『摂大乗論』は4世紀にインドのアサンガ(無着)によって書かれた大乗仏教の概論、総論の書である。
当時の新思想である唯識の立場から仏教を総括し、唯識の初期の段階でその立場を打ち立てたものである。
仏教の経典中の最高峰との評価もあり、これを読むにあたっては最低限の準備が必要だった。
中央公論社の『世界の名著』シリーズから「原始仏教」「大乗仏教」の巻の解説と収録された経典を読み、
『仏教の思想』シリーズから、2巻『存在の分析<アビダルマ>』 、3巻『空の論理<中観>』 、4巻『認識と超越<唯識>』と、
中村元の『ナーガールジュナ』(人類の知的遺産 講談社)などの概説書、橋爪大三郎と大澤真幸による『ゆかいな仏教』
(サンガ新書)などを読んだ。
 その上で『摂大乗論』を読んでみた。そこで考えたことをまとめておく。

■ 目次 

「悟り」の根本矛盾 (仏教を考える)

1.唯識と『摂大乗論』
(1)仏教の展開史における唯識
(2)アサンガの『摂大乗論』
(3)三性説
(4)アーラヤ識
(5)後得智と不住涅槃
(6)ブッダと中観と唯識
※ここまでを本日掲載。

2.仏教とユダヤ教・キリスト教
(1)言葉への不信
(2)人格神の意味 内的二分と外的二分の関係
(3)「悟り」の矛盾 3段階の発展 
3.比較宗教学、比較思想
(1)比較思想の難しさ
(2)『ゆかいな仏教』は自由にしてくれる
(3)宗教と哲学や科学とは何が違うのか
※ここまでは明日に掲載。

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「悟り」の根本矛盾 ?仏教を考える?

1.唯識と『摂大乗論』

(1)仏教の展開史における唯識

 仏教は全体としては次のような展開をした。

ブッダ→ 小乗仏教→ (アビダルマ)
       大乗仏教 (中観派 唯識派)→ インドでは完成
                           中国、日本に伝来

ブッダ(紀元前5世紀)の教えは弟子たちにより編集され経典としてまとめられ、その布教活動は継承された。
その人生観、世界観、悟りの方法は、法(ダルマ)として整理されたが、その詳細な分析と体系化が僧侶たちの
中のエリート集団によって数世紀にわたり進んだ。その体系をアビダルマと称するが、それは実在論的であり、
スコラ哲学的な抽象的形式主義が支配的である。
それを小乗と批判し、自らを大乗と称した一派が現れる。そこから2,3世紀に「空」の思想の中観派(ナーガールジュナ)、
さらに、4,5世紀に唯識派が生まれた。「空」の思想はアビダルマの実在論を徹底的に批判し、それを継承した
唯識は仏教のインドでの展開の完成と言える。
その後7,8世紀から9世紀にかけて派生的な密教が栄えたが、それを最後に、12世紀には仏教はインドでは消滅した。
しかし、仏教は中国、朝鮮から日本に伝来し、新たな展開をもたらすことになった。7世紀の中国唐において、
日本では12,13世紀の鎌倉仏教などで大きな発展を見せた。

(2)アサンガの『摂大乗論』

4世紀のアサンガ(無著)の『摂大乗論』は、唯識の初期段階において、その基礎を打ち立てたものだ。
後にアサンガの弟ヴァスバンドゥ(世親)は、『摂大乗論』を基にして細部まで体系化して、ここに唯識は確立した。
『摂大乗論』は、唯識の立場を初めて打ち立てた重要な経典である。今回私が読んだのは長尾 雅人(訳)
『摂大乗論─和訳と注解』 (上下) (インド古典叢書 講談社 1982/06)である。
『摂大乗論』の理論編から読んだのだが、最初の方は非常に難解に感じた。しかし、ところどころ、
わかるように思う箇所があり、そこでは感心した。そこにヘーゲルの発展観と近いものを感じたからだ。
ヘーゲルの発展、矛盾とそれゆえの運動、悪の運動といった考え方と、よく似た考え方だ。4、5世紀の段階で、
発展の考え方と人類の普遍的運動、つまり真理を実現する運動をとらえ、それに自分が参加して生きる生き方を
説いていることに感心した。
しかし、他方で、聖書(旧約と新約)の強烈な面白さと比較すると、これはずいぶん退屈な本だとも感じた。
その理由は、ここには現実のリアルな問題が出てこないことによる。教団、組織、金(財源)などの話題がない。
自分たち内部にもたくさんの汚染や矛盾があっただろうに、その具体的な描写は全くない。中世のスコラ哲学の
神学論争のような雰囲気(坊主主義)がある。カースト最高位のバラモン階級の出身のアサンガによる坊主イデオロギー
ではないか。
 ただし、面白くないと感じながらも、この唯識と『摂大乗論』が後に果たした大きな役割のことも考えた。
仏教(大乗)は元々のインドでは12世紀に滅んだが、中国、朝鮮、日本へと伝播していく。当時の日本では、
およそ思想と言えば、仏教の関係者以外からは生まれていないのではないか。であれば、ここには坊主主義以上
のものがなければならない。

(3)三性説

『摂大乗論』は全体が理論編と実践編に分かれる。
 その第1章と第2章が理論編で、3章以下最後の10章までが実践編である。
理論編の第1章は人間の意識の構造、第2章が三性説の説明で、世界・社会の構造を説明している。
 第2章では、この現実世界を3種の実存(三性)として示す。それは現実世界という実在する世界であるが、
その認識世界でもある。ここには存在論と認識論との明確な区別はない。両者は混然一体となっている。

      妄想
依他起
      成就

依他起とはいわゆる「縁起」のことであり、世界の相互関係であり、これが世界の根源的な相、基底的な実存である。
この実相が人間によって「分別構想」され、人間がそれに執着すると妄想・迷いの世界が現れる。(3節)。
その妄想が払しょくされると成就の悟りの世界が現れる(4節)。

