2月 21

12月の読書会の記録 『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著) 後半

 ■ 全体の目次 ■

 12月の読書会の記録   記録者 吉木政人
『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子(著)、石巻赤十字病院(著)

1、はじめに
2、参加者の感想
3、組織の全体を書くとはどういうことか(中井)
4、危機にこそ本質が見える(中井)
5、第1章「地震発生」の検討
  →ここまで昨日 掲載
6、第2章「石巻二十二万人の瀬戸際」の検討
7、第3章「終わらない災害医療」の検討
8、記録者の感想
  →ここまで本日掲載

==================================

6.第2章「石巻二十二万人の瀬戸際」の検討

 ○ヒューマニズムとリアルな判断の対立
  P114、交通手段も連絡手段も無く、孤立していた渡波(わたのは)
      地区に医師を送るかどうかという対立が起きた。1200人の
     避難者を見捨てることになるから送るべきだという意見に対して、
     治安の悪い渡波地区で1人の医者が犠牲になれば、その医師が
     救うことができる500人の命を救えなくなるから送れない
     という石井医師。(その後石井医師は警察に出掛け、
     治安が悪いのはデマだと確認し、派遣を決定する)。

    → ヒューマニズムとリアルな判断の対立が起きる。
      「助けてあげなきゃ」という意見と、そうすれば全体として
      救える人が少なくなるというリアルな判断をせざるをえなくなる。

  P122、同じく孤立していた牡鹿半島に行かせてくれという
     若い医師の意見を、石井医師は却下する。「おまえが
     遭難したら、どうするんだ。医師ひとり育つには
     5000万かかってるんだ。救える命が救えなくなる」。

    → こういった発言も、とてもリアル。

 ○行政依存せず、全てを引き受けた石井医師
  P117、石巻赤十字病院以外の他の病院はほとんど機能停止、
     行政も被災し、役所の職員も被災者となった。
     「行政も頑張っていますよ。でも、避難所が300か所、
     推定死亡者数1万人。行政の力だけでは無理だし、私たちは
     医療者ですから医療以外のことはできません、とは
     いえないでしょう」(石井医師)

    → こういう状況の中で全てを何とかしたのが石井医師。
      行政批判をするだけではダメ。
      子供用のマスクが足りなくなった時には、行政は
      「今在庫が2000しかないから渡せない」と言った。
      そういう時に行政に頼っていてはダメ。石井医師は即自分で
      支援物資を頼んで手配を終わらせた。代金は全て無償奉仕させた。
      それはここの病院が電源もパソコンも無事だったから出来たのだが、
      初めネットはつながっていなかった。
      石井医師はNTTと連絡を取りネットを立ち上げるところから
      始めた。

 ○「守り」から「攻め」に
  P118、地震直後の急性期を過ぎても救急患者が減らなかった。
     石井医師は、避難所の衛生環境に原因があると考えた。
     そして300か所の避難所のアセスメント(評価)について、
     行政に頼らず、自分達でローラー作戦をやるという決断をした。
     3月17日から3日間で、病院スタッフや外部からの
     医療支援チームに300もの避難所を回らせ、人数、水や食事、
     電気や暖房の有無、トイレの衛生状況、医療ニーズなどを調査させた。

    → この決断は守りから攻めへと転換したとても大きな決断。
      限られた人員をどう配置するか決めるために、避難所が
      どういう状況にあるか調べた。避難所にいる被災者は、
      津波ではなく、避難所の生活環境で死んでいった。
      その生活環境を知ることが重要だった。300もの避難所の
      アセスメントをやるという決断を良くやったなと思う。
      しかも3日で終わらせた。

 ○1つになれた石巻圏の医療界
  P124、3月20日に「東日本大震災に対する石巻圏合同救護チーム」
     を立ち上げた。石巻赤十字病院が災害拠点病院として、
     医師会や東北大学の医療チーム、日赤救護班、精神科医師団、
     歯科医師団、薬剤師会を一元的に統括することになった。

    → 日本医師会と、民間病院(今回の日赤)や東北大学病院は
      もともと敵対関係にある。普段は仲が悪く、こういう時に
      一つになれない。
      しかし、県の協議会で1つになってやっていくことの
      了解を取った。そこにいた東北大学病院長の里見と石井医師が
      師弟関係であったという背景もあった。1つになって、
      誰かが全体を指揮しないと動かない。
      それを石井医師がやったところが面白い。

 ○「想定外」のない外科医
  P127、普段地味で目立たなかった高橋と魚住が、
     石井医師付きの主事として、緊急時に活躍できた。
     「人の真の姿を見たような気がする」(石井医師)

