6月 02

新しい学習指導要領では「全教科での言語活動」「その中心の国語科」が謳われている。
その実際の実現のための提言を月刊『高校教育』に連載している。
生徒のレポートは紙面をご覧ください。

6月号の第3回 理科系のレポートと「主観的な感想」

1 自分のテーマを持つ
前回は、木下是雄氏の『理科系の作文技術』(中公新書)で説明されている理科系のレポートや論文の書き方を紹介した。そこでは「原則として『感想』を混入させてはいけない」。これは文科系のレポートでも同じだとされている。
しかし、「主観的な感想」を排除して、本当に良いのだろうか。そもそも「主観的な感想」とは、学習に対してどういう意味を持つのだろうか。この問題を高校生段階で、具体的に考えてみたい。

例に取り上げるのは千葉県立小金高校の総合学習「環境学」。「総合的学習の時間」が導入される五年前から実施された。生物の川北裕之氏と彼を支える教師集団が中心になり、三年生の自由選択科目「生物?」の約半分、一単位分を使い、年間を通した取り組みである。事前学習の後、班ごとに研究テーマを設定して、フィールドワークを含む調査研究をしたうえでレポートをまとめ、発表する。

目を引くのは、事前指導の期間が三ヶ月と長く、そこでも体験学習が中心になっていることだ。休日を利用して、三番瀬を観察し(ついでに潮干狩りも)、近くの里山では竹の間伐を体験する。それらの体験をもとにディベートもする。これは探求学習の「方法」を教えると同時に、予行演習にもなっていたのだろう。
これだけ豊かな事前学習を用意したのは、生徒一人一人が自分にとって意味あるテーマを設定するためだ。「探求学習では、一番難しいのは、生徒自身が興味のある課題(テーマ)をきちんとした形で課題化できるかである」。川北氏は、広すぎるテーマ、一般的なテーマではなく、自分にとって本当に知りたいと思うこと、身近なことで興味があるものを選ぶように指導している。

総合学習は、従来の一方的な知識詰め込み型に対する、問題解決型学習であるが、川北氏はその総合学習にも二種類あると言う。ひとつは教科的(模倣的)研究で、初めから正解が用意されている。これは研究の手法を学ぶには良いが、生徒にとってのテーマの切実さに問題がある。もうひとつは、生活的(変容的)研究で、個々の生徒にとって切実で身近なテーマを取り上げるが、すっきりとした解答が出せるとは限らない。

もちろん両者が必要なのだが、川北氏が追求するのは後者だ。総合学習の目的を、各自が自分の問題意識を深め、自分の進路を切り開くことに設定しているからだ。
この二種の総合学習を比較すると、前者が「答え」と「対象理解」を重視するのに対して、後者は「問い」の深まりと「自己理解」を重視すると言える。木下氏の方法論を考えれば、それがそのまま通用するのは前者の場合であることがわかるだろう。
では後者の場合に有効な方法とは何か。そのレポートはどのようなものになるのか。構成と文体での違いはあるのか。

2 くつがえされる予測
 川北氏の生徒たちのレポートも、構成としては木下方式と大きな違いはない。多くのものが、一テーマの設定理由、二研究の方法、三調査の報告、四まとめ(結論)となっている。最後に「感想」の項目を置いている班があることが違うぐらいだ。

「PETボトルは何処へ?リサイクルの現状と対策?」というユニークなレポートを見てみよう。
1の「テーマ設定理由」を読むと、高校生の身近に溢れている五〇〇mlのPETボトルに目をとめ、それがリサイクルされているのだろうか、という素朴な疑問から出発していることがわかる。
最初は文献で調べ、PETボトル推進協議会で説明を聞く。それが3で紹介される。この段階では、リサイクルはうまくいっていると納得した。リサイクルの意識を高めれば問題は解決できる。
しかし、次に訪れたリサイクル工場で彼らは大きなショックを受ける。工場は悪臭と騒音がひどく、そこで働いているのは知的障害者だった。彼らはリサイクルのクリーンなイメージはうそであること、何か根本が違っていることに気づき始める(4の「いざ、工場へ」)。
そして出会った新聞記事が、彼らの考えを大きく飛躍させることになる。その記事には容器包装リサイクル法の矛盾が告発されていた。PETボトルが予想を上回って回収されたために各地の自治体がその保管に苦労していること、つまり企業が作り出したPETボトルを、自治体が税金を使って分別回収し保管しているという事実(5から)。
こうして彼らは、初めの仮説に変えて、よりよい社会にするためには、義務教育に環境学を取り入れること、再生できないものは売ってはいけないこと、消費者はそれを拒否すべきであること、容器包装リサイクル法は見直すべきであること等を考えるに至る(6の「理想社会」)。

3 成功した学習とは何か
もし調査が最初のPETボトル推進協議会で終わっていれば、それは予定調和の世界のママだった。当初のクリーンなイメージのままのリサイクル観が維持できただろう。しかし、彼らは実際のリサイクル工場を見学し、その甘い幻想を打ち砕かれた。この時初めて、彼らの体を通った問題意識が生まれたのではないか。そしてそれゆえに、普段なら見過ごしたかも知れない新聞記事に飛びつくことができ、一応の結論を出す。しかし、それが当座の結論でしかないことも彼らはわかっている。

この調査全体を通して、彼らの心が激しく揺れ動き、それが彼らの認識を深めるための大きな力になっていることがわかる。こうした調査報告は、「主観的な感想」をきちんと反映したものでなければならないだろう。

図はそのレポート4の部分だが、イラストが彼らの思いを生き生きと伝える。また、傍線1や傍線2が、彼らの主観的思いを率直に語っている。

6の「理想社会」では、遠大な理想を言う事への突っ込みも入る。「ちょっとすぐに手を出せる領域ではないから、ずるいと言えばずるいけれど、考えるのは勝手でしょう」。7の小見出し「ひとまず、本当に今できることは」からは、これが当座のものでしかないとの自覚がうかがえる。

8の「まとめ」は以下だ。「私たちはリサイクル=いいことという関係しか見ておらず、PETボトルをリサイクルに出したという満足感だけでその後のことを考えていなかったようです。それではリサイクルしたとはいえないでしょう。つまり、これからの地球環境のためには何かしたいという意識だけではだめです。そのためのちゃんとした知識とその知識や意識を使う行動力、そして使う場、いわゆる法律が必要なのです。そうしなければいつまでたっても何も変わらないでしょう」。

ここには対象理解だけではなく、自己理解(自己反省)の深まりが確かにある。
最後の9の「感想」から、あるメンバーのコメントを紹介する。「ずっとめんどくさかったけど、やっているうちに手放せなくなってしまった。特に、自分の手の届かない領域の話をするのは、無責任な気がしてもどかしかった。でも私もそのうち社会に出るはずなので、そうしたときに、ここで感じた無責任をそのままにしないで行動しよう」。

しかし、これで終わりではない。川北氏は、このレポートとは別に、さらに「学びのストーリー」を書かせている。一年間にわたる学習の中で、どう行動し、何を学んだのかを書かせるもので、対象理解と自己理解を更に深めていく試みだ。

