8月 31

2016年の秋には、初めて仏教を学習した。『摂大乗論』に関する卒論の指導をする必要があり、
仏教に向き合わざるを得なくなった。そこで考えたことをまとめておく。

■ 目次 

「悟り」の根本矛盾 (仏教を考える)

※前日からのつづき
2.仏教とユダヤ教・キリスト教
(1)言葉への不信
(2)人格神の意味 内的二分と外的二分の関係
(3)「悟り」の矛盾 3段階の発展 
3.比較宗教学、比較思想
(1)比較思想の難しさ
(2)『ゆかいな仏教』は自由にしてくれる
(3)宗教と哲学や科学とは何が違うのか

==============================

「悟り」の根本矛盾 (仏教を考える)

2.仏教とユダヤ教・キリスト教

私は仏教について考えながら、常にユダヤ教とキリスト教、その旧約と新約と比較していた。
私が多少は知っており、強い関心を持っているのがイエスとその弟子たち、そこから生まれたキリスト教だからである。
また、2015年の秋から半年ほどかけて旧約と新約を読んで考えていたから、私にとってはそれは当然のことだった。

(1)言葉への不信

両者を比較して、すぐに気づくのは言葉への信頼の違いである。
仏教の言葉への不信はあまりにも激しく極端である。それに対して、ユダヤ教・キリスト教では言葉を基礎に置いて、
それが大きく揺らぐことはない。「始めに言葉があった」として旧約が始まっているほどだ。
これはどういうことなのだろうか。
ユダヤ教やキリスト教では、神は人格神であり、神と人間との関係は「契約」関係である。
それは言葉によって確定され確認される。旧約を読んでいるとそれがよくわかる。ユダヤ民族と神とは契約をし、
その契約を相互に守ることでその関係が成立する。それはすべて言葉によるもので、神から示される十戒の内容は、
文字として刻まれた石板が神からユダヤ民族の指導者であるモーゼに示される。また、モーゼは実によく、神と交渉する。
それはすべて言葉によるものだ。
それには相互の愚痴や怒りなどまで含まれるが、実にこまめに言葉でのやりとりがある。
神はユダヤ民族を愛するが、一方でよく怒り、ユダヤ民族を殲滅しようとさえする。
それをモーゼはなだめすかし、必死で思いとどめようとする。すべてが言葉によるものである。
言葉、言葉、言葉。神と人間とは相互理解をしなければならず、それには言葉で交渉する以外にはない。
そこでは言葉に掛けるしかない。言葉への不信などと言っている余裕はない。
仏教ではそれがまったく異なる。そこには人格神としての神は存在しない。
したがって、言葉による人間と神との契約や交渉は不可能であり、不必要であり、そのために言葉を軽視、否定することもできる。
この違いは重要だと思う。

(2)人格神の意味 内的二分と外的二分の関係

もちろん、仏教でもすべての人間には仏性があることになっており(つまり内的二分)、仏性を神と考えることもできる。
世界は縁起で成立しており、それは神が世界を作ったと説明しても良いだろう。しかし、それは人格神ではないし、
神と人との関係のあり方には決定的な違いがある。

旧約と新約では、神は人格神であり、人間はその神と、人格同士として契約や交渉が可能だし、それが不可欠である。
それは何を意味するのか。神は人間の外に実在し、人間とは外的に向き合う(外的二分)のだ。
もちろん、神との対話は人間一人ひとりの内面においてもなされる(これが内的二分)のだが、他方でその関係は、
徹底的に外化されてもいる。内的関係でも外的関係でも言葉が必要だが、外的関係では特に重要である。
この内化と外化の関係は相互関係であり、1つの関係の2つの側面であろう。自己内での神と自己との対話、
つまり内的二分は、外的にも神と自分たちユダヤ民族との契約や交渉の中で確認される。逆に外的な契約ゆえに、
神との内的関係は保障される。それは客観的で社会的な保障である。また、ユダヤ民族内でも指導者と民衆とは、
神との契約や交渉をめぐって言葉によって伝え合うしかなく、時に激しい議論も起こる。
この内化と外化の関係は、新約においても変わらない。内的な信仰は、外化された根拠を必要とする。
イエスの言動、人生の経緯が注目されるのは、神との関係は外化されるとの考えの結果でもあるのだ。
イエスの人生が悲劇的であり、ドラマ仕立てであり、復活を含む数々の超常現象や奇跡物語が、
キリスト教成立にはどうしても必要だったのは、そのためだ。
もちろんユダヤ教とイエス(キリスト教)との間には大きな違いがある。イエスは神との契約の条件を、
ユダヤ民族への限定から人間一般へと拡大した。それは特殊性を排除し、人類と神との関係の普遍性を保障し、
その内的二分と外的二分の関係を純粋なものとした。
しかし、こうした大きな違いはあるが、両者の神は人格神である点で同じである。
この点で仏教はまるで違う。仏教では、人格神は存在しない。神(仏性)と自分の関係は内的なものに止まり、
外化され確認されるものではない。外化することでの保障の必要を認めない。だから、言葉や表現は重視されない。
イエスと比較して、ブッダの人生にはおよそ、激しさや奇跡物語めいたものはない(少ない)。
ブッダの人生の個々の場面が重要ではない。外化が問題にはならないのだ。ブッダはあくまでも人間であり、神ではない。

これは仏教の方が内面性を深めているように思われるかもしれないが、実際は逆であろう。
内的二分と外的二分との両者が一つであるとするならば、神の意志が外化されているはずの現実社会から逃げることは
許されない。そこに不正があるなら戦うしかなく、それは現実との対立を深め、弾圧を呼ぶだろう。
そしてそれゆえにまた内的な葛藤や分裂はいっそう激しくもなるだろう。矛盾は外界にあるだけではなく、
ユダヤ民族内部でも、個人の内面でも激化するだろう。

仏教では、そうした外化を求めず、必要としない。しかし、それは建前であり、大衆において外化と客観的な保障
(功徳やご利益など)を求める力は大きく激しい。仏教もそれを押しとどめることはできず、
次第にその力に屈服していったように思われる。それが仏像であり、輪廻の教えであり、多数の仏、浄土、念仏であり、
密教であるように思う。
こうした方向は、決して大衆からの要請だけではない。本来、外と内とは一つであり、外を無視・軽視すること自体が
間違いなのである。したがって、外化や客観化はそれが発展する上で、必然的な方向なのだ。
しかし仏教は原理的にはそれを求めないのだから、かなり不自然な形とならざるを得ない。
 たとえば、仏教のわかりにくさは、そこにブッダ以外に、多数の菩薩や如来が存在することだ。それは何か。
すべての真理への道と同じく、仏教にも師弟関係と弟子相互の関係がある。そこでの真理性には客観的な保障、
つまり悟りが本物が妄想かの基準が必要である。そしてその保障とは師弟関係の継続性、永遠性の中にしかないだろう。
 歴史的な師弟関係の継続性こそが、その真理の客観性(それが主観的な妄想ではない)、永遠性、発展を保証する。
しかし内的な保障を外的な関係の中に求められないなら、それに代わる絶対的なシンボルが必要になる。
それが仏教における多数の仏や菩薩らの群れであり、壮大な曼陀羅の世界なのではないか。
 これに関連して言うと、ブッダが「独覚」したとされるのはおかしい。ブッダの悟りは、彼に先生がいなかったことを
意味しない。ブッダにも当然師がいた。ただ彼は師を超えた、それも大きく超えたのだ。
ブッダをそれ以前と切り離そうとする無理が、その世界観に歪みを与えていると思う。
 キリスト教が、教会に絶対的な意味を与えているのは、この師弟関係の絶対的価値を求めるからである。
しかし、それが疑似的に外化されることはない。それは三位一体の理論に付け加えられるものはないからだ。

