4月以降のゼミの日程についてはすでに連絡しました。
今回は、5月読書会のテキストをお知らせします。
ゼミの日程を再度以下に出しておきます。
参加希望者は早めに(読書会は1週間前まで、文章ゼミは2週間前まで)申し込みをしてください。
遠距離の方や多忙な方のために、ウェブでの参加も可能にしました。申し込み時点でウェブ参加の希望を伝えてください。現在ウェブでの参加者は3人います。
ただし、参加には条件があります。
参加費は1回2000円です。
1.5月以降のゼミの日程
基本的に、文章ゼミと「現実と闘う時間」は開始を午後5時、
読書会と「現実と闘う時間」は開始を午後2時とします。
ただし、変更があり得ますから、確認をしてください。
なお、「現実と闘う時間」は、参加者の現状報告と意見交換を行うものです。
2016年
5月の集中ゼミ(5月7日、8日)
5月28日(土)読書会と「現実と闘う時間」
6月11日(土)文章ゼミと「現実と闘う時間」
26日(日)読書会と「現実と闘う時間」
7月9日(土)文章ゼミと「現実と闘う時間」
24日(日)読書会と「現実と闘う時間」
8月に合宿(8月18日から21日)
2.5月の読書会テキスト
テキストは
ヘルマン・ヘッセ『デミアン』です。
高橋健二訳(新潮文庫)で読みます。岩波文庫ではないので間違えないように。
20世紀始めの頃、ドイツの青年シンクレールが友人デミアンに導かれて魂の遍歴をする「成長物語」(ビルドゥングス・ロマン)です。
最後は第1次世界大戦の中、ヨーロッパが崩壊していき、デミアンもその中で死んでいきます。
シンクレールが、そこからの自分とヨーロッパの再生を確信するところで、物語は終わります。
この本は、私が思春期で苦しかった時、私を支えてくれた本です。
私は、10代の激しい反抗期の中、周囲になじめず孤立していました。
周囲や世間をバカにし嫌悪していましたが、何よりもそういう私自身を持てあましていました。
自分の毒で自家中毒を起こしていたと思います。
デミアンはそんな私をそのままに肯定してくれました。
いや、ただ肯定するだけではなく、その道をさらに先に進むこと、その果てまで突き進むように強く求めるのでした。
「私はただ、私自身の中から外へと現れ出ようとするものを、生きようとしたに過ぎない。
それがなぜあれほど困難だったのだろうか」
は当時の私の目標、救いでした。
それは今でも、私の根底をなしていると思います。
その後20代では反文化(カウンターカルチャー)の運動、共同体運動、エコロジー運動、身体性の運動、瞑想などの運動と関わりました。
その決定的な挫折があり、それらの運動の限界と自分への絶望を経て、30歳を前にしてヘーゲル哲学の学習を決意し、
その後ヘーゲルやマルクスを学ぶことで自分を作り直す作業を経て、今日に至っています。
今、この本を読みなおし、それを現在の立場から検討したいと思います。
また、昨年の秋から聖書の学習会を行ってきましたが、そうした関心の発端も、この本にあります。
それは旧約のカインとアベルの物語の新たな解釈で、カインの印の意味、カインの再評価です。
デミアンはこう語ります。
「カインとその一族は、才知と大胆さを持ち、周囲の人々はそこに不気味さを感じて恐れていた。
そして彼らが受けた恐怖への復讐として、カインとその一族に兄殺しという罪を着せ、『印がある』とした」。
それはシンクレールの魂という泉に投じられた一石となり、それが波紋を広げていきます。
当時、スタインベックの『エデンの東』やドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』にものめり込みましたが、
すべては同じ関心でした。人間の「悪」をどうとらえるのか。
旧約と新約の読書会も終わるところで、それらも再考しておきたいのです。