妄想の世界は否定されるが、3つの世界は別のものではなく、実は1つであり、妄想の世界が実はそのままに
清らかな世界であるとする。そこで、迷いの世界から悟りの世界へとの転換を促すのが、依他起つまり縁起の理解になる。
したがって、修業とは、この縁起の世界を理解し、迷いの世界の中に清らかな世界が実現しているを見抜いていくことになる。
この考えには引き付けられた。現象、偶然性、多様性の中に、必然性を見抜いていこうとする、
リアルな現実感覚があると思った。仏教は「否定」だけの「抽象的普遍」という立場だ、という私が勝手に
思い描いていたイメージは壊された。
なお、世界は本来はそのままに清浄の世界なのだが、人間が「分別構想」し、それに執着すると妄想・迷いの
世界が現れるとされる(3節)。しかしそもそも世界を認識するとは、それを「分別構想」すること、つまり
「ことば」によって世界を分裂・対立・差別としてとらえることである。『摂大乗論』はこの必然性を認めたうえで、
それを超える方法を考えているのであろう。
この「分別構想」とは、人間の思考の悟性的側面がとらえられているのではないか。それは人間の意識の内的二分であり、
それは人間と世界の分裂であり、世界の分裂でもある。
 また、迷いの世界、悟りの世界、依他起の三性の示し方が気になった。普通は迷いの世界→依他起→悟りの世界とされる。
それに対して、アサンガは依他起を最初から中心に据え、その2つの現れ方として迷いの世界と悟りの世界を示した。
これ自体は悟性的だが、ここにある示し方に媒介性の意識、3段階からなる発展というとらえ方の芽があると思った。

(4)アーラヤ識

この第2章の三性説を根拠づけ、その前提をなしているのが第1章のアーラヤ識説であると思った。迷いの世界、
悟りの世界、依他起(縁起の世界)との三性は、すべて人間の意識によって生まれているから、転換が可能か否かは、
その意識のあり方にかかっているはずだ。
第1章では、人間の意識には、五感と関係する普通の意識と、その根底にあるアーラヤ識(このナカミをとらえることは
できないとされる)があるとする。両者は因果関係、相互関係で結ばれている。つまり縁起である。
前者が感覚と思考による知であり、世界は現象としてとらえられる。そうした意識でとらえたものが、
アーラヤ識に蓄積され(巨大な貯蔵庫)、それが人間の意識の根底を作り、それが世界の現れとつながっている。
こうした「アーラヤ識」という考え方は、唯識が初めて出したものらしい。
これを人間の無意識とか集合的無意識と考える現代の研究者もいるようだが、私は普通の意識を相対化し、
妄想の世界から清浄な世界への転換を可能にするためのフィクションであり原理的な装置だと思う。
アーラヤ識という巨大な根源的世界を設定し、その現象的な表出として普通の意識を設定する。
するとそこに、可能性から現実性へと展開していく巨大な運動が現れてくる。
その運動によって、妄想の世界から清浄な世界へとの巨大な運動を保証しようとしたのではないか。
それは真理が人類史全体の中で実現していく過程であり、世界全体が真理へと実現していく過程の運動であろう。

以上のアーラヤ識説から、「唯識」という名称が生まれたようだ。
人間の識(意識)は働きであり、その成果が表象である。したがって世界は表象として現れる。
その意味で、世界は唯識でしかない。
しかし、その識(意識)の根底にはアーラヤ識があり、それは世界存在の根源であり、それが妄想の世界も清浄の
世界もつくっている。その世界存在の根源がアーラヤ識にあるという意味でも、この世界は唯識なのである。
これはアーラヤ識の発展を前提として、世界の変革の可能性を認めることである。
「唯識」の意味とは本来は後者の意味なのだが、前者の意味もその前提、契機となっているのであろう。

(5)後得智と不住涅槃

さて、こうした理論編を踏まえて、その実践編が描かれるのだが、それは三性説の応用であり、その具体化である。
そしてそれは3段階からなる発展として現れて来る。
面白いのは、悟りへの修業過程の3段階である。8章では次のように説明される。
加行智(世間智)→根本無分別智(いわゆる悟り)→後得智(世間智だが清浄)
                        世間に向かって働きかける
同じことが9章では、涅槃→不住涅槃として説明される。悟った涅槃の状態にも執着せずに利他行のためにあえて
世俗の世界で働くことが求められる。

仏教の本来の修業の目的とは、妄想の世界から清浄な世界への転換を果たすために、「悟る」ことである。
悟ることによって、迷いのない清浄な世界に生きることができる。それが「根本無分別智」である。
ところが、ここではそこに止まっていてはならないとする。
妄想の世界から清浄な世界への一大転換を果たした人、つまり悟った人も、そこに止まっていてはならない。
清浄な世界そのままに、清浄な世界から妄想の世界へとの転換を果たさなければならない。悟り、つまり迷いの
ない清浄な世界に生きるだけなら、そこには分裂はないが、不動で世間に働きかける力を失う。
悟りからは世間に向けて動き、働きかけ、世間自体に本来の清浄な世界を表さなければならない。
これは「悟り」には根本的な矛盾があることを示したものであろう。しかもこの転換は、最後の悟りの段階にだけ
起こる大転換ではないとされる。修業の日々の生活で、それが無限に繰り返される過程だとする。

私はここでうなった。これはすごい。無限の発展の運動をわかっている。それは各自の日々の小さな成長から、
人類と世界大に拡大され、その発展にまで到る。
人は清浄の世界からそのままに、妄想の世界で生きなければならないのだ。それが真理への到達の道であり、
真理を生きることなのである。それは認識だけで終わるのではなく、その実現に参加し、実際に自分自身がその契機
とならなければならない。世界の変革は、自己の変革と一体のものである。
ここを読んで、初めて仏教がわかったように思った。
また、ブッダが、悟ったのちに、しばし迷いの中になったことの意味が分かったように思った。
「悟り」を目標にすることの究極の矛盾がそこにあったのだろう。

ブッダは、個人が自らの悟りの段階に留まることを許さず、あえて世間に戻ること、世間にとどまって、
そこで仕事をすることを求めている。個人の悟りではなく、人類全体の悟りのための仕事をすることだ。
『摂大乗論』によって、ブッダの真意が初めて明らかにされたと、アサンガは思っていただろう。
これが大乗仏教の核心だろうか。