高校生にとって成功した問題解決学習とは、当初の自分の理解の浅さを思い知り、学んでいく強い意欲が持てた場合を言うのではないか。

4月 13

新しい学習指導要領では「全教科での言語活動」「その中心の国語科」が謳われている。
その実際の実現のための提言を月刊『高校教育』に連載している。

5月号の第二回 『理科系の作文技術』

1 隠れたベストセラー
理系のレポート、論文と言えば、物理学者だった木下是雄氏の『理科系の作文技術』(中公新書)が有名だ。大学研究者の隠れたベストセラーだと言われ、三〇年近く前の本だが、今もよく売れているようだ。二〇〇九年五月刊行の版で、すでに六六版を数えている。作文技術だけではなく、パラグラフ理論(段落の構成法)を日本に紹介したのも本書の大きな功績だ。
それだけではない。木下氏は学習院大学の学長の時に、学習院の小学校から大学までの先生方(国語科・文系だけではなく教科横断)と「言語技術の会」を組織し、小学校から大学までの一貫した言語教育の体系と教科書を作り、日本の教育に対して大きな問題提起をした。これは今回の学習指導要領の完全な先取りだったのではないか。
「読み・書き、話し・聞き、考える」。このすべてで、小学校からしっかりした論理教育を行うべきだ。しかし日本ではそうした教育が放置されている。国語科は文学偏重でその任を果たしていない。したがって、理科系の研究者である彼が、自ら言語教育に乗り出したのである。
私は、木下氏の問題意識に強く共感するし、偉大な先駆者としての彼の活動を高く評価している。また言語技術研究会の成果からは多くを学ぶべきだと考えている。それについては、この連載でも稿を改めて、検討したい。

2 「主観的な感想」を排除する
それにしても、こうした活動は、木下氏が理科系の方だったからこそできたのだと思う。文系、特に国語教育関係者には到底無理だったろう。
『理科系の作文技術』が、圧倒的に支持されたのはなぜだったろう。もちろん、シンプルで誰にでもわかる方法を提示したからだが、それだけではないだろう。理系に限定することで、「心を打つ」ことを目的とする文学的な「美文」の伝統を切り捨て、それまでの文学偏重の風潮に風穴をあけたのではないか。それが爽快感を与えたのではないか。
木下氏は言う。「理科系の仕事の文書」とは「事実(状況をふくむ)と意見(判断や予測をふくむ)にかぎられていて、心情的要素をふくまない」。その中には、「原則として『感想』を混入させてはいけない」のだ。
そこで、木下氏は「いい文章」というときに人がまっさきに期待する、「人の心を打つ」「琴線に触れる」「心を高揚させる」「うっとりとさせる」というような性格をいっさい無視する、と宣言する。
以上を前提にすれば、レポートの書き方は以下のような実にシンプルなものになる。1.事実と意見で書くべき内容の精選、2.事実と意見の峻別、3.それらを順序よく明快・簡潔に記述する。3.のためにはイイタイことを「目標規定文」でまとめ、その目標に収束するように全体の構成を練る。ここでパラグラフ理論を使用する。
レポートの構成は序論、本論、結びの組立で、序論では、主題(テーマ)、なぜその主題を取り上げたか、その問題がなぜ重要なのか、問題の背景、問題への取り組みの方法などを書く。
その文体は、事実を書く「記述文」「説明文」、意見を書く「論理を展開する文章」だけで良いことになる。
しかし、これは理科系に限定されるものではない。木下氏は文系の大学生向けの『レポートの組み立て方』(ちくまライブラリー)で同じ事を主張し、「レポートに書くべきものは、事実と、根拠を示した意見だけであって、主観的な感想を排除しなければならない」とし、「この点に、レポートといわゆる作文との大きなちがいがある」としている。
この木下氏の見解は、理系、文系を問わず、多くの大学の先生方のものである。また、多くの高校の先生方の考えでもある。高校生のレポート指導などに熱心に取り組まれている理科や社会科の先生方も、こうした前提で指導されているようだ。そして、そこから排除された「主観的な感想」部分を引き受けるのが国語科の役割になっているのだ。

3 「主観的感想」をどう取り扱うべきか
さて、ここまで来れば、読者のみなさんも、何かおかしいと思われるのではないか。そもそも木下氏は国語科が文学教育になっていることを批判し、論理教育をすべきだとして活動を始めたのではなかったか。それが、結局は、国語の文学化を強めてしまっては本末転倒だろう。
論理教育の一貫性という立場からは、排除された「主観的な感想」をどう考えるべきだろうか。それは論理の範疇ではなく、「文学」に任せる領域になるのだろうか。私は、主観的な思いや感情にも論理が貫徹されていると考えている。それらに取り組み、解決できるような論理でなければ、使い物にならないのではないか。
理系の研究者が、「仕事の文書」から「主観的な感想を排除しなければならない」としても、彼もまた研究中に、激しい心の動揺や高揚感、不安や恐怖などに襲われるのは事実だろう。そして、それが研究に大きな役割を果たしていることも疑えない。したがって、研究者もこの問題を直視すべきではないか。木下氏も、この問題を取り上げた上で、公的文書からは「主観的な感想」を排除すべしと、言ってほしかった。
ただし、誤解のないように断っておきたい。私は木下氏のレポート指導法を否定しているのではない。それは文章を書く上での基本中の基本をわかりやすくまとめたすぐれた原則であり、すべての若者に教育すべきトレーニングだ。
私はそれを肯定し、それを強烈に推進することに賛同した上で、さらにそれを発展させるための提言をしたいのだ。
木下氏の不十分さとは、排除した「主観的感想」の取り扱いについては触れず、それを文学(国語教育)関係者にゆだねてしまったことだ。しかし、事実(客観的側面)と意見(主観的側面)の区別をするためには、主観的側面における「意見」と「主観的感想」の違いと関係について、改めて問わねばならなかったはずだ。
もちろんそれを彼の責任にするのは酷なことだ。彼が依拠した欧米流の文章指導でもそれは無視されていたのだろう。本来それを仕事とするべき国語教育関係者こそが、この問題に取り組むべきだった。
さて、この問題を考えよう。主観的側面、つまり人間の意識にはさまざまなレベルがある。木下氏は、その内で明確に言語化できた主張だけを「意見」とし、他をすべて「主観的感想」とくくってしまった。しかし、その中には心情的なレベルはもちろん、言語化できないもやもやしたレベルの意見もあるのではないか。
発生的に考えれば、人間の意識の最初の段階に心情と意見の分離はない。それらが混然一体の状態があるだけだ。そして、心情が言語化されていく過程で、意見もまた言語化されていき、両者の分離も自覚されていくのではないか。したがって、両者は切り離せない。まず、混沌とした経験を描写する文章があり、その中から意見文が立ち現われてくるのであり、意見文の前に、またそれと並行して、経験や混沌とした感情や想いを丁寧に描写する文章が必要なのだ。
それは事実と心の動きを正確に丁寧に追っていくもので、文学的な美文とか「人の心を打つ」文章とは、別のものである。こうした文章と、意見文やレポートとの関係をしっかりとらえておくことが必要なのだ。
しかし、ここは、一般論をすべき場所ではないし、大学生や研究者を問題にしているわけでもない。私たちの課題は、眼前にたたずむ中学生や高校生である。私が「主観的な感想」にこだわるのは、それが中学生や高校生の学習やレポートでは決定的に重要だと考えるからだ。
実験や文献調査のまとめなら、正確な事実に基づき、正しい論理展開で答えを出すことが求められよう。そこでは正しい思考過程と正解が問われる。そして、それも基本的で大切な能力である。しかし、今の彼らに第一に必要なのは、学校や教室内で完結できる実験や文献調査ではなく、フィールドワーク、体験学習などで、現場に出ていくことではないだろうか。そこでは、「体験」や「心情」が大きな働きをする。