    → このような震災の時に普段見えなかったもの、
      しかし確かにあったものが表に現れる。
      外科手術は予期しないことが起きることの連続だという。
      何か起きる度に出来る最善の対処をするのが仕事なのだ。
      外科の石井医師は、そういう意味で普段やっていることと
      変わらないと(中井の取材で)言っていた。
      彼らの世界に「想定外」はない。

 ○本当のことが画面から消えている。
  P123、救急不可能と判断し、黒のトリアージをつけて
     見捨てざるをえなかったこと等、大事なことが
     NHKのドキュメンタリーでは消されていた。
     ※『果てなき苦闘 巨大津波医師達の記録』を  
      ゼミ開始前に鑑賞した
     
    → そういう「厳しい現実」をNHKは消してしまう。
      大事な正論の部分は画面から消されてしまう。本当は普段の
      生活でも、人は黒のトリアージをつけながら生きている
      にもかかわらず。
      中井もそういう正論、本音を番組の取材では言うが、
      オンエアされない。

7.第3章「終わらない災害医療」の検討

 ○医療の根源性、全体性
  P156、薬の調査のために被災した家を回ったが、同時に
     トイレの調査もせざるをえなかった。

    → こういうところに医療の全体性がある。薬の前に
      トイレや水の状態といった、生活の根源が問題になる。
      本には書かれていないが、家族関係などの問題もあっただろう。

  P161、避難所での感染症対策として、手洗いができる環境か
     どうかを確認して回った。

    → 手洗いといった生活の基本から崩れ、せっかく津波から
      逃れた人も死んで行ってしまった。

 ○「想定外」は普段の生活・仕事の延長線上
  P186、「日々の医療をきちんとやること、想定外への備えも
     その延長線上にしかないと思う」
     (地域救急救命センターの石橋センター長)。

    → その通りだと思う。普段の中に全てがある。今回の震災で
      本質が分かりやすく前面に出ているが、分かっている人に
      とっては普段から既に分かっていたことにすぎない。
      日々の医療の中に、その延長線上の想定外の医療も含まれている。
      これが発展的な理解。これができなかったから原発事故も起きた。
      原発の当事者は、今回の震災や津波に対して想定外だったから
      ダメだったのではない。普段からダメだったのだ。

 ○患者のニーズに応える
  P187、「そのとき病院や医療者自身がどうありたいか、
     どういう医療をやりたいかではなくて、患者さんの医療ニーズを
     どうすくい上げ、どう応えるか、なのだと今回あらためて
     認識しました」(地域救急救命センターの小林副センター長)

    → 社会人:私は人を教育したり、指導したりする時には、
      どちらかというと、自分がどうやりたいかと考えている。

    → 教育や子育てでもそう。こういう人間になってほしいだとか。
      しかし、まず本人がどうしたいか、何を求めているのかから
      しか始まらない。もちろん親の希望はあることは正当だし、
      教育にも理念があるが、それを子供に押し付けることはできない。
      そもそも親の希望や教育の理念が、客観的に求められている
      こととズレていることも多い。

 ○偶然の死をどう受け入れるか
  P187、「人間は絶対に死ぬ。その死が震災によるものだったと
     思うしかありません」(石橋センター長)

    → 話の内容に賛成はできないが、こういう言い方で
      自分の家族を亡くした人が「救われた」と言っている。
      そんなことでいいのかと思うが、実際に「救われた」と
      言っていることをどう考えたらよいのか。
      偶然的なものが存在しているが、人間はそれを
      必然性として理解せずにはいられないということ。
      しかし、偶然に亡くなるという事実はある。人の生が
      偶然の死によって突然終わってしまうことがあるが、
      それまでどう生きたかということは確かなものとして残る。

 ○自立していることが根本
  P201、被災したスタッフを休ませるべきか、それとも仕事を
     続けさせる方がいいのかという葛藤があった。

    → スタッフに休みを与え、自分を見つめる時間を与えること。
      こういう時だからこそ、自分を見つめる時間を取ることが
      ものすごく大切だったろう。大変な状況の中で、
      「やらなきゃいけない」という思いだけで進んでいくと
      人間は壊れてしまう。あえて、距離を取って、自分の心の中を
      見つめる時間を取ることが大事だろう。

  P202、休むかどうかは自分で、自己管理をして決めていいとした。

    → この自己管理というのはとても厳しい、難しいこと。
      周りがハードに動いている時に、それに流されず自分の状態を
      見つめ、休むことを決めることは厳しいことであり、
      同時に大切なこと。

  P212、災害拠点病院として、自己完結型で医療チームを
     派遣できる態勢を備えていた。食料や水や寝具などを持参し、
     現地で食料等の提供を受けない形態を自己完結型という。