(6)ブッダと中観と唯識
 
唯識は中観派を発展させた立場だと言われる。それはどういう意味なのだろうか。
中観は2,3世紀に、インドのナーガールジュナが打ち出した思想である。
「空」の思想は「色(世界)即是空。空即是色」で有名であるが、それには、唯識の三性説とよく似た構造がある。

     存在(有る)
「空」
     無(ない)

これは、単に世界の存在を否定したのではない。世界がその現象のままに存在するということを徹底的に否定した。
しかし、それは世界存在そのものの否定ではない。世界は無ではなく存在する。しかし、現象のままではない。
この矛盾を直視することを求め、存在と無のいずれかを切り捨てて安住することを諫めているのではないか。
それが「空」の立場であり、それが「中道」ということなのでないか。中村元の概説書を読んで、そのように理解した。
「色(世界)即是空」。世界はただちに空である。しかし、これは前段に過ぎない。後段は「空即是色」。
空がそのままにこの世界である。この両面を統一的にとらえなければならない。
そうであるならば、これは唯識の三性説と似ていることがわかる。

ブッダの考えを、中観、唯識が発展させたとするならば、それは何をどのように発展さっせたのだろうか。
ブッダは、世界の根本的な矛盾を見ていた。その矛盾に耐えられない場合は、いずれか一方を取って他は切り捨てる
ことになる。また「悟り」の地点に止まり、世俗を否定して終わるだろう。しかしブッダは、矛盾に耐えよ、
そこで耐えて仕事をせよ、それが生きることだ、と伝えた。それが中道であろう。
 小乗では、その理解が浅かった。
 それに対して、大乗仏教が生まれた。そしてその矛盾の意味を深めたのだろう。
中観の空は、ただの否定ではない。世界を存在するとも、無であるともしない。その矛盾の中で、矛盾のままに
生きることを求めているのが、空の立場である。これはブッダの中道をより具体化したものだろう。
唯識の三性説も同じである。しかしそれにアーラヤ識の考えを導入することで、これをさらに空間的に全体性としてとらえ、
時間的に発展していく運動としてとらえようとしたのだと思う。
矛盾を深め、それが必然的に3段階の発展の形式になっていく。

8月 29

日本画(南画)に洋画を止揚した男 萬鐵五郎 

近代の日本の洋画家で、私が特別に愛しているのが萬鐵五郎だ。

彼の回顧展が神奈川県立近代美術館 葉山で「没後90年 萬鐵五郎展」として開催されている。
会期は9月3日(日曜) まで。その後、新潟県立近代美術館に巡回。

8月27日に、海水浴客でにぎわう葉山まで行ってきた。
ただ、萬鐵五郎に向き合い、彼と対話をしてくるためである。

今回の展覧会は、過去最大の規模であった。
それは量の話だけではない。
1つ1つの作品の制作過程を、彼が撮った写真、デッサン、下書きや下絵からたどったり、
1つのテーマ(構図)が繰り返し、繰り返し、時を置き、現れてくる様子が示されていて、
あれこれと考えさせられた。

特に、今回の展示のポイントは、彼の日本画(南画)に焦点を当て、
子どものころから最後の作品に至るまで、
その決定的な役割を解明しようとしているところだ。
私は彼の南画が特別に好きなので、それをこれだけの規模で見られることが嬉しかった。
確かに「過去最大」規模である。

すでに361号に「日本画・東洋画と洋画と」を掲載し、そこに私の想いは書いているのだが、
今回改めて、彼の洋画と日本画が統合されていく過程が確認できた。

今回その全体を見渡して思ったのは、
萬鐵五郎にとっての洋画と日本画(南画)の統合は、
洋画に南画を止揚したのではなく、
南画に洋画を止揚したということだ。それがそのまま彼の洋画の作品なのだ。

なんというすごい、すばらしい人だろうか。

                         2017年8月29日

8月 27

中井ゼミのゼミ生、高松慶君は大学生で、日本の雅楽に関心を持っている。
それもただの関心ではなく、実際に笛を習っている。
卒論をどうするかをそろそろ考えないといけないのだが、民俗学の視点から民謡を取り上げることを
私から提案している。民謡への関心が、雅楽への関心と共鳴し、それぞれを深めることになると良いと思う。
今回は、高松君が実際に民謡を取り上げて考えてみた文章を掲載する。
これは今年6月の文章ゼミに提出されたものだが、そこでの意見交換を踏まえて書き足したり、書き直された部分がある。

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◇◆ 民謡について 高松慶 ◆◇

民俗学者の香月さんが5月に鶏鳴学園で講演会を行った。そこで聞いた話に、気仙沼で自分たちで祭りを企画し、
地元で生きる人の人生譚等を交えながら民謡を歌い最後はスタンディング・オーベーションというのがあった。
私は韓国育ち千葉県の市川市育ちで、方言を知らない。韓国語は懐かしいと思うも、読み書きができるわけでもない。
だから民謡というと何となく遠い存在のように思ってしまう。
しかし、民謡を歌う、聴く事で自分の生活、特に労働を振り返ることができるというのは普遍的だと思う。
普遍的であり、切実だ。生活に根差しているからだろう。民謡には具体的に何がどう込められているのだろうか。
図書館に行くと民謡のコーナーがあり、「全国民謡全曲集」「正調○○節」というCDが、西欧音楽の10分の1にも
満たないほどに置かれていた。正調というのは、何をもって正しいと決めたのか。
民謡は生活の中で広がっていったもので、そのどれにも真実があると思う。どの地域の民謡が偽物とか、本物とか、
そういう議論はくだらない。まず聴いて、声の調子とか歌詞とかを少しでもつかめればよいのだろう。
というわけで、「全国民謡全曲集」というCDを借りて聴いた。東北だけ各県ごとにあり、あとは地方ごとであった。
バッハも同時に借りていたこともあり、今回は「秋田編」「九州・沖縄編」だけ借りた。
なんとなく東北と九州には興味がある。両方とも祖父母の出身地だ。山形は無かったので秋田を借りた。