4 高校生にとっての理想のレポートとは
中学生や高校生。彼らは大学の研究者とは違う課題を持っている。彼らは未だ専門家ではなく、大学の研究者でもない。その前の段階にあり、今まさに、将来の進路・進学を決めるという岐路に立たされている。しかし、今の時代が、それを困難にしていることは前回書いたとおりだ。その彼らにとっての緊急の課題は「自分探し」「自分作り」にある。
 そのためには、1.個人的な体験を掘り起こし、個人的な体験の意味を考えさせること、2.現実社会(自然も)の問題にぶつからせ、その問題の本質を考えさせること、3.その問題と、自分の生き方を関係させて考えさせること、が必要だ。
そうした彼らに必要な表現とは、1.の「体験」を描写し、自己理解を深めていく文章であり、2.のように、ある対象について学習する際にも、その対象理解の中で1.や3.のような自己理解をも深められる文章だ。つまり、その対象を取り上げるのが自分にとってどういう意味があるのか、自分の進路・進学とどう関係するのかをも書くのだ。
そうした2.の文章では、先に書いたように、実験や文献調査以上に、フィールドワークや現地での調査・取材こそが重要になってくるはずだ。なぜなら現場には厳しい問題が剥き出しで転がっており、その問題と闘っている人へのインタビューでは、問いかける高校生自身が厳しく問い返されることになるからだ。
当初の仮説、先入観、常識がひっくり返されるような体験。自分自身が否定されるようなショック。そこに強烈な心の動きがおこり、深刻な反省が迫られる。それをしっかりと書くことで自分を見つめ、それによって改めて対象を深く考え直すことが可能になる。
彼らには必要なのは、整った論理や正解の前に、「答え」の見えない「問い」に耐えていく力、そこからより深い「問い」に到達するような力だろう。それによって「自分を作っていく」ためである。
 では、そうしたことが可能になるような指導法、レポートの構成と文体とはどういったものになるのだろうか。それを考えるために、次回から理科や社会科ですぐれた実践をされている方々の生徒作品を取り上げて、具体的に考えていきたいと思う。

3月 29

シリーズ:「聞き書き」を
学び合う 第9回 
高校作文教育研究会4月例会

高校作文教育研究会は、一昨年秋から2年ほどの予定で、会のテーマを「聞き書き」として、聞き書きの可能性、授業で実践する際の具体的手だて、その課題などを検討しています。

この間、私たちの例会や全国大会に、各地の中学、高校のすぐれた実践家10人ほどをお招きし、みなで共同討議をしました。聞き書きに関するさまざまな課題について、生徒作品を丁寧に読みながら、具体的に考えてきました。

その成果は、昨年6月から雑誌「月刊 国語教育」に連載中です。

4月の例会では、冨田明さんの実践報告以外に、聞き書きの歴史や理論を考えます。
歴史から私たちは学ばなければならないはずですが、じっさいはそうなっていません。そのために過去の失敗を何度も繰り返し続けています。すぐれた実践や、そこから生まれた問題提起から学んでいきたいものです。今回、程塚英雄さんからは70年代の実践についての総括、古宇田栄子さんからは80年代始めの中学の実践が紹介されます。
また、理論的には文体の問題が大きいのですが、これはまだ手つかずで放置されている問題です。少しずつでも切り込んで、考えたいと思います。
新しい学習指導要領では、「全教科での言語活動の充実」と「国語科がその中心で指導する」ことが謳われています。それが稔りのあるものになるためにも、私たちの学習を進めていきましょう。
 
どなたでも参加できる研究会です。どうぞお気軽にご参加ください。

1 期 日    2010年4月18日(日)10:00から16:30

2 会 場   鶏鳴学園御茶ノ水校
         東京都文京区湯島1の9の14  プチモンド御茶ノ水301号
         電話 03(3818)7405 JR御茶ノ水駅下車徒歩4分
       ※鶏鳴学園の地図はhttp://www.keimei-kokugo.net/をご覧ください

3 報告の内容
(1) 聞き書きと文体を考える 
        鶏鳴学園 中井浩一
聞き書きを実践していると、必ず文体の問題にぶつかります。前回の機関誌ではそれについての私見を書きました。それに対して、程塚英雄さんなど複数の方々から意見が寄せられています。それを紹介しながら、この問題を考えたいと思います。

(2) 70年代の教育実践を振り返る
               茨城キリスト教学園高校 程塚英雄
70年代には鈴木正気さんや程塚英雄さんをはじめとして、茨城県ではすぐれた実践が多数行われていました。その総括を行うために茨城県教育科学研究会主催のシンポジウムが開催され、それが『教育』1981年1月号に掲載されています。
そのシンポジウムに参加した程塚さんから、ご自身の初期の実践を振り返ってもらい、その総括の意味を報告してもらいます。(中井記)

(3) 職業人への聞き書き
               神奈川県立有馬高等学校 冨田明
 2年生の夏休みに聞き書きの課題を出しました。
 1年次の青春時代(できれば戦争体験)の聞き書きにつづき、二度目の聞き書きの課題です。このときは3枚程度以上の条件を出しましたが、多くの生徒は3枚しか書かず、表面的なレポートになっていました。それに対して今回は枚数制限無しにしたところ、10枚以上書いて提出した者もいました。前年度はクラス文集・学年文集とつくっていきましたが、この年度はよくできたレポートをクラス別に選抜したプリントをつくり、授業で読み合わせをしました。
 それらの作品プリントを読み、問題点を報告したいと思います。検討をよろしくお願いします。

4 参加費   1,500円(会員無料)

6月の例会の日時と報告(の一部)が決まりました。

6月27日に例会を行います。
高校における「ディベート」についてみなさんと考えたいと思います。

報告者はもう20年近く、実践を積み重ねてきた杉浦正和さん(芝浦工業大学附属柏高校の社会科担当)と、杉浦さんとともに、県立小金高校などで実践されて、現在は大学の教職課程を指導されている和井田清司 さん(武蔵大学人文学部)からの報告があります。
 
お二人が編集した単行本には以下のものがあります。
◆生徒が変わるディベート術 国土社 1994
◆授業が変わるディベート術!―生徒が探究する授業をこうつくる 国土社 1998

3月 17

半年の予定で、月刊『高校教育』誌に「高校での『言語活動』の充実のために」という連載を始めました。新しい学習指導要領の問題提起を受け止めようというものです。
4月号では以下を書きました。

第一回 「国語科」とは何か  (軽視されてきた「形式」)
                         鶏鳴学園 中井浩一

1 新学習指導要領が私たちに問いかける問題

新たな学習指導要領には画期的な点がある。1.全教科での言語活動を求め、2.その中心に国語科を位置付け、3.高校生の体験、現場調査(フィールドワーク)を重視したことだ。
これを正面から受け止めるならば、その衝撃力は、前回「総合学習」が入った以上のものになるはずだ。なぜなら、この本当の意味は(1)全教科に「総合学習」を行うことを求め、(2)従来の教科の壁を壊し横の連携を求め、(3)「国語科」とは何かを初めて真っ正面から問題にしたからだ。

新学習指導要領のこの大きな変化は、もちろん現在の教育課題の大きさ、深刻さ、緊迫度に対応するものだろう。しかし、前回の「総合学習」の導入時と同じことが懸念されるのも事実である。つまり、条件面(人、物、金)の不十分さである。学校内の体制、教育委員会の支援体制が弱いのではないか。何よりも、学校現場の先生方の意識と能力に大きな疑問符がつく。矛盾はさらに大きくなるかも知れない。