(3)「悟り」の矛盾 3段階の発展

 そうした大きな違いを確認した一方で、私は両者がやはり根本的な点で一致していることにも驚き、
その意味の大きさ、深さをかみしめることになった。
それはヘーゲルの矛盾の捉え方であり、3段階からなるその発展観である。
その考えは、仏教においても貫かれているように思った。

ブッダの人生は、次のような展開を示している。

 1)現実社会への絶望
 ↓
 2)ヨーガの教団で修行
 ↓
3)悟り(現実世界を全体の相関関係でとらえる)中道の自覚

4)49日間の悩み
悟りの内容については何も語ることなく一人生きるか、世間に布教するかで悩む
  現実社会に戻ることを決意(発心) ブッダがブッダになった時
 ↓ 
5)布教活動(現実社会に戻る)

ブッダは人間や社会の現状に絶望し、悟りを求めて修業した。そして35歳の頃に悟ったとされる。
しかし彼はその段階で大きな問題にぶつかり、49日間そこに止まった。悟りを自分だけのものとして終わるか、
それとも人々にそれを教え広める活動をするか。言葉は不十分であり、布教活動には必ず誤解やズレ、
人々の対立が引き起こされる。それをどう理解するか。
ブッダはその矛盾を引き受ける決意をし、布教活動を始め、80歳で亡くなるまでの50年近くを、人々の救済に身をささげた。
そこには、言葉は不十分なものだが、その言葉でしか伝えられないという大きな矛盾を自覚しつつ、それを受け入れ、
それと対峙していく覚悟と勇気と忍耐があったはずだ。その悩みの深さと覚悟や勇気がどれほどのものだったかは、
彼がその後亡くなるまでの50年間、うまずたゆまず、布教し続けた姿にはっきりと表れていると思う。
しかし、ブッダがその矛盾とどう向き合い、どう解決したのかは、本人が語ることはなかったようだ。
原始仏教の経典にはほとんど書かれていないと思う。
ブッダの教えは中道の教えだと言われる。しかしそれを足して二で割るような方法や、
バランス(これは偶然性の立場の言葉)として理解するのは、まったく彼の真意から外れるだろう。
中道の教えの対象も、世俗の現実世界と悟りの世界との矛盾としてだけとらえると違うだろう。それは何よりも、
内的にも外的世界でも分裂・対立・矛盾の自覚であり、そこから逃げないで踏みとどまり、それを克服していくように
との教えではないだろうか。言葉の不十分さ、それゆえの仲間同士での誤解や対立、この現実社会との対立が
避けられないことを自覚しつつ、その中に踏みとどまり、その改革に当たっていくという覚悟と実践。
繰り返される失敗と挫折を引き受け、それをも踏み越えて進む覚悟と実践。それがブッダの中道という教えだと思う。
それは静的で受動的なものではなく、動的で能動的な激しい生き方である。
しかし、彼の弟子たちは、その生き方をブッダの深さで理解することはできなかったので、小乗仏教と揶揄されるようになり、
それを克服するために大乗仏教が生まれ、中観派の「空」の思想が生まれ、唯識が生まれたのではないか。
 ブッダは、世界の根本的な矛盾を見ていた。その矛盾に耐えられない場合は、いずれか一方を取って他は切り捨てる
ことになる。ブッダは矛盾に耐えよ、そこで耐えて仕事をせよ、それが生きることだ、と伝えた。
 小乗では、その理解が浅かった。
 それに対して、大乗仏教が生まれた。
中観派の空は、ただの否定ではない。世界を存在するとも、無であるともしない。
その矛盾の中で、矛盾のままに生きることを求めているのが、空の立場である。
これはブッダの中道をより具体化したものだろう。
唯識の三性説も同じである。しかしそれにアーラヤ識の考えを導入することで、これをさらに空間的に全体性としてとらえ、
時間的に発展していく運動としてとらえようとしたのだと思う。
中観派も唯識派も、ブッダが見つめた矛盾を深めた。それが必然的に3段階の発展の形式として現れていくのが面白かった。

ブッダはその前半生で現実社会に絶望し、その後の厳しい修行によって悟りを得た。しかしそこに止まらず、
また現実世界への布教活動に戻った。
ブッダが若い日々に修業したヨーガ教団では、世俗世界に対して、厳しい修行による悟りの世界を対置し、
自分たちは教団内部に閉じこもり、現実社会への働きかけをしなかったのだろう。
しかしブッダはそれに同調できなかったのではないか。それでは聖なる世界と世俗世界とは対立し、
世界は両者に分裂するだけだからだ。この聖と俗との対立・矛盾もまた解決されなければならない。
現実社会には多くの矛盾があり、ブッダはそれに悩み苦しんだが、それらは悟りの地平で解決され、統一される。
しかし、それだけでは真の解決にはならない。それも突き詰めれば、聖と俗とが対立し、世界はより大きな分裂と
矛盾を抱え込むことになる。ブッダはそこに止まることを自分に許さなかった。聖と俗との分裂もまた解決され
なければならない。分裂が解決されないなら、現実世界はそのままに放置され、教団内部の矛盾、
対立もまた解決できないからだ。
ブッダは、現実社会の矛盾、対立の中に必然性と真実を見抜き、それを自他に対して、教団内部にも、
外部の現実社会にも実現していくことを求めた。そしてその運動の中にだけ、悟りの成就があると考えていたと思われる。
現実世界の矛盾、その自覚→悟り→現実世界の矛盾の克服、といった発展過程がここにある。
悟りとは現実世界が真の姿への成就することのための媒介項であり、現実世界が成就される中で、
その1契機となるものなのだ。この現実世界と悟りとの関係は、自然と人間、現実世界と人間の認識、
人間における実践と理論の関係と、本質的に同じなのではないか。
こうした矛盾の自覚と、その克服のために戦い続ける覚悟と実践。それはイエスでも同じだと思う。

イエスの人生は次のように展開する。

 1)現実社会への絶望=ユダヤ教とユダヤ人たちの社会への絶望
 ↓
 2)ヨハネに洗礼を受け、ヨハネ教団で修行  
 ↓
 3)「荒野の試み」
荒野で40日間の悪魔との対峙(すでにヨハネ教団を離れていただろう)
自分の思想を完成する
自分が矛盾を生きる、矛盾を外化させる使命を持っていることを受け入れる
   イエスがイエスになった時
 ↓ 
4)ヨハネの逮捕と殺害の後、布教活動(現実社会に戻る)