ひえつき節(宮崎)
 宮崎県東臼杵(ひがしうすき)郡椎葉村の歌。稗を杵でついて脱穀する時の仕事歌。
椎葉村は平家の落ち武者が隠れ住んだと言われるらしく、この歌の3番は那須大八郎と鶴富姫との恋を短く歌っているらしい。
那須大八郎は鎌倉からの平家残党征伐の命を受けて椎葉を訪れたが、平家残党に戦意は見えない。
結局征伐は取りやめ、鶴富姫との間に子どもを成した後に帰還命令で鎌倉に還ったのだという。
ダム工事で村に入った工事関係者が全国に広め、1953年にレコードに吹き込まれるに至ったという。
私が借りたCDでは琴と尺八の伴奏がついているが、本来そうかは分からない。
借りたCDに入っている32曲の中で琴が使われる曲はこの曲だけで、あとは三味線がほとんど、沖縄のみ三絃。

 庭の山椒の木鳴る鈴かけてヨーホホイ
 鈴の鳴るときゃ出ておじゃれヨー

 鈴の鳴るときゃなんと言うて出ましょヨーホホイ
駒に水くりょと言うて出ましょうヨー

那須の大八鶴宮おいてヨーホホイ
椎葉立つときゃ目に涙ヨー

 最初は聞き取れなかったが、随分と悲しい歌だと思いながら聴いていた。
これが仕事で歌われているのかと疑問に思いネットで調べると、本当にそうらしい。
ダム工事の関係者が覚えているというのも、自分の事として感じられたからではないか。
 ただ、歌にしても伴奏の琴にしても、音としては「私はいままさに悲しんでいるのだぞ」というような自己主張がない。
よく通る音で、草津温泉の湯をかき混ぜている力強い情景を思い出す。
尺八は哀愁が強く感じられるが、竹製らしくやはり通りも良い。
 これが労働の中、そして後で歌われることに具体的にどのような意味があるのかはさておき、
私はなんとなく昭和の歌謡曲は民謡とよく似ていると思う。私が中学生のころから好きな歌がチューリップの
『心の旅』だった。上京に伴う失恋を嘆く歌だ。私は恋人と恋愛関係を終わらせたとき、私の心の中にはこの曲と
松田聖子の『風立ちぬ』がイメージとして強く存在した。自分から切り出した別れであるにも拘わらず、
別れたショックは激しかった。そして今でもこれらの歌を歌っていて、孤独の寂しさをこぼしつつ生活している。
 昭和と言うと何と言っても戦後の荒廃からの高度経済成長、バブル景気と、経済的な成長が挙げられるが、
その時から社会の最前線で働く人たち、そして学生たちに不安や空虚さがあったのだと思う。
経済成長、物質的な成長はそれを一時的に覆い隠せもするが、
歌を聴いている時だけはそれを隠すことはできなかったのではないか。歌を聴く事が外化であり、同時に内化だったのだと思う。
 それと同じことが、平成の私に、ひえつき節を聴いたときに起こっている。
特に三番の「椎葉立つときゃ目に涙」という歌詞は直接的で刺さる。
 故郷からの上京は自分の選択なのに、何故刺さるのか。
ゼミ生のAさんがそれまで関係していた人たちとの関わりが終わるに際し書いた「楽しかった時期は終わった」
という言葉が一番象徴的だが、相手と別れることは古い自分と別れることだからだ。
別れる時は、相手だけを思い浮かべるだけではなく、相手と自分との関係、直接的には思い出を思い浮かべる。
だからこそ、相手と別れる、相手を否定することは、古い自分を否定することだ。
自分の隣に何もないし、誰もいないという感覚がある。他者がいない以上自分もいない。最後は自分を殺すことになる。
 労働している最中に自分を殺すわけにはいかない。そこに再生があるはずだ。しかし、ひえつき節はどうしようもなく
絶望的で哀愁に満ちている。安易な希望に満ちた再生ではない気がする。むしろ集団が持っている絶望を一斉に外化し、
共有することで、労働の辛苦を乗り越えようとしているのではないか。テーマを持っていると思うが、実はかなり殺伐
とした闘争に向かって行っているように思える。そこにこそ可能性があるのか。それを民衆は知っていたのだろうか。

阿里屋(あさとや)ゆんた(沖縄)
沖縄はやはり本州とは随分違うなと思う。沖縄のニュースなどでシーサーや住宅を観る度に思ってきた。
シーサーは目がぎょろっとし、瞳まではっきりと形作られちょっと怖いが、狛犬は近所の神社の像を見る限り
そこまで目はリアルではない。
民謡ではどう違うか。音楽そのもので言えば、全体的に音域が高い。歌が中心で、三絃、三板、太鼓という楽器を
下敷きにしているが、そのどれも高い。高いだけでなく、なんとなく乾いた音がする。基本的に明るい。
乾いた音とはどういう音か。三線と三味線で比べれば、両方とも同じ形状をした三本の絃を持つ楽器だが、
三絃はその胴が蛇の皮で出来ているのに対し、三味線は専ら輸入された犬猫の皮を使う。やはり原材料になる
犬猫と蛇の生態の違い、冬眠の有無、つまり恒温動物か変温動物かなのだと思う。自然性ということになる。
三線販売店の売り文句に「北海道などの寒帯でも使えます!」というのがあった。もともと蛇は冬眠する生き物だから、
その皮が寒い環境下では使えるはずもないと思う。
ただ、その自然性は人間の社会性の土台にもなっていて、その地域の労働の在り方と密接に関わっている。
本州の人々が三線ではなく三味線を選んだ理由は、自然性に基づく材料の実用性と社会性とによるのだろう。
どう影響しているか、その結果として具体的にどのような社会性が三線の音に、沖縄民謡に現れているかは分からない。
「南国風だね」などと済ませるものでもなく、では南国風とはどういうことかを考えなくては始まらないと思う。
今は「こういう捉え方があるのか」くらいにしておく。
 明るく乾いた音なのだが、そこで歌われる言葉はどこか温かいと感じる。
歌詞は1番から4番まであり、それが3分30秒という短い時間の中で歌われる。何となく語りに近いかもしれない。
以下はその歌詞。括弧の箇所は毎回歌われる。