しかし、現状を何とか変えて、より良い教育を実行しようとしている管理職や一般の先生方には、大きなチャンスであり、追い風であることは間違いない。これから半年間の本連載では、そうした方々を支援するために、具体的な課題のいくつかを明らかにし、その解決の方向を示したいと思う。「総合学習」が導入された時にも、本誌に「総合学習の現状と課題」を連載させていただいたが、それと同趣旨のものだ。

2 今の高校生の課題は何か。

校長先生以下、管理職の方々にとって、学習指導要領が変わるときこそ、学校現場を変えていく大きなチャンスだと思う。今回は、教科の厚い壁を壊し、全教科の横の連携をうながし、学校全体でその教育目標に取り組むことを求めている。

 だからこそ、それぞれの学校の教育課題、教育目標を再度確認する必要があるし、そこから始めるべきだろう。それぞれの学校の課題は、読者のみなさんに考えていただくとして、私は少し一般的な話をしたい。

今の高校生に広く見られる問題とは、将来像がなく、親からの自立が進んでいないことだろう。それゆえに彼らは「自分」に自信がなく、他人に評価されないと不安でたまらなくなるようだ。その依存心、依頼心はますます強まっている。

 こうした原因としては、1.「豊かな社会」が実現し、社会自体が目標を見失っていること。2.体験の貧弱さ、現実社会の問題の見えにくさ、親子の一体化。3.自己決定=自己責任が求められる厳しい社会になったが、それに相応しい教育が行われていないこと、などが挙げられよう。

 そこで、根本的な対策が問われるのだが、まず教育目標としては「自分作り」を高く掲げなければなるまい。今の高校生は「自分」が弱い、または「自分」がないのだから、それを作り上げるしかないのだ。世間では「自分探し」なる言葉がはやっているが、「探し」て見つかるようなレベルのものではあるまい。「自分」とは、高校生一人一人の問題関心、「問い」、テーマのことである。それを獲得するには厳しく長い学習の過程が必要だろう。

 では、そのためにはどうしたらよいのか。1.個人的な体験を掘り起こし、個人的な体験の意味を考えさせること。しかし、1だけでは不十分だ。2.現実社会(自然も)の問題にぶつからせ、その問題の本質を考えさせること。3.その問題と、自分の生き方を関係させて考えさせること。

 以前は?だけでも自分のテーマを見いだすことができたが、現在はそれは難しい。だから現実や社会の現場に連れ出し、そこで現実と格闘している人々と「出会う」経験をさせることが必須になっている。

 こうした背景を考えるとき、今回の学習指導要領の有効性、その「追い風」の意味が明確になるだろう。私もまたこの連載で、「自分づくり」の方策を具体的に明らかにしていきたい。

3 「国語科」とは何か
 
私自身は長らく、高校生を対象とする国語専門塾で国語を指導してきた。そして世間で行われている国語教育への疑問を感じ、それに変わる教育方法を模索してきた。そうした私には、今回の学習指導要領は深く頷けるものがある。

私の国語科への疑問とは、それが事実上「文学」教育、「道徳」的な教育、マニュアル教育になっていて、本来の使命を果たしていないのではないかということだ。内容を教えようとしていて、形式(「型」の重視)の指導が弱すぎるのではないか。「答え」が重視され、「問い」を立てることが軽視されていないか。感性・感情(共同体の空気を読む=集団と一体)を学習させられ、論理=思考(集団との一体感を壊すことも恐れず、異論をぶつけ合い、本質理解を深める)が指導されていないのではないか。そこで学ぶ一般的な知識が、自分自身や現実社会と十分には関係づけられていないのではないか。

以上国語科の問題として述べたが、実はこうした問題は他教科でも同じであり、そうした矛盾が国語科の特殊性故に、国語科に集中する面があるのだろうと思う。

今回の学習指導要領で、そこに初めてメスが入ることになる。良いことだ。全教科の言語活動を国語科が指導する。そんな力は、今の国語科にはないだろう。その現状を、まずはしっかりと見つめ、学校全体で言語活動への取り組み方を考えていかなければなるまい。

それにしても、国語科とはそもそも何を教育する教科なのか。他教科とは何が違うのか。私は学習の事柄をその内容と形式に大きく分け、国語科以外の教科はすべて「内容」中心、つまり「知識」の獲得に重点がおかれ、国語科だけが「形式」を主に学ぶ教科ととらえるのが正しいと思う。「内容」中心ということは、つまり「知識」の獲得に重点がおかれることだ。国語科だけが「形式」を学ぶ教科だということは、国語科は「思考・論理のトレーニング」「型の学習」をする場であり、「知識」の「運用能力」を獲得する場だということだ。

 内容=知識 → 国語科以外の全教科
 形式=思考・論理のトレーニング=能力 → 国語科

 しかし、世間では「形式」は極めて評判が悪い。それは空虚なもので、内容となんの関係もなく、外的で装飾的なものでしかない。そうした理解が一般的だ。(だからこそ、「無内容」な国語科にも何か内容を求め、他教科にはないものを探した。その結果が、今の「文学」教育ではないだろうか。)

ところが、真実は世間の理解とはまるで逆なのだ。形式(「型」)こそが物事の核心であり、形式なしに内容を学習することはできない。例えばテキスト理解だが、その内容(イイタイコト)は、形式を読むことで、初めて的確に深く理解することができる。逆に言えば、深く正確に考えるには、思考・論理のトレーニングが必要なのだ(詳しくは拙著『日本語論理トレーニング』講談社現代新書を参照されたし)。

どうして日本では問題解決型の教育ができないのか。内容主義は「答え」を教え込むことになりやすく、「問い」を出す力を育てる形式の学習が弱いからだ。これは国語科だけの問題ではない。実は、どの教科の中でも、内容の面と形式の面があり、いずれも内容に大きく偏っていると言える。国語科が本来の使命に立ち返ることは、他教科内部の形式面の重視につながるだろう。

実は、この形式軽視の問題は、もっと基本の部分にまで広げて考えなければならないだろう。生徒の生活習慣、学習習慣、挨拶や礼儀、ルールや規律などだ。それがここまで崩れてしまったのはなぜなのか。もちろん、一部にはこうした形式を重視し、その指導に勤める方々がいる。しかし、その指導もまた「内容主義」的に、上からの押しつけ的になっていないだろうか。まことに、病は重いのである。

4 理科や社会のレポートと国語科の表現とはどう関係するのか

話をもどそう。国語科とは何を教育する教科なのか。他教科とは何が違うのか。これが今後、具体的に問われることになる。例えば、理科や社会のレポートと国語科の表現とはどう関係しているのか、関係すべきなのか。これに明確に答えられる人がいるのだろうか。例えば、事実や客観性重視が理科や社会科、「思い」や生徒の主体性重視が国語科だ、という見解がある。読者のみなさんはどう考えるだろうか。
 
ディベートについてはどうだろうか。社会科や英語で取り組まれているようだが、国語科の関わりはどうか。理系や英語などではレポートなどの指導でパラグラフ・ライティング(パラグラフ理論)を取り入れるところが多いようだが、国語科では無関心なようだ。こうしたことはどう考えたらよいのだろうか。

次号からは、こうした点を取り上げて、論点を整理し、具体的な解決策を提言していきたい。実は、私は一〇年以上にわたって高校段階の表現指導の研究会を組織してきた。そこでは国語科だけではなく、理科、社会、数学、英語、家庭科などの先生方とともに、研鑽を重ねた。その成果もお伝えできればと思う。