5)十字架にかかり亡くなる

ここにはブッダとよく似た経緯があるように見える。
イエスにも、世俗を離れた厳格なヨハネ教団での修行の期間がある。イエスもまたそこを離れ、自立するのだが、
その「荒野の試み」はブッダの49日間の悩みの期間と重なる。
イエスにはヨハネとその教団の教えが、現実社会を切り捨てるだけの抽象的で冷酷なものに思えたのではないか。
新約聖書にはカナの婚礼、イエスが結婚式に招待される明るい場面があるが、それはイエスの道がヨハネの対極
にあることを表現していると思う。
ヨハネは殺害されたのだが、それには有名な逸話がある。ユダヤ王国のヘロデ王が異母兄の妻を奪って自分の妻にした。
その律法違反を指摘し、激しく批判したのがヨハネであった。怒ったヘロデ王はヨハネをとらえて牢に閉じ込める。
殺さなかったのは、ヨハネに対する民衆の信望を恐れたからだ。しかし、ヘロデは娘サロメにそそのかされ、
ヨハネの首をはねさせ、それをサロメに贈り物とした。
こうしてヨハネは殺害されたのだが、これをイエスはどう見ていただろうか。ヘロデ王の問題だけではなく、
ヨハネ自身の欠落部分の結果でもあると、考えていたのではないか。
イエスはユダヤ教の改革を目指したのではないと思う。彼はユダヤ教を徹底的に相対化していた。
当時のユダヤ王国はローマ帝国の支配下にあり、そこはユダヤ王家とユダヤ教の僧侶たち、ローマ帝国の支配者
たちの権力闘争の場であり、民衆はさまざまな矛盾の中に生きていた。
そうした状況を、イエスは理解していた。そして当時の社会の矛盾の中で、少しでも真っ当に生きる生き方を
考えていたのだと思う。政治的、経済的、宗教的な対立と矛盾の中で、その矛盾が、人間社会の、人間が生きる
ことそのものの矛盾であり、人間社会のあり方に含まれる根源的な矛盾であると深く覚悟した。イエスがイエスに
なったのは、イエスがこの矛盾を矛盾として生き、その矛盾を明示することを自分の使命として自覚し受け入れた時
だと私は思う。それが「荒野の試み」だったのではないか。そして、その後、彼は自分の使命を真っすぐに生きた。
矛盾を激化させ、その矛盾が誰の目にも明らかになるように示し、死んだ。
その後、人々がその矛盾から目をそらすことができないようにし、その矛盾と闘うことを使命とするようにしたのだ。
イエスは、最後はヨハネと同じく殺害される結果になった。しかし2人の死の意味合いは全く違うと思う。
イエスは当時の社会矛盾にどう対峙するかを課題としていた。ヨハネにはそうした自覚も問題意識もなかった。
イエスは、ヨハネの考えでは世俗と聖なる世界が分裂し、その克服ができないことを自覚していただろう。
その克服への道を示すのが自分の使命だと覚悟していた。イエスは、ヨハネと自分の違いを自覚し、
自らの使命を受け入れ、それを生き、そして死んだ。
もし誰かがイエスに言葉の矛盾を指摘したならば、彼は笑って答えただろう。「言葉は矛盾をもたらすのだが、
そもそもの人間と現実社会が矛盾しているのだから、その矛盾は矛盾によってしか解決できない」と。
イエスもブッダも、同じようなことを私たちに求めている。しかしそれは厳しい生き方である。イエスですら、
死を前にして動揺し、繰り返し、神との対話を重ねている。そうしなければ自分を支えられなかったのだろう。
そうした厳しさに弟子たちが耐えられない場合、その使命から逸脱し、転落してしまうのではないか。
それが「宗教」なのではないか。

2.比較宗教学、比較思想

(1)比較思想の難しさ

卒論指導は、最初は比較思想の立場からカントと唯識を比較してお茶を濁す予定だった。
『仏教の比較思想論的研究』(東大出版 1980年)の中の東大の玉城康四郎の「カントの認識論と唯識思想」を
下敷きに、実際にカントと唯識を比較して、意見をまとめるという計画だった。
『仏教の比較思想論的研究』は、中村元、西谷啓治、堀一郎、玉城康四郎らを中心に設立された比較思想学会の成果を
基にまとめられている。梶山雄一、末木剛博、鎌田茂雄、上田閑照らの論考も掲載されている。
 この学会は、大学紛争後に設立され、仏教学という学問への反省の上に生まれたらしい。冒頭の玉城による序文を読むと、
その問題意識は伝わってくる。「仏教は長いあいだ独自の領域に閉じこもっていたために、その門戸を排方する
ことが至難である」。
また比較思想という方法の難しさも自覚している。本の原稿執筆は学会の「最長老の諸先輩」にお願いしたが、
その理由は「自らの学問領域に長年専念してきた果てに、おのずから関連の領域との比較が浮上してくる」という
「重厚な一面」があることを若い研究者に理解して欲しいからだと述べている。
比較宗教、比較思想という方法は、対象を他の思想や宗教によって相対化するというものだ。
しかしそこには根本的な矛盾がある。対象が巨大であり、それが体系的なものとなっている場合、
それぞれには明確な立場がある。それらを比較する際には、比較する側に観点が必要だが、それはどのように可能なのか。
2つの思想や宗教を比較する第3の立場は本当に可能なのだろうか。
しかし、そうした立場に立てない限り、観察者の比較はただ表面的で外的なレベルに止まる。
それならばおよそ意味がないだろう。そこにはただ偶然性、多様性があるだけだ。

そうした矛盾についてわかっているはずの玉城だが、その論考「カントの認識論と唯識思想」はあまりにも表面的で
機械的な比較に終始しており、つまらなかった。
西欧思想は西欧社会とその歴史の中で発展してきた。仏教もそうである。カントは18世紀であり、
唯識は4、5世紀である。その時代も社会もまるで違う2つの思想が、どのように比較できるのか。
その問題に、真剣に向き合っているように思えない。その問題で彼の従来の研究が壊されるほどのものがない。
それはおかしいのではないか。
彼は唯識とカントを比較するのだが、小乗から大乗、大乗内でも中観から唯識への発展を考えるなら、
西欧近代哲学史との比較をあえてすれば、中観に対応するのがカントであり、唯識と対応するのはヘーゲルであろう。
事実こうした比較は上山春平が『認識と超越<唯識>』で、『ゆかいな仏教』で大澤真幸が行っている。
2つの思想体系を比較する時、第3の立ち位置があるのだろうか。最初からそうしたものがあるわけがない。
私たちに可能なのは、いずれかの立場に明確に立って、その中に相手を位置づけようと努力することだけではないか。
唯識を西欧思想と比較して意味あることを言うためには、ヘーゲルの立場、カントの立場に明確に立ち、
相手を自分の体系の中に位置づける。または明確に仏教、唯識の立場に立ち、その体系の中に相手を位置づける
ことしかできないのではないか。
そして、そこで位置づけられないものにぶつかり、自分の思想と立場が壊されること、そして、より深まり拡大する
ことを迫られること。そこからだけ第3の、新たな観点が生まれる可能性があるだろう。
 玉城は実に中途半端であると思った。カントと唯識とを比較することで彼の何が壊されたのかがわからない。
その破綻と絶望の姿が見えない。

(2)『ゆかいな仏教』は自由にしてくれる

私が仏教とユダヤ教・キリスト教を比較して考える際に役立ったのは、橋爪大三郎と大澤真幸による掛け合い
漫才の『ゆかいな仏教』 (サンガ新書) だった。
この本を読んだのは、ユダヤ教、キリスト教を考える際にも、2人の『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)を
読んで参考にした経験から、何かが得られると期待したからだ。それは正しかった。
日本人である私には、仏教についてはそれが過去の歴史や社会で果たしてきた役割が大きく、すべての現象に関わっており、
そうした前提が大きすぎ、巨大な重しでがんじがらめに縛られて、何も新たに考えられなくなっている。
ところが、この本はその前提を大きく突き崩し、思いっきり外し、自由にしてくれた。
玉城との違いはどこから来るのだろうか。
目的がまったく違うだろう。『ゆかいな仏教』は現在の日本の大衆への問題提起のために発言している。
そのためには、玉城らよりは深く今の日本の現実を踏まえなければならない。そのために、2人にはやはり明確な
立場がある。橋爪にとってそれは社会学でありウエーバーであり、自らのキリスト教徒としての立場
(はっきりとは言わないが、橋爪は信者であるらしい。それを明示しないでいることは問題だと思う)だろう。
大澤にとってのそれは同じく社会学であろう。また、2人にはマルクス主義や唯物史観も前提である。
そうした前提の上で、2人に可能な限りで、前提破壊の作業をやってくれている。
この本はありがたかった。彼らが自由にしてくれた地平で、私の考えを思いっきり広げてみることができたからだ。
もちろん2人にはそれほどに切実な問いや答えはないし、彼らの代案はたいしたことがない。
しかし、それにこだわることはない。他と比べれば、その有効度は一桁違う。