1.サー君は野中のいばらの花か
(サーユイユイ)
暮れて帰ればやれほに引き止める
(マタハーリヌチンダラカヌシャマヨ)

2.サー嬉し恥ずかし浮名をたてて
主は白百合やれほにままならぬ

3.サー田草取るなら十六夜月よ
2人で気兼ねもやれほに水入らず

4.サー染めて上げましょ紺地の小袖
掛けておくれよ情の襷

1と2が恋愛の頃の歌、3,4が結婚後の頃の歌という感じがする。
前半では茨とか浮名とか激しい言葉が使われているのが、3,4で日常を歌っている。
 3,4を聴いていると、結婚生活もテーマが無ければ成立しないのだなと思う。両方とも共同作業の歌だ。
4はおそらく前者が女性の、後者が男性の立場だと思われるが、それが明るく軽い音の中で取り交わされている。
私は「結婚生活」なんて言葉を聞くと甘々の新婚生活しか思い浮かべない。
父が母の尻に、母方の祖父が祖母の尻に敷かれていて、その関係がそのままずっと続くことに「情けないなあ」と思ってしまい、
夢見がちになる。それで「あー結婚したい」などと考えてしまい、シンデレラに憧れる5歳の女児並みのレベルの低い妄想が始まる。
そこには3、4のような労働の辛苦が無い。
 勿論、この歌全体が明るい調子なので、あまり3,4には辛さを感じない。
しかし、それは歌う人たちが労働の苦しさを、歌う事を通して喜びに変えるためなのだと思う。
民謡は原罪を止揚するものではないか。歌うことで自分の労働を自己相対化し、自分の主体性を客観的な立場から捉え直し、
主体性を再生するのだと思う。
 中井さんから、文章ゼミの際に「ここは安易だ」との指摘を受けた。労働=辛苦という決めつけがあり、
喜びと結びつかない労働なんて本当に労働といえるのだろうかと言われた。私は父が夜遅くに帰ってきて、
「疲れた疲れた」とひとりごちるのをよく聞く。「職場でこんなことがあってさ」とオープンに、
楽しそうに話す父の姿は見たことがない。その父の姿が私にとっての今の労働なのだと思う。
 しかし改めて考えてみれば、苦しさを外化させるだけにとどまる歌が残り続けるとは思えない。
苦しいこともあったが、それを一緒に乗り越えてきた周囲の人々、自分との関係を思い出しながら歌っているのではないか。
田草を取るというのは稲か雑草かは微妙だが、どちらも腰を屈めて、草を引き抜いてという大変な仕事だ。
それを夫婦2人でやることに意味があるのではないか。宮本常一の『女の民俗誌』にも、農家だけでなく、
船上生活をする漁師の夫婦が出て居た。そうして生活を長い間ともにしてきた人が、
「気の合わない人同士で一緒にいたってつまらんでしょう」とはっきり言えるのは、
関係しあうことの中に喜びを見出せる証拠ではないか。
 この歌を毎度しめくくる「マタハリヌ…」は沖縄方言で、「また逢おう、美しい人よ」という意味らしい。
意味は知らなかったが、この箇所が大好きだった。これが結婚生活を歌う3,4番で歌われるというのも重要だと思う。
常にテーマへと回帰していっているのではないか。大げさかもしれないが。
ウィキペディアによれば、この歌は沖縄県八重山諸島の竹豊島に伝わる古謡を改作したもの。
『新安里屋ゆんた』とも。「ゆんた」というのは田植え歌、つまり労働歌の一種だ。
楽器は古謡では使わないらしいが、私が借りたCDでは三絃、三板、太鼓という楽器を用いている。
普久原恒男監修、星克作詞、宮良長包編曲のもと、伊波みどり、伊波智恵子が歌う。
伊波みどりらはネットで調べてもCDの情報が出てこないが、沖縄県の教育委員会で講師を勤めるなどしているらしい。
平成21年から23年までの報告書に記載がある。
普久原恒勇は「芭蕉布」「十九の春」「丘の一本松」などの人気曲の作曲家らしく、
ビクター曰く「普久原恒勇ほど大衆に愛され大事にされている作曲家は他にいないであろう」。
星は1905年生まれの教育者、政治家で、戦前は教育者だった。1922年に石垣島で白保尋常高等小学校の代用教員。
この時安里屋ゆんたを改作し「新安里屋ユンタ」を作詞。宮良も1883年生まれの作曲者、教育者。
1883年に八重山島高等小学校、1921年から沖縄県師範高等学校の教師を勤めながら、「新安里屋ユンタ」の編曲、
童謡の作曲をし、「沖縄音楽界の父」と呼ばれる。いずれも沖縄県出身。
沖縄県で教鞭をとった人がそのまま作曲家というのは面白い。『忘れられた日本人』や香月さんの話でも感じたが、
教員が自分の住む町、暮らす町の郷土史を理解することは、その町からみてかなり重要なことであるように思う。
子どもに自分たちの生い立ちを考えさせる土壌を与えるだけではない特別な何かがあると感じる。
古謡では使われなかった三絃が使われているのは、起源を改悪することではなく、
古謡という生成史を現在の自分の立場から捉え、そして展開していくことではないか。
「古謡はダメだから、新しく現代流に作り直してやろう」というようなつまらない自我を感じない。

8月 26

中井ゼミのゼミ生、塚田毬子さんの卒業論文(卒論)「三性説の研究」についての
中井による評価「問題意識を貫いた卒論」を掲載します。
この卒論のどこがどう模範的と考えるかを説明しています。

「問題意識を貫いた卒論」では【1】【2】【3】などの記号が使用されていますが、
それは論拠となる卒論の個所を示すために、卒論の該当箇所につけた記号を指します。
その個所を参照してください。