    → ボランティア等も含めて、自己完結型の支援ということを
      どう考えるか。これは物質的という意味だけでなく、
      精神的に自立しているという意味もある。他人に依存している
      人間は、自己完結型の支援はできない。これは自己管理が
      できることが基本にある。それができない人は他人を
      救えないどころか、邪魔をすることが明らかになった。

 ○準備の進んでいた宮城県
  P210、宮城県沖地震を想定して、2010年に
     「石巻地域災害医療実務担当者ネットワーク協議会」が
     立ちあげられていた。今回の震災の前から、県や市役所、
     警察、自衛隊、海上保安庁、近隣の病院などが互いに
     顔を知っている関係にあった。

    → 顔を知って、「○○さん」と分かることはものすごく大きい。
      これが今回の活躍につながった。準備のできていた宮城県と、
      できていなかった福島県では全く違っていた。
      地震の1ヶ月前だったが、石井医師が県のコーディネーターに
      なっていたこともとても大きかった。

    → 地震直後からの映像と記録が残っている。
      いざ事が起こったら記録を残すことも決まっていた。
      そういうところでも準備の意識が違う。

8. 記録者の感想

   私は今回のテキストを自分とは関係のないものとして読んでいた。
  あくまでも緊急の、災害医療の現場のことであり、東京で平穏な
  生活を送っている自分とは関係のない話だということだ。

   しかし、中井さんは危機にこそ、本質が明らかになると言う。
  しかも、その本質は普段から存在しているものであり、
  見えにくいだけのものなのだ。こういう危機の時には
  その本当のことが分かりやすい形で明らかになっているだけなのだ。

   休養などの自己管理(自立)の問題、ヒューマニズムの限界など、
  中井さんの話を聞きながら、自分が他人事としてしか読めなかった
  ことの低さを思った。それは危機の中に本質を見ようと
  していないと同時に、普段の生活の中でも本質を見ようとしていない
  ということではないだろうか。

   石井医師は有限な医療スタッフ、薬等を最大限活用できるように
  避難所のアセスメントを行った。私は自分の限られた時間、
  限られた体力を最大限活用するようなリアルな判断ができて
  いるだろうか。いや、石井医師のように死に接する職業に従事し、
  外科手術で「想定外」に向き合い続けて来た人のリアルさには
  到底及ばない。

   災害医療においての石井医師の活躍は普段の生活、仕事の
  延長線上にあった。そのことを考えると、今回のテキストの内容が
  自分に関係のあるものだという実感も湧いてくる。
  私の今の生活の延長線上に石井医師の強さは無いということに
  実感を持たざるを得ない。

   普段の生活の中に、危機も何もかもが入っているということを
  感じられたことが、今回の読書会の私の成果だ。

─────────────────────────────────

2月 20

12月の読書会の記録 『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著)

 ゼミの読書会では、昨年の秋から「東日本大震災で提起された問題」
をテーマにしています。

この震災と原発事故への対応の中で、
日本社会の抱えていた諸問題が表に吹き出し、
誰の目にも見えるようになってきたこと。

これが、今回の大きな不幸の中の、
唯一の(と言ってよいと思います)成果です。
それを真剣に学ばなければならないと思っています。

 読書会では、これまで10月にも

 ◆海堂 尊 (監修)『救命─東日本大震災、医師たちの奮闘』
   新潮社 (2011/08/30)

を取り上げました。こちらは個人の医師の活動に焦点を当てたものです。

12月には

 ◆『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著)
   小学館(2011/10/05)

を読みました。これは地域の拠点病院という「組織」に焦点を当てています。
この読書会の記録を掲載します。

■ 全体の目次 ■

 12月の読書会の記録   記録者 吉木政人
『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子(著)、石巻赤十字病院(著)

1、はじめに
2、参加者の感想
3、組織の全体を書くとはどういうことか(中井)
4、危機にこそ本質が見える(中井)
5、第1章「地震発生」の検討
  →ここまで本日 掲載
6、第2章「石巻二十二万人の瀬戸際」の検討
7、第3章「終わらない災害医療」の検討
8、記録者の感想
  →ここまで明日掲載

─────────────────────────────────

◇◆ 12月の読書会の記録 吉木政人 ◆◇

『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子(著)、石巻赤十字病院(著)

1.はじめに

 ○日時   2011年12月22日16:00-18:00
 ○参加者  中井、社会人2名、大学生1名、就職活動生1名、高校生3名
 ○テキスト 『石巻赤十字病院の100日間』(小学館、2011/10/5) 
 ○著者   由井りょう子(著)、石巻赤十字病院(著)