(3)宗教と哲学や科学とは何が違うのか

今回読んだ多数の概説書の中で、宗教とは何か、哲学や科学とは何が違うのか、こうした根源的な問いを
出すものはなかった。これは不思議だ。
これには牧野紀之の答えがある(「宗教と信仰」)。違いは内容にはなく、形式のみ(疑いを求めるか、
信ずることを求めるか)とするのが牧野だ。もちろん、疑い続け、その中で確認され続けたことだけを信ずるのだから、
内容と形式は悟性的に区別できるものではない。牧野は過程的に区別できるとするだけだ。
最終的にはどちらも信念に到達するからだ。
途中の過程では疑い続け、にもかかわらず正しさがその都度確認され、ますますその教えの深さが理解できていける。
今後も、そうした過程が続くだろうと思う。その時に、それを信念とする。それはどちらも変わらないだろう。
そうなのだ。科学と宗教の区別はその内容とは無関係なのだ。
それでも、区別があるならば、それは形式面にしかない。私は、それは矛盾への態度であると考える。
私たちが矛盾の立場に自覚的に立ち、それを深めていくことを目指して努力し、実際に矛盾を深めていく限り、
それは科学的態度と言えるのではないか。そうでない限り、それは一面的になり、悟性的で、偶然性の立場に陥る。
こうした観点では、ブッダもイエスも科学的であり、宗教的ではない。
それを宗教にしたのは、その厳しさにたえられない弟子たちではなかったか。
                       2017年7月24日

8月 30

2016年の秋には、初めて仏教を学習した。『摂大乗論』に関する卒論の指導をする必要があり、
仏教に向き合わざるを得なくなった。
これまでは、仏教についてはなかなか本気になれないし、その経典や概説なども読む気にならなかった。
ヘーゲルが仏教を抽象的普遍としてバカにしているし、私自身も従来の日本の葬式仏教への軽蔑の念があったからだ。
もちろん、仏教(大乗)が中国、朝鮮、日本へと伝播していき、日本において空海、最澄、栄西、道元、日蓮、親鸞
を生んだことを重く重く考えなければならない。それは当時の日本で思想という名に値するごくわずかの成果だった
のだから。鎌倉時代の仏教の沸き立つような時代を思うと、仏教の根源を理解したいという思いはあった。

さて卒論指導だが、本人が仏教の宗派の中では唯識に関心をもっており、卒論の計画では最初は比較思想の観点から
カントと唯識を比較するなどしてお茶を濁す予定だった。『仏教の比較思想論的研究』の中の東大の玉城康四郎の
「カントの認識論と唯識思想」を下敷きに、実際にカントと唯識を比較して、意見をまとめる。
しかし、玉城の論考はあまりおもしろくなく、本人のやる気に火をつけることができなかった。
そこで、最終的には本人が強い関心を持っていた唯識の経典『摂大乗論』をしっかりと読むことにした。

『摂大乗論』は4世紀にインドのアサンガ(無着)によって書かれた大乗仏教の概論、総論の書である。
当時の新思想である唯識の立場から仏教を総括し、唯識の初期の段階でその立場を打ち立てたものである。
仏教の経典中の最高峰との評価もあり、これを読むにあたっては最低限の準備が必要だった。
中央公論社の『世界の名著』シリーズから「原始仏教」「大乗仏教」の巻の解説と収録された経典を読み、
『仏教の思想』シリーズから、2巻『存在の分析<アビダルマ>』 、3巻『空の論理<中観>』 、4巻『認識と超越<唯識>』と、
中村元の『ナーガールジュナ』(人類の知的遺産 講談社)などの概説書、橋爪大三郎と大澤真幸による『ゆかいな仏教』
(サンガ新書)などを読んだ。
 その上で『摂大乗論』を読んでみた。そこで考えたことをまとめておく。

■ 目次 

「悟り」の根本矛盾 (仏教を考える)

1.唯識と『摂大乗論』
(1)仏教の展開史における唯識
(2)アサンガの『摂大乗論』
(3)三性説
(4)アーラヤ識
(5)後得智と不住涅槃
(6)ブッダと中観と唯識
※ここまでを本日掲載。

2.仏教とユダヤ教・キリスト教
(1)言葉への不信
(2)人格神の意味 内的二分と外的二分の関係
(3)「悟り」の矛盾 3段階の発展 
3.比較宗教学、比較思想
(1)比較思想の難しさ
(2)『ゆかいな仏教』は自由にしてくれる
(3)宗教と哲学や科学とは何が違うのか
※ここまでは明日に掲載。

==============================

「悟り」の根本矛盾 ?仏教を考える?

1.唯識と『摂大乗論』

(1)仏教の展開史における唯識

 仏教は全体としては次のような展開をした。

ブッダ→ 小乗仏教→ (アビダルマ)
       大乗仏教 (中観派 唯識派)→ インドでは完成
                           中国、日本に伝来

ブッダ(紀元前5世紀)の教えは弟子たちにより編集され経典としてまとめられ、その布教活動は継承された。
その人生観、世界観、悟りの方法は、法(ダルマ)として整理されたが、その詳細な分析と体系化が僧侶たちの
中のエリート集団によって数世紀にわたり進んだ。その体系をアビダルマと称するが、それは実在論的であり、
スコラ哲学的な抽象的形式主義が支配的である。
それを小乗と批判し、自らを大乗と称した一派が現れる。そこから2,3世紀に「空」の思想の中観派(ナーガールジュナ)、
さらに、4,5世紀に唯識派が生まれた。「空」の思想はアビダルマの実在論を徹底的に批判し、それを継承した
唯識は仏教のインドでの展開の完成と言える。
その後7,8世紀から9世紀にかけて派生的な密教が栄えたが、それを最後に、12世紀には仏教はインドでは消滅した。
しかし、仏教は中国、朝鮮から日本に伝来し、新たな展開をもたらすことになった。7世紀の中国唐において、
日本では12,13世紀の鎌倉仏教などで大きな発展を見せた。

(2)アサンガの『摂大乗論』

4世紀のアサンガ(無著)の『摂大乗論』は、唯識の初期段階において、その基礎を打ち立てたものだ。
後にアサンガの弟ヴァスバンドゥ(世親)は、『摂大乗論』を基にして細部まで体系化して、ここに唯識は確立した。
『摂大乗論』は、唯識の立場を初めて打ち立てた重要な経典である。今回私が読んだのは長尾 雅人(訳)
『摂大乗論─和訳と注解』 (上下) (インド古典叢書 講談社 1982/06)である。
『摂大乗論』の理論編から読んだのだが、最初の方は非常に難解に感じた。しかし、ところどころ、
わかるように思う箇所があり、そこでは感心した。そこにヘーゲルの発展観と近いものを感じたからだ。
ヘーゲルの発展、矛盾とそれゆえの運動、悪の運動といった考え方と、よく似た考え方だ。4、5世紀の段階で、
発展の考え方と人類の普遍的運動、つまり真理を実現する運動をとらえ、それに自分が参加して生きる生き方を
説いていることに感心した。
しかし、他方で、聖書(旧約と新約)の強烈な面白さと比較すると、これはずいぶん退屈な本だとも感じた。
その理由は、ここには現実のリアルな問題が出てこないことによる。教団、組織、金(財源)などの話題がない。
自分たち内部にもたくさんの汚染や矛盾があっただろうに、その具体的な描写は全くない。中世のスコラ哲学の
神学論争のような雰囲気(坊主主義)がある。カースト最高位のバラモン階級の出身のアサンガによる坊主イデオロギー
ではないか。
 ただし、面白くないと感じながらも、この唯識と『摂大乗論』が後に果たした大きな役割のことも考えた。
仏教(大乗)は元々のインドでは12世紀に滅んだが、中国、朝鮮、日本へと伝播していく。当時の日本では、
およそ思想と言えば、仏教の関係者以外からは生まれていないのではないか。であれば、ここには坊主主義以上
のものがなければならない。