■ 目次 ■
問題意識を貫いた卒論 中井浩一

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◇◆ 問題意識を貫いた卒論 中井浩一 ◆◇

塚田さんの卒論は、大学生の卒論としては上の部である。
それには2つの理由がある。

1つは、塚田さんが自分自身の経験から生まれた問題意識をもって、卒論の最初から最後までを貫くことを
目標にし、一応それができたからである。
塚田さんは、自身の経験から生まれた問題意識を深めるため、自分の経験を媒介として、テキストを読む
という姿勢を、徹底的に貫いている。これは立派なことだと思う。
そのことは、序論の「1 論文の目的」で宣言し、「2 筆者自身の問題意識」で具体的に述べている。
本論でも、ポイントでは自分の経験で考えることを徹底した。【4】【5】(「二 アーラヤ識説」の
「2『摂大乗論』におけるアーラヤ識説の検討」から)、【8】(「三 三性説」の「2『摂大乗論』における
三性説の検討」から)でそれを確認しできる。
また、その立場から、アサンガがそうしていないことへの批判もきちんとしている(【2】「一『摂大乗論』の構成」
のラスト)。これは重要な批判だと思う。アサンガは自分自身と自分の教団内部の問題を具体的には一切語らない。

もう1つは、この重厚で難解なテキストに対して逃げることなく、自分の立場から一応とらえ返したことだ。
これはすごいことだ。
普通は、序論だけは自分の問題意識を貫いて面白く書くことはできても、本論では巨大な対象に押しつぶされて、
つまらなくなりやすい。それがそうならず、最後まで一応は自分の問題意識で考えている。
特に、「三 三性説」の「2『摂大乗論』における三性説の検討」で「ことば」の問題に言及している個所
(その始まりと終わりの段落の最後に【7】をつけた)には、本人の切実な経験と問題意識が込められていて力がある。
ただし、「四 無住涅槃」ではすでに力尽きた感がある。

以上に挙げた2点が、この卒論が模範だと思う理由である。
なお、塚田さんの大学における卒論審査の場でも、この卒論は教官に高く評価されたとのことだった。

 では、模範的な卒論が書けたのはなぜか。
 中井ゼミには明確な立場、つまり「発展の立場」(ヘーゲルの弁証法)がある。塚田さんはそれを学び、
それを拠り所とすることで、塚田さん自身の経験と『摂大乗論』をとらえ、位置づけることができたのだと思う。
例えば、間違いの自覚の問題(これはマルクスの「経済学批判の序言」を下敷きにしている。
序論の「2 筆者自身の問題意識」の始まりと終わりの段落の最後に【1】をつけた)や、
ところどころに出てくる「結果論的考察」を見てほしい。

 しかし、問題はある。塚田さんが、中井と中井ゼミのことを一切伏せて、卒論を書いたことだ。
「運動」と言う言葉が多数出てくるが、これは本来は「発展の運動」「発展」とすべきだ。
「3」の数字の説明があるが(「二 アーラヤ識説」の「2『摂大乗論』におけるアーラヤ識説の検討」
では【3】、「三 三性説」の「2 『摂大乗論』における三性説の検討」では【6】)、これは弁証法から説明すべきだ。
それを隠したから、結論が曖昧になった。

今回の卒論では、「発展の立場」に依拠しようとしたから、何とか自分の問題意識を貫けた。
このことの意味をしっかりと理解するならば、今後はヘーゲルを本気で学び、自分のan sichな立場を、
自覚していくことが課題になるはずだ。

今回、塚田さんを指導して2つの感想を持った。

1つは、塚田さんの潜在能力の大きさだ。卒論の締め切り1週間前にはほとんど何も文章になっていなかった。
そこから1週間で書き上げる突破力は大したものだ。弓は引き絞れるだけ引き絞られていた。
しかし、これは逆に言えば、いつもは余裕こいていて、追い詰められないと何もできないことでもある。
「ウサギと亀」のウサギさんなのだ。

もう1つは、塚田さんが1年ほどの間に中井ゼミで学んだことが、大きく生かされたことだ。
中井ゼミで1年間学んできた内容を、卒論を手がかりにして、考え抜いたのが成功した大きな理由だろう。
塚田さんの学習能力は非常に高いが、それは彼女の問題意識が強烈だからだと思う。
この卒論を書き終えた後は、するべきことはもはや決められている。

8月 25

中井ゼミのゼミ生、塚田毬子さんの卒業論文「三性説の研究」の取り組みを、
本人自身が振り返った文章「22才の原点」を掲載します。

■ 目次 ■
1.22才の原点 塚田毬子
 0 はじめに
 1 卒論専念の経緯
 2 4カ月の取り組み方
 3 完成した論文に対する反省
 4 この4カ月の自分に対する反省

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◇◆ 1.22才の原点 塚田毬子 ◆◇

0 はじめに

 卒論を提出した。卒業年次であるから卒業論文を提出するのは当たり前だが、その取り組みを本気でやることに決め、
夏から4カ月卒論に専念していた。結果として、卒論に真剣に取り組んで本当に良かったと思う。どうしてそう思うか、
卒論専念の経緯、4カ月の取り組み方、実際に完成した論文への反省、この4カ月の自分に対する反省の4つを以下に述べる。

1 卒論専念の経緯

 私は去年のあたまから夏前までは大学を留年するつもりでいて、卒論は一年先延ばしになっていた。
それが、一年間の演劇のインターンが決まり、大学に籍を置いておく意味が無くなったので、急遽卒論を書かなければ
ならない状況になった。準備期間は4カ月しかなく、私はとっくに専門の仏教に対してときめきを失っていたので、
卒論はテキトーに終わらせ、インターンの準備として演劇の勉強を始めようと思っていた。しかし中井さんから、
「卒論の手を抜いてはいけない、本気で取り組んで学生生活の区切りをつけるべき」と提案され、それに納得し
提案を受け入れた。私はこれまで本気で何かに取り組んだことが無いので、本気で自分がどこまでできるかやってみよう
と思った。演劇から距離を置いて、周囲の人にも卒論に専念すると宣言し、引きこもった。今の自分はどこまで考える
ことができるようになったかを、自分にも他人にも分かるように書きたかった。そして、卒論をやることは演劇と関係の
ないことではなく、私自身の中で演劇とつながることだと考えた。