2月 24

 今、表現指導の研究会では、聞き書きをテーマとして研究している。特に、文体の使い分けについて考えている。その過程で、茨木のり子の叙事詩「りゅうりぇんれんの物語」に出会った。すっかり感動して、その感動の意味、理由を考えながら、叙事詩の文体や構造を考えてみた。

=====================================

◇◆ 事実か想像か 茨木のり子の「りゅうりぇんれんの物語」から考える ◆◇
 
? 聞き書きと文体の問題  
? 茨木のり子の「りゅうりぇんれんの物語」  
? 想像のシーンとラストのエピローグ  
? 詩が詩であるために  
? 人称の問題  
? 事実と真実  
? 詩における事実と想像  
? 聞き書きの文体をどう指導すべきか
 
───────────────────────────────────────
? 聞き書きと文体の問題

09年10月11日(日)、高校作文教育研究会の10月例会(「聞き書き」を学び合うシリーズの第6回)で、「祖父母の叙事詩 ?祖父母の人生を作品として残す?」という報告が長野県立諏訪清陵高等学校の石城 正志さんによって行われた。

石城さんによれば、「この実践を一言でいえば、生まれてから今日までの人生を祖父母から聞き出し、それを詩にするということだ。話を聞く相手は祖父母であって、父母でもそれ以外の誰かでもない。聞き取った内容は叙事詩(人生の物語詩)として作品化するのであり、散文の記録として残すのではない。これがこの実践の肝であり全てである」。

この?相手は祖父母、?叙事詩(人生の物語詩)として作品化、の2点をめぐって討議が行われたが、後者が特に問題になった。なぜ、ルポやインタビューのように書かせず、文学的に創作的な表現で、詩(叙事詩)で書かせるのか。その意味、その教育効果は何か。

石城さんは、社会科と国語科の違いを考えて、叙事詩のスタイルを取ったと言う。これは一般的な前提だが、そもそもその前提が間違いだと思う。(これについては、「『聞き書き』における文体の選択について」を参照されたい)

 研究会では、2つの点で議論があった。

?相手の意見と、自分の意見の区別が曖昧になるのではないか
  相手との一体化は、自他の区別を曖昧にし、相違や対立を曖昧にしないか。
  書き手の自分自身の思いや考えをどう表現するか。

?生徒に求めるべきは、事実か想像か
文学的に創作的な表現には、対象との一体化、相手への感情移入による理解が進む面があるが、事実の押さえが弱くなり、勝手な思いこみがはびこることはないか。

つまり、この?と?のような疑問は、「詩という形式は、自分の考えを作っていくには不適切ではないか」という疑問を表明していることになる。これは詩に限らず、1人称の「一人語り」、3人称で「小説」のように書かせる方法への疑問にもなる。これは聞き書きの目的、特にその教育目的をどう考えるかにも関係するだろう。

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? 茨木のり子の「りゅうりぇんれんの物語」

茨木のり子の「りゅうりぇんれんの物語」を読んで考えた。
 石城さんが生徒への事前指導で取り上げた参考作品の中にこの詩があり、そもそもこの実践は、この詩の学習の一環としてやってみた側面もある。それは「りゅうりぇんれんの物語」がまさに聞き書きから作られた詩であり、それもできるだけ事実に即して書かれた物語詩だからである。

 そして何よりも、この詩を読んで私自身が深い感動を覚え、その意味を考えたくなったからだ。

 私は、茨木のり子についてはほとんど知らない。いくつかの有名な詩(「私が一番きれいだったとき」「自分の感受性ぐらい」)を知っていたぐらいで、「りゅうりぇんれんの物語」も初めて読んだ。今回、彼女の詩や評論、エッセイを少しまとめて読んでみて、良い詩人だと思った。

 「美しい言葉とは」というエッセイに「体験の組織化」という言葉があり、程塚さんが「小論文」の理想として語り、引用していたのが、この文章からだったことを確認した。

茨木のり子の「りゅうりぇんれんの物語」は、中国人の「劉連仁(りゅうりぇんれん)」が、戦争中に日本軍によって中国から強制連行され、日本で強制労働を課されながら脱走し、なんと14年間も潜伏し続けた後に発見され、故郷に帰るまでの記録をもとに作れれた物語詩であり、全体は約500行にもなる大長編詩である。

昭和17年、日本国家は「華人労務者移入方針」を閣議決定し、日本軍の占領下にあった中国の華北、華中から捕虜や民衆約4万人を強制連行し、日本国内の北海道から九州にいたる135か所の事業所で強制労働に従事させた。

劉連仁はその一人で、北海道の炭鉱で働かされていたが脱出し、その後、約14年もの間、北海道内で逃亡生活を送った。戦後12年目の昭和33年2月に北海道の札幌に近い当別の山で、猟師が凍傷にまみれた一人の中国人を見つけた。それがこの朗読詩の主人公・劉連仁である。

茨木はこの間の経緯を劉自身が語った記録をもとにこの詩を書いた。作者附討には「資料は欧陽文杉著・三好一訳『穴にかくれて十四年』(新読書社刊)によっています」とある。この翻訳は『穴にかくれて十四年 ?中国人捕虜劉連仁の記録? 』というタイトルで1959年に刊行された。

 訳者の「まえがき」には「1、これは、昭和二十年の七月、北海道のある炭坑から脱走して以来、まる十三年間も山中に逃亡し、穴居生活を続けて、昨年(昭和33年)二月九日、ついに発見され、その春に本国に奇蹟の生還をした中国人、劉連仁さんの体験記録である。二、劉達仁さんは文字を知らないので、上海の『新民晩報』の記者・欧陽文杉さんが、劉さんの話をくわしく開き、資料を細かく調べてまとめたものが本書である」と書かれている。

 つまり、この本は、劉の凄惨な経験の聞き書きであり、その記録の刊行の数年後にこの物語詩が書かれたことになる。満田郁夫の解説(「茨木のり子詩集について」。現代詩文庫20『茨木のり子詩集』〈思潮社〉の解説)でも、同様の説明がある。「『りゅうりぇんれんの物語』はこの劉連仁体験記に忠実に拠っていると言うことは出来る。(中略)この中国の農民の記録に感動した作者は、それをそのまま『朗読のための詩』(「あとがき」)にまとめて行ったにはたがわぬだろう」。

 なおこの満田の解説では、この詩について重要な2点を指摘している。?この詩の中に、幻想のシーンがあること、?そのシーンがラストにつながる伏線であること。

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? 想像のシーンとラストのエピローグ

満田は、?についてはこう述べている。「ところで、体験記と詩との関係について一つだけ気づいたことがある。「『りゅうりぇんれんの物語』の主人公が小川で沐浴をしていて開拓民の子供と出会うところがあるが、この部分は原記録にないところである。『穴にかくれて十四年』には、劉達仁が開拓小屋にあった子供の布団だけは取らなかったことが書かれている。又、『たとえ山中で野たれ死に、野獣に食われようとも二度と日本軍国主義者の手に落ちるのはいやだった。だからどうしても人から身をかくさなければならなかった。小さな子供にも見つからないようにした。子供がこわいからではなくて、子供が喋ったためにつかまるという事態になることを恐れたのだ。かれにはけものよりも人間の方がずっとこわかった』と記されている。これだけの記述を手がかりにして、作者はあの場面を創造したのであった」。

 この引用箇所に続けて、満田は?について以下のように述べている。「五百行あまりのこの物語詩のあとに作者は三十五行のエピローグをつけている。それはあの小川のほとりでの『交されざる対話』に接続するものである。あの時の少年はやがて成長し、あの出会いの意味を考える。