(3)三性説

『摂大乗論』は全体が理論編と実践編に分かれる。
 その第1章と第2章が理論編で、3章以下最後の10章までが実践編である。
理論編の第1章は人間の意識の構造、第2章が三性説の説明で、世界・社会の構造を説明している。
 第2章では、この現実世界を3種の実存(三性)として示す。それは現実世界という実在する世界であるが、
その認識世界でもある。ここには存在論と認識論との明確な区別はない。両者は混然一体となっている。

      妄想
依他起
      成就

依他起とはいわゆる「縁起」のことであり、世界の相互関係であり、これが世界の根源的な相、基底的な実存である。
この実相が人間によって「分別構想」され、人間がそれに執着すると妄想・迷いの世界が現れる。(3節)。
その妄想が払しょくされると成就の悟りの世界が現れる(4節)。

妄想の世界は否定されるが、3つの世界は別のものではなく、実は1つであり、妄想の世界が実はそのままに
清らかな世界であるとする。そこで、迷いの世界から悟りの世界へとの転換を促すのが、依他起つまり縁起の理解になる。
したがって、修業とは、この縁起の世界を理解し、迷いの世界の中に清らかな世界が実現しているを見抜いていくことになる。
この考えには引き付けられた。現象、偶然性、多様性の中に、必然性を見抜いていこうとする、
リアルな現実感覚があると思った。仏教は「否定」だけの「抽象的普遍」という立場だ、という私が勝手に
思い描いていたイメージは壊された。
なお、世界は本来はそのままに清浄の世界なのだが、人間が「分別構想」し、それに執着すると妄想・迷いの
世界が現れるとされる(3節)。しかしそもそも世界を認識するとは、それを「分別構想」すること、つまり
「ことば」によって世界を分裂・対立・差別としてとらえることである。『摂大乗論』はこの必然性を認めたうえで、
それを超える方法を考えているのであろう。
この「分別構想」とは、人間の思考の悟性的側面がとらえられているのではないか。それは人間の意識の内的二分であり、
それは人間と世界の分裂であり、世界の分裂でもある。
 また、迷いの世界、悟りの世界、依他起の三性の示し方が気になった。普通は迷いの世界→依他起→悟りの世界とされる。
それに対して、アサンガは依他起を最初から中心に据え、その2つの現れ方として迷いの世界と悟りの世界を示した。
これ自体は悟性的だが、ここにある示し方に媒介性の意識、3段階からなる発展というとらえ方の芽があると思った。

(4)アーラヤ識

この第2章の三性説を根拠づけ、その前提をなしているのが第1章のアーラヤ識説であると思った。迷いの世界、
悟りの世界、依他起(縁起の世界)との三性は、すべて人間の意識によって生まれているから、転換が可能か否かは、
その意識のあり方にかかっているはずだ。
第1章では、人間の意識には、五感と関係する普通の意識と、その根底にあるアーラヤ識(このナカミをとらえることは
できないとされる)があるとする。両者は因果関係、相互関係で結ばれている。つまり縁起である。
前者が感覚と思考による知であり、世界は現象としてとらえられる。そうした意識でとらえたものが、
アーラヤ識に蓄積され(巨大な貯蔵庫)、それが人間の意識の根底を作り、それが世界の現れとつながっている。
こうした「アーラヤ識」という考え方は、唯識が初めて出したものらしい。
これを人間の無意識とか集合的無意識と考える現代の研究者もいるようだが、私は普通の意識を相対化し、
妄想の世界から清浄な世界への転換を可能にするためのフィクションであり原理的な装置だと思う。
アーラヤ識という巨大な根源的世界を設定し、その現象的な表出として普通の意識を設定する。
するとそこに、可能性から現実性へと展開していく巨大な運動が現れてくる。
その運動によって、妄想の世界から清浄な世界へとの巨大な運動を保証しようとしたのではないか。
それは真理が人類史全体の中で実現していく過程であり、世界全体が真理へと実現していく過程の運動であろう。

以上のアーラヤ識説から、「唯識」という名称が生まれたようだ。
人間の識(意識)は働きであり、その成果が表象である。したがって世界は表象として現れる。
その意味で、世界は唯識でしかない。
しかし、その識(意識)の根底にはアーラヤ識があり、それは世界存在の根源であり、それが妄想の世界も清浄の
世界もつくっている。その世界存在の根源がアーラヤ識にあるという意味でも、この世界は唯識なのである。
これはアーラヤ識の発展を前提として、世界の変革の可能性を認めることである。
「唯識」の意味とは本来は後者の意味なのだが、前者の意味もその前提、契機となっているのであろう。

(5)後得智と不住涅槃

さて、こうした理論編を踏まえて、その実践編が描かれるのだが、それは三性説の応用であり、その具体化である。
そしてそれは3段階からなる発展として現れて来る。
面白いのは、悟りへの修業過程の3段階である。8章では次のように説明される。
加行智(世間智)→根本無分別智(いわゆる悟り)→後得智(世間智だが清浄)
                        世間に向かって働きかける
同じことが9章では、涅槃→不住涅槃として説明される。悟った涅槃の状態にも執着せずに利他行のためにあえて
世俗の世界で働くことが求められる。

仏教の本来の修業の目的とは、妄想の世界から清浄な世界への転換を果たすために、「悟る」ことである。
悟ることによって、迷いのない清浄な世界に生きることができる。それが「根本無分別智」である。
ところが、ここではそこに止まっていてはならないとする。
妄想の世界から清浄な世界への一大転換を果たした人、つまり悟った人も、そこに止まっていてはならない。
清浄な世界そのままに、清浄な世界から妄想の世界へとの転換を果たさなければならない。悟り、つまり迷いの
ない清浄な世界に生きるだけなら、そこには分裂はないが、不動で世間に働きかける力を失う。
悟りからは世間に向けて動き、働きかけ、世間自体に本来の清浄な世界を表さなければならない。
これは「悟り」には根本的な矛盾があることを示したものであろう。しかもこの転換は、最後の悟りの段階にだけ
起こる大転換ではないとされる。修業の日々の生活で、それが無限に繰り返される過程だとする。

私はここでうなった。これはすごい。無限の発展の運動をわかっている。それは各自の日々の小さな成長から、
人類と世界大に拡大され、その発展にまで到る。
人は清浄の世界からそのままに、妄想の世界で生きなければならないのだ。それが真理への到達の道であり、
真理を生きることなのである。それは認識だけで終わるのではなく、その実現に参加し、実際に自分自身がその契機
とならなければならない。世界の変革は、自己の変革と一体のものである。
ここを読んで、初めて仏教がわかったように思った。
また、ブッダが、悟ったのちに、しばし迷いの中になったことの意味が分かったように思った。
「悟り」を目標にすることの究極の矛盾がそこにあったのだろう。