  震災関連としては、10月の『救命』(海堂尊監修)と同じく、
 今回も医療現場のテキストを扱った。『救命』は医者個人についての
 内容だったが、今回は石巻赤十字病院という組織について考えた。

  宮城県の石巻赤十字病院は震災後に、石巻圏の拠点病院として、
 行政をも全てを巻き込んで災害医療にあたった。

  石巻赤十字病院の活躍において決定的だったのが、
 災害対策本部のトップとして組織全体を動かした石井正医師の存在だ。
その石井医師が石巻赤十字病院だけでなく、石巻圏全体の医療を、
 行政をも巻き込んで指揮したのである。

  中井さんは現地取材をし、この石井医師に直接インタビューを
 行っていたので、そこでの話も読書会で聞くことが出来た。

  災害時という危機にこそ、本質がハッキリと明らかになっている
 ことが分かる。本当は普段からあるのだが見えにくい本質が、
 分かりやすい形で現れるのだ。

2.参加者の感想

 ○とにかく石井医師はスゴイと思った。自分が石井医師のような
  人にどうやって対峙したら良いかと考えた。(大学生)

 ○一番面白かったのは、石巻赤十字病院が自ら災害拠点病院に
  なっていたところ。当然上からの指示で決まると思っていた。
  それも看護師だった人が自分から声をあげて始まったところが
  面白かった。また、普段はいつもボーっとしているように
  見えていた参謀の二人が、こういう緊急時に活躍したというのも
  面白かった。(社会人)

 ○黒の「トリアージ」(患者を選別し、治療の優先順位を
  つける行為。黒は救命不可能の超重症者を意味する)をつけて
  身捨ててしまうことが気になった。確かにしょうがないと
  いうのも分かるが、黒のトリアージにもっと人員を
  かけられないかなと思った。(高校生)

 ○トリアージエリア設置など、このような危険な状況にもかかわらず、
  早い対応ができたのがスゴいと思った。現場が殺気立っていたことも
  実感することが出来た。(高校生)

 ○食料で苦しんでいる人の言葉、セリフがそのまま書かれていて、
  それは一番グッと来たし、つらいなと思った。「ミルクを下さい」
  という母親に対して、病院はミルクをあげることができなかった。
  (高校生)

 ○緊急時の、災害医療の現場のことを、自分のことに引きつけて
  読むことができなかった。また、医者にしても、ボランティアに
  しても、患者にしても、当事者意識が弱くお客様意識の強い人は
  どうしようもないなと思った。(就職活動生)

3.組織の全体を書くとはどういうことか(中井)

 ○個人の視点の『救命』、組織の視点の『石巻赤十字病院の100日間』
  ・前回の『救命』はあくまでも、個人でどう動いたかという話。
  ・個人でどう動いたかよりも、まずは全体を知りたい。
   まずは全体として何が問題だったかが重要だし、そこを知りたい。
   全体を知る手掛かりとして今回のテキストがある。
   石井さんに話を聞いたのも全体を見ていた人の話が
   聞きたかったから。
 
 ○本書は組織の全体が書けていない
  ・本書はそれぞれの部署から考えた本でしかない。
   それぞれの部署で、それぞれこうだったということを
   並べても全体は見えない。部分を足せば全体になるという
   足し算の考え方。しかし、組織とはそんなものではない。

 ○組織の理念が書けていない
  ・組織の理念、目的が全てを支配する。しかし、この本では
   その理念が出せない。石巻赤十字病院の理念は何だったのか。
   今回の震災対応で貫かれた理念とは何だったのかが分からない。
   本当は最初に理念があって、その理念が全部署、全個人を支配する。
   そういう視点が無い。

 ○組織のトップが書けていない
  ・本当は中心がある。それは石井さんであり、災害対策本部。
   その頭がどう動いたかという視点がない。
  ・この病院の特別な点は、石井さんが地域の全体を
   一元管理する体制を作ったこと。行政までも含めて
   全てを巻き込んだ一元管理体制を作った。
   この点が圧倒的に素晴らしかった。こういう時に
   行政を批判しているだけなのは最低。
  ・石巻赤十字病院が著者ということになっていて、「当院」
   という表現が連続する。ここには主人公、リーダーがいては
   ならないことになっている。
   石巻赤十字病院が主人公。「みんなが主人公」という小学生の
   レベル。それは嘘だ。実際は石井さんがリーダーだったに
   決まっている。
   こういうエセ民主主義をどう思うだろうか。私は間違いだと思う。