 つまり、あの場面はこのエピローグの伏線なのであるが、主人公の十四年間の孤独を描く中で、作者はどうしてもたった一度の心暖まる出会いを書かずにはいられなかったのでもあろう。開拓村の少年は作者である。そして、この長篇物語詩も又、前に述べて来たような意味での鎮魂歌である」。

この?で論じている想像のシーンは以下であり、長い逃亡生活の中ほどに出てくる。

風がアカシヤの匂いを運んでくる
或る夏のこと
林を縫う小さなせせらぎに とっぷり躰を浸し
ああ謝々(シェシェ) おてんとさまよ
日本の山野を逃げて逃げて逃げ廻っている俺にも
こんな蓮の花のような美しい一日を
ぽっかり恵んで下されたんだね
木洩れ陽を仰ぎながら 
水浴の飛沫をはねとばしているとき
不意に一人の子供が樹々のあいだから
ちょろりと零れた 栗鼠のように
「男のくせに なんしてお下げの髪?」
「ホ  お前 いくつだ」
日本語と中国語は交叉せず いたずらに飛び交うばかり
えらくケロッとした餓鬼だな
開拓村の子供だろうか
俺の子供も生れていればこれ位のかわいい小孫(しょうはい)
開拓村の小屋からいろんなものを盗んだが
俺は子供のものだけは取らなかった
やわらかい布団は目が眩むほど欲しかったが
赤ん坊の夜具だったからそいつばかりは
手をつけなかったぜ
言葉は通じないまま
幾つかの問いと答えは受けとられぬまま
古く親しい伯父 甥のように
二人は水をはねちらした
りゅうりぇんれんはやっと気づく
いけねえ 子供は禁物 子供のロからすべてはひろがる
俺としたことがなんたる不覚
それにしても不思議な子供だ
すっぱだかのまま アッという間に木立に消えた

(下線部は中井によるが、体験記録に基づく部分である)

?で論じているエピローグは、以下である

一ツの運命と一ツの運命とが
ぱったり出会う
その意味も知らず
その深さをも知らずに
逃亡中の大男と 開拓村のちび

風が花の種子を遠くに飛ばすように
虫が花粉にまみれた足で飛びまわるように
一ツの運命と一ツの運命とが交錯する
本人さえもそれと気づかずに

ひとつの村と もうひとつの遠くの村とが
ぱったり出会う
その意味も知らずに
その探さをも知らずに
満足な会話すら交せずに
もどかしさをただ酸漿(ほおずき)のように鳴らして
一ツの村の魂と もう一ツの村の魂とが
ぱったり出会う
名もない川べりで

時がたち
月日が流れ
一人の男はふるさとの村へ
遂に帰ることができた
十三回の春と
十三回の夏と
十四回の秋と
十四回の冬に耐えて
青春を穴にもぐつて すっかり使い果したのちに

時がたち
月日が流れ
一人のちびは大きくなった
楡の木よりも逞しい若者に
若者はふと思う
幼い日の あの交されざりし対話
あの隙間
いましっかりと 自分の言葉で埋めてみたいと

(下線部は中井によるが、その意味は後述する)

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? 詩が詩であるために

満田郁夫が指摘した2点は、そのまま我々の論点に関係するだろう。

第1に、この詩には事実を離れた想像のシーンがあることだ。この詩は、個々の表現に詩的なものはあっても、基本的には事実に即したもので、たんたんと事実を積み重ねている。しかし1個所だけ、事実ではなく詩人の空想のシーンがあるのだ。主人公りゅうりぇんれんが小川で沐浴をしていて開拓民の子供と出会うところだ。それをどう考えるか。

第2に、このシーンがラストのエピローグにつながる。ラストに再度、開拓民の子供が青年となって登場する。それまでは基本的にりゅうりぇんれんの視点から書かれているが、ラストだけは、りゅうりぇんれんにとっての他者、日本人の視点から書かれている。この視点を設定するために、青年となった開拓民の子供を出しているとも言えよう。

これは実は詩人自身の視点、立場からの叙述であり、ラストだけには詩人が直接に姿を現している。もちろん、くだくだしい政治的演説やお説教をするわけではない。ただ、「幼い日の あの交されざりし対話/あの隙間/いましっかりと 自分の言葉で埋めてみたい」と語るだけだ。しかし、直接に、書き手がわが身を表すことをどう考えるか。

第1の問題から考えよう。
実は、私がこの詩で一番激しく心を動かされ、魂に染みてきたのが、まさにこのシーンだった。これがなければ、この詩の魅力は半減するだろう。いやこの詩を詩として成立させているのは、このシーンではないのか。

その意味を考えてみよう。

?  りゅうりぇんれんにとって、日本人のすべては敵で、心許せない相手だった。そうした場面しかこの物語詩には出てこない。事実はまさにそうだったのだ。しかし作者としては、1つだけでもりゅうりぇんれんと日本人との魂の交流を入れたかった。それは詩人自身のりゅうりぇんれんへの激しい交感がもとにあるだろう。それに表現を与えたかった。
?  このシーンは確かに事実ではないが、しかし、それはただのウソではない。事実を無視した、勝手な空想ではない。あくまでも本人の語った記録に即している(下線部分)。そこに寄り添いながら、その延長に、その行間に自然に浮かびあがってくる一つの幻想なのだ。事実に徹底的に即し、その末に生まれる想像だ。それが創造だろう。
?  もし、事実だけにしたら、この想像のシーンがなかったら、それは詩と言えないだろう。少なくとも、すぐれた詩ではない。詩が詩になるためには、事実のレベルを超える地点が必要なのではないか(これは評論、論文でも全く同じである)。
詩人は事実をたんたんと描き、自分の想いが先走ることをずっと抑制していた。その想いが、ついにこらえきれずに噴出する箇所。それがここだ。そして、それがあるがゆえに、この詩が詩になっているのではないか。そうした形で、詩人の共感、想いが直接にほとばしることはアリではないか。
私が一番心を動かせれたのは、まさにこのシーンだった。そして、ここで初めてほっとし、硬くなった心を緩ませ、柔らかい心で、その後も長く続くりゅうりぇんれんの辛い物語に向き合うことができる。

次に、第2の問題に行こう。
本来は叙事詩には、物語には、著者が、書き手が直接現れることはない、登場することはない。もちろん、著者がいないのではない。選ばれた事実、その並べ方、全体の構成、個々の表現、その中に著者は現われている。注意深く読めば、そこに著者の思いや立場は現れている。しかし、どうしてもより直接に、生の形で現れずにはいられない場合があるのではないか。

ラストのエピローグの青年はもちろん作者である。ということは、「開拓民の子供」も作者だということだ。ここで作者は、りゅうりぇんれんたちを強制連行した側の責任を、自分もその一人である日本人としての責任を、問おうとしている。それはこの聴衆や読者である日本人一人一人にそれを考えてもらいたいからだろう。詩人が直接の形で姿をあらわさないのは、その方が目的にかなっているからだろう。

実は、詩人が直接あらわれている箇所が、このエピローグの少し前にある。それは、この詩のラスト近く、りゅうりぇんれんが発見される箇所だ。そこでは、詩人は2人称「あなた」でりゅうりぇんれんに直接呼びかけている。そして、最後には、りゅうりぇんれんを苦しめてきた日本人側に、つまりは詩人自身に語りかけずにはいられなかったのだ。この人称の問題は、文体を考える際にははずせない。文体とは人称の問題なのだ。人称には著者と対象の関係・距離が現れるからだ。