ブッダは、個人が自らの悟りの段階に留まることを許さず、あえて世間に戻ること、世間にとどまって、
そこで仕事をすることを求めている。個人の悟りではなく、人類全体の悟りのための仕事をすることだ。
『摂大乗論』によって、ブッダの真意が初めて明らかにされたと、アサンガは思っていただろう。
これが大乗仏教の核心だろうか。

(6)ブッダと中観と唯識
 
唯識は中観派を発展させた立場だと言われる。それはどういう意味なのだろうか。
中観は2,3世紀に、インドのナーガールジュナが打ち出した思想である。
「空」の思想は「色(世界)即是空。空即是色」で有名であるが、それには、唯識の三性説とよく似た構造がある。

     存在(有る)
「空」
     無(ない)

これは、単に世界の存在を否定したのではない。世界がその現象のままに存在するということを徹底的に否定した。
しかし、それは世界存在そのものの否定ではない。世界は無ではなく存在する。しかし、現象のままではない。
この矛盾を直視することを求め、存在と無のいずれかを切り捨てて安住することを諫めているのではないか。
それが「空」の立場であり、それが「中道」ということなのでないか。中村元の概説書を読んで、そのように理解した。
「色(世界)即是空」。世界はただちに空である。しかし、これは前段に過ぎない。後段は「空即是色」。
空がそのままにこの世界である。この両面を統一的にとらえなければならない。
そうであるならば、これは唯識の三性説と似ていることがわかる。

ブッダの考えを、中観、唯識が発展させたとするならば、それは何をどのように発展さっせたのだろうか。
ブッダは、世界の根本的な矛盾を見ていた。その矛盾に耐えられない場合は、いずれか一方を取って他は切り捨てる
ことになる。また「悟り」の地点に止まり、世俗を否定して終わるだろう。しかしブッダは、矛盾に耐えよ、
そこで耐えて仕事をせよ、それが生きることだ、と伝えた。それが中道であろう。
 小乗では、その理解が浅かった。
 それに対して、大乗仏教が生まれた。そしてその矛盾の意味を深めたのだろう。
中観の空は、ただの否定ではない。世界を存在するとも、無であるともしない。その矛盾の中で、矛盾のままに
生きることを求めているのが、空の立場である。これはブッダの中道をより具体化したものだろう。
唯識の三性説も同じである。しかしそれにアーラヤ識の考えを導入することで、これをさらに空間的に全体性としてとらえ、
時間的に発展していく運動としてとらえようとしたのだと思う。
矛盾を深め、それが必然的に3段階の発展の形式になっていく。

8月 29

日本画(南画)に洋画を止揚した男 萬鐵五郎 

近代の日本の洋画家で、私が特別に愛しているのが萬鐵五郎だ。

彼の回顧展が神奈川県立近代美術館 葉山で「没後90年 萬鐵五郎展」として開催されている。
会期は9月3日(日曜) まで。その後、新潟県立近代美術館に巡回。

8月27日に、海水浴客でにぎわう葉山まで行ってきた。
ただ、萬鐵五郎に向き合い、彼と対話をしてくるためである。

今回の展覧会は、過去最大の規模であった。
それは量の話だけではない。
1つ1つの作品の制作過程を、彼が撮った写真、デッサン、下書きや下絵からたどったり、
1つのテーマ(構図)が繰り返し、繰り返し、時を置き、現れてくる様子が示されていて、
あれこれと考えさせられた。

特に、今回の展示のポイントは、彼の日本画(南画)に焦点を当て、
子どものころから最後の作品に至るまで、
その決定的な役割を解明しようとしているところだ。
私は彼の南画が特別に好きなので、それをこれだけの規模で見られることが嬉しかった。
確かに「過去最大」規模である。

すでに361号に「日本画・東洋画と洋画と」を掲載し、そこに私の想いは書いているのだが、
今回改めて、彼の洋画と日本画が統合されていく過程が確認できた。

今回その全体を見渡して思ったのは、
萬鐵五郎にとっての洋画と日本画(南画)の統合は、
洋画に南画を止揚したのではなく、
南画に洋画を止揚したということだ。それがそのまま彼の洋画の作品なのだ。

なんというすごい、すばらしい人だろうか。

                         2017年8月29日

8月 27

中井ゼミのゼミ生、高松慶君は大学生で、日本の雅楽に関心を持っている。
それもただの関心ではなく、実際に笛を習っている。
卒論をどうするかをそろそろ考えないといけないのだが、民俗学の視点から民謡を取り上げることを
私から提案している。民謡への関心が、雅楽への関心と共鳴し、それぞれを深めることになると良いと思う。
今回は、高松君が実際に民謡を取り上げて考えてみた文章を掲載する。
これは今年6月の文章ゼミに提出されたものだが、そこでの意見交換を踏まえて書き足したり、書き直された部分がある。

=====================================

◇◆ 民謡について 高松慶 ◆◇

民俗学者の香月さんが5月に鶏鳴学園で講演会を行った。そこで聞いた話に、気仙沼で自分たちで祭りを企画し、
地元で生きる人の人生譚等を交えながら民謡を歌い最後はスタンディング・オーベーションというのがあった。
私は韓国育ち千葉県の市川市育ちで、方言を知らない。韓国語は懐かしいと思うも、読み書きができるわけでもない。
だから民謡というと何となく遠い存在のように思ってしまう。
しかし、民謡を歌う、聴く事で自分の生活、特に労働を振り返ることができるというのは普遍的だと思う。
普遍的であり、切実だ。生活に根差しているからだろう。民謡には具体的に何がどう込められているのだろうか。
図書館に行くと民謡のコーナーがあり、「全国民謡全曲集」「正調○○節」というCDが、西欧音楽の10分の1にも
満たないほどに置かれていた。正調というのは、何をもって正しいと決めたのか。
民謡は生活の中で広がっていったもので、そのどれにも真実があると思う。どの地域の民謡が偽物とか、本物とか、
そういう議論はくだらない。まず聴いて、声の調子とか歌詞とかを少しでもつかめればよいのだろう。
というわけで、「全国民謡全曲集」というCDを借りて聴いた。東北だけ各県ごとにあり、あとは地方ごとであった。
バッハも同時に借りていたこともあり、今回は「秋田編」「九州・沖縄編」だけ借りた。
なんとなく東北と九州には興味がある。両方とも祖父母の出身地だ。山形は無かったので秋田を借りた。

ひえつき節(宮崎)
 宮崎県東臼杵(ひがしうすき)郡椎葉村の歌。稗を杵でついて脱穀する時の仕事歌。
椎葉村は平家の落ち武者が隠れ住んだと言われるらしく、この歌の3番は那須大八郎と鶴富姫との恋を短く歌っているらしい。
那須大八郎は鎌倉からの平家残党征伐の命を受けて椎葉を訪れたが、平家残党に戦意は見えない。
結局征伐は取りやめ、鶴富姫との間に子どもを成した後に帰還命令で鎌倉に還ったのだという。
ダム工事で村に入った工事関係者が全国に広め、1953年にレコードに吹き込まれるに至ったという。
私が借りたCDでは琴と尺八の伴奏がついているが、本来そうかは分からない。
借りたCDに入っている32曲の中で琴が使われる曲はこの曲だけで、あとは三味線がほとんど、沖縄のみ三絃。