 ○組織外からの視点がない
  ・石巻赤十字病院からの視点だけで、外部からの視点は無い。
   それでは本当の問題、矛盾は明らかにならない。この本に直接
   外部からの視点は無くても良いが、取材としては外部からの視点も
   必要。
   つまり、行政や警察や医師会、自衛隊など。
  ・こういう時、警察、特に自衛隊からの肉声は抹殺されている。
   公的な仕事の人の「顔」が見えない。唯一自衛隊に肩入れしたのは
   長渕剛くらい。どうして日本の社会はこうなのだろうか。
   自衛隊の人達の生の声、不満が外に出ない形でいいのだろうか。
   誰もやらないのなら、本当は私(中井)が自衛隊に取材しないと
   いけないのかもしれない。

 ○「感動物語」の本
  ・この本では、対立や矛盾が明らかにならない。「頑張った」
   「素晴らしい」「かなしい」といったレベルにとどまっている。
   これが普通のレベル。

4.危機にこそ、本質が見える(中井)

 ○危機にこそ、本質が見える
  ・私がなぜ震災に関心を持つかというと、こういう危機にこそ
   普段見えなかったものがハッキリと姿を現わすから。
   それが最大の面白さ。黒のトリアージの人を見捨てる話が出たが、
   実は普段見えないだけであって、普段からそういうことは
   やっている。「かわいそう」という考え方自体がダメ。
  ・そういう本当のことは何てシンプルで論理的なんだろう。
   素晴らしい。
  ・危機に現れている本質から、もう一度原則をハッキリさせて
   やっていきたい。

 ○善意やヒューマニズムの限界
  ・善意やヒューマニズムでは何も救えないことが明らかになった。
   そういうのは絵空事でしかない。それが絵空事だということが、
   危機の時にハッキリする。そこに投入できるヒト・モノ・カネは
   有限。普段は有限だということを見ないで済む。本当は普段から
   限界があるのだが、しかしこういう危機では表に現れる。
  ・石井さんが素晴らしいと思うのは、絶えずカネの問題を
   露骨に出すこと。
   「一人の医者のために何千万円かかっていると思っているんだ」
   というセリフ。それだけのカネがかかっている医者を
   いかに回して、最大効率をあげるかということをいつも考えた。
   これが本当のリアルであり、本当の理想主義だ。
   リアルがない理想主義はただの絵空事。
  ・ヒューマニズムでボランティアをやる人は、現場にとって
   迷惑になることが多い。「自己完結型」の支援でなくてはならない。
   そのためには自立していなければならない。

 ○まずは自分を救う
  ・まず何よりも真っ先に最優先に救わなきゃいけないのは、自分。
   他人ではない。自分を救えなかったら他人も救えない。
   石巻赤十字病院にとっては、まずスタッフを救うことが肝心だった。

 ○行政依存でなく、自分で全てを引き受ける
  ・行政依存はダメ。自分が全てを引き受けるしかない。石井さんは
   県のコーディネーター(震災のたった1ヶ月前に任命されていた)
   としての権限、肩書きを最大限利用した。

 ○医療の全体性
  ・医療行為というものが生活の全体につながるということが分かった。
   医療が食料から何から一切合切、全てを請け負った。それは医療が
   本来そういうものだということ。今回の震災では口内炎になって
   食べられない人が多かった。
   食べるという生きる上での根源的なところまで話が進んだが、
   それは危機にあったからこそ本質が現れたということ。

5.第1章「地震発生」の検討 
 ※各章の検討では、「→」が参加者のコメント。
  特に断りが無ければ、中井の発言である。

 ○「マニュアル」をどう考えるか
  P26、地震発生からわずか1時間で救急患者の受け入れ態勢ができた。
     トリアージエリアの設置(患者の治療優先度に応じて
     赤、黄、緑、黒に色分けしたスペースを作った)と、
     医療スタッフの人員配置ができた。
     1年がかりで実践的な災害対策マニュアルを作っていたことが
     活かされた。

   → マニュアルがあればいいというものではない。
     普通の災害対策マニュアルは全然役に立たない。しかし、
     石井医師達は1年かけて自分達で実践的なマニュアルを
     作りあげていた。
     「マニュアル」という言葉だけで考えても意味がない。
     重要なのは、マニュアルがあるかないかというレベル
     ではなく、マニュアルの実質的なナカミ。

 ○まずは自分達を守ること
  P62、看護係長佐藤京子「私たちが、家族の代わりになることは
     絶対にできません。ただ、よりそって話を聞いてあげるだけ。
     なんでもいいんです、聞いてあげることが大事なのです。ただ、
     そのためには自分を一定に保つよう心がけます」

   → よく「相手を受け入れなさい」ということが言われるが、
     実際には自分を一定に保たない限り相手の話を聞くことは
     できない。それが重要なのだ。こうした指摘はとてもリアル。  