2 4カ月の取り組み方

 仏教の広い分野の中で、新たに面白そうなテーマを探して書くというのは時間的に厳しいので、4年間で申し訳程度に触れ、
面白そうだった唯識を取り上げることに決めた。しかし、一つ経典を選んで原典から読むのは語学力の面で困難なので、
中井ゼミで勉強し始めたカントの哲学と唯識が似ているように感じることもあり、両者を比較して何か書けないかと思った。
仏教と西洋哲学を比較研究している玉城康四郎の論文を見つけ、秋口まではそれを細かく読み、引っかかるところを出して
いく作業をしていたが、唯識とカント両者の共通点や相違点を挙げているだけであまり面白いと思えず、中井さんから
方向転換の提案もあり、玉城を棄ててアサンガの『摂大乗論』を日本語で読み込み始めた。『摂大乗論』に絞った理由は、
玉城にときめかずつまらなくなった時期に、指導教官との面談の中で面白いと私に引っかかったのがそれだったからだ。
三年次の期末レポートで部分的に取り上げた経典だったこともあり、自分に面白いことが『摂大乗論』にはあるのかも
しれないという縋る思いで、一つしっかり読んでみることにした。

 日本語訳で『摂大乗論』を読み進める中で、初めは、三性説が書かれた第二章は面白いが、アーラヤ識が書かれた
第一章についてはほとんど何も思うことが無かった。その後の『摂大乗論』を取り上げた中井ゼミの読書会で、
中井さんが「『摂大乗論』の核心は三性説でアーラヤ識はその道具立て。これが面白いと思う方がおかしい。」と言って
いて少し安心したが、それでも二本柱であるうちの三性説は「わかる」のにアーラヤ識には何も感じないのはおかしいと
思いつつ、でも読む気にもなれず、三性説が指す「関係」ということを自分の都合のいいようにこねくり回して勝手に
考えていた。考えはめぐるが前進しているような感じはなく、何をやっているのかわからないというような状態が続いた。
(自分が何をやっているのかわからない状態は卒論作業の大半で、年が明けてからもぼやぼやしていたが。)
 12月ごろ、大学で取っていた『唯識三十頌』を講読する授業で、『三十頌』の『摂大乗論』から発展し展開された箇所を
取り上げた回に出席して、アーラヤ識に対する理解が深まった。『摂大乗論』の時点でのアーラヤ識は、まだまだ
プリミティブで荒削りで、アーラヤ識の性格を定立しようというよりも、その存在論証に重きが置かれているのが
つまらない原因だとわかった。授業で聞いたアーラヤ識は、ヘーゲルに似ているような気がした。種子は同じものであり
ながら絶えず変化を続けている。そこで、前進は背進ということまで言えるのがヘーゲルなのだと思った。

 アーラヤ識は面白いということが分かり理解が進展したものの、中井さんとの面談ではそれを言葉にして説明する
ことができず、理解の浅さを痛感した。中井さんから、その場で言葉で説明するように毎回言われたが、言っている
ことが言ったそばから崩れているのが自分でもわかり、もどかしかった。この、説明を求められるが全くできない状態は
直前まで続き、さすがに後が無くなって焦り始めたのが提出の一週間前である。そこで、今までこねくり回して考えて
いたことを整理するように中井さんに言われ、なぜ自分はこの卒論を書くのか、自分にとって中井ゼミに参加してからの
この一年の変化は何だったのか、今までやってきたことを猛スピードで振り返り、とにかく自分自身のことを書こうと
思い直した。それまでは『摂大乗論』に寄せて「関係」について勝手に考えていたが、それはもはや『摂大乗論』を
必要としない妄想になってしまっていた。自分で考えるのが楽しいだけで机上の空論にすぎず、説教臭くもなっていた。
それを、徹底的に自分の個人的な経験を『摂大乗論』の理論で説明することに決めた。このやり方でなければ、
中身のない説教臭い妄想論文が完成していたと思う。最後の一週間で必死になってやり、なんとか形になった。

3 完成した論文に対する反省

 初めの段階での卒論のアウトラインはひどいもので、問いは絞れないし広がりもなかった。提出6日前に、卒論に対する
姿勢を思い出すため前提となる序論を猛烈に書き、そこから何度も校正をくり返したので序論は一番読みやすく
書けていると思う。中井ゼミでやって来たこと、自分の悪の問題やそのあとに読んだヘッセの『デミアン』、
マルクスの「経済学批判の序言」を下敷きにした。

序論で自分の問いを確認し自分自身を貫くと腹を決め、本論は自分自身を具体例にして書き進めた。論証は全体的に
お粗末だが、pp17-21の「ことば」について書いた部分はよく考えられた方だと思う。まだまだ理解が浅いが、
これが今後の芽になるのではないか。しかし論証は反省点ばかりで、二分依他が核心だと宣言したわりには
二分依他についてはさらっと言及してあっさり終わること、無住涅槃の議論の薄さ、言語表現のいい加減さ
(根拠が不明なのに容易に断言する)、文章の口当たりの悪さなどなど、出来がいいとは言えない。
しかし真剣にやったのは事実である。

結論は、序論に比べてあいまいで薄すぎると3日前に中井さんに言われたが、直前の直前にひらめきがあって、
なかなかいいことが思いつき、ハッキリしたことが書けたと思う。牧野さんの「価値判断は主体的か」を読んだ
ことがヒントになった。5月の集中ゼミで初めて読んだときよりも、確実に理解が深まっているのを感じた。
文章の展開の仕方が美しくないが、美しくするような余裕はなかった。