 庭の山椒の木鳴る鈴かけてヨーホホイ
 鈴の鳴るときゃ出ておじゃれヨー

 鈴の鳴るときゃなんと言うて出ましょヨーホホイ
駒に水くりょと言うて出ましょうヨー

那須の大八鶴宮おいてヨーホホイ
椎葉立つときゃ目に涙ヨー

 最初は聞き取れなかったが、随分と悲しい歌だと思いながら聴いていた。
これが仕事で歌われているのかと疑問に思いネットで調べると、本当にそうらしい。
ダム工事の関係者が覚えているというのも、自分の事として感じられたからではないか。
 ただ、歌にしても伴奏の琴にしても、音としては「私はいままさに悲しんでいるのだぞ」というような自己主張がない。
よく通る音で、草津温泉の湯をかき混ぜている力強い情景を思い出す。
尺八は哀愁が強く感じられるが、竹製らしくやはり通りも良い。
 これが労働の中、そして後で歌われることに具体的にどのような意味があるのかはさておき、
私はなんとなく昭和の歌謡曲は民謡とよく似ていると思う。私が中学生のころから好きな歌がチューリップの
『心の旅』だった。上京に伴う失恋を嘆く歌だ。私は恋人と恋愛関係を終わらせたとき、私の心の中にはこの曲と
松田聖子の『風立ちぬ』がイメージとして強く存在した。自分から切り出した別れであるにも拘わらず、
別れたショックは激しかった。そして今でもこれらの歌を歌っていて、孤独の寂しさをこぼしつつ生活している。
 昭和と言うと何と言っても戦後の荒廃からの高度経済成長、バブル景気と、経済的な成長が挙げられるが、
その時から社会の最前線で働く人たち、そして学生たちに不安や空虚さがあったのだと思う。
経済成長、物質的な成長はそれを一時的に覆い隠せもするが、
歌を聴いている時だけはそれを隠すことはできなかったのではないか。歌を聴く事が外化であり、同時に内化だったのだと思う。
 それと同じことが、平成の私に、ひえつき節を聴いたときに起こっている。
特に三番の「椎葉立つときゃ目に涙」という歌詞は直接的で刺さる。
 故郷からの上京は自分の選択なのに、何故刺さるのか。
ゼミ生のAさんがそれまで関係していた人たちとの関わりが終わるに際し書いた「楽しかった時期は終わった」
という言葉が一番象徴的だが、相手と別れることは古い自分と別れることだからだ。
別れる時は、相手だけを思い浮かべるだけではなく、相手と自分との関係、直接的には思い出を思い浮かべる。
だからこそ、相手と別れる、相手を否定することは、古い自分を否定することだ。
自分の隣に何もないし、誰もいないという感覚がある。他者がいない以上自分もいない。最後は自分を殺すことになる。
 労働している最中に自分を殺すわけにはいかない。そこに再生があるはずだ。しかし、ひえつき節はどうしようもなく
絶望的で哀愁に満ちている。安易な希望に満ちた再生ではない気がする。むしろ集団が持っている絶望を一斉に外化し、
共有することで、労働の辛苦を乗り越えようとしているのではないか。テーマを持っていると思うが、実はかなり殺伐
とした闘争に向かって行っているように思える。そこにこそ可能性があるのか。それを民衆は知っていたのだろうか。

阿里屋(あさとや)ゆんた(沖縄)
沖縄はやはり本州とは随分違うなと思う。沖縄のニュースなどでシーサーや住宅を観る度に思ってきた。
シーサーは目がぎょろっとし、瞳まではっきりと形作られちょっと怖いが、狛犬は近所の神社の像を見る限り
そこまで目はリアルではない。
民謡ではどう違うか。音楽そのもので言えば、全体的に音域が高い。歌が中心で、三絃、三板、太鼓という楽器を
下敷きにしているが、そのどれも高い。高いだけでなく、なんとなく乾いた音がする。基本的に明るい。
乾いた音とはどういう音か。三線と三味線で比べれば、両方とも同じ形状をした三本の絃を持つ楽器だが、
三絃はその胴が蛇の皮で出来ているのに対し、三味線は専ら輸入された犬猫の皮を使う。やはり原材料になる
犬猫と蛇の生態の違い、冬眠の有無、つまり恒温動物か変温動物かなのだと思う。自然性ということになる。
三線販売店の売り文句に「北海道などの寒帯でも使えます!」というのがあった。もともと蛇は冬眠する生き物だから、
その皮が寒い環境下では使えるはずもないと思う。
ただ、その自然性は人間の社会性の土台にもなっていて、その地域の労働の在り方と密接に関わっている。
本州の人々が三線ではなく三味線を選んだ理由は、自然性に基づく材料の実用性と社会性とによるのだろう。
どう影響しているか、その結果として具体的にどのような社会性が三線の音に、沖縄民謡に現れているかは分からない。
「南国風だね」などと済ませるものでもなく、では南国風とはどういうことかを考えなくては始まらないと思う。
今は「こういう捉え方があるのか」くらいにしておく。
 明るく乾いた音なのだが、そこで歌われる言葉はどこか温かいと感じる。
歌詞は1番から4番まであり、それが3分30秒という短い時間の中で歌われる。何となく語りに近いかもしれない。
以下はその歌詞。括弧の箇所は毎回歌われる。

1.サー君は野中のいばらの花か
(サーユイユイ)
暮れて帰ればやれほに引き止める
(マタハーリヌチンダラカヌシャマヨ)