  P74、救援物資の受け入れで事務方の職員は仮眠すらできなくなって
     しまった。そこで夜の11時から朝の6時までは受け付けない
     ことにした。

   → まずは自分達(ここでは病院スタッフ)を守らないといけない。
     自分が倒れては元も子もない。

 
 ○人が本気になった時の態度
  P70、一度来た民間の給水車が帰るのを引きとめた。
    ずっと石巻にとどまってもらい、水道局と往復させ続け、
    病院に水を送り続けさせた。

   → 医療行為そのものではないことまで自分でやらなくてはならない。
     行政がどうこうという姿勢では、ダメ。死んでしまう。

   → 就職活動生:人が本気になった時の態度、言葉は違う。

2月 13

2月の読書会

 今回は、『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』河北新報社 (著)
を取り上げ、ジャーナリズムと震災を考えたいと思います。

 読書会では、昨年の秋から「東日本大震災で提起された問題」をテーマにしています。
 この震災と原発事故への対応の中で、日本社会の抱えていた諸問題が表に吹き出し、誰の目にも見えるようになってきたこと。
これが、今回の大きな不幸の中の、唯一の(と言ってよいと思います)成果です。それを真剣に学ばなければならないと思っています。

 読書会では、これまで

 10月
 ◆海堂 尊 (監修)『救命─東日本大震災、医師たちの奮闘』
   新潮社 (2011/08/30)

 11月
 ◆清水 修二 (著)『原発になお地域の未来を託せるか』
   自治体研究社 (2011/06/15)
 ◆佐藤栄佐久(著)『福島原発の真実』
   (平凡社新書) (2011/06/22)

 12月
 ◆『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著)
   小学館(2011/10/05)

 以上を読みました。次は、地元新聞を取り上げます。

(1)期日 2月25日 午後4時から6時まで
(2)場所 鶏鳴学園の3階
(3)テキスト
  『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』河北新報社 (著)
   文藝春秋 (2011/10/27)
   ¥ 1,400
(4)参加費 3000円
参加希望者は、鶏鳴学園まで申し込み下さい。

今回は、ジャーナリズムと震災を考えたいと思います。

新聞とは何か。
地元紙とは何か。何をするべきか
震災下の地元紙とは何か。何をするべきか。

『河北新報』とは宮城県仙台市に本社がある、
宮城県を中心にした東北の地元紙です。
その震災直後からの1カ月ほどの活動の日々を、
自らが振り返ったドキュメントです。

「肉親を喪いながらも取材を続けた総局長、殉職した販売店主、
倒壊した組版システム、被災者から浴びた罵声、避難所から出勤する記者」
とアマゾンの内容紹介にあります。

参加希望者は、以下に申し込み下さい。

            鶏鳴学園 読書会事務局
  メールアドレス sogo-m@mx5.nisiq.net
 ホームページ http://www.keimei-kokugo.net/

1月 18

昨年12月29日には、ゼミ生と1年の振り返りをしましたが、
 そこで話したことをまとめました。

———————————————————–

人が行動することは、自分が何者かを明らかにする 

     — 「概念の生成史」と「概念の展開史」 — 

 「意識(人)が行動しなければならないのは、自分の潜在的な姿を
意識の対象にするためでしかない。意識は自分の行動の結果としての現実から
自分の潜在的な姿を知るのである。したがって個人が行為を通して
現実にもたらされるまでは、個人は自分の何たるかを知ることはできないのである」

(『精神現象学』第5章理性論、第3節「絶対的に実在的だと自覚している個人」。
  牧野紀之訳、未知谷版574ページより)。

 これはヘーゲルの発展観そのものの表現だと思う。そしてヘーゲルの発展観を
理解するには、「概念の生成史」と「概念の展開史」の関係を考えねばならない。
ヘーゲルは、そのものが何なのか(その本質、すなわちその生成史)は、
そのものの生成後の自己展開で明らかになると言う。つまり、その展開史で
その生成史の意味が明らかになるのだ(『精神現象学』の序論にある。
鶏鳴会通信107号を参照されたし)。これは「類」の進化において言われるが、
それはそのまま類の中の個別における成長過程でも言えることだ
(これが『精神現象学』の大きな枠組み)。

 私たち人間は、いつもそれまでの人生を背負って生きている。
ある年齢に達して、今、新たなことに挑戦するときに、
過去がそれに大きな影響を与えていることは明らかだ。
その過去は当然意識されており、その振り返りの上で、
未来への決断・選択が行われると考えられている。
過去は記憶されており、自分史として把握できる。
しかし、そうだろうか。記憶から消された過去も多い。
否、大切な過去ほど、意識の奥深くにしまい込まれているのではないのか。