なお、このエピローグには、りゅうりぇんれんと開拓民の子供との出会いの場面が、詩人の視点から作られた幻想であることを示してもいる。読者が、想像と事実の部分を区別できるように、種明かしをしているのだとも考えられる。

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? 人称の問題

この詩では、りゅうりぇんれんについて、どのような人称で書かれているろうか。分析してみると、それが実は変化していくことがわかる。基本的には3人称で書かれるのだが、すぐに1人称「俺」の箇所が出てくる。逃亡生活の途中では内言で語る場面(当然1人称)も多用される。そして、ラストに近く、りゅうりぇんれんが発見される所では2人称「あなた」で呼びかけているのだ。この人称の変化の意味は何か。

冒頭は次のように始まる。3人称で、他者の視点から客観的に描かれるのだ(以下のすべての下線は中井による)。

劉連仁 中国のひと
くやみごとがあって
知りあいの家に赴くところを
日本軍に攫(さら)われた
山東省の草泊という村で
昭和十九年 九月 或る朝のこと

りゅうりぇんれんが攫われた
六尺もある偉丈夫が
鍬を持たせたらこのあたり一番の百姓が
為すすべもなく攫われた
山東省の男どもは苛酷に使っても持ちがいい
このあたり一帯が
「華人労務者移入方針」のための
日本軍の狩場であることなどはつゆ知らずに

すぐに1人称になる箇所が出てくる。これはもちろん、りゅうりぇんれん本人の視点から書いているが、本人の思いや感情、考えを描いている。その「内言」「つぶやき」「思い」が書かれる。

あの朝…
さつまいもをひょいとつまんで
道々喰いながら歩いて行ったが
もしもゆっくり家で朝めしを喰ってから
出かけたならば 悪魔をやりすごすことができたろうか
いや 妻が縫ってくれた黒の綿入れ
それにはまだ衿がついていなかった
俺はいやだと言ったんだ
あいつは寒いから着ていけと言う
あの他愛ない争いがもう少し長びいていたら
掴らないで済んだろうか  めいふぁ?ず
運の悪い男だ俺も…

内言は、ずいぶん描かれている。

山の上から見下した畑は一面の白い花
じゃがいもの白い花
りゅうりぇんれんは知らなかった じゃがいものこと
茎をたべた 葉をたべた
喰えたもんじゃない だが待てよ
こんなまずいものを営々とこんなに沢山作るわけがない
そろそろと土を探ると
幾つもの瘤がつらなっている
土を払って囓る うまさが口一杯にひろがった
じゃがいもは彼らの主食になった

内言は他にも沢山ある。例えば以下ではりゅうりぇんれんは自分を「俺」と言い、妻に「おまえ」と呼びかける。

三人の男たちはふるさとを語る
不幸なふるさとを語ってやまない
石臼の高梁の粉は誰が挽いたろう
あの朝の庭にあった石臼の粉は
母はこしらえたろうか ことしも粟餅を
俺は目に浮ぶ なつめの林
まぼろしの棗林
或る日 日本軍が姪をたててやってきて
伐り倒してしまった二千五百本
いまは切株だけさ 季家荘の部落
じいさんたちが手塩にかけて三十年
毎年街に売りに出た一二〇トンの棗の実
俺は見た
理由もなく押切器で殺された男の胴体
生き埋めにされる前 一本の煙草をうまそうに吸った
一人の男の横顔 まだ若く蒼かった……
俺は見た 女の首
犯されるのを拒んだ女の首は
切落されて臀部から生えていた
ひきずり出された胎児もいた
趙玉蘭(チャオユイラン)おまえにもしものことがあったなら
いやな予感 重なりあう映象をふり払い ふり払い
りゅうりぇんれんは膝をかかえた
長い膝をかかえてうつらうつら
三人の男は冬を耐えた 半年あまりの冬を

次も内言だ。

りゅうりぇんれんは烈しく泣いた
二人は殺されたに違いない すべての道は閉された
「待ってくれ おれも行く!」
腰の荒縄を木にかけて 全身の重みを輪にかけた
痛かったのは腰だ!
六尺の鉢を支えきれず ひよわな縄は脆くも切れた
ぶったまげて きょとんとして
それからめちゃくちゃに下痢をして
数の子が形のまんま現れた
「はかやろう!」そのつもりなら生きてやる
生きて 生きて 生きのびてみせらあな!
その時だ しっかり肝っ玉ァ坐ったのは

そしてラストに近く、長い逃亡生活が終わったところで、2人称が突如現れる。詩人が直接にりゅうりぇんれんに呼びかけるのだ。エピローグの少し前に、すでに詩人はその姿を現しているのだ。

獣のように生き
記憶と思考の世界からは絶縁された
獣のように生き
日本が海のなかの島であることも知らなかった
だが りゅうりぇんれん
あなたにはみずからを生かしめる智慧があった

惨憺たる月日を縫い
あなたの国の河のように悠々と流れた
一つの生命
その智慧もからだも
しかし限度にきたようにみえた
厳しい或る冬の朝のこと
あなたはとうとう発見された
札幌に近い当別の山で
日本人の猟師によって
凍傷にまみれた六尺ゆたかな見事な男
一尺半のお下げ髪の 言葉の通じない変な男

3人称は客観的に対象を突き放す記述であるが、1人称になると書き手は相手の内面に入り込むことになる。対象との一体化は進む。内言はこの人称でしか語れない。しかし、もちろん、書き手は対象と違う人格であり、一体化をしながらも、相手を対象化してもいる。

そして、一体化しながらも、その相手を対象化することで、相手に直接語りかけるような2人称が現れている。これが意味するのは自他の一体化の完成である。一体化は完成すると自分を失うのではなく、他者が他者として明示されるのだ。そして他方では、呼びかける主体として書き手が直接に現れている。それまでは常に、りゅうりぇんれんに語らせていたのだが、ここでは直接に書き手が顔を出しているのだ。こうした人称の変化、一体化の深化の構造の中に、幻想のシーンやエピローグがあることを忘れてはならない。

対象との真の一体化は、対象と自己との区別がなくなることではない。むしろ逆で、自己が自己になり、他者が他者になることなのだ。

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? 事実と真実

次に、事実と表現の関係を考えたい。この詩では、詩人は、「事実に語らす」方法を基本的には採用している。それは読者や聴き手が単なる感傷に流れることなく、事実の重さを受け止めさせることをねらいとしているからだろう。しかし、それだけではない。

以下は、事実の提示が効果をあげている箇所だ。逃亡生活が終わり、その対応が問題となり、調査がなされた結果はこう描かれる。

「行方不明」
「内地残留」
「事故死亡」
たった一言でかたづけられている
中国名の列 列 列
不屈な生命力をもって生き抜いた
りゅうりぇんれんの名が或る日
くっきりと炙出しのように浮んできた
「劉連仁 山東省 諸城 県第七区柴溝の人」
昭和十九年九月 北海道明治鉱業会社
昭和鉱業所で労働に従事
昭和二十年無断退去 現在なお内地残留」

昭和三十三年三月りゅうりぇんれんは雨にけむる東京についた
罪もない 兵士でもない 百姓を
こんなひどい目にあわせた
「華人労務者移入方針」
かつてこの案を練った商工大臣が
今は総理大臣となっている不思議な首都へ

 このように、事実の選択、その示し方によって、書き手は強いインパクトで、自分の主張をできる。現象の中に、その本質が剥きだしの形で露わにされている。

しかし、感心できない箇所もある。中国共産党のプロパガンダをそのまま受け入れてしまっているように思われる部分がある。りゅうりぇんれんが発見され、中国に帰国するまでに日本について述懐する場面だ。それは1人称で彼の内言として書かれる