2.サー嬉し恥ずかし浮名をたてて
主は白百合やれほにままならぬ

3.サー田草取るなら十六夜月よ
2人で気兼ねもやれほに水入らず

4.サー染めて上げましょ紺地の小袖
掛けておくれよ情の襷

1と2が恋愛の頃の歌、3,4が結婚後の頃の歌という感じがする。
前半では茨とか浮名とか激しい言葉が使われているのが、3,4で日常を歌っている。
 3,4を聴いていると、結婚生活もテーマが無ければ成立しないのだなと思う。両方とも共同作業の歌だ。
4はおそらく前者が女性の、後者が男性の立場だと思われるが、それが明るく軽い音の中で取り交わされている。
私は「結婚生活」なんて言葉を聞くと甘々の新婚生活しか思い浮かべない。
父が母の尻に、母方の祖父が祖母の尻に敷かれていて、その関係がそのままずっと続くことに「情けないなあ」と思ってしまい、
夢見がちになる。それで「あー結婚したい」などと考えてしまい、シンデレラに憧れる5歳の女児並みのレベルの低い妄想が始まる。
そこには3、4のような労働の辛苦が無い。
 勿論、この歌全体が明るい調子なので、あまり3,4には辛さを感じない。
しかし、それは歌う人たちが労働の苦しさを、歌う事を通して喜びに変えるためなのだと思う。
民謡は原罪を止揚するものではないか。歌うことで自分の労働を自己相対化し、自分の主体性を客観的な立場から捉え直し、
主体性を再生するのだと思う。
 中井さんから、文章ゼミの際に「ここは安易だ」との指摘を受けた。労働=辛苦という決めつけがあり、
喜びと結びつかない労働なんて本当に労働といえるのだろうかと言われた。私は父が夜遅くに帰ってきて、
「疲れた疲れた」とひとりごちるのをよく聞く。「職場でこんなことがあってさ」とオープンに、
楽しそうに話す父の姿は見たことがない。その父の姿が私にとっての今の労働なのだと思う。
 しかし改めて考えてみれば、苦しさを外化させるだけにとどまる歌が残り続けるとは思えない。
苦しいこともあったが、それを一緒に乗り越えてきた周囲の人々、自分との関係を思い出しながら歌っているのではないか。
田草を取るというのは稲か雑草かは微妙だが、どちらも腰を屈めて、草を引き抜いてという大変な仕事だ。
それを夫婦2人でやることに意味があるのではないか。宮本常一の『女の民俗誌』にも、農家だけでなく、
船上生活をする漁師の夫婦が出て居た。そうして生活を長い間ともにしてきた人が、
「気の合わない人同士で一緒にいたってつまらんでしょう」とはっきり言えるのは、
関係しあうことの中に喜びを見出せる証拠ではないか。
 この歌を毎度しめくくる「マタハリヌ…」は沖縄方言で、「また逢おう、美しい人よ」という意味らしい。
意味は知らなかったが、この箇所が大好きだった。これが結婚生活を歌う3,4番で歌われるというのも重要だと思う。
常にテーマへと回帰していっているのではないか。大げさかもしれないが。
ウィキペディアによれば、この歌は沖縄県八重山諸島の竹豊島に伝わる古謡を改作したもの。
『新安里屋ゆんた』とも。「ゆんた」というのは田植え歌、つまり労働歌の一種だ。
楽器は古謡では使わないらしいが、私が借りたCDでは三絃、三板、太鼓という楽器を用いている。
普久原恒男監修、星克作詞、宮良長包編曲のもと、伊波みどり、伊波智恵子が歌う。
伊波みどりらはネットで調べてもCDの情報が出てこないが、沖縄県の教育委員会で講師を勤めるなどしているらしい。
平成21年から23年までの報告書に記載がある。
普久原恒勇は「芭蕉布」「十九の春」「丘の一本松」などの人気曲の作曲家らしく、
ビクター曰く「普久原恒勇ほど大衆に愛され大事にされている作曲家は他にいないであろう」。
星は1905年生まれの教育者、政治家で、戦前は教育者だった。1922年に石垣島で白保尋常高等小学校の代用教員。
この時安里屋ゆんたを改作し「新安里屋ユンタ」を作詞。宮良も1883年生まれの作曲者、教育者。
1883年に八重山島高等小学校、1921年から沖縄県師範高等学校の教師を勤めながら、「新安里屋ユンタ」の編曲、
童謡の作曲をし、「沖縄音楽界の父」と呼ばれる。いずれも沖縄県出身。
沖縄県で教鞭をとった人がそのまま作曲家というのは面白い。『忘れられた日本人』や香月さんの話でも感じたが、
教員が自分の住む町、暮らす町の郷土史を理解することは、その町からみてかなり重要なことであるように思う。
子どもに自分たちの生い立ちを考えさせる土壌を与えるだけではない特別な何かがあると感じる。
古謡では使われなかった三絃が使われているのは、起源を改悪することではなく、
古謡という生成史を現在の自分の立場から捉え、そして展開していくことではないか。
「古謡はダメだから、新しく現代流に作り直してやろう」というようなつまらない自我を感じない。

8月 26

中井ゼミのゼミ生、塚田毬子さんの卒業論文(卒論)「三性説の研究」についての
中井による評価「問題意識を貫いた卒論」を掲載します。
この卒論のどこがどう模範的と考えるかを説明しています。

「問題意識を貫いた卒論」では【1】【2】【3】などの記号が使用されていますが、
それは論拠となる卒論の個所を示すために、卒論の該当箇所につけた記号を指します。
その個所を参照してください。

■ 目次 ■
問題意識を貫いた卒論 中井浩一

=====================================

◇◆ 問題意識を貫いた卒論 中井浩一 ◆◇

塚田さんの卒論は、大学生の卒論としては上の部である。
それには2つの理由がある。

1つは、塚田さんが自分自身の経験から生まれた問題意識をもって、卒論の最初から最後までを貫くことを
目標にし、一応それができたからである。
塚田さんは、自身の経験から生まれた問題意識を深めるため、自分の経験を媒介として、テキストを読む
という姿勢を、徹底的に貫いている。これは立派なことだと思う。
そのことは、序論の「1 論文の目的」で宣言し、「2 筆者自身の問題意識」で具体的に述べている。
本論でも、ポイントでは自分の経験で考えることを徹底した。【4】【5】(「二 アーラヤ識説」の
「2『摂大乗論』におけるアーラヤ識説の検討」から)、【8】(「三 三性説」の「2『摂大乗論』における
三性説の検討」から)でそれを確認しできる。
また、その立場から、アサンガがそうしていないことへの批判もきちんとしている(【2】「一『摂大乗論』の構成」
のラスト)。これは重要な批判だと思う。アサンガは自分自身と自分の教団内部の問題を具体的には一切語らない。

もう1つは、この重厚で難解なテキストに対して逃げることなく、自分の立場から一応とらえ返したことだ。
これはすごいことだ。
普通は、序論だけは自分の問題意識を貫いて面白く書くことはできても、本論では巨大な対象に押しつぶされて、
つまらなくなりやすい。それがそうならず、最後まで一応は自分の問題意識で考えている。
特に、「三 三性説」の「2『摂大乗論』における三性説の検討」で「ことば」の問題に言及している個所
(その始まりと終わりの段落の最後に【7】をつけた)には、本人の切実な経験と問題意識が込められていて力がある。
ただし、「四 無住涅槃」ではすでに力尽きた感がある。

以上に挙げた2点が、この卒論が模範だと思う理由である。
なお、塚田さんの大学における卒論審査の場でも、この卒論は教官に高く評価されたとのことだった。

 では、模範的な卒論が書けたのはなぜか。
 中井ゼミには明確な立場、つまり「発展の立場」(ヘーゲルの弁証法)がある。塚田さんはそれを学び、
それを拠り所とすることで、塚田さん自身の経験と『摂大乗論』をとらえ、位置づけることができたのだと思う。
例えば、間違いの自覚の問題(これはマルクスの「経済学批判の序言」を下敷きにしている。
序論の「2 筆者自身の問題意識」の始まりと終わりの段落の最後に【1】をつけた)や、
ところどころに出てくる「結果論的考察」を見てほしい。

 しかし、問題はある。塚田さんが、中井と中井ゼミのことを一切伏せて、卒論を書いたことだ。
「運動」と言う言葉が多数出てくるが、これは本来は「発展の運動」「発展」とすべきだ。
「3」の数字の説明があるが(「二 アーラヤ識説」の「2『摂大乗論』におけるアーラヤ識説の検討」
では【3】、「三 三性説」の「2 『摂大乗論』における三性説の検討」では【6】)、これは弁証法から説明すべきだ。
それを隠したから、結論が曖昧になった。

今回の卒論では、「発展の立場」に依拠しようとしたから、何とか自分の問題意識を貫けた。
このことの意味をしっかりと理解するならば、今後はヘーゲルを本気で学び、自分のan sichな立場を、
自覚していくことが課題になるはずだ。

今回、塚田さんを指導して2つの感想を持った。

1つは、塚田さんの潜在能力の大きさだ。卒論の締め切り1週間前にはほとんど何も文章になっていなかった。
そこから1週間で書き上げる突破力は大したものだ。弓は引き絞れるだけ引き絞られていた。
しかし、これは逆に言えば、いつもは余裕こいていて、追い詰められないと何もできないことでもある。
「ウサギと亀」のウサギさんなのだ。

もう1つは、塚田さんが1年ほどの間に中井ゼミで学んだことが、大きく生かされたことだ。
中井ゼミで1年間学んできた内容を、卒論を手がかりにして、考え抜いたのが成功した大きな理由だろう。
塚田さんの学習能力は非常に高いが、それは彼女の問題意識が強烈だからだと思う。
この卒論を書き終えた後は、するべきことはもはや決められている。