 ゼミ生に、以下のようなことが起こった

 ある人Aは、私との師弟契約をすることを真剣に考え始めていた。
そのきっかけとしては、それまでの生き方の反省がある。
他人任せで、世間の基準を無自覚に自分の基準としてきたこと。
そして、私と師弟契約をする決断をする際に、忘れていた記憶が
呼び戻されてきた。

 それは、その人には以前にも先生というべき人がいたことだった。
本人はすっかり忘れていたが、整体の指導者を事実上の師としていた。
その師のまわりには弟子の集団があって、その中の一員だった。
そして、その師との辛い別れがあった。その師に、あることから
厳しい叱責を受け、不本意ながらも関係は終わった。
その師弟関係が失われたことは大きなショックであり、とても辛いことだった。
当時、その師は、悩みの相談相手であり、いつも親身にこたえてくれた。
その人は、人生の行き先を照らしてくれる大きな燈明だった。
そうしたことがすっかり思い出されてきた。

 それらの記憶は大切なことだったはずだが、すっかり忘れていたのだった。
そして、その記憶が浮かび上がってきたときには、それはただ辛く
受け止めがたい記憶ではなくなっていた。その師や弟子集団の問題が
おぼろげに見えていたのだ。そうした相対化の視点は、
私を師とすることで与えられたのではないだろうか。
そして、そうした視点がない限り、その記憶は、
心の奥深くにしまい込まれたままだっただろう。

 また、別の人Bには、それまで仕事上の先輩で信頼し尊敬している人がいた。
その人の考え方、仕事の進め方などを、必死で学んできた。
そして、確実にその成果も出て、仕事上でも順調に進んだ。
しかし、次第に、その先輩の不十分な点にも気づくようになり、
生き方や考え方に大きな欠落があることにも気づくようになっていた。
しかし、そうした不満や疑問を口にすることはなかった。

 私は、そうした関係は、その大切な先輩に対して誠実な態度とは
言えないのではないか、と注意をした。そこから、改めて、その先輩を
きちんと批判することを決意するようになる。その時に、
すっかり忘れていた親友とのことが思い出されてきたのだ。

 大学生の時にその親友とは同じクラブを運営する立場として、
互いに批判しあい、支え合っていた。最初は相手が上だった、
しかし、いつしか相手との関係が逆転し、就職後は、相手を
見下すようになっていた。それでも「親友」としての
いつわりの関係は続けてきていた。

 そのことが急に思い出されてくる。そして、そのいつわりの関係を
清算しないではいられない、強い思いがこみ上げてくる。

 こうしたことを見ていると、ヘーゲルの言っていたことの意味が
わかるように思うのだ。

 「行動」「行為」とは、それまでの生き方に一線を画するだけの
ものでなければならない。

 そうした決断の際に、その時点では潜在的だった自分の正体が
はっきりと現れてくる。自分とはもちろん過去の人生によって
作り上げられてきたものだから、現れてきた潜在的本質にも、
それに対応する過去があるのだ。

 Bさんについて、ゼミでは「なぜ精算する必要があるのか」
「親友ではなかったとか、いつわりの関係だったとか、
わざわざ言う必要はないのではないか」といった意見も出た。
しかし、そうした過去を清算しないと、私たちは前には
進めないのではないだろうか。過去が私たちをとらえ、
前に進めなくしているのではないか。

 精算とは、その親友を切り捨てたり、過去の自分を切り捨てる
ということではないと思う。その失われていた過去を呼び戻し、
その意味づけを変えることなのではないだろうか。
私たちは過去を切り捨てることはできない。
すべてを背負って生きるしかない。
できることは、その個々の経験の全体における位置づけをかえ、
より高いレベルで生き直すための、一歩を進めることだけだろう。

 そうした過去の清算ができない限り、それまでの延長線上の生き方、
同レベルの生き方しかできず、発展は不可能なのだろう。
逆に言えば、それまでのレベルを乗り越えて生きていく中で、
過去の一つ一つの経験の意味が、より深いレベルで明らかになる。
一歩前に進むたびに、1つ上のレベルで経験の意味を捉え返し続ける。
それを繰り返していくことで、過去の全体が構造化され、
その意味が透明なすがたとして現れてくる。

 これがヘーゲルの「展開史でその生成史が明らかになる」の
 意味なのではないか。

 これを世間で言われていることを比較してみよう。
世間でも「過去を反省せよ」とか「過去の振り返りをせよ」とか言われる。
それによって、今の選択についてどうしたら良いかわかるし、
未来の方向付けもできる、と言うのだ。