おいらが何の役にもたたないうちに
中国はすばらしい変貌を遂げていた
おいらが今 日本で見聞きし怒るものは.
かつての祖国にも在ったもの
おいらの国では歴史のなかに畳みこまれてしまったものが
この国じゃ
これから闘われるものとして
渦まいているんだな

これは、記録には書かれていたのかもしれないが、本当にりゅうりぇんれんが語ったのだろうか。文字を知らない劉連仁に代わって、話を聞き書きしたのは上海の『新民晩報』の記者・欧陽文杉であった。欧陽は、当然ながら、その記録を中国共産党の公式見解の立場から書いただろう。それ以外に、当時の中国で出版は不可能だった。聞き書き自体の中に、すでに事実か否かの問題がはらんでいる。

茨木は、こうした問題を十分には自覚できていなかったようだ。もちろん、この詩の書かれた1960年代の前半いあって、多くの日本の知識人にとって、中国共産党を疑うことは難しかったろう。しかし、それは茨木の弱さだし、この詩の弱さでもあるだろう。

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? 詩における事実と想像

以上の考察を踏まえて、詩(叙事詩)における事実と想像の関係を考えよう。

?  文学表現は対象と著者が一体になることを求めるが、その「一体」とは溶け合って両者の区別がなくなってしまうことではない。それが深まると、対象が対象としてしっかり立ち現れ、他方で自己が自己としてそれに向き合うことになる。「一体」になることを媒介として、対象理解と自己理解が深まっていくのだ。
?  文学では想像や幻視が大きな役割を果たすが、それがすぐれた表現であるならば、それは、事実にあくまでも即したものであり、事実に即しながら、その人物になりきった時に、あくまでも著者の立場から、自らの想いがほとばしったものなのだ。それが生まれた時に、それは成功と言えるのだろう。事実にとどまっているだけでは不十分で、どうしても飛躍が必要だ。
これは、実は論文でも同じである。事実や経験を重視する人々の中には、そのレベルに固執する傾向があるが、それは間違いである。そうした経験至上主義からは、人々の相互理解が進まないだろう。事実レベルを超えることには問題はない。それを的確に意味づける表現になっているかどうか、それだけが問題なのだ。茨木はそれを「体験の組織化」と呼んでいる。
?  茨木もそうしているが、こうした大きな社会問題をテーマとしている場合、また日本人が日本の戦時中の政策の批判を行っているような場合、第3者に語らせるだけでは弱いし、どうしても語れない部分が残るだろう。そうした場合は、書き手の思いを直接に出せる場が必要だ。普通はそれはラストに書かれるだろう。それが詩の内部か、外部かはどちらでも良いだろう。茨木もラストに青年の形を借りて、それを行っている。

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? 聞き書きの文体をどう指導すべきか

では、聞き書きの文体の問題にもどる。そもそもの問題は以下の2つだった。

?相手の意見と、自分の意見の区別が曖昧になるのではないか
  相手との一体化は、自他の区別を曖昧にし、相違や対立を曖昧にしないか。
  書き手の自分自身の思いや考えをどう表現するか。

?生徒に求めるべきは、事実か想像か
文学的に創作的な表現には、対象との一体化、相手への感情移入による理解が進む面があるが、事実の押さえが弱くなり、勝手な思いこみがはびこることはないか。

先に、詩、文学一般について考えたが、ここでは、中学生や高校生の聞き書きを指導する場合を考えよう。

第1の問いにはすでに答えている。文学表現のめざす「一体」とは溶け合って両者の区別がなくなってしまうことではない。それが深まると対象が対象としてしっかり立ち現れ、自己が自己としてそれに向き合うことになる。しかし、それが十分に達成できない場合は、この懸念は当たってしまうだろう。高校生にとっては、最初から自他を区別して書く方がはるかに簡単だろう。

第2の問いでは、「事実か空想か」という問題のたて方がすでに間違いである。「事実から一般的意見に」と「事実から小説や詩に」の両方向が存在し、それは役割が違うだけなのだ。

しかし、いずれにしても、事実をそのまま事実として示す段階が先行、または並行し、それが重要であることは変わらない。その事実が知られていない場合、また聞き手がその事実を知らなかった場合、それは決定的に重要である。インタビューそのもの、報告文や記録文、観察文などは、それに当たるだろう。

「事実(経験)のままに留まれ」は間違いだ。事実をただ羅列しても、その意味が見えるわけではない。その事実を自分のものにするには、そこから自分の思想を作るには、それを自分の言葉で表現しなければならない。事実を並べることでも表面に現れてはいるが、その意味を本当に自分のものにするには、その事実の自分にとっての意味を、ルポや評論で一般的に表現するか、文学的表現で具体的象徴として表現するしかない。いずれも、茨木の言う「体験の組織化」である。

文体の違いでは、?個別的で具体的な事実をそのままに語る段階か、?個別的な具体的な事実を、抽象的で一般的で普遍的なものに変換するか、?個別的で具体的な事実を、これも一般的で象徴的な言葉で変換するかの違いだけなのだ。?と?では、それが成功しているかどうかだけが問題で、どちらかがすぐれているのかを比較することには意味がない。また、1つの文章は1つの文体だけから書かれるわけではない。この3種の内の2つ、または3つが組み合わされることもある。

またいずれの文体で書くにしても、ラストには、自分の考え、学んだことを自分の言葉で直接的に書かせるべきだ。詩形式の場合もそうすべきだ。詩の内部か、外部かはどちらでも良いだろう。茨木もそうしている。

                 ┏?事実を、抽象的で一般的で普遍的な形で書く
                         (ルポ、レポート)
 ?個別的で具体的な事実を書く →┫        
 (事実そのままを書く)     ┗?事実を具体的で象徴的な形で書く(文学的表現)

 以上を踏まえて、では聞き書きではどういう文体で書かせるかという問いに答えよう。中学生や高校生の聞き書きの文体としては、やはり先ずは?に取り組ませるべきだろう。そして、私のように、高校生(大学生も)に自分の問題意識を作る、問いをはっきりさせることを目的とするなら、次いで?が中心になるだろう。?は、題材や聞き手と話し手との関係の中で、創作的な手法が大きな役割を果たす場合に、またはその場面で使用されるのが妥当だろう。しかし、そうした区別と選択が可能になるためには、それらを一応全て学んでおく必要がある。そのために、?で書く練習が必要だし、有効だろう。

 この文体の使い分けを、より具体的に考えるためには、構成の問題も合わせて考えねばならない。

「聞き書き」の構成は、(1)当初の問題、(2)取材・調査そのもの、(3)問題への一応の答え。この3つの構成がモデルとなろう。
そして、肝心の(2)だが、その内部ではa)背景となる社会問題やその取材相手の経歴など、b)インタビューの中身、c)インタビューで、自分が思ったことや考えたことがあるだろう。

こう整理すれば、それに対応する文体のモデルも想定しやすい。(1)と(3)は?と?の文体、(2)のa)は?となる。b) c)は普通は?と?になるだろう。ここで、b)に?の文体を使用する場合は、c)をどこで保証するのか、構成の問題として考えるべきだろう。(2)の終わりか、(3)の中にc)を独立してもうけるべきだが、そこはまた?と?になるだろう。

(茨木のり子の「りゅうりぇんれんの物語」は、現代詩文庫20『茨木のり子詩集』思潮社に収録されていて、今も簡単に入手できる。)