 読み返して、論文としては論理展開の無理やり感など稚拙さが目につく。しかし、序論と結論では切実なことが
書けていると思う。書き上げて、何でこれが書けたのだろうという不思議な気持ちと、でも書いてあることに実感を
もてる気持ちがあり、今までにない経験だった。行き詰ると中井さんと面談し、立て直し、行き詰り、面談し、立て直し、
ということの連続だった。中井さんと話して取ったメモを一番よく見直し、論理が一本貫けるように気を付けながら、
少し手を伸ばすとすぐにぶれるので再三確認した。長い間「関係」の話をこねくりまわしていたのに、見方を変えて
自分の経験を書くようにした途端に「関係」がどこかにすっ飛んで論文中に一言も出てこなくなったのは笑えた。
中井さんにも言われたが、まだまだ今の自分には「関係」が無いから消えてしまったのだと思った。

卒論が終って、中井さんの力を借りれば自分はこのくらい頑張れるのかという気持ちと、燃え尽きるほどの全力は
まだまだ出せていないという気持ちがある。年が明けても自分が何をやっているのかわからず、最後の一週間でつめて、
文章にして、直して、とギリギリにギリギリの状態で、「もう卒業できない」と何度か思ったが、最終的には
なかなか面白く書けたと思う。論文としては稚拙だが、端から研究論文を書くつもりではなく、自分の問題意識から
起こる作品を書くような気持で取り組み、今回の目的は果たせた。その点では達成感がある。

4 この4カ月の自分に対する反省

 卒論期間は最後の最後まで、自分の詰めの甘さを思い知らされ続けた。私は「ウサギと亀」のウサギである。
小さい頃からずっと母に言われて来たのを、久しぶりに思い出し痛感した。直観でパッと閃いて、びゅんと進む
ことができると、そこでいったん休憩してしまう。ここまで行けたからと見通しが立つと油断し、すぐに休憩する。
そして休憩している間に閃きは薄れ、三歩進んで二歩下がるような効率で取り組むことになってしまう。
再開する時には閃いた時と同じスピードでは進めない。提出の一週間前、構成を考えている段階でまだ二万字の
一文字も書けていない時は、すべてがパーになる恐怖でここ数年で一番焦り追われるようにやっていたのが、
少し書けて先が見えてくるとすぐ焦りがなくなる自分に唖然とした。最後の一週間でも中だるみするとはなんて
やつだと思った。この中だるみがなくずっとエンジンがかかったままで取り組めたら、もっと良くなったと思う。
でも、これが自分の性格だ。それが以前よりはっきり自覚されたことは良かった。

最後の一週間、何回も自分の文章を反復していると、言葉の意味に脳が反応しなくなってただ字面を追うだけに
なったり、校正すら苦痛で読みたくなくなったりした。集中力が完全に切れて、余裕がないのに卒論が終わる
前から反省文を書いていた。やっている最中から反省点はたくさんあって、こういうところがダメで、ここを直したら
もっとよくなるとはわかっているのだが、これ以上できないという限界を感じた。中井さんに序論がよくなったと
言われたとき、直感的にこれよりもっとよくなるということだと思ったが、やっていく中で今の自分にはここまでしか
出来ないと思った。今の自分はここまでやることができ、この先もっとよくなれることもわかるが、
今はこれ以上できない。できないよりもやりたくないに近いかもしれない。頑張るということは限界を振り切ることだ
と思う。この程度でいいや、とは思わないが、今回はこれで勘弁してくださいという気持ちになった。

文章は今の自分の力がもろにすべて出て、恐ろしい。完成して大学に提出しに行く間、卒論が終わった解放感はなく、
これから先は全部この続きなのだと思った。そう思えるものが書けただけで、今回は大きな成果だと思う。
本気でやると言って、今の自分はどのくらいの本気が出せるのか、どのくらい頑張れて、どれほどのものが書けるのかが
わかった。ゼミのノートを見返していて、中井さんの話の中で出てきた、ニーチェの「血で書かれたものだけを評価する」
という言葉がメモしてあるのを見つけ、わたしの論文は血で書かれているだろうかと思いながら自分を鼓舞して取り組んだ。
血はまだまだでも、汗は滲んでいると自己評価したい。

1月21日にインターン先の地点という劇団の「ロミオとジュリエット」の上演を中井さんと見た。開演前に中井さんに
「ロミジュリの戯曲を読んだが、私の卒論の延長のような、名前とか言葉の話だと思った」と言ったら、
「卒論のあとでは、この先何を見てもそう思う」と言われた。何を見ても一つの問いに回収されていく、
それがその人の立場なのではないかと思う。今回卒論を書いて、立場の根が作れたと思う。
タイトルが「ロミオとジュリエット」だというだけで私にはグッとくるものがある。表象の世界と、真如の世界。
私たちが生きているのは表象の世界だが、この世界を離れたどこかに真如の世界があるのではなくて、二つは一つの
世界の側面なのだ。だから、表象の世界からも真如の世界が見え隠れする。人間の相互理解が不完全で、理解の限界に
気が付く以上、完全な理解というものがあって、それは真如の世界に存する。人間の認識は正しい、世界の表象も正しい、
というのではなく、人間の認識なんて常に誤解ばかりでどうしようもない、分別し執着しているだけだという方が
私には実感をもって感じられる。だからロミオとジュリエットの二人も、二人のロマンスも、分別された執着でしかない。
しかし、分別することによって、互いは見出される。それこそが現実世界のすべてのきっかけで、その中に汚染も
清浄もすべてがあるのだと思う。喜びも苦しみも何もかも一切が表象となったから見出された、そのことを思うと
生きているという感じがする。

何はともあれ、卒論を書いて本当に良かった。卒論を本気でやることは、自分でやりたくて始めたことではなく、
中井さんという外からの提案であったので、自分が突き動かされるような感覚に乏しかったり、何をやっているのか
分からなくなったりした。しかし、提出した今、自分の問題意識が以前より確実に深まったのを感じるし、
『摂大乗論』を選んだことは正解だったと思う。卒論を雑にやって演劇の勉強をするのは、ただ教科書的な知識を
増やすだけになっていたのではないだろうか。問題意識がより深まった今、演劇について考えるのとは身になる
ものが全く異なるだろう。卒論は今後の指針にして、いつでもそこに戻って来、より自己理解を深め、反省する
ものにしていきたい。これから先の原点となるものが作れたのではないかと思っている。