 ここにないのは、「生成史」とは別の「展開史」という考えであり、
この両者を統一的にとらえる観点なのだ。だから「反省しなさい」や
「過去の総括文」には無意味なことも多い。
むしろ、嘘を書かせるだけなので、有害なことの方が圧倒的に多いのだ。

 また、過去に執着して前に進めない人が多数存在していることを
どう考えるか。実際には、過去にこだわり、生い立ちにこだわっている人で、
前に進めないでいる人が多い。「過去の反省」は、
こうした人に対しては無力なのではないか。

 人が前に進むときにだけ、意識の奥底に隠してきた過去の記憶が
浮かび上がってくる。前に進むことなく、過去をとらえようとしても
無理なのではないか。

 「大切なことほど意識の奥底に隠されている」と言えば、
すぐに「精神分析」を思い出す人もいるだろう。
そこでは様々な手法によって記憶を探り出し、新たな視点から
過去の人生の全体を捉え直そうとする。しかし、この「新たな視点」は誰が、
どのように与えるのだろうか。そうした曖昧さや危険性に反対する立場からは、
他の手法がさまざまに提案されている。

 しかし、いずれにしても、大切なのは「生成史」と「展開史」の
両方の視点であり、この両者を統一的にとらえる観点なのだと思う。
そして、人が先に進むためには、これらについての認識の深まりが必要である。
そしてそのためには認識能力の高まりが必要であり、その能力を高める過程と
その保障が必要になるだろう。その回答が「先生を選べ」であることは、
すでに繰り返し述べてきた。

1月 16

昨年12月29日には、ゼミ生と1年の振り返りをしましたが、
 そこで話したことをまとめました。

「謙虚」と「傲慢」 

 すぐにあやまる人がいる。すぐに反省を口にする人がいる。
しかし、こうした人をよく観察すると、本当に反省しているわけではなく、
問題点の改善はされていないことがわかる。謝りながら、実は問題を
スルーしてごまかし、ただ流しているだけなのだ。

 私は、こうした人たちの反省や謝罪に、とても軽薄な印象を受ける。
そこに「間」がないからだ。人は、気付かなかった事実や批判を
受け止めるには、少しばかりの時間が必要だろう。その批判が
核心を突いている時は、しばし沈黙するのが普通なのではないか。
そうした間もなく、すぐに謝り、すぐに反省の言葉を出すのは、
問題をきちんと受け止めようとしていないからだろう。
その結果、同じ過ちを繰り返し、同じ反省をし続ける。

 こうした人は実に多い。こうした人は、一見「謙虚」そうだが、
実際はとても「傲慢」なのだと思う。

 他方で、いつも自己卑下をする人がいる。
いつも自信無げでおどおどしている人がいる。

 こうした人たちも、普通は「謙虚な人」と言われる。
しかし、こういう人もまた、実はとても「傲慢」なのだと思うようになった。

 こんなことがあった。ある人はいつも自信がなく、
自分はきちんとしていない、普通の人ができることができない、
ダメな人間だなどと言っていた。しかし、ある日、見かねて
カウンセラーに行くことを薦めると、「自分が行くのは大げさなのでは
ないかという気がする。私の状態はそんなに深刻ではない」と言うのだ。
この時に、初めて、この人の傲慢さが見えた。

 こうした人は、いつも自信がなく、他人と比べて自分を責めて、
おどおどしているように見えるが、他方では、すごく傲慢で、
他人と比べて、自分はそれほどひどくはないと、安心してもいるのだ。
「きちんとした社会人」ではないが、「きちんとした病人」ではない。

 この「きちんとした」が問題だ。
その判断の基準は、他者や世間や親の基準でしかないからだ。
こういう人は、世間の基準を鵜呑みにし、疑うこともなく、
それに従って生きている。それが自分の実感に合わなかったり、
変だと感じることもあるはずだが、自分独自の基準を作るまでには至らなかった。
世間の基準に従っている方が楽だからであり、それに対立しながら、
自分自身の基準を作ることははるかに厳しく難しいことだからだ。

 その結果、すべてをこうした世間の基準、枠組みから、見ることになる。
しかし、それは自分自身の実感や、心の動きを抑圧することにもなる。
その結果は、ノイローゼであり、心の病に至るだろう。
いつも自信がなく、おどおどするのは当たり前なのだ。

 こういう人は、自分の実感、自分のハートの声に耳傾けることがなくなっていく。
しかし、それを生きていると言えるだろうか。生きる実感とは、
自分の五感に責任を持つことから始まるだろう。
それを放棄してしまえば、あとは自動人形になるのではないか。

 それは人生に対して、自分に対して、他者に対して、生命に対して、
限りなく傲慢で、不遜で、不誠実なことではないだろうか。